2015/04/02 - 2015/04/03
7428位(同エリア43955件中)
毛利慎太朗さん
- 毛利慎太朗さんTOP
- 旅行記116冊
- クチコミ310件
- Q&A回答4件
- 153,968アクセス
- フォロワー105人
この旅行記のスケジュール
2015/04/02
-
電車での移動
大阪(東海道本線、湖西線経由)小野
-
電車での移動
小野(湖西線、JR奈良線、京阪)祇園四条
-
電車での移動
祇園四条~出町柳~京橋~天王寺~JR難波
-
電車での移動
なんば~新大阪~中津
-
電車での移動
中津(阪急)梅田
2015/04/03
-
電車での移動
大阪~京橋~枚方市~三条
-
電車での移動
烏丸御池(地下鉄烏丸線)京都
-
電車での移動
京都17:12(のぞみ390)東京19:30
-
電車での移動
東京19:40(はやぶさ105)一ノ関21:45
もっと見る
閉じる
この旅行記スケジュールを元に
1日目は阪和線で「記録鉄」活動にいそしみ、2日目以降はグルメを中心に京都・大阪を巡りました。
2日目の行程としては前日に買っておいた春の関西1デイパス(当時3600円)とそのオプション券「京都定期観光・大原チケット」を駆使して、湖西線・小野駅、祇園四条駅周辺、難波周辺を巡り、晩酌は中津駅内の居酒屋「いこい」でやりました。
3日目の行程としては枚方市駅で母を出迎え、その後は同一行動。
三条通り周辺を観光して歩きました。
鉄道要素はかなり薄っぺらで、写真の精度も落ちますがどうぞご覧ください。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 新幹線 JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
さて、2日目は春の1デイパスを使ってまず湖西線の113系に乗りにいこうとするか。
春のワンデイパスは北は敦賀(福井県)、南は和歌山、東は米原(滋賀県)、西は上郡(兵庫)と広範囲。
なお、特急は追加料金払うと利用できるのでそこは青春18きっぷと違ってありがたい。(新幹線は対象外)
ただ1日当たり青春18きっぷが2千数百円で乗れるのに対して、1日当たりの料金が高いのが、ネック。
使ってみての感想は、正直元を取るほど乗ってはいない。
持参のsuicaにチャージするの手間を省くためにフリー切符を買ったといっても過言ではない。
この頃は「こうのとり」と「くろしお」に381系が使われていたから、その乗り納めをすればよかったんじゃないかとか、敦賀まで乗りとおしたあとにグリーン車で大阪に帰ればよかったんじゃねとか反省点は山ほどある。 -
7:03 大阪
↓新快速
7:31 京都
京都駅での1コマ。
初”新快速”の感想はというと、さすが京阪を30分で行くので急いでいる人にはいい。
ただ通勤時間帯という事もあり、混雑がひどかったのも事実。
急ぐときは新快速を使い、混雑を避けるときはJR京都線か京阪準急、ゆったり座って行きたいときは京阪特急だと思った。
(阪急は梅田~河原町を通して乗ったことがないので、コメントは差し控える) -
7:52 京都
↓湖西線
8:29 小野
車両は敦賀方が、近キト(吹田総合車両所京都支所)の113系L16編成・4両、40N更新車。
113系の更新車40N、30Nといわれてもあまりピンとこない。
塗装は俗にいう”末期色(単色塗装)”であるが、これは”まっきいろ”にかけて私は敢えて”まっちゃいろ(抹茶色)”と呼びたいところ。
でも、”濃茶色”のほうがしっくりくるなというこの頃。
抹茶色だと、ウグイス103系と区別がつかなくなるんじゃないかと。
では統一しますか取り敢えず”末期色”で。 -
そしてなんと、京都方の車両はL14編成・4両のカフェオレ色!
