2017/07/31 - 2017/12/04
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サンフランさん
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平安の極楽浄土から奈良時代の遺産に至るまで京都府内の加茂から奈良は近いのかと思いつつ
7月31日
極楽浄土の庭、浄瑠璃寺を見たくなり、加茂へ出かけました。岡田鴨神社、岩船寺を経て、ようやくたどり着いた浄瑠璃寺は静寂の中にあった。宝池、の見事な州浜、荒れ放題の庭もある中でよく整備がなされている。
このあたりは平安時代の後期に奈良の興福寺の別所として多くの寺院があったらしい。石仏もたくさんあるようだ。奈良へまわろうと思ったけれど、さすがの暑さで、.....
秋の紅葉真っ盛りの時期、11月19日、再び当尾の浄瑠璃寺へ。浄瑠璃寺も紅葉は見事であった。紅葉のたけなわの中静けさに極楽浄土の平安の世をおもんぱかる。さらに、石仏群を見て回り、夕刻奈良まで歩きつきました。近鉄奈良に到着した時にはもう日がとっぷりと暮れていた。
12月4日
再び奈良を歩きました。依水園へ
庭は二つに分かれていて前園、後園にわそれぞれが異なった景観を見せる。大仏殿には過去に2回ほど訪れているので今回は中には入らず池の周囲をめぐり、東大寺の他の伽藍へ
さらに2月堂、3月堂から春日大社、お決まりの観光コースへ、その先は興福寺、奈良町へ
寒い中を歩きました。
- 旅行の満足度
- 3.0
- 観光
- 3.5
- 交通
- 2.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
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7月31日
JR 奈良線と関西線乗り継いで加茂に到着。加茂は京都を開いた豪族、加茂氏の痕跡の残る町、それが町名の由来となっているようだ。まずは岡田鴨神社へ -
とおもって、それらしき方向に歩いていたら橋
これを渡るのか? まごまごしていたら第1町人が現わる。 -
手前を右にと教えてくれた。暑い!
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観光協会の案内板がある。
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岡田鴨神社に到着
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むかしのままか? 土のままの参道
燈篭が中ほどに2基と何か分からない四角い石が2個ある。 -
これが門らしい!
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その脇に加茂町観光協会の由来を書いた立て札があった。
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門に掛けられた武者絵
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門の反対側にも絵が掛けられている。
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こちらが社殿
前に環状のよった縄がつけられている。 -
先の由緒によると右側の社が岡田鴨神社とのこと
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なぜかやたガラスのポスターが!加茂氏に関わるものか?
加茂氏を祀る京都の上賀茂神社にはからすに関わる神事が行われているらしい。 -
昔の神社の絵が貼られていた。よく見ると今の配置とまったく同じようだ。もっとも建物は新しくなっている。
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岡田鴨神社を早々に切り上げ、岩船寺、浄瑠璃寺へ
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うだつの上がった家が道脇にある。
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関西線の線路を渡る。加茂からさきは亀山、拓殖方面は単線で電化されていない。
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ジーゼルカーが単行で運行している。
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しばらく行くと薬師寺の案内板
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薬師寺
先を急ぐことに
とにかく暑い。 -
猛暑の中で国道44号を歩く。
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何やら標識が、....
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国道44号から左に入り、歩くこと1時間20分
岩船寺まであと400Mの標識が
とぐろを巻いた蛇が! -
岩船寺に到着こちらが本堂
「加茂町南部、南当尾一帯は古く「小田原」とよばれ、仏教文化が花開いたところでした。その中でも、当寺は平安時代を代表する寺院です。行基開基を伝え、行基が鳴川に建立した阿弥陀堂がそのはじまりとされ、弘安2年に至って鳴川山寺の東禅院潅頂堂を岩船に移し、同8年に供養したといわれていますが定かではありません」(『岩船寺縁起)
本尊の阿弥陀如来像で10世紀を代表する仏像ですが、撮影は禁止岩船寺 寺・神社・教会
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奥に3重の塔がある。三重塔(室町時代)は中世後期の代表作とのこと
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十三重石塔
これも重要文化財 -
室町時代の嘉吉2年(1442年)に建立された三重塔で、初重の内部には来迎柱を立て、須弥壇と来迎壁を設ける」(寺の案内パンフレット)
これは立派な3重の塔 -
三重塔の下に極楽浄土の蓮の池がある。実は水蓮であった。
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ここから浄瑠璃寺は1.8㎞
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藪の中の3体仏
この辺には石仏がたくさんあるらしい。 -
浄瑠璃寺への参道へ
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山門はこじんまりしている
浄瑠璃寺 寺・神社・教会
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山門を入るとそこは極楽浄土の庭、浄土庭園である。静けさの中にあった。
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宝池、目につく中島の見事な州浜
