2015/04/19 - 2015/04/19
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norio2boさん
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モーリスユトリロ(1883~1955)はパリの街角の風景を描いた画家です。
ユトリロの寂しいパリの絵をみて、、、
パリってこんなところなのか~とパリのさびれた様子に不思議な魅力を感じた人
その不思議な風景に魅了されていつかはパリへ行ってみたい!と思った人
あるいは、こんな静かな絵を自分も描いてみたい!と思い絵を始めた人
そんな風にそれぞれに、ユトリロの絵に心を揺さぶられた人は多いと思います。
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本題です
2015年春に、東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館(Seiji Togo Memorial Sompo Japan Nipponkoa Museum of Art)でモーリスユトリロとユトリロの母スザンヌヴァラドンの展示が開催されました。
「ユトリロとヴァラドン 母と子の物語」
この展示に触発されてオムニバスな構成の旅行記を作ってみました。勝手に時と場所が変わる旅行記です。
2015年に書いて公開しないまま、忘れていた旅行記です。
- 旅行の満足度
- 3.0
- 観光
- 3.0
- グルメ
- 5.0
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2015年4月 新宿/日本
「東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館」は新宿駅の西口から歩いて8分
ここには、偽物か本物かで話題になった「ゴッホのヒマワリ」があります。58億円で落札した頃は安田火災という組織名でした。
(ゴッホは、特に晩年は同じ絵を何枚も描いているので一概には真偽のほどは確認出来ません。中でも、「ヒマワリ」は友人のゴーギャンを迎える部屋を飾りつけるため何枚も描いていました)
ご自身の鑑定眼を試しにこの美術館に行くのも興味深いことと思います。
展示作品の撮影は禁止されていました。
ユトリロヴァラドン美術館の紹介のパネルがありました。
サノワ
フランスSOMPO美術館 美術館・博物館
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2014年12月 パリ フランス オランジェリ美術館
写真はオランジェリ美術館にあるユトリロです。
パリのオランジェリ美術館には4枚のユトリロがありました。
モーリスユトリロ(1883~1955)の作品は
日本橋のブリジストン美術館に1枚、
竹橋の国立近代美術館に2枚あります。
どれも「白の時代」と呼ばれる、パリの街角を独特の心象で描いた寂しげな(人が誰もいない)風景画です
オランジェリのこの作品を見た印象は、、、、、
まずは、これだけ人を沢山描きこんでいるのは珍しい
特に、異常に大きく描かれた女性の臀部
そしてそれが全員後ろ姿!
ユトリロの女性に対する主張と言うか
こう描いた必然性は何なのか?
生々しいユトリロの女性観を見た気がしましたオランジュリー美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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同じくオランジェリ美術館の収蔵作品
20世紀前半のパリには各国からアーティストが集まりました。
パリのモンマルトルやモンパルナスには画家たちが集まり競争をしていました。
そして、殆どが外国人でした。モーリスユトリロはマリーローランサンとともに数少ないフランス生まれの人でした。
ピカソはスペイン、
モジリアニはイタリア、
シャガールやスーティンはロシア、
モンドリアンはオランダです。
名声と成功を求めて芸術の都「パリ」に各国から芸術家は集まっていました。
日本からは藤田嗣治がいました。オランジュリー美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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同じくオランジェリ美術館にある
「クリニャンクール教会」1909年
この作品はユトリロらしいです。
純白の白が汚れている、白の使い方がユトリロの特徴です。
誰もいません。
ユトリロの初期の作品を美術評論家は「白の時代」と呼んでいます。アルコール漬けの私生活は荒れていましたが、画面には不思議な「静謐さ」があります。オランジュリー美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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同じくオランジェリ美術館の収蔵の4枚目の作品です。
オランジェリ美術館への旅行記です
https://i.4travel.jp/travelogue/show/10969570オランジュリー美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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2015年4月 新宿 日本に戻ります
東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館
美術館入り口SOMPO美術館 美術館・博物館
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美術館のフロアに上がったところです。
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バラドン、ユトリロ、母と息子の解説パネルが並んでいました。
シュザンヌヴァラトン
1914年、ユトリロの3歳年下の親友でシュザンヌには21歳年下のアンドレ・ユッテルと2度目の結婚をしています。 -
新宿の街並み
東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館は42階です。 -
シュザンヌヴァラドン(1865~1938)
シュザンヌも父親は不明です。
アルコール中毒の母と共にパリに出てきて、前から憧れていた「空中ブランコ乗り」になります。
ブランコから落ちてから、画家のモデルに転向しています。
