2019/10/30 - 2019/10/30
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旅人のくまさんさん
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亀山城の見学の後、次は桑名城に向かいました。亀山城があった亀山宿が東海道53次の46番目、桑名城があった桑名宿が42番目になります。どちらも53次の宿場町で、城下町です。8箇所ある内の2箇所です。
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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伊勢亀山城の本丸多聞櫓と野面積の石垣光景です。伊勢亀山城だけではなく三重県全体で唯一現存する城郭建築物とされます。一時期は、黒い下見板張りの壁面でしたが、元の白漆喰姿に蘇りました。『旧亀山城多門楼』の名称で、三重県の史跡に指定されています。平時は、武器庫として用いられたようです。
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南側からズームアップした、伊勢亀山城の本丸多聞櫓の光景です。現在の亀山城を代表する、一番の見どころの遺構の建物です。三重県教育委員会の公式HPでは、『寛永18(1641)年に本多俊次が、東西8間、南北6間、建坪32坪、平屋建入母屋造、白壁塗込めの櫓を築いたといわれている』、また『現在の櫓は江戸時代後期のものであることが確認されている』と紹介されていました。
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亀山駅から亀山城への道は、全体に登り勾配になっていました。亀山が、鈴鹿山脈の南端にあることからの地形になるようです。写真は、亀山城とは反対側になる、南側方面の亀山市街の光景です。
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『飯沼慾斉生誕の地』の文字が刻まれた石碑の光景です。『飯沼慾斉(いいぬま・よくさい:1782~1865年)』は、伊勢国亀山(現・三重県)の出身で、京都で漢方医学と本草学を学び、江戸に出て蘭学を修め、大垣で医者を開業しました。50歳で引退して研究に没頭し、リンネ分類法による植物の分類を行い、『草木図説前編』を著しました。わが国の近代科学の礎を築いた一人です。最晩年には足を傷めましたが、山駕籠に乗っては深山まで植物採集に出かけたとされます。『草木図説』は、草部20巻・木部10巻・禾本沙草無花部10巻からなり、生前に刊行されたのは、草部20巻のみです。海外でも高く評価され、植物分類学の第一人者、『牧野富太郎(1862~1957年)』も増訂草木図説を昭和に入ってから出版しています。
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かつての亀山城の縄張りの『西の丸』と、『本丸』南側の濠跡に位置する亀山中学校のグランド付近の光景です。かつての縄張り図を参照しますと、『西の丸』木谷氏角付近に藩校の『明倫舎』が置かれていたようです。その南に『黒門』も記されていました、
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往きにも目にしたお寺の光景です。右側の門柱に『天理教亀山分教会』の表札がありました。左手に見える白い建物が、その主要施設のようです。推測ですが、仏教寺院が敷地、建物ごと買い取られたのかも知れません。ネット検索しても、詳しいことは分かりませんでした。現住所は、亀山市本丸町です。
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イチオシ
武家屋敷跡でしょうか、風情のある塀が通りに面していた光景です。本通りと直交する東西の通り、西側方面の光景です。本瓦を載せ、下部が下見板張りの長塀でした。
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亀山市の歩道にあった館ホール蓋の紹介です。亀山城本丸多聞櫓と、アヤメか菖蒲らしい花がデザインされていました。亀山公園に花菖蒲園がありますから、花菖蒲の方かも知れません。
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『伊勢亀山・備中松山藩主交替之碑』の光景です。亀山ライオンズクラブと、高梁ライオンズクラブの連名で建てられていました。延享元年(1744年)、伊勢亀山城主の大名板倉勝澄(かつずみ)と備中松山城主の大名石総慶(ふさよし)による交換転封が行われました。『徳川実記』によれば、その理由は、亀山城主の板倉勝澄が『長病』で、『要地の鎮とせられがたき』ことにあったとされます。
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『伊勢国亀山藩主板倉・石川氏の交替』のタイトルがあった、亀山市教育委員会名の説明看板の光景です。案内板(石碑?)は、姉妹都市を提携している高梁(たかはし)ライオンズクラブから贈られたものであることが紹介されていました。石川氏は、この後、明治まで亀山藩主を務めています。
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亀山駅に向かう途中、振り返って眺めた多聞櫓の光景です。本丸多聞櫓の東で、二の丸の西南側には『石坂門』が置かれていたようです。写真では本丸多聞櫓の右手方面になります。
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玉石で積まれた石垣光景です。隙間にはモルタルが詰められ、現代工法で積まれているようでしたが、昔ながらの石垣を補修した可能性もあります。モルタルを詰めた場合、排水口を設けておかないと、土圧が心配になるようです。
