2018/04/03 - 2018/04/04
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旅人のくまさんさん
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中国西部の日本百名城巡り、最後になる岩国城紹介の締め括りです。最初が新幹線の広島駅から近い広島城、次が島根県の津和野城、二日目に山口県の萩城と岩国城を見学しました。いずれも、歴史に残る名城揃いでした。
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『黒漆地蒔絵角盥・一合』
伝・八重の方所用の武田家伝来品
(室町末期)
寄贈者:武田甲斐人氏(銀山城主武田氏より十六代) -
『野弁当箱』
(年代不詳)
寄贈者:岡部和助氏 -
『琵琶』
(年代不詳)
寄贈者:豊岡勇氏 -
『琵琶』
(年代不詳)
寄贈者:豊岡勇氏 -
『くさり鎌:レプリカ)』
(オリジナル品の年代不詳)
寄贈者:岡部和助氏 -
『八間星兜二枚胴具足(レプリカ)』
(オリジナル品の年代不詳)
寄贈者:岡部和助氏 -
『瓦』
朝鮮で制作
由来:紅葉谷の六角堂の瓦と同種
寄贈者:国広光蔵氏
*麓にある吉香公園のモミジの名所の紅葉谷の吹き抜けの建物が六角堂です。 -
真下から見上げた、南蛮天守と呼ばれる模擬天守の光景です。下階が黒塗りの下見板張り、上階が白漆喰仕上げの建物です。復元された天守は『四重六階』と表現されています。
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南蛮造りの模擬天守が乗る、天守台の光景です。実際の天守台は、50メートルほどの位置に再建されていますが、さらに展望の良い場所に新しい天守台が設けられ、その上に模擬天守が建てられました。下部は、野面積のイメージがある石積で、白っぽい石材が使われた上部が打込み接ぎの石積です。
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イチオシ
1962年(昭和37年)3月、本丸南側に『天守構造図』という絵図を元に鉄筋コンクリート構造四階と六階部分が下階より大きく作られていることから『南蛮造』と呼ばれている天守です。戦国時代末期の城でありながら、毛利軍学の『毛利の高陣』の思想から南蛮造りで中世的な要塞であり、 珍しい趣の城であったと伝えられています。
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毛利軍学の『毛利の高陣』は、孫子の兵法の中に、『自分よりも高い場所にある敵陣は攻めてはいけない』との教えがあり、それに倣ったもののようです。毛利氏は、日本の武家の氏族で本姓は大江氏です。家紋は一文字三星です。鎌倉幕府政所別当大江広元の四男の毛利季光を祖とする非嫡男の一族とされます。中世を通して『毛利』は『もり』と読まれ、後に『もうり』と読まれるようにな利ました。一方、吉川氏は本姓藤原氏で、南家武智麻呂の四南乙麿の後裔を称しています。毛利氏にとって吉川氏の向背は存亡に関わるものであり、戦国時代に毛利元就は、吉川興経に不満を持つ吉川経世などに働きかけて興経を隠退させると、自分の子元春を養子として送り込むことに成功しました。 それ以降、毛利氏と吉川氏の連携は強まりました。
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天主の見学を終え、麓に下りて来ました。時間の余裕がありましたので、かつての『御土居(おどい)』と呼ばれる麓の散策です。現在は『吉香公園』として整備されています。『錦雲閣(きんうんかく)』は、明治18(1885)年に旧岩国藩主吉川家の居館跡が公園として開放された際に造られました。旧岩国藩主吉川家の歴代を祀る吉香神社の絵馬堂です。
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『吉香公園』の中に残る、かつてのお堀です。花筏の光景になっていました。このお堀跡に面して建つ『錦雲閣』は、桁行6間、梁行4間、身舎5間×3間の入母屋造、桟瓦葺、楼閣風建築です。吉香公園内に偉容を誇り、階下は土間敷で、外周は入口を除き腰を板壁として内側に腰掛縁を設けています。旧藩時代の矢倉に似せて造られた建物です。
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旧岩国藩主吉川家の歴代を祀る吉香神社の石の鳥居の光景です。『吉香(きっこう)神社』は、旧岩国藩主吉川家の先祖を祀る三社を統合して、1884年(明治17年)、旧居館跡に建立されました。社殿は、吉川興経を祀る治功大明神として1728年 (享保13年) に造営されたものです。興経は、吉川氏14代で、藤姓吉川氏としては最後の当主です。
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蕾が膨らみ始めた、藤の木の枝先光景です。『フジ(藤)』は、マメ科フジ属のつる性落葉木本です。藤の花や葉を図案化した家紋『藤紋』があり、十大家紋に数えられています。十大家紋は、柏紋、片喰紋、桐紋、鷹の羽紋、橘紋、蔦紋、藤紋、茗荷紋、木瓜紋と沢瀉紋です。藤紋は、全国に散らばった藤原一族末裔の家紋として広まりました。
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『吉香神社』の石の鳥居の光景です。柱の部分に寄進者らしい『重富晋一』の文字がありました。今は使われていない火袋には、蝋燭の代わりに小石が積まれていました。一対で置かれていたようですが、片方だけの紹介です。
