1992/09/23 - 1992/09/26
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ベトナムは、インドシナ半島の南シナ海に沿って南北に1650kmもある細長〜い国。
ダナンは、ちょうどそんなベトナムの中部にある天然の良港の商業都市。
ベトナム戦争時代には、アメリカ軍最大の基地の町にもなっていたと言う歴史があります。
2編目では、そのダナンと、南近郊のホイアン周辺や、ダナンの北にある古都フエを訪れてみます。
表紙の画像は、古都フエの阮(グエン)朝王宮敷地にあった建築物の一つ。
世界遺産に登録される前の1992年には、王宮敷地内にもまだまだ修復の手は届かず、荒れたままになっている場所が多かった。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 自転車 タクシー 徒歩 バイク
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
これは、前編のホーチミン市+ミト編に続く、当時のベトナム旅行の記録。
旅行後にA4サイズ11枚にまとめたオリジナル記録です。
当時はワープロも個人的には持っていなかったので、手書きになっています。(。・w・。) ププッ
下手な字ですみません。<(_ _)>
内容は、当時の交通機関、宿、訪れた場所の印象などなどについてザックリとおおまかに書いてあります。
今回アップする旅行記内の状況は、この記録に基づいたものになります。
●注: これはその3ページ目のホーチミン市からダナン到着後の記録なんですが、プライベートな内容の箇所はカットして掲載します。
ホーチミン市の後は、ダナンでストップ・オーバーの飛行機でまっすぐハノイに向かう予定だったのを、ダナンで降りて周辺の町も見てみようと決めたSUR SHANGHAIとその旦那。
これは、ホーチミン市で出会ったバックパッカーの影響。
「どうせなら、ダナン周辺のホイアンとかフエも見たほうがいいよ!」の言葉で決めました。
で、最初に買ったダナン→ハノイ間のチケットはキャンセル。
新しく別の日に買い換えた上記の区間のチケットは60米ドルでした。
個人旅行が出来るようになったこの当時は、ホーチミン市とハノイ以外は訪問許可を取得しなければならなかったんですが、ダラット→ファンラン→ダナン→フエを含めた許可はホーチミン市で取得済み。
代理で申請してくれた宿のおじさんのおかげで、最初は予定に無かったフエも、新たに許可申請を出さずに行けました。 -
ホーチミン市から空路ダナン到着。
この空路では、まずSUR SHANGHAI一人が先に飛んで、旦那は翌日飛んできた。
これって、二人一緒に飛べるチケットが無かったからだった気がする。
で、一人着いたダナンの空港から市内までは、当時タクシーで5米ドル。
宿は、この画像のダナン大聖堂が目の前のHAI CHAU HOTEL。
当時は華僑らしき人たちの団体さんが寝泊りする宿で、上掲の画像の旅の資料に出ているようにシャワー、トイレ、ファン付きシングルが8米ドル。
これが一番安い部屋だった。
本当は、20米ドルの部屋を押し付けられたんですが、SUR SHANGHAIの粘り勝ち。v(`ゝω・´)
翌日旦那とも落ち合った後は、シャワー、トイレ、エアコン付きのツインに移って28米ドル。
その部屋からは、チャン・フー通りに面したダナン大聖堂がよく見えた。
民家を改装したようなHAI CHAU HOTEL、今もあるかな?
