2019/10/12 - 2019/10/12
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今、10月のパリにいます。
羽田からパリにやって来ました。
セーヌ川の左岸にある小さな古いホテルを8泊予約しました。
昨年末にウィーンでブリューゲル没後450年展をみました。
そのあとブリュッセルで王立美術館、彼の結婚式と葬儀が行われた教会ノートルダムドラシャペル、自宅兼アトリエを見に行きました。
そんなようで、「ブリューゲルをたずねる旅」は一応終了しました。
ちなみに、四国八十八ヶ所では巡礼の終わりを結願(けちがん)と言います。願いを結ぶと言う意味で一般的な言葉だと満願です。ブリューゲルをまわる旅は満願となりました。
今年は海外旅行にはまだ行けていませんでした。
その気にならなかったというのが実態なんですが。
それでもようやく、10月にパリ往復のANA便とルーブルの近くのホテル8泊を取りました。
これといったテーマはありませんが、パリの街をぶらぶらしようかと思っています。
お伝えできる何かと巡り会えればと思っているのですが、、、
ーーーーーーーーーー
10月12日土曜日
モンマルトルを歩きます。
ホテルからはUberで(12ユーロ)「ケーブルカー駅」まで
「サクレクール寺院」へ混雑する前の9時に到着したい。
サクレクール寺院からは300m徒歩4分で「モンマルトル美術館」へ
モンマルトル美術館を西へ行く右折して左側にピンク色の建物レストランユトリロも題材にした「メゾンローズ」
時間があれば、ユトリロの生誕地まで800m12分(ポトー通り8番地 Rue du Poteau 8)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
今日はホテルで朝食
4年前と変わっていないメニューです。
ルームチャージで14ユーロ
変わったのは値段だけ4年前は11ユーロでした。ホテル デュ ケ ヴォルテール ホテル
-
壁紙は13世紀当時のパリの古い地図です。
これもあの時と同じです。
さすがに今年(2019年)末から改修に入るようです。
いつ頃リニューアルオープンか聞くと「肩をすぼめて」わからないですとの返事でした。 -
今日は地下鉄12号線とフニコラーレ(ケーブルカー)でモンマルトルのサクレクール寺院へ行きます。ナヴィゴの出番です。
-
最寄りの乗車駅は地下鉄12号線のAssemblee Nationale(アサンブルナシオナル駅)です。
このスポットは4Tではブルボン宮となっています。
Abbesses(アベス駅)で下車します。
500m歩いて
ケーブルカー駅です。
ケーブルカーもナヴィゴが使えます。ブルボン宮 建造物
-
Abbesses(アベス駅)までの停車駅と時間がでます。
次の駅のホーム表示がConcorde(コンコルド駅)なら正しい方向に乗っている事になります。違う場合は下車して乗り換えします。こんな時にナヴィゴだと気にせず(落ち込まずに)乗り換え出来ますね。アベス駅 駅
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アベス駅です。
小さな駅です。アベス駅 駅
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標識の通りに進みます。
-
モンマルトルケーブルカー駅に到着しました。
モンマルトルのケーブルカー
Funiculaire de Montmarte
運転時間は6時からです。
サンピエール広場からサクレクール寺院までの階段に沿って右側にケーブルカーがあります。
乗ってしまえばアッという間に(2分もかからず)到着します。
地下鉄チケットやナヴィゴを使えます。モンマルトルのケーブルカー その他の交通機関
-
黄土色のウールのマントを着た団体と遭遇しました。
この時は彼らが何者なのか、
彼らの目的は何なのか、
全く気がつきませんでした。
今日は10月12日土曜日です。
10月の第2週末はモンマルトルは特別な日だったのです。
出発前の計画段階では特別の日があるとは全く知らなかったのですが、、、 -
この写真でわかるよう到着駅までは短い距離です。
朝の体操がわりに階段を上がっても良い距離です。
モンマルトルから見下ろす景色は素敵です。帰りは歩いて戻りました。 -
到着駅からはこの階段を登りました。
-
サクレクール寺院です。
サクレクール寺院はパリで一番高いところ(標高130m)にある寺院です。
寺院の内部への入場は無料です。
塔上の展望台の入場料は7ユーロです。
300段の螺旋階段(かなりキツイ)を登って塔の上からパリ市内を眺望することができます。エッフェル塔から、凱旋門の屋上から、ノートルダム大聖堂からの眺望ではノートルダムからがパリらしいと思います。修復されたら登って見て下さい。
サクレクール寺院のミサの時間は週日で7、11.15、3(金曜のみ)6.30、10です。
「サクレクール」とは「聖なる心」という意味です。
モンマルトル以外にもフランス各地やベルギーにも同名の寺院があると言います。
ドローンを使って上空から聖堂を撮影した動画がサクレクール寺院のHPにありました。5分近い動画ですが事前に見ておくと訪問をより楽しめると思います。
https://youtu.be/qoI4ZkrymBc
