長崎市旅行記(ブログ) 一覧に戻る
≪2017.Sep≫あみんちゅ弾丸Bus&amp;Air旅壱の③~長崎は昨日は雨だった・再開、そして別れ編~<br /><br />運が良いのか悪いのか無理矢理休暇取得をこじつける『理由』の発生による8月16日に受験した損保試験の不合格という結果。本来だったら勉強しろよ!っとなる訳ですが、すぐに再試験の日程が決まらなかっこともあり余裕を見て連休を取っていたため、結局9月26日昼イチに受験しその後2連休が決定しました。スカイマークの『いま得』運賃と、高速バスの割引クーポンを組み合わせることのできた今回の弾丸旅行、世界遺産『軍艦島』への上陸ツアーに合わせて手配しましたが、まさかの不完全燃焼…。かと言って時間は止まってはくれないので次の目的地を目指します。長崎の街中を始めて歩く今回の旅、1日半時間があれば結構な場所を回れる『だろう』とみていたことは、初日の雨であまりにも見通しが甘かったことに気付かされるものでした。そして長崎の夜は明け、今日はもう帰らなければなりません。絶対的な飛行機の時間を加味してどのような旅路になったのでしょうか?それでは最終日の行程が始まります。<br /><br />平成29(2017)年9月28日木曜日<br />長崎I・Kホテル 09:03<br />五島町 09:19<br />    09:22<br />  《長崎電気軌道:120円》<br />浜口町 09:33<br />    09:35<br />追悼平和祈念館 09:40<br />        10:15<br />長崎原爆資料館 10:25<br />  《長崎原爆資料館入館料:200円》<br />        11:20<br />祈りのゾーン 11:23<br />       12:13<br />願いのゾーン 12:15<br />       12:25<br />天主堂の見える丘 12:27<br />         12:28<br />浦上天主堂 12:33<br />  《志:100円》<br />      12:55<br />天主公園 13:00<br />     13:05<br />如己堂 13:12<br />  《永井隆記念館入館料:100円》<br />    13:36<br />山里小学校 13:40<br />      14:04<br />松山町バス停 14:28<br />  《長崎バス:150円》<br />       14:33<br />ココウォーク茂里町 14:38<br />          15:06<br />  《長崎バス(エアポートリムジン):900円》<br />長崎空港 16:02<br />  《BC148(いま得):5,900円》<br />チェックイン  16:29<br />保安検査  16:40<br />搭乗  17:07<br />座席  17:09<br />ドアクローズ  17:16<br />プッシュバック  17:18<br />タキシング  17:25<br />離陸  17:30<br />ギアダウン 18:10  <br />着陸 18:14<br />停止 18:16<br />降機 18:21<br />神戸空港駅 18:47<br />      18:50<br />  《ポートライナー:280円》<br />三宮 19:08<br />   19:37<br />  《JR野洲行き新快速:1,480円》<br />田舎駅 20:45<br />    21:16<br />  《田舎の赤バス:230円》<br />ど田舎バス停  21:31<br />田舎の我が家  21:35//<br /><br />朝を気持ち良く迎えられました。空はどんよりと曇ってはいますが雨は降ってはいません。あと半日持って貰えれば良いので、それに期待をします。朝食を頂きに1階のレストランへと下りて行きます。ツアー利用の多いホテルにありがちなバイキングだと思っていたら和定食でした。敢えて人が集中する時間を外しておいたのでゆっくりと美味しく頂くことが出来ました。ごちそうさまでした♪<br /><br />部屋に戻って忘れ物を確認し、9:00になって出発します。昨晩と同じルートでも良かったのですが、せっかくならば違う道を…ということで、長崎電気軌道の五島町電停を目指します。ホテルの案内には長崎駅前電停とは同時間の所要と書かれていましたが、どう考えても五島町電停の方が近いです。平日の朝ということもあり通勤客で混雑しているバスなども目の前を通過して行きます。今日の第一目的地は国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館なので、長崎電気軌道の浜口町電停を目指します。昨日は一日乗車券を購入しましたが、今日は乗っても2・3区間であるため現金払いを選びます。長崎駅前電停までは通勤客もいるみたいですが、その後は間違いなく『観光客のみ』でした。1号系統赤迫行きに揺られること10分程で浜口町電停に到着します。長崎西洋館の下を潜り抜ける手前に位置する浜口町電停、その他国号206号線の併用軌道から専用軌道に入ってすぐでもある結構有名な電停でもあります。<br /><br />電車から降りて国道を渡り、The長崎といった感じの坂を上って行きます。5分程で平和公園学びのゾーンに到着します。ロータリークラブの平和のビジョン像や原爆殉難教え子と教師の像といった『Theモニュメント』を横目に見ながらやって来たのは国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館。広島と同様国の施設として原爆で亡くなられた方々の慰霊を目的に建設された施設です。水をモチーフとされているものは広島と同様で、水を求めて彷徨い、斃れて行った多くの被爆犠牲者に対する鎮魂の意を込めてあるものでした。祈念館上部に池が作られており、そこに貯まる水と垂直に立つガラス板が目に入ります。地下から入る祈念館の中央部には、地上部から繋がる二枚のガラス板によって作られている空間がありました。その中心部に被爆死亡者の記名名簿が安置されており、その空間は爆心地である『原爆投下中心碑』へと繋がっているそうです。芸術的な建物にはトンと興味を持たないのですが、さすがに建立意図はわかるものゆえ、黙礼を捧げます。その隣にはオバマ大統領の折った千羽鶴が置かれており、その関心について述べられていたようなことが書いてありました。<br /><br />この長崎原爆死没者追悼平和祈念館は地下道で長崎原爆資料館と繋がっています。平和祈念館はそれほど多くの方が訪れているようには思わなかったものの、原爆資料館に着いた途端児童や学生の集団にかち合います。時間は10:20頃、丁度11:02に原爆資料館にいられるように逆算をしていた訳ですが、深読みをし過ぎて失敗しました。修学旅行では朝食と昼食の時間を観光に充てています。そのため集団行動では平和公園の①願いのゾーン→祈りのゾーン→学びのゾーン→昼食か、②学びのゾーン→学びのゾーン→願いのゾーン→昼食で80%近い数が同じ行動をします。この①コースとかち合って凄い人の中に入って行かねばなりません。<br /><br />原爆関係の資料館としては広島と比較するとわかりやすいものとなっており、ビジュアル的にも『原爆の長崎投下』が即理解できるものになっています。ただあまりにもわかりやすく作られていることが、逆に小学生レベルの『作文』のネタ化しやすいものになってしまっているようで、バインダーにしおりを挟んだものを持ち歩き、これというものに群がってしまい、結果としてそのガラスケースの上で何かを書いているために、順序に従って見学している人の列を妨げてしまっています。別に小学生が原爆資料館を見て『なにがわかる』とは思いません。子供の頃よりそういったものに触れることによって物事が考えられる大人になってくれるなら大いなる価値があると考えます。しかし見ている限り本心から関心を持ってみている訳ではなく、学校で出された『課題』のためにメモを取っているようにしか見えないのが正直な印象です。これは自分自身の経験からでも言えることですが、『課題』遂行を目的に資料館の見学をしていると、資料そのものを見るのではなく、その『説明』にばかり気を取られ、結局は全体像を後から思い出すことができずに訪れたこと自体を思い出せないことが多々あります。そんな教育を受けていたから余計に思うところがあるのですが、目の前で自分自身の幼少の頃を思い出す光景が拡がっていると、日本の教育って前進しているのだろうか…と疑問に思えてなりません。