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中国西部の日本百名城巡り、萩城の紹介です。萩城は、関ヶ原の戦いに西軍の総大将に就いたことにより周防国・長門国の2ヶ国に減封された毛利氏が、広島城に代わる新たな居城として慶長9年(1604年)に築いた城です。指月城の呼び名もあります。

2018春、中国西部の日本百名城(15/28):4月4日(1):萩城(1):萩のホテル、萩焼展示

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2018/04/03 - 2018/04/04

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旅人のくまさん

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中国西部の日本百名城巡り、萩城の紹介です。萩城は、関ヶ原の戦いに西軍の総大将に就いたことにより周防国・長門国の2ヶ国に減封された毛利氏が、広島城に代わる新たな居城として慶長9年(1604年)に築いた城です。指月城の呼び名もあります。

交通手段
観光バス 新幹線
  • 食事の前の早朝散策です。ホテルのすぐ近くに、武家屋敷跡と思われる場所に武家屋敷門が残されていましたが、表札などはありませんでした。本瓦葺きの、オーソドックスな門構えです。

    食事の前の早朝散策です。ホテルのすぐ近くに、武家屋敷跡と思われる場所に武家屋敷門が残されていましたが、表札などはありませんでした。本瓦葺きの、オーソドックスな門構えです。

  • こちらも武家屋敷跡と思われる、長塀の光景です。本瓦を載せた白塀が石垣の上に続いていました。その先に、見頃の桜の樹がありました。ソメイヨシノのようです。

    こちらも武家屋敷跡と思われる、長塀の光景です。本瓦を載せた白塀が石垣の上に続いていました。その先に、見頃の桜の樹がありました。ソメイヨシノのようです。

  • 染井吉野らしい桜が咲いていた場所まで移動しての撮影です。朝の内は、あまり芳しくない空模様でしたが、雨が降り出しそうな雰囲気ではないようでした。静かな早朝の散策を楽しみました。

    染井吉野らしい桜が咲いていた場所まで移動しての撮影です。朝の内は、あまり芳しくない空模様でしたが、雨が降り出しそうな雰囲気ではないようでした。静かな早朝の散策を楽しみました。

  • 道野呂湯側に長塀が続く城下町の光景です。萩城は、阿武川下流の松本川と橋本川に囲まれた三角州の西北に位置する指月山の周りに築かれ、萩城下町は、三角州に築かれました。

    道野呂湯側に長塀が続く城下町の光景です。萩城は、阿武川下流の松本川と橋本川に囲まれた三角州の西北に位置する指月山の周りに築かれ、萩城下町は、三角州に築かれました。

  • こちらの通りも、道の両側に長石垣が続いていました。かつての武家屋敷の名残かも知れません。石垣はコンクリートを使ったものではなく、自然石を積み上げたものでした。<br />

    こちらの通りも、道の両側に長石垣が続いていました。かつての武家屋敷の名残かも知れません。石垣はコンクリートを使ったものではなく、自然石を積み上げたものでした。

  • 前方左手に見えるのが、今回泊まったホテル、『千秋楽』です。この後紹介しますが、十代から十二代まで、三代に亘る人間国宝の『三輪休雪』による萩焼茶碗などの展示が見ものでした。日本海の『菊ケ浜海水浴場』に面した立地のホテルでした。

    前方左手に見えるのが、今回泊まったホテル、『千秋楽』です。この後紹介しますが、十代から十二代まで、三代に亘る人間国宝の『三輪休雪』による萩焼茶碗などの展示が見ものでした。日本海の『菊ケ浜海水浴場』に面した立地のホテルでした。

  • 街角にあった、観光案内地図の紹介です。上が北になる地図で、日本海に面した『菊ケ浜海水浴場』が北側に表示されていました。この地図に『旧周布家長屋門』と記してありましたが、最初に紹介した、武家屋敷門とは別件でした。

    街角にあった、観光案内地図の紹介です。上が北になる地図で、日本海に面した『菊ケ浜海水浴場』が北側に表示されていました。この地図に『旧周布家長屋門』と記してありましたが、最初に紹介した、武家屋敷門とは別件でした。