サクレクール寺院が運営している
YouTubeページBasilique du Sacré-Coeurにはサクレクール寺院の案内動画がありますのでご覧になって下さい。
https://www.youtube.com/channel/UC7ilb62MIm9OHbIPmE25Fdgサクレクール寺院 寺院・教会
-
サクレクール寺院の前の階段からもパリ市内を少し霞んでいますが一望出来ました。
パリ市は上空から見ても美しい景観です。
余談ですが、
Canal Droneという組織が提供しているYouTubeにドローンで撮影した動画があります。
後半に凱旋門の屋上にいる観光客の様子や、凱旋門の奥にある新凱旋門が見えたりします。
最後のエッフェル塔の最上展望階の観光客がありますが自分が鳥になったような感じでパリの美しさを楽しめます。
https://www.youtube.com/watch?v=odw6rIoiJuo&t=9s -
寺院の内部に入ってみました。
主祭壇の上のドーム状の天井には両手を広げた白い衣をまとったイエスキリストが描かれています。
正面右手には大天使ミカエルが、左手には聖母マリアが配置されています。
今から450年ほど前の大昔の事です。
1563年にカソリック教会が招集したトリエント公会議で発布された「聖像についての教令」というカソリック教会に飾られる絵画(壁画)のガイドラインがあります。
このサクレクール寺院は1920年に出来上がっています。
それでも、このサンクレール寺院のこの絵画は見事に450年前のその指令に従って描かれています。 -
ドームの上部に描かれているイエスキリストの部分です。
主祭壇近くは手前に木製のゲートがあり警備員もいるので入れません。
遠距離から撮ってこの写真はiPhoneでのアップです。
光量が少ない室内でもここまで撮影出来る様に進歩しました。
iPhoneXを使ってますが以前の機種と比べると格段に良くなったと思います。
手を広げるイエスキリスト、右側には大天使ミカエル、左側には聖母マリアが確認出来ます。
1545年から1563年にかけてカソリックの全体会議である「トリエント公会議」が開催されています。
大航海時代(世界一周航海により従来信じられた天動説が誤りであり地動説が正しい事が証明された)や急速なプロテスタントの興隆、宗教改革に対してカソリックの内部での意見統一をはかりカソリックの勢力を挽回しようとしたのです。
1563年の公会議25回総会では「聖像についての教令」が発布されています。
このカソリック教会の聖像に対する指令の中で1番のものは「聖人を一般人とを信者が容易に識別されなけれならならない」でした。
当時の識字率は30%もありませんでした。
カソリック教会を飾る絵画(壁画)は「読む聖書」という使命があったからです。
聖書の記述と異なる描写は異端的であるとして拒絶されたのです。
この絵の作者リュックメルソン(1846~1920)は大きく金環を描くことで聖人を表現しています。
この絵の題名は「イエスキリストの聖心」1918~22年の制作 モザイク画
です。
リュックメルソンは1889年のパリ万国博で人気を博した画家です。
パリの公共施設の内装を多く手がけています。
1906~11年は国立美術高等学校で教鞭をとっています。
サクレクール寺院建立後に描かれたようです。
リュックメルソンは1920年に74歳で亡くなっています。
その後の作業は弟子たちが行い完成させたのだと思われます。 -
少し引いて撮影しています。
イエスキリストの左右の手の段に並んでいるのは「聖人」ですから小さいけど金環をつけています。
その下段に描かれている行列の「一般人」には金環がありません。 -
美しいステンドグラスもありました。
サクレクール寺院は1914年に出来上がっています。
外観でもわかりますが、新しい寺院なのです。 -
寺院のミニチュアモデルが置かれていました。
7ユーロで螺旋階段を300段登れば塔の上からパリの眺望を楽しめます。狭い階段でそれなりの決意が必要のようで、遠慮させて頂きました。
先ほどの、ドローンの動画で擬似体験する事が出来ました。 -
さて、サクレクール寺院の後は
モンマルトル博物館に向かいます。
距離は300m歩いて5分です。
方向音痴の僕にとってiPhoneのMAPは大助かりです。
画面の上部左側にプリペイドSIMでOrange Fの4Gの電波を拾っているのが分かりますね。 -
両側に続く店はまだ営業準備中です。
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ユトリロの作品にもあったような風景です。
-
モンマルトルが急階段の丘の上にある地形がわかります。
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オランジュリー美術館にあるユトリロの作品です。
写真と同じ場所からの風景ですね。
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Maurice Utrillo
「Rue du Mont-Cenis」1914
Paris, musée de l'Orangerie
© RMN-Grand Palais (musée de l'Orangerie) / Hervé Lewandowski © ADAGP, Paris 201 -