子供には罪はありません、それを指導している大人の問題です。そんな思いに駆られながら1時間程で館内を巡りました。<br /><br />原爆資料館出口には、やはり予定時刻より早く出てきた高校生達が数多くいました。老婆心から今の修学旅行って何のためにあるのだろう…とつい思ってしまいます。私はこの後付近の慰霊碑・記念碑を巡ることにしています。ただ殆どモニュメント化されているものばかりなので、碑の紹介のみに徹します。<br /><br />まず『PEOPLE AT PEACE』は広島と同じものが長崎にも建立されており、ライオンズクラブの手によるものです。被爆経験という『共通点』に基づいてはいますが被爆犠牲者の慰霊碑ではありません。<br /><br />鎮魂『あの夏の日』は退職婦人教員長崎県連絡協議会の手によって設置されました。世界の核の廃絶と永遠の平和を希求するという祈念碑です。反核・平和『はぐくむ』は長崎県労評センター女性協の手によって設置されました。やはりこちらも反核・平和を訴えるためという祈念碑です。<br /><br />被爆50周年記念『平和の願いを後世へ』は、長崎原爆青年乙女会 被爆五十周年記念碑 建立委員会によって建立されたものです。被爆当時の様子に加え、被爆者に対し国が12年もの間救済措置をしなかった事実が書かれています。それらを根拠にした平和への願いを書いた祈念碑のひとつです。<br /><br />『松尾あつゆき句碑』、長崎出身の俳人であり、長崎高商卒業後英語教師となる。長崎の原爆に遭遇し家と妻、四人の子供のうち長男・次男・次女の三人を失う。その後11月に重症を負うも生き延びた長女とともに佐世保に転居し、公立学校の教員となる。その後再婚し長野へ移るが、定年後に再び長崎に戻った。昭和36(1961)年に建立された12人の俳人による原爆合同句碑に刻まれていたものを、独立させて現在の地に収められている。<br /><br />『秋桜子句碑』水原秋桜子の業績を永く記念するために長崎馬酔木会が設置した碑ものであるが、秋桜子と長崎の関係には触れていない。<br /><br />『平和の母子像』は戦争に駆り出された男、そして勝利を祈った女。しかし沖縄戦と2度の原爆投下によって多くの命が失われた。40余年を経て第二の核戦争へ進む時代となり、『あの日』をそれぞれ生きた女たちの思いを合わせ再び惨禍をくり返さぬ誓いを込めて建立されたものです。やはり史実には触れてはいるものの祈念碑のひとつです。<br /><br />『長崎誓いの火』古代オリンピックの故事にはオリンピック開催時には聖火がともされ、その間戦いは中止されたことから、平和の象徴とされてきました。それを最後の被爆地である長崎に灯そうという考えに、ギリシャ政府の特別な計らいによってオリンピック以外で聖火がオリンピアの丘で採火されました。それを核兵器が地球上からなくなるまで灯し続けるとの意図で建立されているモニュメントです。<br /><br />『平和を祈る子の像』は原爆投下と戦争中に於ける情景を描写し、それを理由とし子供の頭の上に太陽が輝き続けることを祈念するものです。祈念像の中でも被爆20周年に建立を始めた歴史あるもののひとつです。<br /><br />『電気通信労働者原爆慰霊碑』は3つの面からなる台座から成り立っており被爆者と電通労働者が各一面、そして平和を祈る市民が一面に充てられており、被爆死した労働者の慰霊と恒久平和を願っている者であり、慰霊碑でもあり祈念碑でもあるものです<br /><br />『不戦平和之塔』は被爆時に亡くなった犠牲者が受けた爆風や熱線について触れており、それによって亡くなられた方々の慰霊碑となっています。ここで『建設労働者』とされている者は何も『業』としているものではなく、徴用され建物疎開等に従事したもの全てを祀っている特徴があります。間違いなく慰霊碑であり祈念碑です。<br /><br />『追悼長崎原爆投朝鮮人犠牲者』は色々と書かれていますが、振り回されている思想論を含めて正しいことが書かれてません。この碑をどう取るかも私自身わかりません。また新しく建てられたものの建立には触れられていても、旧碑については書かれておらず、考えとして述べることもないので紹介のみにします。<br /><br />『福田須磨子詩碑』は長崎出身で被爆した詩人・エッセイスト・作家の福田須磨子の詩が刻まれています。原爆後遺症としてSLEを患うものの自身の体験を通して被爆への怨念と平和の希求、闘いの生涯をこめた『われなお生きてあり』を完成させました。第8回田村俊子賞を受賞し怨の女か、愛の女か、須磨子は或いは火の玉となり或いは阿修羅となり戦争への危機と核権力に対して抵抗しつづけたとされています。逝去後に撰文され碑に刻まれて現在に至っています。生き様を書いたという点では祈念碑でしょう。<br /><br />『外国人戦争犠牲者追悼核廃絶人類不戦碑』、これは捉えるのが難しいものかと思います。碑文にある『柳條溝事件』に端を発し、真珠湾攻撃を経て始まった太平洋戦争に至る15年戦争。その間に失われた310万人の日本人と数千万の外国人、そしてあの日昭和20(1945)年8月9日の長崎に投下された原子爆弾による被爆死した7万余名の命…。背景によって人それぞれに違うものはあれど、命に重い軽いはなくそれだけ多くの命が失われたことを教訓に今後反核・反戦を掲げるとは言っても、語っていることがあまりにも多過ぎて、結局は『人類みな家族』的な標語の碑にしかなれていないようにも思います。碑は立派ではあれど、重みが感じられない碑のひとつにしか見えませんでした。<br /><br />『電鐡原爆殉難者追悼碑』はこれぞ正しく慰霊碑だと感じました。広島でも然りですが長崎でも戦地に赴いた男性兵士の代わりに、市内電車の運転士車掌は交通戦士の名のもとに集められた男子女子挺身隊学徒動員の10才台~20才台初めの人たちでした。太平洋戦争末に非常に厳しくなった戦況下では造船・兵器工場のある長崎の街は戦時体制の下大量に動員された通勤者や一般市民の輸送は最大の急務であり、特に朝夕のラッシュ時の混雑は想像に絶するものだったそうです。そしてあの日を迎え、ある者は電車のハンドルを握ったまま、またある者は車掌カバンを抱いたまま、未だ12歳の少女を含む110余名の若い命が多くの乗客とともに失われました。当時の業務に所縁のある物を集めて作った『電鐡原爆殉難者追悼碑』、これを無くしては慰霊ではないとも思います。目を瞑って手を合わせるとなんとなく当時の雑踏の様子が目に浮かんできたようでした。<br /><br />ふと気づいたのですが、これらの碑はすべて『祈りのゾーン』に位置することを知りました。長崎原爆資料館出入口向かい付近から始まって下の川の川沿いに至るエリア、それに加えて『爆心地公園』と呼ばれる『原爆投下中心碑』までが含まれます。気付いて初めて思ったのが、ここまで歩いてくる者がいるのか…ということでした。地図らしい地図もなくただ歩いてきたら偶々爆心地公園にたどり着いた。それが今回の私の足取りです。自分が組んだルートだったからかも知れませんが、このルートを組める人は逆にボランティアガイドさん位ではないでしょうか?<br /><br />そして下の川を渡って爆心地公園へと入ります。昨日とは逆方向から入っているため、順番も逆になります。『被爆50周年記念事業碑』は爆心地碑にならなかったことを安堵するもので、『Theモニュメント』としか相変わらず思いません。そして『原爆投下中心碑』、昨日はゆっくりと拝む余裕もなかったゆえ、少し碑の前に立って周りを見回します。70余年前にはなかったものを省いて行くと…何もなかった場所が狙われたのか、それとも原爆のために何もなくなったのかとわからなくなってしまう自分に気付きます。被爆死された方々の法名が収められていることは知っていたため、改めて手を合わせます。祈りのゾーン最後になった浦上天主堂遺壁ですが、天気が良いと余計に周りの景色に浮いている感じが強まります。公園内の北東角にあるため周りにある建物が『背景』となってしまっているため、余計に違和感を増しています。写真で切り取ることだけが『記録』ではありませんが、どうやれば浮かない写真が撮れるかと考えた挙句挫折した私には思えてなりませんでした。<br /><br />祈りのゾーンを巡り終わった時点で12:00を過ぎており、少し急いで回るようにします。昨日見学した『防空壕』、昼間だと本当に目立ちません。そしてエスカレーターに乗って平和公園の願いのゾーンに到着します。しか~し…エスカレーターを登り切った時に視界に入ったものは…人・ヒト・ひとの群れです(汗)。