2001/05/03 - 2006/05/19
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jijidarumaさん
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≪レンタカー会社≫
ドイツで利用するレンタカー会社は米系のハーツHertzが最大手であり、そのほかにエイビスAvis、ヨーロップカーEuropcar、ジクストSixtなどがある。
空港・鉄道駅・町中と主要な場所にはカウンターが設けられている。私は車種の選択などに問題が少ないであろうと考えて、ハーツを毎年利用していたが、この最大手でも何かとトラブルことも多い。それで最近はエイビスAvisに切り替えている。
自分の気の向くままにドイツの町々を旅するにはレンタカーを利用するのがベストであろう。
自動車王国のドイツだけに高速道路はよく整備されていて走り易く、こちらの人の運転は上手く、安心していられる。
また、ドイツではマニュアル仕様車がレンタカーの中心であるので、どうしてもオートマチック車数が少ない。
マニュアル車であれば、予約車が準備されていないといった種類のトラブルは少ないのだろうが、オートマチック車しか乗れない私なので、そうするわけにはいかない。
ともあれ、2001年5月当時(57歳)、65歳までレンタカーの旅を続けようと考えていたが、もう既にその歳を過ぎ、古稀も過ぎていまは73歳である。
まだまだ元気な私なので、ハードルを75歳までとした。さて何時まで、ドイツの旅を続けられるだろうか。
以下は2001年以来のドイツの旅の事をレンタカーを中心に古城ホテルなどピックアップして適当に纏めてみました。
写真はGast-im-Schloss古城ホテルに滞在の小冊子(1977・1984年、最近版)
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空 ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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①Relais&Chateauxルレ・エ・シャトー
世界中の国にある最高級クラスのホテル・レストランが加盟(1954年創立)している。
本部はParisにある。特に掲載されたレストランはミシュラン3星、2星が多い。
因みに1973年の冊子では仏81、独15、墺4、ベルギー2、英11、アイルランド1、スイス1の7カ国・加盟数115、64ページを数える。
写真はRelais&Chateauxルレ・エ・シャトーの冊子(1973・1984年版) -
②Romantik Hotelロマンチックホテル
この案内書はドイツを中心にヨーロッパがベースになっているもので、掲載されるのは、歴史のある、大変雰囲気の良い、その町を代表するホテルである。
選択基準にレストランの料理・ワインの良さがあり、何れも美味しく、シテイホテルとは違った魅力が一杯である。
加盟ホテル・ページ総数は毎年増減しているが、2015年版は500ページほどになっている。本部がFrankfurtにあるので、加盟ホテル総数118でドイツ(104)を中心に、スイス(28)、オーストリア(19)、イタリア(18)、フランス(8)、オランダ(5)、ベルギー(4)、ルクセンブルグ(1)、スペイン(1)の9カ国に及んでいる。
写真はRomantik Hotelロマンチックホテル(2015年版)、Relais&Chateauxルレ・エ・シャトー(2011年版)の冊子 -
写真はRomantik Hotelロマンチックホテル冊子中の2013年、独蘭国境に近いIsselburg-Anholtの古城ホテルParkhotel Wasserburg 古城ホテル アンホルト城の案内
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写真はRelais&Chateauxルレ・エ・シャトーの冊子中(右)の2008年、南バイエルンAschauアッシャウim Chiemgau 、Kirchplatz 1 ・ Residenz Heinz Winkler古城ホテル レジデンツ ハインツ・ヴィンクラー(5星)・ミシュラン3星(現在は2星)
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③“Gast im Schlossお城に滞在”
Gast im Schlossお城に滞在は1961年創立、ドイツを中心として、Burg Trendelburgトレンデルブルク城に事務局を置き、城主がリーダーとなっていた。
1977年当時の参加古城ホテルは72を数えていたが、1984年に83に増え、その後はじり貧になり、2007年7月から Ringhotelsの傘下に入る事となった。
現在、Ringhotelsの傘下であるGast im Schloss古城ホテルが20程度になった。
いずれにしても、かつては世に知られた古城ホテルの大半が入っており、1970年代からよく利用させてもらった。
その後も繰り返して滞在した古城ホテルも多い。
写真はGast im Schlossお城に滞在の冊子(1977・1984年版と最近版) -
以下は2001年~2006年に宿泊・食事をした古城ホテル・レストランです。
2001年:
Hotel Schloss Spangenberg・Spangenberg、
Schlosshotel "Prinz von Hessen "・Friedewald 、
Hotel auf der Wartburg・Eisenach、
Hotel Elephant・Erfurt・ミシュラン1星、
Mercure Parkhotel Meissen・Meissen、
Hotel Jagtschloss Thiergarten・Bayreuth、
Hotel Schloss Hohenstein ・Ahorn bei Coburg、
Hotel Schloss Neuburg ・Obrigheim、
Burg Hornberg・Neckarzimmern、
2004年:
Romantik Hotel Lindner・Bad Aibling、
Schloss Haunsperg・Oberalm、
Im Weissen Roessl・Wolfgangsee、
Schlossberg Hotel・Graz、
Hotel Schloss Wilhelminenberg・Wien、
Hotel Schloss Duernstein・Duernstein、
Schlosshotel Freisitz Roith・Gmunden、
Hotel Alpenstuben am See・Hohenschwangau
Golfhotel Kaiserin Elisabeth・Starnbergersee、
2005年:
Klassik Altstadt Hotel・Luebeck、
Historischer Weinkeller・Kartoffelkeller・Luebeck、
Haus der Schiffergesellschaft・Luebeck、
Hotel Fuerstenhof Celle・Celle・ミシュラン1星、
Romantik Hotel Schloss Petershagen・Petershagen、
Burghotel Trendelburg・Trendelburg、
Romantik Hotel Theophano・Quedlinburg、
Hotel Kaiserworth・Goslar、
Hotel Schloss Wolfsbrunnen・Meinhard、
Hotel Burg Staufenberg ・Staufenberg、
2006年:
Weinhaus Tante Anna ・Duesseldorf・Altstadt、
Hotel Schloss Hugenpoet・Essen-Kettwig、
Hotel Burg Wassenberg・Wassenberg、
Restaurant“Zur Traube”・Grevenbroich・ミシュラン2星、
Romantik Restaurant・Weinkirche Brogsitters St.Peter・ Bad Neuenahr-Ahrweiler、
Schlosshotel Kurfuerstliches Amtshaus・Daun-Vulkaneifel・ミシュラン1星、
Historische Schlossmuehle・Horbruch-Hunsrueck、
Schloss-Hotel-Petry・Treis-Karden、
Burghotel Stromburg(Johann Lafer)・Stromberg・ミシュラン1星、
Burghotel Auf Schoenburg・Oberwesel amRhein、
Schloss Johannisberg ・Geisenheim-Johannisberg 、
Jagtschloss Niederwald・Ruedesheim am Rhein 、
Schlosshotel Weilburg ・Weilburg 、
Schloss-Hotel Braunfels・Braunfels ob der Lahn、
写真はGast im Schlossお城に滞在の冊子(1984年版)の内容
このページでは
①Ringhotel Schloss Tremsbuettel古城ホテル トレムスビュッテル城、
③Burghotel Trendelburg古城ホテル トレンデルブルク城、
⑤Hotel Schloss Waldeck古城ホテル ヴァルデック城、
⑥Hotel Schloss Wilkinghege古城ホテル ヴィルキングヘーゲ城、
⑧Hotel Schloss Hugenpoet古城ホテル フーゲンポエト城、
には訪れ、宿泊もした。
右下のボンにある⑩Schlosshotel Kommende Ramersdorf古城ホテル コメンデ・ラーマースドルフには行ったことが無い。 -
≪ドイツ16年ぶりの再訪≫
( 2001年5月3日-5月14日 :12日間 )
ゲーテ街道・ドレスデン・マイセン・古城街道を巡る旅
5・04(金) 晴れ
Hotel Schloss Spangenberg古城ホテル シュパンゲンベルク城
D-34286 Spangenberg 、Zum Schloss 1
城門下の駐車場に車を停める。殆ど人の姿を見ない坂道を三百メートル行くと城門があり、更に進むと王冠をかぶった様な、赤レンガ色の屋根の城があった。
昔は跳ね橋であったろうが、今はしっかりと固定された橋を渡り、城内に。
城は十数メートルの深い空堀をめぐらし、城の正面入り口の上部にはいくつかの尖塔を持つ天守閣が築かれていて、重々しい趣むきがある。周囲をレンガで築かれた城館が取り巻いている。丘の上だけに深さ120mの井戸が掘られたと云う。
城の高台から見える周囲の町の風景は春まだ浅き感じだ。その新緑の中に、赤レンガ屋根の木組み建築の家並みが続いて、際立って美しい。ドイツの古城の春を実感する。
この城の歴史は封建領主の居城として、築城された1214年に遡る。後にフランクフルトやマインツからライプチッヒまでの交易路が通ることになってから、この城の重要性が増し、1350年にはヘッセン大公の所有となり、歴代大公の狩猟の館として、200年に渡り利用された。
その後、18世紀に城は仏軍に一時期占領され、普仏戦争、第二次大戦でも捕虜収容所に転用された。
1945年4月に空爆による大きな被害を受けたが、1950年に再建され、1978年以降ヘッセン州所有のホテル・カフェ・レストランとなった。
郷土料理が中心で、秋には鹿や猪などの鳥獣の得意料理を出す。フランクフルト空港より190km。シューベルトの“菩提樹”のモチーフとなった菩提樹の残る町、バート・ゾーデン・アレンドルフも車で東に一時間と近い。
(ホテルは28室の規模。)
:本日は昼食に予定していたが遅め遅めの動きになり、お茶の時間になってしまった。昼食時を外れた所為か、殆どお客のいないレストランで、久しぶりのドイツのチーズケーキを頂く。実に美味しい!!
