2019/10/23 - 2019/10/23
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旅人のくまさんさん
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西尾城と城下町の紹介です。西尾城は、『鶴城』、『鶴ヶ城』や、『錦丘城』などの別名を持ちます。あまり遠くない場所にある刈谷城が『亀城』と呼ばれることから、家康が指示して『鶴城』と呼ばれるようになったとの言い伝えもあります。
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愛知県には、日本百名城が四つ、続日本百名城が三つ、合わせて七つの城郭が指定されています(日本城郭協会)。もし、愛知県で10名城を選ぶとしたら、この七つのお城に加えてほしいのが、個人的には信長所縁の清洲城(清須市)、譜代大名所縁の西尾城(西尾市)、渡辺崋山所縁の田原城(田原市)を挙げます。これだけでは、少し少ないようですから、次の名城候補等も紹介します。写真は『東の丸跡』の方面です。
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日本百名城では、村を守る環濠があったことで、吉野ケ里遺跡(佐賀県)も日本百名城に選ばれています。愛知の百名城に環濠遺跡を持つ弥生遺跡の朝日遺跡(清須市)、見晴台遺跡(名古屋市)や、志段味古墳群(名古屋市)等も加えたいところですが、概ね戦国時代から江戸初期の城址と古戦場に絞ることとします。次に紹介するのは、愛知の20名城・古戦場に加えたい10箇所です。5箇所ずつに絞りました。
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追加したい5名城は、長久手の戦いの岩崎城(日進市)、家康初手柄の大高城(名古屋市)、於大の方所縁の刈谷城(刈谷市)、信秀終焉の末森城(名古屋市)、岩倉織田氏拠点の岩倉城(岩倉市)です。次は古戦場です。桶狭間の戦い(1560年:名古屋市ほか)、小牧長久手の戦い(1584年:長久手市ほか)、長篠の戦い(1575年:設楽郡)、三河一向一揆(1563年:碧海郡)、小豆坂の戦い(1542年:額田郡)等です。
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『西尾城本丸表門跡』のタイトルがあった、平成18年(2006年)2月の西尾市教育委員会名の説明看板の光景です。姫丸から本丸に至る途中に築かれた二階建の楼門で、東西2間2尺(約4.2メートル)、南北4間2尺(約7.9メートル)の規模と紹介されていました。本丸には土塁が巡り、四隅に隅櫓があったことも紹介されていました。
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『西尾城本丸表門址』の文字が刻まれた石標の光景です。1657年当時の城郭構造は梯郭式の平山城で、西南部から本丸、二の丸、姫の丸、北の丸、東の丸、三ノ丸、それを取り囲む惣構えが構えられていました。本丸には3重櫓と3棟の2重櫓、二の丸には1棟の2重櫓、南東隅に複合式望楼型3重の天守が建てられ、北の丸、東の丸、三の丸にそれぞれ2棟の2重櫓が建てられていました。(ウィキペディア)
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『西尾城・丑寅櫓』のタイトルがあった西尾市教育委員会名の案内看板の光景です。かつての縄張り図(西尾城絵図)と説明文が記してありました。説明文には、『丑寅(東北)櫓』は、周りよりも高い三階建の隅櫓だったことが記されていました。物見櫓として機能したらしい丑寅櫓は、『西尾城郭覚書』に基づき、平成8年(1996年)に再建されたものであることも記されていました。
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『丑寅櫓』への登りの石段光景です。遺構として残った石段のようでした。石段の左下に西尾市教育委員会名の『定』の三箇条を記した立札がありました。喫煙の禁止、飲食の禁止、火気使用の禁止の現代の三箇条でした。
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イチオシ
石段を登って、正面に見えてきた『本丸丑寅櫓』の光景です。右手には復元されたらしい、矢狭間と鉄砲狭間が並んだ長塀が続いていました。左手に塀が設けてないのは、急峻な崖化土塁、あるいは石垣が防御の役割を果たしているのかも知れません。