コチラは30N更新。
なお現在、近キトの117系及び113系は一部を除いてすべて末期色となったとさ、でめたしでめたし。
(一部車両とは113系・L06編成”SHINOBI-TRAIN”と117系M117編成・WEST EXPRESS 銀河) -
なんのきまぐれか、カフェオレに陣取ることに。
座席はこのように、国鉄らしい直角ボックスではなく、223系に準じた造り。
ただ窓割があってないような気がする、う~ん。 -
小野駅到着。
眼下には琵琶湖が広がります。 -
それをアップで。
いやぁ~湖面の輝きが銀鱗のようです。 -
「5秒ルール」とは何ぞや。
どうやら見張員が列車接近時、5秒ごとに線路作業員へ点呼をとるらしい。
2001年1月の明石~朝霧間で起きた事故をきっかけに制定されたルール。 -
さて、記録鉄活動にいそしむとしますか。
うわ~、もろ影だ~けれども末期色の117系ダブルコンボが撮れたのでよしとするか。
なんだか末期色の117系って、東急5000系(初代)を彷彿とさせるというか。
ゲロゲ~ロ、ゲロゲ~ロ(by青空球児)
右の電車は8:48発の近江舞子行きで、左の電車が8:51発の京都行き。 -
写真は9:46発の近江今津行き、原色です。
逆光ですが、今となっては過去帳入りしているのでupします。
117系はこうでなくちゃ。 -
117系のパンタと窓回りです。
今思うと方向幕を中心に撮っていればよかったかなあ~と思うんですけど。
元新快速なんで種別と行き先が別というのは効率的ですね。
窓は見事なユニット窓で、これも額縁みたい。 -
10:07 小野
↓湖西線
10:34 京都
1時間半もいれば十分なので京都方面へ帰ります。
運用は近キト113系・C08編成(延命N工事施工車)
前面窓周りが先ほどHゴムでなく金属で覆われています。
ふと横須賀線にいた、”鉄仮面113系”を思い出す。
まああれは厳つすぎるけど、これは”仮面舞踏会”程度。
ちなみに座席のモケットは茶色、国鉄らしい直角のボックス席でした。 -
10:49 京都
↓JR奈良線 普通
10:52 東福寺
京都駅にて。
朝がパンゆえふと立ち食いを食べたくなるも、3食の時間的バランスを考えて辞す。
気を取り直して鉄道旅を継続。
昨日乗りたかった103系に乗るも、結構混雑していた。
運用はNS413編成4両、全車両”延命N40”工事施工車。
奈良電車区”延命N40”の特徴は黒サッシであること。
延命NAだと銀色サッシです。
なお、この編成は残念なことに2018年9月に廃車となりました。 -
乗り場案内が映り込んじゃってますけど、方向幕も収めます。
103系運用だと”城陽行き”が多いので、”奈良”は却って珍しいほうです。 -
恐らくクハ103‐246のプレートです。
昭和48年(1973)日本車輌製。
この当時高崎にいた115系と今もいる12系の製造年が昭和53年(1978年)辺りのなので、それよりも古いですね。
そうすると廃車されるまで45年使われたという事ですか。
さすが”古い車両を大切に末永く使う”ことに定評のあるJR西です。 -
さて、東福寺駅窓口で春の関西ワンデイパスのオプション券『京都定期観光・大原チケット』を交換しました。
春の関西ワンデイパスを買うと、近鉄・京阪・南海のオプション券が付いてくるのですが、私個人としてはオプション券を省いて”小さな旅ホリデーパス・南東北版(当時2670円)”程度に値下げしてくれたらこの切符は使いやすくなるんじゃないかとも思いました。