モンマルトル博物館に到着しました。
ここは10時からオープンです。
少し待ちました。
モンマルトル博物館
スマホの案内でサクレクール寺院から西へ300m徒歩5分で到着しました。
HPが充実しています。
行かれる前にご覧ください。
英語とフランス語です。
https://museedemontmartre.fr/
博物館のコメントが面白いので拙訳しました。
毎日10時から6時までオープンしています。5時15分が最終入場です。
間違いなくパリで一番チャーミングなミュージアムです。ここに来なくてモンマルトルに来たことにはなりません。モンマルトル博物館 博物館・美術館・ギャラリー
-
モンマルトル博物館
正面入り口の写真です
モンマルトル博物館12ユーロ(1484円)
(シニア料金は聞いたけどありませんでした)
僕は、高校時代は印象派のファンでした。
ここの展示は郷愁を感じさせられ堪能しました。
入り口の両側に博物館や関連する画家たちについての解説があります。
ひとり旅のヨーロッパ女性がカメラを見せて笑顔で入り口の前に居る僕に「どいて」というジェスチャーをしました。
道の反対側に避けてあげたら何枚か博物館を撮影してお礼の言葉を残して走り去って行きました。モンマルトル博物館 博物館・美術館・ギャラリー
-
チケットカウンター兼ミュージアムショップを抜けるとこの中庭に出ます。
左側のドアを入ると簡単なシアターがあって「モンマルトルの古き良き時代」の簡単な紹介ムービーを楽しめます。
トイレは撮影している僕の背中方向です。
清潔なトイレです(男女共用) -
シアターの画面の手前にはモンマルトルの立体模型があってムードを演出しています。
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オーディオガイドです。
無料です。
ガイド内容は全く記憶にありません。
英語だったか日本語だったかさえ覚えていません。
首にかけるループがあったのと出口でちゃんと返却した記憶はあります。
そのまま出ようとしたら警報音がなりましたので -
モンマルトル博物館の中庭です。
モンマルトルエリアでは、このモンマルトル博物館と洗濯船跡が印象派アーティストたちを偲ぶ事が出来る思い出のスポットです。
モンマルトル博物館になっている建物は本物は焼失していて、別の建物をパリ市が契約し現在の展示スペースに改修したものです。
以前の建物(焼失した)にアトリエを持っていた画家には
オーギュストルノアールAuguste Renoir (1841~1919)
エミールベルナールEmile Bernard(1868~1941)
ラウルデュフィRaoul Dufy(1877~1953)
シュザンヌヴァラドンSuzanne Valadon (1865~1938)
モーリスユトリロMaurice Utrillo(1883~1955)
がいます。
ゴッホ が描いた「タンギー爺さん」は画材屋さんですが、そのタンギー爺さんの店もここにありました。
売れない貧しい画家たちに優しかった画材屋さん「タンギー爺さん」の店のショーウィンドウには画家が画材の支払いの代わりに置いていった作品が展示されていました。 -
中庭は「ルノアールの庭」と名付けられています。
ルノアールの作品にモンマルトル博物館のある場所辺りの公園を構図にしたものがあってそれをベースに再現されています。
写真の奥に見上げる建物の2階(採光の為に全面ガラス)がヴァラドンとユトリロ母子のアトリエです。
2014年にこのアトリエと居間とユトリロの寝室が写真などのデータをもとに正確に再現されています。 -
中庭に木製の白く塗られた東屋が再現されています。
-
東屋の手前に置かれている解説パネルです。
シュザンヌヴァラドンが1922年に描いた「モンマルトルの庭」がここで描かれたと解説しています。
シュザンヌの夫アンドレユッテル(ユトリロの友人でシュザンヌより21歳年下)が東屋の下で椅子に座り新聞か雑誌を読んでいるという構図です。
東屋の奥にある建物も絵の描写と同じです。 -
モンマルトル博物館の隣に広がる「ぶどう畑」です。
モンマルトル博物館の中庭からの撮影です。
パリ市が管理するこのぶどう畑には3250株のぶどうの木があり、500リットルのワインが生産されています。
なんの集会でしょうか?
大勢集まっています。モンマルトルのブドウ畑 散歩・街歩き
-
アップして撮影してみました。
フニコラーレ(ケーブルカー)で一緒になった黄土色のケープを着たグループも見えます。
マイクで大きな声でスピーチしています。フランス語なので内容は分かりません。
モンマルトル博物館とは石垣で仕切られています。ぶどう畑とは高低差があります。見下ろす視線になります。
今日は10月12日土曜日です。
10月の第2週末はモンマルトルの特別な日だということにこの時はまだ気づいていませんでした。 -
階段を上がって本館の方へ戻ります。
-
本館(作品展示棟)の入り口です。
この入り口を入った最初の部屋にはモンマルトルの歴史が展示されています。
1860年にパリ市に併合される前はモンマルトルから切り出した石材をパリに建築用材料として送ったとか、、
風車小屋の話とかありました。
ぶどう畑のぶどう酒の話だとかありました。
ぶどう酒の産地からムーランジュールなどの歓楽街への発展の歴史だとか、、
