2019/04/06 - 2019/04/06
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しにあの旅人さん
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1194年12月26日、イエージのカテドラーレ前の広場には大きなテントが張られておりました。その中で、神聖ローマ帝国皇后コスタンツァは、いままさに出産を迎えようとしております。
テントの中では町の名士夫人が出産を見まもり、その周囲を町の有力者が取り囲み、広場は住民で埋め尽くされておりました。
更新記録(2019年6月23日)引用元追加。コスタンツアが皇帝とイタリアに旅立つ日の明記。(2019年7月25日)引用元追加
(2019年9月6日)引用元追加
(2019年10月29日)カステル・デル・モンテ引用元追加
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
誕生です!
(影絵はイエージのフェデリーコ2世博物館) -
母親は息子に「コスタンティーノ」とよびかけました。のちの神聖ローマ帝国皇帝にしてシチリア国王フェデリーコ2世の誕生です。(下記カントーロヴィチによれば洗礼前の幼名はコスタンティーノ)
王冠をいただいたコスタンツァは、赤ちゃんを女官長コンラッド夫人、町の有力者夫人に見せています。宣言したのです。「ご覧いただきましたね、この子は間違いなく私が産みました」
(13世紀ミニチュア画。博物館パネルより) -
テントの内外で歓声が上がり、カテドラーレ・サン・セッティーモ(Cattedrale San Settimio)の鐘が高々と鳴り響きます。
(原画は14世紀の作品でイエージ・コロッキー(Colocci)美術館。博物館パネルより)
なぜコスタンツァは人々の見守る中で出産したのか。
彼女は40才でした。皇帝ハインリッヒ6世と結婚したのは8年前、初めての妊娠でした。
1194年5月12日、ハインリッヒ6世とともにシチリアにむけ旅立ちます。途中妊娠が分かりました。(ドイツ史西川)夫はシチリアに先行し、彼女は別途ピアチェンツァ(Piacneza)からイエージに着きました。(博物館パネル)
ピアチェンツァはミラノの南西直線で約60キロ、イエージまでは直線約330キロです。
医学がはるかに発達した現代でも、40才の初産は要注意です。ですから本当に無事に生まれるのか、他所の赤ん坊と取りかえたりしないか、このお産に立ち会った人もいない人も、興味津々だったことでしょう。
そしてなにより、この日の産婦はシチリア王国の女王で、父親は神聖ローマ帝国皇帝です。産まれてくる赤ん坊はその王位継承者なのです。
この赤ん坊が産まれてくることを喜ぶものばかりではないことはもちろんです。
コスタンツァはいつから考えていたのでしょう。大きなお腹を抱えての旅の途中、産まれてくる赤ん坊を守る方法を考え続けたに違いありません。そして彼女の子ではないという風評がたつのを、あらかじめ完全に防ぐために、公開出産をしたのです。
コスタンツァという女性がいかなる人間であったか、このことだけでも十分に理解できます。
この旅行記を書くにあたり、下記を参考にしました。
☆塩野七生「皇帝フリードリッヒ二世の生涯」(新潮社電子ブック版)引用時は僭越ながら敬称を略させていただき「塩野」とします。
☆エルンスト・H・カントーロヴィチ・小林公訳「皇帝フリードリッヒ二世」(中央公論社)引用は「カントーロヴィチ」
☆ニックネームliturgia「アッシジのフランシスコ その政治的及び社会的歴史(2)」
(https://liturgia.exblog.jp/7693726/)
引用は「liturgia」
☆イエージのフェデリーコ2世博物館説明パネル。引用は「博物館パネル」
☆藤沢道朗「物語イタリアの歴史」(中公新書)引用は「藤沢」
☆菊池良生「神聖ローマ帝国」(講談社現代新書電子ブック版)引用は「菊池」
☆小森谷慶子「シチリア歴史紀行」(白水Uブックス電子ブック版)引用は「小森谷」
☆山田欣吾編「ドイツ史1―先史~1648年」(山川出版社)第5章「初期シュタウフェン朝」第6章「後期シュタウフェン朝」(この章は西川洋一)引用は「ドイツ史西川」
☆高山博「中世シチリア王国」(講談社現代新書)引用は「高山」
☆Arnone Editore s.r.l「 Palerme et Monreale」引用は「 Palerme et Monreale」