何はともあれ、京都で一服&昼食を頂きたいので文句はいえません。 -
東福寺から祇園四条まで京阪の普通列車に乗ってやってきました。
使用車両は2600系でした。
京阪の車両の中で角過ぎずふくよかなフォルムが好きですね。
準急車両といえばコレかも。 -
乗った出町柳方・先頭車の製造年を確認すると”昭和53年”と出る。
あれれ、先ほど話した高崎の115系や12系とおんなじ世代や~ -
賀茂(鴨川)の流れはいや冽(きよ)く~
などと悠長なこともいっておれません。
堀河帝・鳥羽帝・崇徳帝の3代・43年の政を司った白河院(第72代天皇、天喜元年・1053~大治4年・1129)ですらも手を焼いた暴れ川でありました。
豊太閤(豊臣秀吉)や板倉重矩(京都所司代)らの歴代為政者も堤防をこしらえ、災害を防ごうとしました。
最近ですと昭和10年(1935)に大水害をおこし、川底が掘り下げられるなどの大改修が加えられました。 -
高瀬を流るる~花いかだ~
高瀬川は慶長16年(1611)にご当地の豪商、角倉了以によって開かれた運河で、鴨川に繋がる。
大正9年(1920)まで舟運があったとか。
当時はあんま考えていなかったけれども、中学の教科書にも出てきた小説”高瀬舟”(作・森鴎外)の舞台でもある。
”青の洞門”同様、人の犯した罪について考えさせられる作品であった。 -
本日の午前休憩は、昭和9年(1934)創業・フランソア喫茶室とします。
ここも国の登録有形文化財です。
なかはドーム状の屋根、燭台(ろうそく立て)のような電灯、アーチ状の壁面、ステンドグラスと、教会様式の中にアラビアンな雰囲気を感じ、どこかエキゾチックな空間でした。フランソア喫茶室 グルメ・レストラン
-
コーヒーと洋梨のタルトを頼んだと思います。
コーヒーは特に何も指定しなかったので、ミルクと砂糖が付いてきました。
なお、ブラックも可能とのこと。
でも、同じ値段ならミルクついたほうがいいな。
ふんわりとした泡で、味がまろやかになるもん。
ケーキも高級感あるディーテールと、程よい甘さで好評価とします。
次回は名物の玉子サンドをいただきたいところ。 -
次に、お昼は『京極スタンド』で定食をいただくとしますか。
実は2012年4月も訪れていて、あまりの居心地の良さに再訪してしまいました。
この店は吉田類大先生が訪れた居酒屋でありますが、まだ昼酒をして夜も飲もうという根性がなかったので、定食もので我慢します。京極スタンド グルメ・レストラン
-
ポスターは復刻ものですが、雰囲気出ていていいですね。
-
さあて12時の開店と同時に入店。
丸椅子が綺麗な円を描いて並んでおります。 -
お品書きも黒板のようなものに字が書かれていて、味があります。
-
柳川定食(1000円)を注文。
サラリーマンのお昼としては御高めですが、小鉢が3点ついていてコスパは宜しいです。
柳川も関西と高をくくって薄味を想像しましたが、しょっぱめの味つけでご飯がススム君であります。
柳川とグリンピースの卵とじが被りますが、そんなことに目もくれずひたすら食べ進めます。
今おもえば小鉢をあてに、ルービーを流し込むのもアリかな。
この陽気だったから。 -
ほかには420円の青とうがらし焼き、220円のウーロン茶を頼みました。
このレトロな伝票のフォントから『ドンタス』と呼ぶ常連が、いるんだとか、いないんだとか。
戦前の創業なので、右から読ませますね。 -
さて、満腹になったことですし祇園四条駅に戻ります。
