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バーリをでてからしばらくたちました。SP(県道)234を快調に走ります。森を抜けたとたん、2人同時に叫びました。「見えた!」11時の方向でした。すぐまた森に入り、見えなくなりました。その後道は谷に下り、丘に上がり、林を抜けると、今度は2時の方向。<br /><br />デル・デル・デールモーンテ♪♪とコマーシャル・ソングを歌っているうちに、満開の桜がぎっしり縦横に植えられた農園が過ぎて行きます。イタリアの桜は日本のよりピンクが濃いような。又々続くオリーブ畑。その整然たる緑の連なりは平和そのもの。<br />なだらかな緑が続いて、時々ポッポッとピンクが置かれて。そんなはずはないと思うけれど、その色の配り具合まで意識的にされたのではないかというほどの美しさ。<br />イタリア人は国民レベルで芸術家です。たとえば、その辺の安カフェでピザを食べるときでさえ、フォークとナイフ、紙ナプキンの置き方が、時には交差していたり、横に並べてあったり、工夫してあって、ほォーと思ったものですが、ここのお百姓さんだってすごいものです。<br />ここの土地がどういう土なのか分かりませんが、農地を広げるとき土中から石が出てくるらしいのです。その石を重ねてやがては塀を作るのですが、塀を作るまで石がたまっていない場合、我々ならそこいら辺に重ねるだけでしょう。それを幾何学模様に飾ってありました。<br />あー、その写真がない。残念です。機会があって、イタリアの田舎に行ったら、是非注目して下さい。<br />それにしても、町ですれ違う、Tシャツに入りきれない太鼓腹をつきだして歩いているおじさんがねー。やるもんです。人は見かけによらないのですよ。<br />By妻<br /><br />この旅行記を書くにあたり、参考にした資料は下記に列挙してあります。<br />フェデリーコ2世紀行-1 イエージ・誕生<br />https://4travel.jp/travelogue/11505518<br /><br />今回は特に「カステル・デル・モンテの発見」にお世話になりました。引用は「発見」といたします。<br /><br />なおこの旅行記はフェデリーコ2世の年代記風に並べたいと思います。4Travelではブログは旅行日順に並ぶので、表紙写真下に表示される訪問日と実際の訪問日は異なります。プーリア滞在は4月9日―14日です。

フェデリーコ2世紀行-13 カステル・デル・モンテ

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2019/04/18 - 2019/04/18

42位(同エリア285件中)

旅行記グループ フェデリーコ2世紀行2019

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しにあの旅人

しにあの旅人さん

バーリをでてからしばらくたちました。SP(県道)234を快調に走ります。森を抜けたとたん、2人同時に叫びました。「見えた!」11時の方向でした。すぐまた森に入り、見えなくなりました。その後道は谷に下り、丘に上がり、林を抜けると、今度は2時の方向。

デル・デル・デールモーンテ♪♪とコマーシャル・ソングを歌っているうちに、満開の桜がぎっしり縦横に植えられた農園が過ぎて行きます。イタリアの桜は日本のよりピンクが濃いような。又々続くオリーブ畑。その整然たる緑の連なりは平和そのもの。
なだらかな緑が続いて、時々ポッポッとピンクが置かれて。そんなはずはないと思うけれど、その色の配り具合まで意識的にされたのではないかというほどの美しさ。
イタリア人は国民レベルで芸術家です。たとえば、その辺の安カフェでピザを食べるときでさえ、フォークとナイフ、紙ナプキンの置き方が、時には交差していたり、横に並べてあったり、工夫してあって、ほォーと思ったものですが、ここのお百姓さんだってすごいものです。
ここの土地がどういう土なのか分かりませんが、農地を広げるとき土中から石が出てくるらしいのです。その石を重ねてやがては塀を作るのですが、塀を作るまで石がたまっていない場合、我々ならそこいら辺に重ねるだけでしょう。それを幾何学模様に飾ってありました。
あー、その写真がない。残念です。機会があって、イタリアの田舎に行ったら、是非注目して下さい。
それにしても、町ですれ違う、Tシャツに入りきれない太鼓腹をつきだして歩いているおじさんがねー。やるもんです。人は見かけによらないのですよ。
By妻

この旅行記を書くにあたり、参考にした資料は下記に列挙してあります。
フェデリーコ2世紀行-1 イエージ・誕生
https://4travel.jp/travelogue/11505518

今回は特に「カステル・デル・モンテの発見」にお世話になりました。引用は「発見」といたします。

なおこの旅行記はフェデリーコ2世の年代記風に並べたいと思います。4Travelではブログは旅行日順に並ぶので、表紙写真下に表示される訪問日と実際の訪問日は異なります。プーリア滞在は4月9日―14日です。

旅行の満足度
5.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
レンタカー
旅行の手配内容
個別手配

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  • まだまだ遠い。

    まだまだ遠い。

  • ズームしてみました。ブドウ畑の向こう、緑に覆われた丘の頂のカステル・デル・モンテです。<br />この方向から来ると、この城の全景をはっきり撮影できる初めてのポイントかもしれません。私たちの前にも車が1台停まっていました。<br />SP174を右に分岐してすぐ、城まで道なり約8キロです。