☆Arnone Editore s.r.l「La Chapelle Paiantine et le Palais Royal」引用は「La Chapelle Paiantine et le Palais Royal」
☆AR.CO. s.r.l「La Aisa et La Cuba」引用は「La Aisa et La Cuba」
☆Michela Tocci「Girovagando in Puglia」博江豊(ひろえ・ゆたか)訳「カステル・デル・モンテの発見」
☆「CITTA’ DI TORREMAGGIORE CENTRO ATTIVITA’ CULTURALI
Settore Cultura “DON TOMMASO LECCISOTTI”」
http://www.corteostorico.it/fiorentino.htm
フランス語への機械翻訳を参照。
☆「CASTEL FIORENTINO」
http://www.darapri.it/museodiocesano/casfelfiorentino/castelfiorentino.htm
フランス語への機械翻訳を参照。
この旅行記はフェデリーコ2世の年代記風に並べたいと思います。4Travelではブログは旅行日順に並ぶので、表紙写真下に表示される訪問日と実際の訪問日は異なります。イエージは4月7日が実際の訪問日です。 -
イエージ(Jesi)はイタリア中部の小都市、ローマの北約190キロ、アドリア海に面するアンコーナまで25キロほどです。
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2019年4月7日、私たちはこの町のフェデリーコ2世広場におりました。まさに彼の出生の場所です。
絵のテントは、中央オベリスクの左側です。オベリスクは、当時はありません。左右の建物も位置が違います。 -
現在のカテドラーレ・サン・セッティーモ(Cattedrale San Settimio)は、18世紀の再建、ファッサードは19世紀です。
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当時はミラノの大聖堂を小さくしたような、ゴシック様式の建物だったのです。
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テントはこの位置と思われます。825年前、ここで「世界の驚異」(Stupor Mundi)とも、「反キリスト」ともよばれたフェデリーコ2世が、その驚くべき人生を歩み始めたのです。
彼が考えた法治主義は、その原則に於いて現代のそれと同じです。18世紀後半の、プロイセンのフリードリッヒ2世、ロシアのエカテリーナ女帝など、いわゆる啓蒙先制君主に先立つこと500年、上からの国の近代化を図った天才です。イタリアは天才が生まれる国だと言われます。それにしても、前後の脈略なくいきなり現れ、その死後その理想のすべてが消え去ってしまったというのは、天才を通り越して、まさに「驚異」そのものです。700年早すぎたのです。
広場には、彼の功績を称えるものが三つありました。 -
広場南西の角、建物に打ちつけられた碑文です。
-
「ホーエンシュタウヘン家のフェデリーコ2世
神聖ローマ帝国皇帝、ローマ王、イタリア王、ジェルマニア王、シチリア王、エルサレム王、アルル王
なによりも平和の人
誇りを持って
イエージ市はこれをここに設置した」 -
教会前より。オベリスクの左に白い線が見えます。
-
直線に伸びている敷石です。
「IN QUESTA PIAZZA NASCE IL 26 DIC 1194 L’IMPERRATORE FEDERICO II DI SVEVIA」
「この広場で、1194年12月26日、Svevia(ホーエンシュタウヘン王家)のフェデリーコ2世生まれる」という文章が繰り返し刻まれています。文頭の絵は、彼がテントで生まれたことを表してしています。 -
フェデリーコ2世博物館(Museum Federico II)
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前庭の銅像。
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ちょっと私たちがイメージしたフェデリーコ2世とは違います。重厚すぎます。彼は中肉中背で非常に敏捷だったといいます。右を向いて左を向いたらもういない、もっともっと軽快な人物ではなかったかと。
