1991/01/22 - 1991/04/08
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今は昔。
旦那の仕事の関係で二ヶ月ちょっと滞在したシンガポール。
当時はマーライオンの像は有ったものの、マリーナベイサンズはまだまだ影も形も無く、ラッフルズ・プレイスの高層ビル群もボチボチと言った雰囲気。
今ではブギス・ジャンクションになっているあたりは、都市再開発のため古びたプラナカン建築のショップハウスが次々に取り壊されている真っ最中。
この頃のシンガポールは、東南アジアの雰囲気が色濃かったなあと思い出してみます。
滞在期間は二ヶ月ちょっとでしたが、仕事で忙しい旦那は置いてマレーシアやインドネシアにチョコチョコ行っていたり、観光スポットで撮った写真は友人たちに送ったりしたので、手元に残っている紙焼き写真は意外と少数。
ネガもその後の引っ越しなどで紛失して不完全なのが残念です。
表紙の画像は、オーチャード・ロードからちょっと入った場所にあるエメラルド・ヒル・ロード。
1901年から1925年にかけて建てられた、カラフルなプラナカン建築のテラス・ハウスが並んでいます。
●注: プラナカンというのは、17世紀にマレー諸島に渡った中国系移民の子孫のこと。
文化、伝統、生活様式、食生活も、中華風にマレー風の入り混じった独特のスタイルを持っています。
プラナカン建築は、西洋+東洋の建築様式や装飾が折衷され、コリント様式の柱、地中海風の窓や鎧戸、中国風絵柄の装飾タイルが特徴。
上の方で言ったショップ・ハウスもテラス・ハウスもプラナカン建築ですが、前者は一階部分がアーケード付き商店、二階から上部分が居住部分。
後者は居住専用で、ちょっとした前庭(テラス)付きになっています。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 船 タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
中心部の区画整理と都市再開発の真っ最中だったシンガポール。
古びたプラナカン建築の3階建てショップ・ハウスが、文字通り軒並み取り壊し中だったエリアをよく見かけた。
ここは、今ではブギス・ジャンクションになって賑やかな街並みを見せているあたりだったような…。
間違っていたらすみません。(^^;
でも、もし、そうだったとしたら、山崎朋子氏の著書『サンダカン八番娼館』の続編の『サンダカンの墓』に出て来るシンガポールに渡ったからゆきさんたちの花街だったハイラム街、マレー街、マラバー街界隈もこの頃に消滅したのかも。
取り壊し中の街角は立ち入り禁止の場所もあったから確かめられなかったな。
そのハイラム街、マレー街、マラバー街は、今ではブギス・ジャンクションのアーケード・ショッピング街の中に名前が残っているだけ。
その様子は、次の旅行記にアップ済みですので、参考にしてみたい方はご覧ください。
★シンガポール今昔(1) 日本人墓地公園と、ステレツ(花街)の名残り
https://4travel.jp/travelogue/10793116 -
上掲の画像のプラナカン建築のショップ・ハウスが続く街角。
同じ形の窓がずらりと並んでいるので、一つの建物を塗り分けただけのように見えるんですが、よく見ると別々の建物がピッタリくっついているのが特徴。 -
もう住人が出て行ってがらんどうになったショップ・ハウス。
鎧戸を持つ窓がこんなに美しいのに、この一画だけでも保存しておくことは出来なかったのかな、と残念に思う。 -
イチオシ
ここも取り壊しが決まってお店も住人も立ち退いた後のショップ・ハウス。
このプラナカン建築は、壁面の絵タイル使いもきれいなのに残念。
左手に何やら書いた赤い板が見えていますが、これは、ここにあったラクサ屋さんがシム・リム・タワー脇の喫茶店に移ったというお知らせ。
シム・リム・タワー(森林大厦)というのは、シンガポールの電気街ビルの一つで、今もブギス・ジャンクションからそう遠くないジャラン・ベサー10番にあります。
すぐ近くには、名前がそっくりさんのシム・リム・スクエアという電気街ビルも有り。 -
これはまたずいぶん古ぼけた建物。
雑居ビルかアパートだったのかな。
これからの取り壊し作業に使われるらしい道具もゴロゴロ。
この画像とは関係ないんですが、この頃、ブギス近くを通るベンクーレン通りは、雑居ビルの中にバックパッカー向けのドミトリー式お宿を入れた安宿街になっていて、SUR SHANGHAIも旦那に断りを入れてわざわざ泊まりに行ってみたこともありました。(笑)
脳裡にはその時出会った人たちや宿の様子は残っているのに、写真として残ってはいないのが惜しい…。 -
ここはもう建て替えが済んだ一画。
プラナカン建築の様式を取り入れた白壁と青い窓が並んでいるけど、どこか無機質で味気なし。
外側だけが出来たばかりの状態?
まだ人の気配が感じられない。 -
イチオシ
取り壊しが進んでいた古びた街角の一つ。
この頃はまだ、簡単な日除けや雨避けのオーニングだけ付けた半屋外床屋が残っていたんだな。
おじさん、今日は暇? -
これはリトル・インディアの路地裏だったような。
シンプルな造りの扉とその前にいた猫ちゃんが何となくお気に入り。 -
これもリトル・インディアの街並み。
このらせん階段は非常用?