美術館と呼ぶよりも博物館という名前の方が相応しいのかも知れません。 -
フロアー毎にモンマルトルを飾った作品が展示してあります。
当時の大衆に大人気を博した「切り絵で上映する影絵映画館」の紹介をしている部屋もありました。
影絵用の工夫を凝らした切り絵が沢山展示されています。
日本でも影絵作家がいましたが彼の作風がモンマルトルの影絵の影響であるのが分かります。 -
ロートレックのポスター
ムーランルージュのイベントコンサートの告知です。 -
この部屋にはモーリスユトリロと母シュザンヌヴァラドンの作品がたくさん並んでいます。
パリから北西に電車で1時間くらいのサノア(Sannois)にモーリスユトリロ美術館があります。ここにユトリロと母ヴァラドンの作品は収蔵されています。
サノアはナビゴで乗って行ける圏内です。
次回は寄って見ようと思いました。
ここの作品は複製画だと思います。
写真の右側はユトリロの母親シュザンヌヴァラドンの62歳頃の自画像です。
この自画像画もそうですが輪郭を黒い太い線で表現する作風にシュザンヌヴァラドンの強い個性が出ているように思います。 -
アンドレユッテル(1886~1948)の作品
「モンマルトルのコルト通り12番池の家」キャンバスに油彩 1947年
ユッテルはユトリロの3歳年下の親友です。
素朴なアマチュア的な画風です。
亡くなる前年の作品です。 -
写真はシュザンヌヴァラドンの描いた「モーリスユトリロの肖像」1921年
キャンバスに油彩の作品です。
ユトリロは1883年モンマルトル生まれです。
この絵はユトリロは37歳の時の肖像画です。
母親のシュザンヌは息子ユトリロを祖母に任せっきりでした。
そして、アルコール依存であった祖母は癲癇の発作を起こした孫のユトリロに体に良いとしてアルコールを与えます。
ユトリロは8歳で立派なアルコール中毒になってしまいます。
アルコール依存症の治療のために21歳(1904年)頃からユトリロは水彩画を描き始めます。
絵を描いている時間だけはユトリロは精神的に解放され安定しました。
初期のユトリロの油彩画は「白の時代」と呼ばれる作品群で独自の境地を実現しています。
それでも、アルコール中毒は悪化し、やがて、この絵が描かれた1921年にはフランス南東部のサンベルナールにある古城に引越しています。
サンベルナールの古城に引越したユトリロは人気のあるモンマルトルの油彩画を「写真や絵はがき」を見ながら描きました。 -
「モーリスユトリロの肖像」の右上の部分撮影です。
シュザンヌヴァラドン1921のサインが見えます。 -
シュザンヌヴァラドン(1865~1938)
「コルト通りの庭」1928年
キャンバスに油彩
シュザンヌ63歳の時の作品です。
1914年に48歳で21歳も若いユッテルと結婚したシュザンヌの「絵を描くことが楽しい」という感じが溢れている作品です。
モンマルトルからサンベルナールの古城に引越したあとの作品です。
1932年にはパリで一番大きなプティジョルジュ画廊でシュザンヌヴァラドンの個展が開かれています。
当時のフランス首相のエドワールエリオが作品カタログに序文を寄稿するほどの大人気作家でした。 -
シュザンヌヴァラドンと息子のモーリスユトリロのアトリエ
1900年頃の写真です。 -
母シュザンヌヴァラドンと息子の幼いモーリスユトリロの写真です。
幼いユトリロは「居心地の悪そうな」表情です。
ユトリロはヴァラドン18歳の時の子どもです。
この写真は息子ユトリロが5歳くらい母ヴァラドンは23歳くらいでしょう。
まだ若いシュザンヌヴァラドンのクールな無表情が蠱惑的です。
シュザンヌは1865年生まれで4歳のときに母親とパリに出てきます。(シュザンヌの父親も不明です)
15歳で憧れのサーカス団に入り空中ブランコの花形になります。
1882年、空中ブランコから落ちてサーカスができなくなり画家のモデルになります。
シュザンヌを描いた画家と作品には
シャバンヌ「ミューズたちのいる森」1884年 リヨン美術館蔵
ルノアール「都会のダンス」1833年 オルセー美術館蔵 「ブージヴァルのダンス」1933年 ボストン美術館蔵
ロートレック「二日酔い」1888年 米国のフォッグ美術館蔵
ユトリロが生まれたのはサーカスを辞めた翌年の1883年のことでした。 -
1920年頃のコルト通りのアトリエでの写真です。
左から
シュザンヌヴァラドンの作品、
シュザンヌヴァラドン(55歳くらい)、
アンドレユッテル(34歳くらい)、
モーリスユトリロ(37歳くらい)
です。
アンドレユッテル(1886~1948)はユトリロの友人です。
ユトリロの母バラドンは21歳年下のユッテルと1914年に正式に結婚(再婚)しています。
その6年ほど後に撮影された写真になります。
ユッテルは自分で描くことはやめて人気のあるユトリロの作品の販売を商売にして行きます。
ユトリロのアルコール依存を抑えることや依存に伴う暴力を抑えることや暴れて逮捕されたユトリロを釈放させることや
売れそうな画風を指示することもユッテルの大きな仕事でした。
人気作家のユトリロの絵は売り上げ金で古城を買えるほどの価値がありました。 -
モーリスユトリロ(1883~1955)
「モンマルトルの古い廃屋」1919年頃 キャンバスに油彩
3人がまだモンマルトルにいた頃の作品です。 -
作品の右下のサインです。
Maurice Utrillo. V.