    ズームしてみました。ブドウ畑の向こう、緑に覆われた丘の頂のカステル・デル・モンテです。
    この方向から来ると、この城の全景をはっきり撮影できる初めてのポイントかもしれません。私たちの前にも車が1台停まっていました。
    SP174を右に分岐してすぐ、城まで道なり約8キロです。

  • 城のすぐ近くに駐車場があることは分かっていました。有料無料については諸説あり不明でしたが、行ってみました。<br />イタリアレストランの手前に駐車場はありました。レストランでなにか食べればとめてもいい。コーヒーでもいいそうです。<br />最後に残っていた駐車スペースに車を止めて、コーヒーを飲んできました。念のためレストランのシニョーラに車を置いてゆくよと伝えました。OKでした。<br /><br />「ここのトイレ変わっているわよ。まっ黒なの」と妻が言いました。電気がつかないのかと思いましたが、

    城のすぐ近くに駐車場があることは分かっていました。有料無料については諸説あり不明でしたが、行ってみました。
    イタリアレストランの手前に駐車場はありました。レストランでなにか食べればとめてもいい。コーヒーでもいいそうです。
    最後に残っていた駐車スペースに車を止めて、コーヒーを飲んできました。念のためレストランのシニョーラに車を置いてゆくよと伝えました。OKでした。

    「ここのトイレ変わっているわよ。まっ黒なの」と妻が言いました。電気がつかないのかと思いましたが、

  • たしかに。真っ黒な便器、手洗いというのは初めてです。オシャレですよね。<br /><br />ここから先トイレはないと書いてあるので、トイレ料金だと思って、レストランでコーヒーを頼みました。<br />「コーヒー下さい」「OK」と、シニョーレは無表情にドミタスと水をカウンターに置きました。<br />普通(普通って、何が普通か分からないですよね。イタリアではこれが普通なんだし)、コーヒーと水が一緒に出てきますかね。私、結構「私がルール」って、エカテリーナ女王ふうだから言いますが。<br />「なんなのよ、これ。第一コーヒーだってドミタスの底にへばりついているだけ?」ふふん、トイレの料金だってことか。世界の観光地はこれだから。<br />これがイタリアで本物、正真正銘のエクスプレッソを飲んだ最初でございました、はい。<br />「世界の観光地だから、ふん」って、ドミタスを口に運んだ瞬間、私はエカテリーナからマリー・アントワネットになり、そしてギロチンで処刑されてしまったのでした!<br />はい、水は必要です。コーヒーは、飲み物というより、エッセンスでした。このコーヒーを10倍薄めてイタリアのアメリカン。100倍でジャパニーズ(日本のアメリカン・コーヒーのこと)でした。<br />日本の常識、世界の非常識と申しますが、私の常識は音を立てて崩れてゆきました。<br /><br />私がコーヒーを飲んだとき、ちょっとショックを受けたのね。ゲホッて。上品な日本の奥様だから、ゲホッではなくて、小さくケホってな感じ。そしたらシニョーレがね、無表情なんだけど、片眉をちょっと上げました。無表情なんだけど、目が笑っていました。紳士ですな。<br />By妻

    たしかに。真っ黒な便器、手洗いというのは初めてです。オシャレですよね。

    ここから先トイレはないと書いてあるので、トイレ料金だと思って、レストランでコーヒーを頼みました。
    「コーヒー下さい」「OK」と、シニョーレは無表情にドミタスと水をカウンターに置きました。
    普通(普通って、何が普通か分からないですよね。イタリアではこれが普通なんだし)、コーヒーと水が一緒に出てきますかね。私、結構「私がルール」って、エカテリーナ女王ふうだから言いますが。
    「なんなのよ、これ。第一コーヒーだってドミタスの底にへばりついているだけ?」ふふん、トイレの料金だってことか。世界の観光地はこれだから。
    これがイタリアで本物、正真正銘のエクスプレッソを飲んだ最初でございました、はい。
    「世界の観光地だから、ふん」って、ドミタスを口に運んだ瞬間、私はエカテリーナからマリー・アントワネットになり、そしてギロチンで処刑されてしまったのでした!
    はい、水は必要です。コーヒーは、飲み物というより、エッセンスでした。このコーヒーを10倍薄めてイタリアのアメリカン。100倍でジャパニーズ(日本のアメリカン・コーヒーのこと)でした。
    日本の常識、世界の非常識と申しますが、私の常識は音を立てて崩れてゆきました。

    私がコーヒーを飲んだとき、ちょっとショックを受けたのね。ゲホッて。上品な日本の奥様だから、ゲホッではなくて、小さくケホってな感じ。そしたらシニョーレがね、無表情なんだけど、片眉をちょっと上げました。無表情なんだけど、目が笑っていました。紳士ですな。
    By妻

