2018/04/03 - 2018/04/04
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旅人のくまさんさん
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中国西部の日本百名城巡り、萩城の紹介です。慶長9年(1604年)に着工し、慶長13年(1608年)落成した萩城は、平時に建設された城ですが、背後の指月山山頂に詰の丸を配するなど、戦時を意識した構えとなっています。
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満開の桜の花の光景です。ソメイヨシノより濃いピンク色の八重咲の花でした。品種名は分かりませんでしたが、総称として『ヤエザクラ(八重桜)』と呼ばれる桜の1種のようです。『ヤマザクラ(山桜)』や『サトザクラ(里桜)』から変化した桜のようです。
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八重の花と一緒に新芽も出ていた、『ヤエザクラ(八重桜)』の花のズームアップ光景です。『ボタンザクラ(牡丹桜)』の呼び名もあります。日本でとりわけ多くみられる品種は、強健さと鑑賞性の高さを特徴とする『カンザン(関山)』や『イチヨウ(一葉)』のほか、室町時代から存在していた『フゲンゾウ(普賢象)』、『ヤエベニシダレ(八重紅枝垂れ)』などがあります。
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指月山の麓の『本丸』を見学した後、次に向かったのは『二の丸』です。萩城本丸は、三方を海に囲まれていますので、残る南側を守るのが『二の丸』の役目になるようです。
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鏡石のような大きな石に、所有を示す刻印ではなく、書き込みがされていた光景です。『日本』らしい二文字がありましたが、全体は読み解けませんでした。断面から見て、この石や周りの石は花崗岩でした。
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こちらも鏡石のように見える起きない誌ですが、なぜか表面に筋書きが残っていました。推測ですが、割って使われる予定だったのかも知れません。この石の周りは『笑い積』のようでした。『笑い積(わらいづみ)』は、大石の周りに比較的小さな石を積む積み方です。
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『遺種有倉松』らしい文字が刻まれた石標の光景です。写真に収めることは出来ませんでしたが、萩城祉入り口手前に『二代目有倉松』があるようです。明治初年に枯死した初代に代わって、近くの松が2代目を継いだとされます。地上3mくらいから多幹に分かれ、幹周囲は4.7mとされます。
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『遺種有倉松』の切株価と思って撮影しましたが、確認はできませんでした。明治初年に枯れ死してから、百数十年が経っていますので、切株もなくなったかもしれません。
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『萩焼資料館』の建物光景です。同館の公式HPからの紹介です。『萩焼は、豊臣秀吉の朝鮮出兵により萩藩主(毛利輝元)が朝鮮の陶工『李勺光(りしゃこう)』、『李敬(りけい)』の兄弟を連れ帰り、李敬を始祖として始まり、江戸時代には萩藩の御用窯として栄えてまいりました』と紹介されていました
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赤レンガの煙突がありましたので、『萩城窯』のようです。萩焼の窯元の一つです。先程のHPの紹介文の続きです。『古萩とは初期の萩焼を総称して言うものです。現在、御用窯の流れをくむ「坂窯」、「三輪窯」のものが大多数で初代から三代までのものを古萩と称し、多くの愛好者により珍重されました』と紹介されていました。
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萩城の『二の丸石垣』の光景です。かなり大きな石が使われた、打込み接ぎの石垣です。主な石材は、地元で産出あする花崗岩のようです。『花崗岩(かこうがん)』は、火成岩の一種です。火山岩の流紋岩に対応する成分の深成岩です。
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一面に桜が散り敷いた、『二の丸』の一角の光景です。周りをそれほど高くない石垣が取り囲んでいました。桜の落花は、本当にあっという間の出来事になります。満開の後の雨や風の場合、1日で大方散ってしまいます。
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盛んに花弁を散らしていた『ソメイヨシノ(染井吉野)』らしいサクラの光景です。バラ科サクラ属の落葉高木で、原産地は日本です。遺伝子解析などでも確認されました。ソメイヨシノは、三倍体の遺伝子のため、すべてクローン種です。
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毛利輝元公座像です。毛利輝元(1553~1625年)は、戦国時代後期の安土桃山時代から江戸時代前期にかけての大名です。安芸毛利氏の当主で、豊臣政権時代は、五大老の一人であり、関ヶ原の戦いでは西軍の総大将となりました。遡って、永禄6年(1563年)8月、当主である父・隆元が尼子攻めの最中、安芸佐々部で急死しました。このため、11歳で家督を継承しましたが、祖父の毛利元就が後見して政治・軍事を執行しました。永禄8年(1565年)2月、幼名の幸鶴丸は13歳のとき、室町幕府の13代将軍・足利義輝より『輝』の偏諱を受けて元服し、『輝元』と名乗りました。
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毛利輝元公座像のズームアップ光景です。永禄10年(1567年)の輝元は15歳の時、隠居しようとする元就に隠居しないように懇願し、その隠居を断念させました。結局、元亀2年(1571年)に元就が死没するまで、輝元と元就の二頭政治体制が続きました。叔父の吉川元春や小早川隆景の2人、毛利氏庶家筆頭の福原貞俊、口羽通良を合わせた『御四人』が輝元の政務を補佐しました。
