1986/07/24 - 1986/07/31
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7月 7日から 31日までユーレイル・パスで
一切予約なしの 3週間の鉄道旅行。
ノルマンディ、南仏、スイス、オーストリア、
イタリア、ドイツなどを回ってパリに帰ってきた。
いよいよ残すところ、あと1週間…
パリで泊まりたいホテルが3つあった。
1つ目は写真の Hôtel Esméralda 。
名前で分かるようにカジモド、つまり
ノートルダムの側。
ここは『個人教授』でナタリー・ドロンが
家を出て泊まるホテルで、映画でも分かるが
ノートルダムが目の前に見える。
1640年からあるらしく、見ての通り古い古いホテル。
立地がいいこともあり、1つ星ではあるが半年前でないと
取れないと言われるほど非常に人気が高かった。
(現在も1つ星だが 15,000円もしている!!)
この時も行ったが、やはり空きなしで泊まれず。
写真は入り口を入ったところで階段の右がフロント。
なぜか数匹の猫が迎えてくれた。
今ならネット予約できるので
いつか必ず泊まるつもり…
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
泊まりたかった2つ目は…
11区バスティーユ近くの1つ星 Hôtel de l' Europe 。
別に有名なホテルでも映画のロケ地でも何でもない。
1974年の初海外でパリに1ヶ月滞在した思い出のホテル。
別にノスタルジアからではないが
12年ぶりに 26日に 泊まった (96+朝食 15フラン)。
昔ここに1ヶ月滞在した、とマダムに言ったが
経営者も何代か替わり、彼女は数年前からで
そんな昔の話は知らないと、軽くあしらわれた。
ホテル・カードによると各部屋にシャワーがあるが
74年に泊まった部屋にはトイレもシャワーも
なかったから、改装で設置したのだろう -
ホテル正面。HOTEL の縦看板が
正面入り口の右側にある -
★1980年に撮った写真では HOTEL の縦看板が
改装時に換えたのかSVと同じく入口の左側に。
ちなみに Hôtel de l'Europe というホテルは
パリに少なくとも 6軒ある。
1つはエッフェル塔近くの3つ星、
クリシーの3つ星、カルティエラタンの3つ星など…
(右岸派トリュフォーの短編『アントワーヌとコレット』にも
Hôtel de l'Europe が出てくるが、SVで確認すると
そのどれでもなかった。 というか、撮影用の偽装だった) -
泊まりたかった3つ目が Hôtel du Quai Voltaire
『鬼火』でモーリス・ロネが滞在していたホテル。
ボードレールが滞在して 「悪の華」 を書いたとか、
ワグナー、ワイルド、シベリウス、ヘミングウェイなど
有名人に愛されたホテル (そのプラークが見える)。
2つ星 (現在は3つ星) で、1泊 5,000円ほどと
僕には少し高かったがパリ最後の夜だし記念にと奮発。
(★ただし、理由は次に書くが写真は 79年に撮ったもの) -
泊まった領収書。手書きの数字で非常に分かりにくいが
7月28日に1泊 で210フラン朝食が 23フラン。
ホテルはセーヌに面し見晴らしは非常にいい。
昔の芸術家たちに愛されたのも納得。しかし…
現代では前の道路を夜中も車が走り続け
(ダイアナ妃も最後に前を走ったはず)
さらに (今は知らないが) 当時はエアコンなどないので
窓を閉めると暑く開けると相当やかましい。
そして、またまた大失敗!!
チェックアウトして、あとはオルリー・バスで
空港に向かうだけなので、部屋でやればいいのに、
ホテル前で簡単に荷物の詰め替えをした。
その時、横に置いたカメラを忘れてしまった…
(しかも友人から借りたカメラ!!)