  • カステル・デル・モンテです。

    カステル・デル・モンテです。

  • いつこの城が完成したかは、正確な年は分かっていません。「発見」によれば、1241年には完成していたのは確実だそうです。

    いつこの城が完成したかは、正確な年は分かっていません。「発見」によれば、1241年には完成していたのは確実だそうです。

  • 戦さに備えた城でないことは間違いありません。矢狭間や石落としなど、城の防御施設が何もないからです。

    戦さに備えた城でないことは間違いありません。矢狭間や石落としなど、城の防御施設が何もないからです。

  • Wikipedia Commonsより。原図は城の外郭、広間の仕切りだけですが、著作権フリーで使用できます。<br />1階平面図。ローマ数字は部屋番号、数字は塔番号、赤線は通過できない壁、それ以外は部屋から部屋に通り抜け可能です。緑矢印は中庭への出入り口。裏口は閉鎖されています。これらは、「発見」本文と裏表紙のイラストをもとに、原図に追加しました。<br /><br />八つの広間と小塔があります。小塔は3,5,7が2階に通じる螺旋階段。<br />それ以外は小部屋です。WCと書いたのはバスルームとトイレで、3カ所あります。1と4は不明です。

    Wikipedia Commonsより。原図は城の外郭、広間の仕切りだけですが、著作権フリーで使用できます。
    1階平面図。ローマ数字は部屋番号、数字は塔番号、赤線は通過できない壁、それ以外は部屋から部屋に通り抜け可能です。緑矢印は中庭への出入り口。裏口は閉鎖されています。これらは、「発見」本文と裏表紙のイラストをもとに、原図に追加しました。

    八つの広間と小塔があります。小塔は3,5,7が2階に通じる螺旋階段。
    それ以外は小部屋です。WCと書いたのはバスルームとトイレで、3カ所あります。1と4は不明です。

  • Wikipedia Commonsより。原図は城の外郭、広間の仕切りだけですが、著作権フリーで使用できます。<br />2階平面図。ローマ数字は部屋番号、数字は塔番号、赤線は通過できない壁、それ以外は部屋から部屋に通り抜け可能です。これらは、「発見」本文と裏表紙のイラストをもとに、原図に追加しました。<br />この平面図は本来1階です。小塔へのアクセスを修正しました。<br /><br />1階と同じく、八つの広間と小塔があります。小塔は3,5,7が1階から上がってくる螺旋階段。5は屋上にまで通じています。現在は危険防止で上がれません。<br />それ以外は小部屋です。WCと書いたのはバスルームとトイレで、第6小塔に1カ所あります。1,2,4,8は不明。

    Wikipedia Commonsより。原図は城の外郭、広間の仕切りだけですが、著作権フリーで使用できます。
    2階平面図。ローマ数字は部屋番号、数字は塔番号、赤線は通過できない壁、それ以外は部屋から部屋に通り抜け可能です。これらは、「発見」本文と裏表紙のイラストをもとに、原図に追加しました。
    この平面図は本来1階です。小塔へのアクセスを修正しました。

    1階と同じく、八つの広間と小塔があります。小塔は3,5,7が1階から上がってくる螺旋階段。5は屋上にまで通じています。現在は危険防止で上がれません。
    それ以外は小部屋です。WCと書いたのはバスルームとトイレで、第6小塔に1カ所あります。1,2,4,8は不明。

  • 入口。真後ろに裏口があります。

    入口。真後ろに裏口があります。

  • 右から第7小塔、第8小塔。

    右から第7小塔、第8小塔。

  • 右から第2小塔、第1、第8,第7。これで半分。背後にあと4塔あります。

    右から第2小塔、第1、第8,第7。これで半分。背後にあと4塔あります。

  • Wikipedia Commonsより。著作権フリーで使用できます。撮影者はPaolo Montiさん。<br />カステル・デル・モンテが現在のような美しい白亜のお城に復元されたのは、そんなに古いことではありません。17世紀以降長い間放置され、内部、外部の建築資材は略奪され、崩壊寸前でした。1876年にやっとイタリア政府が買い取り、修復作業が行われました。現在のようなカステル・デル・モンテが公開されたのは、1983年です。<br />写真は1959年のお城です。外壁はまだ荒れ果てたままです。

    Wikipedia Commonsより。著作権フリーで使用できます。撮影者はPaolo Montiさん。
    カステル・デル・モンテが現在のような美しい白亜のお城に復元されたのは、そんなに古いことではありません。17世紀以降長い間放置され、内部、外部の建築資材は略奪され、崩壊寸前でした。1876年にやっとイタリア政府が買い取り、修復作業が行われました。現在のようなカステル・デル・モンテが公開されたのは、1983年です。
    写真は1959年のお城です。外壁はまだ荒れ果てたままです。

  • 内部に入ります。<br />1階の部屋をつなぐ通路。珊瑚色の角礫岩が貼られています。カルガーノ半島の採石場から運ばれたものだそうです。現在でも通路、窓、柱などに残っていますが、かつては壁の板材としても使用されていました。今は盗まれてむき出しの壁が残っています。

    内部に入ります。
    1階の部屋をつなぐ通路。珊瑚色の角礫岩が貼られています。カルガーノ半島の採石場から運ばれたものだそうです。現在でも通路、窓、柱などに残っていますが、かつては壁の板材としても使用されていました。今は盗まれてむき出しの壁が残っています。

  • 角礫岩の柱です。<br />パレルモのカテドラーレの王家の墓所に使われているのと同じ石材だそうです。

    角礫岩の柱です。
    パレルモのカテドラーレの王家の墓所に使われているのと同じ石材だそうです。

  • 2階の部屋には豪華な大理石の3連柱が残っていました。

    2階の部屋には豪華な大理石の3連柱が残っていました。

  • これらは大変高価で、オリエントから輸入されたものです。壁や天井にはマヨルカのモザイク小片などを使ったモザイク細工があり、パレルモのアラブ・ノルマン様式と同系統の室内装飾だったようです。それらの装飾はほとんど全て取り去れてしまいました。

