2018/08/29 - 2018/08/30
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旅人のくまさんさん
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忍城は、北を利根川、南を荒川に挟まれた扇状地の広大な沼地と自然堤防を生かした構造を持つ、要害堅固な城だったことから戦国時代には関東七名城の一つに数えられました。天正18年(1590年)、豊臣方の水攻めにも耐え抜きました。
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『都市景観大賞』と『さいたま景観賞』の受賞を記念した石碑の光景です。平成8年(1996年)、行田市長名で設置してありました。『都市景観大賞』は、国土交通省が主催して平成3年(1991年)に始まり、景観に関する優れた地区・活動に対し表彰が行われています。今年、平成30年度は、宮城県の女川駅前レンガみち周辺地区が都市空間部門に選ばれました。
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『史跡・忍城の鐘』の文字が刻まれた石標の光景です。その下に落款が刻まれていましたが、文字が薄くて読み取れませんでした。文政6年(1823年)に伊勢の桑名城から忍城に移った松平氏が、宝暦14年(1764年)に桑名で鋳造した梵鐘とされます。松平氏の転封に伴い、忍城に移されました。
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イチオシ
松平氏が桑名城主時代に鋳造されたとされる、梵鐘が吊り下げられた鐘楼の光景です。末広がりの袴のようなクラッシックな造りの鐘楼です。平安時代頃からはじまり、鎌倉時代に多く建てられたとされる『袴腰鐘楼』と呼ばれる様式のようです。
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堂々とした姿の『袴腰鐘楼』の屋根の部分のズームアップ光景です。鬼瓦は、1本の経筒型、破風には木製の『懸魚(けぎょ)』がありました。『懸魚(けぎょ)』は、火に弱い木造の建物を火災から守るためのものとされ、火除けのまじないとして取り付けられます。
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『史跡・忍城の鐘』の標識があった付近の光景です。手元の『続日本百名城・公式ガイドブック』には、『県指定旧跡』として紹介されていました。
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前方に、薄っすらと『模擬御三階櫓』が見えて来ました。現在は展示室として使われていましたが、風通しのあまりよくない鉄筋コンクリート造りでした。空調は稼働していませんでしたから、かなり室内温度が上がっていました。
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背後に見える黒い壁の建物は、歴史博物館から、『模擬御三階櫓』に向かう通路があった建物の壁面です。目立たないような色彩と造りにされているようでした。
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平成3年(1991年)3月に行田市によって建てられた、『忍城の由来』のタイトルがあった説明看板の光景です。文明10年(1478年)の頃、成田顕泰(1465?~1524年)により築城されたことから説明が始まっていました。山内上杉家の家臣で、武蔵国岩付城・忍城主だった武将です。
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内側から眺めた城門の光景です。この城門も御三階櫓と同じ、『模擬城門』です。柱などに太い建材が使われた、立派な木造建築でした。
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木々の間から顔を覗かせていた『模擬御三階櫓』の光景です。江戸時代には、忍藩の藩庁あるいは徳川氏の譜代大名や親藩の居城となりました。阿部氏の時代に御三階櫓が新たに建設されました。現在立つ位置や規模は史実とは異なる建物とされます。
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木々の間から顔を覗かせていた、『模擬御三階櫓』の最上階のズームアップ光景です。鬼瓦や軒丸瓦には、三葉葵の紋所がありました。徳川家譜代大名の松平家の家紋のようです。
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振り返って眺めた、鐘楼があった方面の光景です。その鐘楼の位置は、写真中央のやや右側になります。通路や広場は、石畳で整備されていました。
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内側から眺めた、『模擬城門』の扉光景です。『模擬御三階櫓』と同じ時期の昭和63年(1988年)に復興された城門のようです。
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『忍城趾』の文字が刻まれた石標の光景です。施設年代は確認していませんが、『跡』ではなく、『趾』の文字が使われていますから、現在の文化財保護法ではなく、旧法時代に建てられたもののようです。
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城外から眺めた、『模擬城門』の扉光景です。柱や扉などに、補強の金属が施され、『鉄門(くろがねもん)』のような光景でした。