モーリスユトリロ V
VはヴァラドンのVです。
このサインはユトリロの気持ちのあらわれと考えて良いと思います。
母親シュザンヌヴァラドンの姓であるヴァラドンを名乗りたい気持ちのあらわれ(母親と一緒にいたいという願望)と考えられています。
3歳年下の親友ユッテルに母親を取られたユトリロは心の隙間を埋めるために「アルコール」と「絵を描くこと」に精神の安定を求めて行きます。 -
モーリスユトリロ(1883~1955)
「エピテネス通り」1936年 キャンバスに油彩 -
右下のサインの拡大写真です。
この作品のサインにも「V」が追記されています。 -
展示されていた「洗濯船」の写真です。
「洗濯船」は画家を中心としたアーチストたちの住む集合住宅兼アトリエです。
手前の自動車で建物の大きさをイメージ出来ます。
「洗濯船」は1970年の火災で消失しています。
(今は、跡地に建てられた建物のショーウィンドウに当時の資料を展示しています)
「洗濯船跡」の場所はモンマルトル博物館から地下鉄最寄駅のAbbesses駅に行く途中にあります。
この写真のようにセーヌ川に浮かぶ洗濯船のように見える外観からその名がついたと言われています。 -
シュザンヌヴァラドン(1865~1938)
「シュザンヌヴァラドンの母と息子のモーリスユトリロ」1890年頃 紙に鉛筆
入浴の後タオルで身体を拭くユトリロ
その左側には祖母の後ろ姿が描かれています。
空中ブランコに失敗して落下事故を起こし引退したシュザンヌヴァラドンは画家たちのモデルとして生計を立てて行きます。
初仕事はシャヴァンヌのモデルでした。
その後がルノアール、その次のロートレックとはモデルをきっかけに同棲生活を始めます。
ここで大きな人生の展開があるのです。
ロートレックがシュザンヌヴァラドンの絵の才能に目を止め絵を描く事をすすめます。ロートレックはドガ(踊り子で有名な)にシュザンヌヴァラドンに絵の指導をさせます。
この鉛筆の習作画にはシュザンヌのデッサン力、ロートレックも認めた画力を感じます。
8歳のユトリロ少年が力強く描かれています。 -
次の部屋には3人(シュザンヌヴァラドン、アンドレユッテル、モーリスユトリロ)の当時の逸話のパネルが壁にありました。
脇に室内用のイーゼルが置いてあります。 -
シュザンヌヴァラドンの居間が再現されています。
-
当時のシュザンヌヴァラドンの居間で描かれた「リリーオルトンの肖像」の背景(シュザンヌヴァラドンの部屋)の通りに再現されています。
-
シュザンヌヴァラドンの絵と比較してみてください。
-
次の部屋は、再現されたモーリスユトリロの寝室です。
-
ユトリロの寝室
テーブルの上には油絵具箱と両脇に燭台が置かれています。 -
奥に進むとガラス窓の大きなアトリエです。
母シュザンヌバラドン(1865~1938)
息子モーリスユトリロ(1883~1955)
ユトリロ友だちで母シュザンヌヴァラドンと結婚する
アンドレユッテル(1886~1948)
の共同アトリエが再現されています。
3人がここに(モンマルトルのコルト通り12番池)に引っ越して来たのは1912年です。
消失したアトリエ、居間、ユトリロの寝室の再現は当時の写真を詳細に測定し忠実に作業が行われています。 -
絵具箱、パレット、蝋燭
-
キャンバスが置かれた棚の下の空間には3人の生活を思わせる小道具が置かれています。
オルセー、オランジェリーの学芸員が再現作業の考証や構想に参加しています。 -
左側には屋外スケッチ用の油彩絵具箱が置かれています。
-
採光のためのガラス窓が大きくとられています。
自然光の採光がアトリエとしての最低条件です。 -
並ぶ小物たちが右から直線上にならぶ構図で撮影してみました。
-
窓ガラス側からアトリエを振り返っています。
棚の上にはキャンバスが重ねられています。 -
天井の庭に面した側は採光のためガラス張りの構造です。
1912年から1921年にサンベルナールの古城に引越しするまで9年間、母と息子はこのアトリエで制作をしました。
一応これでこの棟で「モンマルトル博物館」の見学は終了です。
楽しめました。
ユトリロとヴァラドン親子については2015年にも旅行記をアップしています。
ご関心がある方はどうぞご覧ください。
2015年にアップした旅行記です。
ユトリロと母ヴァラドンの作品を巡る旅たち
https://4travel.jp/travelogue/11016055 -
降りて外の出ると
右側に
「カフェルノアール」という小さなカフェがありました。
温室のようなカラーインテリアも統一された可愛らしいカフェです。
5月から9月は毎日12時15分からオープン
10月から4月は水曜日から日曜日の12時15分からオープンです。 -
鑑賞を終えて出て来ました。
モンマルトル博物館は特別展もやっています。
先ほどご紹介したHPにスケジュールが掲載されていますのでパリ行きの日程を組むのも一つのアイデアかも知れません。
博物館の案内の通り
パリのミュージアムのなかで最もチャーミングなミュージアムの一つだと思いました。
ーーーーーーーーーー
第二次世界大戦のあと、アートの中心はフランスのパリからアメリカのニューヨークへと移って行きます。
経済の中心地がアートの世界でも中心になって行くようです。
印象派、フォービズム、キュービズムと沢山の画家が集まり競い合いながら新しい絵画やアートを模索した時代には世界のアートの中心はフランスのパリのモンマルトルだったと言えると思います。モンマルトル博物館 博物館・美術館・ギャラリー
-
モンマルトル博物館を出て右折してメゾンローズの角まで来たら大賑わいのパレードがやって来ていました。
写真の中央のピンクの建物がメゾンローズです。
左右のパレードと大勢の見物者が広がっています。
iPhoneで「10月12日 モンマルトル」と検索してみました。
「モンマルトルのぶどう収穫祭」が出てきました。
毎年10月の第2週末に「ぶどう収穫祭」があるのです。
今年は86回目になると書いてあります。
モンマルトルの町中を「ぶどう収穫祭」のパレードが練り歩くようです。
