2019/10/09 - 2019/10/09
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今、10月のパリにいます。
羽田からパリにやって来ました。
セーヌ川の左岸にある小さな古いホテルを8泊予約しました。
昨年2018年の11月にウィーンでブリューゲル没後450年展をみました。
そのあとブリュッセルで王立美術館、彼の結婚式と葬儀が行われた教会ノートルダムドラシャペル、自宅兼アトリエを見に行きました。
そんなようで、「ブリューゲルをたずねる旅」は一応終了しました。
ちなみに、四国八十八ヶ所では巡礼の終わりを結願(けちがん)と言います。願いを結ぶと言う意味で一般的な言葉だと満願です。ブリューゲルをまわる旅は満願となりました。
今年は海外旅行にはまだ行けていませんでした。
その気にならなかったというのが実態なんですが。
それでもようやく、10月にパリ往復のANA便とルーブルの近くのホテル8泊を取りました。
これといったテーマはありませんが、パリの街をぶらぶらしようかと思っています。
お伝えできる何かと巡り会えればと思っているのですが、、、
ーーーーーーーーーー
10月9日水曜日
ノジャンシュルセーヌへ日帰り旅行
ノジャンシュルセーヌはパリの南東100kmにある人口6000人くらいの小さな町です。
名前のようにセーヌ川の上流にあります。
セーヌ川は全長780kmもある蛇のように蛇行した川です。
この小さな町にカミーユクローデル美術館があります。
この美術館はフランスの国立美術館のひとつです。
カミーユクローデル(1864~1943)の作品
ロダンとの関係の苦悩を私小説のように造形した作品「分別盛り第二ヴァージョン(The Ages of Maturity or Destiny or the Path of Life or Fatality)」を見たのは2014年の末に行ったパリのロダン美術館でした。
https://4travel.jp/travelogue/10964926
カミーユ・クローデルの作品は90点しか残ってないと言われています。
ロダンとの関係が破綻し彫刻家として、女性として精神を病んだカミーユは自身の作品を破壊し続けます。
カミーユはロダンと弟子たちが作品のアイデアを盗みにくると思ったのです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
ノジャンシュルセーヌ までは電車です。
切符の予約はスマホ用のOUI.sncfをダウンロードして行いました。
他にもSNCFとかOMIOとかのソフトがありますがOUI.sncfが使いやすいと思いました。
写真は僕のトップページです。
名前
住所
電話番号
クレジットカード
を登録します。
65歳以上を登録しておけば、シニア料金が自動的に表示されます。 -
予約済みの一覧が表示されています。
それぞれの予約のEticket をタップするとバーコードが表示されます。
iPhoneを使っています。
Walletに入れておくと検札が来た時にスムースに出せます。
東駅発9:42
ノジャンシュルセーヌ着10:38
の列車を予約しました。
1等シニアで32ユーロでした。
乗車時間は56分です。 -
東駅まではUberを予約していました。
写真はスマホのUberの画面です。
ホテルに車が近づいているのが確認できます。
(プライバシーから車種やドライバーの部分はトリミングしています)
結論から申し上げると
パリでのUberはお勧めしません。
この日の朝の予約しかUberは使いませんでした。
14日にも東駅まで予約していましたがキャンセルしました。(キャンセル料は取られません)
予約していた8時45分に遅れて9時過ぎにホテル到着になってしまいました。
ようやく乗車した後も全面渋滞のセーヌ川あたりや侵入禁止になった道を避けてあっちへ行ったりこっちに行ったりで結局は東駅到着は10時13分なりました。
Uberからの請求メールは24.17ユーロで不満の返信レターを入れました。
パリ市内は大渋滞と一部区間の侵入禁止などは異常事態という印象でした。
但し、Uberの事務局サイドなら事前にそういった交通情報を掴む事は可能な筈だし、当たり前の顧客に対するサービス義務と思います。
少なくとも迎車時間が15分も遅れるのはおかしい(怠慢)と思います。
ホテルから東駅までは仮に歩いたとしても40分です。
Uberに乗ったために1時間以上かかったことになります。ホテル デュ ケ ヴォルテール ホテル
-
ようやく東駅です。
写真はパリ東駅の中央入り口に掲げられた絵です。
手前にはガラスで囲まれたおしゃれなカフェやチョコレートショップやいろいろなブースがいろいろ並んでいます。
マクドナルドもありました。
最近のタッチパネルの購入システムは革新的だと思います。パリ東駅 駅
-
パリ東駅の中央入り口の左側にはSNCFの窓口が並んでいます。(写真の正面です)
SNCFの窓口へ行きました。
次は11:42発にこのチケットは使えますか?