この時以来ベトナム中部は訪れたことが無いから分からない…。
今はもう、ダナン大聖堂にやって来る観光客相手の食堂かお土産屋さんになっているのかも。 -
ダナン大聖堂が目の前のHAI CHAU HOTELから見下ろしたチャンフー通り。
この頃はまだ車は少なくて、シクロと呼ばれる自転車人力車が行き交う道。
客の座席が自転車の前についているスタイルが珍しかった。
このスタイルだと、運転手さんには道路のデコボコや障害物、それに脇から出て来る人や自転車がよく見えないんじゃないの?と思ってしまい、ヒヤヒヤ。((;゚ェ゚;))
見ている分にはのどかでも、実際に乗ってみると結構怖かったな。 -
ダナン大聖堂が目の前のHAI CHAU HOTELから見下ろしたチャンフー通り。
ご飯時になると、歩道を遮るような形で長〜いテーブルが置かれて、その家の家族が入れ替わり立ち代り食事にやって来た。
一体何人家族だったのやら。(;^ω^)
そういえば、このチャンフー通りのHAI CHAU HOTELからほど近い場所には中国人経営の食堂が一軒あった。
ダナン最初の夕暮れ、SUR SHANGHAIが一人食事場所を探して歩いていると、その店のおじさんが客引きに出ていて、「コンバンワ!ムスメ!」( ̄m ̄*)
おじさんは、「ボン・ソワ〜ル、マドモワゼル。」のつもりで、「ムスメ!」を付けたんだと思うけど。(。・w・。) ププッ
で、「ムスメ!とかは付けない方がいいよ。」と、日本語での呼び込みの言葉をレクチャー。
その見返りに、その日の夕食は無料になった…、
…という事はありませんでした。(´-ω-`)
旅の落書き帳が置いてあったあの食堂。
いろんな旅人のメッセージに交えてSUR SHANGHAIも一言二言書いてきたけど、どうなったかな。
あれからホーチミン市やハノイは2,3度訪れたけれど、中部のダナン周辺は、この旅行記を書いている2013年までだと、この時一回きり。 -
HAI CHAU HOTELから前のチャンフー通りから見たダナン大聖堂。
内部公開はしていなかったのかどうか、写真は無し。
アナログなカメラ時代には、フィルム節約のため、自分が泊まった宿、使った交通機関などの写真もほとんど撮らなかったのが、今となっては惜しいと思う。
そして、どーでもいいような写真が残っていたり…。
(ノω`*) -
ベトナム中部の港湾都市ダナンの街を流れる川はハン川で、ダナン港へと注いでいます。
その川べりを歩いてみたSUR SHANGHAIとその旦那。
かつては小さな漁村だったと言うダナンが港湾都市として発展していたにもかかわらず、ベトナム戦争の際の1965年にはアメリカ海兵隊が上陸。
ダナンには大規模な米軍基地が建設されたのだそうです。
その後1968年、南ベトナム解放民族戦線がその米軍に対して繰り広げられたテト攻勢は、、ベトナム戦争の中でも激戦と言われる規模だったのだそう。
SUR SHANGHAIたちが訪れた1992年には、その頃の様子を示す場所は見当たらず(公開されていなかったのかも?)、ハン川沿いにはポツリと所在無げに釣り糸を垂れる人、黙々と川べりの工事を手作りで行っている人々の姿が。
1975年にやっと終結したベトナム戦争。
ダナンもホーチミン市と同じく、この1992年には街歩きをしても目を楽しませるものもなく、まだまだ復旧しきっていない重苦しい雰囲気の街だった。 -
イチオシ
フェンスの向こうに見える民家。
あれ? このフェンスって、板金を丸い型で抜いたあとの廃物利用のようにも見える。
でも、それが却って意図されたデザインのようでおもしろい。
そうそう、前編に続き繰り返しになりますが、当時の両替のお話。
1992年9月当時のベトナムでは米ドルのT/Cも両替可能だったんですが、小さな町では現金のみ両替可、という所が多数でした。
当時のレートは1米ドル≒1万ドン。
一番レートがよかった時で1米ドル≒1万850ドン。
一度、一気に50米ドルを両替したら渡されたドンが小額紙幣だらけで、物凄い厚さの札束になったことも。(ノω`*) -
これは、ハン川沿いのバクダン通りにあるバクダン・ホテルから見たハン川沿いの街並み。
バクダンという名は日本語だと物騒ですが、綴りはBACH DANG HOTEL。
上述したHAI CHAU HOTELが団体さんで満員になった時にここを紹介されました。
1992年当時は、ハン川に面した新館と、中庭を挟んだ裏手の旧館があって、旧館のシャワー・トイレ・エアコン付きのツインが15米ドル。
食堂も併設されていて、結構泊まり心地がよかったような。
このホテルは、この旅行記を書いている2013年の今も、ソンハン橋の近くに健在のよう。
ダナンに戻って行く機会が有れば、見に行きたい! -
ダナンの周辺を見て回ることにしたSUR SHANGHAIとその旦那。
じゃまず、ダナンから30kmの南部にあるホイアンへ日帰りで行ってみようか。
前編でも言ったように、1992年当時はホーチミン市やハノイ以外の場所へ外国人が行く場合には事前に許可を取る必要があったのでダナンやフエの許可書はもらっていたんですが、ホイアンへは日帰りで行ける場所だったせいか許可は無くても行けました。
ホイアンはダナンの一部とみなされていたから?