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入館して第1室は、出生を物語る影絵です。人物は等身大。無料の英語のイヤホンガイドがありました。
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館内では、その生涯が、多くのパネルや、オーディオビジュアルで綴られておりました。
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中世のミニチュア画ですが、何となくマンガみたいです。
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ほぼ同時代の絵を再構成しています。
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これは、彼が少年期を過ごしたパレルモのジッザ(Ziza)です。後日私たちも訪れます。
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なによりもパネルの説明や写真が貴重で、ほかでは得られなかった情報が多くありました。幸いなことに、イタリア語と英語でした。
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15世紀の絵に残るイエージ。12世紀の面影を伝えています。今に残るイタリア中世の町の絵は、ほぼこのようなものです。畑や牧場のなかにいきなり城壁が立ち上がり、城や教会の塔がそびえます。
来館者は私たち2人だけでした。全館を独占し、またキュレーターの方ともゆっくり話せました。 -
広場の周りにはこうした古い道が迷路のように続いています。
-
「DC1世紀前半のローマ劇場跡」と説明板がありました。イエージでも最も古い地域です。12世紀でもこのような町並みだったでしょう。
-
赤ちゃんの誕生ほど人々が無条件で喜ぶことはありません。
出産の準備に町の女たちは、長いスカートの裾をひらめかせながらこの路地を駆け巡ったことでしょう。男たちは何をしていいか分からずに、かみさんのあとをついて回るだけ。
「シーツが足らないそうよ、家から持ってこよう」などということもあったかもしれません。旅先での急な出産です。神聖ローマ帝国皇后といえども、準備万端というわけにはいかなかったでしょう。
もともと、出産の地に選ばれるほど、この町は皇帝に忠実な町でした。コスタンツァは1186年11月から12月にかけて数週間、夫と共にこの町に滞在しています。知っている町だったのです。(博物館パネル) -
「生まれた!」と聞いて人々が路地から路地に走り、
-
町中の人がこの路地から広場に駆け上がってきたことでしょう。
なぜ皇后は旅先で出産したのか、そしてその後の赤ちゃんのゆくえについては、次回辿ることにします。
☆☆☆
私たちはアッシジ(Assisi)から列車でイエージにつきました。
ホテルはネットで予約しました。B/Bでした。実はB/Bは初めての経験です。普通のホテルと、ずいぶん違うものですね。驚きの連続でした。
前年10月ごろ、予約のコンファームと同時に「明日何時に駅に着くか連絡ほしい。迎えに行く」という英語のメールが来ました。「明日って、何よ」と思った瞬間、次のメールが来ました。「Hahaha(原文通り) 間違えた。来年だね」
出国の数日前、英語で確認のメールを送りました。返事はイタリア語で、「駅に迎えに行くから列車の時間を教えてほしい」というようなことが書いてありました。相手は女性です。列車の到着時間を伝えて、「イタリア語は3行読むのに1時間かかるが、こういうことだね」と英語で確認しました。暗に「イタリア語はやめてね」というつもりでしたが、またイタリア語の返事。「駅に迎えに行くから」ということが、もっと難しいイタリア語で書いてありました。
さて、当日、予定通りイエージ駅着。
駅前にはそれらしき迎えはなし。そもそもほとんど人がいない。
電話します。女性が出て、「そうだった、すぐ迎えに行くからね」というようなことを、たどたどしい英語で言いました。
まあ、イタリアだから、こんなものさ。待つこと20分くらい。
何台も車が駅前を通り過ぎます。フィアットの何とかいうちっこい車が多い。あれかな?これかな?あくびも出つくしたころ、ひときわ小さいのがやってきました。
「まさかあれじゃないよね」 -
その「まさか」が目の前に止まりました。
降りてきたシニョールが満面の笑みをたたえて、「遅れてごめん」流ちょうな英語でした。