ピエールシュバンヌ(上野の西洋美術館にある「貧しき漁夫」を描いた(1824~1898)やピエールオーギュストルノワール(1841~1919)のモデルをしています。
モーリスユトリロを1883年18歳の時に出産します。シュザンヌの息子のユトリロも父親は不明です。
美術史研究家のなかには、
シュバンヌか
ルノワールが
ユトリロの父親ではないかという人もいます。
ユトリロはシュザンヌの母(アルコール中毒のお婆ちゃん)に育てられます。祖母は癲癇の発作を起こしたユトリロ坊やにアルコールを与えます。8歳の時にはアルコール中毒になってしまいます。SOMPO美術館 美術館・博物館
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2015年4月
東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館
写真はシュザンヌヴァラドンの作品です。
「モーリスユトリロの肖像」1921年
ユトリロヴァラドン美術館蔵
母のヴァラドン描いた息子ユトリロの肖像画です。ユトリロは1883年生まれですから、38歳の時の肖像画ということになります。
ユトリロは女流画家の母シュバンヌヴァラドンが18歳の時に産んだ子供です。
ユトリロはアル中の祖母に育てられますが、ユトリロは2歳で癲癇の発作を起こします。祖母は発作を抑えるためにユトリロにアルコールを与え、ユトリロは8歳の時には一人前のアル中になってしまいます。
精神病治療を受け1902年19歳の時に水彩画をやるようになります。モンマルトルの風景画を描き始めたユトリロは精神的に解放され安定しました。
絵には人を癒やす力があるのです。
この自画像の1921年頃はシュザンヌヴァラトンとユトリロの2歳年下のアントレユッテルと生活をしていた頃です。精神的なダメージを受けたユトリロは大量な飲酒を繰り返すようになりました。 -
同じくヴァラドンの絵です。
「窓辺のジェルメーヌユッテル」1926年(シュザンヌヴァラトン61歳)の作品です。個人蔵。
モデルは1914年にシュザンヌヴァラトンが再婚したアンドレユッテルの妹です。
ヴァラドンのパリでの初めての個展のオープニングではパリ市長が祝辞を述べています。
シュザンヌヴァラドンはパリの画壇で認められた画家だったのです。
絵を描き始めたきっかけは同棲相手のロートレックに画家としての才能を見出されたからでした。印象派の画家たちも彼女のデッサン力を認めていました。
シュザンヌヴァラトン67歳の1932年には、パリのプティジョルジュ画廊でシュザンヌヴァラトンの展覧会が開催されています。当時のフランスの首相エドワール・エリオがそのカタログに序文を寄せています。 -
2015年2月 日本橋 東京
ブリジストン美術館にある1枚です。
日本国内にはユトリロの絵は沢山あります。ユトリロの描いた寂しげな心象風景は多くの日本人の共感を誘うものがあるからだと思います。
「サン・ドニ運河」1906-1908年
ユトリロ Maurice Utrillo 1906-8 Saint-Denis Canal
1905年頃22歳のユトリロはアントレユッテルと知り合います。2歳年下のユッテルとパリの風景画を描きに行っています。
ユトリロの母シュザンヌヴァラトンは1909年にユッテルと恋愛関係になり1914年にはシュザンヌ49歳の時に結婚しています。
ユトリロはそんな母をどう思っていたのでしょうか?
ユトリロのサイン「Maurice Utrillo V.」に母への思いがあるように思います。最後の文字のVはシュザンヌヴァラトンのValadonの頭文字であるとされています。 -
2015年9月 ボストン 米国
ボストン美術館にあるルノアールのシュザンヌヴァラトンを描いた作品です。この作品はボストン美術館の中でも人気のある1枚です。
ピエールオーギュストルノワール
「ブージヴァルのダンス」Bal à Bougival 1883年
カンヴァスに油彩
181.9×98.1cm ボストン美術館蔵
作品のモデルは、シュザンヌヴァラドンとポールオーギュストロートとされています。ルノアールは奥さんをモデルにして同じく縦長のダンスの作品を残しています。
シュザンヌヴァラトンはルノアールのお気に入りのモデルでした。
この作品は1883年です。シュザンヌヴァラトンは18歳でした。シュザンヌヴァラトンがユトリロを産んだのが1883年です。同棲を始めたロートレックにデッサンの才能を認められるのがその3年後のことです。シュザンヌは描かれる立場のモデルから描く方の画家になって行きます。
ボストン美術館の旅行記です。https://i.4travel.jp/travelogue/show/11080281 -
2016年10月 上野 東京 日本
国立西洋美術館にあるシャヴァンヌの作品です。
ピエールピュウィスドシャヴァンヌ
Pierre Puvis de Chavannes (1824~1898)
「貧しき漁夫」"Poor Fisherman" 105.8x68.6cm 1887~1892年作「松方コレクション」
同じテーマの作品がパリのオルセーにあります。
ユトリロの父はルノアールかシャヴァンヌかとする美術史家の意見に対して、個人的な見解ですが、この二人のうちのどちらかとするならばシャヴァンヌとした方が画家のDNAとしては繋がっているように思います。
シャバンヌは1824年生まれですから、ユトリロが生まれた1883年にはまだ59歳です。 -
写真は、ロートレックが描いたシュザンヌヴァラトンです。タイトルは「洗濯女」1884年 油彩キャンバス 93x75cm 個人蔵(この作品は直接に見ていません)
ロートレックの卓越したデッサン力が感じられると同時に、「真摯に」描いているのが分かります。
ロートレックはシュザンヌを画家とし推挙しました。彼女の絵の才能に気づきドガにデッサンを学ばせます。 -
この写真もトゥールズロートレック(1864~1901)の描いたシュザンヌヴァラトンです。
「二日酔い」1888年 米国マサチューセッツ フォッグ美術館蔵(ここも行っていません)
1883年頃、ロートレックと知り合い、モデルとしては同棲生活を始めます。
ロートレックはヴァラトンをシュザンヌと呼び、この頃から、シュザンヌが通り名になりました。 -
この旅行記の最後の写真になります。
シュザンヌヴァラトンが描いた彼女の息子ユトリロの鉛筆画です。ユトリロが7歳ということは1890年の作品です。
シュザンヌヴァラトンがロートレックと同棲生活を始めたのが1886年、その後、ロートレックの紹介でエドガードガ(踊り子の絵の作者)にデッサンと油彩技法を学んでいます。
右にシュザンヌヴァラトンのサインが読めます。
mon fils
7ans
Suzanne Valadon
私の息子
7歳
シュザンヌヴァラトン
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