15:55~16:30 28DM・現金
写真は2001年5月ゲーテ街道・古城街道:
Hotel Schloss Spangenberg古城ホテル シュパンゲンベルク城 -
Hertz予約内容:
(車種:クラス) フルサイズ、オートマチック I00(FDAR)
(メルセデスC-180、1800㏄ クラス希望:特定は不可)
使用車種 :
Volvo S80 2400CC Diesel Automatic ディーゼル・オートマチック
期間 :5月04日(金)08:49 、NH 209 18:30 Frt・前日到着―>
5月13日(日)16:30 、 NH 292 20:30 Frt・出発
距離 : 1,995km
燃料 : 170.84 L 、 363.27 DM(21,796円)、
1L あたり 2.126 DM(127円)、
1L あたり 11.68km (注)ディーゼル
金額 : 1,849.42 DM X 56.074 =103,704円
(一日・10,370円) 。
予約より、少し大きめなのを貸与されたこともあり、又、大中2個のトランク
でもあったことで、積載になんら問題はなかった。
初めて乗ったVOLVOボルボ車はがっちりした、乗り心地も良い車であった。
5・05(土) 曇り後雨、肌寒し
このドイツ文化の源流とも言われるEisenachアイゼナッハの町の観光はまずWartburgヴァルトブルグ城である。
山上の城までボルボは軽快に上がる。狭い山道は山間をぐるぐる回るような感じで上がって行く。城の真下に設けられた駐車場に導かれて停める。
写真は2001年5月ゲーテ街道・古城街道:VOLVOと世界遺産のヴァルトブルク城写真は2001年5月ゲーテ街道・古城街道:ヴァルトブルク城ヴァルトブルク城 城・宮殿
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1989年ベルリンの壁が崩壊し、あっという間に東西ドイツの統一がなされたのが翌年のことである。
私共が駐在していた、1970、80年代のドイツは、冷戦下・東西が分裂していた為、旧東独地域への旅行は難しかった。その頃、“陸の孤島”であったベルリン(西・東のベルリンに分離統治されていた)に出張と家族旅行で2度旅行しただけであった。
しかも東ドイツの中に孤立していた西ベルリンに向うのも飛行機やアウトバーンは在ったものの、国境での警戒も厳しく、旅は気分の良いものではなかったので、東ベルリン以外に東側の町に旅したことがない。
二度目のドイツ駐在から帰国した1985年から、今年は16年になる。
何やかやとあったものの、ドイツ感傷旅行の第一回がスタートした。
今回の旅は当時、行ってみたかった“エルベ川のフィレンツェと呼ばれ、あるいは百塔の都と世に称されるドレスデン”や、ヨーロッパ、いや世界に冠たる“高級磁器の町・古都マイセン”を訪れるのが第一であり、そして所謂、ゲーテ街道沿いの町々、中世の山城ヴァルトブルグ(世界遺産・1999年登録)のあるアイゼナッハ、大聖堂のあるエアフルト、ドイツ古典文化の代表である“文豪ゲーテ・シラーの町・ワイマール(世界遺産・1998年登録)”を訪ねることであった。
更には駐在時に家族で訪れたことのある、ネッカー川流域に点在する数々の城砦、宮殿、館を再び見て歩く、古城街道を巡る旅である。
Hessenヘッセン州・フランクフルトを東に向かってスタートし、Thueringenテューリンゲン州、Freistaat Sachsenザクセン州を通り、Freistaat Bayernバイエルン州に南下し、そしてBaden-Wuerttembergバーデン・ヴュルテンベルグ州の先端を西に横切り、ヘッセン州・フランクフルトに戻る周遊であり、そして、Fuldaフルダ川、Ilmイルム川、Saaleザーレ川、Elbeエルベ川、Neckarネッカー川、Mainマイン川の河川に沿って走る旅でもありました。
写真は2001年5月ゲーテ街道・古城街道:エルベ川畔にあるFestung Koenigsteinフェスツング・ケーニッヒシュタイン大要塞、Meissenマイセン・Albrechtsburgアルブレヒト城
5・08(火) 曇り
Welcome Parkhotel Meissenウエルカム・パークホテル・マイセンに2泊して、
ケーニッヒシュタイン大要塞、ドレスデン市内観光、狩猟館・Jagtschloss Moritzburgモーリッツ城を回った。
<Festung Koenigsteinフェスツング・ケーニッヒシュタイン大要塞>
要塞からはるかに遠い駐車場に車を停めて、岩上の要塞に向かって歩く。タクシーや観光用の小さな列車(遊園地に見られる)もあったが、ともかく歩き出す。
ドレスデンからチェコ国境に至るエルベ川流域は”Saechsische Schweizザクセンのスイス”と呼ばれる景勝の地である。このあたりはElbsandsteinエルベ砂岩の山塊が続き、川による侵食で所々に台地が残り、独特の美しい景観を造っている。
そのエルベ川が湾曲するあたりに巨大な台地・ケーニッヒシュタイン“王の岩”とも称されるものがあり、台上(海抜361m)は広さ9.5haもある。
ドイツ最大の要塞として、750年間の歴史的な建物が30も建っている。後期ゴシック、ルネッサンス、バロック、19世紀の様々な時代の集合である。古くはゲルマンの一部族が台上に拠点を設けていたと云われ、最も古い歴史文書には1233年Gerhard von Steinにより城郭が築かれたとあるそうだ。中世当時はチェコのボヘミヤ王の支配下だったが、15世紀の初めより、ザクセンの領主の所有となっている。1516年、台上に”奇跡のマリアを称賛する”僧院がBaertigenのGeorg公によって設けられた。1589年にはザクセン選帝侯Christian1世が大要塞を完成させる。こ
のザクセン王国の時代には首都ドレスデンの防御として、重要な拠点となり、ヨーロッパ内でも最強の要塞と謳われたと云う。16世紀の終わり頃から20世紀(第一次・第二次世界大戦)に至るまで、しばしばここは戦時捕虜の収用所や政治犯の牢獄として使われることになる。1806年ナポレオンの台頭によって、ザクセン王国は彼の支配下になり、1813年にはナポレオン自らが要塞の視察を行った。
要塞はRheinbundライン同盟(連邦とも言い、ナポレオンを盟主とした南ドイツ諸邦の連合体で、プロイセン・オーストリア連合に対抗したもの)のものとなる。
1955年には軍事博物館が開設され、1989年のベルリンの壁崩壊後はザクセン州の所有となり、2000年には民間所有と変わっている。
この長い歴史の中で、不思議なことに築城した思惑とは異なり、HPを読む限りはこの要塞が大きな攻防戦を戦ったという記述が無い。ケーニヒシュタイン城塞 城・宮殿
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≪Goethestrasseゲーテ街道≫
ドイツには観光用にエリカ街道(シュターデ或いはプレーンより、リューベック経由ハノーファーまで)、ゲーテ街道(フランクフルト--->ライプツィヒ)、古城街道(マンハイム--->プラハ)、ロマンチック街道(ヴュルツブルグ--->ホーエンシュヴァンガウ)、ファンタスティック街道(メーアブルグ--->バーデンバーデン)、アルペン街道(リンダウ--->ベルヒステスガーデン)、メルヘン街道(ハーナウ--->ブレーメン)の7街道が有名である。いずれも、田舎道を走り、名所・旧跡のある小さな町々をつなぐ素晴らしい街道で、ドイツらしい、楽しく、魅力的な旅が出来る。
これらの街道は“Deutsche Fachwerk Strasse:ドイツ木組み建築の家街道”とも、重なり合っていて、様々な木組みの家を楽しめる旅でもある。
“ドイツ人の心の故郷”と旅行会社の宣伝文句にあるゲーテ街道はFrankfurtフランクフルトから東に走り、Hanauハーナウ、宗教都市Fuldaフルダを通り、EisenachアイゼナッハやErfurtエアフルトといった“ドイツの緑の心臓”と呼ばれる、深い森が続く森林地帯Thueringenテューリンゲン地方を過ぎ、かつてのワイマール公国の古都Weimarワイマールに至る。更に東に足を伸ばすとJenaイエナ、その近郊にあるDornburgドルンブルク古城群、そして最終地Leipzigライプチッヒまで400kmの街道である。
写真は2001年5月ゲーテ街道・古城街道:古城街道の図
≪Burgenstrasseブルゲンシュトラッセ・古城街道≫
ドイツの観光街道の一つ、古城街道は創設以来の50周年を2004年3月に迎える。
中世からの歴史あふれる城は、それぞれの古城・館がその魅力的な風景を現在も保っている。興味深い古城街道の道標が立つ道は全行程1,000km。
