2007/04/19 - 2016/10/23
30位(同エリア261件中)
jijidarumaさん
- jijidarumaさんTOP
- 旅行記575冊
- クチコミ659件
- Q&A回答107件
- 1,010,584アクセス
- フォロワー107人
日本でも車に乗っています。プリウスですが、週二回のお買いものの手伝いが主で近場に、実家と都内の長女宅に行く時ぐらいは長距離になります。
日本の高速は走りにくいうえに渋滞が多いので、なかなか遠出をしません。
年2000kmぐらいなので、ドイツで一回の走りと同じですから、もったいないかもしれません。
ドイツでの遠距離の旅は、ドイツの免許を取得した翌年・1975年の夏の休暇に初めての南ドイツから、ハイジの里、リヒテンシュタイン公国からスイスJungfrauユングフラウを見に、Grindelwaldグリンデルバルトまで走りました。それもいきなり高い峠道を行くことになりました。
特にFurkapassフルカ峠2436mの峠道は怖い思いをして上りました。ろくに道際の障壁がなく、深い谷も見えるような道で、後ろから来る車に邪魔にされました。すごいスピードで行き来する車に若葉マークは恐れをなしました。峠は氷河もあり、スイスらしさを実感したものです。
007のGoldfingerのロケが行われたのは、後のことです。
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写真はドイツとオーストリアの古城ホテルの冊子
ダイヤモンド社・地球の歩き方504『ドイツの古城ホテルとレストラン』は1992年6月に発行され、ドイツの54の古城ホテル・レストランを紹介している。この本は実に良く編集されていると思う(現在は販売していないようだ)。勿論、日本語の説明が有難い。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
ドイツの良さは田舎に、小さな町や村にありますので、車は小回りが利くので好ましい乗り物です。
ドイツでレンタカーを借りる時には必ず、乗る地域の確認をされます。メルセデスやBMWなどの高級車種はイタリア、チェコなどは、いわゆる周辺各国は走れません。
ドイツでは後部座席に荷物を置いていて駐車しても、何も心配がありませんし、車の盗難リスクもないです。(一応、付保しますが。)
イタリアのミラノ近辺から北は歴史的にもドイツ語圏とも言ってもよく、気質が違って、まだ安全ですが、イタリアの南はだめです。
当時は必ず、監視人のいる駐車場に入れました。
1978年8月の休暇で初めて、フランスのCalaisカレー港から名だたるDoverドーバー海峡を車で越えました。と言ってもオペル車をホーバークラフトに乗せて、ドーバー海峡(仏側からするとカレー海峡)を越え、イギリスのRamsgateラムズゲートに到着しました。距離34km、凡そ40分の乗船でした。約39年前の事です。
今はドーバー海峡にも英仏海峡トンネル(全長50km)が通じている。
いざロンドンへ向かう道に乗り出そうとして、交差点を曲がったら、反対車線にスーと入ってしまい、大変あわてました。
これも大陸で走った所為です。少し走ると慣れてしまうから、面白ものですけど。
この時はEdinburghエディンバラの祭り・Royal Edinburgh Military Tattooロイヤル・エディンバラ・ミリタリー・タトゥーを見るのが目的でしたが、Londonの大英博物館など、Oxford、湖水地方、ネス湖、ハドリアヌスの防御線なども見て、Kingston on Hullキングストン・アポン・ハルの港から、Rotterdamロッテルダムに抜けて、ドイツに戻りました。
総行程2750kmと15日間としては良く走った思いが残ります。
2017年度の予定は以下を参照:
https://www.edintattoo.co.uk/tickets/
やはり、ドイツで車を乗るのでドイツ車が好ましい。先に述べてきたように予約と現地借入車といつも異なってきた。
通常は予約車よりも車格が高いものが提供されるので、あまり文句もないが、ある時、トヨタのプリウス1500㏄を勧められた。さすがにやんわりとお断りした。
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写真“Aral Auto Buch Deutschland、1974/75版”の観光案内書
古城ホテルを選ぶのには“Aral Auto Buch Deutschland、1974/75版”の観光案内書(650ページ)をいまだに使用して、行程に沿って古城ホテルを選んでいる。 -
“Aral Auto Buch Deutschland、1974/75版”の観光案内書(650ページ)の中は当然ながら、ドイツ語ですが、何とか読みこなして、旅の資料に使用しています。
写真は“Aral Auto Buch Deutschland、1974/75版”の中、ミュンスターラント地方
ドイツ駐在の頃から古城巡りが好きで、時間があると車で出かけた。また、古城ホテルに宿泊する楽しみもその時に味わった。ドイツ国内だけでなく、周辺国までしばしば足を延ばした。
<Schlosshotel Gotha 2010/11>
1989年に創立。旧東独の古城ホテルを紹介するもので、加盟90を数える。
予想以上に旧東独地方にも古城ホテルが多いことに驚いたが、旧東独地方を巡る際に大変役に立った。
<Feine Privat Hotels>
ドイツを中心にしたグループ参加のホテル数は2015年現在14、
ハンブルクのHotel Louis C.Jakob内に事務局を置いている。
<Historik Hotels>
2003年創立。2015年現在はドイツ(28)を中心に、墺(4)、スイス(1)、ポーランド(2)、オランダ(1)にある、各時代を象徴する建物をしたホテルである。
参加のホテル数は36、ケルンに事務局を置いている。
<Schlosshotels・Herrenhaeuser in Oesterreich>
1965年創立。50周年目の2015年現在のホテルは墺(49)を中心にスロベニア(2)、クロアチア(3)、ハンガリー(1)、スロヴァキア(2)、チェコ(4)、イタリア(8)、ドイツ(9)=合計78が加盟し、
レストランは墺(5)のみで、合計83となっている。
・・・等の案内書・HPを利用している。 -
写真はドイツの真珠の様な古城群、古城街道(日本語版もあり)の冊子。
以下は宿泊・食事をした古城ホテル・レストランです.
(2001~2006年はその1をご参照)
2007年:
Hotel Bacchus・Bensheim 、
Hotel Adler Asperg・Asperg・ミシュラン1星、
Hotel Historischer Gasthof Ochsen ・Tamm、
Hotel Burg Windeck・Buehl/Baden、
Romantik Hotel Sackmann・Baiersbronn-Schwarzenberg・ミシュラン1星、
Hotel&Restaurant Rheinblick・Breisach am Rhein、
Hotel&Restaurant Schwarzer-Adler ・Vogtburg-Oberbergen ・ミシュラン1星、
Hotel Bercher Tiengen・ Waldshut-Tiengen 、
Schloss Hotel Markgraeflich Badischen Gasthof Schwanen・Salem、
Schloss Hotel Weitenburg ・Starzach / Weitenburg、
Wald-Schlosshotel Friedrichsruhe・Zweiflingen/ Friedrichsruhe・ミシュラン1星、
Hotel Schloss Lehen ・Bad Friedrichshall、
Hotel Jagtschloss Kranichstein・Darmstadt、
2008年:
Schloss Schoenbrunn ・ Landshut、
Hotel Schloss Berg(Oberes Haus) ・Berg、
Hotel Alpenrose ・ Mittenwald 、
Park-Hotel Enerner Hoef・Rottach-Egern・ミシュラン1星、
Gaestehaus Reiffenstuel ・ Rottach-Egern、
Schloss Weikertsham ・Wasserburg am Inn 、
Burghotel Aschau・Aschau im Chiemgau 、
Residenz Heinz Winkler・Aschau im Chiemgau・ミシュラン3星、
Hotel Zur Klause ・ Schoenau am Koenigssee 、
Hotel Schloss Neuburg ・Neuburg am Inn 、
“Burgstall”Hotel Schloss Egg ・Bernried 、
Romantik Hotel Fuerstenhof ・ Landshut・ミシュラン1星、
2009年:
Schloss Rothenbuch・Rothenbuch、
Schloss Zeilitzheim ・Kolitzheim-Zeilitzheim 、
Schlosshotel Pommersfelden・Pommelsfelden、
Burg Egloffstein・Egloffstein、
Herrmanns Romantik Posthotel & Restaurant・Wirsberg・ミシュラン1星、
Hotel Schloss Fuchsmuehl・Fuchsmuehl/Oberpfalz、
Hotel Burg Wernberg・Wernberg-Koeblitz・ミシュラン1星、
Hotel Burg Abenberg・Abenberg、
Burg Hotel Colmberg・Colmberg、
Romantikhotel Hotel Zur Schwane・Volkach、
2009年クリスマス:
Schloss Steinburg ・ Wuerzburg 、
Schloss Liebenstein ・Neckarwestheim 、
Burg ? Hotel ・ Rothenburg o.d.Tauber、
Villa Mittermeier ・Rothenburg・ミシュラン1星、
Hotel Klughardt ・Nuernberg 、
Restaurant Essigbraetlein・ Nuernberg・ミシュラン2星、
Romantik Hotel Zehntkeller・ Iphofen、
2010年:
Hotel Am Schloss ・ Alzey 、
Hotel Tenner ・ Neustadt a.d. Weinstrasse、
Hotel Schloss Edesheim ・ Edesheim、
Romantik Hotel Landschloss Fasanerie ・Zweibruecken・ミシュラン1星、
Hotel, Caf?・ und Restaurant Gutshof ・Neunkirchen-Furpach 、
Altes Pfarrhaus Beaumarais ・ Saarlouis / Beaumarais 、
Hotel Villa Keller ・ Saarburg 、
Victor's Residenz-Hotel Schloss Berg ・Perl-Nennig/Mosel ・ミシュラン3星 、
Das Forsthaus Schloss Foehren ・Foehren (Trier) 、
Kauzenburg mit Landhotel ・ Bad Kreuznach 、
2011年:
Relais und Chateaux Hotel Bayrisches Haus・ Potsdam・ミシュラン1星、
Pension Schloss Lodersleben ・Querfurt/ Lodersleben 、
Burghotel Gnandstein ・Kohren-Sahlis/Gnandstein 、
Hotel Schloss Eckberg ・Dresden 、
Romantik Hotel Deutsches Haus ・Pirna 、
Schloss Marienthal ・Marienthal 、
Schloss Landsberg Meiningen ・Meiningen 、
2012年:
Schloss Rothenbuch・ Rothenbuch 、
Hotel Schloss Saaleck ・Hammelburg 、
Romantik Hotel Altes Amtshaus ・ Mulfingen ‐Ailringen ・ミシュラン1星、
Hotel Deutsches Haus ・ Dinkelsbuehl 、
Hotel-Restaurant Fuerstliche Burgschenke Harburg・ Harburg 、
Burg Katzenstein ・ Dischingen - Katzenstein 、
Burghotel Staufeneck ・ Salach ・ミシュラン1星 、
Die Goetzenburg・ Jagsthausen 、
Schloss Hirschhorn・ Hirschhorn am Neckar 、
Schlosshotel Kronberg ・ Kronberg 、
2013年:
Hotel Schloss Buedingen・ Buedingen 、
Hotel Schloss Waldeck・ Waldeck 、
Burghotel Schnellenberg・ Attendorn 、
Schloss Lembeck・ Dorsten-Lembeck 、
Schlossruine Hertefeld・ Weeze 、
Kasteel Geulzicht - Hampshire Classic・NL-6325 PN Berg en Terblijt、
Ch?・teau de Namur・BE-5000 Namur 、
Ch?・teau d'Hassonville・NL-6900 Marche-en Famenne、
Burg Bollendorf ・Bollendorf 、
