2019/10/23 - 2019/10/23
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西尾城と城下町の紹介です。2018年(平成30年)2月に開催された『西尾城跡総合整備検討委員会』では、今後の整備計画について、二之丸鍮石門脇の土塀・土塁の復元や駐車場の整備、大手門跡の整備を10年以内、天守の復元を30年以内に実現したいとしているようです。
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『旧近衛邸』の傍で見かけた光景です。大きな石の句碑です。『鳥語より詩語が生まるる小春かな 宗也』の一句でした。ネット検索しましたら、『加古宗也:1945~』氏のようでした。略歴は『愛知県西尾市生まれ。本名・むねなり。中央大学法学部卒。1970年村上鬼城の弟子の富田うしほ・潮児父子に師事。俳誌『若竹』主宰。2010年『花の雨』で日本詩歌句大賞受賞』と紹介されていました。
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次に紹介する一句も、大きな横長の石に刻まれていました。独特の崩し字で読み取ることが困難でした。いくつかの条件で検索してみましたが、元の字がほとんど読み取れませんでしたから、結局何も分かりませんでした。
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南側付近から眺めた『天守台』の光景です。石垣には発掘作業で見付かった石材も利用され、足りない分は、幡豆石が使われたようです。『幡豆石は、花崗岩類として一括されることが多いですが、厳密には、無色鉱物は石英と斜長石だけで、カリ長石をほとんど含まない「トーナル岩」にあたります。黒っぽい鉱物が多めの花崗岩のように見えます(名古屋市科学館)』、と紹介されていました。
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『天守台』のタイトルがあった、イラストと写真入りの説明パネルの光景です。図面一杯に石垣外面のイラスト図が記されていました。発掘調査で見付かった江戸時代の井戸もこの図面右下付近に記されていました。その井戸跡の周りに置かれた石材は、発掘調査で見付かった、石垣のものです。
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『天守台』から見下ろした付近の二の丸の光景です。石で丸く囲ってある部分は、発掘調査により、井戸跡が確認された場所のようでした。目測ですが、石が置かれた場所が井戸の外周とすれば、かなり大きな井戸だったようです。
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現在は、何も置かれていない天守台の上部の光景です。西尾城跡では2020年夏の完成を目指し、『二之丸丑寅櫓(うしとらやぐら)』と、同櫓と天守台を結ぶ『土塀』の復元が進められています。この整備を決定されたのは、2018年2月に開催された『西尾城跡総合整備検討委員会』でした。(戦国きらら隊HP参照、天守台関連について、以下同じ)
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二之丸の天守台から眺めた、『二の丸』の光景です。かつては二の丸御殿の建物が立ち並んでいましたが、明治の廃城例により、すべて破却されました。写真の中央奥に『鍮石門』、左端奥に見えるのが『二の丸丑寅櫓』の再建工事箇所です。先程の『西尾城跡総合整備検討委員会』には、市教委の依頼で西尾城の天守、二の丸丑寅櫓、土塀の復元図を監修した三浦正幸広島大学名誉教授も出席されています。
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右手奥に見えていた建物のズームアップ光景です。『旧近衛邸〉の建物ではなく、見学用の吹き抜けの東屋でした。進行中の再建工事の話題に戻ります。委員会に出席した三浦名誉教授は、『いずれも城郭史上、きわめて独創的な形態になっている』『平地にあって二之丸に御殿や天守を持つ西尾城は、まさに(近代城郭の)典型である』と、西尾城のかつての城郭を評価されているようです。
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『西尾城天守台』のタイトルがあった説明パネルの光景です。前書きで、二の丸に天守が置かれることは珍しいと紹介され、絵図によれば天守櫓は三重で、南と東に多門櫓が付いている、と解説されていました。再建のための検討委員会は、『平成16年(2004年)4月に設置されました。メンバーは西尾城再建友の会をはじめ、各種団体や基金寄付団体、城郭専門家ら有識者など15名で構成されています。
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図面の右上が本丸、右下が二の丸の表示があった絵図面の光景です。本丸には、4隅に櫓が描かれ、その内の左下の丑寅櫓が再建されています。二の丸には、天守を含め2箇所に櫓があり、その中の左下に当たる二の丸丑寅櫓が再建工事中でした。右下が二の丸に建つ天守櫓です。こちらも再建計画があります。2018年(平成30年)2月に開催された西尾城跡総合整備検討委員会には、三浦教授(当時)の薫陶を受けた中村泰朗文学博士が、江戸時代の絵図と文書の照合を進め、『西尾城郭覚書』に記された寸法や『二之丸居所図』に記された外観などに基づいて作成された資料が提出されています。
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『西尾城天守台』のタイトルがあった説明パネルの左端にあった平面図のズームアップ光景です。『二の丸』の平面図でした。左中央が二の丸の表門になる『鍮石門』、それを潜った正面が『(二の丸)御殿』、北西角の右下に『天守』、左下に『(二の丸)丑寅櫓』が記されていました。『検討委員会』に提出された『計画書』によると、再建天守は3重4階で、石垣と付櫓を除いた建物部分の高さ(鯱鉾を除く)約15.6メートル、南北約12.6メートル、東西約16.2メートルの規模とされます。
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『天守台』の西側に突き出した部分の石垣光景です。西南に向けて伸びていた多聞櫓に繋がる部分のようです。突き出した部分は、天守台本体よりは、少しだけ低く造られているようでした。手摺りがありますので、その部分も見学できました。城内側は低い石垣に見えますが、城外部分はかなりの高さです。