Mannheimマンハイムをスタートし、Heidelbergからネッカー川に沿った古城・古城ホテルの多さを楽しみ、Heilbronn、Rothenburg、Nuernberg、Bayreuth、Bamberg、Coburg、Kulmbachなどを経由し、チェコのプラハまで魅力的な町々をつないでいる。
とりわけネッカー渓谷には多くの中世からの魅力的な城や館がある。
ハイデルベルクの城、ホルンベルク城やグッテンベルク城がとりわけネッカー川沿いの城として知られている。其の他にもエーベルバッハ城、ヒルシュホルン城、ツヴィンゲンブルク城、エスリンガー城、シュトルツェネック城、ミンネブルク城、レムゼック城、ヴァイラー城、ディルスベルク城、ノイブルク城、ハインスハイム城、ホークハイム城、リーベンシュタイン城と数々の城が流域にはあり、興趣ある古城街道が整備されている。 -
5・09(水) 快晴
<Jagtschloss Thiergartenヤーグトシュロス ティアーガルテン>
バイロイトの近郊・南5kmの狩猟の森に、18世紀初頭、ブランデンブルグ・バイロイト辺境伯ゲオルグ・ヴィルヘルムにより築城された。彼の死後は様々な変遷をたどり、最後には農家の納屋や倉庫に落ちぶれたそうだ。大改装の後、1922年からホテル・レストランとして創業される。
写真は2001年5月ゲーテ街道・古城街道:ヤーグトシュロス ティアーガルテンとボルボ、古城街道の看板、Hotel Schloss Hirschhorn古城hテル ヒルシュホルンの遠景新宮殿(バイロイト) 城・宮殿
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5・10 (木) 快晴
コーブルグ公爵領はバイエルン州の北部・フランケン地方である。北はテューリンゲンの森、東をフランケンの森、南にマイン・フランケン平野に囲まれた地域で、ドイツの中央部にあたります。町はマインの支流Itz(80km)イッツ川に沿って発展している。
<Veste Coburgフェステ・コーブルグ大要塞・美術館>
要塞はコーブルグの157mの小高い丘にその雄姿を見せている。Vesteにはエーレンブルグ城・公園から登ることもできるようだが、きつそうなので、車で町の裏手を迂回して要塞に近づいた。真っ青な青空と緑の森に映える赤レンガの屋根の要塞が見えてくる。
俯瞰図で見るVeste Coburgは楕円形の要塞で二重の城壁が周囲を取り巻いている。楕円形の真ん中に城門があり、これをくぐって城内に入ると、正面にはFuerstenbau領主の建物が見える。その右手にルターの礼拝堂があり、その横の階段を上がるとテラス上に素晴らしい眺望が開ける。5月の景色、真黄色の菜の花畑が緑の中に黄色い帯となって横たわっていた。城内には大きな菩提樹があって、その木陰が好ましい。
更に向かって左手に古めかしいSteinere Kemenate石造の部屋の建物が建ち、順にCarl-Eduard-Bauカール・エドワードの建物(Carl-Eduardはコーブルグの最後の公爵・1945年に退位)、Herzoginbau公爵夫人の建物、Roter Turm赤の塔、 Blauer Turm青の塔、Hohes Hausがある。二つの塔のとんがり屋根の色が其々の色をしているのが分かる。
“Die Fraenkische Kroneフランケンの王冠”と謳われるVeste Coburgは面積25000㎡の台上にある。歴史文書に名が出てくるのは1056年のことで、945年の歴史を誇る、ドイツ屈指の大要塞である。
その歴史の断片は1248年Henneberg伯爵家が居城として、100年の間、VesteとCoburgを支配した。1353年から1918年の565年もの間はザクセンとテューリンゲンを支配した領主Wettinヴェティン家の支配になり、遺産相続によってErnst 1世公爵の家系が連綿として続くこととなる。(マイセンのアルブレヒト城の所を参照)。1782~86年は牢獄・収容所として使用されることもあったが、第二次大戦後の1946年、早々とバイエルン州の所有となった。
17世紀にVeste の防衛機能が強化されたが、30年戦争の1632年、旧教の立場である皇帝側の名将Wallensteinヴァレンシュタイン将軍がこのVesteを攻城し、その守りの堅さにわずか一週間で攻めるのを諦めたという話は有名である。
写真は2001年5月ゲーテ街道・古城街道:Festung Coburgコーブルク要塞、Ahorn・Hotel Schloss Hohenstein古城ホテル ホーエンシュタイン城、Burg Guttenbergグッテンベルク城の“鷹の飛翔ショー”
グッテンベルク城ではついていた事に“鷹の飛翔ショー”が行われる時間だった。始めて見たショーは大変面白かった。
白髪の老練な鷹匠によって、鷹・コンドルなどが城壁からネッカー川めがけて飛翔する。高々と空中に飛び、空をゆうゆうと旋回し、鷹匠の合図と共に一気に下降して来る。小さな池面で餌を捕らえる、鷹匠の腕に停まるなど自在だ。
わざと観光客の頭の上を滑空させて、大きな歓声・悲鳴を上げさせるなど、スリル満点な面白さだった。コーブルク要塞 城・宮殿
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≪南ドイツとオーストリア周遊の旅≫
( 2004年4月21日-5月4日:2週間)
≪ドイツ・バイエルン国王ルードヴィッヒ2世と
オーストリア皇妃 エリザベートを巡る旅≫
さて、今日から、20年ぶりの南ドイツ、オーストリア周遊の旅が始まる。この明るい、麗しき春を車でたどる事の喜びは、他に代えられぬ楽しみです。
願わくば、この快晴が続き、菜の花、タンポポの黄色の絨毯や、ライラックの華やかな群生を明るい日の光の中で、眺めてみたいものだ。
写真は2004年4月南独・オーストリア周遊:古城ホテル・ハウンスペルグと古城ホテル・フライジット・ライトで、メルセデスC2000ディーゼル(2000㏄)
Hertz予約内容:
(車種:クラス) フルサイズ、オートマチック I00(FDAR)
使用車種 :
メルセデス ベンツ C-200D ディーゼル オートマチック 。
乗り心地はやはり最高であった。ゆったりして、腰にも楽な座席は
長距離走には最適である。 唯、残念であったのはパンフレットに
あるようなトランク2個、小ケース2個はスペースが狭くて、積載が
難しかった。仕方なく1個のトランクを開けたママにして、
やや斜めに置き、その片面にもう一つのトランクを閉じたままの形で
載せて、辛うじて2つのトランクが後部トランク内におさまった。
この為、小ケースは1個だけとなり、もう1個は後部座席のあいた部分
に収めざるを得なかった。一時はどうするかと冷や汗をかいた。
今回はやはり、大2個はこの車種では難しく、中2個が妥当であったようだ。
Oberalm:(2泊)古城ホテルSchloss Haunsperg
古城ホテル・ハウンスペルグ (4星)
今夜は初の古城ホテル泊りです。
このホテルは“Schlosshotel und Herrenhaueser in Oesterreich”(オーストリアの古城ホテルや貴族の館)のHPより、選択する。
ザルツブルグの近郊、車で15分とあり、森に囲まれ、蔦に覆われた古城ホテル・ハウンスペルグ(14世紀に大理石で作られた)、それに併設された教会---350年の古さをもち、一族の結婚、葬儀に使用されてきたという。エリカ女主人も結婚に利用したとの事---、アンチークな家具,調度品と魅力満点なホテルだ。
“岩塩の城”ザルツブルグの南にあるHalleinは岩塩の産出とその交易で栄え、ケルト民族の居住地でもあった当時の先進地で、その隣町にこのホテルがあり、ドイツ国境にも近く、ドイツの素晴らしい観光地・ベルヒテスガーデン、ケーニヒス湖方面やザルツカンマーグートへの拠点にしようと考えて、このホテルを選んだわけです。 -
期間:4月21日(水) 18:15 賃借
5月03日(月) 11:30 返却
距離 : 2,054km 。
燃料 : 172.80 L 、 158.78 Euro(21,346円)、 1L あたり 0.9189 Euro(124円)、
1L あたり 11.89km 。 (注)ディーゼル
金額 : 1,221.92 EURO X 133.8702 =163,579円
(一日・12,583円) 。
写真は2004年4月南独・オーストリア周遊:グラーツ・シュロスベルクホテル
古城ホテル・シュロスベルグ(城山)は旧市街にあり、4階建てのホテルは町の中心のシンボルである城山の真下に建っていて、目立つ青色の壁が特徴的です。
殆どの観光地に歩いていけるという便利な所でした。部屋は2階と4階にわかれ、我々は4階の屋根裏部屋に。