これだけの人が集まる場所なのか…と改めて感じるものの、人ごみ嫌いな私にとっては苦痛にしかならないものです。なので集合写真の順番待ちをしているところはすべてパスし、長崎の鐘と、かなり離れた位置からの平和祈念像だけを再見学し、滞在時間僅か12分で通過してそのまま『天主堂の見える丘』に向かいます<br /><br />ガイドブックには記載されているものの、口コミの類は紹介されていない子の『天主堂の見える丘』は、名前の通り浦上天主堂が望めます。長崎の丘という感じでしょうか、標高はさほど高くはないものの周りに視界を遮るものはなく、浦上天主堂とカトリックセンター長崎は確認できました。約800mと表示には書いてあったため、『自撮り』を済ませて浦上天主堂を目指すことにします。<br /><br />丘の上からの眺望を確認しているので、つい道程は下り坂だけだと思っていましたが、実は半分は平坦な道程です。時間のことを気にしながら歩くこと数分、天主堂下の複合交差点に辿り着きます。なんとなく見たことがあるような風景…それに間違いはありませんでした。信号待ちをしているときに目に入ってきた『浦上天主堂旧鐘楼』の姿、修学旅行でバスの車窓から眺めていた姿が鮮明に残っていたのは間違いありません。国道沿いではないので多分平和公園の駐車場に向かうか出たかの時でしょう。その時は何となく…だったものが今目の前にあります。当時東洋一といわれていた浦上教会、その双頭の鐘楼は原爆の爆風によって約35m飛ばされました。重量は55tとされていることからその爆風の凄さを改めて知ることになります。現地の説明板にはその鐘楼の経緯が書かれており、その説明板の下には当時被爆した煉瓦が用いられています。爆心地から500mの至近距離で被爆した浦上天主堂、多くは建て替えられましたがこの鐘楼は原爆遺構として昨年国の史跡として登録されました。今回の旅で唯一の『再会』したものゆえその数十年という時間を飛び越えて目の前にあることに信じられない気持ちもありました。10年ひと昔とは言いますが、10年とは言わず100年でも1,000年でもこのままでいて欲しい浦上天主堂旧鐘楼でした。<br /><br /> 旧鐘楼は浦上天主堂敷地内にはあるものの、説明板は敷地外に置かれていることもあり、改めて入口から入り直します。被爆した建物を取り壊して再建された現在の浦上天主堂ですが、敷地内には往時の建物や所縁の遺構などがたくさんあります。入口付近から信仰の礎、禁教下で信者の改宗のために使われた拷問石、そして永井博士が亡くなるまで待ち望んだ平和の聖母像などがありました。<br /><br />天主堂へと続く坂道の途中には被爆した聖人の石造遺構があります。被爆により頭部が取れてしまったために誰のものかわからないもの、また現存するものでも熱線によって表面が黒く焼け焦げたものや鼻や指が取れてしまっているものもあり、如何に被爆というものが想像を絶するものであったかを物語っています。そしてアングルを変えて見ることが出来る旧鐘楼は、内部に流入している砂の量からもわかるように、このひとつの被爆遺構を残すために川の流れを変えてまで行われた難しさを物語っているように思えます。<br /><br />現在の浦上天主堂にも被爆の傷跡を垣間見ることができ、旧浦上天主堂を設計したフレノ神父が彫刻し、指が取れたものの残った『悲しみのマリア像』や鼻が欠けたもののやはり残った『使徒聖ヨハネ像」に加えて入口部の『十字架のキリスト』は被爆によって破壊されたものが復元されて、現在に信者や観光客の目に触れています。<br /><br />建物内に入るまでに史実を今に伝えるものに触れ、その重みに襟を正し館内に入ります。大浦天主堂の様に観光がメインとなっていない分厳か感も違います。どちらが良いというのではなく、大浦天主堂は行事中でなければ奥へ入り、その空間を味わうことができますが、浦上天主堂はそれすら許されません。また拝観料すら志扱いになっており、賽銭箱の様な箱の中に投入することになっています。こういう時に慣れてないとまごつくものですが、ちゃんと100円位と書かれています。祈りを捧げて…という様なものでもなく、黙礼して今回の旅路の無事を祈り退出します。観光地化されていない場所を観光するのは気疲れはするものの心の中の邪念が吹き飛んだ様な気持ちになりました。<br /><br />浦上天主堂の拝観を済ませ、来た道を下りて行きます。僅かな時差でしたが修学旅行の小学生を含めた観光客が坂道を上って来ます。途中にある遺構は見て来ましたが、説明書きを読んでなかったところがあったので再度立ち寄ります。<br /><br />浦上天主堂の歴史が書かれているものの横には、信者以外の方のトイレ利用についても書かれており、出来るだけ天主堂から道路を挟んだ店主公園のトイレを利用下さいと書いてありました。浦上天主堂の被爆からの復興について言われている『裏事情』はともかく、その再建には多くの信者の方々の尽力があった事実を踏まえると、一観光客にはわからない苦労も多々あったことは理解でき、当たり前と思いながらも実際に店主公園にまで行ってみることにします。清掃も行き届いており快適に利用できるものとなっていました。この店主公園には忠魂碑が建立されており、建立時期までは確認しなかったものの、周りの風景に違和感なく溶け込んでいる不思議な場所でもありました。<br /><br />そして再び観光ルートを辿ります。店主公園すぐそばのカトリックセンター長崎は、ユースホステルを兼ねたものとなっていますが、浦上天主堂で行われる朝のミサに参加できるとのこと。5:50に一階ロビーに集合して6:00からのミサ『体験』の後教会説明と歴史、そして原爆についてのお話をお聞きできるという素晴らしいものです。加えて目覚めは『アンゼラスの鐘の音』と言えばどんなものだろうか・・・と妄想が膨らみます。もっとも今回のような弾丸旅行に加えて夜型の生活をしている私にとっては、まず参加すら難しいことなので、長崎リピーターを極めた時に是非とも参加させて頂きたく思います。それまでに邪念を払拭し、神様の前で恥ずかしくならないような人間にならなければというミッションが立ちはだかっていますが(笑)。そんな妄想をしながらカトリックセンター長崎の横を通り過ぎて歩いて行きます。<br /><br />途中中国領事館があったりと、国際都市長崎を感じながら向かった先は如己堂・永井隆記念館でした。永井隆記念館と如己堂を見学した後、なんとか時間内に行くことができた山里小学校を訪れた部分は、書きたいことが多くあったために別に記述することにしました。<br /><br />山里小学校まで行けるとは思っていなかったものの、出た時には既に14:04…。あとひとつ山王神社の『一本柱鳥居』に行けるか…という時間で、一旦国道206号線沿いの大橋停留所付近まで出てそのまま長崎駅方面へと歩きます。平和公園へと上がる道付近はバスでかなり渋滞をしているようです。確か今日は長崎港にどこぞのクルーズ船が入っているはず…その観光客をはじめ修学旅行で長崎を訪れている児童や学生もかなり見てきました。そのまましばらく進むとあったセブンイレブン長崎松山町店で飲み物を買って一服します。その間バスの動きを見ていますが一向に動く気配がありません。そのうちにどこからともなくやって来たあちらの国の方々がコンビニで買い占めをはじめます。もう関わり合いを持ちたくないと感じた私は予定を変更して、一旦松山町バス停から川平道路経由のリムジンバスを利用しようと思いましたが、この渋滞に引っ掛かると…と思案した結果、やはり長崎出島道路経由の『ノンストップリムジン』を利用することにし、ここで今回の観光を打ち上げます。<br /><br />そのまま平和公園の入口を通り過ぎ、松山町バス停で来長崎バスに乗ります。初乗り150円は電車に比べるとやはり高く感じるのかも知れません。乗車後4分・4つ目のバス停であるココウォーク茂里町で下車します。みらい長崎ココウォークは観覧車のある複合施設です。その1階にはバスターミナルがあります。『ノンストップリムジン』の始発はここであるために下車したこともひとつの理由です。<br /><br />急げば一本前のバスにも乗れましたが、まあそこまで急ぐこともありません。一服しながらバスターミナル内を見学します。九州のバスターミナルを見ていつも思うことですが施設がしっかりしています。吹き抜けにはなっておらずバスの到着に合わせてドアが開くのはいつも感心することです。<br /><br />15:06発の長崎空港行きは長崎バスのオペレートです。セレガーラ60人乗りの新しいバスが使われており良い感じです。