2018/08/29 - 2018/08/30
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旅人のくまさんさん
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既に国の史跡に指定されていた菅谷館跡(嵐山町)に、松山城跡(吉見町)、小倉城跡(ときがわ町・嵐山町・小川町)とともに杉山城が、2008年(平成20年)に追加指定され、『比企城館跡群』の名称で国の史跡に一括指定されました。
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『国指定史跡・比企城館跡群・杉山城跡』のタイトルがあった説明パネルの光景です。『戦国期山城の最高傑作』の添え字もありました。左上に全体の航空写真が表示されていました。杉山城は、鎌倉街道を見下ろす丘の上に造られたお城です。
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『出郭』のタイトルがあった説明パネルの光景です。2種類の説明図が記されていました。大手の前に配された郭で、北側には低い土塁が残沙sれています。発掘調査で空堀が見付かり、直線的には大手に攻め入られない構造だったことが確認されています。
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イチオシ
『出郭』付近から見下ろした麓方面の光景です。竹林越しに、中央やや右手に『積善寺(しゃくぜんじ)』の甍が見えていました。山号と院号は大悲山瑠璃光院、本尊は薬師如来とされる天台宗のお寺です。
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『大手(出郭)』のタイトルがあった道案内標識の光景です。『大手(出郭』から左向きの赤い矢印で『馬出郭』、上向きの矢印で『外郭』が記されていました。『郭』は、『くるわ』のフリガナがありましたが、時代が下った』『曲輪(くるわ)』との文字の使い分けがされているようでした。
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『国指定史跡・杉山城跡』のタイトルがあった説明パネルの光景です。現在位置が城郭の東端(右側)に赤く記されていました。約8ヘクタールの区域に、地形の高低差を利用して、10の郭が設けられていたことが紹介されていました。
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自然の地形を利用し、かつ、要所には土塁と空堀が設けられた杉山城の遺跡です。概ね、30メートルほどの距離が攻撃範囲とされる弓の時代には、理想的な守りの山城だったようですが、鉄砲の時代になってからは、その防御機能は薄れてきたようです。
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出郭(大手)付近からの目印になっていた三本木の光景です。もちろん、築城当時のものではなく、その後に育った三本木です。この場所からは、西北方面になるようです。
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『出郭(大手)』から眺めた杉山城の南東方面の光景です。現地案内のガイドさんが二名みえましたので、ツアーメンバーが2グループに分かれて、見学を開始しました。ここから直進組と、左方向に進むコースでしたが、私は左方向に進むグループになりました。
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後から縄張り図を参照しましたら、直進組は『出郭(大手)』から外郭方面に、左折組は『出郭(大手)』から南三の郭方面に向かうコースのようでした。現在の杉山城は、すべて私有地であることを、最初に教えてもらいました。
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『外郭・馬出郭口』のタイトルがあった説明パネルの光景です。南三の郭に向かう前に大急ぎて写真だけ撮って来ました。パネルには、2枚の写真と二つの図面が記されていました。左上の写真が現況の土塁と堀ですが、その下側に写真に重ねた木橋が架かった予想図が、右側に危急の際に切り落とせた木橋のイラスト図が示されていました。
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[外郭』から眺めた、北西方面の光景です。中央の小高い部分が本郭になるようです。これから、左折コースでの杉山城の見学です。まだ目印になった三本木が前方に見える位置です。
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左手が山裾に向かっての急傾斜地、右手が土塁になった場所の光景です。この土塁も、今歩いている場所に敵方がやって来た時に、上方、ないし横矢が射られる場所になっているようでした。
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『馬出郭』のタイトルがあった説明パネルの光景です。このパネルにも、分かりやすいイラスト図と丁寧な説明文が添えてありました。『馬出郭』は、南三の郭と大手の間に位置する、堀に囲まれた小さな空間と紹介されていました。杉山城の要所は、すべて横矢掛けができる構造となっていました。
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複雑に堀が折れ曲がったり、土塁の突出部がある場所の光景です。これも、低い場所に侵入した敵方を上方、ないし横矢を射ることができるなっている構造のようでした。
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山手側の土塁のズームアップ光景です。工作がされていない私有地だったためでしょうか、保存状態が非常に良い杉山城跡とされます。築城主は不明ですが、地元豪族の金子主水の築城によるとの伝承はあるものの、文献資料による裏付けがありません。
