2018/09/07 - 2018/09/07
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blumentalさん
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観光4日目、ネッカー川の旅が始まりました。バート・ヴィンプフェンの次はハイルブロンの観光です。
観光を終えた後、ショッキングなメールが飛び込んできました。我々が関空を飛びたったのが9月3日の夜、翌4日午前、台風21号が関西を直撃して全便欠航、さらにタンカーが連絡橋にぶつかり関空は閉鎖という事態となっていましたが、何とか再開するだろうと気楽に旅を続けていた時のことです。
旅行の日程は以下の通り:★印がこの旅行記です。
9月03日(月) 19:10関空~22:10香港経由0:05~06:30チューリッヒ着
(機中泊)
9月04日(火) ザンクト・ガレン、シュタイン・アム・ライン、コンスタンツ(コンスタンツ泊)
9月05日(水) メーアスブルク、
ウールディンゲン・ミュールホーフェン 、ユーバーリンゲン、シャフハウゼン、コンスタンツ(コンスタンツ泊)
9月06日(木) フェルトキルヒ、ブレゲンツ、リンダウ(コンスタンツ泊)
9月07日(金) シュトゥットガルト、バート・ヴィンプフェン、
★ ハイルブロン(シュトゥットガルト泊)
9月08日(土) (ホーエンツォレルン城の予定でしたが中止)(シュトゥットガルト泊)
9月09日(日) エーベルバッハ、ハイデルベルク(マインツ泊)
9月10日(月) ザンクト・ゴアール、ボッパルト、オーバーヴェーゼル、バッハラッハ(マインツ泊)
9月11日(火) 13:45フランクフルト~06:50香港(機中泊)
9月12日(水) (08:00香港~12:55関空着の予定でしたが変更)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 鉄道
- 航空会社
- キャセイパシフィック航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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15:32バート・ヴィンプフェン発のREで15:51ハイルブロン着。
ハイルブロン駅前にはS-Bahnの乗り場があります。 -
駅前から東に延びるバーンホフ通りBahnhofstr.を進みます。すぐに目につくのは立派な旧第二郵便局Altes Postamt No.2(1906年建造)。
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続いて旧駅舎Alter Bahnhof(1848年建造)。
道路の真ん中にS-Bahnが走っていますが、どう見ても路面電車。 -
いろんな車両が通過しますが、やはり路面電車にしか見えません。
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ネッカー川に到着。ここは橋の上。橋の北側の中州に建つホテルInsel-Hotel。この橋あたりから通りの名前はカイザー通りKaiserstr.に。
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橋の南側(ネッカー川上流)にゲッツの塔が見えます。
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そして橋の中央あたりで、なぜか金のウサギが魚釣り。
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カイザー通りを東に行くとキリアン教会が見えてきます。
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通りの北側はマルクト広場Marktplatz。シュトゥットガルトと同様、こちらもワイン祭りのようです。
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広場に面して旧市庁舎Altes Rathausが建っていますが、露店がちょっと邪魔。最初の建物は1300年頃の建設、1417年ゴシック様式の改築を経て、1600年頃ルネサンス様式に改築されました。しかし1944年の空襲を受け、戦後に再建されました。
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イチオシ
これが評判の市庁舎の天文時計Astronomische Kunstuhr。1580年にアイザック・ハブレヒトが製作、ストラスブールの大聖堂やウルムの市庁舎でおなじみの人です。もちろん空襲を受けましたが、1953年から復活したそうです。
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まだそれほど人は多くありませんが、夕方になると露店は人でいっぱいになるのでは。
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隣の市庁舎新館の前にはロベルト・フォン・マイヤー(1814-78年)の像。エネルギー保存の法則を発表した物理学者の一人ですが、ハイルブロン出身だったとは。露店が邪魔。
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マルクト広場から見たキリアン教会Kilianskirche。露店が邪魔。
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キリアン教会に入りました。身廊です。ハイルブロンでは宗教改革以降、この教会を中心に福音主義信仰が広まったそうです。
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イチオシ
内陣の天井、網目状の模様が素晴らしいですね。
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聖母マリアの木彫りが見事な主祭壇。1498年ハンス・ザイファー作、戦火を免れた貴重品です。
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祭壇下段部の彫刻。左の二人は、教皇グレゴリウス1世とヒエロニムス、右の二人は、アウグスティヌスとアンブロジウス。