乗客がいない間に車内を撮影し、一息つくと急に眠気に襲われます。そして定刻に出発したバスは新地バスターミナルまで乗車を扱った後はノンストップで長崎空港へと向かいます。ただ眠気の方が勝ってしまい、気がついたら高速上でした…。初日こそ雨に降られてブルーでしたが、今日は一日良い天気だったこともあり、日差しが心地よい一日でした。とはいえ後はもう帰るのみとなり、長崎空港への道程を進んで行きます。大村インターで長崎自動車道を下りて一般道を進み、橋を渡ればそこはもう長崎空港でした。<br /><br />新地バスターミナルからの乗客が多かったこともあり、数分の遅れはあったものの無事長崎空港へと到着しました。現在は箕島を埋め立てた海上空港となっていますが、本土側にある旧A滑走路はその昔海軍大村飛行場としてオープンし、その後大村飛行場として新長崎空港ができるまでは海上自衛隊と共用の空港でした。平成23(2011)年に大村飛行場は国土交通省から防衛省の管轄に移されており、長崎空港は民間機、そして大村空港は自衛隊をはじめとした長崎県や県警のヘリコプターが利用しています。<br /><br />地方空港でありながらビジネス・観光とも利用客が大変多く、3000mの滑走路を早くから持っている空港でもあります。年間の利用客は国内線・国際合わせて300万人を超えており、特に羽田線にはかつてB747・トライスター・DC-10等、現在ではB777などのワイドボディ機が投入されています。その他MD-90・B763・B747-400Dの初便が就航した区間でもあります。大阪線には以前はトライスターやB777も投入されていたものの、現在ではE190等の小型機を中心とした運行となっています。<br /><br />あのコンコルドが飛来した数少ない飛行場のひとつである長崎空港ですが、関西へと帰る私が利用するのはやはり小型機です。スカイマークエアラインズ、一昔前経営破綻して論議を醸し出した航空会社ではありますが、路線を縮小しながらも運航を続けています。ただLCCでもなく大手でもないキャリアということで、値段で選んでも発着時間で選んでもあまり候補として引っ掛からないため最近は利用することがなかった航空会社のひとつです。しかし現在では利用間近の予約であれば『いま得』割引運賃が結構安いものであり、今回もその恩恵を被ったおかげで長崎行きが決まったようなものです。今回利用するBC148は神戸経由羽田行きとなっています。同一キャリアのトリプルコード便という扱いは、効率良く集客をする方法としてスカイマークでは取り入れられていました。4年前に初めて訪れた石垣島への足になってくれたスカイマーク。しかしその後那覇~石垣線から撤退してしまいそのルートで行くことはできなくなりましたが、やはりその存在感は少なからず私の心の中には残っています。また九州を訪れるのには今まで福岡空港を利用した時に全日空とジェットスターを利用した以外はすべてスカイマーク便を利用しており、長崎空港では2.5回目となります。なんで2.5回目なのかというと今回は行きはバスを利用したため、片道の利用となったからというだけの理由です(笑)。<br /><br />バスを降りてターミナルビルへと入り、本来ならば先にチェックインをするのですが、今回はお土産を『機内預け』にしたいため。先にお土産を購入します。店舗数は結構あるものの長崎のお土産というと限られてくるため空港での購入にしています。バラ撒き用も含めて購入し、お店で大きな紙袋に入れて貰いチェックインします。追加料金がかからないのはスカイマークのメリットであり、ずっと持ち続けたリュックだけで登場することができます。アサインしたシートは28A、確か最前列は追加料金が掛かるのとスカイマーク路線ではまず取れないこともあり、敢えて後方窓際にしています。セキュリティーを通過するともうそこは出発を待つだけの場所。久しぶりに見たスカイマークB737-800機の姿を見て、間もなく長崎を出発しないとと…いう気持ちになってきました。今回は3番ゲートからの搭乗ですが、ボーディングブリッジの利用は本当に久しぶりです。そしてほぼ定刻通りにゲートが開き、後方窓側席からの搭乗ということですぐに搭乗することができました。フィッティング感の良いレカロシートに陣取ると、ホッとしたのか急に疲れが出てきました。BC148・BC448に使用されているB737-800型機はウィングレットのない機材でした。燃料節約になるとは言われていても、新機材購入にはそれなりの金額がかかるのでしょう。悪く考えるとキリがないので考えないことにします(笑)。<br /><br />メールでは10分遅れの17:30出発予定とはなっていましたが、搭乗ペースは速かったようで、17:16にはドアクローズすると間もなくプッシュバックが始まります。そしてタキシング、そして大きな空港のような『待ち』をすることもなく離陸し、32時間の滞在であった長崎の街を後にしてあっという間に飛行機は一路神戸空港へと飛び立ちました。<br /><br />行きは820kmの道のりを11時間40分かけて陸路移動して来ましたが、さすがマッハ0.86だけあってあっという間です。日暮れも早くなる時期であると同時に東へと移動するため、あれよあれよという間に空は暗くなって行きます。関西空港発着だと神戸空港上空で方向を変えるため、着陸に向けて心算ができますが、神戸空港の場合はいきなりです。明石海峡大橋が見え、ギアダウンの振動が伝わって来たと思うとすぐに神戸空港に着陸します。僅かな早着で神戸空港に着陸し、今回の旅の本道は終わりました。<br /><br />四年ぶりになる神戸空港だったので荷物をピックアップした後少し散策をしてみます。しかし目的地空港でもない空港ゆえ全く記憶に残っておらず全てが新鮮です。しかし元々広い場所ではないところゆえすぐに一周してしまいます。明日から仕事なので適当に切り上げてポートライナーの神戸空港駅へと移動します。相変わらず旅行者の使い勝手を考えていない車両に乗り込みます。乗車してしまうと18分で三宮に到着し、JRに乗り換えます。出発時にバタバタして旅立ったため、安い切符を購入していなかったものの都会であるがため購入できると思っていたのが甘かった。ほとんどの金券ショップは19:00でしまっており、もし購入するのであれば少し歩かねばなりません。そのうち面倒臭さくなっていいや~という気持ちになり、意を決してJRの改札でPiTaPaをかざすもののまさかのエラー。改札で聞くとポートライナーの出札記録がないためとのこと。仕方がないのでポートライナーの改札まで戻って処理をして貰い、改めてJRの改札を通ります。だいぶ余分な時間を費やしましたが、19:37発の野洲行き新快速に乗れそうです。ポートライナーに乗っている間に時刻を調べていたら人身事故か点検かで電車が遅れているようなことが出ていましたが、どうやら回復しているようで安心しました。そして定時に出発した新快速は芦屋・尼崎と停車し、その間どさくさに紛れて座席を確保した状態で大阪駅に到着します。通勤客がどっと乗ってくる中意識が朦朧となりながら、取り敢えず寝ないことを心掛けているうちに京都に到着します。おおよそ48時間前に到着した京都駅を出発し、2つのトンネルを越えるとそこはもう南淡海の国です。<br /><br />田舎駅で下車した時刻はいつも帰宅時に利用している時間なので、さっさと行動すれば早い方のバスに乗れたものの、タバコとかの買い置きする間もなく帰って来たため、行きつけのファミマでタバコを購入するために向かいます。田舎のくせに路上喫煙禁止になっているエリアゆえいつもの喫煙所にて一服した後に田舎の赤バスに乗車します。乗ってしまえばいつも通り15分でど田舎バス停に到着し、田舎の我が家に無事たどり着きます。1泊3日49時間半の旅は、雨に降られて行動力が低下したことに加え、目的地をはっきりと決めなかった反省を含めたものにはなってしまいましたが、原爆遺構をはじめとする長崎を一回行ってしまえばそれで大丈夫という考えを覆すものになってくれました。<br /><br />値段では決められない『軍艦島上陸ツアー』の選択や被爆遺構を効率良く回って行くこと等様々な机上の計画がいかに重要なのかを知っただけでも大きな成果でした。それに加えて山里小学校で見た『被爆遺構地図』の再生を含め多くの課題ができたので、次回は準備万端で出向きたいと改めて思った次第です。<br /><br />長文にお付き合い頂き誠にありがとうございました。これにて『≪2017.Sep≫あみんちゅ弾丸Bus&amp;Air旅壱の③~長崎は昨日は雨だった・再会そして別れ編~』は終わります。<br />