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こちらもだ。突き出た半島の州浜。修復されたのかよく手入れがされている。
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しかしこれは読みずらい。
「浄瑠璃寺
この寺は平安時代の後期(藤原期)の日本が生み出した浄土式伽藍がただ一つ残された寺である。すなわち西方極楽浄土の阿弥陀如来を西に東方浄瑠璃浄土の薬師如来を東に、中央には宝池を置いて美しい浄土を現出している。....浄瑠璃浄土とはすみきった清浄と静寂の世界をいう」 -
これが阿弥陀堂
「浄土庭園とは浄土思想にもとづき、平安中期以降に造られるようになった池泉庭園で、阿弥陀堂と池を一体的に築造する庭園様式であり、仏堂前苑池などとも呼ばれていた。造園様式は貴族の邸宅に付属する寝殿造りの庭園に沿ったものと説明されてきた。」(佐伯快勝、立松和平 古寺巡礼浄瑠璃寺) -
この灯篭は最古のものか? この庭はこれが特徴らしい。
中の九体仏は現存する唯一つの仏像らしい! -
州浜が突き出た先に阿弥陀堂
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回遊式なので池の周囲が回れる。
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阿弥陀堂の池の反対側には3重の塔がある。薬師如来が安置されている。創建当初のご本尊は薬師如来だったらしい。
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阿弥陀堂前に回ってきました
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阿弥陀堂前から眺める池と3重の塔は静寂の中にある
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灯篭は3重の塔の前と阿弥陀堂の前に1基ずつ置かれている。
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「花崗岩の6角形の基壇上の基礎を置き、竿、中台、火袋、笠、宝珠を積む。般若寺型と呼ばれ南北朝期の大和系火灯籠を備えている」
(佐伯快勝、立松和平 古寺巡礼浄瑠璃寺) -
火袋、笠と宝珠
春日神社の春日灯籠と言われる灯篭には宝珠の下には諸花が差し入れられているが、これにはない! -
京都府が立てている説明版
「当尾地域は奈良の興福寺の別所として、平安時代の後期から鎌倉時代にかけて多数の石仏や寺院が建立されるなど仏教文化が花咲いた地域です。」
なるほどなるほど -
奈良まであること思ったが、暑さの中
今日はこれで切り上げ -
加茂市のマンホール
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加茂駅からは大阪まで電車が言っている。大阪への通勤圏?
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11月19日
紅葉が真っ盛りの京都からこちらも紅葉がいいはずの浄瑠璃寺へ
加茂駅からあるきはじめたのは2じをすぎていました。ここは右へ -
加茂駅の案内所で団地の横の道を行くといわれた。
京内橋を渡って進みます。 -
ここは国道44号
奈良への道
浄瑠璃寺は左 -
直接はいかずに石仏によることに
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こんなところにプラネタリウム!
かつて1億円をばらまいた首相がいた。その1億円でできたそうだ。この上にあるのだろう。 -
ここまではバスが来ているらしい。ここからはトレイル?
でも舗装されたありがたい道路でした。 -
大門の仏谷に
「巨大な花崗岩に厚肉彫りされた丈六(約2.5M)の如来型座像です。堂々たる体躯からは荘重な風格がうかがわれます」(加茂町観光協会) -
どうやらこれらしい。下まで降りられるようですが先を急ぐ
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集落に出てきました。夏に来た浄瑠璃寺を目指します。この時期はもう苦手な蛇はいないと思う。
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この道でいいのか?不安ながら歩くと、右手に「大門石仏群」を見て
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もう一つ石仏群が
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観光協会でもらったパンフレットには春日神社とある。
朽ち果てそうな社だ -
首切地蔵
「1262年の阿弥陀石仏」とある -
浄瑠璃寺への参道へ
参道にタヌキがいた。夏は気づかなかった。 -
浄瑠璃寺に到着
予想通りの3重の塔を飾る見事な紅葉浄瑠璃寺 寺・神社・教会
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阿弥陀の庭にも見事な紅葉
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借景となる木々の緑もさえる
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再び阿弥陀堂
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回遊することに
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阿弥陀堂の反対側にある3重の塔にも紅葉が
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この3重の塔はもちろん重要文化財
藤原時代の貴重な建造物! -
阿弥陀堂前にも紅葉
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この説明版は見やすくなった。
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みづもに落ちる紅葉の葉
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ススキが供えられている。
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3重の塔から阿弥陀堂を望む
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紅葉越しに阿弥陀堂を見る。
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中島にも紅葉があった
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灯篭と池
名残惜しいが先を急ぐ -
あたご灯篭
ここを右に入ることに -
左手に立ち入り禁止の社
廃寺は廃仏毀釈の明治期にありそうですが、ここは廃神社? -
石仏を見て歩くことに
鳥のつぼ二尊 -
唐伯の壺
どうやら中央にあるくぼみを言っているようだ?