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天守閣のような規模を持つ、『模擬御三階櫓』の光景です。徳川家康の関東入部後は、家康の四男の松平忠吉が忍城に配置されました。以後、忍藩10万石の政庁となりました。
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元々の『御三階櫓』は、三の丸南方に位置していたようです。お堀に沿って立つ現在の『御三階櫓』は、鉄筋コンクリート造りの模擬櫓です。櫓台の周りに犬走のような石垣があるのは、軟弱地盤の補強のように見えました。
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お堀に架かる太鼓橋の袂から眺めた『模擬御三階櫓』の光景です。橋の袂の柳の木が、『模擬御三階櫓』の引立て役になってくれました。『模擬御三階櫓』の建築に当たっては、『忍城鳥瞰図』などが参考とされたようです。
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イチオシ
御三階櫓、城門と太鼓橋が揃った忍城の光景です。毎年11月の第二日曜日に、『行田商工祭・忍城時代祭り』が行われます。主会場は、行田市役所と行田市産業文化会館とされます。市役所前の通りから忍城にかけて武者行列、忍城の堀で火縄銃演武などが行われるようです。
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『内堀』と呼ぶのか、『本丸堀』と呼んでいいのか分かりませんでしたが、現在の本丸付近を囲うお堀になるようです。元禄15年(1702年)、阿部氏の時代に御三階櫓が建設され、この頃に忍城の縄張りが完成したようです。
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お堀に架かる、緩やかな円弧を描く太鼓橋のズームアップ光景です。橋脚は、3本並んだ石造で、その上に太い横木が渡されていました。この橋も、史実に基づく造りの橋ではなく、仮に呼ぶなら、『模擬太鼓橋』のようでした。
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『模擬御三階櫓』の城のズームアップ光景です。かつての忍城の立地は、沼に囲まれた島地であり、沼は埋め立てられずに防御エリアとして使用されました。島は独立した曲輪として、橋が渡されていたようです。
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忍城南側にある諏訪神社に『忍城鳥瞰図』が残されているようです。ネットでその図を参照することができますが、かつての忍城は、沼地に浮かぶ五つ以上の曲輪が10以上の橋で結ばれているように見えました。『忍の浮き城』の別名が納得できる縄張です。
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イチオシ
近年、『和田竜(りょう:1969年~)』の原作小説と、同名の映画(2012年公開)で有名になった、『のぼうの城』こと『忍城』の『模擬御三階櫓』の光景です。2007年(平成19年)11月、脚本の『忍ぶの城』を自ら小説化、『のぼうの城』として出版しました。明瞭で痛快にテンポよく進む時代物で、『ニューウェーブ時代小説』の旗手として脚光を浴び、この小説は、翌2008年7月、第139回直木賞候補作に選ばれました。
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同じ場所から眺めた忍城の『模擬御三階櫓』とその周りの光景です。和田竜さんの『のぼうの城』の小説は、昨年目を通しましたが、領主・成田氏一門の成田長親は、領民から『でくのぼう』を略して『のぼう様』と呼ばれ、親しまれる人物だったことが良く描かれていました。
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和田竜さんの小説の『のぼうの城』には、最大のハイライトとして、石田三成による水攻めが描かれていました。三成率いる2万超の軍勢に、農民らを含めても3千強の成田勢、その総大将が、『のぼう様』の長親でした。この水攻めに対する長親の策は、城を囲む湖に船を出して、敵兵の前で田楽踊りを披露することでした。田楽踊りの長親は狙撃されましたが、一命をとりとめました。
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斜め前から眺めた『模擬城門』の光景です。城に入らず場外で堤作りに雇われていた百姓の中から、長親が撃たれたことと、耕していた水田を台無しにされた怒りから石田堤を壊す者が現れ、ついには水攻めが失敗しました。本城の小田原城が開城するまで耐えた支城は、『忍城』だけでした。
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土塁の上に建つ白漆喰の長塀の光景です。土塁は、オリジナルのものが残されていますが、『多門』のような長塀は、模擬建築らしく、見栄えのために四角や三角、丸形の多数の狭間が並んでいました。
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泊まったホテルで戴いた、この日の夕食です。お酒を楽しみながら、ゆっくりと料理の数々を味わいました。さすがにご飯は半分ほど残ってしまいました。刺身は、カツオのたたきでした。
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デザートには、スイカが用意されていました。泊まったホテルは、『ルートイン・熊谷』でした。最寄りのコンビニまでは距離がありましたから、ホテル内の自販機でハイボールを買って、晩酌の続きにしました。
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