Hotel Deidesheimer Hof・ Deidesheim/Weinstrasse ・ミシュラン1星 、
2014年:
Hotel Stadt Bremen(Garni)・ Bremen 、
Ringhotel Schloss Tremsbuettel・ Tremsbuettel 、
Gut Altenhof ・Altenhof bei Eckernfoerde、
Schlossgut Gross Schwansee・ Gross Schwansee 、
Schlosshotel Ralswiek auf Ruegen・ Ralswiek/Ruegen 、
Schlosshotel Gross Plasten・ Gross Plasten 、
Schlosshotel Wendorf ・ Kuhlen-Wendorf 、
Schlosshotel Letzlingen・ Letzlingen 、
Schlosshotel Muenchhausen・ Aerzen bei Hameln・ミシュラン1星 、
Hotel Schloss Hugenpoet ・Essen-Kettwig 、
2015年:
Schlosshotel Mespelbrunn・Mespelbrunn、
Schloss Neckarbischofsheim ・Neckarbischofsheim、
Restaurant & Hotel Schloss Eberstein・Gernsbach・ミシュラン1星、
Romatik Hotel Zur Oberen Linde・Oberkirch、
Romatik Hotel Le Mare’chal・Colmar、
Romatik Hotel & Restaurant Hirsch・Sonnenbuehl-Erpfingen・ミシュラン1星、
Ringhotel Schloss Liebenstein・Neckarwestheim、
Schlosshotel Rettershof ・Kelkheim、
Hotel Schloss Hugenpoet・Essen-Kettwig、
2016年:
Sheraton Duesseldorf Airport Hotel・Duesseldorf、
Hotel Schloss Buedingen・Buedingen、
DER SCHAFHOF AMORBACH・Amorbach・ミシュラン1星、
Burghotel Auf Schoenburg・Oberwesel amRhein、
Hotel Schloss Zell ・Zell am Mosel、
Burg Adenbach・ Bad Neuenahr-Ahrweiler、
Romantik Restaurant St.Peter・Bad Neuenahr-Ahrweiler・ミシュラン1星、
Hotel Schloss Wilkinghege・Muenster、
Parkhotel Wasserburg Anholt・Isselburg、
Hotel MutterHaus Duesseldorf・Duesseldorf、
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“ドイツ 南西部・黒い森とボーデン湖・シュヴァーベン地方の旅” 黒い森・バーデンワイン街道・高-上ライン川とボーデン湖・
シュヴェービッシュ-アルプ地方・オーデンの森:
期間:2007年4月19日(木)~5月3日(木)15日間の旅
<空港から山岳街道・Bergstrasseへ>
Hertz予約内容:Mercedes C-Class Auto フルサイズ、オートマチック
車種 : VW Golf-Goal 1.6 5T(1600CC)オートマチック・エアコン付き。
実は今回、空港のカウンターで聞いたのは、予約した車が無いと言う事でした。予約の意味がないでので、クレームする。30分ほど待ったが、結局あきらめて、カウンターの女性の仕方ないのね!の言葉と共に、そのお勧め!?---と言ってもこれしか選択肢が無い---VWのGolfをかりる事になる。
曰く、“もし今晩フランクフルトにお泊りなら、明日は用意できる。”“第一夜がBensheimなら、(45kmと近い?!ので)翌日空港まで来るか?さもなければ、近くの大都市であるDarmstadtでご要望の車が出てくれば、そちらで変更する事もできるが!”との話。旅行がスタートしたら、フランクフルトに戻るような事は出来ないし、また、期待はしなかったものの、一応今夜のホテルの電話番号をカウンターの女性に伝えてから、コンパクトサイズのVWがあるという地下のハーツ駐車場に行く。スタッフに車の特徴を親切に教えてもらい、ともあれ、アウトヴァーンに乗り出すこととなった。
B)期間 : 4月19日(木) 15:46 賃借 、
5月02日(水) 17:07 返却 、
C)距離 : 2,145 km。
D)燃料 : 159.96 L 、 217.41 Euro( 36,604 円 )、
1L あたり 1.359 Euro( 229 円)、
1L あたり 13.41 km 。 (注)ノーマル・ガソリン
E)金額 : 760.01 EURO X168.86 = 128,334円
(一日・ 9,167 円)
<後日談>
日本に帰った5/7、ハーツ・ジャパンに①予約が意味を無さなかった事。②料金が妥当なのか?を問い合わせる。1週間も経っても返事がこないので、再度クレームすると、5/15になり、顧客サービス部より釈明とお詫びのメールがきた。
要は①配車予定のものが予定通りに返却されなかった為、用意出来なかった。この場合は通常、予約クラスよりも上級の車を用意するのが方針であるが、これすら出来なかった。従って、Mクラス(コンパクトサイズ オートマチック車)を提供する事になり、車が小さい事で大変ご不便をおかけしたのは大変申し訳ございませんでした。
②Mクラス・オートマチック車の通常料金は1,138 Euro(192,000円)でありましたが、現地側としても、御不便をおかけしたことから、Dクラス・コンパクトサイズ マニュアル車の“安い方の料金”を適用した由である。
写真は2007年ドイツ南西部巡り:黒い森のKloster Hirsauヒルザウ僧院跡で、
ノーベル賞作家ヘルマン・ヘッセの故郷Calwカルフの町に4kmの近さにある。 -
今回の旅の目的地はBaden-Wuerttembergバーデン・ヴュルテンベルグ州と呼ばれている、ドイツの南西部の地域が中心の旅になります。
メルセデス・ベンツ、ポルシェなどのドイツ自動車産業のメッカ・Stuttgartシュトゥットガルトが其の州都です。フランス・アルザス地方を隔てる“父なるライン川”に沿う緑豊かな黒い森や後のドイツ帝国の皇帝となる、大国プロイセン王家の発祥の地となったホーエンツォレルン城に代表されるシュヴァーベン地方があり、スイス国境にあるドイツ最大の湖・ボーデン湖一帯も含む州です。
ドイツの最も緑豊かな黒い森はモミとドイツトウヒを主とした針葉樹の森である。そこから産する茸・鳥獣類などの食べ物はこの地域に数多くの一流レストランが輩出する要因にもなっているようです。そしてバーデンワインの産地の町々を巡る旅も楽しみの一つです。
今回の旅も後半はスイス国境沿いに流れる高-上ライン川沿いを走り、ラインの滝を見て、ラインの調整ダムでもあるボーデン湖周辺を巡り、たくさんの古城があるシュヴァ-ベン地方を流れるネッカー川も見ることでしょう。
・・・
写真はHotel Sackmannホテル・ザックマン -
4.22(日) 快晴 25℃
黒い森の小さな村々を繋いで走る、国道B296/294はアップダウンの激しい道である。See-ResenfeldからBaiersbronn-Schwarzenbergバイヤーズブロン-シュヴァルツェンベルグに向かうL?の下り坂は10%の傾斜で3.5kmをずっと下りていく。平地を走るB462に至ってホッとする。
ヒルザウ僧院跡からホテルまでちょうど50kmの道のりです。
Schwarzwald -Taelerstrasse峡谷街道を数キロでBaiersbronn-Schwarzenbergに入る。入ると直ぐ、道路際にいきなりホテルの看板が目に入った。
Murgムルグ川の川畔に立つ、黒い森の典型的な建物をイメージして建てられたと思われる、5階建てのHotel Sackmannホテル・ザックマンには早めの16:15に到着した。
写真は2007年ドイツ南西部巡り:2007.04.22.Hotel Sackmann:
ホテル・グルメレストランSchlossbergシュロスベルク
はミシュラン1星、ゴー・ミョ-18点 -
≪Restaurant Schlossbergレストラン シュロスベルグで夕食≫
グルメ・レストラン・シュロスベルグ(24席に対し、10人の従業員の配置とか:メニューはEuro85~105)はミシュラン1星(16点)、ゴー・ミョー18点、全独21位である。
同地域のミシュラン2星のHotel BareissのメインレストランRestaurant Bareiss(30席に対し、16人の従業員の配置とさすがに手厚い)もゴー・ミョー18点と同じである。Sackmannはミシュランも限りなく2星に近いのか?!
因みにドイツにおける、2006年版ではミシュラン3星は7店で全て20点の最高得点、2星は15店(19点)、1星は168店(16点)、ゴー・ミョー最高の19.5点は3店、19点は6店、18点は21店、ミシュランの1星に相当する17点は79店となっている。
テーブルには白いテーブルクロスを敷き、その上には白いカスミソウの花を入れたラッパ状の花瓶と、紫のリボンを横に伸ばして飾りとするなど、レストランの上品さを演出している。
白を基調にした皿に色合いも鮮やかな料理がアレンジされて、さすがに素晴らしい。
写真は2007年ドイツ南西部巡り:グルメレストランSchlossbergシュロスベルク
はその後2星となり、今もその地位を維持している。 -
早めのホテル到着で、夕食までゆっくりできたのでお腹も空き、夕食が楽しみである。宿泊客の為のレストラン“Silberberg”や軽食やコーヒータイムに利用する“Anita-Stube”もいずれも素晴らしいレストランだが、やはり飛び切りはグルメ・レストランのシュロスベルクである。黄色を基調としたカーテン、チェアーは贅沢な空間になっている。
案内されたのはテラス・レストランの見える奥の席でした。もう、9割の席はうまっている。
シェフのご挨拶:
待ち時間にお客を飽きさせぬ目的で、調理場から出される小品が2品。
勿論、メニューにも掲載されず、お値段には加算されない。いっせいに厨房が忙しくなった様で、食事の間を取る為に適時、運ばれてくる。
その一つ目は『ガラスの皿にのせた小さなカップに卵のスープ?』です。
写真はグルメレストランSchlossbergシュロスベルクのワインリスト(縦40cm、横30cm、幅は数cmもある)とシェフのご挨拶の一品目 -
早速、給仕長が注文を聞きにやって来る。まず、アペリティーフをSandemannのドライシェリーをお願いする。そして、いつものように炭酸ガス抜きの水、Apollinaris 0.75Lを。
Menueは“Fuer Geniesser(美食家の為に)”が4品コースで85Euro、“Entdeckungsreise(探検旅行・シェフお任せ)”は特別コースで125Euro、“Schlossberg(城山)”が6品で105Euroの三つが旨い名前で提示されている。
給仕長に料理の量や、ア・ラ・カルトの事も聞いてみるを、『量はそれほど多くありませんし、メニューの方がお値段的にも宜しいかと、思います。』とアドバイスがあり、二人とも美食を楽しむという“Fuer Geniesser”にする。
次はワインのオーダーです。給仕長が持ってきたワインリストは縦40cm、横30cm、幅は数cmもあるものでした!!こんなものを見るのは初めての経験で驚きました。ワインリストは記念に写真を撮った程です。
分厚いリストから選んだのはバーデンワイン最高の赤、“Dr.Heger” 2004年 Ihringer Winklerwerg Spaetburgunder 、Kaisestuhlでした。(事前学習で、バーデンワインではDr.Hegerがトップワイナリーと知っていたので、リストから選びました。お値段もリーズナブルな、 51Euro=8.5千円。)
写真は2007年ドイツ南西部巡り:グルメレストランSchlossbergシュロスベルクのワインリストは縦40cm、横30cm、幅は数cmもある -
シェフのご挨拶の二つめは『煮込んだ小さな玉葱?に茸添え。』いずれも小ぶりな、上品な味だ。
写真は2007年ドイツ南西部巡り:グルメレストランSchlossbergシュロスベルク・
シェフのご挨拶の二品目 -
前菜:
実に面白い事に日本的なアレンジで、『貝の海苔巻天ぷらにキャヴィアのせ。ハマチの両面焼き、ワサビゼリーを添え。ライスペーパーにパッションフルーツのせ。』
さすがに給仕長もこの料理は日本の方に説明は不要ですねと言っていたが。
写真は2007年ドイツ南西部巡り:グルメレストランSchlossbergシュロスベルク・前菜 -
2品目は魚料理:
『鯛にグレープフルーツ添え、豚腹肉のマリネにクルミ・ジャガイモのクリーム添え。』
写真は2007年ドイツ南西部巡り:グルメレストランSchlossbergシュロスベルク・魚料理 -
メインの肉料理:
『子牛肉に玉ねぎ、葱を添え。赤ワインソースで味付け。』
写真は2007年ドイツ南西部巡り:グルメレストランSchlossbergシュロスベルク・肉料理 -
更にシェフから3つ目のご挨拶:
説明を受けたがもう記憶に残っていない。写真はあるのだが、白いカップにムース状のものが入っていて、ポテトを網状にしてパリッと揚げたものがのっていた。
美味しかっただけが記憶に残る。
(通常の料理はメニューを頂いてくるので後からでも分かるのですが、シェフの御挨拶はその時の状況に応じて、厨房より出てくるので、当然メニューには載っていない。給仕の説明を都度、ノートしておくのも、なかなか難しいのだ。)
写真は2007年ドイツ南西部巡り:グルメレストランSchlossbergシュロスベルク・シェフのご挨拶 -
デザート:
『ラヴァーヴァにバニラアイス、ヨーグルト-ジンジャークリーム、バナナとチョコレート』でした。
ここのスタッフは珍しいことに、料理をさげる際に“お味はお気に召したでしょうか?!”とは聞かない。美味しくて当然と思うのでしょう!!