9:42のチケットそのままで11:42に乗れるとの返事でした。
ノジャンシュルセーヌでの滞在時間は4時間になりました。
プラットホームが掲示されるのは20分前だよ!と説明された。 -
11:42発の電車の表示です。
まだ、プラットホームは表示されていません。
東駅のトイレは地下です。
有料です(70セント)
汚ない無料トイレよりも清潔な有料の方が嬉しいです。 -
東駅の構内には旅行客の落とす食べかすを狙って鳥がいます。
SNCFのWiFiに登録しました。
いったん登録しておくとあとは各駅で使えます。
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「ブリューゲルをたずねる旅」を振り返る(2)
「ブリューゲルをたずねる旅」の出発前の旅の準備は観光スポットをタイトに回るような旅程作成作業と比べると楽でした。
作品の収蔵先は一般に公開されています。
そこへの飛行機などの移動手段の確保、美術館へは基本的に歩いて行ける宿泊施設の確保が出来れば計画は終了です。
安心で安全で「高齢者のひとり旅」にふさわしい日程表を作ります。
旅先で混乱しないように関係する項目を日程表に書き込んで置きます。
ドイツのミュンヘンやベルリンの作品が見られなかった旅の後からは
作品が見られるか?を確認するようにしました。
補修作業中だったり、どこかの美術館の特集展示に貸し出されていて見れないかという確認を飛行機と宿泊先の予約確定の前に行うようにしました。
ニューヨークのフリックコレクションやメトロポリタン美術館ではHPの作品欄に見に行くと展示状況が明示されています。
HPの問い合わせページに確認しますが返事が来ない(遅い)場合が多いです。
4TのみなさんのQAでアドバイスを頂いたのですが、美術館のInstagramやfacebookにコメントすると確かにレスポンスは早いようです。 -
25分遅れの発車になりました。
プラットホームが11番と表示されました。
11番ホームに進みます。
列車は既に入線していました。 -
先頭車両です。
-
予定の1時間でノジャンシュルセーヌ駅に到着しました。
4Tにはこのスポットは登録されていないようです。
「スポットの登録申請」というものがあります。
ノジャンシュルセーヌ駅
カミーユクローデル美術館
の2ヶ所の登録申請してみました。
(これはスマホからはできなくてPCからならできます)
約1週間で登録出来ましたというメールが来ました。ノジャンシュルセーヌ駅 駅
-
ノジャンシュルセーヌのプラットホーム
寂しい駅です。
下車したのは僕ひとりでした。 -
線路を渡る架橋の上からパリ東駅から来た列車を撮影しました。
奥にノジャンシュルセーヌ駅舎があります。
近くにはお店はありません。
駅舎の構内の自動販売機で飲み物とスナックを売っていました。
アウトレットで人気のトロワまではさらに30分乗ります。
写真の左側奥に白い煙を上げている太い煙突が2つ見えています。 -
スマホの地図の案内に従って進みます。
可愛らしい素敵なおしゃれな街並みの中を歩きます。 -
セーヌ川を渡ります。
セーヌ川の橋 建造物
-
橋の左側です。
写真の画面右側の奥に白い煙を上げているのがノジャンシュルセーヌ原発です。 -
橋の右側です。
セーヌ川の表示を入れて撮影しています。
「たゆたえども沈まず」
セーヌ川に託したパリに住む人たちの心意気だという。
ここまでくるとセーヌ川の印象も違う。 -
こんなおしゃれな喫茶店もありました。
-
カミーユクローデル美術館までは歩いて7分くらいです。
途中美しい街並みが続きます。
風が強かったです。
左折してこの道を進みます。 -
カミーユクローデル美術館が突き当たりに見えてきました。
-
Musée Camille Claudel
フランスの国立美術館のひとつです。
パリの東南東100kmのノジャンシュルセーヌにあるカミーユクローデル(1864~1943)が青春時代(12~15歳)を過ごした実家の敷地に2017年に開館しています。
同時に70作品がクローデル家から購入されています。
美術館のホームページの案内地図です。
