2017/07/01 - 2017/11/28
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サンフランさん
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小堀遠州の庭を訪ね歩いて、ぶつかるのは相阿弥。小堀遠州と並んで数かずの作庭を行っている。相阿弥は足利に仕えた人物で、龍安寺石庭の作庭者と言われていた。但し、現在ではそれは否定されている。大徳寺大仙院石庭も大仙院に相阿弥作の山水画があることから相阿弥の作庭と江戸時代の諸書に書かれているが、これも現在では否定されている。謎の人物だ。
中根金作氏は、「相阿弥は足利義政の側近の同朋衆の一人で義政が収集する美術品の管理をしていた人物」(中根金作、京都の庭と風土)としている。
京都の相阿弥の作と伝えられる枯山水の庭園が大阪にある。それは大阪府名勝に指定されている願泉寺。夏の暑い日、難波区にある願泉寺を訪れた。それは少し荒れた寺の庭園だった。
京都に戻って、円山公園の奥にある長楽寺は相阿弥が銀閣寺庭園を作庭する前に造った庭とされている。紅葉がすばらしいことでも知られている。紅葉が色付いた11月中旬に訪れてみた。
長楽寺の作庭の後で銀閣寺庭園を作庭したとされている。11月の末、紅葉の中で人が多いころさらに55年ぶりに銀閣寺を訪れてみた。
銀閣寺を含めて相阿弥の庭とのちの小堀遠州の庭とそう大きく変わっているとも思えない。相阿弥は1525年に享年70歳で亡くなっているので、17世紀初めに作庭をした小堀遠州が相阿弥に倣ったともいえると思う。ただし、石の形状、特に石橋においては相阿弥の使った石は自然の平石で山石のそのままのようであり、小堀遠州は平たく直線的な平石を使用しているのがわかる。相阿弥の庭を見て小堀遠州を知ることができた。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
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龍安寺石庭の作庭者としては、記録がない。その作庭時期は1499 年の方丈上棟直後とされていた。約300 年昔から相阿弥の作と考えられていた。
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もっとも長期にわたって作庭の候補者は相阿弥であり、そのほか細川勝元、義天玄承、特芳禅師、茶人の金森宗和、小太郎・清二郎、西村貞によって提唱された鉄船禅師 (大山平八郎、龍安寺石庭7 つのなぞを解く)
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石の置き方には特徴がある。
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大徳寺龍源院にも相阿弥の作庭と言われる枯山水がある。
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清水寺成就院庭園は相阿弥の作としながらも小堀遠州がのちに手を入れている。
青蓮院も相阿弥が創作した庭園とされていますが、後に小堀遠州が手を入れている。 -
7月1日
大阪地下鉄、大国町駅下車 -
一回りしてようやく見つけた願泉寺。
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どこに庭園があるのかわからない?
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既に書かれているブログには、「隅の方に怪しい細い路地の奥の
建物の下に扉の付いた小さな入り口」 とある。
ここだろうか? -
庭の手入れをしていた人達に庭園には入れると聞いて、許可も得ずはいってしまった。
いきなりの蘇鉄! -
左手奥には、大石を積み重ねた築山がある。説明がないので分からないが、蓬莱山?
かなり大造りの築山だ! -
長年に変形したのであろうか? かなり大ざぱな造りだ!
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築山から水流が流れ散る? 枯山水で造られていたのか? 水が枯れたのか? 一寸聞きたい気分である。
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滝口の下には平石の石橋がかけられている。この光景は大仙院と同じ!