その割に快適で、浴室も明るく、中庭にあるレストラン---- “Wintergarten---冬の庭、若しくは温室の意で、レストランの場合は後者の意味”---も見られ、窓からは町中を流れるムーア川やその向こうの新市街地がきれいに眺望できました。
唯、電車道に面している為に、駐車できず、パークハウスに一晩、車を入れる事になりました。シュロスベルク 広場・公園
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4月27日(火)晴
ドナウの中でも、“銀色に輝く帯”と呼ばれる、ヴァッハウ渓谷の左岸くだりをスタートする。ゆったりと、豊かな水の流れ、岸辺に咲く、林檎の白い花、ライラック、タンポポ、菜の花の黄色の絨毯を見ながら、車は進む。
ゆっくりと風をうけながら道を走り、ドナウ川に張り出したように立つ、20年ぶりともなる、念願のホテル・シュロス・デュルンシュタインの城門を入る。
写真は2004年4月南独・オーストリア周遊:古城ホテル デュルンシュタインのテラスで
Duernstein :(1泊) 古城ホテルSchloss Duernstein (5星)
念願の5星の古城ホテル、Schloss Duernsteinデュルンシュタイン(40室)では、嬉しい事にプレシ-ズンということで、予約した部屋より格上げされた、ドナウ川を眺望できる部屋に変更して頂けました。
また、ホテル側の配慮で、レストランもハルブペンジヨン方式(朝、夕食付の部屋料)にしてくれて、この旅で一番高い部屋料でしたが、結果的に安くして頂いたようです。
3階でエレベーターを降りると、目の前の空間は、書斎やら、応接の間のような場であり、花や絵画、本、古めかしいピアノ、家具で優雅さを演出しています。各部屋はこれを囲むようになっていて、我々の部屋は天井も高く、アンチーク家具が備えられて、落ち着いた良い部屋でした。
ともかく、窓から見るドナウの眺望は素晴らしく、折からの観光船が到着し、その2隻が相互に向き合っているのが、直ぐ下に見えました。また、テラスレストランとその上に咲き誇っている桜の花、席をうめて、なにやら歓談している観光客達の姿が見えます。後で是非テラスに行ってみたくなりました。ホテル シュロス デュルンシュタイン ホテル
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370年前に侯爵の城としてルネッサンス様式で建てられ、ドナウ川に面した、絶好の位置にホテルとして、生まれ変わり、美しいドナウの流れを見下ろすテラスレストランや見事なアンチーク調度品が備わったメインレストランは大変、魅力的でした。
写真は2004年4月南独・オーストリア周遊:メインレストランで夕食
この旅は家内の友人親子と一緒でした。 -
4月28日(水)晴
ドナウの右岸へ向かう。
点在する村々をゆっくり走ります。対岸には、青と白の彩色が美しく映えるデュルンシュタインの参事会教会や昨夜のホテル、イギリスのリチャード獅子心王が十字軍遠征の帰路、捕らえられて、幽閉されていた史実もあるクエリンガー城址が遠望できる。
途中、ドナウ川に面して建つ、Schloss Schoenbuehelシェーンビュール城をみて、Linzリンツに。リンツ城に登り、Gmundenグムンデンに向かう。
グムンデンはザルツカンマーグート地域で第二の湖であるトラウン湖---南北12km、最深部は200m---の北端にあり、岩塩の交易で栄えたケルト人の町として、古い歴史に登場するが、今はヨーゼフ皇帝の保養地としての方が有名である。先日、訪問したBad Ischlバート・イシュル はここから33kmの距離です。
昔から芸術家が訪れて、シューベルトは1825年から2年間、ブラームスは1890年から6年もこの地に暮らしたそうです。
また、オーストリアの人々にも愛用されている、グムンデン焼きの陶器の生産地である。
古城ホテル・フライジット・ライトは湖の東側の小高い丘の上にありました。
昔からこの湖とその周辺を領する者の城として建てられ、16世紀の中頃に騎士の城となり、そして何回かの変遷の後、1964年、現在のようなホテルに模様替えし、1996年、現在の経営者によって、テラスレストランをふくむ、古城ホテルに生まれ変わったとのことです。
19の部屋と4つのスイートをもつ、プチホテルといえます
写真は2004年4月南独・オーストリア周遊:古城ホテル・フライジット・ライトシュロスホテル フレイシッツ ロイス ホテル
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イチオシ
このホテルには“Wintergarten-Terrasse mit seeblick”---湖への眺望の良いテラス付の温室の意---というレストランが湖に向かって、ホテル棟に併設されている。
現代風のレストランだが、評判は良いようで、水曜日にも拘らず、19時の予約に席についてみると、殆ど満席でした。
町の会合と思われる団体客もあって、大変賑やかです。
写真は2004年4月南独・オーストリア周遊:古城ホテル・フライジット・ライトで夕食、これから出発のメルセデスC2000ディーゼル(2000㏄) -
オーストリアの人々にも愛用されているグムンデン焼きの陶器の工場に行ってみる。
工場見学は時間的に無理であったので、販売所に行き、土産物を探す。
グムンデン焼きは独特の色合いだが、記念にと“Teewaermer”---紅茶やコーヒーを温めておくもの---を一つ購入する。
写真は2004年4月南独・オーストリア周遊:グムンデン焼き -
町の南西にトラウン湖に突き出すように建っている“Seeschloss Ort・湖上の城オルト”は909年に史料に出てくるという、大変古い島上の可愛いい城です。
今はカフェ・レストランになっている。又、この地を舞台にオーストリアのTV人気番組が撮影されているとの事です。
駐車場からの道は、自然保護地域になっていて、木々や芦が育って、鳥類等には、恵まれた場所である。橋を渡って、中庭に入る。城内は小さな狭い空間である。時間的に人も少なく、レストランにも人が見えない。
橋の上から見た対岸には今夜のホテルらしき建物も見え、周辺の緑の中、湖を囲むようにきれいな建物が並んでいる。青い湖には小さなボートや、ヨットが何隻か浮かんで、ゆったり、のんびりした保養地らしい眺めである。
写真は2004年4月南独・オーストリア周遊:
“Seeschloss Ort・湖上の城オルト”と美しいトラウン湖オルト城 城・宮殿
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私共の3階の部屋からの、トラウン湖の眺望が素晴らしく、落ち着いた色合いの部屋に大満足です。湖の周辺の高い山々はまだ一部に雪を残し、湖や湖畔の木々の青さとのコントラストは美しく、芸術家達がこの地に足を留めたのも、無理からぬものでしょう。
丁度、窓から見る真正面に、先程まで見てきたSeeschloss Ortが湖岸から湖に突き出たように建っているのが望める。この風景を見ると、イギリスやスイスの湖水地方に勝ると言われるのも納得です。
写真は2004年4月南独・オーストリア周遊:トラウン湖トラウン湖 滝・河川・湖
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4月30日(金)晴
Starnbergersee:(3泊) Golfhotel Kaiserin Elisabeth ホテル・カイザリンエリザベート(4星)
子供時代をこの近くのPossenhofenポッセンホーフェンの城で過ごしたエリザベートはこの地を愛して、オーストリア皇妃になってからも、しばしばこの地を多数の随行員と愛馬と共に訪れた由です。この地はミュンヘンから30kmの近さで、古くからリゾート地として栄えてきたようです。
このホテルで24回の夏を過ごし、それは都度、数週間も滞在したそうです。皇妃のまた従兄弟に当たるバイエルン王国のル-ドヴィヒ2世ともこの地でよくお会いになり、1886年6月13日、王のBergベルクでの不慮の死には、この地から皇妃は駆けつけたとの話も残っています。
皇妃が最後の夏を過ごされたのは1894年ですが、ホテルのその長い歴史の中で、もっとも著名なお客様と言えましょう。
この庭にはオーストリア・ハンガリー帝国のエリザベ-ト皇妃の座像があり、ホテルの正面テラスレストランから良く見える小高くなった場所に置かれています。ここで皇妃は座りながら、物思いにふけっていたそうです。この近くには“エリザベートの散歩道”が標識で示されており、なだらかな道が湖畔まで、続いています。あの独特の急ぎ足で、お供がついて行くのが難しいあの速さでこの道を散歩したのでしょうか?!!