  • 風情と、歴史を感じさせる街並み光景が続きます。この桜の季節には、その町並に花の彩りが添えられていました。路上には、ソメイヨシノの落花と混じって、藪椿らしい赤い椿の花の落花もありました。

    風情と、歴史を感じさせる街並み光景が続きます。この桜の季節には、その町並に花の彩りが添えられていました。路上には、ソメイヨシノの落花と混じって、藪椿らしい赤い椿の花の落花もありました。

  • 見事な満開になっていた桜の樹の光景です。ソメイヨシノにしては花の色が濃いようですから、別種の桜のようでした。八重桜かと思いましたが、写真をズームアップした限りでは、一重咲きに見えました。白っぽい花と、濃いピンクの花が混じったグラデーションが綺麗な花でした。

    イチオシ

    見事な満開になっていた桜の樹の光景です。ソメイヨシノにしては花の色が濃いようですから、別種の桜のようでした。八重桜かと思いましたが、写真をズームアップした限りでは、一重咲きに見えました。白っぽい花と、濃いピンクの花が混じったグラデーションが綺麗な花でした。

  • ここからは止まったホテルに戻り、その庭から眺めた光景の紹介です。左手に見えるのが、泊まったホテルの建物の一部です。

    ここからは止まったホテルに戻り、その庭から眺めた光景の紹介です。左手に見えるのが、泊まったホテルの建物の一部です。

  • 『菊ケ浜海水浴場』越しに眺めた『指月山(しづきやま)』の光景です。今日の見学予定の萩城がある山です。萩城は指月城とも呼ばれ、山麓にある平城(本丸・二の丸・三の丸)と山頂にある山城(詰丸)で構成されています。築城したのは毛利輝元です。関ヶ原の戦い後の慶長9年(1604年)でした。

    『菊ケ浜海水浴場』越しに眺めた『指月山(しづきやま)』の光景です。今日の見学予定の萩城がある山です。萩城は指月城とも呼ばれ、山麓にある平城(本丸・二の丸・三の丸)と山頂にある山城(詰丸)で構成されています。築城したのは毛利輝元です。関ヶ原の戦い後の慶長9年(1604年)でした。

  • 『菊ケ浜海水浴場』の光景です。沖合に小島の姿が見えました。ホテルの公式HPには、『お部屋はその8割が海側で、窓の外には日本海、菊ヶ浜が望めます』と紹介されていました。

    『菊ケ浜海水浴場』の光景です。沖合に小島の姿が見えました。ホテルの公式HPには、『お部屋はその8割が海側で、窓の外には日本海、菊ヶ浜が望めます』と紹介されていました。

  • 『菊ケ浜海水浴場』の光景が続きます。まだシーズン前ですから、海水浴客の姿は全くありませんでした。

    『菊ケ浜海水浴場』の光景が続きます。まだシーズン前ですから、海水浴客の姿は全くありませんでした。

  • 同じ場所からのッズームアップした、『菊ケ浜海水浴場』と、その背後の光景です。浅瀬の中に伸びているのは、海水浴施設のための石を積んだ防波堤のようでした。

    同じ場所からのッズームアップした、『菊ケ浜海水浴場』と、その背後の光景です。浅瀬の中に伸びているのは、海水浴施設のための石を積んだ防波堤のようでした。

  • ホテルでの朝食の紹介です。バイキング方式ではなく、各自の分が卓上に用意されました。和食の良さを感じさせる卓上の光景でした。残さず、美味しく戴きました。箸袋に『千秋楽』のお店の名前がありました。

    ホテルでの朝食の紹介です。バイキング方式ではなく、各自の分が卓上に用意されました。和食の良さを感じさせる卓上の光景でした。残さず、美味しく戴きました。箸袋に『千秋楽』のお店の名前がありました。

  • 泊まったホテルの千秋楽の食事会場の光景です。先程の箸袋には、『萩菊ケ浜・政府登録・国際観光旅館』の表示がありました。天井からつり下がった、白い花のような飾りが部屋にマッチして印象的でした。

    イチオシ

    泊まったホテルの千秋楽の食事会場の光景です。先程の箸袋には、『萩菊ケ浜・政府登録・国際観光旅館』の表示がありました。天井からつり下がった、白い花のような飾りが部屋にマッチして印象的でした。