そういえば、ホーチミン市から日帰り往復したミトもそうだったっけ。
記憶が曖昧ですみません。<(_ _)>
で、ホイアン周辺へはどうやって行ったのかというと…、 -
…HAI CHAU HOTELで斡旋してくれたバイク。
ホテル周りでたむろしていたおじさんたちは車を雇えなどとやかましかったんですけどね。(。・w・。) ププッ
その50ccバイクのレンタル料金は、1日6米ドル。
ダナン⇔ホイアン間の地図を見ると、内陸寄りの道と海岸沿いの道があったので、どちらもトコトコと走ってみました。
この画像前後の写真は、行きで通った内陸寄りの道沿い。
ちょうど稲の刈り入れ時期で、稲を道路に広げて干す風景、天秤棒で運ぶ様子など、手作業での農業が見られました。 -
道の脇に脱穀機を置いて、脱穀作業中。
…と思ったんですが、農業についての知識は無いSUR SHANGHAIなので間違っていたらお許しを。 <(_ _)>
こういう作業をしている昔の絵や写真だと、≪脱穀の様子≫と説明が出ていたような気がしたんです。 -
思いがけなく稲の刈り入れ風景を見たあとは、ホイアンの町に到着。
ダナンからホイアンまでは30km位だから、途中で立ち止まった時間を入れても1時間位だったんじゃないかな。
乗って来たバイクは、お店のおばちゃんに見ていてもらうことにして散策開始。
ホーチミン市やダナンのような大きな街に比べたら、ホイアンは出だしからもうのんびりした雰囲気の小さな町。 -
ホイアンはチャンパ王国時代からの港町。
16世紀末からは国際貿易港として栄えていたのが、18世紀になると南シナ海に注ぐトゥボン川河口に土砂が堆積し、次第に港としての機能を失い衰退して行ったのだそう。
あ! これって中国福建省の泉州とも似通った、港湾都市の栄枯盛衰ストーリーだ! (◎◇◎)
そして、1992年のホイアンはのんびりとした地方都市。
薪を積んだリヤカーの親子が振り返り、SUR SHANGHAIたちに微笑んでくれた。
こんな笑顔、ホーチミン市でもダナンでも見かけなかったなあ。 -
これはホイアンの名所になっている遠来橋(別名:日本橋)。
町を流れるトゥボン川が水路のように引き込まれた場所に架かっていて、橋の西側のグエンティーミンカイ通りと橋の東側のチャンフー通りを結んでいます。
この橋は、側面からの様子も撮った記憶があるのに、これまでに発掘できたのはこの一枚のみ。
それでも、この橋が屋根を持ったアーチ型をしているのがこの画像でも分かるのでは。
いま正にこの橋を通り抜けようとしている人物と比べると、その大きさもありあり。
この橋が架けられたのは1593年。
当時このホイアンに在住していた日本人によって造られたので、日本橋と言う別名がついているんだそう。