写真は2004年4月南独・オーストリア周遊:シュタルンベルガー湖畔にあるホテル・カイザリンエリザベート、エリザベートの散歩道、 -
≪北ドイツ周遊の旅”≫
期間:2005年4月21日(木)~5月5日(木)15日間 ;
1982年から数えて 23年ぶりの北ドイツです。
目的地: 1989年の来日以来、16年ぶりに旧交を温めるべく、ブレーメンの友人
御夫妻を訪問し、ドイツの誇る世界遺産の町々(ブレーメン、リューベック、ヴィスマール、ヒルデスハイム、更にクウェートリンブルグ、ゴスラー)や、ハンザ諸都市・エリカ街道(塩の道)・ハルツ山地(魔女伝説)・メルヘン街道を巡る、盛りだくさんの旅。
写真は2005年4月北ドイツ巡り:4/24 (日) 快晴
リューベックからハンザ都市ヴィスマール、ロストック、シュヴェリーンっを回遊した。ハンザ都市ヴィスマールは1648~1804年の長い間、スウェーデンの支配下にあった by jijidarumaさんマルクト広場 (ヴィスマール) 広場・公園
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イチオシ
Hertz予約(車種:クラス) フルサイズ、オートマチック I00(FDAR)
確定車種 :Renault Espace R157―ディーゼル 2200CC オートマチック
ルノー車は初めてであり、且つワゴン/ミニバンと称するものには今まで
乗ったことも無く、乗員数7人、トランクも4個が入るという車体の
長いのには驚く。長さ4.86m、高さ1.74m、幅1.89mである。
これしかなさそうであり、友人夫妻の心配もあったが、
とりあえず、ハーツの説明を受け、駐車場が広いので、何度か錬
習をしてから、出かけることとなった。
高い座席からの運転はやり易かったものの、旅先での駐車には苦労した。
無事に車を返せてホッとする。
レンタルしてもらった場所はブレーメン空港ではなく、友人宅の近くの
街中にあった場所の所為か、適当なオートマチック車が無かったようだ。
写真は2005年4月北ドイツ巡り:ルノー2200㏄7人乗りバンと
4/25 (月) (2泊)Celle :Hotel Fuerstenhof Celle(5星)
古城ホテル フュルステンホフで名物の鴨料理を夕食に食べた
Restaurant Endtenfangレストラン エンテンファング(鴨の罠、若しくは鴨の捕獲を意味して、Braunschweig-Lueneburg公爵家が鴨を罠で捕らえ、この肉を焼いて、食事を楽しんだと言う何百年もの伝統に、その名は由来する。ミシュランの一星付きレストラン。)は中世以来の鴨料理を得意としています。アルトホフ ホテル フュルステンホフ ホテル
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夕食は先程覗いて来た、聖霊養老院に併設されているHistorischer Weinkeller・Kartoffelkellerヒストリッシャーヴァインケラー・カルトッフェルケラーにいく。
ここは友人夫人のお勧めのレストランです。ヴァインケラーは気取らないワインと料理のお店で、もう一つのカルトッフェルケラーはジャガイモ料理が名物、入口は別だが中は一緒になっている。
ちょっと暗くなってきた道を歩いて数分でレストランですが、夜7時にレストランに入ると人気の店らしく、お客で一杯です。
予約をしなかったが、幸い二人席に直ぐに案内されて、ホッとする。日本人客は我々だけ。周りの席は年配のカップルが多く、落ち着いた雰囲気である。お客がどんどんやって来て、入口付近の席や、バーカウンターまでも埋まってきた。
家内は名物のReibkuchen(ライブクーヘン;ジャガイモを摩り下ろし、小麦粉と混ぜて揚げた物)・林檎ジャムつきとバター焼きの鮭料理を注文し、私の方は、鮭、ジャガイモ・ソーセージ入りのTopf(深鍋)、ビーフストロガノフとバターライスを。ビール0.5+0.3Lと共に、二人で分け合いながら頂く。
量もあって食べ残したが、勿体ほど美味しい。明日の晩も来ても良いかなと思う。”(50.85Euro、19:00~20:50)
写真は2005年4月北ドイツ巡り:リューベック:ジャガイモ料理が名物の店聖霊養老院 建造物
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写真は2005年4月北ドイツ巡り:リューベック・聖霊養老院
Heiligen-Geist-Hospital聖霊養老院はハンザ商人が資金を出し合い、1280年に建設された福祉施設---救貧院兼病院。現在も老人ホームに使用されている。内部は聖女エリザベートの一代記の絵が飾られ、狭いが立派な個室が並ぶ施設。 -
期間:4月23日(土) 10:15 賃借 、
5月04日(水) 14:57 返却 、
距離 : 2,087 km 。
燃料 : 169.29 L 、 181.31 Euro(25,050円)、
1L あたり 1.071 Euro(147.97円)、
1L あたり 12.33 km 。 (注)ディーゼル
金額 : 1,083.18 EURO X139.01145 =150,574円
(一日・12,548円) 。
・・・・・・・
夕食はHaus der Schiffergesellschaft;船員組合の家に。(1535年に建てられた由緒ある館。歴史を感じさせる内装。天井から船具や、いろんな船を---どっしりとした大きな模型を吊り下げている。美味しい北ドイツ料理が名物という。)
観光客でいつも一杯となるので、午後8時近く、予約無しで大丈夫かと心配したが、何とか壁際の席に案内される。今日も日本人はいないようだ。店の中の照明は少々、暗いので、メニューを見るのに苦労する。
魚料理が名物と聞いているが、あまり魚を得意としていない私は、迷ったが挙句、またまた“白アスパラ料理(オランダ風ソースに、ジャガイモ、ハムとサラダ添え)をメインに頼む。
二人とも本日のスープを頼むと、やや硬めのアスパラと魚を小さくきざんだスープが出てきた。
家内のメインは当店名物の7種類の魚をパイ皮で包んだ揚げ物2本と温かいキャベツ、コールラビ、人参等の甘酢サラダを頂く。Jever Pilsピルスビール 0.3+0.4Lも美味しい。(48.80Euro)” 21時ホテルに帰る。
翌日はSalzstrasseザルツストラッセ(塩の道)或いはエリカ街道と称される道を走る。
写真は2005年4月北ドイツ巡り:Haus der Schiffergesellschaft船員組合の家、
ラッツェブルグのDom大聖堂大聖堂 (ラッツェブルク) 寺院・教会
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Ratzeburgラッツェブルグに9:00到着。マルクト広場の駐車場に停めて、13世紀に建てられたDom大聖堂を訪ねる。
この町は“Inselstadt---島の町”の異名を持つように、ラウエンブルグ湖沼自然公園の中の湖に浮かんでいる島にできた町、大聖堂を中心に出来た町である。
今は湖沼自然公園を背景にした保養地になっている。
写真は2005年4月北ドイツ巡り:Ratzeburgラッツェブルグ -
Celleツェレは“北ドイツの真珠”と呼ばれる町で、旧市街の木組みの家並みを楽しむ。
2泊)Celle :Hotel Fuerstenhof Celle(5星)
古城ホテル フュルステンホフ
ハノーファー通りに面し、17世紀のバロック様式の宮廷であった古城ホテル・フュルステンホフにチェックインして、ホッとする。駐車場は一杯で、お客も多そうだ。今回の旅では最高級の5星ホテルだけに、駐車している車も、メルセデス、ポルシェなど高級車ばかりだ。
No.403号室は本館に連結した建物にあり、部屋からは中庭がみえ、モダンな部屋です。
荷物をおいて、Allerアッラー川とその水を引いた掘割に囲まれた旧市街に向かう。ツェレの大公が17世紀に建てた、ルネッサンスとバロックの二つの様式が見られるSchloss;城を左に見て、数分で市教会、市庁舎に行き着く。
写真は2005年4月北ドイツ巡り:ツェレの古城ホテル フュルステンホフ、Schloss Marienburgマリエンブルグ城アルトホフ ホテル フュルステンホフ ホテル
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Goslarゴスラー:皇帝の居城Kaiserpfalzカイザープファルツに向かう。
日差しも強くなり、汗をかきながら、Kaiserbleek通りに入ると、緑の斜面を前にして、威厳を見せて、皇帝の居城が立っている。
ドイツに現存する宮殿様式の建物の中では最も大きな規模(19世紀に再建)だとのこと。
カイザーファルツの前には、ドイツ人に最も人気の高い、Friedrich I Barbarossaバルバロッサ赤髭王【12世紀】、Wilhelm der Grosseドイツ皇帝ヴィルヘルム一世【1871年帝国の成立】の二つの騎馬像が立って、ゴスラーの町を見下ろしている。
10時からのガイド付きの20名ほどのグループに入って、説明を受けながら、見て廻る。二階の“帝国の間”には、一番の見物と言えるドイツの歴史を描いた巨大な壁画52枚がある。
フランク王国のカール大帝から、ドイツ統一の皇帝ヴィルヘルム一世までの歴史を描き、其のテーマは“ドイツの復活”だそうです。