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左右の土塁と、その間に掘られた空堀の光景です。縄張りが極めて緻密で巧妙なため、後北条氏の時代に造築されたものではないかとの見方が有力でしたが、発掘調査に基づく考古学的な知見からは、山内上杉氏時代の城である可能性が非常に強くなってきました。現地ガイドさんも、このことを強調されていました。
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イチオシ
通路がせくなった箇所は、大勢の敵兵の移動を制限し、かつ、左手の土塁の上からは横矢が掛けられる造りとなっていました。自然の地形を最大限に利用した、見事な防御システムは、『土塁の城造りの教科書』や、『中世の山城の最高傑作』と呼ばれる意味合いが実体験できました。
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左側が急傾斜地側の土塁、堀を挟んだ右側が山手側の土塁になります。今は夏草が生い茂った状態ですが、冬枯れの時期には、その地形をもっとはっきり見ることができるようです。
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同じく、左側が急傾斜地側の土塁、堀を挟んだ右側が山手側の土塁の光景が続きます。杉山城の縄張りを主とする城郭史的観点と、考古学的観点の見解の相違は、『杉山城問題』と呼ばれてきました。後に発掘調査を裏付ける文書の提示により、文献史学的観点を含めた論争へと深化してきたようです。
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振り返って眺めた土塁と堀の光景です。右側の土塁の上に侵入しても、左側の高い土塁の上からまともに攻撃を受けそうです。平成14から18年の間に、トレンチを用いた範囲確認調査が5次に亘って行われました。その結果、遺構面は一面のみで時期差を窺がわせる層位は確認されなかったとされます。
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南三の郭に向かっての杉山城散策が続きます。杉山城の築城を山内上杉氏によるものとする根拠はおよそ4点に集約できるようです。その第一は、遺物の型式及び様式です。遺物の瀬戸美濃産陶器の年代が15世紀後半~16世紀初頭、常滑焼が15世紀後半~16世紀初頭、明青花皿が15世紀後半~16世紀初頭、白磁皿が15世紀後半~16世紀初頭など、いずれも15世紀後葉から16世紀前葉とされます。
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杉山城の築城を山内上杉氏によるものとする根拠の第二は、山内上杉氏に関連する遺跡(城など)から出土する体部が直線的に開く、独特な器形のかわらけ(土師質皿)の出土があることです。
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杉山城の築城を山内上杉氏によるものとする根拠の第三は、16世紀中葉から後半の後北条氏時代の遺物が出土しないことです。
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再び、振り返って眺めた土塁と堀の光景です。杉山城の築城を山内上杉氏によるものとする根拠の第四は、遺物が二次被熱を受けて、遺構の一部である焼けた壁土の破片や炭化物と共伴する状況で出土し、特に3号土坑から焼けた壁土とともに出土した常滑焼破片が周囲の遺構面の破片と接合する(同一個体)であることから、遺構と遺物の同時性が窺われることです。
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さらに近年、『足利高基書状写』に『椙山之陣』と記されている事が判明し、この書状の原本が天文15年(1546年)の河越夜戦以前の史料であることは明白なことから、4点の発掘調査成果とも合致する内容となっています。以上の状況から、遺物から見た場合には、杉山城の築城が後北条氏によるものである可能性は低くなりました。
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『南三の郭・西虎口』のタイトルがあった説明パネルの光景です。南三の郭とその西側の帯郭との間に設けらた虎口と説明されていました。更にその西側は市野川方面の斜面になりますが、敵方の横移動を防ぐため、何本もの縦堀があることも紹介されていました。
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『食い違い虎口』のタイトルがあった説明パネルの光景です。南三の郭と南二の郭の間にある『食い違い虎口』についての説明で、杉山城ではこの1箇所だけと紹介されていました。やはり、敵方の直線的な攻撃を止め、横矢掛けで応戦する仕組みです。
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『南三の郭』のタイトルがあった道案内標識の光景です。縄張図を参照しますと、南三の郭の東南側の出入口が『馬出郭』との間の虎口、西側が『西虎口』、南二の丸の間が『食い違い虎口』になるようでした。
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イチオシ
南三の郭付近から眺めた錦多方面の光景になるようです。高くなった場所は本郭方面になるようでした。本郭の手前には、更に南二の郭と井戸郭の守りがあります。
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南三の郭から、南ニの郭に入った付近の光景になるようです。目の前に広が苦広場が、南二の郭、左奥の高台が本郭になるようです。本郭と南二の郭の間には、深い堀が掘られていました。
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