笑い仏ー岩船寺方向へ -
左が岩船寺
ここは直進 -
笑い仏に
観世音菩薩坐像
阿弥陀如来坐像
勢至菩薩坐像石仏めぐり 名所・史跡
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3体が彫られているようだ。銘文には「永仁7年2月15日(1266年)願主 岩船寺住職 大工末行」とある。当尾の石仏群の中でも最も知られた阿弥陀3尊像です。蓮台を捧げた観音、合唱した勢至の両菩薩を従えた浄土への來迎を示すお姿の阿弥陀如来です」(加茂市観光協会)
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笑い仏の隣に
眠り仏
深く埋められた土中から首だけが出ている。 -
弥勒磨崖仏」とある
どこにあるのだろうか? -
振り返ったそこにあった。
「文永12年(1274年)笠置寺の弥勒如来磨崖仏を写した門として、笠置に近い当尾で弥勒信仰を物語る貴重な作例といえる」」(加茂市観光協会) -
この先には?
奈良方面には石仏はもうなかった。岩船寺方向にはあと何体かあるらしいが、先を急ぐ -
奈良交通のバス停を発見
5時になった。バスは1時間1本!
行かれてしまった。 -
仕方がなく歩く。
奈良まで4.2㎞
5時半を回った。 -
国道369号に
ここまでくるとバスは1時間2本
えーい、このさい歩く。 -
近鉄奈良駅に到着は5時半
出遅れたのが敗因で、わずか4時間足らずの歩きであった。近鉄奈良駅 駅
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近鉄西大寺駅構内にある酒蔵経営の酒場
こちらで一杯 -
12月4日
再び奈良へ近鉄奈良駅 駅
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まずは依水園(いすいえん)へ
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拝観料は900円!
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前園と後園の二つに分かれている。
まずはおり、前園から鑑賞
右奥にある三秀亭はレストランをやっている。 -
紅葉は盛りを過ぎていた。
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前園は寛文12年(1673年)に晒職人であった清須美道清の作庭
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後園のほうへ移動する。
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工事中の茶室もある。
説明版には、挺秀軒とある。
「前園を作庭した清須美道清によって建てられた煎茶の茶室」とある。明治に後園の作庭と同時に待合として使えるようにしたらしい。 -
三秀亭がみえる。
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清秀庵なる茶室
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露地には丸石が敷かれている。
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茶室が並ぶ間の抜ける
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後園にはいると急に眺望が開ける。
作庭は裏千家十二世又妙斎宗室による」とある。 -
若草山や東大寺南大門などを借景とするこの庭園
借景はわずかに -
丸石を並べた延段のさきにまた茶室
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平石の橋からは中島には
行けない。 -
苔も立派?
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ここにはもう1軒の茶室があったらしい。
今は紅葉の落葉の庭? -
回遊路は2股に分かれる。
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これで1周のようだ
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角度によっては借景は見えない。
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少しづつ変わる庭園の風景は桂離宮のよう」
庭園の専門家は評している。
この丸い台座は何だろうか? -
ここにも茶室への飛び石は丸石が置かれている。
丸石は丸く収める? -
この建物は柳生家全盛期のもの!
この庭園、「海運業で財を成した中村家が1939年に買い取り、前園と後園を合わせた形に整備した。1969年には、中村家所蔵の美術品を展示するため、寧楽美術館を建設して一般公開している。」(WIKIPEDIA)
訳が分からぬ美術品を見て、これは高い参観料の印象。 -
こちらも名園らしい。
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依水園から北へ
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先日暗闇の中で見たこの門はもちろん由緒ある建造物?
転害門
天平時代の遺構!
「転害門は平城左京一条大路に西面して建立され佐保路門とも呼ばれた。中世に修理を受けているが東大寺伽藍における天平時代の唯一の遺構」(立て看板)
大仏殿は江戸時代に2回ほど焼けている。 -
奈良公園全体図
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大仏池に出てきました。
北側を回って正倉院へ -
正倉院
門は閉ざされているが、この右に通路があった!宮内庁の管理のため参観料はいらない。ありがたい。 -
ただしここから先に近づくことはまかりならぬ。皇宮警察官が見張っている。
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中の御物は天皇家のものだ
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なぜか瓦が展示されている。天保時代の瓦は何やら字が書かれているが、....
