2019/10/30 - 2019/10/30
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旅人のくまさんさん
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三重県の伊勢亀山城は、古くは平氏に源を持つ関氏の居城です。関盛忠は、文永元年(1264年)に丘陵地に城館を移し、その翌年に亡くなりました。この時の城館の地が『亀山古城』、あるいは『若山城』と呼ばれる亀山城の前身です。
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イチオシ
『二の丸帯曲輪』の表示があった道案内標識の光景です。高台の北の端に小道が続いていました。その左手は急峻な土手ですから、観光用に丈夫な金属柵が設けられていました。
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高台北端の小道から見下ろした、北側方面の光景です。外堀跡の池が見えました。現在は『公園池』と呼ばれているようです。
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東に向かって伸びていた、高台の北端の小道の光景です。この通路は、二の丸跡に亀山西小学校が建設されたため、校庭外(北側)に設けられた観光用の通路のようでした。この後紹介する、『亀山城二之丸平面図』には、二の丸西北側の『向屋敷櫓』と、東北側(帯曲輪西端)の『石坂脇櫓』の間には、塀が廻らされていたようです。
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『二の丸帯曲輪及び周辺整備事業』のタイトルがあった、平成13年(2001年)3月に建てられた、亀山市教育委員会名の説明看板の光景です。図面入りで、工事概要などが記されていました。
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振り返って眺めた、高台の北端の小道の光景です。二の丸跡になる左側は、亀山西粗油学校の校庭になっていました。かつては『二の丸御殿』があった場所です。『二の丸御殿』は古写真が残されていますから、明治初期の廃城までは建物が残っていたようです。
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二の丸北面の急傾斜地の光景です。二の丸の北側の守りは、この急傾斜地と、その上の塀が守りになっていたようです。併せて、二の丸には要所に櫓が設けられていました。
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『亀山城二之丸跡』のタイトルがあった説明看板の光景です。亀山城最大の曲輪で、現在の亀山市役所と亀山西小学校一帯と説明されていました。本丸が徳川将軍の旅館として整備されたことから、二の丸は、藩主の居所と、亀山藩の政庁となったことが解説されていました。
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『築山(つきやま)』のタイトルがあった説明パネルの光景です。『御殿に庭に造られた小山』と紹介されていました。古図面を基にこの場所が『築山』として特定されたようです。
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発掘調査で見付かった瓦を積み上げた『築山(つきやま)』の光景です。発掘調査で見付かった瓦は、『二の丸御殿』等で使用されていたもののようです。先に紹介した、『二の丸御殿』の古写真の建物は、すべて本瓦葺のように見えました。
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『二の丸御殿の礎石』のタイトルがあった説明パネルの光景です。二の丸跡の亀山西小学校が建設される前の、事前調査で見付かった礎石と紹介されていました。調べてはいませんが、発掘調査報告書などが作成されているかも知れません。
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『二の丸御殿の礎石』のズームアップ光景です。四角い彫り込みがあった、二の丸御殿の礎石と見られている礎石の光景です。亀山西小学校の工事の際に見つかったと紹介されていました。
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二の丸御殿の礎石に左に見える黒っぽい玉石も、亀山西小学校の工事の際に見つかったものと紹介されていました。こちらは、二の丸御殿の入口に敷き詰め垂れていたと紹介されていました。
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『埋門(うづみもん)』のタイトルがあった説明パネルの光景です。6箇所の帯曲輪への通路はすべて埋門で、この埋門は、二の丸御殿との間に設けられたものです。写真は発掘調査で見付かった、埋門の石垣と礎石と玉砂利の光景です。破城される前には、『二の丸北櫓』があった場所とされます。
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草で覆われた『埋門』の光景ですが、通り抜けることができました。草が生い茂って、石垣は確認できませんでした。また、礎石でもうけられた段差は、木材に置き換えられているようでした。
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『埋門』の上から見下ろした、帯曲輪の土塀の光景です。再建された土塀です。帯曲輪の外側は、『二の丸帯曲輪及び周辺整備事業』の図面を参照しますと、『帯曲輪土居』が続いていました。この写真にも見える、急傾斜の土手です。
