2019/10/30 - 2019/10/30
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旅人のくまさんさん
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鈴鹿の関を目前に控えた、東海道の要所の亀山は、東海道の要所で、要塞の城下町でした。かつて、江戸から東海道を上る旅人は、桑名の渡し場で船を下りたあと、四日市宿、石薬師宿、亀山宿、関宿を通り鈴鹿の峠を越えて畿内に向かいました。亀山は、鈴鹿山脈の南麓中腹の小高い丘の上に位置しています。
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- JRローカル 徒歩
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イチオシ
亀山演武場の裏側(南側)にあった、内側から眺めた鉄砲狭間が並ぶ長塀の光景です。長塀の外側は、本丸の高石垣になっているようでした。長塀は再建されたものです。
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期の柵で囲われた、かなりの大きさの井戸跡の光景です。井戸跡の開口部には、金網が被せてありました。この井戸の詳細は分かりませんでしたが、大きさから判断して、本丸での主要な井戸だったようにも見えます。この場所が、後ほど紹介する『与助井戸』があった場所かとも想像したくなるほどです。
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イチオシ
西北側から眺めた、多門櫓の光景です。南側から眺めますと、高さ13.5メートルの高石垣の上に建つ多門櫓ですが、城内側になる、本丸の内側から眺めた石垣は、高さ4.0メートルの高さと紹介されていました。外側は築城時に積まれた石垣のようですが、内側は、震災があった嘉永7年(1854年)後に修復されたものとみられています。
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台形をした、鏡石のような石材のズームアップ光景です。最下部から、この鏡石の部分までは、布積になっていました。北面になる本丸内側の石垣は、乱積や落とし積とみられる多様な積み方がされていました。
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振り返って眺めた、西側方面になる『亀山演武場』方面の光景です。左手の石垣の先には土塁の部分が見えました。先に紹介した、平成19年(2008年)4月15日の震災での被害が生じた場所です。
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本丸内側の石垣のズームアップ光景です。近世の亀山城が築かれたのは天正18年(1590年)、2万2千石で亀山城主となった岡本下野守宗憲の時とされ、この時に天守が上げられたようです。現在の多門櫓が建つ場所と推定されています。
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『亀山城本丸東南隅石垣と多門櫓』のタイトルがあった説明パネルの光景です。本丸東南隅石垣は亀山城最大で、外側(南側、東側)の高さ13.5メートル、内側(北側)は、4.0メートルと紹介されていました。多門櫓の方も東西8間(15.8メートル)、南北6間(10.3メートル)でL字形と紹介されていました。
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北面になる本丸内側の石垣の光景が続きます。右端部分に見える石積は、『落とし積み(おとしづみ)』と呼ばれる石積です。外観による分類で、『谷積み(たにづみ)』とも呼ばれる、平石の隅を立てて積む積み方です。この分類では、『算木積み(さんぎづみ)』、『亀甲積み(きっこうづみ)』、『笑い積み(わらいづみ)』や『玉石積み(たまいしづみ)』等もあります。
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雨戸が閉め切られていた、『明治天皇行在所(あんざいしょ)』の建物光景です。実際に使われた邸宅のうち、玉座とされた奥八畳間が移築保存されました。この場所に移るまで、変遷があったようです。
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『明治天皇行在所(あんざいしょ)』のタイトルがあった説明パネルの光景です。明治13年(1880年)の時の巡幸とされます。東町藤谷の伊藤家が行在所とされ、その時の行在所の一部が移築されたと説明されていました。
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自然石をくり抜いた、手水鉢の光景です。『明治天皇行在所(あんざいしょ)』の脇に置かれていました。推測ですが、この手水鉢も、建物と一緒に移動されてきたもののようです。
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本丸多聞櫓北側にある井戸跡の光景です。『与助井戸』と呼ばれています。城外への抜け穴伝説があるようですが、確認はされていません。四角の木囲いの中に、薄っすらと丸い窪みが見えました。
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『与助井戸』のタイトルがあった、説明パネルの光景です。天正18年(1590年)、岡本宗徳による亀山城築城の際、この場所にあった与助鍛冶を城外に移したとの伝承から、『与助井戸』と呼ばれることになったことが紹介されていました。
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自然石の加工を少なくしたような造りの、風流な姿をした石灯篭の光景です。修復されたのか、傘の部分と、その下の石材の色が異なっていました。年代を経たような、自然石の台座の上に建っていました。