http://www.museecamilleclaudel.fr/en/collections/les-incontournablesカミーユ クローデル美術館 博物館・美術館・ギャラリー
-
カミーユクローデル美術館の中庭です。
カミーユクローデルとオーギュストロダンの関係、カミーユクローデルの彫刻作品について知ったのは5年前にパリのロダン美術館に行った時のことです。
2014年のパリのロダン美術館の旅行記に書いていますのでご覧ください。
https://4travel.jp/travelogue/10964926 -
ロッカーとトイレは地下です。
コインを入れて鍵をして開けるとコインが戻ってくるタイプのロッカーです。
フロントでダミーのプラスチックのコインをくれました。
手ぶらで鑑賞が疲れずに楽しむ秘訣だと思います。 -
入場料はシニア(65+)で4ユーロでした。
カード払いといったら現金でお願いすると言われました。
オーディオガイド(英語)は無料です。(身分証明書が必要というのでパスポートを渡しました)
カミーユクローデル、オーギュストロダン以外にも関連する彫刻家の作品が展示されたいます。
今回は、散漫になるのでこの二人の作品に集中して鑑賞しました。
Musée Camille Claudel
10, rue Gustave Flaubert
10400 Nogent-sur-Seine
11am-18pm 月曜休館
7ユーロ、シニア4ユーロ
オーディオガイド無料 -
カミーユクローデル(1864~1943)
「Sakuntala」(シャクンターラ)
1888年カミーユ24歳の時の作品です。
ブロンズ。
シャクンターラはインドのサンスクリット文学の最高傑作「マハーバーラタ」(シューベルトによりオペラ化されている)に登場する主人公の姫の名前で、純情可憐で誇り高き女性の物語です。別れた王と再会し結ばれる物語です。
台座の右下にCAMILLE CLAUDEL 1888の刻印がありました。
この作品はまだカミーユクローデルがロダンを信じていた頃のものだと思います。
1883年にロダンの指導を得て、翌年の84年にはロダンのアトリエに入っています。
この美術館にはカミーユクローデルの作品が43あるといいます。
作者自身が自分の創造した作品を破壊するという前代未聞のことがあったのです。
ロダンと決別した後、
精神を病んでゆくカミーユクローデルは自分の作品を破壊してゆきます。 -
カミーユクローデルの師であり恋人であったオーギュストロダン(1840~1917)のブロンズ作品「La France」1902~1903制作
-
オーギュストロダン(1840~1917)
大理石の作品「Bacchantes enlacees」
1902~1903年の制作 -
オーギュストロダン(1840~1917)
石膏で作られた作品「Faune et Nymphe ou Le Minotaure」1885年制作
ミノタウロスはギリシャ神話に出てくる牛頭人身の怪物で快楽を求める悪の化身の象徴とされている。ロダンの50年後の世代の作家になるが、パブロピカソ(1881~1973)もミノタウロスを作品のテーマとして好んで登場させています。 -
オーギュストロダン(1840~1917)
緑青石膏の作品「Femme accroupie」1881年~1882年制作
「しゃがむ女」
これは師弟の競作という感じでカミーユクローデルの「しゃがむ女」も同じショーケースの中に展示されていました。
カミーユはロダンにとって最初の女性の弟子だったといいます。2年後1885年には弟子としてモデルとしての関係から愛人関係になっています。
ロダンの代表作の「カレーの市民」、「地獄の門」はその頃の作品です。カミーユは弟子として師であるロダンと一体になって創作に参加していたと思います。
そして、ロダンは若くて、美しくて、才能溢れるカミーユを愛し信頼し共鳴し制作していたと思います。 -
オーギュストロダン(1840~1917)
緑青石膏の作品「L Eternel Printemps」1884年制作
「永遠の春」 -
オーギュストロダン(1840~1917)
1884年
石膏
「帽子をかぶったカミーユクローデル」
石膏の汚れの為かもしれませんがさみしそうな表情をしているように見えました。