≪2017.Sep≫あみんちゅ弾丸Bus&Air旅壱の③~長崎は昨日は雨だった・再会そして別れ編~

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2017/09/28 - 2017/09/28

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たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。

たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん

≪2017.Sep≫あみんちゅ弾丸Bus&Air旅壱の③~長崎は昨日は雨だった・再開、そして別れ編~

運が良いのか悪いのか無理矢理休暇取得をこじつける『理由』の発生による8月16日に受験した損保試験の不合格という結果。本来だったら勉強しろよ!っとなる訳ですが、すぐに再試験の日程が決まらなかっこともあり余裕を見て連休を取っていたため、結局9月26日昼イチに受験しその後2連休が決定しました。スカイマークの『いま得』運賃と、高速バスの割引クーポンを組み合わせることのできた今回の弾丸旅行、世界遺産『軍艦島』への上陸ツアーに合わせて手配しましたが、まさかの不完全燃焼…。かと言って時間は止まってはくれないので次の目的地を目指します。長崎の街中を始めて歩く今回の旅、1日半時間があれば結構な場所を回れる『だろう』とみていたことは、初日の雨であまりにも見通しが甘かったことに気付かされるものでした。そして長崎の夜は明け、今日はもう帰らなければなりません。絶対的な飛行機の時間を加味してどのような旅路になったのでしょうか?それでは最終日の行程が始まります。

平成29(2017)年9月28日木曜日
長崎I・Kホテル 09:03
五島町 09:19
    09:22
  《長崎電気軌道:120円》
浜口町 09:33
    09:35
追悼平和祈念館 09:40
        10:15
長崎原爆資料館 10:25
  《長崎原爆資料館入館料:200円》
        11:20
祈りのゾーン 11:23
       12:13
願いのゾーン 12:15
       12:25
天主堂の見える丘 12:27
         12:28
浦上天主堂 12:33
  《志:100円》
      12:55
天主公園 13:00
     13:05
如己堂 13:12
  《永井隆記念館入館料:100円》
    13:36
山里小学校 13:40
      14:04
松山町バス停 14:28
  《長崎バス:150円》
       14:33
ココウォーク茂里町 14:38
          15:06
  《長崎バス(エアポートリムジン):900円》
長崎空港 16:02
  《BC148(いま得):5,900円》
チェックイン 16:29
保安検査 16:40
搭乗 17:07
座席 17:09
ドアクローズ 17:16
プッシュバック 17:18
タキシング 17:25
離陸 17:30
ギアダウン 18:10
着陸 18:14
停止 18:16
降機 18:21
神戸空港駅 18:47
      18:50
  《ポートライナー:280円》
三宮 19:08
   19:37
  《JR野洲行き新快速:1,480円》
田舎駅 20:45
    21:16
  《田舎の赤バス:230円》
ど田舎バス停 21:31
田舎の我が家 21:35//

朝を気持ち良く迎えられました。空はどんよりと曇ってはいますが雨は降ってはいません。あと半日持って貰えれば良いので、それに期待をします。朝食を頂きに1階のレストランへと下りて行きます。ツアー利用の多いホテルにありがちなバイキングだと思っていたら和定食でした。敢えて人が集中する時間を外しておいたのでゆっくりと美味しく頂くことが出来ました。ごちそうさまでした♪

部屋に戻って忘れ物を確認し、9:00になって出発します。昨晩と同じルートでも良かったのですが、せっかくならば違う道を…ということで、長崎電気軌道の五島町電停を目指します。ホテルの案内には長崎駅前電停とは同時間の所要と書かれていましたが、どう考えても五島町電停の方が近いです。平日の朝ということもあり通勤客で混雑しているバスなども目の前を通過して行きます。今日の第一目的地は国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館なので、長崎電気軌道の浜口町電停を目指します。昨日は一日乗車券を購入しましたが、今日は乗っても2・3区間であるため現金払いを選びます。長崎駅前電停までは通勤客もいるみたいですが、その後は間違いなく『観光客のみ』でした。1号系統赤迫行きに揺られること10分程で浜口町電停に到着します。長崎西洋館の下を潜り抜ける手前に位置する浜口町電停、その他国号206号線の併用軌道から専用軌道に入ってすぐでもある結構有名な電停でもあります。

電車から降りて国道を渡り、The長崎といった感じの坂を上って行きます。5分程で平和公園学びのゾーンに到着します。ロータリークラブの平和のビジョン像や原爆殉難教え子と教師の像といった『Theモニュメント』を横目に見ながらやって来たのは国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館。広島と同様国の施設として原爆で亡くなられた方々の慰霊を目的に建設された施設です。水をモチーフとされているものは広島と同様で、水を求めて彷徨い、斃れて行った多くの被爆犠牲者に対する鎮魂の意を込めてあるものでした。祈念館上部に池が作られており、そこに貯まる水と垂直に立つガラス板が目に入ります。地下から入る祈念館の中央部には、地上部から繋がる二枚のガラス板によって作られている空間がありました。その中心部に被爆死亡者の記名名簿が安置されており、その空間は爆心地である『原爆投下中心碑』へと繋がっているそうです。芸術的な建物にはトンと興味を持たないのですが、さすがに建立意図はわかるものゆえ、黙礼を捧げます。その隣にはオバマ大統領の折った千羽鶴が置かれており、その関心について述べられていたようなことが書いてありました。

この長崎原爆死没者追悼平和祈念館は地下道で長崎原爆資料館と繋がっています。平和祈念館はそれほど多くの方が訪れているようには思わなかったものの、原爆資料館に着いた途端児童や学生の集団にかち合います。時間は10:20頃、丁度11:02に原爆資料館にいられるように逆算をしていた訳ですが、深読みをし過ぎて失敗しました。修学旅行では朝食と昼食の時間を観光に充てています。そのため集団行動では平和公園の①願いのゾーン→祈りのゾーン→学びのゾーン→昼食か、②学びのゾーン→学びのゾーン→願いのゾーン→昼食で80%近い数が同じ行動をします。この①コースとかち合って凄い人の中に入って行かねばなりません。

原爆関係の資料館としては広島と比較するとわかりやすいものとなっており、ビジュアル的にも『原爆の長崎投下』が即理解できるものになっています。ただあまりにもわかりやすく作られていることが、逆に小学生レベルの『作文』のネタ化しやすいものになってしまっているようで、バインダーにしおりを挟んだものを持ち歩き、これというものに群がってしまい、結果としてそのガラスケースの上で何かを書いているために、順序に従って見学している人の列を妨げてしまっています。別に小学生が原爆資料館を見て『なにがわかる』とは思いません。子供の頃よりそういったものに触れることによって物事が考えられる大人になってくれるなら大いなる価値があると考えます。しかし見ている限り本心から関心を持ってみている訳ではなく、学校で出された『課題』のためにメモを取っているようにしか見えないのが正直な印象です。これは自分自身の経験からでも言えることですが、『課題』遂行を目的に資料館の見学をしていると、資料そのものを見るのではなく、その『説明』にばかり気を取られ、結局は全体像を後から思い出すことができずに訪れたこと自体を思い出せないことが多々あります。そんな教育を受けていたから余計に思うところがあるのですが、目の前で自分自身の幼少の頃を思い出す光景が拡がっていると、日本の教育って前進しているのだろうか…と疑問に思えてなりません。子供には罪はありません、それを指導している大人の問題です。そんな思いに駆られながら1時間程で館内を巡りました。

原爆資料館出口には、やはり予定時刻より早く出てきた高校生達が数多くいました。老婆心から今の修学旅行って何のためにあるのだろう…とつい思ってしまいます。私はこの後付近の慰霊碑・記念碑を巡ることにしています。ただ殆どモニュメント化されているものばかりなので、碑の紹介のみに徹します。

まず『PEOPLE AT PEACE』は広島と同じものが長崎にも建立されており、ライオンズクラブの手によるものです。被爆経験という『共通点』に基づいてはいますが被爆犠牲者の慰霊碑ではありません。

鎮魂『あの夏の日』は退職婦人教員長崎県連絡協議会の手によって設置されました。世界の核の廃絶と永遠の平和を希求するという祈念碑です。反核・平和『はぐくむ』は長崎県労評センター女性協の手によって設置されました。やはりこちらも反核・平和を訴えるためという祈念碑です。

