2019/10/30 - 2019/10/30
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旅人のくまさんさん
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桑名城の紹介の締め括りです。伝承では、桑名市大福の了順寺山門が、城門を移築したものとされ、現存します。三の丸御殿は三重郡朝日町の浄泉坊に移築され、現存します。その他の遺構としては、一部堀が残り、海沿いには石垣が残り、県史跡の指定を受けています。
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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『鎮国稲荷神社』の拝殿光景です。神社のうちで稲荷神社は、主祭神とするものが2970社、境内社・合祀など全ての分祀社が32000社を数え、屋敷神として個人や企業などに祀られているものや、山野や路地の小祠まで入れると、稲荷神を祀る社はさらに膨大な数にのぼります。
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イチオシ
『鎮国稲荷神社』の赤い鳥居列の光景です。赤い鳥居の理由については、様々な説があるようですが、伏見稲荷大社で解説されているのは、朱色(赤)はお稲荷様(稲荷神)の豊穣のご利益を表す色とされ、朱色が使われているようです。
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『鎮国・守国神社』の社務所光景です。太平洋戦争時の戦災を免れた建物のようです。白壁に黒っぽい柱を浮立たせた建物光景は、威厳と格式が感じられます。『鎮国・守国神社』の境内は、拝殿、楽翁公百年祭記念宝物館、楽翁歌碑、社務所などから構成されます。
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『奉祝御大典記念・桑名お宮巡り神社の案内図』のタイトルがあった点資料の光景です。地図上に記された神社が、5地区に分けてマーキングしてありました。城下町らしく、かなりの数です。
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『鎮国・守国神社』の文字が刻まれた、まだ新しい立派な石標の光景です。『国』は、日本のことではなく、『伊勢国桑名」を意味しているようです。何度も紹介して、くどい説明になりますが、『鎮国』は藩祖の松平定綱公、守国は江戸幕府の筆頭老中を務め、『寛政の改革』を行った松平定信公を意味します。
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桑名城址の本丸跡の光景です。この辺りは、現在は『鎮国・守国神社』の境内になっているのかも知れません。関ヶ原後に家康から命を受けた本多忠勝は、東城があった所を中心に縄張りを行い、近世城郭を造りました。本丸・新城(城主御殿)・二之丸・三之丸・内朝日丸などを堀で区画し、同時に城下町の整備も行い、大山田川・町屋川の流れを変えて外堀に利用し町の守りとしました。
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同じく、桑名城址の本丸跡の光景です。左手に見えている赤い鳥居は、先に紹介した『鎮国稲荷神社』です。この赤い鳥居と比較して、周りの樹木が『鎮守の杜』に成長していることが実感できます。
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『キンクロハジロ(金黒羽白)』
カモ目カモ科ハジロ属
分布:シベリア、ヨーロッパ北部などのユーラシア大陸北部で繁殖。
特徴:食性は雑食。
その他:日本では冬季に九州以北に越冬のため飛来。 -
『キンクロハジロ(金黒羽白)』
カモ目カモ科ハジロ属
分布:シベリア、ヨーロッパ北部などのユーラシア大陸北部で繁殖。
特徴:食性は雑食。
その他:立派な冠羽を持った雄の姿です。 -
『キンクロハジロ(金黒羽白)』
カモ目カモ科ハジロ属
分布:シベリア、ヨーロッパ北部などのユーラシア大陸北部で繁殖。
特徴:食性は雑食。
その他:この日、桑名城のお濠で見かけたのは、ほとんどが金黒羽白でした。 -
桑名城跡の見学を終えて、七里の渡し方面に向かう途中の光景です。桑名城の遺物らしい石が無造作に置かれていた場所に、海抜表示がありました。『ここは海抜1メートル』の表示でした。加工に近い揖斐川の近くですから、当然だったかも知れません。
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薄い青色のアーチ型をした金属製の欄干の恒久橋の光景です。桑名城の縄張図を参照しますと、三の丸濠に架かる『舟入橋』辺りになるようです。連続していますので、二の丸濠と三の丸堀の境目は分かりませんでした。
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三の丸堀に架かる舟入橋の上から眺めた、南側方面の光景です。前方に見える橋は、縄張図では『扇橋』辺りになるようです。かつての桑名城は、『扇城』の別名を持ちました。
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三重県の老舗のお店『柿安』のビル光景です。ネット検索しましたら、桑名市吉の丸にある、『柿安本店・桑名本社』のビルのようでした。手広く店舗展開している、精肉、総菜、レストラン、料亭などを手掛けている食品会社です。