だから最後のフィルム1本分の写真はない。
日記には、 7月27日はゴッホが銃で胸を撃った日なので
(死亡は29日) 墓参りに行こう、と書いているので
恐らく行ったのは この年だったのだろう。
写真も撮ったかもしれないが、
この年なら写真がないのも納得できる -
モンパルナスに "鬼火" というレストランがあった。
もしかしたら映画に関係あるかもと行ってみた。
やはりハスキーボイスのマダムは
9割ぐらいの確率で奥さん役の俳優だと思われる。
店には別の年にも行ったことがある -
前後するが 26日はルーブルの近くの Hôtel l'ouest に
85フランで泊まっているが、ホテルの記憶はまったくない。
写真を見るとホテルのフロントらしいので、多分そのホテル。
それはともかく、パリに帰った 24日にオペラ座近くの
シンガポール航空に行きリコンファームを済ませ、
ラ・ロシェルに向かっている
(ラ・ロシェルの旅行記は既に 3/10 に書いている) -
以下、例によって時系列はバラバラだが
パリの街歩き…
多分、東駅近くではないかと思うが
消防車に出くわした -
ハシゴ車と5人の消防士が見える
-
見たところは火も煙もなかったが、
ボヤでもあったのだろうか… -
右の消防車に電話のマークと消防・救急の特番 18が見える。
(一番上の写真は、もしかしたら別の場所かもしれない。
何となく2回見かけた気もするから…) -
東駅正面は工事中だった
-
東駅の裏。
ブニュエルの『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』で
フェルナンド・レイがこの階段を降りる -
サン・ラザール駅。
『ディーバ』を思い出す -
恐らくメトロの Havre-Caumartin 駅。
ベッソンの『サブウェイ』を思い出す -
当時の車両、もっともパリでは
同時に新旧の車両が走っていた -
シャンゼリゼで何かのパレードがある。
革命記念日の感じがするが、その日はスイスのモントルー。
パレードを見たのは 1977年だけのはずで
77年の写真なのだろうか… -
当時はパリでも有数の高級ホテルだった
オペラのル・グラン・ホテル (現在はインターコンチ) 。
右岸派ゴダールの『アルファヴィル』の舞台でもある。
1階にあるカフェは有名な Café de la paix 。
いつだったか1度だけ1人で入ったことがあるが、
恐らくは差別で無視され (たように感じ)、何も注文せずに出た。
[余談だが最初に書いた『アントワーヌとコレット』の
ホテル、入って行く入り口には Hôtel de l'Europe ではなく、
Hôtel de la paix と表示があった] -
こちらはモンマルトルと言えばの
ムーラン・ルージュ (入ったことないけど)
その象徴の赤い風車が見える (何が何だか分からない?) -
ここはサティが住んでいたモンマルトルのコルトー街。
今回の旅の大きなテーマが "エリック・サティ" だったので、
まず最初にノルマンディはオンフルールに行ったわけだが、
もちろんパリでもサティめぐりをやっている。
このアパルトマンで隣!! に住むシュザンヌ・ヴァラドン
(ユトリロの母) に 300通ものラブレターを書いた。
"1893年1月14日シュザンヌとの恋愛が始まり
6月20日に終わった" とサティは書いている。
つまり半年で 300 ということは、
毎日 2通近く出している…
当時は『夜霧の恋人たち』にも登場する
プニューマティック (気送便) があり
数時間で配達された。
(直接部屋に入れたら切手代が浮くのにね)
確か隣同士でも互いの訪問はなかったはず。
生涯たった1度の恋は実らなかった… -
同じくモンマルトルはサティの (?) 黒猫があった場所。
(1885年に移転した2代目)
SV を見るとロドルフ・サリスのプラークの上に
黒猫の飾りが出来ている -
次は郊外になるが、同じくサティが住んでいた
アルクイユの 4本煙突の家。
なぜか撮られるのを拒否するかのように
原因不明で極端なピンボケに… -
★まともに撮れば、こんな家で
2002年に再訪したときの写真 -
アルクイユの街並み。
ちなみにサティはここから
モンマルトルの黒猫まで毎日歩いて通ったが
グーグルマップで調べると2時間以上もかかる。
ご苦労というか、彼らしいというか…
墓参りもしようと思ったが見つけられなかった
(やはり 2002年に実現) -
新しく出来たエリック・サティ街
-
これは旅行に関係のない自慢話だが…
今ではサティの音楽はCMなどでも頻繁に使われ
"心地よい" 音楽としてポピュラーになったが
僕が聞き出した 70年代には一般的ではない異端、
楽譜も日本では入手困難でパリで買ってきた。
1982年に "Erik Satie Piano Music Vol.2" という
ビデオ作品を作り、あるコンテストに応募、
佳作入選し今から見れば高額の 10万円の賞金を貰った。
帰りのエレベーターで審査委員長の故 浦山桐郎監督と
乗り合わせ "面白かったですよ" と言う言葉も貰った。
写真は、そのクライマックス?
娘が習っていたピアノの先生に 「グノシェンヌ No.3」 の
冒頭部分をストップと言うまで永遠に (?) 弾いてくれと頼み、
途中で猫がピアノの上に登場する。
楽譜立てにはキャットフードがあるので、当然 猫は手を出す。
そしてピアノの上に降り即興で猫がピアノを弾く。
不思議なことに猫は撮影意図が分かっているかのように
必要な鍵盤を1つ外した右に立つ。そこで再び先生が弾き出す…
ちなみに音大出の先生も、この曲を知らなかったが
楽譜を見せると初見で見事に弾き出した。
当然かもしれないが音楽家は凄いなと感心した。
もちろん賞金の一部は出演料として先生にも、そして
猫にも御馳走を買ってあげました -
ポンピドゥー・センターの横
ニキ・ド・サンファールのオブジェがある
ストラヴィンスキー広場 -
レ・アール開発で隔離された (ウソです)
Église Saint-Eustache 。
貼ってある映画のポスターは
『バラの刺青』、その右は何と
石井聰亙の『逆噴射家族』 -
パリらしくない レ・アールの一画
-
そのあたりだったと思うが
女性の目つきが異様だったバックパッカー。
犬と猫 (男性の背中) を連れている -
ルーブル美術館には長蛇の列が出来ている。
(今から見れば少ない?)