そこから特急にのって、終点・出町柳を目指しました。
JRだと青春18きっぱー同様、短距離で特急に乗るのをためらいますが、相手が京阪、阪急、阪神、京急、京王あたりだったらもうためらうこともありません。
なんせ東福寺~出町柳乗り降り自由ですもの。 -
準急幕を撮ったら、特急幕も抑えておくべし。
JR西日本・特急だと種別は幕、行き先はLEDって場合が多いもん。 -
その後は叡山電鉄の駅まで歩く。
目的は硬券入場券を買うため。
駅員氏より「入場しますか」といわれたもののそれを断り、また京阪のほうへ帰って行ったのが悔やまれる。
記録鉄コレクションが増えてよかったのにな~ -
そんで帰りは『京都定期観光・大原チケット』の東福寺~往復乗車できる機能を使って、おけいはんで大阪へ帰着することに。
準急で帰ると思ったろう、いや違う。 -
まさかの「特急ワープ」
だって3000系の3列ふかふかシートが快適なんだもん~
これじゃ中川家礼二・巨匠に嗤われるがな。
オタなら準急に乗って土居~滝井の駅間距離の短さ(約400メートル)を確認せねばね。 -
京橋についたら221系に乗り換えて天王寺経由で難波に向かいます。
昨日会わなかった225系もここで載せておきます。
223系の丸っこいフォルムに比べて、シュッてしていてイケメン顔。
けれど、いまの阪和線普通列車も羽衣支線含めてこればっかりだから『なんだかな~(by阿藤快)』といった具合です。 -
『201系のもっとまともな写真はないか?』という方に朗報です。
天王寺での乗り換えで撮りました。
けど本当は221系に乗りました。 -
難波に着くと近鉄の特急券販売窓口にいって硬券入場券をゲット!
叡電に比べ、白っぽい紙質だけど60円安い。 -
その次は、「アラビヤコーヒー」で小休止♪
1951年創業。
当時の濃い出しがらコーヒーが主流の中、本物至上主義を貫いた創業者・高坂さんは「薄い」と文句を言った客に「お前らの口に、いちいち合わせてられるかい!」とおっしゃった程、気骨のあるかたでした。 -
『デン、デン、デン、デン!WAO~キリマンジャロ~』(by富士山を見た火野正平)じゃなくて、『キリマンジャロ(520円)』を頼みました。
味はその当時珈琲初心者の私でも飲みやすく、胸焼けしない。
キリマンは浅煎りで、苦みが少ないからね。 -
創業者と息子さん、もしくは店員さんかな。
これも創業者の作品で、何かと器用な方だったらしい。アラビヤコーヒー グルメ・レストラン
-
お次は「浄土宗天龍山法善寺」へお詣り。
西暦1620代に琴雲上人が宇治に開いたお寺を起源とする(諸説あり)
当地に移ってきたのは寛永14年(1637)のこと。
移転初代の専念法師が寛永21年(1644)より千日にも及ぶ念仏法要を行ったので、一帯は『千日前』といわれております。
昭和20年(1945)の戦災により『水掛不動さん』を残して伽藍を焼失。
生玉寺町の長圓寺(現・法善寺別院)に御本尊・阿弥陀如来を移され、金毘羅堂と庫裏の再建、平成21年(2009)の二河百道堂の建立を経て、現在に至ります。
『水掛不動さん』の歴史は浅く戦後の事で、ある女性参拝者がお供えの水を手ですくってお不動さまに掛けたのが始まりなんだとか。
水垢離のつもりだったのか、空襲で焼け出された方に水を飲ませてあげたかったのか、いろいろと想像が膨らみます。水掛不動 (法善寺) 名所・史跡
-
そののちは御堂筋線で一気に北上。
中川家のファンは『中津』に行くと思って期待してたでしょう、ブッブー!!!