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『史蹟・明治天皇亀山行在所遺構・三重県』の地が刻まれた石標の光景です。左後方がその建物ですが、元々この場所にあったものではなく、移築されてきたものです。
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『亀山神社』の『一の鳥居』付近の光景です。右端に『亀山神社』の文字が刻まれた大きな石標がありました。先に紹介した『二の鳥居』との違いは、こちらの鳥居には扁額があり、二本の高い旗棹が建っていたことです。なぜか最前列には大きな石も置かれていました。左側の石にはコンクリートの囲いもありましたが、この石の謂れは分かりませんでした。
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北側から眺めた、多門櫓方面の光景です。この後は、多門櫓が建つ石垣に登っての見学にしました。多門櫓は土日や祭日などに内部開放されているようでしたが、今日は入場は出来ません。
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『亀山城及び城下の歴史まちづくり案内』のタイトルがあった説明パネルの光景です。右下に、かつてのお堀に囲まれた亀山城の縄張図がありました。寛永9年(1632年)に誤って壊された天守については、『規模、形状、位置についても不明』と、慎重な表現が使われていました。
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石段を登った、多門櫓台の上の光景です。西側に位置する櫓台方面に向けて、橋が架けてありました。その橋を利用しての西側への移動です。
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中央付近に見えるのが、先程渡った木の橋です。左手が本丸城内側になります。白い壁の建物が多聞櫓です石垣の城内側でも4メートルありますから、全面に丈夫な木の柵が設けてありました。
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多聞櫓の株文と、高石垣の上部部分の光景です。右側に見える高石垣は、東面になるようです。その先に域に通った広い通りと、池の光景がありました。
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多聞櫓が建つ石垣の西側から眺めた、西側方面の光景です。眼下に見えるのは、右端が『明治天皇行在所(あんざいしょ)』、中央奥が『亀山演武場』の建物です。左端に石垣と土塁が見えました。
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ここからは、多門櫓が建つ石垣を下りてからの見学です。東側から眺めた、多門櫓が建つ高石垣の光景です。石の加工技術による分類では『野面積』、石の積み方による分類では『乱積』に分類されます。
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同じく、東側から眺めた、多門櫓が建つ高石垣の光景です。右側に見える石垣では、角の部分は『算木積(さんぎづみ)』になっていました。算木積は、石垣の外観による分類の一つです。石垣の角っこ(隅石)の強度を高めるための積み方です。算木積みは天正年間(1573~1592年)にはすでに見られますが、石垣の下端から上端まで長辺が短辺の倍以上となる隅石を用いて、乱れることなく整然と長短交互に積み上げられてる場合は、慶長10年(1605年)以降と推定されています。この石垣は、慶長10年以前に積まれたもののようです。
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イチオシ
東側から眺めた、多聞櫓と野面積の高石垣の光景です。左奥の石垣と、右手前の石垣部分では、石室が異なっているように見えました。右側の石垣は緑がかっていますが、左側の石垣は茶色が基調の石材です。その最上部付近が白っぽいのは、新しい石材を使って積み直された部分のようです。
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多聞櫓が建つ野面積の高石垣と、その西側に続く高石垣の光景です。左手は、亀山中学校のグランドです。亀山中学校のグランドは、かつては、本丸と西の丸の間の濠跡になるようです。
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冬木立の桜の樹ですから、透かして見ることができましたが、南東側から眺めた、野面積の高石垣と多門櫓の光景です。この場所にあったらしい天守は、寛永9年(1632年)に誤って壊されましたから、江戸時代から続く光景になるようです。
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冬木立の桜の樹の間から透かして眺めた、南側から眺めた、野面積の高石垣と多門櫓の光景です。ネットで確認しましたが、多門櫓は、夜間のライトアップもされているようです。
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左手が『野面積(のづらつみ)』の石垣、右手が『打込み接ぎ(うちこみはぎ)』のの石垣の対比光景です。『野面積』の石垣は、一見雑な石積のように見えますが、全国には400年を発って、健在な石垣が各所に残されています。強度面、経年変化面でも優れた石積法です。
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右手にあった石垣のズームアップ光景です。野面積の高石垣に対し、こちらは、石の加工がされた『打込み接ぎ』です。野面積の高石垣よりは、新しい時代に積まれた石垣になるのようです。
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