ご存じとは思いますが、この車、スマートと申しまして、運転手を含めて2人乗りです。繰り返します。「運転手を含めて」「2」人です。
「2往復するからね、どっちが先に行くの?」
愕然とする妻をまず乗せます。
私は呆然として、駅に残ります。5分で戻ってきました。
「イエージの町中は道が狭いからね、この車が便利なんだよ」
私たちは「コマネズミ号」と名づけました。
B&B Da Zia Ore、ダ・ジィア・オレ、「オレおばちゃんの家」という意味らしい。オレというのが女主人のあだ名だとか。
50代の夫婦2人でやっているB/Bでした。誠心誠意やってくれました。
オレおばちゃんは何回も「イタリア語わかんないの?少しは?」と一生けんめい私たちとコンタクトを取ろうとしてくれました。
ホテルに着くと、あきらかに今掃除おわりました! 10分前まで「ほらそのクッションは床に、これと重ねて」「花はテーブルじゃないわよ、そうそうその棚」とかやっていたって感じ。グラビアのようにかっこよかったです。
きっと電話で友達と「今度ねえ、日本人が泊まりに来るのよ」とかおしゃべりしていて、「いっけないー、時間だわ!」ってなったんじゃないかしら。イタリア人はしゃべるためなら何だってします。
2日目フォーリニョに行く時は、コマネズミ号で駅まで送ってくれて、3日目イエージを出るときは、また駅まで送ってくれました。毎回2往復。
近くの友達のレストランを紹介してくれました。2度行きました。2度とも1割引にしてくれました。ありがとう。
☆☆☆
このB&Bは4Travelのスポットに登録されておりません。ホームページがないので、スポット登録もできません。お勧めしたいB&Bでしたのでここで紹介します。
Booking.com経由で予約しました。朝食つき2泊130ユーロ。
Vicolo Bujo 1, 630035 Jesi Italia -
ガレージ扉の上2窓が私たちの部屋でした。建物全部がオレおばちゃん夫婦のもちものです。
-
車だと一方通行で大回りしますが、駅から歩くとほぼまっすぐで10分ほど。中央の小さな門をくぐると、すぐです。コスタンティーノが産まれたころとあまり変わっていないでしょう。
-
寝室、
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居間、
-
朝食が取れる広い台所。調理用具もそろっていました。
「全部使ってください」とオレおばちゃんは言っていました。 -
コーヒー紅茶準備OK.
果物いっぱいとジューサーがあり、これに加えて二日とも、朝希望した時間に、部屋の外に焼きたての菓子パンがおいてありました。
バスタブはありませんが、広い浴室とトイレつきです。
オーナー夫妻は上の階に住んでいるようでした。 -
Ristorante Osteria I Spiazzi
Piazza Nova, 8, 60035 Jesi
二晩続けて1割おまけしてくれたオレおばちゃん友達のレストラン。ホテルのすぐ近くです。
お味は、わるくはありません。
2人で料理3皿、デザート二つ、テーブルワイン、ビールなど入れて、割引前70ユーロくらいでした。
ごらんのように夜7時半で道路には誰もいません。 -
イエージ旧市街は城壁に囲まれた古い町でした。
-
あちこちに櫓をたて、
-
丘の上にあり、
古い路地と、 -
ヴィコーロ(Vicolo)という、こんな狭い路地があります。
シニューレに教えられて、広場への道を上がっていったら、突然さっき見送ってくれたオレおばちゃんが飛び出してきました。
「ここも通れるのよ」だって。
はやく言ってよ、ぐるっと回っちゃったじゃない。
フェデリーコ2世が産まれたときも、こんな狭い路地から、わらわら、わらわら人がわいて出てきて、広場に駆け上がって行ったことでしょう。
「お誕生!お誕生!」「産まれたよ、王子様だよ!」
ヴィコーロを歩いていると、そういう人がかけてきそうでした。
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この旅行記へのコメント (4)
-
- mistralさん 2019/06/20 14:06:05
- フェデリーコ2世。
- シニアの旅人さん
こんにちは。
フェデリーコ2世を巡る旅、特別編、いよいよ始まりましたね。
お力がこもっている事が感じられます。
私の前にコメントを残されたcokemomoさん、
私は大好きなトラベラーの方で、その方がシニアの旅人さんにコメントされていて
嬉しかったです。(似た者同士?)