この時、カミーユクローデルは20歳でした。 -
オーギュストロダン(1840~1917)
これも同じく1984年、カミーユ20歳の時のものです。
緑青石膏
「短い髪のカミーユクローデル」
パリのロダン美術館からの長期貸与作品という表示がありました。 -
カミーユクローデル(1864~1943)
カミーユの4歳年下の弟のポールクローデル(1868~1955)の胸像です。
緑青石膏
カミーユ20歳、カミーユが特別に可愛いがった弟のポール16歳の時の1884年の作品です。
カミーユがロダンのアトリエに初めての女性弟子として参加する直前の頃の作品です。
ロダンがアトリエの中で大抜擢した理由「カミーユクローデルの素晴らしい才能」に驚かされます。
ロダンの代表作の「カレーの市民」(1884~1885年)、「地獄の門」(1880~1898年)の部分にもカミーユが制作したものがあると言います。 -
オーギュストロダン(1840~1917)
緑青石膏の作品「L Eternelle Idole」1902~1903制作
「L Eternelle Idole」「永遠のアイドル」 -
カミーユクローデル(1864~1943)
「L'Homme penche」1886年カミーユ22歳の時のブロンズ作品です。
「L'Homme penche」「うずくまる男」
カミーユクローデルがロダンの影響を強く受けている時期の作品です。
ロダンとの子供を中絶したのはカミーユ20歳の後半と伝えられています。
カミーユ30歳の1894年頃には2人は決別することになります。
アトリエでは2人の共生的な制作活動が実現していたものの、美術界や社交界に於いてはロダンはカミーユを「弟子のひとり」としてしか扱わず、「女性としても愛人」としてしか扱わなかったのでした。
個人的な見解ですが、、、
カミーユクローデルのこの「ロダンに対する対応」は余りに依存的だったと思います。
この時代の女性アーティストたちが男性アーティストと比較して「劣位」に社会的に、美術界で捉えられていたとする見解がありますがそうでもないと思います。
同時期に活躍し評価された画家には、、
パリのオランジュリー美術館に作品「シャネルの肖像」が展示されているマリーローランサン(1883~1956)や、、
モーリスユトリロの母でパリでの個展には当時のパリの市長が祝辞を述べたシュザンヌヴァラドン(1865~1938)や、、
オルセー美術館にあるマネの作品「すみれの花束をつけたベルトモリゾ」のベルトモリゾ(1841~1895)はモデル以上に印象派の女性画家として欠かせない存在です。
アートの世界でも女性の参加が行われて来ていた時代だったと考えて良いのではないでしょうか? -
カミーユクローデル(1864~1943)
「La Jeune Fille a la gerbe」1886年カミーユ22歳ロダンのアトリエに入って2年後のブロンズ作品です。
「La Jeune Fille a la gerbe」「束の上の少女」 -
カミーユクローデル(1864~1943)
「La Petite Chatelaine」1892~1893年カミーユ29~30歳の時の作品です。
緑青石膏。
この頃、ロダンの子供を中絶し、カミーユは精神的に苦しんでいました。
ロダンは内妻ローズの元に戻り、カミーユはロダンのアトリエを出て自分の、そして制作者としての自立を模索し始めた時期でした。
「La Petite Chatelaine」「荘園の少女像」にはカミーユクローデルの独自の世界を求める試みの作品だと思います。 -
カミーユクローデル(1864~1943)
写真の奥に「Auguste Rodin」のブロンズ像1888年~1889年カミーユ24~25歳の時の作品。手前は1885年21歳の時のブロンズ作「Jeune Femme aux yeux clos」
「Jeune Femme aux yeux clos」「目を閉じる若い女性」 -
先ほどの二つのブロンズ像を正面から撮影しています。
「目を閉じる若い女性」が「ロダン像」に対して目をそらせているように配置されているのは何か意味があるのでしょうか?
「目を閉じる若い女性」はカミーユクローデルの自画像ではないと思うのですが?