写真は2007年ドイツ南西部巡り:グルメレストランSchlossbergシュロスベルク・デザート -
食後のコーヒーを頼むと杯の上に、チョコレートが一杯のって出てきた。
もう充分である。
・・・
(1泊)Hotel Sackmann D-72270 Baiersbronn-Schwarzenberg、
Romantik Hotel Euro 118 ;4星S、全49室、102号室(2F)
ホテル・ザックマン
レストラン Schlossbergはミシュラン1星、ゴー・ミョ-18点
Tel:49(0)7447-2890 http://www.hotel-sackmann.de
Romantik Hotelの案内本に紹介されている、黒い森のムルグ谷にある滞在型ホテル。グルメレストランのSchlossbergシュロスベルクは評価も高い。
黒い森にふさわしく、がっちりした木の梁の天井や力強い色調のエレガントなレストランは印象深い。Feinschmeckerの月刊雑誌で紹介されたシェフ・Joerg Sackmannは42歳。1988年より両親の経営するこのホテルにシェフとして入り、以後、伝統と革新をテーマに、アジア的、地中海的、且つフランス的な要素を一つにした、洗練されたスタイルを確立してきたという。
このBaiersbronnの谷間の各地にはTonbach・Restaurant Schwarwaldstubeが、ミシュラン3星、ゴー・ミョー20点、全独第一位に格付けされている。MitteltalにはHotel Bareiss ミシュラン2星、ゴー・ミョー18点、全独第7位といったグルメレストランが集中している。
(J・Sackmannの修行時代はこの二つの店のシェフにも学んだそうである。)これも、保養地にある滞在型ホテルとして、黒い森の豊かな食材に恵まれていることもあって、発展したものなのでしょう。
写真は2007年ドイツ南西部巡り:グルメレストランSchlossbergシュロスベルク・食後のコーヒーとチョコレート -
食事に入る前にはオーナーシェフ・Joerg Sackmannヨルク・ザックマン氏がテーブルに来て、挨拶をした。勿論全てのテーブルに!。シェフとして、アジア的、地中海的、且つフランス的な要素を一つにした、洗練されたスタイルを確立してきた事が評価されているそうです。
先程の前菜に見た如く、大変意欲的で、味も上品な美味しさで、充分その魅力を楽しませてもらった。2006年に楽しんだ“Zur Traube”(ミシュラン2星)にも十分匹敵する思いがしました。
今夜のディナーは3時間を越え、18:50~22:00 合計Euro247=4万円でした。
写真は2007年ドイツ南西部巡り:宿泊客の為のレストラン“Silberbergジルバーべルク” -
イチオシ
4.23(月) 快晴 28℃
9:15にBaiersbronn-Schwarzenbergを発つ。走行距離はこの旅で最も多い242kmとなり、今日もまだ、黒い森の中を走る。B462 でSchwarzwald -Taelerstrasse峡谷街道を行く。昨日立ち寄った高原の保養地Freudenstadtフロイデンシュタット迄は20km。
此処からはB294に入り、Lossburg、Alpirsbach、Schiltach、の小さな村々をKinzig川沿いに38km走り、WolfachでB33にのり、更に数キロ行くと、Gutachグータッハ・野外博物館です。
比較的水量もある、きれいなグータッハ川にかかる橋を渡ると、みやげ物屋、レストランが数軒、道の両側を占めていて、小さな門前町のように客の呼び込みを小母さんたちがやっている。
管理棟前の広場に大きな木が一本、象徴的に立っている。
切符売りの小母さんに切符を買いながら聞いてみると『何の木だか分かるかい?どの位高いか当ててみてよ!』と逆に尋ねられた。
『黒い森の象徴だから、Tannenbaumモミの木でしょう。そうだなー、30mもあるか!?』『えー、モミの木なのよ!高さは20.9mですよ。』
写真は2007年ドイツ南西部巡り:黒い森Gutachグータッハ・野外博物館のTannenbaumモミの木 -
此処の民族衣装は独特のもので、鮮やかな赤い玉(未婚の女性は赤・既婚者は黒)を十数個帽子上に飾り(独語でBollenhutボレン帽子と言う。英語ではPompon Hat玉房で飾った帽子)、真っ白のブラウスに、小花模様のビロードのベスト、黒の前掛けを付けたスカートの民族衣装はとてもチャーミングである。
毎年秋口の収穫祭にはお祭りがあって、この民族衣装で着飾った娘たちを見られるようだ
写真はBollenhutボレン帽子 -
その昔、二度も訪れた事のあるグータッハ野外博物館はすごく変容していて驚いた。黒い森の産物である立派な木材をふんだんに使った、横に長い建物が出来ていた。その建物には切符売り場・展示場・レストラン・カフェ・学習室・管理事務所が設けられていた。
野外博物館では、400年の昔に戻る事が出来る。黒い森の各地から集められた古い農家(16~9世紀)を中心として、当時の黒い森の人々の生活が分かるような建物が広い敷地に点在している。
藁葺き屋根、牛・馬ら動物との同居、道標、道祖神のようなキリスト像、粉引き小屋、パン焼き小屋、鍛冶や、製材所、蜂蜜の貯蔵所、製油所、礼拝堂と一つの村・共同体の全てがある。それは、日本でも飛騨の高山地方に見受けられる独特の家のように。藁葺き屋根の農家は裏手の斜面を利用し、干し草を積んだ馬車がそのまま2階に乗り入れるようにし、階下で牛等と同居している。
台所の炉は隣室の居間や寝室の暖房になり、炉の煙も肉の燻製を作り、二階に保存された藁の中の害虫を殺虫する。更には屋根の雪を溶かすという、知恵が随所に見える。グータッハは何時来ても楽しく、興味深いものだ。目の前で粉引きの実演があり、お婆さんが編物をしながら、その製品も販売している。
写真はGutach野外博物館-Lorenzenhof1608年 -
4.25(水) 快晴 29℃最高の暑さに
ライン橋はドイツとスイスの掛け橋である。
400年の歴史をもつ木造の橋(203.7m)で、二つの国の住民はお互いが、自由に行き来ができる。私共も橋を渡ってみると、橋の中間点には白い線が引かれ、そこを跨ぐとスイス領である。橋をスイス側に渡りきった所には国境の旅券チェックは無い。一応Zollamt税関事務所の建物はあったが、人の姿が見えなかった。
Saeckingerbrueckeゼッキンゲン橋とスイス側の表示は書いてあったが、ドイツ側の表示はHolzbruecke木造の橋といやにそっけない名前なのが面白い。
下流のデュッセルドルフでは絶対にお目にかからない、見事なほどに“青きライン川”は流れが美しい。
写真は2007年ドイツ南西部巡り:Bad Saeckingenバード-ゼッキンゲンのライン橋 -
イチオシ
05.01(火) 快晴 22℃涼しい
Miltenberg am Mainミルテンベルグは”Die Perle des Mains:マイン川の真珠”と呼ばれ、ドイツでもっとも美しい町の一つに数えられる。
ロマンチックな中世の街は高台にMildenburgミルデンブルク城があり、旧市街の中心のHaupt通りには木組みの美しい家並みが続く、そしてドイツ人に大変好まれている旧マルクト広場を見ることができる。
今回の旅ではラインの滝、バロックの宮殿Schloss Ludwigsburgと共に、是非訪れてみたかった街である。
駐車場から道を横切り、街中に入ると左手に、広いマルクト広場がある。高い5月柱が中心に立っていて、5月の最初の日を再認識した。広場に面して新市庁舎があり、これから行く右手の旧市街とは明らかに町作りが違っていた。
Haupt通りには木組みの美しい様々の家があり、良く保存されている。通りの中程には、ドイツ最古の王侯宿泊所として知られるGasthaus zum Riesenホテル・リーゼンが“美しい色合い”を見せている。フランケン地方色あふれた、12世紀開業のホテル・レストランである。(2001年、地ビール醸造のFaust zu Miltenbergが経営を握り、建物の大改装をすると共に新たな出発をした。 http://www.riesen-miltenberg.de )パンフレットなどで見るホテルの木組みの色合いは大きく変わって、白かった壁、こげ茶色であった木の部分が、灰色がかった青に塗られていたのにはちょっと驚いた。焦げ茶が主体であるHauptstr.の木組み建築の家並みから、浮いた感じにも思われたが---。
近くに旧市庁舎もある。1379年に町の検量所として、赤い砂岩で建てられたもので荷物の交易に利用されたとある。その門前に家内の背丈以上になる、マイン川の洪水の高さを示す表示板が立っていた。最も高い線は1845年のもので、近年は洪水の被害は無いようだ。
その先に旧マルクト広場が16世紀の正義の女神像が立つ泉を中心に、素晴らしい木組み建築の家々に囲まれている。ミルテンベルグの旧マルクト広場はドイツで最も美しいマルクト広場と謂われているが、小ぢんまりとした中世の趣むきいっぱいの広場である。人々は泉の水をすくったりして、その周りで憩っていた。
城への道はシュナッターロッホ広場を上がる道とシュロスガッセを行く道とあり、眺望の良さそうな後者を登る。登って行くにつれて、風景が開け、マイン川両岸の素晴らしい景色を心から楽しむ事が出来た。ドイツ人の言う、“麗わしの5月”の景色は目の前にあった。
Mildenburgミルデンブルグ城の歴史は古く、12世紀の後半、マインツ大司教が東の防御として築城したと云う。30年戦争(1618~48)ではスウェーデン軍の占拠などで、町も城も大きな被害を受けた。その後、再建されたが、1800年代になると城は何度も売却されて、所有者が変わり、漸く1979年以降は町の所有となった。
城からの眺望は誠に素晴らしい。マイン川とマイン橋、教会など、この旅一番とも思われる写真が撮れた。
写真は2007年:ミルテンベルグ・“麗わしの5月”の景色 -
≪ドイツ バイエルン州;バイエルン王国の周遊≫
アルペン街道・キーム湖・ドナウ、イザール、イン川を巡る:
期間:2008年4月17日(木)~5月1日(木)15日間の旅
Hertz予約:Nクラス(インターメディエートサイズ オートマチック車)
車種: Mercedes A-150 New・ 1500cc 5T オートマチック・エアコン付き。
今年も予約該当車が無く、かつ一つ格下になる。
期間: 4月17日(木) 18:24 賃借 、
4月30日(水) 12:37 返却 、
距離 : 1,412km
燃料 : 107.66 L 、 158.06 Euro( 26,193円 )
1L あたり 1.468 Euro( 243 円)、
1L あたり 13.12 km (注)ノーマル・ガソリン
金額 : 1,001.19 EURO X165.128 = 165,324 円
(一日・ 12,717 円)
最終決定額は 951.19 Euro =156,891円 となる。
(一日・ 12,069 円)
;格下にもかかわらず、予約車並みの料金を取った事で、日本ハーツに確認する。カスタマー部の小林氏の回答は下記の通り。(5/7根岸さん->5/21小林氏と二週間かかった。それも、こちらから再度問い合わせたので、漸く以下の回答となった。)
① 予約車が無い場合は格上の車の提供が原則であるが、空港にて予定の車が提供できなかった事は申し分けなく、お詫びということで、日本サイドで差額50Euroを返却する。(これはN->M格に変更した場合の料金差額に一応、匹敵する。)
② 5月30日に当方指定銀行口座に振り込みする。額は50x168.65=8,433円。
③ また、誤った駐車場所のご案内をしたなど、大変な不手際をお詫びする。
④ 次回もハーツをご利用頂きたく、US$50の割引券(2009.5期限)を送付する。
トヨタのプリウス1500CCでどうかと勧められた。日本で5月からプリウスの新車に乗る事ととなっているので止めにした。
次ぎに勧められた車は、メルセデスA-150でしたが、メルセデスに慣れている事もあり、一つ格下になるが、これを選択した。
ともかく、この所、思うようにはならない。加えて、誤った車の駐車場案内があって、探すのに時間もかかり、30分も時間のロスとなった。
写真は2008年バイエルン王国、アルペン街道:レンタカーはメルセデスA-150 -
4.19(土) 小雨後晴
今春の旅はドイツ南部、バイエルン州のOberbayern高地バイエルンと呼ばれるアルプス地方とOstbayern東バイエルン地方を巡る旅である。
Starnbergerseeシュタルンベルグ湖周辺巡り:
この地はミュンヘンから30kmの近さで、古くからリゾ-ト地として、栄えてきたようです。
朝方の4時に又目覚めた。更に寝て、7時半に起床する。朝食後、小雨の中、10時にBergを出発した。昨日はあんなに晴れていたのに、今朝は肌寒い、小雨模様の天候になってしまった。湖の周囲50kmと1日の行程としては短い。
近くの懐かしいGolfhotel Kaiserin Elisabeth ゴルフホテル・カイザリン・エリザベートを訪れてみた。ホテルの前の道からなだらかな道が湖畔に向かっている。その皇妃ゆかりの “エリザベ-トの散歩道”を歩いてみた。ゴルフ場が一望できるベンチに座って、気持ちよい時間を過ごした。
2004年に3泊した、オーストリア皇妃エリザベートゆかりのスイス風ホテルは健在です。土曜日の午後を楽しむ近在の人達や旅行客などでレストランもいっぱいである。
給仕に声を掛けてみると談話室に席があると言う。玄関を入って左手、メインレストランの手前に談話室があり、丁度入口傍にテーブルがひとつ空いていた。
早速に、コーヒーに紅茶で、好物の“Apfeltorte林檎のトルテ”を楽しんだ。
午後の談話室はリラックスした雰囲気とはいえ、軽装した私たちはちょっぴり、落ち着かないものでした。
シーズンを迎える準備なのでしょうか?!テラスレストラン前の正面階段は工事中である。庭園にはピンクの桜らしき花が満開となり、緑の絨毯の先には、あの皇妃エリザベートの坐像が見えていた。
写真は2008年バイエルン王国の周遊:ゴルフホテル・カイザリン・エリザベート・皇妃エリザベートの坐像 -
イチオシ
4.20(日) 大快晴 24.5℃、