1992年当時、自転車でこの橋を通り抜ける人たちは、橋のたもとで自転車から下り、押しながら通っていました。
1999年にホイアンの町並みが世界遺産として登録される以前から、文物を敬い保護する風潮は既にあったようです。 -
ホイアンの古い町並み。
ホイアンにはかつては中国人街のほか、日本人街もあったのだそう。
この画像の建物は、マレーシアのマラッカやシンガポールのカトン地区でも見られるプラナカン様式の民家に似ている気がするな。
屋号(?)が扁額になって玄関の上に出ている。
≪書香≫とはまた風雅な名前。 -
ホイアンの古い町並みが世界遺産に登録されたのは1999年。
それより以前の1992年には、まだまだ観光化が進んでいなくて、チャンフー通りの家々も食堂やお土産屋さんにはなっていなかったし、軒先には干し野菜がざるに入って並べられていた。
その脇を猫ちゃんが通って行くのも、鄙びた田舎町の風情だったな。 -
ホイアンの町角。
1992年には、まだ商店に改装されていない古びた民家が軒を並べていた。
自転車の荷台に積んである籠の中身は棒付きお線香の束。
日本だと、昔は行商の「金魚〜ぇ、金魚〜。」なんていう独特の節回しの売り声があったけど、ベトナムにもそういう決まり文句ってあるのかな。 -
イチオシ
ホイアンの古びた民家の前。
扉回りの装飾は、中国の古民家とも共通した色使いの吉祥紋様の浮き彫りや縁起のいい文字を並べた書。
扉の下の方に出ている黄色い紋様は、≪寿≫の字をデザイン化した装飾よね。
…と、そこに出てきたのは、このお宅の住人らしき男の子。
あれれ、ボクちゃん、いい笑顔だけど、おんもに出る時にはパンツはきちんと穿こうね。
(。・w・。) ププッ
ホイアンを出た後は、今度は海寄りの道をバイクでトコトコとダナンへ戻る。
この道筋には、かつて米軍が羽を伸ばしにやってきたと言うビーチや、大理石の岩山が並ぶ五行山(マーブル・マウンテン)があるんですが、この当時はどこも未整備。
車道からの眺めだけで通り過ぎてしまった記憶が。
写真は数枚撮ったと思うんですが未発掘です。当時のネガも不完全なのでお許しを。<(_ _)>
そのうちにどこからか出て来るかも。
今はホイアンの町もビーチもきれいに整備されて観光客も増えているんでしょうね。
ベトナムはこのあと数回再訪したけど、中部のダナン周辺はこの時限り。
今はどんな風に変わっているか見に行きたいな。 -
ダナン⇔ホイアンを日帰りで往復した次の日は、泊りがけで古都フエへ。
この時の交通手段はダナンの宿で斡旋してもらった運転手さん付きのお車。
1992年には、ダナン⇔フエ間は片道3時間。往復40米ドルでした。
で、これは二つの街の間にあるハイヴァン峠(496m)からの眺め。
たまたま天気がよかったので、南シナ海までバッチリ!