グループ毎に特色のあるユニフォームを着込んだパレードには子どものグループもいました。大人たちはワインも入っている赤ら顔で盛り上がっています。
毎年10月の第2週末に「ぶどう収穫祭」は開催され今年で86回目です。日本の祭りと同じように毎年参加している人が多いように見えました。ラ メゾン ローズ フレンチ
-
メゾンローズ前の賑やかなパレードです。
iPhoneで10月12日モンマルトルで検索すると
パリ観光局公式サイトがヒットしました。
ーーーー引用ーーーーーー
10月の伝統的なイベント Fête des vendanges de Montmartre(モンマルトルのブドウ収穫祭) がパリで最も有名な地区を活気づけます(2019年10月9日~13日)。 パレード、コンサート、展示会、試飲会などが予定されています。
ーーーーーーーーーーーー
フニコラーレの改札口であった黄土色のガウンの人たち
モンマルトル博物館の庭から見えた「ぶどう畑」での集会に集まっていた大勢の人たち
みんな「ぶどう収穫祭」に参加するために集まって来た人たちだったのです。
動画をiPhoneで撮りました。
https://youtu.be/uFJPnMpO_7Y -
大勢の観光客の後ろからiPhoneを万歳して持って撮影しました。
古いiPhone(iPhone6)を落としてしまいました。
ひび割れしましたが機能は大丈夫でした。
デジカメよりもiPhoneの方が衝撃強度は強いようです。
海外旅行中はiPhoneは2台持ちです。
ナビや検索用と撮影用の一台と使い分けています。
iPhoneは、僕にとって旅の大きな「お助けツール」ですので2台持ちは必要だと思っています。 -
「ぶどう収穫祭」のパレードにはこんな大きな張りぼての人形も出練り歩きます。
毎年10月の第2週末に開催され今年で86回目だといいます。
偶然ですが、「ぶどう収穫祭」の日にモンマルトルにやって来ました。
iPhone動画をもう一本撮りました。
ご覧下さい。
https://youtu.be/sbhbduJqoqo -
旅の計画の時から
メゾンローズ(La Maison Rose)でランチの予定でした。
今日はお祭りなので13時からとのことです。
ワインとおつまみなら出せるとのことです。
外でそれまで待って居ると伝えました。
12時半にウェイターが呼びに来て入れてくれました。
みなさんパレードに夢中でメゾンローズの店内のテーブル席には僕ひとりです。
初めての店では「おすすめ」か「地元の人が隣りで食べているのと同じもの」にしています。
メニューを読解しても出てくるものは予想と違うことが多いです。「おすすめ」か「地元の人が隣りで食べているのと同じもの」なら変なものは出てきません。
おすすめは(料理名不明ですが下の写真です)
カードで20ユーロ(2474円)
現金でチップ2ユーロラ メゾン ローズ フレンチ
-
メゾンローズのランチョンペーパーです。
モンマルトル博物館のレイアウト地図が絵柄です。
ユトリロがこの店を描いています。
「モンマルトルのピンク家」という題名です。 -
メゾンローズのおすすめのランチ
ミートボールの煮込み
店員さんは今日のランチは13時からと言っていましたが、12:30に呼びに来てくれました。
昼食はおすすめと炭酸水で20ユーロ(2474円)チップ2ユーロ
素朴な田舎料理という感じの味でした。
収穫祭事務局(fete des vendange de montmartre )のYouTubeページにぶどう収穫祭の動画がありました。
収穫祭の全体の様子が分かります。
ご覧下さい。
https://youtu.be/knGyUwYG04c -
パレードの長い行列が行ってしまって静かに戻ったメゾンローズ前の通りです。
さっきまで見学する人たちで埋め尽くされていた歩道にはテーブルがセットされランチを楽しむ観光客でうまっています。 -
モーリスユトリロの初期の作品に「白の時代」と呼ばれる作品群があります。
この写真は「白の時代」を想起させる構図なので撮影した写真の一枚です。 -
この登り坂も情緒があります。
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メゾンローズから地下鉄12号線のアベス駅の方へ坂道を降りてくると洗濯船(Bateau Lavoir)跡の前に出ます。
1904年頃にここに「洗濯船」と呼ばれる芸術家たちの共同アトリエ兼住居があったのです。
住人のうちで一番有名なのはピカソです。ピカソが「アビニヨンの娘たち」(1907年244x234cmキャンバスに油彩アメリカニューヨークMoMA蔵)を描いた場所は「洗濯船」でした。
「洗濯船」にはピカソの他にジョルジュブラック、モディリアーニ、コンスタンティンベラクーシがいました。彼らは競いながら新しい時代のアートを創造して行きます。
「洗濯船」は残念ながら1970年に火災で消失しました。
現在は写真のような味気のないショーウィンドウに資料が展示されています。
モンマルトル博物館のように当時の建物が再現されればと思います。
4Tでスポット登録してほしいものです。 -
洗濯船跡の前の広場は趣きのある空間になっています。
妙に傾いた木があって、子どもが遊びまわったり、地元の奥さんたちが立ち話したりしています。
ベンチに座って、モンマルトルの坂道を歩いて疲れた足を休めながら、古き良きモンマルトルを偲ぶ時間は贅沢でした。 -
そのまま歩いて行くと「風車小屋」に出会いました。
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ムーランドラギャレット
Moulin de la galette
モンマルトルを代表する象徴的ともいえる観光スポットです。
パリ編入前のモンマルトルでは風車小屋で小麦を引いていました。
今は賑やかなフレンチレストランになっています。ムーラン ド ラ ギャレット フレンチ
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ムーランドラギャレットを題材に多くの絵が描かれています。
一番知られているのは
ルノアールの「ムーランドラギャレットの舞踏会」1876年オルセー美術館蔵
