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上田城は、戦国時代末期に信濃国小県の真田本城主の真田氏当主の昌幸が、天正11年(1583年)に築城した平城です。天正11年、天正13年、天正18年と何度かの過程を経て完成しました。第一次・第二次上田合戦で、徳川軍を二度にわたり撃退した難攻不落の城として知られています。

2018秋、群馬と長野の名城(17/20):10月27日(7):上田城(1):西櫓、南櫓、上田城址碑

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2018/10/26 - 2018/10/27

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旅人のくまさん

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上田城は、戦国時代末期に信濃国小県の真田本城主の真田氏当主の昌幸が、天正11年(1583年)に築城した平城です。天正11年、天正13年、天正18年と何度かの過程を経て完成しました。第一次・第二次上田合戦で、徳川軍を二度にわたり撃退した難攻不落の城として知られています。

交通手段
観光バス JR特急
  • 駐車場からは、少し歩いてこの場所にやって来ました。前方に見えるのは、南櫓の光景です。かつての本丸には、7棟の櫓がありました。いずれも元和8年(1622年)真田信之の松代転出後に上田城主となった、仙石忠政が行った寛永3年(1626年)からの上田城復興工事の際に建てられました。

    駐車場からは、少し歩いてこの場所にやって来ました。前方に見えるのは、南櫓の光景です。かつての本丸には、7棟の櫓がありました。いずれも元和8年(1622年)真田信之の松代転出後に上田城主となった、仙石忠政が行った寛永3年(1626年)からの上田城復興工事の際に建てられました。

  • 同じく、少しズームアップした、南櫓の光景です。現在、本丸の東西虎口には隅櫓が3棟ありますが、南櫓・北櫓の2棟は、明治維新後、他所へ移築されていたものを現在地に再移築したものです。<br />

    同じく、少しズームアップした、南櫓の光景です。現在、本丸の東西虎口には隅櫓が3棟ありますが、南櫓・北櫓の2棟は、明治維新後、他所へ移築されていたものを現在地に再移築したものです。

  • 少し角度を変えて眺めた、南櫓の光景です。その背後に櫓門と北櫓の姿が見えていました。本丸の東面に並んだ建物群です。

    イチオシ

    少し角度を変えて眺めた、南櫓の光景です。その背後に櫓門と北櫓の姿が見えていました。本丸の東面に並んだ建物群です。

  • 南側から眺めた、南櫓の光景です。南櫓は、江戸時代には『東川手櫓』と呼ばれていたようです。

    南側から眺めた、南櫓の光景です。南櫓は、江戸時代には『東川手櫓』と呼ばれていたようです。

  • 西櫓の光景です。西櫓という名前は戦後につけられたもので、江戸時代には『西川手櫓』と呼ばれていたようです。この西櫓は、仙石忠政によって寛永3年(1626年)からおこなわれた復興工事の際に建てられたもので、その後建て直した記録がないことから、当時のまま現存していると考えられています。

    イチオシ

    西櫓の光景です。西櫓という名前は戦後につけられたもので、江戸時代には『西川手櫓』と呼ばれていたようです。この西櫓は、仙石忠政によって寛永3年(1626年)からおこなわれた復興工事の際に建てられたもので、その後建て直した記録がないことから、当時のまま現存していると考えられています。

  • 土の斜面の上に続く、切り立った崖の光景です。

    土の斜面の上に続く、切り立った崖の光景です。

  • 土の斜面の上に続く、切り立った崖の光景です。土の崖のように見えますが、石壁のようにも見えました。崖になった部分は、斜面を垂直に切り落としたものかもしれません。