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天守台から眺めた、西尾城址の西側方面の光景です。街道筋に商店などの家屋が立ち並んだ光景でした。『検討委員会』の話題に戻ります。三浦名誉教授の再建基本スタンスは、観光客集めの見た目の良さより、出来る限り『かつての西尾城』を忠実に再現することが主眼のようでした。それだけの価値があるとの、かつての西尾城に対する技術的評価でした。
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天守台から眺めた、西尾城址の北側方面の光景です。家屋と田畑が入り混じった光景でした。三浦名誉教授は、検討会では『復元するなら学術的に正しくすべきだ。形の良さ追求すると、他地域の城のコピーやまがい物になる』『西尾城は天下の名城で学術的に重要な城』『よそにない立派な城が西尾にあったことを誇るべき』とも発言されています。(以上で、西尾城債権についての紹介は終りです。)
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イチオシ
『西尾城天守閣二之丸址』の文字が刻まれた石標の光景です。日本で唯一、後任の本丸が二の丸に設けられたお城です。藩主として着任した、歴代の譜代大名の意見が江戸幕府に通じたためかもしれません。6万石の小藩ながら、歴代藩主には老中もいました。西尾城は、徳川家康が今川氏から自立した永禄4年(1561年)、家臣の『酒井正親(1521~1576年)を城主に任命して治めさせました。正親は、徳川家臣団の中で、家康から初めて城主に任命された人物です。
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天守台の上からの見学を終えて、東南方面から眺めた『天守台』の光景です。城内側から眺めますと、低い石垣に見えますが、城外側から眺めると、かなり高い石垣になります。今回の天守台再建に使われた幡豆石は、名古屋城などにも使われています。
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名残惜しく、最後にもう一度紹介する『本丸丑寅櫓』の光景です。木造建築で、平成年8年(1996年)に再建された建物です。西尾城址の一番高い場所に建っていますので、見晴らしが利きます。お城が好きな方は、木造で再建された建物の内部もぜひご覧ください。西尾市の公式HPでは、6次に亘った発掘調査で、西尾城の本丸に関しては、『本丸丑寅櫓の地点でも、再建に伴う調査の結果、櫓の根石、石垣が見つかっています』と紹介されていました。基本的に発掘調査と絵図などの文献調査を踏まえて再建された本丸丑寅櫓のようです。
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『秋の城址まつり・火縄銃の実演』の宣伝立看板の光景です。『一火流稲富流砲術演武』の文字も書き添えてありました。二の丸広場での実演で、演武中は立入り禁止の表示もありましたので、迫力がありそうでした。愛知県では、歴史的な背景がある、長篠城址での火縄銃実演がよく知られています。
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二之丸に残る、土塁と石垣の光景です。綺麗に整っていますから、修復の手が入った後のようでした。石垣は、『打込み接ぎ(うちこみはぎ)』の範疇になるのでしょうが、『切込み接ぎ(きりこみはぎ)』に近い加工がされた石積でした。
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二之丸の正門として木造で復元された、『鍮石紋』の光景です。立派な部材を使った、三度とな造りでした。これはまだ、『二の丸』の城内側からの撮影だったようです。右手に、遺構の土塁と石垣が見えていました。
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見学を終えて、帰りでの撮影です・右端付近に見える幟には、『西尾市歴史公園・指定管理者・コニックス株式会社』の文字がありました。最近は、自治体からの委託管理が増えてきたようです。
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名前:『ムラサキゴテン(紫御殿)』
分類:ツユクサ科ムラサキツユクサ属
分布:メキシコ原産、日本には1955年頃に渡来。
その他:花期は、6~9月頃です。 -
イチオシ
名前:『ムラサキゴテン(紫御殿)』
分類:ツユクサ科ムラサキツユクサ属
分布:メキシコ原産、日本には1955年頃に渡来。
その他:別名パープルハート、セトクレアセアの別名を持ちます。 -
名前:『コエビソウ(小海老草)』
分類:キツネノマゴ科キツネノマゴ属
分布:メキシコ原産
その他:ギリシャ神話に因む、ペロペロネの呼び名を持ちます。 -
イチオシ
名前:『コエビソウ(小海老草)』
分類:キツネノマゴ科キツネノマゴ属
分布:メキシコ原産
その他:満開の花のズームアップ光景です。 -
西尾市のマンホール蓋の光景です。大きな樹木がデザインされているようでした。中央に描かれているのは西尾市の市章の『結び井形』です。市の花がバラで、市の木が『クスノキ(楠木、樟』ですから、大樹になる楠が描かれているようです。西尾市の公式HPには、『緑豊かな美しいまちづくりを目指そうという願いが込められています』、と紹介されていました。
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往きには、門の近くだけを見学して、素通りに近かった『尚古荘』が見える位置までやって来ました。西尾城址の『東の丸』の一角に建てられたものです。古い物を大切にする『尚古思想』を踏まえて建てられたようですから、かつての西尾城を偲ばせる庭園が残されていました。
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『尚古荘』の出入口門の光景です。名前の由来は、西尾城に因みます。『尚古』の意味は、『昔の文物や制度にあこがれ、これらを尊ぶこと』を意味します。『尚古趣味』、『尚古主義』や『尚古思想』の言葉としても使われます。最近では、『温故知新』の言葉の方が、前向き思考で好まれているかも知れません。
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名前:『アオギリ(青桐、梧桐)』
分類:アオイ科(従来の分類アオギリ科)アオギリ属の落葉高木。
分布:日本、中国、台湾、インドシナに分布。
その他:奈良時代に日本へ渡来し、帰化。 -
入場した後、振り返って眺めた、『尚古荘』の出入口門方面の光景です。この後も、西尾城東野丸跡に建てられた『尚古荘』の紹介が続きます。昭和初期に造られた京風庭園を持ちます。現在は無料開放されています。
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