先日、ゲルマンの聖地エクステルシュタイネで、“イルミンの柱”を見ましたが、この居城の巨大な壁画の一場面に、“柱の先端が、二本の角をもつ人間の顔をしたイルミンの柱”が描かれています。カール大帝が、そのイルミンの柱を切り倒した図になっている。
まさに、古代神の滅亡です。100年の眠りから覚める“いばら姫”の絵もある。テーマがテーマだけに、ガイドさんも丁寧だが、力が入る説明をするはずです。
12時過ぎに城を出ると、真っ赤なマントで覆い、多分竹馬にでも乗っているような3mもの大きなドラゴンの格好した男の人と、黒いコスチュームの魔女が踊りながら、旧市街へ向おうとしている。
写真は2005年4月北ドイツ巡り:Goslarゴスラー皇帝の居城Kaiserpfalzカイザープファルツ、魔女たちの祭が28日から5月1日の4日間“Walpurgis;ヴァルプルギスの祭り”と称して行われていた。皇帝居城 城・宮殿
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5/01 (日)(1泊)Goslar:Hotel Kaiserworth古城ホテル・カイザーヴォール(4星)
白い壁のアーケードが独特である市庁舎(15世紀、ゴッシク様式)、その横に、赤レンガ色の外観、壁には幾つもの皇帝の像が取り付けられた、Hotel-Kaiserworth古城ホテル・カイザーヴォールト(築511年。昔はギルド会館であったという。)があり、全体の雰囲気がなんともいえぬ良さになっている。
写真は2005年4月北ドイツ巡り:マルクト広場の市庁舎、古城ホテル・カイザーヴォールトHotel Kaiserworth Goslar ホテル
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≪ドイツ ライン・モーゼル周遊の旅≫
期間 :2006年5月5日(金)~5月19日(金)15日間
目的地:今回の旅の目的地は二度目のドイツ駐在を終え、1985年5月31日に帰国して以来、21年ぶりとなる“デュッセルドルフ訪問”が第一です。
そして週末や休暇の帰途に、何度も立ち寄った“ライン・モーゼル川の流域等”を旅するものです。
Hertz予約内容:
(車種:クラス) フルサイズ、オートマチック I00(FDAR)
確定車種 : メルセデス C-220-D 2200CC ディーゼル オートマチック
期間 :5月07日(日) 09:48 賃借 、
5月18日(木) 17:43 返却 、
距離 : 1,975 km 。
燃料 : 123.76 L 、 138.48Euro( 19,949円 )、
1L あたり 1.119 Euro(161円)、
1L あたり 15.96 km 。(注)ディーゼル
金額 : 1,086.64 EURO X145.134 =157,708円
(一日・13,142円) 。
写真は2006年5月懐かしの地再訪:メルセデスC220-D、ネコ城、ビンゲンのフェリー、Villeroy&Bochヴィレロイ・ボッホ の陶磁器博物館、OrscholzのCloefからの眺望(ザール川の蛇行)、Hunsrueck?Hoehenstrasseフンスリュック・高原街道の山中にある古城ホテル(1泊)Historische Schlossmuehleヒストリシェ・シュロスミューレ=歴史的な城の水車;全18室、4星 -
<Duesseldorfデュッセルドルフ訪問>
デュッセルドルフは“ライン川畔の小パリ”と言われるおしゃれな街並みをもち、人口の最も多い州である、ノルトライン・ヴェストファーレン州の州都です。
人口57万人。ドイツの重工業の中心を担う、ルール工業地帯の中心にあって、緑豊かな、ドイツ一の大商業都市です。
日系企業のヨーロッパ基地として、人口の1%が日本人という。
05/06(土) 快晴
中央駅の前を通るBerliner Alleeベルリーナーアレーを右折し、ケーニックスアレーに至る。
Koe・Centerケー・センターにある “Cafe Heinemann”カフェ・ハイネマンにて休憩です。当地一番の、定評あるチョコレートのお店で、1階がチョコレートの販売、2階がカフェ・レストランになっている。2階の奥まった車道の見える席について、早速“リンゴのトルテ”を紅茶で頂きました。
店内の席は年配のドイツ人達で占められ、ケーで見かけた何組かの日本人もいません。私共のように旅行者然とした格好の人は誰もいませんし、私共にとっては奇妙で、不思議な空間に座っていた思いでした。(14Euro)
写真は2006年5月懐かしの地再訪:ケーニックスアレー、カフェ・ハイネマンカフェ ハイネマン (フェラインスバンク パッサージュ店) スイーツ
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隣町のKaarstカールストに住む(在独三十数年)F夫人と会食の約束があった。
30代の頃からの知人(ご主人は会社の先輩だったが、こちらで会社を立ち上げていた。この日は社用の先約があり、会えず)である。
私達と同じ年のF夫人のご案内で、久しぶりに当地名物であるAltbierアルトビアーの醸造所直営のFrankenheimフランケンハイムというビアーホールで夕食をとった(Wielandstrasse14-16)。
大好物の“Spargel白アスパラ料理”を注文する。料理が出てくる間は、子供や孫たちの写真を見せあい、話もはずむ。F家のご長男は我が家の長女と同い年で、お嬢さんは次女の一年下と年恰好も似通っていたので、当時は小旅行やバーベキューなどをよくご一緒したものです。
写真は2006年5月懐かしの地再訪:ケーニックスアレー -
≪21年ぶりとなる“デュッセルドルフ訪問”:インマーマン通り≫
2006.05/06(土) 快晴
21年ぶりとなる“デュッセルドルフ訪問”はやはりここインマーマン通りに
立つとかつての事が思い出される。
Immermannstrasseインマーマン通り33には、かつての我が社の8階建ての自社ビルがありました。その1階には写真の現像デポ、5階以上に都銀の駐在員事務所、中小の貿易商社の事務所などがテナントに入っていました。
営業部門はルール工業地帯を背景に鉄鋼、機械、化学品が柱になっていました。デュッセルドルフ店はドイツ現地法人の本社組織でもあり、ハンブルグに支店をもち、こちらは繊維、食料、化学品を商っていました。
ドイツにはフォークリフトの販売会社、電卓、電子楽器、時計などを扱う会社、繊維機械の販売会社があり、これらも統括する形になっていました。
この通りにはホテル日航、領事館、都市銀行支店、レストランの日本館、三越、総合商社各社、商工会議所などの日本企業オフィスがあって、昼間の日本人の集中度は高く、文字通り“日本人通り”でした。
写真は2006年5月懐かしの地再訪:ホフがルテン、インマーマン通り -
<モーゼル川・ザール川流域巡り>
“Mosel-Weinstrasseモーゼルワイン街道”
モーゼル川は全長545kmの長さで、フランス国内を303km、ドイツ国内を242kmと流れている。モーゼル川の名はローマ人により名付けられた“小さなマース”からきたという。川はフランスのボージュ山系のCol de Bussangを源流として流れ出し、ナンシー、メッツを経由し、Perl近くでフランス・ルクセンブルグ・ドイツの三国の国境線をまたぎ、ルクセンブルグとドイツの国境を流れていく。
最も美しい風景を繰り広げるのは、ドイツモーゼル流域であり、トリアー、コッヘムと美しい弧を何度も描きながら、Mosel-Weinstrasseモーゼルワイン街道(Trier~Koblenz間193km)に沿って、流れはゆったりと進み、コブレンツのDeutsches Eckeドイチェス・エッケ--皇帝ヴィルヘルム一世の騎馬像が立っている。--でライン川に合流する。
トリアー・コブレンツ2都市間の凡そ200kmの街道はローマ時代から、現在に至るまでドイツでの重要な街道の一つである。
写真は写真は2006年5月懐かしの地再訪:ライヒスブルグ城(帝国城)ライヒスブルク城(コッヘム城) 城・宮殿
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この街道の目玉はCochemコッヘム城=Reichsburgライヒスブルグ城(帝国城)であり、エルツ城に次ぐ名城といわれる。円錐形の山上に建つ城は、4個の城門、城壁、壕に守られ、守るに易く、攻めるに難い城と云われた。強大な天守閣は壁の厚さが3.6mもあり、1000年の歴史と共にある。その山城の姿は、モーゼル川畔の何処から撮っても、納まり良いものである。この城はライン地方のPfalzプファルツ伯の居城であったが、その後シュタウフェン家出身の皇帝の帝国城となり、最終的には選帝候・トリアーの大司教の所有になる。
1689年、プファルツ継承戦争ではルイ14世率いるフランス軍の猛攻撃を受け、ライン・モーゼル川の殆どの城と同じく、破壊されてしまう。漸く1877年に、ベルリンの枢密顧問官ラフェネーにより、8年をかけて、14世紀の新ゴシック様式の中世風城塞に復元された。内装は19世紀のドイツ上流階級の邸宅に見られるもので、現在、城は町が所有している。
写真は写真は2006年5月懐かしの地再訪:ライヒスブルグ城(帝国城)見物 -
コッヘム城ガイドツアー(40分)の後、楽しみにしていた16時のFalknerei鷹狩りショーでしたが、行って見るとなんと中止です?!
