2019/10/30 - 2019/10/30
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旅人のくまさんさん
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桑名城は、現在の桑名市街の東端に位置し、揖斐川に臨む『水城』です。城の北辺には、熱田の『宮の渡し』とを結ぶ、東海道桑名宿の『七里の渡し』があり、交通の要衝となっていました。歌川広重の東海道五十三次『桑名』に、往時のお城と帆掛け船が描かれています。
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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イチオシ
俗称が『春日神社』、正式名が『桑名宗社』の楼門光景です。天保4年(1833年)、松平定永によって寄進された三間一戸・重層入母屋造りの楼門です。正面左右には左大臣・右大臣、裏側には金剛力士像が安置され、その姿の美しさは日本一と言われましたが、昭和20年の空襲により惜しくも焼失しました。平成7年の七百年祭記念事業で半世紀ぶりに再建されました。
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『桑名宗社』の銅鳥居光景です。『勢州桑名に過ぎたる者は銅の鳥居に二朱女郎』と歌われた日本随一とされた青銅鳥居です。寛文7年(1667年)、桑名城主の松平定重が寄進、慶長金250両を費し、鋳物師の辻内種次に命じて建立させたものです。松平定重(1644~1717年)は、江戸時代前期から中期にかけての大名で、伊勢国桑名藩主、のち越後国高田藩初代藩主でした。
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『しるべいし』と『春日神社の銅鳥居』のことが解説された、桑名市教育委員会名の説明立札の光景です。『しるべいし』は、『迷い児石』とも呼ばれ、迷子になった子供の特徴などを記して張り付けた場所です。『春日神社の銅鳥居』の方は、寛文7年(1667年)に7代藩主の松平定成によって建てられたことなどが紹介されていました。
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銅鳥居の脇に建てられていた、『しるべいし』の光景です。『志類べ以志』らしい文字が記されていました。先程の説明立札には、左側面に依頼者の『たづぬるかた』、右側面に情報提供者の『おしゆるかた』と記されています。『しるべ』は、殆どの情報が読みやすくするためか平仮名表示ですが、沖縄の溝口の『印部土手石』では『印部』の漢字表記がありました。『みちしるべ』で文字検索しますと『道標』がありますから、『標』の平仮名表記と解釈した方が正しいようです。
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『桑名宗社』の公式HPでは、『桑名宗社とは桑名神社と中臣神社の両社をあわせた名称であり、古来桑名の総鎮守として桑名首(くわなのおびと)の祖神を祀っています』と解説されていました。『春日神社』の銅鳥居越しに眺めた本殿光景です。7代藩主の松平定成
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左側の欄干に『中橋』、右側の欄干には『なかばし』の文字が記された、緩い円弧を持った、赤い太鼓橋の光景です。揖斐川に繋がる、かつてのお濠に架かる橋です。
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中橋の上から眺めた、北側方面の光景です。前方に薄青色の金属製の欄干のコンクリートの永久橋らしい姿が見えていました。『八間通り』辺りになるかも知れません。係留された、小舟の姿が幾つもありました。
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中橋の上から眺めた、南側方面の光景です。桑名市観光案内ガイドの地図を参照しますと、右手に方向に直角に折れた部分が、水路の先に見えていました。水堀にも屈曲を設けて、防御の工夫がされていたのかも知れません。
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お濠の石垣のズームアップ光景です。表面加工をした石材が多くありますから、『打込み接ぎ』に近いような石積です。中央下の矢や左寄りに、ハート形の石が見えました。大きな石材の隙間を埋めた、『間詰石(まづめいし)』の部分です。
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『ウミウ(海鵜)』または『カワウ(川鵜)』
カツオドリ目ウ科ウ属
分布:ロシア南東部、韓半島、中国、日本。
特徴:食性は動物食で、主に魚類を食べます。
その他:日本の鵜飼は海鵜が使われます。この鵜は、場所から言えば川鵜です。 -
中橋を渡って、突き当たりの三叉路付近の光景です。直線的に伸びたお濠の姿がありました。その先(東側)が、九華公園として整備された桑名城址でした。
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『桑名城』のタイトルがあった説明パネルの光景です。図中に『勢州桑名城中之絵図・正保年間(1644~1648年)に作成された絵図の一部』の記述がありました。水を取り入れ、二重、三重にお濠を巡らした縄張の水城です。右下に信長に平定された後の桑名城の沿革が紹介されていました。
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『九華公園案内図』のタイトルがあった説明パネルの光景です。九華公園は、『桑名城跡を公園として整備したもので、園内では桑名城ゆかりの様々な遺構を見ることができます。堀は公園全体の約6割を占め、堀上には多数の橋が架けられています』と紹介されていました。(ウィキペディア)
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九華公園は、1928年(昭和3年)に松平定信(守国公、楽翁)没後百年祭を記念して、本丸・二之丸一帯が九華公園として整備されました。『松平定信公(1759~1829年)』は、陸奥国白河藩3代藩主で、定綱系久松松平家9代当主です。江戸幕府8代将軍・徳川吉宗の孫に当たり、田沼意次の後の1787年から1793年まで『寛政の改革』を行いました。若くして聡明で、将軍候補だった人です。