被爆50周年記念『平和の願いを後世へ』は、長崎原爆青年乙女会 被爆五十周年記念碑 建立委員会によって建立されたものです。被爆当時の様子に加え、被爆者に対し国が12年もの間救済措置をしなかった事実が書かれています。それらを根拠にした平和への願いを書いた祈念碑のひとつです。

『松尾あつゆき句碑』、長崎出身の俳人であり、長崎高商卒業後英語教師となる。長崎の原爆に遭遇し家と妻、四人の子供のうち長男・次男・次女の三人を失う。その後11月に重症を負うも生き延びた長女とともに佐世保に転居し、公立学校の教員となる。その後再婚し長野へ移るが、定年後に再び長崎に戻った。昭和36(1961)年に建立された12人の俳人による原爆合同句碑に刻まれていたものを、独立させて現在の地に収められている。

『秋桜子句碑』水原秋桜子の業績を永く記念するために長崎馬酔木会が設置した碑ものであるが、秋桜子と長崎の関係には触れていない。

『平和の母子像』は戦争に駆り出された男、そして勝利を祈った女。しかし沖縄戦と2度の原爆投下によって多くの命が失われた。40余年を経て第二の核戦争へ進む時代となり、『あの日』をそれぞれ生きた女たちの思いを合わせ再び惨禍をくり返さぬ誓いを込めて建立されたものです。やはり史実には触れてはいるものの祈念碑のひとつです。

『長崎誓いの火』古代オリンピックの故事にはオリンピック開催時には聖火がともされ、その間戦いは中止されたことから、平和の象徴とされてきました。それを最後の被爆地である長崎に灯そうという考えに、ギリシャ政府の特別な計らいによってオリンピック以外で聖火がオリンピアの丘で採火されました。それを核兵器が地球上からなくなるまで灯し続けるとの意図で建立されているモニュメントです。

『平和を祈る子の像』は原爆投下と戦争中に於ける情景を描写し、それを理由とし子供の頭の上に太陽が輝き続けることを祈念するものです。祈念像の中でも被爆20周年に建立を始めた歴史あるもののひとつです。

『電気通信労働者原爆慰霊碑』は3つの面からなる台座から成り立っており被爆者と電通労働者が各一面、そして平和を祈る市民が一面に充てられており、被爆死した労働者の慰霊と恒久平和を願っている者であり、慰霊碑でもあり祈念碑でもあるものです

『不戦平和之塔』は被爆時に亡くなった犠牲者が受けた爆風や熱線について触れており、それによって亡くなられた方々の慰霊碑となっています。ここで『建設労働者』とされている者は何も『業』としているものではなく、徴用され建物疎開等に従事したもの全てを祀っている特徴があります。間違いなく慰霊碑であり祈念碑です。

『追悼長崎原爆投朝鮮人犠牲者』は色々と書かれていますが、振り回されている思想論を含めて正しいことが書かれてません。この碑をどう取るかも私自身わかりません。また新しく建てられたものの建立には触れられていても、旧碑については書かれておらず、考えとして述べることもないので紹介のみにします。

『福田須磨子詩碑』は長崎出身で被爆した詩人・エッセイスト・作家の福田須磨子の詩が刻まれています。原爆後遺症としてSLEを患うものの自身の体験を通して被爆への怨念と平和の希求、闘いの生涯をこめた『われなお生きてあり』を完成させました。第8回田村俊子賞を受賞し怨の女か、愛の女か、須磨子は或いは火の玉となり或いは阿修羅となり戦争への危機と核権力に対して抵抗しつづけたとされています。逝去後に撰文され碑に刻まれて現在に至っています。生き様を書いたという点では祈念碑でしょう。

『外国人戦争犠牲者追悼核廃絶人類不戦碑』、これは捉えるのが難しいものかと思います。碑文にある『柳條溝事件』に端を発し、真珠湾攻撃を経て始まった太平洋戦争に至る15年戦争。その間に失われた310万人の日本人と数千万の外国人、そしてあの日昭和20(1945)年8月9日の長崎に投下された原子爆弾による被爆死した7万余名の命…。背景によって人それぞれに違うものはあれど、命に重い軽いはなくそれだけ多くの命が失われたことを教訓に今後反核・反戦を掲げるとは言っても、語っていることがあまりにも多過ぎて、結局は『人類みな家族』的な標語の碑にしかなれていないようにも思います。碑は立派ではあれど、重みが感じられない碑のひとつにしか見えませんでした。

『電鐡原爆殉難者追悼碑』はこれぞ正しく慰霊碑だと感じました。広島でも然りですが長崎でも戦地に赴いた男性兵士の代わりに、市内電車の運転士車掌は交通戦士の名のもとに集められた男子女子挺身隊学徒動員の10才台~20才台初めの人たちでした。太平洋戦争末に非常に厳しくなった戦況下では造船・兵器工場のある長崎の街は戦時体制の下大量に動員された通勤者や一般市民の輸送は最大の急務であり、特に朝夕のラッシュ時の混雑は想像に絶するものだったそうです。そしてあの日を迎え、ある者は電車のハンドルを握ったまま、またある者は車掌カバンを抱いたまま、未だ12歳の少女を含む110余名の若い命が多くの乗客とともに失われました。当時の業務に所縁のある物を集めて作った『電鐡原爆殉難者追悼碑』、これを無くしては慰霊ではないとも思います。目を瞑って手を合わせるとなんとなく当時の雑踏の様子が目に浮かんできたようでした。

ふと気づいたのですが、これらの碑はすべて『祈りのゾーン』に位置することを知りました。長崎原爆資料館出入口向かい付近から始まって下の川の川沿いに至るエリア、それに加えて『爆心地公園』と呼ばれる『原爆投下中心碑』までが含まれます。気付いて初めて思ったのが、ここまで歩いてくる者がいるのか…ということでした。地図らしい地図もなくただ歩いてきたら偶々爆心地公園にたどり着いた。それが今回の私の足取りです。自分が組んだルートだったからかも知れませんが、このルートを組める人は逆にボランティアガイドさん位ではないでしょうか?

そして下の川を渡って爆心地公園へと入ります。昨日とは逆方向から入っているため、順番も逆になります。『被爆50周年記念事業碑』は爆心地碑にならなかったことを安堵するもので、『Theモニュメント』としか相変わらず思いません。そして『原爆投下中心碑』、昨日はゆっくりと拝む余裕もなかったゆえ、少し碑の前に立って周りを見回します。70余年前にはなかったものを省いて行くと…何もなかった場所が狙われたのか、それとも原爆のために何もなくなったのかとわからなくなってしまう自分に気付きます。被爆死された方々の法名が収められていることは知っていたため、改めて手を合わせます。祈りのゾーン最後になった浦上天主堂遺壁ですが、天気が良いと余計に周りの景色に浮いている感じが強まります。公園内の北東角にあるため周りにある建物が『背景』となってしまっているため、余計に違和感を増しています。写真で切り取ることだけが『記録』ではありませんが、どうやれば浮かない写真が撮れるかと考えた挙句挫折した私には思えてなりませんでした。

祈りのゾーンを巡り終わった時点で12:00を過ぎており、少し急いで回るようにします。昨日見学した『防空壕』、昼間だと本当に目立ちません。そしてエスカレーターに乗って平和公園の願いのゾーンに到着します。しか~し…エスカレーターを登り切った時に視界に入ったものは…人・ヒト・ひとの群れです(汗)。これだけの人が集まる場所なのか…と改めて感じるものの、人ごみ嫌いな私にとっては苦痛にしかならないものです。なので集合写真の順番待ちをしているところはすべてパスし、長崎の鐘と、かなり離れた位置からの平和祈念像だけを再見学し、滞在時間僅か12分で通過してそのまま『天主堂の見える丘』に向かいます

ガイドブックには記載されているものの、口コミの類は紹介されていない子の『天主堂の見える丘』は、名前の通り浦上天主堂が望めます。長崎の丘という感じでしょうか、標高はさほど高くはないものの周りに視界を遮るものはなく、浦上天主堂とカトリックセンター長崎は確認できました。約800mと表示には書いてあったため、『自撮り』を済ませて浦上天主堂を目指すことにします。