フェデリーコ2世博物館、出産の場面の展示もあるんですね。
塩野さんもこの博物館を見学されたんでしょうか。
本で読んだイメージ、そのままでした。
前庭に立つ銅像、私も抱いていたイメージとは隔たりがありました。
ただ神聖ローマ帝国皇帝、というイメージですと
こんな重厚さが必要?
B&Bあたりからのコメントは奥様によるものでしょうか。
私もスマートでお迎えに来てもらって、いつの日か宿泊して
フェデリーコ2世の足跡を辿ってみたい、と思いました。
mistral
- しにあの旅人さん からの返信 2019/06/20 16:23:42
- 始まりました
- コメント有り難うございます。1年がかりの準備でしたが、ようやく始まりました。この旅行記を書くために旅をしたようなものです。なにかテーマをもって旅をすると、ものがはっきり見えていいと思いました。
ただ普通の観光ルートをはずれるので、「イタリアどうだった?」と聞かれると、かなり困ります。「イエージ、それどこ?」「フェデリーコ2世、それだれ?」話しが長くなる。
このシリーズはこれからしばらく続きます。お付き合い下さい。
妻と私の役割分担は、事実関係の叙述は私、感想は彼女というのが原則です。だいたいby妻というのが入りますが、私の文章を妻が手直しすると、どっちだか分からなくなります。感情豊かにイキイキとした描写は妻です。Vicoloの写真以降のエンディングは妻オリジナル。私にはこういう文章は書けません。
ちょうどmistralさんにコメントを送ろうとしていたら、逆にいただきました。あとで別途おくります。
-
- cokemomoさん 2019/06/19 12:07:04
- フェデリーコ2世博物館
- シニアの旅人さん、こんにちは。
私はフェデリーコ2世博物館に入れなかったので、一層興味深く拝見しました。
イタリアでは開館が限られているところが多くて、こちらに行けばあちらは見ること叶わずといった具合で行程作りが悩ましいですよね。
資料展示が充実していたんですね。私は英語もイタリア語も残念なヤツなので、シニアの旅人さんが詳しく書いてくださっているのがとてもありがたいです。
ツィザ宮の様子も展示されているとは・・私はここに行くつもりがお腹を壊して寝込んで逃すという大失態でした。いつか再訪しなければ。
こちらの博物館に社会見学(遠足?)で入っていく子供達を見たんです。彼らはフェデリーコ2世のことをどんな風に感じたでしょうね。
私もあの銅像はイメージが違うなぁと思いました。
それでは、また。
- しにあの旅人さん からの返信 2019/06/20 15:31:10
- コメントありがとうございます
- 本当は土曜日にイエージに入りたかったのですが、2日の往路のアエロフロートの便がとれず、日曜になってしまいました。この博物館は、まともに1日中あいているのは土日だけでした。月曜は休み。
私みたいな重箱のすみが好きな変人にはいいですが、フェデリーコ2世に興味がない普通の観光客は見向きもしないでしょう。それでこういう開館時間なのかなと思いました。
展示「物」というのはほとんどありません。オーディオビジュアルのイメージと、パネルの解説と写真がメインです。
これが貴重でして、フェデリーコ2世の死後破壊され、そのまま放置されたルチェーラの版画(18世紀末制作)などという、私にはとんでもない資料もありました。プーリア編でご紹介します。
パレルモのZiza、Cuba、行ってきました。ほかでは絶対に手に入らない、36ページもある博物館解説を手に入れました。最高のアンチョコです。妻と2人で撮った写真もいっぱいある。ここを舞台に、母を失ったあとのフェデリーコ2世の少年期を思いっきり書こうと思っています。
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