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『九華公園』のタイトルがあった観光案内地図の光景です。北側は地図の左側になります。桑名城の縄張りに、現在の施設が重ねてありました。現在地が『舟入橋』の近くにマークしてありました。
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『九華公園』の表札が懸かった門柱の光景です。扉も塀もない、オープンな公園でした。左手に見える白い柱は、車の乗り入れ制限のようです。この時間帯、人の姿はありませんでした。
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『桑名城三之丸御殿(新城)及び桑名紡績工場跡』のタイトルがあった看板と、その近くの建物光景です。桑名城の沿革には、明治29年に旧城内の一部に桑名紡績が設立されたことが紹介されていました。
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イチオシ
本多忠勝公像です。『本多忠勝(1548~1610年)』は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名で、徳川氏の家臣です。上総大多喜藩初代藩主、伊勢桑名藩初代藩主で、忠勝系本多家宗家初代です。本姓は藤原氏、通称は平八郎(へいはちろう)です。 徳川四天王・徳川十六神将・徳川三傑に数えられ、家康の功臣として現在も顕彰されています。
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『平八郎』の通り名で有名な、『本多忠勝公像』です。生涯において参加した合戦は大小合わせて57回に及びましたが、いずれの戦いにおいてもかすり傷一つ負わなかったと伝えられています。武田軍の小杉左近からは、『家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本多平八』との狂歌の落書をもって賞賛され、今日に伝わります。織田信長はその並はずれた武勇を武田征伐後、『花も実も兼ね備えた武将である』と侍臣に紹介しています。豊臣秀吉からは『日本第一、古今独歩の勇士』と称されています。
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織田信長、豊臣秀吉も激賞した勇猛な武将、『本多忠勝公像』です。忠勝は桑名藩の藩政を確立するため、直ちに城郭を修築し、慶長の町割りを断行し、東海道宿場の整備を行い、桑名藩創設の名君と仰がれています。この銅像があるのも、その由縁です。慶長9年に病にかかり隠居を申し出ましたが、この際は家康に慰留されています。慶長14年(1609年)6月、嫡男・忠政に家督を譲って隠居し、慶長15年(1610年)10月に桑名で死去しました。享年63、この際に重臣の中根忠実と梶原忠が殉死し、忠勝の左右に埋葬されました。
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『七里の渡し』の近くに建つ、外観復元された『蟠龍櫓』の光景です。『蟠龍(ばんりゅう)』は、天に昇る前のうずくまった状態の龍のことです。龍は水を司る聖獣として、中国では寺院や廟などの装飾モチーフとしても広く用いられています。『蟠龍櫓』は、航海の守護神としてここに据えられたものと考えられています。
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イチオシ
同じく、外観復元された『蟠龍櫓』の光景です。平成15年(2003年)に国土交通省水門統合管理所として建てられました。1階は水門管理所、2階は桑名市所管の展望台兼資料室となっている二層櫓です。
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正面からズームアップした、外観復元された『蟠龍櫓』の光景です。歌川広重の浮世絵『東海道五十三次』には、海上の名城と謳われた桑名を表すため、この櫓を象徴的に描いています。
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水門と、その周りの木々の光景です。現在はコンクリート貴金属性の水門のようですが、推測になりますが、かつては桑名城の外堀の水門だった場所かもしれません。お城から船で揖斐川に出入りすることもできたようです。
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広々とした、芝生広場の光景です。かつての縄張では、『三の丸』辺りにになるようです。現在は、『吉の丸コミュニティパーク』と呼ばれています。右手の奥付近に見えているのが、先に紹介した『柿安本店・桑名本社』のビルです。
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『水門総合管理所』のタイトルがあった説明看板の光景です。少し拾い読みしますと、『水門総合管理所の概要』の中見出しでは、景観に配慮した、住吉、川口、三の丸の三つの水門のことが説明され、『蟠龍櫓について』の中見出しでは、かつての櫓を外観再建したことなどが紹介されていました。