丘の上からの眺望を確認しているので、つい道程は下り坂だけだと思っていましたが、実は半分は平坦な道程です。時間のことを気にしながら歩くこと数分、天主堂下の複合交差点に辿り着きます。なんとなく見たことがあるような風景…それに間違いはありませんでした。信号待ちをしているときに目に入ってきた『浦上天主堂旧鐘楼』の姿、修学旅行でバスの車窓から眺めていた姿が鮮明に残っていたのは間違いありません。国道沿いではないので多分平和公園の駐車場に向かうか出たかの時でしょう。その時は何となく…だったものが今目の前にあります。当時東洋一といわれていた浦上教会、その双頭の鐘楼は原爆の爆風によって約35m飛ばされました。重量は55tとされていることからその爆風の凄さを改めて知ることになります。現地の説明板にはその鐘楼の経緯が書かれており、その説明板の下には当時被爆した煉瓦が用いられています。爆心地から500mの至近距離で被爆した浦上天主堂、多くは建て替えられましたがこの鐘楼は原爆遺構として昨年国の史跡として登録されました。今回の旅で唯一の『再会』したものゆえその数十年という時間を飛び越えて目の前にあることに信じられない気持ちもありました。10年ひと昔とは言いますが、10年とは言わず100年でも1,000年でもこのままでいて欲しい浦上天主堂旧鐘楼でした。

旧鐘楼は浦上天主堂敷地内にはあるものの、説明板は敷地外に置かれていることもあり、改めて入口から入り直します。被爆した建物を取り壊して再建された現在の浦上天主堂ですが、敷地内には往時の建物や所縁の遺構などがたくさんあります。入口付近から信仰の礎、禁教下で信者の改宗のために使われた拷問石、そして永井博士が亡くなるまで待ち望んだ平和の聖母像などがありました。

天主堂へと続く坂道の途中には被爆した聖人の石造遺構があります。被爆により頭部が取れてしまったために誰のものかわからないもの、また現存するものでも熱線によって表面が黒く焼け焦げたものや鼻や指が取れてしまっているものもあり、如何に被爆というものが想像を絶するものであったかを物語っています。そしてアングルを変えて見ることが出来る旧鐘楼は、内部に流入している砂の量からもわかるように、このひとつの被爆遺構を残すために川の流れを変えてまで行われた難しさを物語っているように思えます。

現在の浦上天主堂にも被爆の傷跡を垣間見ることができ、旧浦上天主堂を設計したフレノ神父が彫刻し、指が取れたものの残った『悲しみのマリア像』や鼻が欠けたもののやはり残った『使徒聖ヨハネ像」に加えて入口部の『十字架のキリスト』は被爆によって破壊されたものが復元されて、現在に信者や観光客の目に触れています。

建物内に入るまでに史実を今に伝えるものに触れ、その重みに襟を正し館内に入ります。大浦天主堂の様に観光がメインとなっていない分厳か感も違います。どちらが良いというのではなく、大浦天主堂は行事中でなければ奥へ入り、その空間を味わうことができますが、浦上天主堂はそれすら許されません。また拝観料すら志扱いになっており、賽銭箱の様な箱の中に投入することになっています。こういう時に慣れてないとまごつくものですが、ちゃんと100円位と書かれています。祈りを捧げて…という様なものでもなく、黙礼して今回の旅路の無事を祈り退出します。観光地化されていない場所を観光するのは気疲れはするものの心の中の邪念が吹き飛んだ様な気持ちになりました。

浦上天主堂の拝観を済ませ、来た道を下りて行きます。僅かな時差でしたが修学旅行の小学生を含めた観光客が坂道を上って来ます。途中にある遺構は見て来ましたが、説明書きを読んでなかったところがあったので再度立ち寄ります。

浦上天主堂の歴史が書かれているものの横には、信者以外の方のトイレ利用についても書かれており、出来るだけ天主堂から道路を挟んだ店主公園のトイレを利用下さいと書いてありました。浦上天主堂の被爆からの復興について言われている『裏事情』はともかく、その再建には多くの信者の方々の尽力があった事実を踏まえると、一観光客にはわからない苦労も多々あったことは理解でき、当たり前と思いながらも実際に店主公園にまで行ってみることにします。清掃も行き届いており快適に利用できるものとなっていました。この店主公園には忠魂碑が建立されており、建立時期までは確認しなかったものの、周りの風景に違和感なく溶け込んでいる不思議な場所でもありました。

そして再び観光ルートを辿ります。店主公園すぐそばのカトリックセンター長崎は、ユースホステルを兼ねたものとなっていますが、浦上天主堂で行われる朝のミサに参加できるとのこと。5:50に一階ロビーに集合して6:00からのミサ『体験』の後教会説明と歴史、そして原爆についてのお話をお聞きできるという素晴らしいものです。加えて目覚めは『アンゼラスの鐘の音』と言えばどんなものだろうか・・・と妄想が膨らみます。もっとも今回のような弾丸旅行に加えて夜型の生活をしている私にとっては、まず参加すら難しいことなので、長崎リピーターを極めた時に是非とも参加させて頂きたく思います。それまでに邪念を払拭し、神様の前で恥ずかしくならないような人間にならなければというミッションが立ちはだかっていますが(笑)。そんな妄想をしながらカトリックセンター長崎の横を通り過ぎて歩いて行きます。

途中中国領事館があったりと、国際都市長崎を感じながら向かった先は如己堂・永井隆記念館でした。永井隆記念館と如己堂を見学した後、なんとか時間内に行くことができた山里小学校を訪れた部分は、書きたいことが多くあったために別に記述することにしました。

山里小学校まで行けるとは思っていなかったものの、出た時には既に14:04…。あとひとつ山王神社の『一本柱鳥居』に行けるか…という時間で、一旦国道206号線沿いの大橋停留所付近まで出てそのまま長崎駅方面へと歩きます。平和公園へと上がる道付近はバスでかなり渋滞をしているようです。確か今日は長崎港にどこぞのクルーズ船が入っているはず…その観光客をはじめ修学旅行で長崎を訪れている児童や学生もかなり見てきました。そのまましばらく進むとあったセブンイレブン長崎松山町店で飲み物を買って一服します。その間バスの動きを見ていますが一向に動く気配がありません。そのうちにどこからともなくやって来たあちらの国の方々がコンビニで買い占めをはじめます。もう関わり合いを持ちたくないと感じた私は予定を変更して、一旦松山町バス停から川平道路経由のリムジンバスを利用しようと思いましたが、この渋滞に引っ掛かると…と思案した結果、やはり長崎出島道路経由の『ノンストップリムジン』を利用することにし、ここで今回の観光を打ち上げます。

そのまま平和公園の入口を通り過ぎ、松山町バス停で来長崎バスに乗ります。初乗り150円は電車に比べるとやはり高く感じるのかも知れません。乗車後4分・4つ目のバス停であるココウォーク茂里町で下車します。みらい長崎ココウォークは観覧車のある複合施設です。その1階にはバスターミナルがあります。『ノンストップリムジン』の始発はここであるために下車したこともひとつの理由です。

急げば一本前のバスにも乗れましたが、まあそこまで急ぐこともありません。一服しながらバスターミナル内を見学します。九州のバスターミナルを見ていつも思うことですが施設がしっかりしています。吹き抜けにはなっておらずバスの到着に合わせてドアが開くのはいつも感心することです。

15:06発の長崎空港行きは長崎バスのオペレートです。セレガーラ60人乗りの新しいバスが使われており良い感じです。乗客がいない間に車内を撮影し、一息つくと急に眠気に襲われます。そして定刻に出発したバスは新地バスターミナルまで乗車を扱った後はノンストップで長崎空港へと向かいます。ただ眠気の方が勝ってしまい、気がついたら高速上でした…。初日こそ雨に降られてブルーでしたが、今日は一日良い天気だったこともあり、日差しが心地よい一日でした。とはいえ後はもう帰るのみとなり、長崎空港への道程を進んで行きます。大村インターで長崎自動車道を下りて一般道を進み、橋を渡ればそこはもう長崎空港でした。

新地バスターミナルからの乗客が多かったこともあり、数分の遅れはあったものの無事長崎空港へと到着しました。現在は箕島を埋め立てた海上空港となっていますが、本土側にある旧A滑走路はその昔海軍大村飛行場としてオープンし、その後大村飛行場として新長崎空港ができるまでは海上自衛隊と共用の空港でした。平成23(2011)年に大村飛行場は国土交通省から防衛省の管轄に移されており、長崎空港は民間機、そして大村空港は自衛隊をはじめとした長崎県や県警のヘリコプターが利用しています。