    これらは大変高価で、オリエントから輸入されたものです。壁や天井にはマヨルカのモザイク小片などを使ったモザイク細工があり、パレルモのアラブ・ノルマン様式と同系統の室内装飾だったようです。それらの装飾はほとんど全て取り去れてしまいました。

  • 16の広間のうち5つには暖炉があります。かつては半円錐の暖炉カバーが天井から床まで覆っていました。これは2階ですから、暖炉カバーは大理石でした。1階は角礫岩が貼られていました。

    16の広間のうち5つには暖炉があります。かつては半円錐の暖炉カバーが天井から床まで覆っていました。これは2階ですから、暖炉カバーは大理石でした。1階は角礫岩が貼られていました。

  • 煙突が残っています。

    煙突が残っています。

  • 2階第3広間の暖炉です。カバーの上部が一部残っています。<br />暖炉は暖房だけではなく、料理に使われていました。暖炉両側のくぼみには、棚があって、香辛料や料理の材料が収納されていたそうです。<br /><br />フェデリーコ2世は自分で料理をしたか。<br />後述しますが、この城は彼自身の個人的な趣味の場として造られたと、私たちは考えています。おそらく2階に暮らすのは彼1人か、ときには彼が愛する人、たとえばビアンカ・ランチアと2人だけ。<br />彼が鷹狩りで獲ってきたジビエを、2人で焼いて食べたというのはいかがでしょう。貴族のお姫様で育ったビアンカ・ランチアが鳥のロチを焼けるはずがない。戦陣で山野を跋渉している彼の出番です。<br />「あなた、これ食べられるの? 下からだれかよびましょうよ」とビアンカ・ランチア。<br />「おまえなあ、千軍万馬往来のみぎり、あれが食えぬこれが食えぬで戦さはできないよ」とフェデリーコ2世。海から遠いので、サンマは無理かな。目黒はもっと遠いし。

    2階第3広間の暖炉です。カバーの上部が一部残っています。
    暖炉は暖房だけではなく、料理に使われていました。暖炉両側のくぼみには、棚があって、香辛料や料理の材料が収納されていたそうです。

    フェデリーコ2世は自分で料理をしたか。
    後述しますが、この城は彼自身の個人的な趣味の場として造られたと、私たちは考えています。おそらく2階に暮らすのは彼1人か、ときには彼が愛する人、たとえばビアンカ・ランチアと2人だけ。
    彼が鷹狩りで獲ってきたジビエを、2人で焼いて食べたというのはいかがでしょう。貴族のお姫様で育ったビアンカ・ランチアが鳥のロチを焼けるはずがない。戦陣で山野を跋渉している彼の出番です。
    「あなた、これ食べられるの? 下からだれかよびましょうよ」とビアンカ・ランチア。
    「おまえなあ、千軍万馬往来のみぎり、あれが食えぬこれが食えぬで戦さはできないよ」とフェデリーコ2世。海から遠いので、サンマは無理かな。目黒はもっと遠いし。

  • 2階の広間には、中庭に向かって3室、外部に向かって7室にこのような2連の窓があります。第7広間だけは3連の窓です。

    2階の広間には、中庭に向かって3室、外部に向かって7室にこのような2連の窓があります。第7広間だけは3連の窓です。

  • 8つの小塔のうち、3,5,7が1階と2階を結ぶ昇降階段です。第5小塔で屋上まで登れます。

    8つの小塔のうち、3,5,7が1階と2階を結ぶ昇降階段です。第5小塔で屋上まで登れます。

  • Wikipedia Commonsより。著作権フリーで使用できます。撮影者はSailkoさん。<br />階段は螺旋階段で、幅は1メートルちょっとでしょう。ここでもこの城が軍事目的ではないことが分かります。日本でも城の廊下は1間廊下、鎧を着た武者がすれ違うには最低1間(1.8メートル)いるのです。この螺旋階段では武装した兵士どころか、観光客がすれ違うこともできません。<br /><br />階段がない5つの小塔には雨水の貯水槽が備えられ、中庭にある岩盤を彫った貯水槽に流れ込む仕組みになっていました。

    Wikipedia Commonsより。著作権フリーで使用できます。撮影者はSailkoさん。
    階段は螺旋階段で、幅は1メートルちょっとでしょう。ここでもこの城が軍事目的ではないことが分かります。日本でも城の廊下は1間廊下、鎧を着た武者がすれ違うには最低1間(1.8メートル)いるのです。この螺旋階段では武装した兵士どころか、観光客がすれ違うこともできません。

    階段がない5つの小塔には雨水の貯水槽が備えられ、中庭にある岩盤を彫った貯水槽に流れ込む仕組みになっていました。

  • Wikipedia Commonsより。著作権フリーで使用できます。撮影者はSailkoさん。次の写真も同じ。<br /><br />この5カ所の小塔内にはトイレとバスルームがあります。1階は第2、6、8小塔。2階は第6小塔。最後の1つは不明でした。