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三層の建物の『本丸丑寅櫓』の正面光景です。木造で再建された建物です。西尾城での発掘調査は、過去に6度行われています。現在の西尾市歴史公園内(旧本丸・二の丸)や西尾小学校敷地内(旧東の丸)等です。
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『本丸丑寅櫓』の中の階段を登り、上階から眺めた周りの光景です。『西尾市資料館』が見えている、東南側の光景になるようです。資料館は、『姫丸跡』に昭和52年(1977年)8月に建てられました。
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『本丸丑寅櫓』の上階からの眺めが続きます。緑に覆われた中に、微かにお堀が見えていました。縄張図には、多重の堀が記されていましたが、この堀は本丸を取り巻く濠の一部のようでした。
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本丸丑寅櫓から眺めた、西尾市資料館の表玄関付近の光景です。立地している場所は『姫丸跡』ですが、西尾城址の周りの景観を考慮した、立派な和風建築の建物でした。この後、入場して展示品を見学しました。
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同じく、本丸丑寅櫓から眺めた、西尾市資料館の建物側面光景です。西尾市長を二基務めた杉浦喜之助氏が遺言で寄贈された資金を基に建てられた資料館ですが、中途半端な寄付金ではなかったことが窺われる資料館の光景です。金物会社の丁稚奉公から始まり、西尾市長まで務められた方の、見事な処世の締め括りを象徴する社会への恩返しの建物です。
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本丸丑寅櫓から眺めた、西尾城址の光景です。樹々が生い茂った方面の光景です。左手奥に天守台の一部が見え。左れ中ほどに丸馬出し跡がある、旧近衛邸の庭園が見えています。
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本丸丑寅櫓から眺めた、二の丸の表門になる『鍮石門(ちゅうじゃくもん)』のズームアップ光景です。左て後方に、見学者用の駐車場の光景がありました。この後、ウィキペディアを参照して、西尾城の沿革を順次紹介します。
◎1557年(弘治3年):文献に西尾城の存在が認められる。
◎1561年(永禄4年): 酒井正親(1521~1576年)が城主となる。 -
写真は、見学を終えた帰りの光景です。往きとは逆になった長塀の光景です。
◎1585年(天正13年):城主が酒井正親の子、酒井重忠の時に徳川家康の命により改修され、二の丸に天守が築かれる。
◎1590年(天正18年):重忠が徳川家康の関東移封に従うと、近江国より転封し岡崎城主となった田中吉政が西尾城主も兼ね大手門や櫓門を増築。 -
イチオシ
写真は、振り返って眺めた『本丸丑寅櫓』の正面光景です。
◎1601年(慶長6年):本多康俊が表高2万石で初代西尾藩主として入城。以降、松平成重、本多俊次と続く。
◎1638年(寛永15年) :太田資宗が表高3万5千石で入封。城下町を囲む総構えの工事に着手。 -
写真は、本丸丑寅ラグらの櫓の登り口付近の光景です。
◎1657年(明暦3年):井伊直好(1645年の正保2年に入封)が総構えを完成させた。以降の藩主は増山氏2代、土井氏4代、三浦氏2代と続く。
◎1764年(明和元年):出羽国山形藩から松平乗祐(大給松平家)が表高6万石で入封、以降5代続く。 -
写真は内堀の光景です。
◎1869年(明治2年):最後の藩主となった松平乗秩が版籍奉還をする。
◎1871年(明治4年):西尾県の県庁が置かれるが、同年に額田県に併合される。
◎1872年(明治5年):天守以下の建物が解体される。
◎1878年(明治11年):西尾城が廃城となる。 -
写真は『西尾城址』の文字が刻まれた石標の光景です。西尾城の沿革紹介の締め括りです。
◎1995年(平成7年):近衛家の数奇屋棟と茶室棟が移築される。
◎1996年(平成8年):本丸丑寅櫓と鍮石門が再建され、西尾市立歴史公園が開園された。
◎2020年(令和2年):二の丸丑寅櫓と土塀が復元された。
西尾城の沿革の紹介は、以上です。 -
タイトルは付けられていませんでしたが、西尾藩の儒者で、教育家だった『秋山恬堂顕彰碑』の説明文でした。『秋山恬堂(1826~1886年)』は、下級藩士の次男ながら藩の儒者として取り立てられ、江戸藩邸の学問所典学館の教授となりました。