    土の斜面の上に続く、切り立った崖の光景です。土の崖のように見えますが、石壁のようにも見えました。崖になった部分は、斜面を垂直に切り落としたものかもしれません。

  • 同じく、土の斜面の上に続く、切り立った崖の光景です。土の崖のように見えますが、石壁のようにも見えました。

    同じく、土の斜面の上に続く、切り立った崖の光景です。土の崖のように見えますが、石壁のようにも見えました。

  • 道案内標識の光景です。上田市立博物館と長野県宝・植田城櫓が記されていました。

    道案内標識の光景です。上田市立博物館と長野県宝・植田城櫓が記されていました。

  • 『お堀の移りかわり』のタイトルがあった説明パネルの光景です。ケヤキ並木の湖の道は、かつての『二の丸堀跡』であり、電車が走っていた時期もあったと紹介されていました。延長646間(約1163メートル)の規模を持ちます。

    『お堀の移りかわり』のタイトルがあった説明パネルの光景です。ケヤキ並木の湖の道は、かつての『二の丸堀跡』であり、電車が走っていた時期もあったと紹介されていました。延長646間(約1163メートル)の規模を持ちます。

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  • 『上田城下町絵図』のタイトルがあった説明パネルの光景です。

    『上田城下町絵図』のタイトルがあった説明パネルの光景です。

  • 『上田城址・土屋竹雨』のタイトルがあった漢詩碑の光景です。末尾に『門人・南村・笠井輝書』の落款がありました。漢詩部分は、『英雄父子據孤城 曽扼関東十萬兵 故國蒿莱剰楼櫓 亂山如戟勢崢?飼』の七言絶句です。

    『上田城址・土屋竹雨』のタイトルがあった漢詩碑の光景です。末尾に『門人・南村・笠井輝書』の落款がありました。漢詩部分は、『英雄父子據孤城 曽扼関東十萬兵 故國蒿莱剰楼櫓 亂山如戟勢崢?飼』の七言絶句です。

  • こちらの碑には、先程の漢詩の読みが記されていました。その全文は、『英雄父子孤城に據(よ)り 曽て(かつて)扼(やく)す関東10万の兵 故国蒿莱(ここくこうらい)楼櫓(ろうろ)を剰(あま)し 乱(らん)山戟(げき)の如く勢崢?飼(そうこう)』です。

    こちらの碑には、先程の漢詩の読みが記されていました。その全文は、『英雄父子孤城に據(よ)り 曽て(かつて)扼(やく)す関東10万の兵 故国蒿莱(ここくこうらい)楼櫓(ろうろ)を剰(あま)し 乱(らん)山戟(げき)の如く勢崢?飼(そうこう)』です。

  • 『国指定・史蹟』のタイトルがあった説明パネルの光景です。名粗油は『上田城跡』、昭和9年(1934年)12月に指定されたことなどが記されていました。平成25年(2013年)1月、文化庁と上田市教育委員会の連名で立てられていました。<br />

    『国指定・史蹟』のタイトルがあった説明パネルの光景です。名粗油は『上田城跡』、昭和9年(1934年)12月に指定されたことなどが記されていました。平成25年(2013年)1月、文化庁と上田市教育委員会の連名で立てられていました。

  • 『史跡・上田城址』の文字が刻まれた石標の光景です。

    『史跡・上田城址』の文字が刻まれた石標の光景です。

  • 『二の丸堀跡』に架かる樫の上から眺めた城内方面の光景です。

    『二の丸堀跡』に架かる樫の上から眺めた城内方面の光景です。

  • 『二の丸堀跡』に架かる樫の上から眺めた虎口の石垣の光景です。

    『二の丸堀跡』に架かる樫の上から眺めた虎口の石垣の光景です。

  • 『二の丸堀跡』に架かる樫の上から眺めた、先程通った『二の丸堀跡』の光景です。

    『二の丸堀跡』に架かる樫の上から眺めた、先程通った『二の丸堀跡』の光景です。

  • 二の丸虎口跡の石垣光景です。

    二の丸虎口跡の石垣光景です。

  • 上田城址の上空光景です。青空と白い雲をバックに、黄葉と紅葉の木々が立ち並んでいました。

    上田城址の上空光景です。青空と白い雲をバックに、黄葉と紅葉の木々が立ち並んでいました。

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