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正倉院から大仏殿に
10年ぐらい前にアメリカ人と大仏様にお会いしたので、今回は前を素通り東大寺 寺・神社・教会
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大仏殿中門は1716年に再興されたもので4天王のうち毘沙門天と持国天が置かれている。
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右に毘沙門天
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左に持国天
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大仏殿前の苑池をめぐり
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二月堂方向へ
字が読めるのか鹿はせんべいの前に -
これからが二月堂
灯篭が立ち並ぶ階段を上る -
上りきるとそこには東大寺二月堂
二月堂も1667年に焼失している。 -
この建物は井戸の小屋のようだが、鎌倉時代の建物!いや12世紀後半に再建されたものとある。
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三月堂(法華堂)
733年に建てられている! 東大寺で最も古い建物だとか!
最近観光客のハングル文字の落書きが見つかったらしい。保全のためには拝観料を上げるという! -
奈良時代のものと推察される校倉造の経庫
中世には米蔵としても使われたとある。 -
手向山八幡宮へ
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手向山神社の鳥居まで降りてきました。神仏分離で明治以前は東大寺が所有していた神社のようです。
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南大門です。
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南大門を出て小川のあたりには紅葉も!
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春日大社の参道へ
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春日神社の参道へ
二の鳥居にでてきました。
平成30年はご創建1250年! 春日大社は768年の創建! -
京都伏見の酒も奉納されています。
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春日大社
55年ぶりの参拝です。 -
春日大社は768年の創建!
ご祭神は4柱! 間違いなく由緒ある社 -
春日神社に
拝礼所にて拝礼
55年ぶりの参拝は昔の記憶がない。春日大社 寺・神社・教会
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よく写真に写る灯明は修理中でした。
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反対側の回廊
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本殿は中にあります。有料の特別参拝です。
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鷺原道
かつて興福寺の僧侶が通った道だそうですが、行き止まりになっていました。 -
一の鳥居方向へ歩く
右手に奈良県物産陳列所の建物
1902年の竣工とされています! -
どうやら祭りが近いようで、若宮のお泊りとなるお旅所が用意されているようです。
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一の鳥居
まだ紅葉もありです。 -
一の鳥居を出て南へ
池の向こうに興福寺の5重の塔が!
この池は猿沢の池ではありません。京都に比べて奈良は水には恵まれなかったために造られたため池だそうだ。 -
かつて泊まったことがあるならホテル
昭和天皇もお泊りなったとか! もちろん違う部屋だと思う。 -
奈良ホテルから下に庭園が見える。
旧大乗院庭園 -
人影はない。
どうやら工事中のようだ。 -
池畔の土留めには小さな石が使われているようだ。
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55年ぶりに興福寺へ
飛鳥の香りがする5重の塔
何回も焼けて再建、「現在の建物は1426年頃に再建されました。興福寺は平安時代には春日社の実権を手中におさめ、大和国を領するほどになり、また、鎌倉・室町時代には幕府は大和国に守護を置かず、興福寺がその任に当たりました。」(興福寺のホームページ)興福寺五重塔 寺・神社・教会
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興福寺東金堂
中国人の観光客がちらほらといる程度。
修学旅行はもう終わった時期だろうか?
「726年に聖武(しょうむ)天皇が叔母元正(げんしょう)太上天皇の病気全快を願ってお建てになりました。今の建物は1415年に再建されました。」興福寺のホームページ) -
手の上に5重の塔が乗るらしい!?
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再び興福寺の伽藍を眺めなおして、....
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中金堂は平成の再建!
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下には猿沢の池が見えます。
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猿沢の池に降りてきました。
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猿沢の池から望む興福寺の5重の塔
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奈良町に
奈良町は東京の郊外にもありそうな普通の町だった。奈良町にぎわいの家 美術館・博物館
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しもみかど」商店街から近鉄奈良駅に戻ることに
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なんと
この銀行は、南都銀行 -
本場の奈良漬の店、山崎屋
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奈良のカラーマンホールには鹿が
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この旅行記へのコメント (1)
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- タークさん 2018/01/06 13:52:00
- 懐かしい風景ありがとうございます
- サンフランさん
加茂から奈良までの夏、秋、冬の投稿興味深く見せていただきました。
奈良の人間には、加茂は京都より奈良の先の感覚があります。大阪からJR大和路線の大和路快速が加茂まで15分間隔で走っています。
車でスルーばかりしている人間ですが、サンフランさんを見習い大和路もたまには歩いてみたいと思います。
ターク
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