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『秋山恬堂』の顕彰碑の光景です。秋山恬堂は西尾藩の儒学者で、下級藩士の次男ながら藩の儒者として取り立てられ、江戸藩邸の学問所典学館の教授となりました。その後、西尾に帰郷して学問所の創設に尽力し、藩校修道館が設立されると主任教授に任命されました。維新後は権少参事となって西尾の発展に尽くし、職を辞した後は、中学校の教官などを務めています。この顕彰碑は門弟らが建立したものです。江戸時代には昌平坂学問所で、岩村藩出身の儒者、佐藤一斎(1772~1859年)の教えも受けたようです。一斎が教えたのは、山田方谷、佐久間象山、渡辺崋山、横井小楠らを始め三千人と言われます。、
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西尾城の本丸光景です。本丸丑寅櫓が右手になり、右手奥の方向には、西尾城所縁の神社の石の鳥居が見えています。西の常の現役時代にも、西尾城の本丸には、隅櫓以外には『御劔八幡宮(みつるぎはちまんぐう)』の社殿以外はなかったと伝わります。歴代城主の帰依が篤かった神社です。
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風情豊かな造りの『西尾市・資料館』の表札光景です。この資料館の建設に当たっては、元市長の遺言により、多額の資金が市に寄付されました。西尾市の公式HPには、『西尾市資料館は、故杉浦喜之助氏のご遺志により多額の寄付を受け、昭和52年(1977年)8月に西尾城の姫丸跡に完成しました。建物は周囲の歴史公園にマッチした城郭を思わせる入母屋造瓦葺』と紹介されていました。
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イチオシ
『西尾市資料館』の玄関前から眺めた『本丸丑寅櫓』の光景です。西尾市の公式HPでは、『西尾の歴史や文化への理解を深めていただくことを狙いとした展示や歴史資料の収集、発掘による考古資料の調査・整理、郷土学習や小中学生の歴史学習の場としての活動を行っています』とも紹介されていました。
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『西尾市資料館』の建物破風の光景です。西尾城址の『姫の丸』に立地していますが、現住所は西尾市錦城町です。資料館のHPには、平成24年(2012年)の『二の丸発掘調査』の図面なども紹介され、かつての西尾城に関する貴重な参考資料となっていました。『二之丸居所之図』とを重ね合わせた図では、絵図に描かれた天守台南側の形状が今回発見された地形とほぼ重なることが明らかになっています。
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西尾市長を退いた後、西尾市資料館の建設に多額の寄付をされた『杉浦喜之助翁』の胸像です。『杉浦喜之助氏(1895~1975年)』は、愛知県西尾市に生まれ、1911年(明治44年)、福地村立福地尋常高等小学校(現・西尾市立福地北部小学校)を卒業、1919年(大正8年)、西尾町の肴町の金物店、小岸屋に養子に入り、杉浦姓となりました。1940年(昭和15年)、西尾町議会議員に初当選し、戦後、西尾町議会議長として、市制施行の実現に尽力しました。1952年(昭和27年)、西尾信用金庫理事長に就任しました。
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杉浦氏は、西尾市誕生とともに市議会議員となり、議長も務め、1961年(昭和36年)9月の西尾市長選挙で現職を破って初当選しました。2期務めた後、強い勧めがあった3期目を、健康上の理由で断りました。1973年(昭和48年)11月、西尾市名誉市民に推挙され、1975年(昭和50年)10月に79歳で亡くなりました。氏の遺志により、西尾市は多額の寄付を受けました。
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杉浦氏の遺志により寄付された多額のお金により、1977年(昭和52年)8月、西尾城の姫丸跡に西尾市資料館が建てられました。その館内光景です。ネット上では、杉浦氏の『東海新聞』1968年1月1日の73歳頃の写真を目にすることができましたが、屈託のない素晴らしい笑顔の写真でした。1969年(昭和44)8月の臨時議会で、健康上の理由により不出馬を表明された前年の写真でした。
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係員の方の了解を得た上での展示品の撮影です。奥の方に展示してある一部の品は、撮影しないよう指示がありました。甲冑類や刀や槍などの展示品は撮影できあ㎡した。ここには、火縄銃時代の鉄砲も展示してありました。
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