Zugspitze ツークシュピッツェ2962m・ドイツアルペンの最高峰に登る。
登山鉄道駅は出発点であり、終着点でもある。海抜720mの駅のプラットフォームからも、天気が良いので目的のZugspitze 2962mが右手に、Alpspitze2628mが左手に、二つの真っ白な頂を見ることができた。 (鉄道・ケーブル往復の一日乗車賃はEuro 69=11530円)
9:45発・登山鉄道に乗車する。途中のGrainauグライナウまでは電車も普通の走りで、山裾を縫うように走る。右手に広々と平原が開け、所々に冬場の飼料小屋?が建っている。遠くに見える山はKramer山1982m。その裾野に小さな町々の赤い屋根の家並みが見える。Grainauでアプト式の電車に乗り換える。
海抜973mにEibseeアイプ湖があり、そこの駅からさらにお客さんが乗ってきて、満席になってきた。
Zugspitzeツークシュピッツェ周辺はいまだ冬のようで、乗り込む人たちもスキー客、スケートボード客であり、電車の外面にはスキーの杖を上手くはさんで運ぶ装置があり、さすがなもの。Eibseeから急斜面になり、もう雪景色の中を電車は登っていく。Grosser Waxenstein2278mの岩山を横目に見て、Riffelriss波上の起伏の裂け目1680mでトンネルに入る。
山塊をくりぬいた長いトンネルで、途中の2050m付近で降りてきた電車とすれちがった。 Schneefernerhaus氷河駅(2645m)は終着点である。氷河駅には11:00に到着した。ちょうど75分をかけて登ってきたわけだ。
さすがに寒い。氷河駅から外に出てみると真っ青な空があった。真っ白な氷河や雪原の先のスロープにはドイツで最も高い所に建っているチャペルがある。
このチャペルはMaria Himmelfahrtマリア昇天という名前だそうだ。そこまではとても遠く、歩いて行けないが。
雪原はスキーやスノーボートに興じる老若男女でにぎわい、26年前にはなかった、柱に白と青とで彩色したバイエルンの五月柱が雪原に高々と立っている。とてもいい感じだ!!レストラン前のテラスでは日光浴の人たちがのんびりしている。26年前にもこんな光景をみて、羨んだことを思い出した。
写真は2008年:ツークシュピッツェからアイプ湖を見下ろすツークシュピッツェ2962m・ドイツアルペンの最高峰に登る by jijidarumaさんツークシュピッツェ 山・渓谷
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さて、まだここは頂上ではない。まだ317mも上の頂がある。雪原より相当高い所にケーブルが張られて、高所恐怖症の私にはロープウエイは見るからにこわい。ここまで来て、帰るわけにもいかず、Gipfelseilbahn氷河ロープウエイで頂上に向かう。11:30発のゴンドラに乗りこむと、あっという間に人々でいっぱいになる。中にはシェパードの大型犬を連れた人もいた。Zugspitze2962m・ドイツ最高峰には11:35にあっという間に?!到着です。ずっと近づく展望台駅のみを見て、できるだけ下を見ないで乗っていたが---。
展望台駅にはレストランなどもあって、日本人観光客のツアー団体が食事をしていた。この旅でお目にかかる初めての日本人だ。夏のシーズンには登山・ハイキングのお客をはじめ、世界各国や日本からの観光客も多いようでだ。そこかしこに各国の言葉と共に日本語の文字がある。電光表示板に外の温度が表示されていたが、ここはマイナス4℃だ。
展望台に出てみると雪も積り、滑りやすい。雪を頂く四方の山々の眺めは絶景である。ここから160km先まで見えるという。
頂上はドイツ・オーストリアの国境になっている。26年前は旅の記念にと、わざわざこの国境を、パスポートを提示して行き来したものだが。国境事務所には人影もなく、今は自由なのでしょう。
面白いことにオーストリア国ではなく、Land Tirolチロル州の看板であり、かたやドイツ連邦ではなく、Freistaat Bayernバイエルン自由州であることだ。
アイプ湖を真下にのぞくと、左右に広がった湖の色が神秘的な青さを見せていた。展望台から少しはずれた高台に金色の十字架が雪の中に立っている。ここが実際の2962m頂上だ。夏場にはここまで行けるのだろうが、今はまだ冬!なのだ。
Eibseeseilbahnアイプ湖ロープウエイに乗ってこの展望台から、まっすぐ下のアイプ湖まで、降りることもできる。26年前は帰路にこれを利用した。2962mから973mまでを一気に下りていくのもなかなかのものだが、今回は遠慮?し、12:05 発の氷河ロープウエイを使って氷河駅に戻った。
写真は2008年バイエルン王国の周遊:Freistaat Bayernバイエルン自由州の標識 -
≪北バイエルン;フランケン地方とオーバープファルツ地方を巡る旅≫
フランケンワイン、ボックスボイテル街道、古城街道;フランケン・シュヴァイツの古城群、陶磁器・ガラス街道、マイン、ペグニッツ、ナーブ、レグニッツ川を巡る
期間: 2009年4月17日(金)~5月1日(金)15日間の旅
目的地:今春の旅はドイツ・バイエルン州北部のFrankenフランケン地方とOstbayern東バイエルン地方の北部Oberpfalzを巡る旅である。
特記;
ANAがほぼ定刻に離陸。2時間半経過したロシア上空で急病人が発生し、機長の判断で成田に戻った。この為、往復5時間および空港での待機時間も加わり、8時間遅れの再離陸となった。この間、ハーツ日本の窓口には事情を説明し、現地側に連絡をお願いした。更に、ANAカウンターの女性にも重ねて、現地側対応をお願いした。
この事もあって、零時5分にフランクフルトに着陸し、機内を出ると緊急動員されたと言うANAの駐在員が名前入りのプラカードを掲げて、待っていてくれた。
ハーツには事情も説明済みで、カウンターも待っているとの事で、急ぎましょうと、入国も最優先で通りぬけて、ハーツに向かう。
今回は希望の車種は揃っており、早速、手続きを行い(00:37)、私共のトランクを入手後、指定された駐車場の車まで行く。やや大きめのメルセデスA-1800ccなのでありがたい。もうこの時間はさすがにメカも駐車場には居らず、少し不安のスタートとなる。
01:08駐車場をスタートしたが、出口にハードルが下りていて、出られずに困った。折からドイツ人が車で出てきたので、聞いてみると柱についているボタンを押せば、ハードルは上がるのだと言う。その通りにハードルは上がり、宿泊予定のホテルまでアウトバーンに乗り出した。
あいにくの小雨の中を一路70kmの行程を走り、霧も出できた山中の古城ホテルRothenbuchローテンブーフに2時15分、無事に到着した。長い一日でした。
写真はVolkachフォルカッハの町:市庁舎前にOsterオースター復活祭(4月半ば)のOstereiオースターアイ(復活祭の飾り卵)がまだ飾られていた。
4月18日(土) 朝方までと夕方は小雨、曇天・9.5℃、
マインの蛇行流域・Mainschleifeマインシュライフェ ;
マイン川に沿いながら、L?を走って行く。104kmの距離がフランケンワインで有名な Volkachフォルカッハの町である。
マイン川の蛇行が最も顕著になる、この辺りはMainschleife マインシュライフェ(マインの蛇行がチョウ型結びリボンの形状を示すのでこう言われている。以前の旅でザール川やイン川にもここと同じようなものを見ているが、ここの方が規模も大きく、ちょっと見では分かりにくい。)と呼ばれている。
マイン川がSchweinfurtシュバインフルトの辺りで、北より南に流れてきて、Volkachの先で東に向きを変え、フォルカッハの町で二手に別れ、この二つの流れに囲まれた地域は大きなInselインゼル・島を形づくる。そして、Schwarzach シュバルザッハでまた一つになって、Wuerzburg方面に流れていく。
川幅はさほど広くはないが、水量豊かな流れはゆったりとした流れで、素晴らしい景観を創っている。この辺りは土壌と天候に恵まれて、フランケンワインの大生産地である。 -
4月19日(日) 朝から大快晴。
バンベルグはオーバーフランケン地方の中心地である。
千年以上の歴史をもつこの古都は、第二次世界大戦の戦災を免れたため、旧市街は中世そのままの姿を残していて、見どころも多い。この地は7つの丘で構成されて、“小ローマ”或いは“フランケンのローマ”とも呼ばれる。古くからドイツ人にとっては、夢の町であり、ロマンの町であったと云うが、魅力あふれた旧市街を訪ねるとこの言葉通りである。
バンベルクの南駐車ハウスに停めて、旧市街に向かう。Langestrasse文字通り長い道を歩き、市の象徴的建造物であるAltes Rathaus旧市庁舎をまず見たいとめざした。旧市庁舎の辺りを先頭として、二股に分流したレグニッツ川が中州を作っていて、旧市庁舎が建っている橋の下を流れるレグニッツ川は雨の為か、濁って、水嵩もある。カヌー遊びの人が数人、濁流の中を器用に漕ぎながら遊んでいた。
日曜日とあって、人出も多く、にぎやかな観光客も晴天とあってか、とても魅力的な市庁舎をバックに写真を撮っている。
橋上からはKlein Venedigクラインベネディクの一帯が美しい景色を見せている。後で観光船に乗ってみたいものだ。(バイエルン国王マキシミリアン2世が、岸辺に立つ絵のような、漁師たちの木組み建築の家並みを称賛して、“小ヴェネチア”と呼んだそうだ。)
写真は2009年フランケン:バンベルクの旧市庁舎
そして、橋上にある旧市庁舎(通路に面した)の壁に銘板が填め込まれているのを見た。
そこには「Claus Philipp Maria Schenk Graf von Stauffenberg クラウス・フィリップ・マリア・シェンク・グラーフ・フォン・シュタウフェンベルク伯爵の行為を顕彰していた。
:クラウス シュタウフェンベルク伯爵 参謀本部付き大佐。彼は1944年7月20日の行為の故にドイツ人のレジスタンスのシンボルである」・・・と。:
第二次世界大戦中のドイツ陸軍大佐(1907年11月15日 ~1944年7月21日)はヒトラー暗殺未遂事件の実行者の一人。バンベルク:フレスコ画が美しい旧市庁舎には反逆者シュタウフェンベルク大佐の銘板がある。 by jijidarumaさん旧市庁舎 (バンベルク) 建造物
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4月20日(月) 朝から大快晴。19.5℃。
<Die Burgenstrasse古城街道 ・Fraenkische Schweizの古城群>
今日から3日間は城巡りになる。L?・A3・B470 と34km走って、 フランケンのスイス地方の西の玄関口・1200年の歴史を誇るForchheimフォルヒハイムの町に入る。フォルヒハイムは古い王都であり、『フレンキシェ・シュヴァイツの表門』を称している。
ここでの観光はKaiserpfalz-Die Pfalz『皇帝の宮廷』・王宮博物館と市庁舎だが、小さな町の中心にあった。市庁舎の建物は後ゴシック様式の木組み建築様式であり、旧市街には木組み建築様式の美しい建物が多い。又、アドベントの時期に市庁舎に掲げられる『世界で最も美しいアドベントカレンダー』でも知られている。
Die Pfalzプファルツの深い堀の外に大司教のマリア礼拝堂が立っている。礼拝堂前の小さな庭には春を彩るチューリップなど、見事な花々であふれていた。ここの噴水でも、オースターアイ(復活祭の飾り卵)が美しく飾られている。
祭りを身近に見たいものだ。
写真は2009年フランケン:Forchheimフォルヒハイムのマリア礼拝堂 -
≪北バイエルン;フランケン地方とオーバープファルツ地方を巡る旅≫
Hertz予約:Mクラス(コンパクトサイズ オートマチック車)
車種:Mercedes A-180 ・ 1800cc 5T オートマチック・エアコン付き。
期間 : 4月18日(土) 00:37 賃借 、
4月30日(木) 16:47 返却 、
距離 : 1,627 km
燃料 : 99.26 L 、 104.65 Euro = 13,741円
1L あたり 1.054 Euro( 138 円)、
1L あたり 16.39 km (注)Diesel
金額 : 1,011.64 Euro X 132.35819 = 133,899 円
(一日・ 10,300円) 尚、US$50の割引券(2009.5期限)を利用した。
写真は2009年フランケン:Heiligenstadtハイリゲンシュタッド郊外のSchloss Greifenstein城(クラウス・フィリップ・マリア・シェンク・グラーフ・フォン・シュタウフェンベルク伯爵の親族の居所)の前でMercedes A-180 -
イチオシ
これも岩壁上のエグロフシュタイン城が目に入った。村に入った道路際に“Burgenstrasseブルゲンシュトラッセ・古城街道”の標識があって、20:15にEgloffsteinエグロフシュタイン(Burg Egloffsteinエグロフシュタイン城
・代々の城主の居城・古城ホテル-Ferienwohnung)に到着した。
Trubachtalトゥルバッハ谷に臨み、100mの高さの岩壁に立つ古城Egloffsteinエグロフシュタイン城の姿は絵画的な美しさである。この城は9世紀に築城したEgiloffという騎士がEgloffsteinと名付けたとされている。11世紀にはこの辺りを支配する騎士・領主の居城となるが、しばしば城は破壊されたと云う。30年戦争では特に大きな被害を受けたが、再建されている。1750年にはプロテスタントの教会も古城の横に創建されて、今に残っている。
代々の伯爵家の中でも、Julie伯妃は画家としてもその名を残し、1816年~29年まで、ワイマールに滞在し、かのゲーテとも親交を深めたとある。その後、ミュンヘンに至り、バイエルン王ルードヴィッヒ1世や王妃の肖像画を描いたと伝えられている。
現在も貴族の後裔によって、城は所有され、城内には博物館が併設されている。
今の城主は70歳である。貴族階級に見られる長身で、年齢以上に頑健な体は、軍人だった過去を窺い知ることができる。25年の軍務の間、外国を含めて、転勤続きの生活だったと言う。退役と共に漸く、故郷に戻ってきたのだと言っていた。