ちょっとベトナムと言うイメージからは遠い感じのこの風景。
ベトナム戦争当時には、この峠のてっぺんにサイゴン政府軍の監視所があったそうです。
道の状態は、この画像にも出ているように結構急な坂道ですが、1992年には一応舗装がされてありました。
途中、50ccバイクでフエに行こうとしている(?)西洋人がいたけど、無事にたどり着けたかな。(;^ω^) -
イチオシ
フエは1804年から1945年まで阮(グエン)朝の都が置かれた古都。
ベトナム戦争時には激戦地となり、多くの建物が破壊されてしまったのですが、1993年にはフエの建築群が世界遺産に登録されました。
これはフエ旧市街地の阮(グエン)朝王宮内にある建物の門の一つだったと思います。
別の見所だったらお許しを。<(_ _)>
ちょっと怖いと思ったのは、赤く塗られた色が溶けて流れ、血の色のようになっていたこと。
これはこの門だけではなく、あちこちに残る建築物もそうでした。 -
古都フエの阮(グエン)朝王宮の門の一つ。
当時のロンリー・プラネットに同じアングルから描いたイラストが載っていて、「手前にある木までイラストとおんなじだ!」と騒いで撮った写真。
城壁外から撮ったものです。
長らくその名前を忘れていたんですが、門の扁額をよく見てみるとそこには『彰徳門』の文字が。
阮朝王宮の説明図などを参照したところ、これは王宮の西門だったと分かりました。
この半ば崩れかけた門も今ではすっかりきれいに修復されて、極彩色に甦っているようです。 -
古都フエの建築物。
フエには、阮(グエン)朝王宮以外にも、歴代の皇帝の帝廟やお寺さんなどもある上に当時のネガが不完全で、残った写真を見てもどれがどこの何と言う建物だったのか判別できないものも多数。
平にお許しを。<(_ _)>
1992年当時、どの場所にも共通していたのは、戦火で荒廃した建築群とその庭。
大きな見所になっている阮(グエン)朝王宮などは今ではすっかり整備されてきれいになっているんでしょうが、1992年には敷地が畑に転用されている場所が多かったんですよ。( ̄m ̄*) 崩れかけた建物外壁が痛々しい。
日本でも戦時中には校庭がイモ畑になったと言う話を思い出した…。 -
古都フエの阮(グエン)朝王宮敷地にあった建造物。
1992年には、外壁だけを残して、内側も外側もリアル『夏草や兵どもが夢の跡』になっていた場所が多かった。
いま戻って行ったら、同じ壁を見つけられるかな。 -
古都フエの阮(グエン)朝王宮敷地にあった建造物。
画像奥には土台だけになったような遺構も見えています。
阮(グエン)朝王宮在りし日には、敷地内の顕臨閣(阮王朝の菩提寺)の庭には歴代の皇帝の名を刻んだ大きな青銅の鼎(かなえ)が九つも置かれていたそうです。
この画像で見えているのは鼎とは違いますが、やはり当時からの遺物のような大きな金属製容器。
畑と化した雨ざらしの露天に放置してありました。
農業用貯水容器かもと思って見に行きましたが、結構手の込んだ模様もあるし…。はて、その正体は? (・・? -
これらの画像は、フエにある阮(グエン)朝王宮内の高廟関連の建築物。
門の上に出ている扁額の名前から判明しました。
興廟に祀られているのは興祖(1733〜1765)で、阮朝初代皇帝・嘉隆帝の父親。
この廟は王宮敷地の南西部にあります。
右手2枚の画像が廟門の外側(上)と内側。
左手の画像は、廟門に向かって左側にある章慶門。
1992年に訪れた時には、月日の流れ以外にも戦火を潜り抜けてきたという風情がありありと残っていましたが、今ではここも補修され、極彩色の姿になっているようです。 -
これもフエにある阮(グエン)朝王宮内にあった門。
門の上部に篤●門(●は読み取れず)と出ているんですが、王宮敷地のどこにあったのかは不明。 -
これもフエにある阮(グエン)朝王朝内にあった建物の一つじゃないかな。
1992年には、王宮と言っても敷地内の建物の外観はボロボロ、中はどこもかしこも空っぽだったような気がするな。
そのせいか、あんまり印象に残っていない…。(;^ω^)
今は博物館的に変身して、展示物も並んでいるのかも。 -
フエにある阮(グエン)朝王宮の内部の建築物だったと思う。
建物とは言っても、これらの画像は基礎部分が残っているだけ。
周りは畑に転用されたり、植物がはびこるままになっていたり。
こんな場所も、今は整備されたかな。
そうそう、フエでの宿はMORIN HOTEL。
フォーン川を隔てて王宮がすぐ近くで便利だった。
口の字型のちょいと洒落た建物で、大きい中庭があったっけ。
2階建てだったかな?
最初は別のホテルに行ったのに、満員でここを勧められたのよね。
西洋人パッカーが多い宿だったな。
これって、現在のSAIGON MORIN HOTELだったのかも?