『新大阪行き』でした。
でも別に新幹線に乗るわけでなくて、新大阪でお土産を買うためでした。 -
そして今度は『中津』まで御堂筋線で移動することに。
写真は10系の1118編成で、なかもず方先頭車は1986年・東急製です。
顔が斜めですが、インパクトあるのでupします。
方向幕もイカしますね~ -
地下鉄と阪急の中津駅の移動は個人の意見としてはなかなかわかりずらかった。
まあ、この当時は携帯持っておらず、文庫地図片手にあーでもない、こーでもないとやっていたので。
梅田貨物線のあたりをグルグルうろついていました。
”浪花”じゃなくて”なには”ともあれ阪急中津駅高架下の”いこい”につきました。
この店も吉田類大先生が訪れた店です。
大衆酒場らしい”激シブ”な外観でしたが、ソフトバンクのwifiが飛んでいて、タブレットの交信ができたのがありがたいところ。いこい グルメ・レストラン
-
まず1品目は大阪名物の串カツ(3本で税抜380円)からいってみよう。
スーパーのものと代り映えはしないけど、やはり出来立てアツアツに限る。
トロントロンの玉ねぎと豚肉の旨味が絶妙です。
これには勿論ルービーかと思いきや、また普通酒(日本酒・白雪)を冷やで頼んじったよ~。 -
お次はどてやき(3本で380円)
もつ煮込みの一種なのに「やき」とは如何にも。
そんなコマけえこたあ~気にしてらあ~酒も勧まんわなあ~
野暮な推測はいかんよ!
味は田楽みそみたいで、これもルービーで流したいところだが、冷やでキュッと〆る。 -
お次はさらしくじら(300円)
本当は鯨ステーキ(600円)を頼みたかったが、生憎ネタ切れ。
どうしても鯨が食べたかったのでコレにする。
ブリン、コリンとした触感がここちよい。
鯨の脂身の部位だが、さっぱりしている。
それもそのはず、油分を抜いて下処理はしてある。
俗にいう、コラーゲンの部分ですかね。 -
豆もやし(150円)と玉ヒモ煮
豆もやしは湯がいたのにドレッシングをかけただけだが、こういう繋ぎのおかずって以外に重宝する。
ボリューミーだし、値段もやすい。
玉ヒモとは排卵される前の卵(キンカンともいう)と卵管である。
さすが卵の元とだけあって、黄身のほくほくした感じもある。
卵管は一見グロテスクだが、モツと思えば問題はなかった。 -
あじ刺は見かけが美しいし、鮮度も良かった。
ショウガ醤油と青ネギでさっぱりと食べられるのがいいね。 -
砂ずりの焼き鳥(1本90円)
砂ずりとは、俗にいう『砂肝』である。
コリっとした触感が一興。
甘辛いたれには卓上の一味をかけずにいられなくなる。
これとねぎ焼き(250円)を頼んだところでそろそろ阪急電車に乗るとするか。 -
中津~梅田は1駅先なので2分で着く。
おそらく乗ってきたのはこの6000系であろう。
7000系と一瞬迷ったが、連結器の形状から判断した。
ヘッドマークに「さくら」とある、これってレアケース? -
行き先幕から離れた位置に種別幕があった。
赤幕とは洒落ている。 -
行き先幕も白抜きで関西らしい。
ちなみ行き先の日生中央は能勢電鉄の駅。
どうやらそこら一帯は日本生命が開発したニュータウンらしい。
生保も手広く事業をやってるもんだ。 -
で、何気に5300系の写真を撮っていたりもする。
上で塗り分けていないせいか、ふくよかな顔立ち。
鋼製車らしい重厚感あるフォルム、京阪2600系といい勝負。
2日目の行程はここまで、さて本日も『R&Bホテル梅田東』へといざ戻らん。 -
時刻は8:17の京橋駅
大阪駅より左の内回り電車(201系)に乗ってやって参りました。
混雑を避けて内回りに乗ったつもりが、どっちもどっちです。 -
京橋でも記録鉄活動をしましたがいかんせんいい写真がありませんでした。
一応参考記録程度に大和路線から乗り入れていた103系を上げておきます。
近ナラ・103系の乗り入れは2016年9月30日まで行われていました。 -
その後は”おけいはん”の急行・樟葉行きに乗って枚方市にいる母を迎えに行きました。