その場にいたドイツ人の小父さんに聞いてみると、『俺も楽しみに来たのだが、訓練して3ヶ月の鷹が大空に放たれたまま、帰ってこないらしいぜ?!それも2羽だってさ!こんなのは初めてだぜ。全く、大笑いだよ!!』と。
残念ながら、可笑しくて、小父さんと一緒に大笑いする。
写真は2006年5月懐かしの地再訪:ライヒスブルグ城(帝国城)のFalknerei鷹狩りショー、Schloss-Hotel-Petry古城ホテル ペントリー・Treis-Karden (3星)
古城ホテル ペントリーはモーゼル川の中程の町Kardenカルデンにある。12世紀の小城があった場所に、1895年からホテルを開業。
昔の写真を見ると、小さな石造りの旅籠のようなもの。現在の形は孫W・Petryが1956年から引継ぎ、その後は現経営者Familie Vogel-Bellの二世代の家族が経営し、前面にレストランSchlossstubeやWeinstubeやSchlosssaalやRittersaalと言ったパーティー会場を配し、背後に見えるブドウ畑の麓に、5階建てのホテルの建物を設けている。Schloß-Hotel Petry ホテル
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05.13(土) 曇り
9:40駐車場(1.5Euro)より、寒いぐらい(13.5℃しかなく)の森の中を歩き、さらに下り坂を800m、20分程の距離を歩いてゆく。
途中から、谷間の視界が開けて、ドイツ一の名城Burg Eltzエルツ城が見えてくる。城には10:00に着く。
Burg Eltzエルツ城はドイツで“行って見たい観光地10選”に選ばれていて、名城として名高い。
モーゼル川から少し北に入ったエルツ川の谷間に、モミの木の鬱蒼と繁った山中にある。1151年シュタウフェン王朝のコンラート三世はCochemの城を手にすると、その帝国領内に城塞の構築を進め、その一環として、家臣のEliasエリアス(Kleveの白鳥の騎士と同じ名前)により、Eltz城も建設された。
1356年にはカール四世から、トリアーの大司教に与えられたが、その後も、山城は増築を重ね、一度も陥落した事がない難攻の城という。
Eliasはエルツ家を名乗り、その家系は城主として、中世から現代にいたる800年以上も連綿と続いているそうである。
エルツ城ガイドツアーは約40分。
写真は2006年5月懐かしの地再訪:Burg Eltzエルツ城見物ドイツ一の名城エルツ城Burg Eltzはドイツで“行って見たい観光地10選”に選ばれている。 by jijidarumaさんエルツ城 城・宮殿
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<ライン川流域巡り>
中でも中ライン川はマインツからローレライ、コブレンツ、ボンと167kmの流れが続く。そしてこの間には、ライン川のハイライトたる、【ロマンティシャーライン:2002年世界遺産登録(ビンゲンからコブレンツ間・60km)】があり、三十近くの城塞、美しいブドウ畑、中世の街並みを楽しめる区間でもある。
コブレンツではフランス・ルクセンブルグを流れ、ドイツのトリアー、コッヘムなどローマ時代からの歴史ある町、ワインの産地であるモーゼル一帯を流れてきたモーゼル川と合流する。
05.14(日) 曇り後晴れ
Rheingoldstrasseラインゴールドの道は左岸城巡りで、コブレンツからB9に沿って“ライン川を遡る”道である。
05.15(月) ほぼ晴れ
Rheingauer-Riesling-Route”ラインガウ・リースリング・ルートはライン川の右岸城巡りで、B9の対岸であるB42に沿ったコブレンツまでの“ライン川下り”です。
ドイツ最強の白ワインとして名高いワインの産地がある。
St.Goarhausenザンクト・ゴアーハウゼンの町の上にはライン谷で最も美しく、バランスの取れた猫城(1370年カッツェンエルンボーゲン---“ネコの肘”伯が築城)があり、ラインの難所として知られた、Loreleyfelsenローレライ“妖精の岩”と132mのその山頂にはローレライセンターがある。
St.Goarhausenの街中から坂道をぐるっと上がり、“LoreleyBurgenstrasse”山道を、凡そL338・K89->13km登る。丘の上は平らで、Berghotel Auf der Loreleyの大きな駐車場もあり、観光バスも来ている。
ちょうど、ここで、1500kmを走ったとメーターが表示している。行程の4分の3を走ったわけだ。
写真は2006年5月懐かしの地再訪:猫城、Loreleyfelsenローレライ“妖精の岩”と132mのその山頂ローレライの岩 自然・景勝地
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11:12、ローレライセンターのホテルにレストラン・カフェもあり、遠足の子供達がアイスを食べて、歓声を上げている。 私共もテラスのパラソルの下で、軽い昼食にする。“アスパラのスープ、グラッシュに其々パン。リンゴジュース”と簡単だが、お腹には充分。(9Euro)
ホテルの庭から、ラインを見下ろす展望台に行き、鉄柵から、身をのり出して、ライン川の蛇行する流れや船の行き来を眺める。いつもは下からばかり見上げていたので、上から見るのは妙なものである。
日差しも明るくなって、ライン川とブドウ畑の眺望が素晴らしい。対岸のラインフェルスやシェーンブルグの城、下流方向にネコ城が良く見える。
写真は2006年5月懐かしの地再訪:St.Goarhausenと猫城、ラインフェルス城、Loreleyfelsenローレライ“妖精の岩”と132mのその山頂、ローレライセンターのホテルねこ城 城・宮殿
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Marksburgマルクスブルグ城がBraubachブラゥバッハの町の後背地の山上(川面から150m)に、クリーム色した高い塔を中心にして、堂々たる姿で立っている。城への狭い坂道を、対向車が無い事を祈りながら登ると、中腹に駐車場がある。(1.5Euro)
ここから更に階段を登っていくと、Zugbruecke、Fuchstor、Schartentorと城門が出て来る。門内で入場券を買い、次のガイドツアーを待つ。
この城は1231年に完成し、その後の歴史の激しい波に洗われたにも拘らず、現存する中世の城の中で、最も完全な姿を残している。現在はドイツ古城協会の本部になっていて、世界遺産を示す白と青の旗が城壁から翻っている。
写真は2006年5月懐かしの地再訪:ローレライセンター、Marksburgマルクスブルグ城のガイドツアー、ライン:ドイツ中世の城郭を最もよく残したMarksburgマルクスブルグ城 by jijidarumaさんマルクスブルク城 城・宮殿
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14:50、昨日行ったコブレンツの対岸に位置している、今日のドライブの最終地であるFestung Ehrenbreitsteinエーレンブライトシュタイン要塞、またの名を“栄誉の砦”に上がる。
10世紀から、戦略上、重要な要塞として存在していたそうで、1688年のルイ14世率いる、フランス軍の大軍が要塞を攻めたが、遂に落ちなかったと云う。
116mの丘の上は、19世紀のプロイセンによって、更に広大な要塞が形作られている。要塞には濠、厚い壁の城壁、州の博物館、ユースホステル、第一・二次大戦の戦死者の顕彰碑--現在でも外地で戦死した兵士を悼んで顕彰されているそうである。--などや、ライン川に面して、テラスレストランも設けられてある。
要塞からの見晴らしは、モーゼル・ライン川の合流の様子(Deutsches Eckeドイチェス・エッケ)などが手にとるように見えて、素晴らしいものだ。
フランス人夫婦にドイチェス・エッケをバックにした写真を頼まれたが、上手く撮れたかな?!お礼に彼も我々を撮ってくれました。(~15:30、2.2Euro)
本日、眺めた城・城址は【13】でした。
写真は2006年5月懐かしの地再訪:マルクスブルク城、Festung Ehrenbreitsteinエーレンブライトシュタイン要塞:“栄誉の砦” 、ドイチェス・エッケコブレンツ:栄誉の砦は不敗である。 by jijidarumaさんエーレンブライトシュタイン城塞 史跡・遺跡
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(2泊)Burghotel Auf Schoenburg古城ホテル シェーンブルグ城
Oberwesel/Rhein
33号室(Wehrgangkemenate:銃眼のある通路の先にある寝室)
;全22室、4星
Burghotel Auf Schoenburgブルグホテル・アウフ・シェーンブルグはライン川畔に建つ古城ホテルの中でも最も人気の高いホテルと言われる。
写真は2006年5月懐かしの地再訪:Burghotel Auf Schoenburg古城ホテル シェーンブルグ城ホテル シェーンブルク城 ホテル
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シェーンブルグ城は世界遺産ロマンティシャーラインの中ほどにあたり、Oberweselオーバーヴェーゼルの町の上にある美しい中世の城である。中世の黒ずんだ城壁、新しく改築された赤壁の館はその色合いのコントラストが美しい。
城の起源は11世紀頃と云われているが、ローマ時代の痕跡も出ているそうである。1689年のプファルツ継承戦争で侵入した仏軍にこの城は焼き払われてしまう。
20世紀の初め、城が漸く再建され、1957年からホテル・レストランが開業された。
写真は2006年5月懐かしの地再訪:Burghotel Auf Schoenburg古城ホテル シェーンブルグ城の33号室(Wehrgangkemenate:銃眼のある通路の先にある寝室) -