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同じく、『埋門』の上から見下ろした、帯曲輪の土塀の光景です。帯曲輪の東北角付近の光景になります。草取りに手が回らないのか、黄色い花を咲かせた、セイタカアワダチソウが生い茂っていました。
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『埋門』の上から見下ろした、帯曲輪の土塀の光景が続きます。こちらは帯曲輪の西北方面の光景になります。帯曲輪の土塀は、塀の外から眺めた方が見栄えがします。(ネット写真で確認しました)
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『帯曲輪(おびぐるわ)』のタイトルがあった説明パネルの光景です。お城の守備施設が『曲輪』で、細長いものが『帯曲輪』と説明されていました。二の丸御殿に隣接するこの帯曲輪は、東西に43メートル、南北に6.5メートルの規模とも紹介されていました。建物はなく、平和な時代には庭やお花畑だったらしいことが発掘調査で分かったようです。
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『埋門』を下って『帯曲輪(おびぐるわ)』にやってきました。帯曲輪の西北角付近の土塀の光景です。登り勾配の下部にも土塀が再建されていました。土塀の外には『帯曲輪土居』が続き、防御性を高めていました。
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幅が6.5メートルとされる、帯曲輪の北端部分の土塀光景です。東西の長さは43メートルとされます。ネット写真で確認しましたが、この土塀の外は守りに適した急斜面になっていました。急傾斜を持つ『二の丸土居』の施設範囲は、既に紹介した『二の丸帯曲輪及び周辺整備事業』の図面で確認できます。
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イチオシ
草が生い茂っていましたが、二の丸から帯曲輪への出入口だった『埋門跡』になります。現在は、帯曲輪の二の丸側には土塀は設けてありませんでしたが、明治初期に作成されたらしい平面図には、二の丸と二の丸帯曲輪の間には、塀が設けてあったようでした。
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もう一度紹介する、『築山跡』の光景です。場所を示すために、二の丸跡の発掘調査で出土した廃瓦が積み上げてありました。
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二の丸跡の北端から見下ろした、急斜面の光景です。東側方面の光景になります。城郭時代からの形状をそのまま残しているような地形でした。
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同じく、二の丸跡の北端から見下ろした、急斜面の光景です。西側方面の光景になります。急傾斜の土手の下に細い道が通っていました。
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二の丸跡の北端から見下ろした、外堀跡の池の光景です。かつての縄張り図を参照しますと、西出丸、本丸、二の丸の北側と南側には、幅広い池のような外堀が記されていました。西側方面が水濠、東側方面が空堀なのは、鶏舎のある自然の地形を最大限に利用しためのようです。
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振り返って眺めた、高台北端の小道の東側方面の光景です。かつての縄張り図を参照しますと、二の丸と本丸との間の北側方面には、水濠が深く入り込んで、樟門近くまで迫っているようでした。
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東に向かって伸びていた、高台の北端の小道の入口付近の光景です。『二の丸帯曲輪及び周辺整備事業」の効果で、二の丸から二の丸北曲輪にかけての城跡の構造がよく理解できました。
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『亀山城三重櫓跡』の登り口付近の光景です。1590年(天正18年)に岡本宗憲が入城すると、亀山城は大規模な改修が行われ、本丸・二の丸・三の丸が整備され、天守も建てられました。しかし、江戸時代初頭の寛永9年(1632年)、丹波亀山城の天守を解体するように命じられた堀尾忠晴(1599~1633年)が、間違って伊勢亀山城の天守を壊したと伝えられています。
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『亀山城三重櫓跡』の文字が記された標識のズームアップ光景です。側面には、『寛永18年(1641年)、当時の城主の本多俊次(1595~1668年)が天守閣の代わりに建てた、亀山城で唯一の三重櫓』だったことが、亀山市教育委員会名で紹介されていました。
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イチオシ
『亀山城三重櫓跡』の基壇に登る石段の光景です。1636年(寛永13年)に本多俊次が城主となりますと、亀山城は再び改修されました。本丸は将軍家の旅館として整備され、城主の居所として二の丸に御殿が造営されました。俊次は、徳川氏の重臣(のち膳所藩初代藩主)本多康俊の長男として下総小篠で生まれ、近江膳所藩主→三河西尾藩主→伊勢亀山藩主を経て7万石で近江膳所藩主に再任されました。
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