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内陣右奥のステンドブラス。受胎告知とイエスの誕生、1968年製作。
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拝廊側は薄暗いですね。
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パイプオルガン。うまく撮れなくて残念。
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教会の南側に出ました。ルネサンス様式の西塔です(1529年完成)。
教会の起源はわかりませんが、1297年から既存の教会がキリアン教会と呼ばれ始め、15世紀の改築とその後の西塔の追加で現在の姿になりました。 -
とはいっても大空襲でほぼ全壊。しかしながら1946年から再建が始まり、1974年に完成。他の町でもそうですが、ドイツの復興力と再現性には感心させられます。
西塔壁面の彫刻は上の方までぎっしり、ガーゴイルも様々。 -
南側入り口前の階段にクリストフォロスChristophorusの像(1988年作)。おそらくイエスを背負った聖人のことだと思いますが、どう見ても妖怪です。
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キリアン広場Kilianplatzから見たキリアン教会。せっかく全容が収まっているのに工事の覆いが残念。数時間前に見たバート・ヴィンプフェンの青の塔とそっくりの足場です。
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次は広場からフライナー通りFleiner Str.を南に。
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北を振り返って。
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フライナー通りをどんどん南に行くとフライナー門の泉Fleinertor Brunnen (1601年建造)、柱の上には運命の女神フォルトゥーナ。
ここから西に延びるゲッツェントゥルム通りGo:tzenturmstr.を進むと。。。 -
ゲッツ塔Go:tzenturmにたどり着きました。1371年の建築で高さ30m。
名前のゲッツは中世の盗賊騎士ゴットフリード・フォン・ベルリヒンゲン(鉄腕ゲッツ)のことで、彼は1519年にハイルブロンの属するシュヴァーベン同盟との戦いに敗れハイルブロンに3年間幽閉されました(別の塔です)。塔の名はゲーテが発表した彼を題材にした戯曲(1773年作)に由来するそうです。 -
その先(西)はネッカー川です。橋の上でおじさんがのぞき込んでいるのは。。。
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欄干にかけられたたくさんの「愛の南京錠」。あちこちで見られる儀式ですがこの橋にもありました。Liebespunkt Heilbronnというポスターも貼ってあったので公認の場所なのでしょうか。
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橋から北の風景(ネッカー川下流方向)。向こうに最初に渡った橋(カイザー通り)が見えます。
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西のマンハイムから東のニュルンベルクまで「古城街道」ができたのは1954年です(プラハまで無理やり延ばしたのは1994年)。ネッカー川沿いではハイルブロンが最東端ですが、古城街道の設置を提案したのは何と(城郭の残っていない)ハイルブロンだそうです。ハイデルベルクが言い出すのならわかりますが。
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塔上のSkywalkerは、Hubert von der Goltzの作品(1985年制作)。この人の作品は、ダルムシュタットのマチルダの丘やエスリンゲンのシェルツ塔でもお目にかかりました。これが中世の時代にもあったら大笑いなのですが(と以前にも書きました)。
(ダルムシュタット2013)https://4travel.jp/travelogue/11488914
(エスリンゲン2015)https://4travel.jp/travelogue/11421290 -
いったい何なのかよくわからないのが、ゲッツ塔の前に立つこいつです。
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ゲッツの塔から北東方向に移動、途中大型ショッピングセンターに行く手を阻まれながらもいくつかの路地を経てドイツホーフDeutschehofの西側に到達しました。現在は市立博物館Sta:dtische Museen Heilbronnです。
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ドイツホーフの外周に沿ってドイチェホーフ通りDeutschhofstr.を東に行くと、南東部分に歴史博物館Haus der Stadtgeschichteがあります。
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歴史博物館の前にある石碑。今日バート・ヴィンプフェンで見たものと全く同じ形状です。
741年付けのハイルブルンナ村villa Helibrunnaとしての記載が町の最初の記録。シュタウフェン朝の時に市壁を建設。1281年ハプスブルクの皇帝ルドルフ1世から都市権を授与されました。 -
ドイツホーフに囲まれた中庭に入りました。右の建物(中庭の西側)は市立博物館の裏側になります。
フランク王国の分裂後、ハイルブロンの統治者がいろいろ変わりましたが、1225年にドイツ騎士団が領有することになりました。ドイツホーフはドイツ騎士団の司令部として建設され、18世紀にほぼ現在の形になっています。 -
中庭の東側。出窓付きの白壁の建物は騎士団宿舎Ritterherberge(現在はコミュニティカレッジVolkshochschule Heilbronn)。
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中庭の北側にはドイツ騎士団大聖堂Deutschordensmu:nster St. Peter und Paul。もとは1240年の建設ですが、1944年末ハイルブロン大空襲で破壊されました。戦後再建され、1977年から大聖堂になりました。