これはバスからの写真だが、多分 無料の日に
一度入ったが見たかったのはニケだけで
30分ほどで出ている -
ルーブルのガラスのピラミッドが見える。
ところが不思議なことに、どの記事を見ても
ピラミッドの完成は 1989年になっている。
でも 86年には確実に出現している…
恐らく 89年というのは地下ロビーができピラミッドが
メイン・エントランスになった時のことだろうと思われるが…
今と違い横断歩道のゼブラがある -
ピラミッドの周りには池と噴水があった
-
噴水はピラミッドと並ぶほど
高くまで上っている -
写真から見るとコンコルドではなく
チュイルリーだろうが観覧車が見える。
コンコルドの観覧車は 1993年に登場したようだ -
チュイルリーのベンチ。
『リトル・ロマンス』に同じアングルで登場。
奥に見えるのは八角形の Bassin Octogonal で
『ディーバ』の印象的な夜明けの散歩で
池の椅子に座る -
チュイルリーの端、コンコルドとの境に
2つの天馬の像がある 。
写真右は南側の 天馬に跨る名声の女神。
コンコルド広場の向こうにエッフェル塔が見える -
Pont au change から見たコンシェルジュリー
-
真ん中に車があるのが分かるだろうか…
船の上ですよ。 ヨーロッパは運河伝いに
どこにでも行けるので水上生活をする人も多い (憧れます)。
後ろの橋は Pont des Arts 。 橋を渡れば左岸 -
左岸は、サン・ジェルマン教会から。
手前の盛り上がった敷石は道路工事中ではなく
美術品 (?)。 一応噴水らしい -
今もサン・ジェルマンの 59 rue des Saints Pères にある
Hôtel Pas de Calais 。 『獅子座』に出てくる -
サン・ミッシェルの噴水
ホームレスか分からないが
左隅にダウンしている人がいる。
いつも混雑しているのに避けているのか
彼の周りには人がいない (いや僕がいる?) -
警官だって仕事中でも
サンドイッチぐらい買います
Rue Saint-André des Arts の店 -
Rue Saint André des Arts の火を噴く大道芸人
-
これはクリュニー中世博物館
-
同じくクリュニー中世博物館
-
その時のチケットが出てきた
(裏にクリュニ-とメモしていた)
割引で8フランになっているが
多分 ユーレイルパスの割引があったのだろう -
モンパルナス駅の屋上テラス。 突き当たりに
今はない Galerie Lafeyette という文字が見える。
この年だったかは分からないが
ここでパスポートの入った鞄を忘れ、
あわてて戻ったら、幸い無事だったことがある。
以後パスポートは肌身離さず持っている
(と言っても、裸でズボンのポケットの中だが) -
場所が どこか忘れたが
個展初日か何かのパーティがあり潜り込む。
最近は行かなくなったが、昔は
日本でも外国でも画廊には よく入った -
まるで美術館のような立派な会場で
場所は分からないが左岸のどこか -
これも どこの教会だったか分からないが
下の図を見ても大きな教会ではないようだ、
いや図で大きさは分からないか… -
夕暮れのツール・モンパルナス
-
夜のノートルダム
-
夜のピラミッド
-
そして、夜のオルセー美術館。
かすかにエッフェル塔が見える。
ちなみにオルセー美術館のオープンは
約半年後の 1986年12月1日。
オープン前なのに内部の照明が明るいのは
急ピッチで工事を進めていたからでしょう -
オルリー空港内。シンガポール航空なので
チャンギ経由で伊丹に向かう。
行きは給油のためコロンボ、ローマで降機したが、
多分帰りも同じだろう… -
幸い飛行機は かなり空いていた
-
飛行機はオルリー発の SQ 005 だったが
眼下に見えるのはシャルル・ド・ゴール空港。
上を通るのだろうか…
まだターミナル2の半分しか出来ていないようだ…
そういうことで、3週間という長いようで短い旅も
無事に終わった。 一応 フランス語が出来るので
フランス、特にパリにいると我が家のように (?) 落ち着く。
だからツアーは別として今回のように周遊するのは初めて。
いつもはパリだけにいて映画ばかり見ている。
イタリア語やスペイン語はフランス語と同じ系統なので
会話は出来なくても、書いてあることは かなり理解できるし
相手の言うことも少しは理解でき、いかに言葉が大切かを実感した。
と同時に、今回の一切予約なし行き当たりばったりの
旅を続けたことで、逆に言葉のまったく通じない国でも
1人で旅をする度胸はついた (もちろんトラブルも多いが…) -
面白いものが出てきた。
帰国日 29日に空港まで行く
オルリーバスのチケットで 27フラン。
面白いというのは裏の注意書きで
En cas de ~ (~の場合) の例として
預け荷物の 紛失、盗難、破損の場合
1キロ 90 フランを限度として保障…
わざわざ 盗難 (Theft) なんて書くほど
置き引きが多いんですかね…
ちなみに一番左上だけ見たら
空港から市内用と思うだろうが、下に
vice versa (その逆) とあり両用、
最初から矢印両方にすればいいのに?
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