写真は2009年フランケン:エグロフシュタイン城 -
4月24日(金) 快晴。8.5~17℃。
15:50と Wernberg-Koeblitzヴェルンベルグ‐ケブリッツには早い到着である。山上のホテルの駐車場は城に通ずる橋の下にあった。そこから、ゴーカートでトランクを運んでもらうのだ。大きな期待をもってきた古城ホテルはサービスも満点。レセプションの対応も素晴らしい。
真中に天守閣があり、それを囲んで、城の建物がある。屋根は茶色、壁はやや薄めのベージュ色に塗られている。窓の戸はバイエルンの旗模様の青の斜線が入ったもので、きれいなアクセントになっている。深い空堀(庭園になっている)が周囲を囲み、城へは一本の跳ね橋が架かる。この古城の醸し出す雰囲気は実に良く、古城ファンとしては最高の気分になる。これがホテルである事も嬉しい。しかも、レストランは食事が楽しめる、グルメレストランである。跳ね橋横にライラックが満開で、この橋を渡るのも気持ちが高揚する。
城門を入って、左手には13世紀の城主であったKonrad von Paulsdorfの騎士の名を取った“Konrads”コンラッドと言うレストランが見える。ここはカステルとは別のレストランで、朝食、昼・夕食、お茶の時間に利用される。料理は主に郷土料理だが、アジア的な前菜などもアレンジされると言う。“Konrads”コンラッドは長細いレストランで、太陽の日の光もよく入って、明るい印象だ。
城内の豪華な書斎、暖炉の間ものぞき、今夜のグルメ・レストランKastellカステルもチェックした。予約リストの載った帳簿が置かれていたので、見てみると、19時の予約は既に10組が入っているようです。
写真は2009年フランケン:Hotel Burg Wernberg古城ホテル ヴェルンベルグオーバープファルツ北部の森に囲まれた、素晴らしい古城ホテル ブルク ヴェルンベルクはグルメレストランを持つ by jijidarumaさんホテル ブルク ヴェルンベルク ホテル
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<Hotel Burg Wernberg古城ホテル ヴェルンベルグ>
D-92533 Wernberg-Koeblitz 、
Schlossberg 10
209号室(3階) Euro*219 ;全29室・4星S
Landgrafラントグラーフ(方伯)のタイプ
ニュルンベルクの東90km、Oberpfalzオーバープファルツの北、森に囲まれた、静かな場所に、ミシュラン1星のグルメレストランを持つ古城ホテルがある。1992年にWernbergの町とConrad電機会社が城を共有し、レストランを併設したホテルを作った。1998年に大改装して、ドイツで最も美しいホテルのトップ100選に選ばれた。現在、Conrad家と99年の長期リース契約を結び、ホテル経営を任せているのだそうだ。
ここは現在、格式が高いホテルが多いRelais&Chateauxルレ・エ・シャトーのメンバーである。
この町は人口5800人の小さな町(海抜380~600m)である。古くからニュルンベルクとチェコのプラハを結ぶ街道、レーゲンスブルクとチェコのCheb(ドイツ語ではEger)の通商路が交差する場所にあって、繁栄してきたと云う。その町中から徒歩5分の城はNaabtalナーブ谷に臨む山の背に建ち、北側を谷川で守られている。広い掘割や美しい庭に周囲を囲まれた素晴らしい古城である。
城の歴史は古く、その昔は“Werdenberg”や“Wernberch“とも呼ばれていたらしい。それは城がWerder直訳では川中島・・・川や湖沼に囲まれた半島の様な地域にあった為と云われている。
古い資料は不確かだが、ローマ時代・3世紀の頃、Limes(古代ローマの国境防壁)にあって、監視と国境拠点として、建てられたとされている。1146年Gebhard Ⅰ von Luiginbergが領主となる。1280年Konrad von Paulsdorfの騎士に城を売却。1367年皇帝Karl Ⅳにより、ボヘミア領土の備えとされる。1430年に始まる、チェコの有名なフスの宗教改革の騒乱で城はOberpfalzの他の城同様に大きな被害をうける。30年戦争でも同様に。その間、城の所有者は転々とする。1741~45年のオーストリア継承戦争では軍団の拠点となるといった様々な歴史を経て、今は美しい城の姿を見せている。
写真は2009年フランケン:Hotel Burg Wernberg古城ホテル ヴェルンベルグ -
メインレストランのKastellカステルは歴史を感じさせるロマネスク様式の城の2階にあって、独特の丸天井の下、白を基調としたエレガントな雰囲気だ。
写真は2009年フランケン:古城ホテル ヴェルンベルグ・メインレストランのKastellカステル
<ヴェルンベルグ・メインレストランのKastellカステルでの夕食>
(19:00~21:50)Special ArrangementEin schoener Tag素晴らしい一日利用。
5品コース。 Euro 326。
*Kastellカステルはミシュラン1星、Gault Millau 17点、全独ランク52位。
古城ホテルの素晴らしい環境にある。
さて料理とお酒の内容は次のようなものでした。
アペリティーフ:Sherry trocken 0.05L。(Euro 13)
ワイン:Dr.Heger 2005年Grauburgunder、Achkarrer Schlossberg、Spaetlese・Trocken。 (Euro 69)
お水:Panna 0.75L (Euro 9)
シェフからの御挨拶:レストランは金曜日とあって、ほぼ満員で厨房も大変である。この国もグルメ志向が強くなったのか、Wirsberg同様に御挨拶が3品となった。
①4品が長い皿に載って出てきた。説明があったが、聞き書きしたわけではないのでここでは、思い出しながら・・・。白身魚、トマト風味の角煮など。
②アボガドソースにハーブ和え。
③海老のすり身に人参載せ。
前菜 : 海老、セロリの巻物、メロンのマリネ添え。ここでも白い皿やガラス皿が多用されている。
メイン・魚:エイの白身にピスタチヨ・グリーン豆添え、オレンジソース。
食休みに:“灰から出た不死鳥”の名のついた料理;塩窯を給仕長が割って、中身のフェンシェル(ウイキョウ・肝臓に良いと言われるので食休みの為の品)を皿に盛った。この周辺に味の付いたキノコを配した。初めて食べる独特の料理。フェンシェル自身は塩味のもので、さっぱりしたもの。
メイン・肉: 豚肉に赤ワインソース、パルメザン、グリーンアスパラ、スグリを添え。
デザート : チョコレートのヴァリエーション。
食後の飲み物:コーヒー (Euro 7.4)
チョコレート:コーヒーには必ずチョコレートが付く。ボール状の様々なチョコレート3個が串に刺して出てきました。更に皿で7個出てきました。もう充分です。
*別払い料金はSherry、水、ワイン、コーヒーEuro 98.4 、チップ10.6の合計Euro 109でした。
気持ちよく飲み、食べた、凡そ3時間の食事では十分満足なサービスを受けました。
席を立つ際に給仕長が握手を求めに来たのにはびっくりしましたが、嬉しいものです。お客を最後まで見送り、気分よく送り出すことは、なかなか無いからです・・・。 -
4月30日(木) 今日も寒い一日。曇り時々小雨、午後に晴れ間。11℃。
Weibersbrunn(女の泉)のインターから、Spessartの山中に入って行く。 Vogelsburg から99kmとアウトバーンも順調に走り、リーメンシュナイダー作品がある、 Pfarrkirche Hessenthalヘッセンタール巡礼教会に着いた。
Mespelbrunnメスペルブルンの手前4kmにある、この教会は小さな村の中心にあり、Beweinung Christiピエタ祭壇 (嘆きの群像)を拝む事が出来る。リーメンシュナイダーによる、新しい様式のピエタの最初の試みの作品だそうだ。教会の小母さんは弟子の作品と言っていましたが・・・。1490年頃の作品。
この教会から、さらにL?4km で、Mespelbrunnメスペルブルンだ。ここも変哲もない、小さな山村だが、Schloss Mespelbrunnメスペルブルン水城という、小さな、美しい古城がある。“シュペッサートの森の真珠”と謳われるそうだが、尤もと思われる姿だ。
メスペルブルン城は周辺の緑の森に囲まれ、塔を中心に左右に城館があり、手前には城を取り巻く池がある。2羽の白鳥が池で泳ぎ、池の中にも鯉?か、鱒のような淡水魚が群れているのが水面下に見える。古城は曇天で、暗く、陰鬱に見えてしまい、ちょっと寂しい。
ガイドさんが若いドイツ人の女の子とオランダ人と思われる男の子のカップルと私どもに、12時半から30分、城内を説明してくれた。一階のRittersaal騎士の間は甲冑などが展示されて、狩猟の獲物も飾られている。ステンドグラスは一族の系譜を紋章で描いている。残念なことに雨漏りが見られて、大変な様子が窺がわれた。2階は城主一家のかっての住まいであったとか、暖炉や絵画、武具などが見られた。2階では写真が禁止だったのは残念。外に出ると1564年に結婚した城主・花嫁の姿が玄関の一角に彫られている。面白かったのはこの城を造った親方?の彫像が、軒下に髭をはやした裸の座像として彫られていた事だ。
20mほどの塔には(昔の避難塔だが)、中間の所に入口が付き、今はそこへの階段もあって、塔内に登れるようになっている。
この城の歴史は1412年にマインツの大司教が騎士のHermann Echterに自らの所有地の山林の監督を命じたことに始まる。1427年には城壁、塔などを備えた城郭ができたが、長い間の平和の期間を経て、ルネッサンス風の水城に改築された。
現在見る城の大部分は1564年に結婚した城主・花嫁である、Peter Echter von MespelbrunnとGetraud von Adelsheimに負う所が多い。1569年から18年をかけて現在の姿にしたと云う。
この一族で最も有名なのはJulius Echter von Mespelbrunnユリウス・エヒター・フォン・メスペルブルン侯でWuerzburgの領主司教となり、大学を創設し、マリエン大要塞を強固なものにした事で知られている。また、1576年、彼によって、Juliusspitalユリウスシュピタール施療院も設立されている。現在、その名を冠したワイン醸造所・Weingut Juliusspital Wuerzburg ユリウスシュピタール醸造所がある。
1648年、最後の女系であったMaria OttiliaはPhlipp Ludwig von Ingelheim(ラインガウ)と結婚する。彼はその後に伯爵の位に登り、皇帝の許しを得て、両家の名前と紋章を統合した。現城主はGrafen von Ingelheim genannt Echter von und zu Mespelbrunnという長い名前を用い、城の南翼の一角に住んでいる。
http://www.schloss-mespelbrunn.de/
駐在時にも家族で来たことがある。当時、この城は旧西ドイツの切手にもなっていた。(12:00~13:15入館・ガイド料 Euro 7、駐車料 Euro 2)
写真は2009年フランケン:“シュペッサートの森の真珠”Schloss Mespelbrunnメスペルブルン水城メスペルブルン城 城・宮殿
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≪ドイツのクリスマス :2009年12月7日(月)~15日(火)≫
この冬、ドイツのWeihnachtsmarktヴァイナハツマルクト(クリスマスマーケット)のいくつかを、初めて訪れる事が出来た。
今回は南ドイツが中心で、春の行程に似ている。
次回はDresdenなど、北にも行けたらと思うのだが・・・。
この旅のクリスマス市はWuerzburg、Ludwigsburg、Esslingen、Stuttgart、Rothenburg、Nuernberg、Forchheim、Frankfurtなどが大所ですが、小さな町々も回ります。
写真は古城ホテル シュタインブルク城の部屋のテラスから眺めたヴュルツブルクの景観
≪Schloss Steinburg古城ホテル シュタインブルク城≫
D-97080 Wuerzburg 、Auf dem Steinberg
全50室・4星 Euro155(3F・16号室 kleines Schlosszimmer)
http://www.steinburg.com
古城ホテルはクリスマスの飾りにあふれていて、大変好ましい雰囲気に包まれている。通された部屋はErkerzimmer(張り出し窓の間)レストランの横にある階段を上がり、廊下の奥にありました。広さはkleines小さめとの事でしたが、十分な広さでしょう。
窓の外には広いテラスが付いています。丁度、レセプションの上あたりに位置しているようでした。ホテルが一番自慢している、眺望の良さは確かで、テラスから見る、この町の夜景や朝の眺望は素晴らしかった。
Wuerzburgの大司教Rheinsteinラインシュタインが13世紀の半ばに、居城マリエンベルグ城塞の対岸・Steinbergの丘に築城したのが、現在の古城ホテルの始まりである。
但し、市民と仲が悪く、とかく対立した大司教の城はWuerzburgの市民の攻撃で10年しないうちに、城は破壊され、今は何も残っていないと云う。
1897年Wuerzburgの市民Schneider氏が、この丘からの眺望の良さを気に入り、館を建てた。1937年にBezoldベツォルド家がこれを手に入れ、ホテル・レストランを開業し、現在に至っている。テラスからのマイン川とブドウ畑の眺望は見事なもので、対岸の丘に建つマリエン大要塞も見える。
旧市街から約2kmの近さで、中央駅からタクシーで約10分、料金は15ユーロ程度。
この春に来た古城ホテルだが、丘の裏手から車で登る上り口は一応標識もあるが、夜だとなかなか見にくく、見つけるまで3人に聞いたほどだ。
登る道は狭く、対向車がくると大変なものだ。傾斜もあって、雪道で無かったのが、幸いと言えようか!