地方空港でありながらビジネス・観光とも利用客が大変多く、3000mの滑走路を早くから持っている空港でもあります。年間の利用客は国内線・国際合わせて300万人を超えており、特に羽田線にはかつてB747・トライスター・DC-10等、現在ではB777などのワイドボディ機が投入されています。その他MD-90・B763・B747-400Dの初便が就航した区間でもあります。大阪線には以前はトライスターやB777も投入されていたものの、現在ではE190等の小型機を中心とした運行となっています。

あのコンコルドが飛来した数少ない飛行場のひとつである長崎空港ですが、関西へと帰る私が利用するのはやはり小型機です。スカイマークエアラインズ、一昔前経営破綻して論議を醸し出した航空会社ではありますが、路線を縮小しながらも運航を続けています。ただLCCでもなく大手でもないキャリアということで、値段で選んでも発着時間で選んでもあまり候補として引っ掛からないため最近は利用することがなかった航空会社のひとつです。しかし現在では利用間近の予約であれば『いま得』割引運賃が結構安いものであり、今回もその恩恵を被ったおかげで長崎行きが決まったようなものです。今回利用するBC148は神戸経由羽田行きとなっています。同一キャリアのトリプルコード便という扱いは、効率良く集客をする方法としてスカイマークでは取り入れられていました。4年前に初めて訪れた石垣島への足になってくれたスカイマーク。しかしその後那覇~石垣線から撤退してしまいそのルートで行くことはできなくなりましたが、やはりその存在感は少なからず私の心の中には残っています。また九州を訪れるのには今まで福岡空港を利用した時に全日空とジェットスターを利用した以外はすべてスカイマーク便を利用しており、長崎空港では2.5回目となります。なんで2.5回目なのかというと今回は行きはバスを利用したため、片道の利用となったからというだけの理由です(笑)。

バスを降りてターミナルビルへと入り、本来ならば先にチェックインをするのですが、今回はお土産を『機内預け』にしたいため。先にお土産を購入します。店舗数は結構あるものの長崎のお土産というと限られてくるため空港での購入にしています。バラ撒き用も含めて購入し、お店で大きな紙袋に入れて貰いチェックインします。追加料金がかからないのはスカイマークのメリットであり、ずっと持ち続けたリュックだけで登場することができます。アサインしたシートは28A、確か最前列は追加料金が掛かるのとスカイマーク路線ではまず取れないこともあり、敢えて後方窓際にしています。セキュリティーを通過するともうそこは出発を待つだけの場所。久しぶりに見たスカイマークB737-800機の姿を見て、間もなく長崎を出発しないとと…いう気持ちになってきました。今回は3番ゲートからの搭乗ですが、ボーディングブリッジの利用は本当に久しぶりです。そしてほぼ定刻通りにゲートが開き、後方窓側席からの搭乗ということですぐに搭乗することができました。フィッティング感の良いレカロシートに陣取ると、ホッとしたのか急に疲れが出てきました。BC148・BC448に使用されているB737-800型機はウィングレットのない機材でした。燃料節約になるとは言われていても、新機材購入にはそれなりの金額がかかるのでしょう。悪く考えるとキリがないので考えないことにします(笑)。

メールでは10分遅れの17:30出発予定とはなっていましたが、搭乗ペースは速かったようで、17:16にはドアクローズすると間もなくプッシュバックが始まります。そしてタキシング、そして大きな空港のような『待ち』をすることもなく離陸し、32時間の滞在であった長崎の街を後にしてあっという間に飛行機は一路神戸空港へと飛び立ちました。

行きは820kmの道のりを11時間40分かけて陸路移動して来ましたが、さすがマッハ0.86だけあってあっという間です。日暮れも早くなる時期であると同時に東へと移動するため、あれよあれよという間に空は暗くなって行きます。関西空港発着だと神戸空港上空で方向を変えるため、着陸に向けて心算ができますが、神戸空港の場合はいきなりです。明石海峡大橋が見え、ギアダウンの振動が伝わって来たと思うとすぐに神戸空港に着陸します。僅かな早着で神戸空港に着陸し、今回の旅の本道は終わりました。

四年ぶりになる神戸空港だったので荷物をピックアップした後少し散策をしてみます。しかし目的地空港でもない空港ゆえ全く記憶に残っておらず全てが新鮮です。しかし元々広い場所ではないところゆえすぐに一周してしまいます。明日から仕事なので適当に切り上げてポートライナーの神戸空港駅へと移動します。相変わらず旅行者の使い勝手を考えていない車両に乗り込みます。乗車してしまうと18分で三宮に到着し、JRに乗り換えます。出発時にバタバタして旅立ったため、安い切符を購入していなかったものの都会であるがため購入できると思っていたのが甘かった。ほとんどの金券ショップは19:00でしまっており、もし購入するのであれば少し歩かねばなりません。そのうち面倒臭さくなっていいや~という気持ちになり、意を決してJRの改札でPiTaPaをかざすもののまさかのエラー。改札で聞くとポートライナーの出札記録がないためとのこと。仕方がないのでポートライナーの改札まで戻って処理をして貰い、改めてJRの改札を通ります。だいぶ余分な時間を費やしましたが、19:37発の野洲行き新快速に乗れそうです。ポートライナーに乗っている間に時刻を調べていたら人身事故か点検かで電車が遅れているようなことが出ていましたが、どうやら回復しているようで安心しました。そして定時に出発した新快速は芦屋・尼崎と停車し、その間どさくさに紛れて座席を確保した状態で大阪駅に到着します。通勤客がどっと乗ってくる中意識が朦朧となりながら、取り敢えず寝ないことを心掛けているうちに京都に到着します。おおよそ48時間前に到着した京都駅を出発し、2つのトンネルを越えるとそこはもう南淡海の国です。

田舎駅で下車した時刻はいつも帰宅時に利用している時間なので、さっさと行動すれば早い方のバスに乗れたものの、タバコとかの買い置きする間もなく帰って来たため、行きつけのファミマでタバコを購入するために向かいます。田舎のくせに路上喫煙禁止になっているエリアゆえいつもの喫煙所にて一服した後に田舎の赤バスに乗車します。乗ってしまえばいつも通り15分でど田舎バス停に到着し、田舎の我が家に無事たどり着きます。1泊3日49時間半の旅は、雨に降られて行動力が低下したことに加え、目的地をはっきりと決めなかった反省を含めたものにはなってしまいましたが、原爆遺構をはじめとする長崎を一回行ってしまえばそれで大丈夫という考えを覆すものになってくれました。

値段では決められない『軍艦島上陸ツアー』の選択や被爆遺構を効率良く回って行くこと等様々な机上の計画がいかに重要なのかを知っただけでも大きな成果でした。それに加えて山里小学校で見た『被爆遺構地図』の再生を含め多くの課題ができたので、次回は準備万端で出向きたいと改めて思った次第です。

長文にお付き合い頂き誠にありがとうございました。これにて『≪2017.Sep≫あみんちゅ弾丸Bus&Air旅壱の③~長崎は昨日は雨だった・再会そして別れ編~』は終わります。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
5.0
グルメ
5.0
交通
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
高速・路線バス スカイマーク JRローカル 私鉄 自家用車 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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この旅行記へのコメント (2)

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  • たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん 2020/04/30 00:07:41
    そ~なんですか~!
    穴場過ぎる~って優柔不断な気持ちで入れない場所ぢゃないですか(泣)。でもイエス様も一回位は目を瞑って貰って、、、。

    某店は今年度中とは聞いてますが、コロナでストップしてる(らしい)。足場は組み終わってましたけど。

    京都市大津区民たかティム。
  • ももであさん 2020/04/29 21:06:33
    長崎カトリックセンター
    お目が高い!?
    長崎カトリックセンターの夕方以降フロント担当の
    おネーサンがめっぽう美人さんで、しかもすんごく
    優しく親切なのです(ΦωΦ)
    ぜひ次回はお泊まり下さい。

    ところで某お店は、無事に2020年夏に開業
    されるのでしょうか?

    あみんちゅ改め長崎人 福山もも治

たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さんのトラベラーページ

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