”急行”自体少数派で、側面幕も撮っておくべきでした。 -
その後は特急で三条までワープし、三条通を突っ切ることにしました。
途中で染物店を物色したりして、11時過ぎに”スマート珈琲店”で昼食をとることに。
1階が名物のホットケーキなどの軽食も食べられる喫茶店、2階がレストランとなっておりました。
お腹の具合ですと、ホットケーキ程度の昼食で良かったんですが、2階が空いていたので、そちらを利用することに。スマート珈琲店 グルメ・レストラン
-
喫茶店の2階とは思えない別世界。
シックで大人な空間です。
オジ様ごのみかも~ -
名物のスマートランチは2品メインディッシュを選べるようになっていて、私はグリルチキン(香草)とエビフライをチョイス。
内容としては今考えると仙台・アメリカングリルのエビフライ定食がこのようなエビフライが3本、コーヒー付きで現在1500円程、オムライスと本日のメインデッシュがついた”オムランチ”が1300円程だったので、エビフライ定食には勝つが、オムランチとは互角かなと。
ただ、珈琲の質はこちらは専門店なので、上である。
味としてはグリルチキンはジューシーで柔らかくて、大きさも値段相応かな。 -
むしろ、母の頼んだハンバーグとじゃがいものピカタのほうがボリューミーかと。
ピカタはたしか”本日の1品”で、味はコロッケに近い。 -
珈琲はブラックで飲もうとしたところ母から「兄ちゃん(私の家での愛称)、これはミルクいれないと胸やけするよ」と言われたので、助言通りにした。
結構豆も深煎りというか、大阪でおなじみ濃いコーヒーというか、この時はアラビヤコーヒーのキリマンジャロに軍配を上げた。
今だったらこういうコーヒーのよさがわかるかも。
さて、食後のコーヒー飲んだし、再び三条通散策に出向くか。 -
三条通は歴史的洋風建築のメッカでもあった。
なにせ、東海道の終点三条大橋のたもとだもんね。
明治45年(1912)に四条通や烏丸通が拡張されると賑わいがそちらに移ったが、こちらは過去の賑わいがそのままの状態で残っていて、風情がある。
まず、大正5年(1916)年頃に建築のSACRAビル(サクラビル・ファッションテナントビル)。
旧不動貯蓄銀行京都支店、国の登録有形文化財に平成9年(1997)指定
登録番号は26-0008
建物の特徴として木骨レンガ造で、ルネッサンス調。
幾何学模様を随所にあしらっている。
撮った感想としては、これ以降の写真にもいえるが正面の写真がほしいところ。
銅板の屋根についている紋章なんかもカッコよかったんですが。SACRA (旧不動貯金銀行京都支店) 名所・史跡
-
次に家邊徳時計店・店舗。
明治23年(1890)建築、レンガ造りの店舗としては最古。
正面に三連アーチ、互い違いの隅石をあしらったモダンなデザイン。
国の登録有形文化財には平成17年(2005)登録、登録番号は26-0193。家邊徳時計店 名所・史跡
-
第三に日本生命京都三条ビル旧棟(旧日本生命京都支店)
大正3年(1914)建築、設計者は辰野金吾博士と片岡安博士。
昭和58年(1983)東面と塔屋をRCで補強の上、ファサード保存。
(ファサード保存については中京郵便局で解説)
辰野博士というと東京駅、旧岩手銀行本店(岩手銀行赤レンガ館)、大阪市公会堂を手掛けた方として識られておりますが、まさかその建築に出会うとは露知らずです。
東京駅なんかと違って、石張りです。
写真右手まで建物は続いていますが、ここだけ撮ると”ムーミンの家”っぽく、ファンタジーです。
屋根は銅版葺きとのことですが、スレート葺きの東京駅の塔屋に雰囲気は似てはいます。
国の登録文化財には平成9年(1997)指定、登録番号26‐0009日本生命京都三条ビル 名所・史跡
-
時刻は12時55分、昼食から程ないですがせっかく京都に来たからには「イノダコーヒ本店」に寄らなくては。
「イノダコーヒー」ではなく「イノダコーヒ」なんですね。