    Wikipedia Commonsより。著作権フリーで使用できます。撮影者はSailkoさん。次の写真も同じ。

    この5カ所の小塔内にはトイレとバスルームがあります。1階は第2、6、8小塔。2階は第6小塔。最後の1つは不明でした。

  • フェデリーコ2世は身体の衛生面に非常に気を使っており、彼がゼロから建てたこの城では、それがはっきり見て取れます。<br />この城にはバスルーム・トイレが5カ所ある、というより5カ所しかないということが、彼が考えたこの城の使い道を物語っている、と私たちは思います。後述します。

    フェデリーコ2世は身体の衛生面に非常に気を使っており、彼がゼロから建てたこの城では、それがはっきり見て取れます。
    この城にはバスルーム・トイレが5カ所ある、というより5カ所しかないということが、彼が考えたこの城の使い道を物語っている、と私たちは思います。後述します。

  • 中庭に出てきました。

    中庭に出てきました。

  • 第7広間への入口です。珊瑚色の角礫岩です。

    第7広間への入口です。珊瑚色の角礫岩です。

  • 有名な中庭から見上げる8角形の空。網が張ってありました。一部が破れておりました。

    有名な中庭から見上げる8角形の空。網が張ってありました。一部が破れておりました。

  • 中庭から内壁をぐるっと回ってみます。

    中庭から内壁をぐるっと回ってみます。

  • かつては中庭の2階のフランス窓の下に木製の通路があり、窓がある3部屋へ入ることができました。

    かつては中庭の2階のフランス窓の下に木製の通路があり、窓がある3部屋へ入ることができました。

  • 窓の下の窪みが支柱を支える穴だそうです。<br />後から付け加えたのではないかな。そんな通路があったら、中庭から見上げる8角形の空が台無しです。フェデリーコ2世の美意識からすると考えられない。<br />彼の王朝が滅びた後この城を引き継いだシチリアのアラゴン王朝、スペイン王家、アンドリア公爵カラファ家の誰かの仕業と、私たちは想像します。<br />とくにこのカラファ家というのが、17世紀以降この城を荒廃させた張本人だそうです。城に愛情もなく、便利ならいいやというなら、たしかに通路があったほうがいい。<br />1876年、イタリア政府が買い取ったのはこのアンドリア公爵カラファ家。25000リラというタダみたいなお値段でした。荒れ放題、持て余していたのですね。<br />25000リラというのは、1999年のユーロ切り替えの直前で、14.3米ドルです。1876年のレートはわかりませんが、仮にリラが10倍強かったとしても150ドル程度です。

    窓の下の窪みが支柱を支える穴だそうです。
    後から付け加えたのではないかな。そんな通路があったら、中庭から見上げる8角形の空が台無しです。フェデリーコ2世の美意識からすると考えられない。
    彼の王朝が滅びた後この城を引き継いだシチリアのアラゴン王朝、スペイン王家、アンドリア公爵カラファ家の誰かの仕業と、私たちは想像します。
    とくにこのカラファ家というのが、17世紀以降この城を荒廃させた張本人だそうです。城に愛情もなく、便利ならいいやというなら、たしかに通路があったほうがいい。
    1876年、イタリア政府が買い取ったのはこのアンドリア公爵カラファ家。25000リラというタダみたいなお値段でした。荒れ放題、持て余していたのですね。
    25000リラというのは、1999年のユーロ切り替えの直前で、14.3米ドルです。1876年のレートはわかりませんが、仮にリラが10倍強かったとしても150ドル程度です。

  • 再び外に出ます。

    再び外に出ます。

  • 外壁2連フランス窓。

    外壁2連フランス窓。

  • 2階第7広間外壁には唯一の3連窓があります。<br />「発見」によれば、この窓からはアンドレアの町が見えるとなっている。

    2階第7広間外壁には唯一の3連窓があります。
    「発見」によれば、この窓からはアンドレアの町が見えるとなっている。

  • カステル・デル・モンテの真北。直線で15キロです。この景色のどこかにあるのでしょう。<br />アンドレアはフェデリーコ2世に忠誠を尽くし、かれが大好きな町でした。この町のカテドラーレに、彼の2番目の正妻ヨランダ・ブリエンヌ、3番目の正妻イザベッラ・アングリテッラが眠っています。<br />だから唯一の3連窓を造って亡き妻を偲んだ、というのは考えすぎです。<br />ヨランダ・ブリエンヌは1228年に死んでいますが、フェデリーコ2世がそうまでしてこの幼妻を愛おしんだか、疑問です。<br />イザベッラ・アングリテッラは、彼好みの才媛かつ美女といわれていますが、死んだのは1241年、カステル・デル・モンテの完成後です。<br />「発見」がいうように、北向きのこの広間をなるべく明るくしようというのが、妥当なところではないでしょうか。<br />ただ、

    カステル・デル・モンテの真北。直線で15キロです。この景色のどこかにあるのでしょう。
    アンドレアはフェデリーコ2世に忠誠を尽くし、かれが大好きな町でした。この町のカテドラーレに、彼の2番目の正妻ヨランダ・ブリエンヌ、3番目の正妻イザベッラ・アングリテッラが眠っています。
    だから唯一の3連窓を造って亡き妻を偲んだ、というのは考えすぎです。
    ヨランダ・ブリエンヌは1228年に死んでいますが、フェデリーコ2世がそうまでしてこの幼妻を愛おしんだか、疑問です。
    イザベッラ・アングリテッラは、彼好みの才媛かつ美女といわれていますが、死んだのは1241年、カステル・デル・モンテの完成後です。
    「発見」がいうように、北向きのこの広間をなるべく明るくしようというのが、妥当なところではないでしょうか。
    ただ、