どなたか女性の方の旅行記に「この二つの像の配置」に別れてしまった二人のこころの距離を感じて寂しくなったという文章がありました。 -
カミーユクローデル(1864~1943)
「Modame Louis-Prosper Claudel」
1888~1890年の作品
ブロンズ
カミーユの母ルイーズの肖像です。
父親と母親の中は良くなかった。
母は次女のルイーズ(自分と同じ名前をつけている)の方を溺愛しカミーユには冷淡でした。
6歳からカミーユは彫刻を始めています。
芸術に無関心な母は益々カミーユに更に冷たくなったと言われています。
1913年にカミーユクローデル(49歳)は強制的に精神病院に入院させられてしまいます。
母のルイーズは一度も見舞いに行きませんでした。 -
カミーユクローデル(1864~1943)
「ワルツ」
1893年
ブロンズの作品です。
1892年にカミーユはロダンとの同棲生活に決別しています。ロダンから離れるために新しい作風を模索します。
「ワルツ」はカミーユクローデルのロダンから独立した新しい境地「音楽を彫刻に取り入れた作風」になっています。 -
カミーユクローデル(1864~1943)
「L'Implorrante ou Imploration」のブロンズ像1899年カミーユ35歳の時の作品。
師であり愛する人であったオーギュストロダンとの関係が破綻した頃です。
「L'Implorrante ou Imploration」 -
カミーユクローデル(1864~1943)
「L'Age mur」のブロンズ像1990年カミーユ36歳の時の作品。
「L'Age mur」「成熟」
ロダンと内妻のローズとロダンにすがるカミーユという私小説のような自分自身のテーマを主題にした作品です。
パリのロダン美術館の作品「分別盛り」の方が一回り大きい感じがした。 -
彫刻の左の部分のアップです。
老婆が老人に諭すように話しかけています。 -
彫刻の右の部分のアップです。
老人の後ろに引かれた左手とそれにすがるよう両手を伸ばす若い女です。
カミーユクローデル36歳
オーギュストロダン60歳
内縁の妻ローズ53歳
カミーユは3人の三角関係をめぐる物語をテーマに作品にしています。
聖書や歴史などの物語をテーマにした作品を残している場合が多いのですが、自分の人生の物語をテーマに、私小説的のように作品にした作家をカミーユクローデル以外に僕は知りません。
「ロダンの女」としてパリの社交界、パリの美術の世界で認知されていたカミーユクローデルにとって、ロダンが自分のものになること(結婚することも含めて)が自分の存在を肯定的に認めさせる為の残された選択肢だったのかも知れません。
カミーユの弟のポールクローデルは著書「わが姉カミーユ」の中で、『あの美しく誇り高いカミーユはこんなふうに自分を描いている。
嘆願し、屈辱を受け、ひざまずき、裸で。すべては終わった。
彼女は私たちの前に、こんな姿で永遠にさらされているのだ。』と記述しています。 -
カミーユクローデル(1864~1943)
カミーユは4歳下の弟ポールクローデル(1868~1955)をとても可愛いがっていました。
「37歳のポールクローデル」
1905
ブロンズ
こちらはポール39歳、カミーユ41歳の時の作品です。
姉を尊敬し、理解する弟はカミーユクローデルにとって特別の存在でした。
カミーユクローデルは1943年に30年間幽閉された病院で死去します。
生前に精神病院に姉をたずねたポールは敬愛するカミーユが余りにも痩せこけ、みすぼらしくなってしまったのを知り言葉を失ったと言います。
8年後の1951年にポールはパリのロダン美術館で敬愛する姉カミーユクローデルの回顧展を行なっています。その時のカミーユ作品はそのままロダン美術館に残されています。「分別盛り」もその一つです。
姉カミーユにとって弟ポールは特別な存在、心の支えだったと思います。
ーーーーーーーーーーーーー
ポールクローデルは外交官であり、劇作家であり、詩人でした。ロマンロランとはパリのルイ大王高等中学校の同級生で生涯の友でした。1890年にはフランスの外交官試験にトップで合格し外交官としてのキャリアを重ねています。1921年には駐日大使として活躍しています。姉カミーユの影響で「ジャポニズム」に感化されていたポールは文化交流に努めています。1924年には渋沢栄一と協力し日仏会館を立ち上げています。
86歳で姉カミーユの死後12年目の1955年に死去しました。葬式はパリのノートルダム寺院で国葬で行われています。 -
オーギュストロダン(1840~1917)
1892年
石膏
「L'Adieu」(別れ)
カミーユクローデルがパリに来て本格的に彫刻を学びはじめたのが1881年