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こちらの片方だけの紹介の狛犬です。両足の下に大きな玉を持つ、雄獅子のようです。台座部分には、『奉献』と『岩国町・八百屋某』の文字が刻まれていました。石灯篭、狛犬ともに、『吉香神社』が創建された1884年(明治17年の時のもののようです。
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少し低い場所から見上げた、『錦雲閣』の建物光景です。階下は土間敷で、外周は入口を除き腰を板壁として内側に腰掛縁を設けています。階上は板敷で高欄付切目縁を廻してあります。正面に、芦野文亀(ぶんき)の描いた鍾馗(しょうき)の絵が掲げられているほか、現在で目ぼしい絵馬は残っていないようです。入場しての見学はしませんでした。ネット情報では、『鍾馗は中国では、疫病神を追い払う神様として、信仰されているそうですが、岩国では、疱瘡から守る神様として、絵馬が掲げられている』と紹介されていました。
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斜め前から眺めた、『錦雲閣』の建物光景です。ネット情報で、先ほど紹介した『芦野文亀の描いた鍾馗図』を目にしましたが、完全に絵は消え去って、檜か杉の三枚の板の木目だけが見えていました。
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『錦雲閣』のタイトルがあった、立看板の光景です。『錦雲閣』が建つ場所は、現在の吉香神社の南端に位置し、旧藩時代の三階建の南櫓があった場所と説明されていました。
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イチオシ
見事に咲き揃った、『ハナズオウ(花蘇芳)』の光景です。中国原産のマメ科ジャケツイバラ亜科ハナズオウ属の落葉低木です。『蘇芳花(スオウバナ)』とも呼ばれます。花は紅色から赤紫ですが、白花品種もあります。
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鬱蒼とした木々の中に立つ、『吉香神社』の拝殿光景です。本殿、拝殿、神門が同一時期の建築で揃っているものは大変貴重とされ、1988年昭和63年)に県の有形文化財に指定されましたが、2004年(平成16年)12月に国の重要文化財に指定されました。
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写真の中央やや左手に見える道案内標識には、左奥向きの矢印で『白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)』、その反対向きに『錦帯橋』、左向きに『シロヘビ』、その反対向きに『吉香神社・日本庭園』の案内表示がありました。
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『岩国シロヘビの館』の看板があった土蔵風の建物光景です。入場はしませんでしたから、公式HPからの紹介です。『岩国シロヘビの館は国の天然記念物「岩国のシロヘビ」について総合的に学ぶことができるミュージアムです。館内では実際のシロヘビを見ることができるほか、古文書や骨格標本、ゲームや体験装置でシロヘビの不思議を学ぶことができます』と紹介されていました。
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錦帯橋の上から眺めた、錦川の河川敷光景です。下流方向にの眺めになります。左手の河川敷には、私たちの観光バスもとまった駐車場が、右手には桜並木の光景がありました。
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イチオシ
錦帯橋の上から眺めた、錦川の河畔光景です。染井吉野は大方散ってしまい、赤っぽい額の色が満開の時を偲ばせる光景になっていました。岸辺には、観光用の屋形船が係留されていました。花見時の書入れは終わってしまったようです。
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錦帯橋の上から眺めた、錦川の河川敷光景です。下流方向の眺めになります。長さ200メートル程とされる、錦帯橋のアーチ橋の発想が、中国浙江省の名勝『西湖』のアーチ橋にあったことは、今回初めて知りました。
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麓からズームアップして撮影した、『岩国城天守』の光景です。麓から天守がよく見えるよう、樹木の高さが抑えられているようでした。岩国城は、かつての天守台が発掘調査などを基に、元の位置に再建され、別の場所に図面等を基に模擬天守が建てられました。名古屋城の再建問題にとっても、一つの参考になりそうです。名古屋城の天守台は、加藤清正の手になる歴史的遺構です。
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4箇所の日本百名城の内、阿最後に見学した岩国城の後にバスで送ってもらった広島駅です。往きも広島駅に到着した後観光バスでのお城巡りでしたが、帰りも同じ広島駅からの名古屋への戻りです。
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定刻に新幹線で名古屋駅に到着し、ツアー参加の皆さん方とお別れした後の一杯です。名古屋駅で日本酒と刺身が美味しそうなお店を探して、軽く飲みました。お城巡りの旅の余韻を楽しみながらの一杯でした。
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2018春、中国西部の百名城巡り
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