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『現在の治水事業』のタイトルがあった説明看板の光景です。国土交通省木曽川下流河川事務所名の看板でした。木曽三川下流域のおもな事業として、河川整備、河川管理と国営木曽三川公園整備の三項目に分けて説明されていました。
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『江戸時代までの治水工事』のタイトルがあった説明看板の光景です。
1.築舎堤(800年~)
2.水屋(1000年~)
3.輪中(1300~1900年):右上の図
4.御囲堤(1609年):右下の図 -
『宝暦治水(治水史Ⅰ:江戸時代中期)』のタイトルがあった説明看板の光景です。幕府の命により薩摩藩家老である平田靭負を奉行とする治水工事(木曽・長良・揖斐川の分流)が行われ、1年3カ月で完成しましたが、40万両(薩摩藩年収入の2年分以上)の費用がかかり、病死等で80余名の犠牲者を出すほどの大工事だったことが説明されていました。
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『明治改修(治水史Ⅱ:明治時代)』のタイトルがあった説明看板の光景です。明治政府が、優れた水工技術を持っていたオランダから招いた10人の技師たち、殊にヨハニス・デ・レイケによる三川分流工事の完成により、格段に洪水被害が減少したことが紹介されていました。
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『明治時代の治水工事』のタイトルがあった説明看板の光景です。先に紹介したオランダの技師『ヨハニス・デ・レイケ(1842~1913年)による治水工事の紹介文です。浚渫から始まり、築堤、水制、導流堤、船堂平閘門の5項目に分けて概説されていました。
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『伊勢湾台風以降の治水整備(治水史Ⅲ:現在)』のタイトルがあった説明看板の光景です。昭和34年(1959年)9月26日に上陸し、台風による被害最大をもたらした『伊勢湾台風』以降の災害対策について説明されていました。高潮対策と、地盤沈下対策を主とした防災対策の概要です。
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『三の丸水門』の取水口付近の光景です。写真には写っていませんが『七里の渡し』の紹介です。東海道五十三次で知られる宮宿(愛知県名古屋市熱田区)から桑名宿(三重県桑名市)までの海路で、かつての官道です。この渡しの宮宿側、または、桑名宿側の渡船場のみを指して『七里の渡し』とも呼ばれます。
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桑名城に因む名前の『三の丸水門』の光景です。桑名城の縄張図を参照しますと、『三之丸』は、『本丸』の北側に隣接する揖斐川沿いに置かれていました。
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桑名城に因む名前の『三の丸水門』の光景です。現在は、頑丈そうなコンクリート造りでした。前方に見合ているのは、河口近くで広くなった揖斐川の光景です。
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こちらも、桑名城に因む名前の『たもんばし』の光景です。『多聞橋』もしくは『多門橋』と表記するようです。
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揖斐川・長良川合流部に位置する、長良川河口堰(ながらがわかこうぜき)の光景です。その建設を巡り、利水や治水の観点から建設を望む声があるとする一方、長良川の生態系や漁業などへの悪影響などが懸念され、漁協や自然保護団体、日本全国のカヌーイストらなどによって激しい反対運動が起き、建設の是非をめぐる論争が発生しました。
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長良川河口堰のズームアップ光景です。もともとは、工業用水を溜めるために計画されましたが、計画が30年以上紆余曲折しているうちに、重工業がさして水を必要としなくなったため、洪水防止に名目を変更して建設が進められました。本来の目的を失ったにも関わらず計画を中止しない建設省の強硬な態度は、建設省と土建業者の癒着も指摘されています。(ウィキペディア)
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ここからは、桑名城の見学を終えて、歩いて桑名駅に向かう途中の光景です。下調べなしで見学しましたから、見落とした箇所も色々とありました。このバス停には、桑名城所縁らしい『寺町』の表示がありました。往きにも通った『八間通』の南側になります。
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イチオシ
名古屋からは近い場所ですから、次の機会にも見学する予定です。来年は、桜の時期か、花菖蒲の時期が狙いです。道路越しに眺めた『曹洞宗・法性山・海蔵寺』です。江戸時代の河川工事で亡くなった『薩摩義士』が祀られているようでした。鹿児島城の近くにも、『薩摩義士』の立派な慰霊碑がありました。
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