ロダンから指導を受けたのが1883年、ロダンのアトリエに入ったのが翌年の1884年です。
モデルとして、アシスタントとしてさらにはロダン作品への独自の才能溢れる関与で輝く時期を送ります。
1890年には二人の関係は破綻してゆきました。 -
右横から撮影してみました。
ロダンの「天才」を感じます。
別れの悲しみにうなだれる女性の横顔がまるで生きているように感じられます。 -
カミーユクローデル(1864~1943)
「Tete de vieil aveugle chantant」1894年カミーユ30歳の時の作品です。
石膏。
「Tete de vieil aveugle chantant」「盲目の老人の歌」 -
カミーユクローデル(1864~1943)
「Les Bavardes ou Les Causeuses」1896年カミーユ32歳の時の作品です。
石膏
「Les Bavardes ou Les Causeuses」「噂話、女のおしゃべり」
師であるオーギュストロダンの作風から離れてカミーユクローデル独自の構成を模索した作品だと思います。 -
カミーユクローデル(1864~1943)
「Reve au coin du feu」1903年カミーユ39歳の時の大理石の作品です。
少女時代の懐かしい思い出が溢れている作品だと思います。
「Reve au coin du feu」「暖炉のそばの思い出」
美術史家によると、40歳後半には精神病(統合失調症)になり、48歳になると精神病院に隔離入院します。1943年戦争中に78歳で亡くなっています。病院から出ることは叶わなかったという。
精神を病んだカミーユクローデルは自分の作品の多くを自ら破壊しています。
このカミーユクローデル美術館には残された43の作品が展示されています。
自分の作品を破壊し続けたのは「ロダンがアイデアを盗みに来る」という考えでした。
30歳頃のカミーユはロダンの作風を離れた作品を意識的に制作しています。 -
カミーユクローデル(1864~1943)
「La Sirene ou La Joueuse de flute」1905年カミーユ41歳の時のブロンズの作品です。
「La Sirene ou La Joueuse de flute」「フルート吹き」
1913年父親は死去します。
その8日後に48歳のカミーユクローデルは精神病院に強制的に入院します。
30年間一度も退院出来ず、1943年78歳で死去しています。
精神病院でカミーユクローデルが制作をすることはありませんでした。
アートの制作活動が精神病患者に対して良い影響、効果的な治癒効果があることは知られています。
数多くの制作者にとって創作活動が「癒し」であるのですが、カミーユクローデルが病院で作品を作ることはありませんでした。 -
台座の裏面部分にはカミーユクローデルのサインがありました。
-
見学を終えて
地下でトイレとロッカーから荷物を出してオーディオガイドを返してパスポートを返して貰いました。
写真の左側がフロントでチケット購入、オーディオガイド貸出をします。
右側が簡単なミュージアムショップになっています。
カフェはありません。カミーユ クローデル美術館 博物館・美術館・ギャラリー
-
カミーユクローデル美術館を出たところです。
-
振り返ったところです。
MCCが省略形の美術館の名前です。 -
美術館の左側の道です。
-
来た道を戻ります。
-
脇道を遠回りして帰るのも楽しいのですが、、、、
-
ノジャンシュルセーヌ原子力発電所のアップです。
パリから120km、トロワから50kmの所にあります。
パリに一番近い原子力発電所です。
セーヌ川の水を冷却水に使っている。
二重のチェックが行われているという。 -
ノジャンシュルセーヌのパリ行き登りのプラットホームです。
16:20ノジャンシュルセーヌ発
17:16パリ東駅着
予定通り56分の運行でした。ノジャンシュルセーヌ駅 駅
-
ノジャンシュルセーヌからの帰りのパリ東駅までのチケットです。
ノジャンシュルセーヌ16:20
パリ東駅着17:16
ノジャンシュルセーヌに4時間滞在出来ました。
バーコードの下には僕の名前(マスキングしています)と生年月日が表示されます。(誕生日サービス特にはありませんでしたが) -
電車の中には電源があります。
車内WiFiがあると車内に表示がありましたが実際は電波をキャッチ出来なかったです。
帰りの車内でパリ東駅からホテルへの道案内を調べました。
地下鉄7番で10分でルーブル美術館駅まで。
ルーブル美術館駅から徒歩10分でホテルですパリ東駅 駅
-
パリ東駅のピアノです。
下手な人でも弾いています。
NHKのような録音録画はしていないようでした。パリ東駅 駅
-