  • この方向には海が見えます。海沿いの町は多分バルレッタかトラーニ、その向こうは、アドリア海です。フェデリーコ2世は海を見たかったのではないでしょうか。直線約20キロです。<br />もし海沿いの町がバルレッタならば、手前はアンドリアです。<br /><br />この美しいカステル・デル・モンテも、陰惨な歴史を秘めております。<br />フェデリーコ2世の死後、息子マンフレディは1266年に戦死しました。妻エレナ・コムネノと子供五人はアンジェ家シャルル1世にトラーニの城で捕らわれました。<br />男子4人のうち3人は、母と引き離されて、この城に幽閉されました。長男フェデリーコ7才、次男エンリコ4才、三男エンツォ1才。フェデリーコ2世の孫です。<br />塩野によれば、この城で30年の囚人の生涯を送ったといわれております。その後ナポリの牢獄に移されます。幸いなことに1人は移動中にイギリスに逃れました。<br />しかしウイキペディアフランス語版によれば、もっと悲惨な生涯を彼らは送ったとされています。「盲目にされる」とは焼いた鉄の棒を目に刺され盲目にされることを意味します。<br />フェデリーコ:盲目にされ、この城に幽閉。最後の生存確認1312年。<br />エンリコ:盲目にされ、この城に幽閉。1318年没。<br />エンツォ:盲目にされ、この城に幽閉。1301年没。<br />なお四男フロルデリス(0才)は、ナポリの卵城に幽閉され、その後釈放。最後の生存確認1297年。<br />カントーロヴィチによれば、「なかば餓死するごとく、乞食のように落ちぶれ、精神錯乱に陥り、『毒で膨れあがった蝮の子ら』、マンフレートの息子たちは一人また一人と40年間の牢獄生活の末に死んでいった-または野垂れ死にしていった」<br />『毒で膨れあがった蝮の子ら』という悪意に満ちた表現はどこからの引用か、カントーロヴィチは明記していません。おそらく彼らにとって、だれがどういう意味で言ったか明白な言葉なのでしょう。<br />カステル・デル・モンテの案内係に、この城のどこに彼らは幽閉されていたか聞いてみました。「分からない」<br />流暢なフランス語を話す案内係は、私には心なしか、悲しそうに答えました。<br />幼い子供の目に鉄の棒を刺し盲目にし、石の城に数十年幽閉する。それをアンジェ家に命じたのはローマ法王です。この時代の法王にキリストの慈悲の心を期待する方がまちがいでしょう。<br /><br />こういうむごさ。肉食獣だなあ。<br />そして反射的に頭に浮かぶのは、平氏一族の壇ノ浦での滅亡です。平清盛の生涯はフェデリーコ2世によく似ています。二人とも国際的であったこと、時代のはざまに生きたこと。旧時代の中で繁栄したこと。そして彼らにとって、触れることのできない権威、ローマ法王、後白河法皇があったこと。彼らの繁栄は一代で終わり、彼らの死後すぐに子孫は没落してしまったこと。まるで「七人の侍」と「荒野の七人」みたいに同じシナリオのようです。<br />けれど、壇ノ浦で一族うちそろって「波の底にも都の候ふぞ」と沈んだ悲劇と、何十年もの間ネコに捕らわれたネズミのようにいたぶられ続けて、徐々に人としての尊厳も名誉も誇りも奪われて殺されていくむごさと。表現はあまりにも違います。<br />野菜を食べて命をつないだ民族と、食べるということが悲鳴と流血に結びついている民族とは、同じ脚本でも味付けはこうもちがうのでしょうか。<br />我々野菜食い民族には、どうもいっそひと思いに殺して楽にしてくれという考えがあるようです。<br />このエピソードはそういう私たちには辛すぎます。<br />けれど、今我々の前のカステル・デル・モンテは、柔らかな日射しに包まれる暖かく静かな春でした。<br />By妻<br /><br /><br />☆☆☆<br /><br />フェデリーコ2世のカステル・デル・モンテ築城の目的はなにか。古くから諸説あります。<br />一番あり得るのは塩野説。<br />フェデリーコ2世いわく。諸々のアイデアをすべて投げ込んだらできちゃった。「さて、これを何に使うか」<br /><br />私たちも参戦。<br /><br />以下を前提とします。<br />☆大人数の滞在を目的としたものではない。<br />衛生をきわめて重視したフェデリーコ2世の城にしてはバスルーム・トイレが5部屋とすくない。また厨房設備が城内にありません。<br />☆2階がフェデリーコ2世の居住区画である。部屋の作りが豪華だからです。1階は、護衛、必要最小限の召使い用居住区。<br />☆フェデリーコ2世は合理的で、彼の思考の道筋はわれわれ現代人と同じ。「王座に座った最初の近代人」と言われますが、なにも王座に座っていなくても要するに近代人なのです。<br /><br />以上からフェデリーコ2世の目的を想像してみました。<br />妻の出番です。<br /><br />レストランから徒歩で坂道を上がって行きます。庭には三色スミレと並んでイリスが咲いていました。暖かで、風もつよくないのでしょう。<br />今も十分美しいお城でした。復元されてまだ新しい。ちょっと新しすぎかな。<br />でもコーヒーで処刑されたとはいえアントワネットの私としては、「おう、ようやくできたか、楽しみにしておったぞ。早速中を見せてくれい!」とかの気分です。ワクワクしながら入ります。<br />この城はなんの為に作られたかナゾだそうです。戦闘には不向きだし、政治を行うには多数の人間が出入りできないつくりだし。<br />大きな建物なのに、トイレはわずか5カ所。日本だってちょっと大きめの家ならトイレは2カ所あります。それ以上の部屋が16もある。<br />階段は狭くて人がすれ違うのも大変そう。<br /><br />あら、そうかしら? ナゾなんかじゃないでしょう。自分のおうちだったんでしょ?趣味のおうち。<br />フェデリーコ2世は趣味が多いし、お金だって権力だってあるんだから、欲しかったらいくらでも手に入るんじゃないかしら。いいわねー。<br />でもね、物は場所を取るのよ。で、宰相あたりに、いやみったらしく「陛下、また新しくお買いあそばしたのですか?我らが座る場所がなくなりましたが」なんて言われて、整理しなさいよ。とか。断捨離とかね。云われて「分かった、分かった」って造ったのが、カステル・デル・モンテ。<br />2階は全部ローマの歴史の部屋、鷹の部屋、これは狩の部屋と鳥の生態研究室と別ね。アラブの部屋とか。バチカン対策室とか。<br />子供たちも数多いから一人一人の記録がある部屋。とするとその母親についての部屋とかね。ファイルなんかしちゃって。もしかしたら、恋人の数だけ秘書がいたのかもね。<br /><br />2階の一番見晴らしのいい部屋は私ならお風呂にします。露天風呂風。夜なんて星がきれいじゃないかな。ゆっくり、のんびり。風呂上がりの一杯はあの時代何だったのだろう。<br />そして愛鷹のハナコ(あ、そんななまえつけないか!)を腕に庭をゆっくり。「今日はよくやったナ、ハナコ。あれはなかなか手強かったナ」と頭をなでなでしながら散歩したんじゃないかな。(ハナコにしちゃったけれど、他に思いつかないし)<br /><br />それがフェデリーコ2世のリフレッシュの仕方。我々なら温泉行きですか。どうです。<br />好きな物に囲まれて、好きなことをして。<br />こうでなくては皇帝なんてやってられないわよ。<br />・・・と、フェデリーコ2世が幸せをかみしめるときが本当にあったらよかったな。と、思うサラリーマンの妻でした。<br />By妻<br /><br />鷹って、ネコみたいなもんなの? タマのがよくない?<br />By夫<br />