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ドイツ騎士団大聖堂の北側に出ました(キルヒブルネン通りKirchbrunnenstr.から)。宗教改革以降、キリアン教会を中心にプロテスタント信仰が広まり、敬遠されたカトリック信者が拠り所としたのがこのドイツ騎士団聖堂。
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ドイツホーフの北西の角です。聖堂の右手に延びるのが市立博物館です。あそこからドイツホーフを反時計回りに歩きました。
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ドイツ騎士団聖堂前から東の風景。キリアン教会の尖塔が見えます、宗教改革でプロテスタントが定着した街だけにあちらは大きい。こちらカトリックの聖堂はサイズでは負けても、ミュンスター(大聖堂)です。
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大聖堂入り口の扉。
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身廊。カトリックですが装飾に関しては簡素。やはり大空襲を受けた後の再建だからでしょうか。
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内陣はちょっと驚く桃色の世界。
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入口側のパイプオルガン。
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大聖堂の北西にある「肉の家」Fleischhaus、1600年ごろのルネサンス様式で建てられた肉料理屋兼肉市場です(2009年から自然史博物館)。
肉の家から北に行くとすぐにカイザー通りです。通りを西に駅に戻りました。 -
ハイルブロン駅です。17:13発のREでシュトゥットガルトに向かいました。WiFi完備の列車です。座席を確保して落ち着いたとたんにメールの着信。
キャセイパシフィックからの英文メッセージ「あなたの香港発のフライトCX594はキャンセルされました。あなたの計画に変更と影響を及ぼすことに謝罪します」
ショック!! -
つまり香港までの便は予定通りですが、そこから先はありませんってこと。台風のため閉鎖中の関西空港ですが、それでも我々は帰国時までには再開しているだろうと気楽に考えていましたが甘かったです。さて困った、絶対に予定日に帰国しなければ(翌日から出勤ですから)。
17:58シュトゥットガルト到着。重い気持ちのまま、ホームからコンコースに向かう長い長い連絡通路を歩いています。 -
(写真はシュトゥットガルト駅構内)
まずは荷物を預けたままのホテルに戻ってチェックインするため、S-BahrnでStadtmitte駅に移動。
部屋に入ってWiFiに接続しようとしてもこのホテル、ベッド付近ではつながりが悪く、ドア付近にもっていかないとつながりません。ドアの前に陣取り情報収集開始。キャセイのホームページの中をさまよったあげく、香港から日本(関空以外)への代替便を最寄りのカウンターで手配してくれることがわかりました。 -
(これもシュトゥットガルト駅構内)
航空券はキャセイから直接購入していないので、ネット上で代替便への変更ができません。こちらとしては対面で交渉できるほうがいいのですが、キャセイのどこに行くのがいいのかわかりません。
トランクから荷物を出し終えた女房は、深刻な思いで苦闘中の亭主の横でお腹すいたを繰り返すだけ。やれやれ、とにかくビールを飲むとするか! -
Stadtmitte駅近くのレストランPaulaner am alten Postplatz。写真はレストラン前のポスト広場の泉Postplatzbrunnen、ヴィルヘルム1世(ヴュルテンブルク王)のメダリオンが付いています....なんて眺めている気分じゃありません。
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ミュンヘンのビールを飲みながら、明日キャセイのカウンターのあるフランクフルト空港に行く決心をしました。結局一番確実な選択です。明日手配しなければ予定日に帰国できる便が満席になるかもしれません。
楽しみにしていた明日のヘッヒンゲン(ホーエンツォレルン城)とジグマリンゲンの観光を捨てるしかありません。残念! -
今夜は酔いもまわらないまま夜道をホテルに戻りました。この後、つながりの悪いWiFiで何とかフランクフルト空港駅までの切符をネット購入しました(余分な出費です)。
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さて日は変わって、翌朝のシュトゥットガルト駅です。
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7:51発のICEで出発、フランクフルト空港駅9:06着。
とにかく香港からの帰国便だけは確保しておかないと残りの観光が面白くありません。 -
フランクフルト空港のキャセイのチェックインカウンターです(カウンターが開く10:30まで待たされました)。
我々は大阪より西に住んでいますから、関空が使えないとなるとまずは福岡を希望、しかしながら満席でダメ。次の候補、名古屋もダメ。残るのは成田行きの便のみ、しかも予定日に戻れるのは香港から台湾を経由する便のみ。もう選択の余地はありません、これに決定。
しかし成田空港ってどこにあるの? 利用したことないよ(関東の人は笑うでしょうね)。 -
やれやれ何とか予定日に戻れる便がゲットできてひと安心。今日の予定だったホーエンツォレルン城を中止したのは残念ですが、このまま一日を終えるわけにはいきません。シュトゥットガルトに戻る途中にあるマンハイムを急遽観光することにしました。昨日からのネッカー川つながりということで旅を続けることに。
空港駅12:02発のS-Bahnに乗車、気分を観光モードに切り替えました。
(マンハイム)https://4travel.jp/travelogue/11560726
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