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同じく、九華公園の幅広いお堀の光景です。松平定信公の諡号は『守国公』、神号は『守国大明神』です。 定信は、田沼意次の経済政策をことごとく覆したとしばし言われますが、近年では田沼政権との連続面があったことも指摘されています。定信公と桑名城との関わりは、桑名城主としてではなく、鎮国守国神社の御祭神としての関わりです。
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定信公と桑名城との関わりの紹介を続けます。文政6年(1823年)、武蔵忍藩に移封となった松平(奥平)家に代わって、松平(久松)家の定永が入城しました。先に高田に移封となった久松家の再入城でした。この時に藩祖を祀る鎮国守国神社を城内に勧進しました。写真は、城跡に聳える楠の大木の光景です。
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写真は、城門か、虎口跡らしい石積の光景です。松平定信公の紹介に戻ります。『鎮国守国神社』は、桑名城本丸跡に鎮座し、松平定綱(鎮国公)、松平定信(守国公、楽翁公)を祀ります。江戸時代後期から明治時代初期に流行した、藩祖を祀った神社の一つとされます。
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『鎮国守国神社』は、国の重要文化財の『集古十種版木』、『三宝類聚名義抄(蓮成院本)』や三重県指定有形文化財の『絹本着色松平定信像』をはじめ、数多くの桑名市指定有形文化財を保蔵する古社です。創建は天明4年(1784年)、例祭は5月2日、3日の『金魚祭』です。写真は、低い石垣で囲まれた、穏やかな水面のお濠の光景です。
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イチオシ
更に広々とした、桑名城のお濠の光景です。左奥には、少し高くなった石垣が、右奥には、赤い橋が見えていました。御祭神の『松平定綱公:1592~1652年)は、徳川家康公の甥に当たる人で、下総山川藩、常陸下妻藩、遠江掛川藩、山城淀藩、美濃大垣藩、伊勢桑名藩の各藩主を務めた、定綱系久松松平家初代です。『松平定信公(1759~1829年)は、陸奥国白河藩3代藩主で、老中まで務めました。
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『キンクロハジロ(金黒羽白)』
カモ目カモ科ハジロ属
分布:シベリア、ヨーロッパ北部などのユーラシア大陸北部で繁殖。
特徴:食性は雑食。
その他:日本では冬季に九州以北に越冬のため飛来。 -
『キンクロハジロ(金黒羽白)』
カモ目カモ科ハジロ属
分布:シベリア、ヨーロッパ北部などのユーラシア大陸北部で繁殖。
特徴:食性は雑食。
その他:日本では冬季に九州以北に越冬のため飛来。 -
『キンクロハジロ(金黒羽白)』
カモ目カモ科ハジロ属
分布:シベリア、ヨーロッパ北部などのユーラシア大陸北部で繁殖。
特徴:食性は雑食。
その他:次第に遠ざかっていきました。 -
老松が佇む『桑名城跡』の光景です。城跡には現存建造物はなく、石垣、堀が残るのみです。現在は『桑名城址九華公園』として整備されています。 老松の根元付近には、第二次大戦中に『松根油(しょうこんゆ)』を採ったらしい傷痕がありました。全国の松の大木に見られますが、使用できる航空機用の揮発油が完成した記録はないようです。
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『桑名城址』の本丸エリアになるようですが、石段高くなった場所に石碑や石柱、石灯篭が立ち並んでいました。右が『三重県指定史跡・桑名城跡』の石標と石灯篭、左が松平定敬篆額の『精忠苦節』の慰霊碑です。
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『三重県指定史跡・桑名城跡』の文字が刻まれた石標の光景です。『桑名城跡』は1942年(昭和17年)1月に、『七里の渡し』は、1958年(昭和33)年12月に、それぞれ三重県尾史跡に指定されています。
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最上部に松平定敬篆額の『精忠苦節』の題字があった、函館戦争に纏わる桑名藩士の慰霊碑の光景です。末尾に明治23年3月の日付がありました。その大要は、『桑名藩士森陳明は、幕末期京都所司代の命を受けた桑名藩主松平定敬(高須城高須四兄弟)の公用人の任につき、箱館戦争では新選組頭取改役(実質の隊長)として戦い、最後まで佐幕を貫きました。敗戦後、藩の全責任を負って十文字切腹、切ない辞世の句を残しました。定敬は後年この碑を建立し、彼の功労を称えました』
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今年、2019年の九華公園花菖蒲まつりからの紹介文です。『2019年6月1日(土)~6月15日(土)、三重県桑名市の桑名城跡九華公園(きゅうかこうえん)で「九華公園花菖蒲まつり」を開催』の記事がありました。その花菖蒲園の一つのようです。お濠の一角に菖蒲畑らしい施設がありました。
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九華公園花菖蒲まつりの紹介文の続きです。『九華公園(桑名城本丸・二の丸跡)内には3つの菖蒲園(820平方メートル)があり、例年6月上旬~中旬に約4000株の花菖蒲(伊勢系、肥後系、江戸系)が咲き乱れます』とも紹介されていました。ネット情報で、その花の写真も見ることができました。
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『桑名城址』の本丸エリアになるようです。右手前方に見えてきたのが、本丸東南角にある『辰巳櫓跡』です。今は、この辺りは松林のような光景になっていました。
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西側から眺めた、本丸東南角にある『辰巳櫓跡』に置かれた大砲のシルエット光景です。明治維新前後に置かれたようですが、由来の詳細は分かっていないようです。この後にも、『辰巳櫓跡』に登って紹介します。
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