こんな形のアパートが珍しく思えた。 -
リトル・インディアで見かけた廃品回収屋さんらしき自転車。
この頃はまだこんな自転車が路地裏を巡っていたんだ。Σ(゚Д゚)
一昔前の日本でも、一軒ずつ家を回って来る商売が色々あったのを思い出す。 -
ひょっとして、サドルだけ廃品回収屋さんに持って行かれた?(笑)
-
リトル・インディアの観光スポットになっているスリ・ヴィラマカリアマン寺院。
リトル・インディアを訪れる人は必ず立ち寄る場所になるはず。
その外観写真は友人たちに送ったので、手元にあるのは内部の様子のみ。
この時には、何かの儀式の準備中。 -
リトル・インディアのスリ・ヴィラマカリアマン寺院内。
この頃は東南アジア初心者だったSUR SHANGHAI。
ヒンズー教の神々とご対面するのはこれが初めてだったような。 -
この時には、オーチャード・ロードにあるサマセット駅近くのサービス・アパートに滞在していたSUR SHANGHAIとその旦那。
今は無くなったカッぺージ・ロードのホーカーズに行くのがお昼の日課のようになっていた。(笑)
そして、その近くには、やはりプラナカン建築のショップ・ハウスやテラス・ハウスが並ぶエメラルド・ヒル・ロードが。
オーチャード・ロードに面した部分にカフェやバーがあってちょっといい雰囲気になっているのは今も同じ。
この頃は、半ば廃屋になったショップ・ハウス売買の広告看板も出ていたっけ。 -
上掲の画像のプラナカン建築と同じ。
壁は残っているけど二階の屋根がすっかり落ちてるし、誰か買う人がいるんだろうかと思ってましたが、しばらくしてから買い手が付いたようでリノベが始まってました。
プラナカン建築は、ショップ・ハウスでもテラス・ハウスでも、その時々の所有者や居住者の好みによって色が塗られます。
それがセンスの表わしどころにもなっているのが面白いんですよ。
この画像のお宅は目に優しいパステルカラーですが…、 -
イチオシ
…同じエメラルド・ヒル・ロードでも、このテラス・ハウスの所有者(もしくは居住者)は、かっちりとした色の塗り分けがお好きなよう。
写真を撮ろうと近寄って行くと、女の子がフェンスを開けて外に。
これからお父さんお母さんとお出かけ? (o^―^o)ニコ
プラナカン建築のテラス・ハウスが美しい通りは、エメラルド・ヒル・ロード以外にもあります。
後年行ってみたカトン地区のクン・セン・ロードにも、個性的な色合いに塗り分けられたテラス・ハウスが並んでいました。
その時の旅行記はこちら。
★プラナカンの住居が並ぶ街並み(1) カトン地区クン・セン・ロード
https://4travel.jp/travelogue/10069583
●注: 上で言ったように、プラナカン建築の外壁はその時々で塗り替えられます。
クン・セン・ロードのテラス・ハウスは今も健在ですが、今現在の壁の色は変わっているであろう点にご留意ください。 -
これもエメラルド・ヒル・ロードのテラス・ハウス。
こんなパステル調の青い窓だと、軽やかで涼しげ。 -
エメラルド・ヒル・ロードのテラス・ハウス。
ここは柔らかく温かい色調。
う~ん、自分だったら何色にしようかな。
テラス・ハウスだと、戸口の外に置く鉢植えなども住人のセンスの表わしどころで…、 -
…観葉植物のほか、花を付ける草花、それに…、
-
…大きな鉢に睡蓮を植えているお宅も。
あれ? シンガポールでは蚊の発生を防ぐために、流れの無い水たまりを作っちゃダメなんじゃなかったっけ?
植物園かどこかで見た睡蓮と間違えたかな。 -
これは、シンガポール滞在中に旦那と二人、インドネシア領のバタム島セクパンへフェリーで日帰り往復した時に見たシンガポールのスカイライン。
今だと、シンガポールからバタム島セクパンへ渡るフェリーはハーバーフロントから出ているけど、当時もそうだったかな。
バタム島のセクパンに行ったのはいいけど、セクパン周辺の写真は出て来ていないのでご勘弁を。
確か、タクシーを雇ってセクパン周辺を回ってもらったのよね。
一度、ずいぶん大きいトカゲが車道を横切ってドッキリしたのは覚えてる。 -
シンガポールト⇔インドネシアバタム島セクパンを行き来するフェリーから見たシンガポールのスカイライン。
これは、ラッフルズ・プレイスあたりの高層ビル群よね。
今と比べると、ビルの数が少なくてスカスカ。
うん? フェリーからこの景色が見えたという事は、当時のシンガポール側のフェリー発着所はハーバーフロントじゃなくて、タンジョン・パガーあたりにあったんじゃないの?
違うかな~? -
バタム島からのフェリーがもうすぐシンガポールに着く、と言う時に撮った写真。
旦那と一緒に改めてこの写真を見て、「あの円筒形のビルはタンジョン・パガーにあるアクサ・タワーじゃないの?」と調べてみたところ、どうやら正解のよう。
ということは、やはり、当時のバタム島セクパン往きフェリーはタンジョン・パガーから出ていたのではないか?と言う結論に。
思い違いでしたら、お許しを。<(_ _)> -
バタム島セクパンから戻って来たシンガポール。
フェリー乗り場の近くには貨物船が停泊する岸壁もあってコンテナの積み下ろしで大忙し。
こんな様子を見て、シンガポールはこれからも発展して行くはずと思ったSUR SHANGHAI。
その予想が当たって、この滞在の後もちょくちょく訪れる国の一つになろうとはまだこの時には知らなかったのよね。
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