ライン川側の部屋を予約したので、値段も高い。レセプション横の階段を上がり、多分、教会部分の上にある城主の部屋--長い食卓が備えられ、歴代の城主と思われる人物画が壁に幾つも架けられた広間--を通り抜け、城の城壁に銃眼がくぐり抜かれ、内庭から数メートルの高さにある、木の通路を20mほど行く。
途中のコーナーにはテーブルも置かれて、食事も摂れるようになっている。右に折れた奥まった所に、“Wehrgangkemenate :銃眼のある通路の先にある寝室”の名札がついた、33号室は在りました。
この離れの静かな部屋は、窓からライン川、対岸の丘陵地帯が見渡せて、鉛で丸や格子に縁取られた窓の外はマロニエの赤い花が咲いているのが良く見える。その内庭にライン川の眺望を楽しむ、テーブルが置かれて、数人の方が、ワインのグラスを片手に談笑している。
部屋の真中には大きな、どっしりとしたベッドがあり、シェーンブルグの昔を描いた絵が架けられ、果物を盛った皿がテーブルの上に置かれて、大変心地よい空間になっている。面白い事にTVや、オーディオが木の棚の中に隠されていて、できるだけ現代を意識させないようにしている。
左手には昔からかな?と思わせる突き出た場所にトイレがあり、がっしりしたドアが付いている。右手の奥に、シャワールーム・洗面所が設けてあり、勿論設備は現代そのもので、快適である。
テーブルの上に、リキュールや昔の書状のような巻物があり、開いてみると、歓迎の言葉と共に、部屋の番号、城の案内などが、昔の書体(独・英語)で書かれている。昔はあまりこんな事はして無かったと思うが、ホテルのこの拘り方にはさすが--と感心する。
世界中の観光客が、このホテルに泊まりたがるのが、分かる気がします。
写真は2006年5月懐かしの地再訪:Burghotel Auf Schoenburg古城ホテル シェーンブルグ城の33号室(Wehrgangkemenate:銃眼のある通路の先にある寝室) -
イチオシ
月曜日はレストランが休みだが、宿泊客の為に特別に予約すると、“月曜日メニュー”で食事が出来る。 レストランはゴー・ミョー、アラルとも13点。
夕食の時間になり、19時、Gaststube客間・Gobelinstubeゴブラン織りの間が今夜のレストランです。大変シックな部屋である。ギャラリーの様に、小さな野菜などの静物画が部屋の黒光りした壁に架けられ、天井近い上部の白い壁には一角獣(神話上の幻の動物)のゴブラン織りや、城主と思しき人物画が架けられていて、豪華な、落ち着いた空間を創っている。
徐々に席に着き始めた客も様々で、日本人の母と20代の娘の二人も窓際のテーブルに座っている。私共は入口側の角の席です。30席全体を見渡せる、気にならない席だった。今日のメニューは既に決っているので、正直言って、気楽である。
写真は2006年5月懐かしの地再訪:Burghotel Auf Schoenburg古城ホテル シェーンブルグ城・Gobelinstubeゴブラン織りの間で夕食。 -
Schoenburger 3-Gaenge-Menu am Montag、3品の“月曜日メニュー”:
(19~20:30、108Euro)
最初はシェフからのご挨拶でイタリアパルマ産のハムとメロン。ホウズキが添えてありました。
スープは葱のクリームスープに燻製の鮭の切り身入れ。
メインには豚の腰肉のローストに香辛料入りのソースかけ、緑のアスパラ、炒めたジャガイモを添え。
デザートはイチゴを荒引きしたものの中に、自家製ラベンダーアイスを置いたもの。
嬉しい事に、味、質、量のいずれも良く吟味されたもので、大変美味しい料理でした。
飲み物は自家製の食前酒(15Euro)、2005年ラインガウのリースリングワイン;白辛口のハーフボトル(26Euro)。
写真は2006年5月懐かしの地再訪:Burghotel Auf Schoenburg古城ホテル シェーンブルグ城・Gobelinstubeゴブラン織りの間で夕食。 -
05.16(火) 曇り後徐々に快晴
なだらかなブドウ畑が丘の上まで続き、一帯はまだ柔らかい葡萄の葉が風にそよいでいる。Geisenheim-Johannisberg 12時着。
館のクリーム色の壁に見事なフジの蔓が延び、薄紫の花をつけ、石楠花の白い花が満開になっていて、美しい。
ブドウ畑には太陽の光りの下、小さな葡萄が元気良く育っている。
Schloss Johannisbergヨハネスベルグ城は817年、カール大帝がこの地に葡萄の植付け令を発して以来、ブドウ畑のこの山にベネディクト派によって、Sankt Johannザンクト・ヨハン礼拝堂が建ち、やがて修道院となった。
その後、この丘の建物を“ヨハンの城”つまり、ヨハネスベルグと呼ぶようになったと云う。ラインガウのリースリング・白ワインの中でも最優良ワインを産出する事で有名。
内庭にはフルダへの“ワインの使者”の騎馬像があり、ワインの製法にまつわる、謂れを今に伝えている。
写真は2006年5月懐かしの地再訪:ラインガウ探訪・Schloss Johannisbergヨハネスベルグ城のテラスレストランで昼食Schloss Johannisberg 城・宮殿
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昼食:テラスレストランにて 12:00~13:30、Euro51
Johannisberg城---ブドウ畑とライン川を見下ろすテラスレストランは最高の場所で、素晴らしいものだ。
20年以上前に、此処で食べた“血のソーセージ”の味が忘れられない。
レストランはきれいになり、大きな窓ガラスに四方を囲まれ、日差しも充分に取り入れた明るい、上品なレストランになっていた。
メニューも大きく変っていて、ソーセージのような軽い料理は無く、通常のレストランメニューになっていたのは残念!でした。テラス左手の端に席があり、開かれた窓から入ってくる5月の風がとても心地良い。
さて、定番ながら、“アスパラ料理、オランダ風ソース、ジャガイモ添え“を頼み。飲み物は” 家内はオレンジ・ジュース。私はSekt・シャンパン入りオレンジ・ジュース、ヨハネスベルグの辛口・白を0.2Lのグラスワイン“にする。
最後に私はコーヒーで、頭をシャキットしたつもりでしたが?!!
(レストランでの支払い後、クレジットカードを落としてしまった。そのままホテルに戻り、翌日大いに慌てた)
写真は2006年5月懐かしの地再訪:ラインガウ探訪・Schloss Johannisbergヨハネスベルグ城の“ワインの使者”の騎馬像
<ラーン川流域巡り:フランクフルトへ>
05.17(水) 晴れ 時に雲が出て、20℃程度の一日
シェーンブルグを出発。B9Kaubフェリーで対岸へ。B42->42km、Lahnsteinで、渓谷沿いに走るB260に入る。
“Lahn-Ferienstrasse”ラーン休暇街道沿いを走り、古城、木組みの家々の町々を訪れる。
Bad Ems保養地、Nassau 城址、Diez城、Limburg 観光・大聖堂、Runkel城、Weilburg観光・Schlosshotel Weilburg、 Braunfels観光・Schloss Braunfelsブラウンフェルズ城
05.18(木) 午前中は小雨も、午後は快晴
ブラウンフェルズをスタート。ライカとゲーテの町・Wetzlar観光:Dom大聖堂、Lottehaus、フランクフルトへ。シュテーデル美術館見学、Frankfurt飛行場へ。
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この旅行記へのコメント (2)
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- rinnmamaさん 2017/03/21 14:02:26
- 大作ですね!
- jijidarumaさん、こんにちは
中々、書き込みが出来ずにおりまして、久しぶりにノンビリ訪問中です。
久しぶりの雨にホッとしています。
晴れは嬉しいのですが、庭木には雨が御馳走なんです^^
昨日、途中まで拝見させて頂いて、本日続きを楽しませて頂きました。
御性格が表れていまして、きっちりと整理されていますので敬服いたしました。
稚拙な私の旅行記が恥ずかしくなります。
私の兄と性格が似ているかもしれません^^
兄も旅行前の膨大な資料と旅行後の整理がきっちりしていて感嘆しますので・・
兄弟ですが全然似ていない性格には笑えます。
これだけのドイツの思い出がおありで羨ましいですし、素敵だな〜と思いました。
奥様もお幸せですね!
まだまだ、ドライブの旅は続けられると思いますが、どうぞお気をつけて下さいませ。
鷹が逃げ出して見れなかった行にホッコリ致しました^^
rinnmama
- jijidarumaさん からの返信 2017/03/21 23:10:06
- RE: 大作ですね!
- rinnmamaさん
こんばんは。ご投票とコメントありがとうございました。
一寸長く、写真も 何となく選んだものでスミマセン。
2001年頃からはじまったドイツの旅、今までここで掲載したのも2009年、
2014年、2015年、それに2016年の一部とまだ少なく、殆どの旅は
掲載していませんので、今回はレンタカーの使用状況を中心に
作り始めたら、こんな形になってしまいました。
さぞ読みにくかったことでしょう。
やりはじめたら、なんと面倒な事!かと後悔しながらで、途中できって
2部制にしてしまったのです。
それでも多くなったのはやはり写真、つまりアルバム(かつてはデジカメ
でなかった)中心にカメラで撮ったものを見ていると思い入れが
出てきたためでしょうね。
しかも写真数枚をスキャンした集合写真あり、アルバムのページを
撮ったものを入れたとか、様々となりました。
旅が終わると、兄上様と同じようにきっちり纏めないと、落ち着かない
性分なのですよ(笑)。
2016年の秋もモーゼルの旅をして、コッヘムに参りました。この日は雨で
帝国城のFalknerei鷹狩りショーを見られませんでしたから、
リベンジは終わっていないのですよ。
久しぶりの雨、一日振っていましたので、何やら書き物も進みました^^。
それではまた。ありがとうございました。
jijidaruma
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