  • 玄関先に向けて、赤絨毯が敷かれた光景です。公式HPによれば、100室を擁し、480名が収容できるホテルでした。バス30台・乗用車100台が駐車できる駐車場もあるようです。

    玄関先に向けて、赤絨毯が敷かれた光景です。公式HPによれば、100室を擁し、480名が収容できるホテルでした。バス30台・乗用車100台が駐車できる駐車場もあるようです。

  • 『萩焼・広口大碗』<br />十代・三輪休雪(休和)<br />人間国宝

    『萩焼・広口大碗』
    十代・三輪休雪(休和)
    人間国宝

  • 『萩焼・茶碗』<br />銘:西来<br />十代・三輪休雪(休和)<br />人間国宝

    『萩焼・茶碗』
    銘:西来
    十代・三輪休雪(休和)
    人間国宝

  • 『萩焼・茶碗』<br />十代・三輪休雪(休和)<br />人間国宝

    『萩焼・茶碗』
    十代・三輪休雪(休和)
    人間国宝

  • 『萩焼・茶碗』<br />十一代・三輪休雪(壽雪)<br />人間国宝

    イチオシ

    『萩焼・茶碗』
    十一代・三輪休雪(壽雪)
    人間国宝

  • 『萩焼・茶碗』<br />十一代・三輪休雪(壽雪)<br />人間国宝

    『萩焼・茶碗』
    十一代・三輪休雪(壽雪)
    人間国宝

  • 『萩焼・茶碗』<br />十二代・三輪休雪(龍作)<br />人間国宝

    『萩焼・茶碗』
    十二代・三輪休雪(龍作)
    人間国宝

  • 『卑弥呼の書』<br />十一代・三輪休雪(壽雪)<br />人間国宝

    『卑弥呼の書』
    十一代・三輪休雪(壽雪)
    人間国宝

  • 『黒の風景』<br />十二代・三輪休雪(龍作)<br />人間国宝

    『黒の風景』
    十二代・三輪休雪(龍作)
    人間国宝

  • 『無題(蓋付器)?』<br />三輪和彦(1951~):不走庵 三輪窯<br />*1951年、山口県萩市に生まれ、 1975年、米国遊学 <br />*2012年、国際陶芸アカデミー会員、同年、山口県選奨受賞<br />* 三輪和彦個展、多数開催

    『無題(蓋付器)?』
    三輪和彦(1951~):不走庵 三輪窯
    *1951年、山口県萩市に生まれ、 1975年、米国遊学
    *2012年、国際陶芸アカデミー会員、同年、山口県選奨受賞
    * 三輪和彦個展、多数開催

  • 『走緋』<br />(2001年)<br />金子信彦<br />

    『走緋』
    (2001年)
    金子信彦

  • 『走緋』(2001年)<br />金子信彦氏の略歴<br />*中学卒業時にはすでに湯呑茶碗を作っていたという陶芸少年<br />*1969年、18歳でホテルのオーナーが経営する新興の城山窯に入る<br />*二十代前半から窯の経営面にも関わり、現在に至る

    『走緋』(2001年)
    金子信彦氏の略歴
    *中学卒業時にはすでに湯呑茶碗を作っていたという陶芸少年
    *1969年、18歳でホテルのオーナーが経営する新興の城山窯に入る
    *二十代前半から窯の経営面にも関わり、現在に至る

  • 『地のメッセージ』<br />金子信彦<br />(1998山口県展覧会・優秀賞) 

    『地のメッセージ』
    金子信彦
    (1998山口県展覧会・優秀賞) 

  • 『地のメッセージ』<br />金子信彦氏の主な受賞歴<br />*2003年 山口県文化功労賞受賞<br />*2004年 第42回朝日陶芸展 グランプリ受賞<br />*2007年 第19回日本陶芸展 文部科学大臣賞受賞

    『地のメッセージ』
    金子信彦氏の主な受賞歴
    *2003年 山口県文化功労賞受賞
    *2004年 第42回朝日陶芸展 グランプリ受賞
    *2007年 第19回日本陶芸展 文部科学大臣賞受賞

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