    この方向には海が見えます。海沿いの町は多分バルレッタかトラーニ、その向こうは、アドリア海です。フェデリーコ2世は海を見たかったのではないでしょうか。直線約20キロです。
    もし海沿いの町がバルレッタならば、手前はアンドリアです。

    この美しいカステル・デル・モンテも、陰惨な歴史を秘めております。
    フェデリーコ2世の死後、息子マンフレディは1266年に戦死しました。妻エレナ・コムネノと子供五人はアンジェ家シャルル1世にトラーニの城で捕らわれました。
    男子4人のうち3人は、母と引き離されて、この城に幽閉されました。長男フェデリーコ7才、次男エンリコ4才、三男エンツォ1才。フェデリーコ2世の孫です。
    塩野によれば、この城で30年の囚人の生涯を送ったといわれております。その後ナポリの牢獄に移されます。幸いなことに1人は移動中にイギリスに逃れました。
    しかしウイキペディアフランス語版によれば、もっと悲惨な生涯を彼らは送ったとされています。「盲目にされる」とは焼いた鉄の棒を目に刺され盲目にされることを意味します。
    フェデリーコ:盲目にされ、この城に幽閉。最後の生存確認1312年。
    エンリコ:盲目にされ、この城に幽閉。1318年没。
    エンツォ:盲目にされ、この城に幽閉。1301年没。
    なお四男フロルデリス(0才)は、ナポリの卵城に幽閉され、その後釈放。最後の生存確認1297年。
    カントーロヴィチによれば、「なかば餓死するごとく、乞食のように落ちぶれ、精神錯乱に陥り、『毒で膨れあがった蝮の子ら』、マンフレートの息子たちは一人また一人と40年間の牢獄生活の末に死んでいった-または野垂れ死にしていった」
    『毒で膨れあがった蝮の子ら』という悪意に満ちた表現はどこからの引用か、カントーロヴィチは明記していません。おそらく彼らにとって、だれがどういう意味で言ったか明白な言葉なのでしょう。
    カステル・デル・モンテの案内係に、この城のどこに彼らは幽閉されていたか聞いてみました。「分からない」
    流暢なフランス語を話す案内係は、私には心なしか、悲しそうに答えました。
    幼い子供の目に鉄の棒を刺し盲目にし、石の城に数十年幽閉する。それをアンジェ家に命じたのはローマ法王です。この時代の法王にキリストの慈悲の心を期待する方がまちがいでしょう。