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更にズームアップした、毛利輝元公の頭部の光景です。戦わずに負けた『関ヶ原』の後の10月、輝元は剃髪して幻庵宗瑞と称し、論功どおり形式的に嫡男の毛利秀就に家督を譲り、秀就が初代の長州藩主となりました。しかし、実際にはこれ以後も法体のまま実質的な藩のトップの座に君臨し続けていました。
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『毛利輝元』のタイトルがあった説明看板の光景です。織田信長や豊臣秀吉と覇を競い、112万石の大大名となり、広島に城を築きましたが、関ヶ原での戦いで徳川家康に敗れ、36万9千石に削封され、慶長9年(1604年)、萩城に移ったことなどが紹介されていました。
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少し読みにくくなっていましたが、『奮長藩指月城址』の文字が刻まれえているような石標の光景です。旧文化財保護法時代の石標になるようです。花吹雪が散り敷いた、毛利輝元公座像がある一角でした。
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二つの鏡石が配された、『二の丸石垣』の光景です。その背後に松の大樹と満開の桜が顔を覗かせていました。石材に花崗岩を用いた、打込み接ぎの石垣です。
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『萩焼窯元・玉村松月』の文字が記された大きな幟があったお宅の光景です。昭和28年(1953年)に初代・玉村松月により指月山(萩城祉)の南西麓・橋本川の袂に登り窯を築き『江風庵』として開窯したのが始まりです。2代目・玉村松月は、昭和63年(1988年)に襲名しました。萩焼の伝統的な登り窯を維持する、数少ない窯元の一つです。
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冠木門の門柱に表示してあった『重要文化財・旧厚狭毛利家萩屋敷長屋(きゅうあさもうりけはぎやしきながや)』の表札の光景です。厚狭毛利家(あさもうりけ)は、毛利元就の五男である元秋を始祖とする毛利家の一門です。その後は八男である元康が跡を継いで、関ヶ原の戦いのあと長門厚狭(山口県山陽小野田市)に8371石を与えられたのが始まりとされます。
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外から眺めた、『旧厚狭毛利家萩屋敷長屋』の光景です。冠木門より右手方面になります。この萩屋敷は4700坪と広大なものでしたが、屋敷内の主屋や庭園は明治維新前後に解体され、今ではこの長屋だけが残っています。昭和41年(1966年)に国の重要文化財に指定されました。指定の翌年に解体修理が行われました。
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同じく、外から眺めた、『旧厚狭毛利家萩屋敷長屋』の光景です。こちらも冠木門より右手方面になります。解体修理の時に発見された棟札から、この長屋は厚狭毛利家の10代当主の『毛利元美(もとよし:1811~1885年)』の代に建てられたことが分かりました。
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障子が開け放たれ、部屋の内部と展示品が公開されていました。右側の額入りの賞状は、文化財保護委員会名の『旧厚狭毛利家萩屋敷長屋の重要文化財指定書』、左の肖像画は、毛利輝元公でした。
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展示品のズームアップ光景です。左が『萩毛利家と厚狭毛利家』の家系図、右が有名な『三矢の訓』の場面の絵図のレプリカです。毛利元就がその三人の子達(毛利隆元、吉川元春、小早川隆景)に託した書状(教訓状)が後に、『三矢の訓』として逸話となったものです。結束の大切さを3本の矢に喩えた教訓です。
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板戸が締め切られていましたが、板張り床の玄関のようです。実用的な武家屋敷らしく、武骨な造りのように見えました。玄関の飾りは、ほとんど意識されていないようです。
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『国指定重要文化財(建造物)・旧厚狭毛利家萩屋敷長屋・附・棟札一枚』のタイトルがあった説明パネルの光景です。棟札によれば、10代元美の時の安政3年(1856年)に建てられたもので、萩に残る武家屋敷の中で、最大規模と紹介されていました。桁行51.4m、梁間5.0mの規模です。
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『中座敷一之間』の名札が置かれていた畳の間の光景です。左右の部屋とは襖1枚で繋がり、この部屋の奥には簡素な床の間が置かれていました。
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こちらの畳の間の部屋には、『中座敷二之間』の名札が置かれていました。梁間5.0mの規模ですから、正面の襖の先、1mほどで建物外壁になるようです。夜具を仕舞い込んだだけで、一杯になりそうな押入れの広さでした。
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半分障子戸が閉まった次の間には、『中座敷三之間』の名札が置かれていました。展示品の表示は『馬具』です。映り込みで見難くなった写真ですが、鞍が展示してあるようでした。
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『西座敷一之間』の名札が置かれていた畳の間の光景です。ガラスケースには至展示物には。『甲冑』の表示がありました。毛利元就が使った甲冑のレプリカと説明してありました。
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