ルーブル美術館駅を南に進んで橋を渡った左岸がホテルです。
パリは昼間はちょっと降ったようでした。
雨が上がって晴れた夕方です。
黒い街灯と黒いポールがパリらしい景観を演出しています。
写真の右側がセーヌ川です。
川沿いに本屋さんが並んでいるのですが、今日は開けてないようです。 -
宿泊している「Hotel du Quai Voltare」です。
一番上の階(5階)の一番左が僕の部屋です。ホテル デュ ケ ヴォルテール ホテル
-
ホテルの前にパリのレンタルサイクルVelib(ヴェリブ)のステーションがあります。
今日の昼はパリは雨だったので使われていません。
奥に見えているドームはフランス学士院です。
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この旅行記へのコメント (12)
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- YU_KAさん 2019/11/28 22:52:58
- 素晴らしい旅行記
- norio2bo様
いつも旅行記に寄っていただいて、ありがとう御座います。
自分の旅行記が恥ずかしくなるほど素晴らしい旅行記の数々で、
10月のパリ記は途中までとなりますが思わず読み入ってしまいました。
旅慣れていらして、旅スタルもとても参考になります。
実際に旅しているかのような気持ちになりました。
ぜひまたパリの旅行記の続きに寄らせて下さい。
YU_KA
- norio2boさん からの返信 2019/11/29 00:41:45
- Re: 素晴らしい旅行記
- YU_KAさん
メッセージ頂きありがとうございます。
パリ旅行記拝見しました。
ルーブルの作品鑑賞のところ感銘を受けました。
次はモンマルトル歩きをまとめています。お暇な時にご覧いただければと思います。
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- ばねおさん 2019/11/08 06:00:09
- 大いに参考になります
- norio2boさん
こんにちは
2年前に開館したばかりのカミーユ・クローデル美術館には、いずれ行こうと思っていたところに、norio2boさんの旅行記で出会うことができました。
これから出かける者にとっては、norio2boさんの細かな案内と描写がたいへん参考になり助かります。
第一信にも書かれていたUberの利用についても、とても興味深く読ませていただきました。結果としてはお勧めしないということでしょが、何事もチャレンジですね。
東駅の有料トイレは、私も何度か利用しています。つい最近まで0.5ユーロだったのにいつの間にか0.7ユーロになってしまいました。
一点気になったのは空港からホテルまでのタクシー代です。
もしかしたらメーターを倒しての請求なのでしょうか?
ご記憶でしたら参考までに教えてください。
ばねお
- norio2boさん からの返信 2019/11/08 07:53:10
- Re: 大いに参考になります
- ばねおさん
素晴らしい旅行記拝見しています。パリ、フランスの大先輩に拙文へコメント頂き恐縮しています。
一般的にはノジャンシュルセーヌは原発の方が知られているようです。
カミーユクローデルの人生は人の心の琴線に触れるものがあるようです。
ばねおさんから見たカミーユクローデル美術館の旅行記を拝見できる日を楽しみしています。
今後ともよろしくお付き合いのほどお願い致します。
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空港からのタクシー代金は定額制なのを失念しておりました。
- ばねおさん からの返信 2019/11/10 00:36:28
- Re: 大いに参考になります
- norio2boさん
ご返信ありがとうございました。
「パリ、フランスの大先輩」というような存在では決してありませんことを
はじめにお断りしておきます。
私のほうこそnorio2boさんのブリューゲルに関する数々の記述に感嘆している次第です。
パリの空港⇔市内のタクシーですが、私は年に数回は空港⇔市内を往復しますがタクシー利用はほとんどなく、今年に入って一回だけ利用しました。
数年前から定額制になってから利用したのは初めてです。
乗車時に固定料金(私の場合は左岸なので55ユーロ)であることを確認し、その通り支払いました。
その時にメーターはどうなっていたのか、まったく倒さなかったのかあるいは「固定」というようなボタンでも押したのか記憶がないのです。
一方、メーターを倒してメーター料金を請求するタクシーもあるというようなことも聞き及んでおります。