    こういうむごさ。肉食獣だなあ。
    そして反射的に頭に浮かぶのは、平氏一族の壇ノ浦での滅亡です。平清盛の生涯はフェデリーコ2世によく似ています。二人とも国際的であったこと、時代のはざまに生きたこと。旧時代の中で繁栄したこと。そして彼らにとって、触れることのできない権威、ローマ法王、後白河法皇があったこと。彼らの繁栄は一代で終わり、彼らの死後すぐに子孫は没落してしまったこと。まるで「七人の侍」と「荒野の七人」みたいに同じシナリオのようです。
    けれど、壇ノ浦で一族うちそろって「波の底にも都の候ふぞ」と沈んだ悲劇と、何十年もの間ネコに捕らわれたネズミのようにいたぶられ続けて、徐々に人としての尊厳も名誉も誇りも奪われて殺されていくむごさと。表現はあまりにも違います。
    野菜を食べて命をつないだ民族と、食べるということが悲鳴と流血に結びついている民族とは、同じ脚本でも味付けはこうもちがうのでしょうか。
    我々野菜食い民族には、どうもいっそひと思いに殺して楽にしてくれという考えがあるようです。
    このエピソードはそういう私たちには辛すぎます。
    けれど、今我々の前のカステル・デル・モンテは、柔らかな日射しに包まれる暖かく静かな春でした。
    By妻


    ☆☆☆

    フェデリーコ2世のカステル・デル・モンテ築城の目的はなにか。古くから諸説あります。
    一番あり得るのは塩野説。
    フェデリーコ2世いわく。諸々のアイデアをすべて投げ込んだらできちゃった。「さて、これを何に使うか」

    私たちも参戦。

    以下を前提とします。
    ☆大人数の滞在を目的としたものではない。
    衛生をきわめて重視したフェデリーコ2世の城にしてはバスルーム・トイレが5部屋とすくない。また厨房設備が城内にありません。
    ☆2階がフェデリーコ2世の居住区画である。部屋の作りが豪華だからです。1階は、護衛、必要最小限の召使い用居住区。
    ☆フェデリーコ2世は合理的で、彼の思考の道筋はわれわれ現代人と同じ。「王座に座った最初の近代人」と言われますが、なにも王座に座っていなくても要するに近代人なのです。

    以上からフェデリーコ2世の目的を想像してみました。
    妻の出番です。

    レストランから徒歩で坂道を上がって行きます。庭には三色スミレと並んでイリスが咲いていました。暖かで、風もつよくないのでしょう。
    今も十分美しいお城でした。復元されてまだ新しい。ちょっと新しすぎかな。
    でもコーヒーで処刑されたとはいえアントワネットの私としては、「おう、ようやくできたか、楽しみにしておったぞ。早速中を見せてくれい!」とかの気分です。ワクワクしながら入ります。
    この城はなんの為に作られたかナゾだそうです。戦闘には不向きだし、政治を行うには多数の人間が出入りできないつくりだし。
    大きな建物なのに、トイレはわずか5カ所。日本だってちょっと大きめの家ならトイレは2カ所あります。それ以上の部屋が16もある。
    階段は狭くて人がすれ違うのも大変そう。

    あら、そうかしら? ナゾなんかじゃないでしょう。自分のおうちだったんでしょ?趣味のおうち。
    フェデリーコ2世は趣味が多いし、お金だって権力だってあるんだから、欲しかったらいくらでも手に入るんじゃないかしら。いいわねー。
    でもね、物は場所を取るのよ。で、宰相あたりに、いやみったらしく「陛下、また新しくお買いあそばしたのですか?我らが座る場所がなくなりましたが」なんて言われて、整理しなさいよ。とか。断捨離とかね。云われて「分かった、分かった」って造ったのが、カステル・デル・モンテ。
    2階は全部ローマの歴史の部屋、鷹の部屋、これは狩の部屋と鳥の生態研究室と別ね。アラブの部屋とか。バチカン対策室とか。
    子供たちも数多いから一人一人の記録がある部屋。とするとその母親についての部屋とかね。ファイルなんかしちゃって。もしかしたら、恋人の数だけ秘書がいたのかもね。

    2階の一番見晴らしのいい部屋は私ならお風呂にします。露天風呂風。夜なんて星がきれいじゃないかな。ゆっくり、のんびり。風呂上がりの一杯はあの時代何だったのだろう。
    そして愛鷹のハナコ(あ、そんななまえつけないか!)を腕に庭をゆっくり。「今日はよくやったナ、ハナコ。あれはなかなか手強かったナ」と頭をなでなでしながら散歩したんじゃないかな。(ハナコにしちゃったけれど、他に思いつかないし)

    それがフェデリーコ2世のリフレッシュの仕方。我々なら温泉行きですか。どうです。
    好きな物に囲まれて、好きなことをして。
    こうでなくては皇帝なんてやってられないわよ。
    ・・・と、フェデリーコ2世が幸せをかみしめるときが本当にあったらよかったな。と、思うサラリーマンの妻でした。
    By妻

    鷹って、ネコみたいなもんなの? タマのがよくない?
    By夫

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