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イチオシ
『東海道亀山宿』の文字が刻まれた石標の光景です。一寸した公園風のエリアに置かれていました。この辺りは、問屋場跡がある西町になるようです。東海道五十三次のうちの庄野の『人馬宿継之図』には、武士の供が問屋場の役人に書類を提出し、宿役人が証文と思われる文書を確認している場面や、外では人足たちが荷物を新しい馬に積み替えている場面が描かれています。
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現代工法による、コンクリートブロックによる擁壁の光景です。かつての獅子餓鬼の工法では、『切込み接ぎ』、あるいは『落とし積』などと表現されるかもしれません。現代工法でも、耐震性などには十分な注意が必要なようです。
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同じく、現代工法によるコンクリートブロックによる擁壁があった場所の光景です。往きに紹介した、『亀山領内東海道分間絵図』に『西の丸』と記されていた場所になるようです。
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推測も入りますが、かつての『西の丸』になる高台の光景です。道路整備などで、地形は少し変わっているかも知れません。左側の面に『碧き門』があったようです。
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道の脇を流れていた用水の光景です。水量は少ないものの、澄んでいましたから、排水路ではなく、昔からある水路のように見えました。
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往きとは少し違った道を通って、JR亀山駅付近に戻って来ました。左手に見えるのが亀山駅です、駅前が駐車場になっていました。
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JR亀山駅の建物光景です。亀山宿ではなく、『東海道関宿・街道まつり』の幟が飾ってありました。東海道53次の46番目が亀山宿で、関宿は47番目になります。その間の距離は1里半(約6キロ)です。12時を少し回りましたが、昼食は桑名駅のお店にしました。
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亀山から、桑名にやって起案した。駅前の地図に記された現在地は、『JR・近鉄・養老鉄道・桑名駅前』でした。東海道53次の42番目の桑名宿があった街です。江戸時代後期の調査では、本陣2軒、脇本陣4軒、旅籠屋120軒を擁し、家数2,544軒、人口8,848人(男4,390人、女4,458人)だったと記録されています。徳川四天王の本多家のほか、各松平家の大名が藩主を務めた桑名藩の城下町です。
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カラーマンホール蓋の紹介です。
設置場所:桑名市歩道
図柄:七里の渡し
その他:七里の渡しの標識や帆掛け船、現代の鉄橋などが描かれています。 -
カラーマンホール蓋風の歩道飾の紹介です。
設置場所:桑名市歩道
図柄:帆掛け船
その他:ホカケ船が描かれたダイヤ型(正方形)です。マンホール蓋ではない、飾のようです。 -
カラーマンホール蓋の紹介です。
設置場所:桑名市歩道
図柄:漫画風の蛤(ハマグリ)
その他:6種の蛤の漫画が描かれています。蛤は、桑名の名産品です。 -
モザイク風の歩道飾の紹介です。
設置場所:桑名市歩道
図柄:帆掛け船
その他:江戸時代の陸沿いのルート(7里)が約4時間、沖合いルート(10里)で約5時間30分を要したようです。 -
桑名城跡に向かう途中の、桑名市街の光景です。この大通りは、桑名駅の北端付近から、東に向かって伸びる『八間通り』になるようです。まっすぐに進めが、桑名城址がある九華公園に向かうことができます。
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同じく、桑名城跡に向かう途中の、桑名市街の光景です。信号待ちの時の交差点光景です。左右(東西)の大通りが国道1号線、南北に交差するのが『八間通り』になるようです。
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イチオシ
地蔵さんかと思って撮影しましたが、確認はできませんでした。道祖神かも知れません。新しい花も供えられ、こまめに手入れがされている雰囲気でした。
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モダンなデザインの観光案内標識の光景です。主なところでは、九華公園(桑名城)まで0.8キロ、七里の渡しまで0.9キロ、旧東海道まで0.6キロなどでした。出発した桑名駅からは0.5キロの場所です。
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半分文字が隠れましたが、最上部に『亀山市観光ガイド』のタイトルがありました。現在位置は、地図の中央よりやや上部にある『八間通り』です。まっすぐ進めば、そのまま『舟入橋』を渡って桑名城跡になりますが、少し南側に回り道をすることにしました。
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『八間通り』から少し、回り道になる南に向かう通りの光景です。三叉路になりましたから、左に折れて東に向かいます。『八間通り』は近代化された街並みでしたから、旧市街をある場所として、春日神社方面を目標にしました。
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