メイン・レストランのErkerzimmer張り出し窓の間、それから、この春にお茶を楽しんだRittersaal騎士の間があり、それ以外にもTurmzimmer塔の間、Schlossgewoelbe丸天井の間といったレストランがある。 -
≪ドイツのクリスマス :2009年12月7日(月)~15日(火)≫
Hertz予約:Mクラス(コンパクトサイズ オートマチック車)
車種:メルセデス A-180 D・ 1800cc 5T オートマチック・エアコン付き。
ディーゼル車。
期間:12月07日(月) 17:10 賃借 、
12月14日(月) 16:23 返却 、
距離 : 1,249 km
燃料 : 83.33 L 、 91.48 Euro = 12,181円
1L あたり 1.098 Euro( 146 円)、
1L あたり 14.99 km (注)Diesel
金額 : 456.31 Euro X 132.822 = 60,608 円
(一日・ 8,658円)
写真は2009年ドイツのクリスマス:Schloss Liebenstein リーベンシュタイン城・Neckarwestheimネッカーべストハイム 、 -
≪Schloss Liebenstein リーベンシュタイン城 ≫
D-74382 Neckarwestheim 、Liebenstein 1
古城ホテル 全24室・3星 Euro151x2=302*
*Special Arrangement の利用;Schlemmen im Schloss Euro224x2=448
2泊、朝食込み、4品とそれに相応しいワイン付きの夕食;LAZULIの間と
3品の夕食;Kurfuerst選帝侯の間で。
Heilbronnの南の丘陵地帯、赤ワインのブドウ畑に囲まれた小高い丘にこの古城ホテルがある。1985年、大改修を行い、古城ホテル・レストランになっている。グルメレストランとしてLAZULIがあり、郷土料理にはKurfuerstのレストランがある。
Schlemmen im SchlossというアレンジはEuro224x2人=448ですので、2泊の室料302を差し引いたEuro146(19千円)が2回分の夕食代の計算になる。
料理内容・提供されたワインからみても、大変お得な、お値段だったと思えた。
写真は2009年ドイツのクリスマス:Schloss Liebenstein リーベンシュタイン城 -
<4品とそれに相応しいワイン付きの夕食;LAZULIの間>
アレンジメントでは最初の日は郷土料理とあったので、セーター姿で出かけてしまった。実際は順序が逆で、この夜はグルメレストランに案内され、メニューは4品とその料理にあった美味しいワインを、その都度提供された。
お客は2組で私共以外はドイツ人の中年のカップルでした。”Schlemmen im Schloss古城での美食“というスペシャルアレンジメントは予想以上に美味しい夕食を提供された。全独ランク1470位には正確には表れない、田舎の古城レストランの味に驚いた。
この所、よく利用するスペシャルアレンジメントは今回も正解でした。
丸天井のレストランはかつて領主の礼拝堂であったような雰囲気を持ち、クリスマスの飾りで装われた、素敵なレストランで大変満足の夕食となった
写真は2009年ドイツのクリスマス:Schloss Liebenstein リーベンシュタイン城・LAZULIの間 -
Heilbronnの南の丘陵地帯、赤ワインのブドウ畑に囲まれた小高い丘にこの古城ホテルがある。起源は12世紀に遡り、重厚な高いBergfried塔を残し、16世紀後半にルネッサンス様式で改造された。
元来は騎士の城であったものをヴュルテンベルグ公の城になり、17、8世紀には狩猟の城館として利用された。第二次大戦ではフランスの砲兵が放った砲撃で、塔と城の一部に被害が出たと城の歴史にある。
1985年、大改修を行い、古城ホテル・レストランになっている。グルメレストランとしてLAZULIがあり、郷土料理にはKurfuerst選帝侯のレストランがある。
ドイツでも稀少であるゴルフ場(1984年4月オープン)つきの古城ホテルとして人気が高かったが、その後はドイツにおけるゴルフ人気の上昇と共に、ゴルフ場に併設されたホテルという感じになっている。この日もゴルフ場の駐車場には各種の車が停まり、人気が窺い知れた。お水がサービスで0.25Lが2本、毎日提供されて、嬉しいものだ。
写真は2009年ドイツのクリスマス:Schloss Liebenstein リーベンシュタイン城・美しく装飾された階段 -
≪ドイツのクリスマス :2009年12月7日(月)~15日(火)≫
12月10日(木);小雨模様の寒い一日、5.5~7.5℃、
Rothenburgのクリスマス市 ; 16:00~16:50
Reiterlesmarktライターレスマルクトと呼ばれるクリスマス市です。この呼称があるとは知りませんでしたので、調べてみると、"Reiterle"の名はゲルマンの伝説に起源するらしい。Weihnachtsmannバイナハツマン(サンタクロース)と同じように、人々に幸福を運んでくると信じられていて、人々はその訪れを待ち、其の来訪を喜ぶのだと・・・。
ライターレの訪れる間、町々の通りにその印をつけ、人々に公正と平和を与え、人々はその一年を静かに、反省をもって振り返ってみる。
冬のローテンブルクはクリスマスの季節、その美しさを復活させる。市庁舎と聖ヤコブ教会の間で開かれるライターレスマルクトはこの地方で最も魅力のあるものと言われる。
営業時間 :2009年11月27日 - 2009年12月23日
月 - 木 11:00 - 19:00 金 11:00 - 20:00 土 10:30 - 20:00 日 10:30 - 19:00
写真は2009年ドイツのクリスマス:ローテンブルクのマルクト広場でローテンブルク:ライターレスマルクトと呼ばれるクリスマス市が開かれる広場 by jijidarumaさんマルクト広場 (ローテンブルク) 広場・公園
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≪ドイツの秋:ワイン街道とRheinland-Pfalz ・Saarland地方を巡る旅≫
Rheinland-Pfalzラインラント・プファルツ州 & Saarlandザールラント州:
ラインヘッセン・プファルツ・モーゼル・ナーエ地方のワイン産地
期間: 2010年10月18日(月)~11月01日(月)15日間の旅
Avisレンタカー予約:グループK(車種別 MB A-Klasse Automatik
車種:メルセデス A-180 CDI・1800cc 黒色 5T オートマチック・エアコン・
ナビ・電話付き、ディーゼル車。2008年からAタイプは4度目
期間:10月18日 (月) 15:30 賃借 、
10月31日 (日) 08:43 返却 、
距離 : 1,352.7km
燃料 : 90.05L Euro 112.13 (12982円)
1L あたり 1.245/L Euro( 144 円)、
1L あたり 15.02 km (注)Diesel
金額 : 600.09 Euro X 115.067 = 69,050 円
(一日・ 5,300円)
写真は2010年ドイツの秋:ワイン街道とRheinland-Pfalz ・Saarland地方
Blieskastelブリースカステルの町で、メルセデス A-180 -
10月20日(水)52km、朝曇り、のち快晴・今日も終日寒く7℃
城を目指して、細道を15分かけて登った。
<Wachtenburgヴァハテンブルク城>
この城は12世紀、シュタウフェン王朝・神聖ローマ帝国の城として築城された。
当初は“Veste Wachenheimヴァッヘンハイム要塞”と呼ばれていた。中央に高い天守閣(1329年)を持ち、周囲に城壁をめぐらし、5つの塔がある。
1375年、ライニンゲン伯とWorms・Mainz・Speyerの三都市連合の戦いで、破壊された。その後も城址の所有は変遷し、現在はヴァハテンブルク城址保存協会が所有している。
一部の塔部は修復中であった。Burgschaenke城のお休み処も無人(週末は開店!)で、汗をかいて登ってきたけれど、お茶も飲めない。
天守閣は鍵がかかっていたので上らなかったが、塔からの眺望は十分に素晴しく、ヴァッヘンハイムの町、その周辺を囲む黄葉の木々、ブドウ畑(凡そ320ha)の連なりが陽の光の下で、輝いて見える。この辺りも「プファルツのバルコニー」と称されるそうだ。
古城からの晴れた日の眺望はライン平野を見渡すことができ、ライン川の先、オーデンの森、黒い森も明瞭に見ることができると云うが、この日はなだらかな平野の先、ライン川あたりは雲がかかっていた・・・。
写真は2010年ラインプファルッ州とザールラント州:Wachenheimヴァッヘンハイム・Wachtenburgヴァハテンブルク城の秋 -
10月21日(木)90km 、快晴、6℃
<Pfalz・Deutsche Weinstrasseプファルツ・ドイツワイン街道>
Pfalzプファルツ地方はかつて「ライン・プファルツ(Rheinpfalz)」と言われてきたが、1993年より「プファルツ」と改名している。
北をラインヘッセン、南をフランスのアルザスに接し、美しいプファルツの森の丘陵地帯と並行し、帯状に広がる地域を走るドイツワイン街道はドイツ初で、かつ最も有名な街道、ドイツで2番目に大きいワイン産地を通る85kmの長さの観光街道である。
ドイツワイン街道(ドイチェ・ヴァインシュトラーセ)が全プフアルツ地域の南北を一直線に縦断している。
この街道はローマ時代からのもので、高名なワイン村が目白押しに連なる。ワイン街道は1935年に発案されたもので、フランスに接していることからフランスの影響があちこちに見られる。 http://www.deutsche-weinstrasse.de/
北のBockenheimボッケンハイムから、南のドイツワイン門(Deutsches Weintor)のあるアルザスに接する町・Schweigen-Rechtenbachシュヴァイゲン・レヒテンバッハに至る街道は、南から北に、あるいは北から南への道を、どちらを選んでも楽しい。
プファルツの森によって荒い西風から守られ、気候は温暖で、イタリアのトスカーナ地方のような景色が広がる。新しいワインが搾られ、楽しいワイン祭りを迎える秋にはこの一帯にほろ酔い気分の人たちを見ることでしょう。
写真は“プファルツのトスカーナ”ここにはプファルツのブドウ畑の海・秋の波が打ち寄せている。 -
イチオシ
St.Martinザンクト・マルティンはドイツで最も美しい村の一つとして、名高い。私共は初めての訪問だ。人口1,900人と小さな村だ。
この町の上にある城址を訪れ、山中を迂回して、Edenkobenエーデンコーベンへの道を走った。
山中から迂回し、降りて行った先に急に視界が開けた。素晴しい景観である。
そこにはブドウ畑が見事な美しさを見せていた。
ハイキングに来ていたドイツ人達もそれを見ながら休憩している。私共も“ドイツの秋、見ーつけた!”と思った。
なだらかな斜面を、ブドウ畑を両側に見ながら下りていく。Edenkobenエーデンコーベンは8km先にある。村の教会前の広場にバイエルン王ルートヴィヒ1世の像が立っていた。
像には次の言葉が書かれていた。“私の青年時代に過ごしたプファルツ・・・私が愛したプファルツの土地、プファルツの民もこの土地を愛し、私も愛してくれた。この土地は私の家、いつの日か、私の愛する妃と共に訪ねてみたいプファルツである。”と。
古いワイン農家の多い村内だが、先ほどの景観でもう十分な気がした。
写真は“プファルツのトスカーナ”ここにはプファルツのブドウ畑の海・秋の波が打ち寄せている。 -
10月21日(木)90km 、快晴、6℃
1200年以上の歴史を持ったワイン村・Edesheim エデスハイムを求めて走り回ることになった。村には行ったが、肝心の古城ホテルが見つからない。何度か同じ道を行き来するうち、街路樹の裏に辛うじて、ホテルの案内板を見つけた。
ここも人口2,300人のワイン村です。古城ホテルの城門をくぐり、周辺にブドウ畑が広がっている様子を見ながら、中に入った。
Hotel Schloss Edesheim古城ホテル シュロス エデスハイムに16:00に到着。ホテルの周辺は駐車している車で一杯なので、ホテルのレセプション前まで乗り入れさせてもらった。
<Hotel Schloss Edesheim古城ホテル シュロス エデスハイム>
D-67483 Edesheim 、Luitpoldstrasse 9
4星、38室。305号室(Brahmsブラームスの名がついた部屋・4階)
Euro104.63 x2=209.25
*ドイツ観光局で入手したこのホテルチェーンのVIPカードで10%引き。
Landauランダウ近郊、ドイツワイン街道、Burg Trendelburgの姉妹城。
Euro188 X2=376 、Special Arrangementを利用した。
http://www.schloss-edesheim.de/
プファルツの森自然公園に沿って、5haを超える庭園・ブドウ畑とともに、このホテルはthe Palatinate;神聖ローマ帝国の選帝侯領(ライン川西部のライン・プファルツ伯領)であった、ワイン生産地域の中心にあり、絵画的なエデスハイムの村中に立っている。
長い歴史に彩られた古城ホテルの部屋は19世紀のロマンティックなビーダーマイヤー様式で優雅に飾られている。大理石の浴室や、周辺の素晴らしい眺めは実に素晴しい。