です。 -
モンマルトルらしい風景です。
階段の手前にはテーブル席を設えてこの景色を愉しみながらワインを飲んでいます。 -
同じ所からズームにしてみました。
パリ市内が眺望出来ます。
奥に見えるドーム型の建物はフランス学士院のようです。 -
橋の上を通ります。
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橋の欄干の隙間から墓地を写しました。
モンマルトル墓地 建造物
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左に曲がるとモンマルトルの墓地ですという標識です。
橋の下には墓地が広がっています。 -
iPhoneのマップの画面です。
まだ2時なのでロダン美術館に寄り道して帰ることにしました。
画面で判るようにロダン美術館はオルセー美術館の南西にあります。
5年前にはホテルから地下鉄に乗って行きました。
ホテルからは充分に歩ける距離にあったのです。
3日前の10月9日に日帰りでノジャンシュルセーヌにあるカミーユクローデル美術館を見てきました。
パリのロダン美術館で確認したい疑問がありました。 -
ロダン美術館の最寄り駅は地下鉄13号線のヴァレンヌ(Varenne)駅です。
Varenne駅のプラットホームにはロダンの彫刻作品が展示されています。
写真の手前の後ろ姿は「バルザック(Balzac)」、その奥に「考える人(Thinker)」です。 -
この信号を渡って建物の手前を左折するとロダン美術館の入り口です。
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広大な庭園の奥にロダン美術館の建物が見えます。
この建物ホテルロビンの名前は1820年当時のオーナーであるロビンに由来しています。一時期はカソリックの女子校の時代もありました。
その後フランス政府の所有になります。フランス政府は作家のジャンコクトー、画家のヘンリーマチス、詩人のリルケに貸しています。
ロダンは1908年に詩人リルケを経由してここを知り、4部屋を借りました。
ホテルロビンを気に入ったロダンは1911年に建物の全体を使うようになりました。ロダン美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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庭園に屋外展示してある「考える人」と手前に緑の植栽の前にピンクのバラ。
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ロダン美術館には3枚のゴッホの絵があります。
今回はまとめて展示してありました。
「タンギー爺さん」1887年が人気のようです。
ご存知のように、ゴッホの絵は生前にはたった1枚しか売れていません。
作品名は「赤い葡萄畑」1888年の油彩です。モスクワにあるプーシキン美術館に所蔵されています。
この3枚のゴッホ(1853~1890)の作品は当時の大人気芸術家の立場にあったロダン(1840~1917)が自ら選んで購入しています。
もし、ロダンがゴッホ の生きている時にゴッホ の作品を購入していたら「ゴッホ の悲しい終わりの人生」はどんな風に変わっていたのだろうかと考えたりします。
ゴッホの作品はオークションで「とてつもない金額」で売却されています。
1990年のバブル期に日本の大昭和製紙の斎藤了英氏が落札したゴッホの「医師ガシェの肖像」1890年は151億5000万円でした。
この金額は「世界で取引された高額な絵画のランキング」で17位にランクされています。
ゴッホがその金額を聞いたら何というでしょうか?
生活費はもとより絵具代、キャンバス代も兄おもいの弟のテオに頼っていた「売れない画家」のゴッホはそれでも絵を描き続けました。 -
ロダン美術館の2階からの写真です。
ホテルロビン(ロダン美術館)の庭園です。 -
オーギュストロダン(1840~1917)
「カミーユクローデルと手」
左側からの撮影です。 -
同じ作品を右側から撮影
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オーギュストロダン(1840~1917) 「別れ」 1905年の作品です。
工房では弟子であり私生活では愛人であったカミーユクローデルとの「別れ」は1890年頃のことです。1905年といえばカミーユクローデルは41歳、オーギュストロダンは65歳です。
前の写真でご紹介したロダンのカミーユの肖像を見ればこの「別れ」の人物がカミーユであることが分かります。 -
作品「別れ」を左側から撮影しています。
別れの悲しみに自失する女性の表情が見事です。 -
オーギュストロダン(1840~1917) 「帽子をかぶったカミーユクローデル」 1911年
2人の関係は完全に終わった時期の作品です。
カミーユは精神に変調を起こし1913年には精神病院に強制入院になっています。
ロダンはカミーユとの甘い思い出の部分を作品にしたのでしょうか? -
カミーユクローデル(1864~1943)
「ヴェルトゥムヌスとポモナ」1886~1905の作品と解説パネルには書かれていました。
主題はローマ神話の物語です。四季の神ヴェルトゥムヌスが園芸士のポモナにあの手この手で近づこうとするストーリーです。 -
カミーユクローデル(1864~1943)
「分別盛り第2バージョン」1893年
The Ages of Maturity or Destiny or the Path of Life or Fatality
彫刻に登場するのは3人です。
老人と老婆と追いすがる若い女 -
作品を正面から撮影しています。
右に老人
左に老婆
奥に追いすがる若い女 -
左の老婆は内妻のローズ
右の老人はロダン -
追いすがる若い女は作者のカミーユクローデル自身です。
-
追いすがる若い女
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台座にあった文字