町家風の外観が目印です、お!うだつ(防火壁)もあがってる。イノダコーヒ 本店 グルメ・レストラン
-
古い「バンホーテンココア」のポスターが目を引く。
m~セクシーで、ハイソな感じ~
なお、ココアはメニューになかったような。 -
なんのブレンドを頼んだか忘れましたが「アラビアの真珠」だったと思います。
ケーキセットは当時・税込950円、現在・税込1040円
ミルク、砂糖を入れるのが推奨されたが、ここぞとブラックで飲んだ、ここも濃いっ~
立て続けに飲んだので、帰りにやや胸焼けしました。
ケーキはレモンケーキで、さっぱりとした風味で口直しにはいい。 -
グルメばかりじゃ腹が持たないので、腹ごなしに文化鑑賞もしないと。
『京都文化博物館』にやってまいりました。
別館は旧日本銀行京都支店で、設計者はやはり辰野博士。
明治39年(1906)竣工のレンガ造りの建物で、花崗岩がボーダーラインが特徴的というか。
逆に東京駅や旧岩手銀行本店は窓周りの花崗岩アーチが印象的ではある。
これも辰野博士の作品で、昭和44年(1969)に国の重要文化財に指定されました。京都府京都文化博物館 美術館・博物館
-
内装(スクリーン窓・2階のゼンタングルみたいな装飾)は今考えると、旧岩手銀行本店に通ずるものがある。
別館は無料で見学&写真撮影可能であったので、今考えるともっとじっくり見ておくべきであった。
本館では1300円ほどした「京を描く-洛中洛外図の時代-」を、障がい者手帳をもっているというだけで母ともども無料になったのはありがたい。
洛中洛外図とは室町時代に京都の市街地と郊外を描いたもので、形状はほぼ屏風である。
ただ、これも時間がなくてじっくり鑑賞できなかったので印象に残った作品はというと、関連の「足利義晴像」なんかだったりする。
室町幕府12代将軍なのに胸から上しかなく、衣冠束帯姿でなく、裃姿であったのが斬新というか。
身罷られる間際に描かれたもので下絵的なものだったのかな~とは当時の自分にはそういう推測はできなかった。
しかしながら足利将軍は10代以降、室町殿なのに流浪の旅を送る将軍ばかりであったのが、無念である。
ナンバーツーの管領に下克上されたりとか、その管領の家督相続にまきこまれたりとか、管領の手下の三好氏と対立したりとか、いろいろあった。
そのせいで、『麒麟が来る』で明智十兵衛とお駒ちゃんが出会ったときは、将軍が京にいないせいで半ば無法地帯と化したり。
華やかな洛中洛外図の裏側的な絵だったな~と今になって思い返す。
なお、この肖像画はWikipediaで見ることができる。 -
京都文化博物館の隣もなかなかレトロ。
中京郵便局、明治35年(1902)竣工。
昭和51年(1976)~昭和53年(1978)の改装で、外壁や屋根を残した状態で内部を改築するという、いわゆる「ファサード保存」の走り的建築でもある。
(ファサード保存の例・JPタワーなど)
昭和61年(1986)には京都市登録有形文化財に指定されている。中京郵便局 名所・史跡
-
15時27分いよいよ三条通をぬけました。
と、目の前にはまたレトロな建物が。
みずほ銀行京都中央店です。
明治39年(1906)建造、設計者はやはり辰野博士。
平成11年(1999)に解体され、同15年(2003)レプリカ復元。
”ファサード保存”が検討されなかったのがまことに残念ではあるものの、当時の自分は「またレトロな建物にであって、御褒美的気分」と浮かれていた。
京都観光はここまで、あとは地下鉄と新幹線を乗り継いで自宅まで帰着す。
写真のアングルがイマイチなものが多いなか、ご覧いただいた皆様に厚く御礼を申し上げ、この章を〆る。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
もっと見る
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 大阪・京都備忘録
0
71