固定料金というものがどこまで徹底されているものなのか、興味もあってお尋ねいたしました。
今後とも詳細な旅行記に期待しております。
ばねお
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- ドロミティさん 2019/11/04 10:06:36
- カミーユ・クローデル
- norio2boさん、おはようございます。
norio2boさんのしみじみとした解説とカミーユ・クローデルの作品に
心打たれました。
今度パリに行ったら、ノジャンシュルセーヌの町と
カミーユ・クローデル美術館を訪ねてみようと思いました。
素晴らしい旅行記をご紹介くださり、どうもありがとうございます。
ドロミティ
- norio2boさん からの返信 2019/11/04 14:04:24
- Re: カミーユ・クローデル
- ドロミティさん
いつも旅行記拝見拝読しています。
ノジャンシュルセーヌの旅行記にコメント頂きありがとうございます。
「ノジャンシュルセーヌ駅」と「カミーユクローデルは
- norio2boさん からの返信 2019/11/04 14:08:33
- Re: カミーユ・クローデル
- ドロミティさん
いつも旅行記拝見拝読しています。
ノジャンシュルセーヌの旅行記にコメント頂きありがとうございます。
「ノジャンシュルセーヌ駅」と「カミーユクローデル美術館」は4Tにはスポット登録がありませんでした。
登録申請しましたので、是非現地に足を伸ばしてください。
来場者が少ない美術館です。
賑やかになってくれればカミーユも喜んでくれると思います。
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- milkさん 2019/11/04 09:06:24
- 早く行ってみたい...
- norio2boさん、こんにちは。
カミーユ・クローデルはこんなに可愛い街で暮らしていたのですね。
この街に住み続けながら彫刻を楽しんでいたのと、パリでロダンに出会ったのと、どちらが幸せだったのでしょう...。
才能を開花させたのはロダンの影響もありますよね。
ロダンもカミーユに出会わなかったら、現在こんなに素晴らしい作品は半分も残されていなかったかもしれない。
出会わなければならない二人だったのでしょうが、やっぱりカミーユ・クローデルがかわいそうでなりません。
私も早くカミーユ・クローデル美術館に行きたいです。
そして、街ものんびり歩きたいですね。
あの、お洒落なカフェでお茶もしてみたい。
素敵な旅行記をありがとうございました。
milk
- norio2boさん からの返信 2019/11/04 09:48:30
- Re: 早く行ってみたい...
- milkさん
ノジャンシュルセーヌへの日帰り旅行記にコメント頂きありがとうございました。
美味しいそうなスィーツ満載の旅行記楽しく拝見拝読しています。
ノジャンシュルセーヌはパリ東駅から1時間のところです。充分に日帰り可能です。カミーユクローデルの天与の才能の鑑賞に是非いらしてください。
女性からみた「カミーユをたずねる旅」の旅行記を拝見したいと思っています。
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- ラムロールちゃんさん 2019/11/02 20:56:46
- 何度も読みました
- norio2boさん、こんばんは。
カミーユ・クローデル美術館について、とても興味深く読ませていただきました。
以前から関心のあった人物なので。
カミーユといえば、私は、イザベル・アジャーニ主演の映画「カミーユ・クローデル」で、その生涯を知りました。
美術館、このような小さな町にあったのですね。
いつか行ってみたいな…と思います。
ラムロール
- norio2boさん からの返信 2019/11/03 14:37:52
- Re: 何度も読みました
- ラムロールさん
いつも歯切れの良い旅行記楽しく拝見拝読させて頂いています。
ノジャンシュルセーヌへの旅行記にコメント頂きありがとうございます。
5年ほど前にロダン美術館でカミーユの作品を見ました。
その他のカミーユ作品を見てみたいと思っていました。2年前のノジャンシュルセーヌの美術館はオープンしています。
芸術家どうしの共同生活の困難さの事例には
印象派時代のゴッホとゴーギャンの破局があります。
芸術家が天才的であるほど共生は難しいものだと思います。
パリ東駅から1時間で行けます。
是非たずめて見てください。
旅行記で感想をお聞かせ頂けるのをお待ちしています。
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