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カミーユクローデル(1864~1943)
「オーギュストロダン」1886~1892
カミーユがロダンの始動を受け始めるのが1883年でロダンの工房に入るのが1884年です。 -
同じ作品を右側から撮影しています。
-
ロダン美術館には庭だけの入場料というのがあったはずです。
花の季節なら室内展示はパスして庭内の屋外展示作品と咲き乱れる花を楽しむのも良いと思います。
親子連れならその方が楽しめると思います。
写真はロダン美術館のバラの開花の状況です。
10月12日でもバラが綺麗に咲いています。
一昨日行ったドラクロワ美術館の中庭でもバラが綺麗に咲いていました。
温暖化で季節がずれて来ているようです。 -
暑い日でした。
(写真の右の)ミュージアムカフェの入り口に仮設のアイスクリームスタンドがありました。
コーン入りを買いました。
2スクープで3.5ユーロ現金払い
ロダン美術館からは歩いて帰りました。
4時過ぎにホテルに帰りました。
夕食はいつものところでいつものビーフシチューで済ませました。
今夜はデザートを勧められてシャーベットをつけたので27.5ユーロ(3402円)
甘すぎるシャーベットとビーフシチューの食べ合わせはおすすめしません。
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ブリューゲルをたずねる旅を振り返る(5)
ブリューゲルをたずねる旅を重ねて行く中で「ブリューゲル年表」を追記して行きました。
同世代を生きた関連する画家たち
関連する著名人たち
(生年と没年と場所)
世界史のトピックス
キリスト教のトピックス
ブリューゲルは生誕1525年(推定)、亡くなったのは1569年9月にブリュッセルで亡くなったとされています。
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この旅行記へのコメント (6)
-
- maayさん 2022/01/26 22:01:05
- こんばんは。
- 旅行記に沢山のいいねをありがとうございます。読んでいただいてとても嬉しいです。
モンマルトルの旅行記、お写真が、私もこんな風にモンマルトルを眺めたいなぁ、という角度で、とても楽しく拝見させていただきました。
フランスに近いドイツケルンに何度も行きながら、3時間と少しの距離なのにパリには1度駆け足で行ったのみで、次はじっくり滞在しょうと思っていたところ、この状況になってしまいました。
ユトリロの絵画のように街を眺めたいものです。
旅行記楽しく拝見させていただきました。
これからも読ませていただきます(^-^)
maay
- norio2boさん からの返信 2022/01/27 08:08:20
- Re: こんばんは。
- maayさん
おはようございます。
メッセージ頂きありがとうございます。
maayさんの旅行記楽しませて頂いています。一人旅の旅行記は読んでいて楽しいと思います。
ツアー参加やグループでの旅行記は面白味が足りない感じがします。
ケルンのIKEAへ行った時の経験は面白かったです。
ーーーーーーーーー
海外へ行けるようになるのはいつになるのでしょうか?
1日一万歩を目標に脚力維持に努めています。
-
- morisotさん 2021/10/12 00:33:38
- 楽しく拝見しました♪
- 早速、モンマルトル旅行記拝見させていただきました。
ぶとう祭りに遭遇するとは、素敵なハプニングですね!
モンマルトル美術館、まだ訪れたことがないので次回のパリには行きたいです!
norio2boさんの説明が分かりやすくて、大学の講義を受けているような気持ちになりました。
ロートレック、ヴァラドンの才能を見出して、ドガが指導に当たっていたとは!
ますます絵画鑑賞が楽しみになりました。
他の旅行記も拝見させていただきますね!
ありがとうございました。
Morisot
- norio2boさん からの返信 2021/10/12 13:31:53
- Re: 楽しく拝見しました♪
- Morisotさん
メッセージありがとうございます。
二つご覧になって頂きありがとうございました。
ーーーーーー
シュザンヌヴァラドンの若い頃のユトリロの湯上がりスケッチはかなり上手ですね。
7歳の時のスケッチも
丁寧な描き方に惹かれるます。
ーーーーーー
ナポリのカポディモンテにもいらしてますよね?
ここにはブリューゲルが2枚あって僕も行きました。
旅行記アップしています。
ーーーーーー
あの頃の自由なひとり旅の思い出たちが夢のようです。
-
- salsaladyさん 2019/12/07 12:30:16
- 分別盛りのロダンとクローデル?
- ☆ロダンの集大成にこんな題名をつける意欲?(Really?)老婆がやり手だったのかな?
☆パリ訪問としては異色の登場で、40年前の初パリ時代を思い出しました。
☆当時は日本から大勢のお上りさんがvittonやChanelを買い漁ることで軽蔑されていましたが。。。今や大陸人が取って代わって爆買い?(良識有る日本人はホッとして)!
☆ノートルダム寺院が焼失した今は”サクレクール寺院”に人気が集まることでしょう。
☆SNSで”良いよ”と広めればすぐ満員になるのは洋の東西を問わないのかな?
p。s。蛇足ですが、西洋の重厚さに疲れたら東南アジアの喧噪と静かな海辺がお勧め!セブ島はカオスでもマクタン島のホテルは快適ですよ。
- norio2boさん からの返信 2019/12/07 16:46:01
- Re: 分別盛りのロダンとクローデル?
- salsaladyさん
旅行客いつも楽しく拝見させて頂いております。
読み手ことを考えた旅行記の編集で参考になります。
元気な旅行記は人を元気にする力があるようです。
12月に入り冷え込んで来ました。
暖かい温泉にでも避難したい毎日です。
風邪などひかないようご自愛ください。
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