シャワー、トイレ、天井ファン付きのツインが5米ドルで、すごくリーズナブルな宿でした。←1992年当時の話です。(。・w・。) ププッ
いまも時々想い出すのは、昼下がりのこのホテルの部屋。
白いレースの蚊帳付きベッドに寝ころんで、当時流行っていたERASURE≪Abba-Esque≫の中の1曲≪Lay All Your Love On Me≫が流れてくるのを聞くともなしに聞いていた一場面。
ベトナム語に翻訳されたその歌を、甘ったれた声の女性が気が抜けたようにフワフワと歌っていたのが、この時のベトナム旅のどこでも聞こえてきた。
今でも何かの拍子にこの歌を想い出すと、あのフエの街の昼下がりの気だるい暑さ、生ぬるい空気を緩くかき回す天井の扇風機の回転、開けっ放しの窓から入ってくる街のざわめきが幻のように甦るのよね…。 ノスタルジ〜。
あ! 蚊帳で想い出した事が一つ。
1992年のベトナムには、蚊取り線香が無かったんですよ。
この位の物ならどこでも買えるだろうと思って持っていかなかったら、ホーチミン市にもハノイにも田舎にもなかった!(◎◇◎)
お陰で蚊帳の無いホテルでは散々な目に…。
不思議だな〜、地元の人たちはどうやって蚊から自分の身を守っていたんだろ。 -
フォーン川北岸にあるフエの旧市街地を出て、西へ3,4km。
同じくフォーン川北岸には、ティエンムー寺と言う1601年創建のお寺さんが。
この画像の塔は、そのお寺さんの境内にある高さ21mあまりのトゥニャン塔。
トゥニャンには慈悲と言う意味があるんだそう。
その塔の正面(左)と背面は撮ったのに、肝心のお寺さんの全体像写真が出て来ていません。 -
この画像は、ティエンムー寺の一部を撮った物だったような…。
陶器の破片をモザイク状に貼り付ける装飾は、タイのお寺さんでも見た事あるな。 -
ティエンムー寺にあった像だったかも。
屋内にある像だったせいか、破損もせず彩色もよく残っていた。
きりりとした表情の顔立ちも、たくましく姿勢のいい体付きも、美丈夫と言う言葉がよく似合う。 -
フエでもバイクを借りて、ちょっと郊外へ行ってみた。
やはりホテルのスタッフが斡旋してくれました。
1992年当時、1日7米ドル。
で、これはフエを流れるフォーン川の上流。
対岸にお寺さん(だったかな?)があると言うので、地元の人たちとも一緒に渡し舟で渡ろうとしている場面。
料金はいくらだっただろう。
不安定な格好で小舟に乗っているのがSUR SHANGHAIたちが借りたバイク。
よく落ちなかった!ふぅε-(´ωノ|┬ -
フエの市街地を流れるフォーン川も、ちょっと上流にやって来るとこんなにいい景色。
画像で見えている小舟は網が立ててあるように見えるけど、漁業用だったのかな? -
上の画像と同じ小舟が近づいてきた。
ん〜? あの網らしきものはどうやって使うんだろう?
実演場面が無かったのは残念! -
イチオシ
フエを流れるフォーン川上流。
岸辺近くの水の中には水牛があんなに!
そのすぐ脇を蚊トンボのように細い小舟がスイッと軽やかに通り抜ける。
小舟を操っているのは、三角の編み笠をかぶった女性。
うん、これってベトナムの田舎のイメージそのもの! -
小舟が通り過ぎたあとの水面に顔を出す水牛たち。
こんなにたくさんの水牛がいるのに、小舟が衝突とか転覆なんて事故はないのかなとちょいと心配に。
ま、地元の人たちは水牛がいつもいる場所とか知っていて通っているわけだから、部外者のSUR SHANGHAIが心配する必要はないんでしょうけどね。
フエで一泊後は、上の方で言った運転手さん付きお車で無事にダナンへととんぼ返り。
いよいよその後はハノイへと向かいます。
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