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かなり大きな平石の橋で中間に石を置いて渡されている。あれ! 平石の石橋に割れ目が入っている。
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川底には、小石が置かれている。平たくされた部分は、後にセメントで固めたようにも見える。
水流の先にはもう1本の平石の橋がかけられている。
橋を渡って茶室に人影が見えたので、勝手に進入した許しを請おうと思ったが、…
茶道か?華道のレッスン中であった。 -
次に訪れたのは、円山公園の脇の道を上がったところの奥まったところにある長楽寺
紅葉の時期がベストとのことで、半年もたった11月17日
この紅葉にはいつも誘われます。 -
長楽寺山門
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拝観料650円也を収めて階段を上がるとそこには本堂があります。
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この長楽寺は桓武天皇の勅により建立された古刹なのです。
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でも名が知れているのは相阿弥が造成した庭園なのですが、…
それを拝見する前に境内を散策しています。小さな滝があります。
ということは池泉式の庭園 -
紅葉の時期が最もいい時期とは思いましたが、少し早かったようです。昨年紅葉に気をとられて庭のつくりを見損なった経験からこれぐらいがちょうどいいとも思えた。
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飛び石は全てごつごつしている白川石? 歩きづらいと思う。
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左手奥に平石の石橋、その右に燈篭
手前には大きな平石が池にせりだしている。遠州では礼拝石であったことが多い。寺の人に聞こうと思ったが、…. -
この中の島は一寸がっかり、…
縁先の飛び石はごつごつした平石
中島はどうしたものか? 木が枯れた? -
石の置き方は、小堀遠州とも似かよってはいますが、石の大きさはより大きいようにも思えます。池泉式の石橋は2つ。どちらも平石がおかれている。遠州風と言っても通じそうな庭園ですが、相阿弥はそれ以前の時代、足利に使えた人で、作風が相阿弥から遠州に流れたとも思えます。清水寺の成就院は相阿弥の創作を小堀遠州が修補したとされている。
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庭の手前に、相阿弥の作庭である旨の立て札がある。
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右奥の石橋は1本の平石。この奥に水源があるようだ。
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左側の石橋は近づいてみると1本ではなかった。回遊には渡れそうにもない。
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多少消化不足で長楽寺には頼山陽の墓もあるそうですが、考えさせられる。
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長楽寺境内図
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紅葉真っ盛りの11月28日
銀閣寺にやってきました。 -
入り口にも紅葉
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銀閣寺山内図をはいけんする。55年ぶりの銀閣はいかがなものか?
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入り口のアクセスには折れ曲がりがある。「折れ曲がった線的な空間とするため目標となる建築や場所を直接見せない。このため不安感、緊張感、を持たせるとともに、期待感を持たせ、見えない空間を創造させる。」(京都府造園協同組合、造園の手引き)
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とりあえず銀閣
柿葺(こけらぶき)の屋根、書院風の花頭窓の2層構造の唐様仏殿の観音殿
金閣、西芳寺の瑠璃殿を踏襲した。
義政は銀色にはしなかった。
義政の時代銀閣寺は東山山荘として造営された」のは知られるところで、銀閣は観音殿であった。 -
その前の庭園が相阿弥の作庭であろうか?
書院造庭園の模範例と言われる」」(白幡洋三郎 庭を読み解く) -
向月台が目に付く! 義政はこの砂の山をどうやって観月に使ったのだろうか? 謎だ。
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向月台の左には広い砂の平庭、銀沙灘(ぎんしゃだん)。月の光が反射するのであろうか?
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銀沙灘と向月台
ほとんどの観光客は紅葉に目が行くだけで、これが何か? 考える人はいないだろう?
これらは江戸時代の後期に造られたもの1735年の築山庭造伝には見なれない。歴史的に重要なのは花壇」(白幡洋三郎 庭を読み解く)
この右端の花壇であろうか?
え~創建時はなかった! -
「都林泉名勝図会」にみられる銀閣寺庭園
花壇の位置が源氏と異なっている。 -
順路に沿って進むと左手に東求堂がある。中には入れないようだ。銀閣と東求堂とが義政の時代の建物で、…
東求堂は檜の皮葺き、持仏堂である。 -
池は東求堂の前にまで回り込んでいる。
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東求堂の前の池には遠州風の立石もみられる。
苔地は折からの光線で色を増している。 -
大内石
特徴的な石のようだ。 -
東求堂近くの苔地
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銀閣寺では比較的小さい石を島などの護岸に使っている。
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遠く向月台を見る。
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順路に沿って上ると水源がある。そのほかにも水は未だ豊富らしい。
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この水源はお茶用だったらしい。
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水源近くの苔地
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小高いところからの展望
義政がどのようにして月見をしたのか? 想像もできぬまに下へ降りる。 -
銀閣寺では周囲をめぐらしている。
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下に這わしてある苔も素晴らしい色合いだ。
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池の南側から池の水は排水される。
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苔を見せたいのか?真っ赤な落ち葉が集められている。
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苔はいくつか種類があるみたいだ。
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再び銀閣を眺める。
義政は1489年、浄土寺の跡地に東山山荘を建てている。義政の没後は、1490年夢想疎石を開山として相国寺の末寺となり、慈照寺と号している。」(白幡洋三郎 庭を読み解く) -
池の落ち葉も集めているようだ。自然のほうが美しいのに残念。
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苔地に落ち葉の雨。
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庭園の入り口近くの石橋を見る。
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平石は凸凹もある白川石。自然のままであろう。
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紅葉の陰に銀閣
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残念ながら銀閣へのアクセスはできない。
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銀閣の花頭窓
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これで銀閣は終わり、観光客の流れについていくしかなく30分で回ってしまった。
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