メルヘン街道沿いの名高いBurghotel Trendelburg古城ホテル トレンデルブルク城、ラーン川沿いの中世以来のHotel Burg Staufenberg古城ホテル シュタウフェンベルク城、ラインガウのライン川畔のドイツ最古と称されるHotel Krone Assmannshausenホテル クローネ アスマンスハウゼンなど、Hotel Schloss Edesheimと同一グループに属している。
これらを泊り歩くKoenigstour王の4日ツアー・Kaisertour皇帝の8日ツアーもホテルでアレンジしているので、一度そんな機会も得たいものである。
写真はHotel Schloss Edesheim古城ホテル シュロス エデスハイムプファルツの魅力的な、メルヘンチックな古城ホテル エデスハイム城 by jijidarumaさんホテル シュロス エデスハイム ホテル
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10月22日(金)106km 、霜の降りる寒い朝、快晴、午後より曇り、5.5℃
Trifelsトリフェルス城は497mの山上にあり、山道を20分登ることになる。九十九折りの道を10分ほど行くと、右手にFelsen岩壁が出てきた。若い女性がロッククライミングの練習をしている。
≪Burg Trifelsトリフェルス城内見学≫
(9:50~11:35 入場料Euro2.1x2=4.2 )
トリフェルス城の名は三重に割れた岩壁の上にあることからTrifels の名になったと云う。9時にはオープンのはずだが、10時にならないと管理人が来ない様子なので、それまで本丸の先端にある岩の台地上に行き、こわごわと下をのぞいてみた。
毎週土日の3時にはリチャード獅子心王の劇が演じらるようだ。また、8月初めには観光客用に騎士祭りも催されると云う。
この城は18mx20mの岩盤上に建てられている。本丸には天守閣、幾つかの城郭がある。かつては3つの塔や礼拝堂などがあり、“帝国の宮廷”があったと云われている。
ここはシュタウフェン朝の神聖ローマ皇帝の帝国城砦の一つになっていた。20世紀になって、城は再建されたが、天守閣に登って、周辺を睥睨すると、よくマー、こんな場所に帝国城を建てたものだと思う。
トリフェルス城には城の模型、宮廷、“帝国の宝物館”があり、宝物館にはドイツ皇帝権の象徴物・宝石をちりばめた王冠や十字架があり、宝剣等が展示されていた。
(但し、本物はない。)
また、1192~1194年3月の間、イングランド王リチャード獅子心王(リチャード1世)が高額の身代金を支払うまで、城内の牢に幽閉されていたことがあり、それを説明した掲示がかかっていた。
1192.9.2:リチャード1世はエルサレム奪回ができず、サラディンと和約。
・リチャード1世は帰路途中に船が遭難し、陸路オーストリア領内を進む。
ウィーンの近くで捕えられレオポルト5世に引き渡される。
→1192.12-1193.3:デュルンシュタイン城に幽閉される。
(主君を探していた忠実な吟遊詩人Blondelが城の下を通りかかり、歌で王の囚われの場所を見つけた)
→その後ハインリヒ6世に引き渡され、ラインラント=プファルツのトリフェルスの城Burg Trifelsに移され、さらに1年幽閉。
→1194.2:莫大な身代金(15万マルク)を支払って自由の身となる。
写真は2010年ラインプファルッ州とザールラント州:Annweiler am Trifelsのアンヴァイラーの町・Trifelsトリフェルス城 -
<Schweigen-Rechtenbachシュヴァイゲン・レヒテンバッハ>
人口1,450人のシュヴァイゲン・レヒテンバッハはワイン村であり、独仏国境の町である。18mの高さの立派な“Weintorワインの門”が目玉である。
観光客もこれをバックに写真を撮る。ドイツ人グループを撮ってあげたら、お返しに私共を撮ってくれた。
トリフェルス城は晴天であったが、デーレンバッハ辺りから曇りだして、この村では5℃、寒くなってきた。
ワイン街道の終着点にワインの門が立っているが、元は1936年に作られ、第二次大戦後、ナチスのシンボルであったとして、排除された。その後、1955年再建されたもので、門を中心にレストラン、ホテル(4室)、庭園や、ワイン販売所がある。2008年に全面的に改装されて、きれいになっている。
仏側から見た門の壁には威圧するかのような大きな鷲の姿がある。そこにはナチスの象徴であるHakenkreuzハーケンクロイツがついていたと云うが、今は無い。
写真は南のドイツワイン門(Deutsches Weintor)
Das Deutsche Weintor, offen nach beiden Seiten: zur Pfalz und zum Elsass.ドイツワインの門はどちらの側にも門を開いている。その一つはプファルツであり、もう一方はエルザス(アルザス)である。 -
≪Victor's Residenz-Hotel Schloss Berg古城ホテル ビクター レジデンツ ホテル シュロスベルク
5星、113室。807号室(地上2階) 、Euro198
ホテルチェーン:Victor's Residenz Hotels
ドイツ・フランス・ルクセンブルクの国境(三国・三角地帯の中心地Lage im Herzen des Dreilaenderecks)に近く、地中海の別荘やルネサンスの宮殿といった雰囲気の古城ホテルはネニング村を見渡す丘の上に建てられている。
この高級古城ホテルは周囲をPerl-Nennigのブドウ畑に囲まれ、近くにサン・マルタンの洞窟もある。
主に三つの区域、①Villa・リゾートホテル、②Schloss Berg・グルメレストラン、③Landgasthaus ・レストランDie Scheune(納屋の意)に分かれている。
私共が宿泊した5つ星ホテル(2001年オープン)は地中海をイメージした①Villa・リゾートホテルと言った方が相応しく、地上2階、地下2階の合計4階の建物。丘の斜面を使って、中心に庭、左右にコの字型の建物を配したホテルである。
5星ホテルの本館にはルネサンス風庭園、室内プール、スチームルーム、トレーニング施設、サウナがあって、優雅なものである。
それと歩いて3分離れた所に②Schloss Berg ベルク城(写真)が立ち、世評にも高いグルメレストランVictor's Gourmet-Restaurant Schloss Bergがあり、近隣諸国から、グルメ客が訪れている。ベルク城に併設された公認のCasinoカジノがある。
(レストランはミシュラン3星、GaultMillau 19。全独ランク7位。席数34、従業員22名、ワイン760種。)
レストランとしてはグルメレストラン以外にも、5星ホテルの本館・地下に地中海料理のレストランBacchus Restaurantと、別棟になっている、③ビアガーデン付きレストランDie Scheune(納屋の意)がある。ここは郷土料理を主に提供していて、ホテルの様々なレストランが様々な客の要望に応えている。
このDoppelburgドッペルブルク(二重城・・二つの城郭を持ち、相互に連結したもの) であったSchloss Bergベルク城の歴史はGanerbenburg共同相続人の城と呼ばれたそうで、城の所有権には関係者が多かったらしい。
12世紀に遡り、二つの城(上と下の城)がベルクの領主貴族により築城され、当時は周囲を水で囲まれた水城であったと云う。1580年以降も、度々改築を施されている。下の城は私有され、その後、上の城はルネサンス風な宮殿に改築された。
第二次大戦末期に城は罹災し、1950年、ザールラント州が上の城を買い取り、1958年から青年の家や林間学校として利用してきたと云う。
1990年、今日の形になり、現在の贅沢なホテル・レストラン・カジノがそれである。
写真は2010年ラインプファルッ州とザールラント州:Perl-Nennig/Moselペアル・ネニッヒ村にある古城ホテル・Victor's Residenz-Hotel Schloss Bergビクター レジデンツ ホテル シュロスベルク三国・三角地帯の中心地Perl-Nennigには5星ビクター レジデンツ ホテル シュロスベルクがあり、ミシュラン3星のグルメを楽しめる。 by jijidarumaさんビクターズ レジデンツ ホテル シュロス ベルグ ホテル
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10月27日(水)80km 、比較的暖か、朝小雨のち曇り、時々晴れ、8.5℃
予約時間の10分前にロビーに下りると、コンシェルジュが暗くなった道をレストランまで案内してくれた。
併設されたカジノのネオンが明るく、彼女に聞いてみると、業績はあまり良さそうな感じではなかったが・・・。駐車場のお客が全てホテルのお客とも思えず、それなりにカジノ目当てのお客もあるようだ。
レストランには一番乗りのようだ。その後に来られた中年のカップルと共に、レストラン前のソファーに座って、アペリティーフ(私はお薦めの自家製ゼクト、家内はいつものライシェリー)を頼む。
定刻19時に席に案内される。席は一番奥のテーブルの一つ手前右手である。
<レストラン シュロスベルクにて夕食>
19:00~23:00 Euro394.3(45,259円)
ミシュラン3星、GaultMillau 19。全独ランク7位。
席数34、従業員22名、ワイン760種。
シェフ:Christian Bauクリスチャン バウ
メニューは4品Euro120、5品130、6品140、7品150、8品160とある。
2005年(34歳のバウは当時、最も若い3星シェフ)以来、ミシュラン3星を獲得しているシュロスベルクには興味もあって、わざわざ一日行程を遅らせた。
因みに彼はドイツのOffenburgオッフェンブルク(Freiburgに近い黒い森の麓にある。6万人都市)生まれ、ドイツ人マイスター・シェフと書かれていますが、ゲルマンではなく、トルコ系かもしれません。世界で3星シェフは42人、その一人なのです。
シェフ夫妻は3年前にシンガポール経由で、日本を訪問し、築地市場なども見学したのだそうだ。この事もあって、日本の料理の味、あるいは日本的な品に興味を抱いたという。
写真は古城ホテル・Victor's Residenz-Hotel Schloss Bergビクター レジデンツ ホテル シュロスベルク:レストラン シュロスベルクにて夕食
飲み物:アペリティーフ(私はスタッフお勧めの自家製ゼクト、家内はドライシェリーEuro9.5+6)、タウナス産の水Euro8.8、そしてワインはDr.Heger Spaetburgunder trocken 3Stein ;Ihringer Winklerberg 2001年・赤を一本(Weingut Dr.Herger:Ihringen / Kaiserstuhl /Baden・バーデンワインの名醸地)Euro90。 合計Euro 114.3。
HPからメニュー内容を見ることができ、出発前にコピーして、持参したが、こちらは事前の学習効果はなかった。
というのも、通常のメニューとは別に最近、シェフ クリスチャン バウが推進している≪Carte Blancheカルト・ブランシュ(白紙・シェフに自由裁量権を与えるという意味: Entdeckungsreise ohne Karteお品書き無しの探検旅行≫という、レストランお勧めを選択したからである。
つまりは日本でもよくある“お任せ”料理でしょう。日本料理の影響をおおいに感じた。
選んだのは私が6品Euro140、家内が4品Euro120でした。
食事後に頂いたCarte Blancheカルト・ブランシュのメニューはちゃんと私共の名前と、シェフのサイン入り、今日の日付入りのものでした。
シェフのご挨拶(7品):
・パルマハムムースをつけたロールビスケット、塩ローストアーモンド。
・カレー味のマカダミア・ナッツ。(尚、1品目と一緒に出た)
・ジントニック入り牛肉にウズラの卵とキャビアのせ。
・海老クラッカーにメカジキ、フェンネルと緑のリンゴのせ。
・サーモン、アボガド、柚子、コリアンダーのコルネット。
・カラメル状(プラリネ)の、ナッツ入りフォアグラのアイスクリーム、
カフェとサクランボ。
・ホウレンソウと半熟有機卵、ビネガーとハブーコ(イベリアハム)・生ハムのムース(発泡)。
前菜:ウミザリガニ
・キヌア(栄養価の高い穀物)、緑のリンゴ、ヴィネグレットのソース。
本マグロとハマチ(ブリ)
・ピクルス、大豆・ムシパン、日本の調味料で味付け。
赤ガンベローニ(大きめのエビ)
・鉄板焼き(アラプランチャ)、カリフラワー、松葉だき、アオサ(海藻)入りコシヒカリのスープ(おもゆ)添え。
メイン(魚):大西洋産の鰈、海ザリガニ、バーベナ(ハーブ)、緑のアスパラ添え。
メイン(肉):和牛、ビーツ、キクイモ、トリュフ添え。
デザート:洋ナシのタルト、カラメル、ブリオッシュ(フランスの菓子パン)。
世界のトップ・パティシエたちに愛されるヴァローナのチョコレートとクルミ;
生チョコ、クルミのクリーム、アイボリー?と抹茶のアイスクリーム。
コーヒー:チョコレートなど共に。 -
≪かつての東ドイツ:ルター諸都市・Berlin・Dresdenなどを巡る旅≫
期間:2011年05月13日(金)~05月27日(金)15日間の旅
旧東ドイツの地域である、ザクセン・アンハルト州、ブランデンブルク州、ベルリン州(特別市)、ザクセン自由州、テューリンゲン自由州の各州を順次、巡る旅である。とりわけ、今まで訪れる事のなかったザクセン・アンハルトの古城群、ザクセンの古城群を見て回り、しかも、エルベ川沿いのザクセンワイン街道、二つの川ザーレ・ウンシュトルートの川沿いの急斜面に広がる、ドイツ13番目、最北のワイン産地である、ザーレ・ウンシュトルート・ワイン街道を楽しむ。
5月19日(木);快晴、ライプツィヒで夕立ち、20℃、
Sachsen-Anhalt Burgenlandザクセン・アンハルト州の古城群観光;その1
Schloss Lodersleben古城ホテル シュロス ロダースレーベン、Burg Querfurtクエルフルト城、Schloss Neuenburgノイエンブルク城、Domメルゼブルク大聖堂(宝物館)、Schloss Merseburgメルゼブルク城(博物館)、Leipzigライプツィヒ観光、Voelkerschlachtdenkmal Leipzigライプツィヒ諸国民戦争記念碑、
南に抜けるB2・B95と繋ぎ、少し早めに右折したらしく、Kohren-Sahlisコーレン‐ザーリスの陶芸の里を経由し、山間の狭い道に入り込んだ。
やがて草原の先にBurg Gnandsteinグナンドシュタイン城が見えてきた。
写真は2011年旧東独:Burghotel Gnandstein古城ホテル ブルクホテル グナンドシュタイン城
<Burghotel Gnandstein古城ホテル ブルクホテル グナンドシュタイン>
D-04655 Kohren-Sahlis/Gnandstein 、Burgstrasse 3
http://www.gnandstein.de/dieburg.html
?星・全?室。私共の部屋が一番奥まった所で14号室(2階)Himmelbett付きでした。
部屋にシャンパンのボトル一本など。2泊分;Euro92(現金)*(10,856円)
DZ;Euro67+8x2=16 Total Euro83X2=166 =>2泊Euro199現金払い)
*Special Arrangement ”Romantiktageロマンチックな日々“を利用した。
Leipzigの南50kmに位置し 、Muldeムルデ川流域のザクセン古城群の一つとしてよく知られている。ザクセン州で中世の騎士の城として、最も保存状態が良い城である。Kohrenerコーレンナー地方の中心Kohren-Sahlisコーレン‐ザーリスの町の一角にあり、Leipzig ライプツィヒと Chemnitzケムニッツの間にあって、美しい、魅力的な保養地にある。
城門を二度くぐって入った城の中心の空間はDer Burghofブルクホフと称し、南北の回廊ともいえる別棟にはゴブランのかかるDas Richterzimmer裁判官の間、その傍に丸天井が特徴的な三つの間、かつてのDie Gerichtsstube裁判の間が南に、騎士の宴などに利用されるDie Ritterstube騎士の間、Die Bastion稜堡が北にある。門を入った右手には博物館と33mの天守閣があり、左手奥にホテル・レストラン棟が配置されていた。
レストランの中心はBlaues Restaurant紺色のレストランで中央に白の大きな暖炉が置かれている。離れた空間としては、黄色の暖かな色合いをした個室のようなWintergarten冬の庭(温室)と称するレストラン、催しに使えるKabinettレストランは鮭の肌色だ。
建物の外には村の家並みを俯瞰し、村の周囲の景観を眺めるDie Panoramaterrasseパノラマテラスなどがある。
そのテラスには大きな菩提樹が涼やかな木陰を作っていた。
グナンドシュタイン城の歴史;
1228年、Heinrich und Conrad von Schladebachシュラーデバッハ兄弟のハインリヒとコンラットの居城として築城された。25mの深さの井戸があり、最初の頃は3階建てのものであったが、周囲に二重の城壁を築いた。更に城郭の中心に円形の天守閣(33m・155段)を築き、ゴシック様式の建物、礼拝堂も備えた。
1327年、 Burggrafen von Leisnigライスニッヒ伯の居城
1409年、Hildebrand I.von Einsiedelアインジーデル家のヒルデブランド1世が所有し、
30年戦争の間はスウェ―デン軍に攻略され、一部は損害を被った。戦争の終る寸前に落雷で南翼が焼失した。
18世紀初めに内部は完全に修復され、石作りのアーケードは良く保たれている。
1929年、Hans von Einsiedel はグナンドシュタイン城の最後の所有者になったが、新たに城の改装を行い、城内博物館を設け、礼拝堂と共に一般に公開した。
1932年から、カフェ・レストランを開業。Einsiedelアインジーデル家は15世紀の初め以来、連綿として家系を繋ぎ、第二次大戦末期まで、この城に居住した。
第二次大戦後、1990年の初め、塔、城郭内は考古学上の発掘が行われた。
1992年、ザクセン州の古城・宮殿・公園管理協会の管理下におかれた。
1994年~2004年の間、大改装が行われ、古城ホテルがオープンした。
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≪かつての東ドイツ:ルター諸都市・Berlin・Dresdenなどを巡る旅≫
Avisレンタカー予約:グループK(車種別 MB A-Klasse Automatik
車種:メルセデス A-180 CDI・1800cc 灰色 5T オートマチック・エアコン・ナビ・電話付き、ディーゼル車。2008年からAタイプは5度目。
期間:05月15日 (日) 09:10 賃借 、
05月26日 (木) 17:07 返却 、
距離 : 2,153 km
燃料 : 133.34L Euro 189.82 (22,463円)
1L あたり 1.424/L Euro( 168 円)、
1L あたり 16.14 km (注)Diesel
金額 : 553.64 Euro X 117.857 = 65,250 円
(一日・ 5,440円)
5月21日(土);快晴、21℃、
エルベ川沿いのここにDrei Elbschloesser エルベの3宮殿が隣同士に立っているので、目立ったから直ぐに分かった。
それはドレスデンから来ると順にSchloss Albrechsbergアルブレヒトベルク宮殿(19世紀、プロイセンのプリンス アルブレヒトの宮殿)、
Lingner Schlossリングナー宮殿 (元来はVilla Stockhauzenヴィラ シュトックハウゼンと呼ばれた;19世紀に建てられたシュトックハウゼン男爵の宮殿風別荘を1906年に、口内消毒剤・殺菌剤・血清などで財をなした実業家であり、慈善家として知られたリングナーが購入した)、
そして最後は宿泊先のHotel Schloss Eckberg古城ホテル エックベルク城である。
<Hotel Schloss Eckberg古城ホテル シュロス エックベルク>
D-01099 Dresden 、Bautzner Strasse 134
5星・全84室( 本城内17、騎士の家に67)、
410号室(3階)Junior -Suite im Turmzimmer
;Euro223x2=439(51,402円)
Euro323x2=646 (Arrangement:Dresdner Wochenendeドレスデンの週末)
http://www.schloss-eckberg.de/
このホテルはElbeエルベ川の上流、ドレスデンの旧市街とWeisser Hirsch白鹿地区の間に立地し、そこには緑地庭園にあり、昔からある木々に囲まれた豪華な5星ホテルである。
Schloss Eckbergは歴史ある宮殿を利用したホテルで、1997年以来の家族経営。
エックベルク城の静穏で高級な雰囲気と魅力的な庭園は特筆もので、川岸に面した本館や、あるいは美しいCavalier's Houseキャヴァリアーハウス(騎士の家)のエレガントな客室に滞在することができ、スパエリアも備わっている。駐車場は無料。
市電の停留所はホテルからわずか150mにあり、そこからドレスデンの旧市街へ15分の距離である。(ドレスデン エルベ渓谷 から 3.0 km、 ドレスデン から 4.6 km。)
Restaurant Wintergarten、holzgetaefelten , historischen Gartensaalなど。
エックベルク城の歴史:
エックベルク城はドレスデンのエルベ川右岸にあるヴィラであり、エルベの三つの小城の一つと称される。
このチューダー様式の城は1851年から61年にかけて、大商人Jean Daniel Souchayが建築主として発注し、Fabrikantenvillaファブリカンテンヴィラ(つまり工場主のヴィラ)と言われる建物を、ドレスデンの建築家Christian Friedrich Arnoldクリスチャン・フリードリッヒ・アーノルド(ドレスデンゼンパーオペラ劇場の建設者ゼンパーの弟子)の設計で、岩壁の張り出し部分に建てた。
薬剤師 のマイエンブルク家のオットーマル・ハインシウス(1865?1932)が歯磨き粉の開発・販売で得た大きな富で、1926年、エックベルク城を購入し、居住した。
その後、弟のゲオルクが所有し、あまり必要性のない増築・改造をしたとも云われている。
何度か、所有者が代わったが、1994年、ミュンヘンの不動産グループARGENTAアルゲンタが所有し、城の改修を行い、公園(1997年)を造った。
現在はイタリアのインテリアデザイナー・Danilo Silvestrinダニーロ・シルヴェストリンによって設計された最高級ホテルとなっている
写真はドレスデン・古城ホテル シュロス エックベルク前で:メルセデス A-180 ・・・左手の塔内に410号室(3階)Junior -Suite im Turmzimmerがあった。Hotel Schloss Eckberg ホテル
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5月23日(月);快晴、26℃、
今日は“ザクセンのスイス”を目指す。
B6はドイツの少数民族ソルブ人の町Bautzenバウツェンに向かう国道だが、Rossendorf辺りで道を外れ、L?を行く。 24kmの距離でStolpenシュトルペンに着いた(10:15)。
この日は元々、ドレスデンからピルナというザクセンのスイスの入口に行く行程を考えていたのだが、その前に少し寄り道したのだ。
ドレスデンから真東に行くと、シュトルペンという町があり、ここにBurg Stolpenシュトルペン城という中世の雰囲気に満ちた古城が立っている。
ドイツ観光局で以前にもらっていた、ザクセン地方の古城群を案内した8ページのパンフレットでこの城の事を知り、49年も幽囚されたコ‐ゼル伯爵夫人にからむ三つの宮殿・城(Schloss Nossen ・Schloss Pillnitz・Burg Stolpen)を是非、訪ねたいと思った。
とりわけ、その生涯の大部分を過ごしたBurg Stolpenシュトルペン城は興味深く、すでに二つの宮殿・城を見て、ここが最後の訪問地になる。
写真は2011年旧東独:Burg Stolpenシュトルペン城
<Burg Stolpenシュトルペン城>
入場券Euro10、 10:15~11:45
D-01833 Stolpen 、Schlossstrasse 10
http://www.burg-stolpen.de/
Lausitzer Berglandラウジッツ山地の西の端に、シュトルペン城(要塞)があり、およそ17kmでチェコの国境に至る。・・が、国境を越えるには徒歩で行く道しかないと云う。
ドレスデンから20km東に位置する。
ザクセンの古城群を紹介する小冊子に、この城の題名を“Schiksalsjahre einer Maetresse愛妾の運命の年月“と書いてあったが、この城の800年を越える歴史で、もっとも知られた人物は85歳で死ぬまで幽閉されたコーゼル伯爵夫人である。
【Graefin Constantia von Cosel;49Jahre Gefangene auf Burg Stolpenコーゼル伯爵夫人はシュトルペン城で死ぬまでの49年間を幽囚された】
Graefin Constantia von Coselアンナ・コンスタンティア・コーゼル伯爵夫人(1680年生まれ)はドレスデンの歴史を造ったザクセン王・ザクセン選帝侯であるアウグスト強王(1670~1733年)の愛妾であった。シュトルペン城 城・宮殿
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<ザクセン・スイス地方観光>
Nationalpark Saechsische Schweizザクセン・スイス国立公園
Elbsandstein-Gebirgeエルベ砂岩山地であるザクセン・スイス国立公園には息を呑むほどの奇妙な形の岩がそびえ立つ峡谷が続いている。巨石群バスタイとバスタイ橋、Lilienstein、リリエンシュタイン百合の岩、Festung Koenigsteinケーニヒシュタイン要塞などが代表的なものだ。
巨石群バスタイの景観とエルベ川を下に臨む光景はやはり美しい。
写真は2011年旧東独:Basteiバスタイバスタイ橋 建造物
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≪ロマンチック街道とシュヴェービッシュ・アルプ街道、古城街道の旅≫
(2012.05.15.~29. 15日間)
ヘッセン州、バイエルン州、バーデン・ヴュルテンベルク州を巡る旅である。
ドイツ13のワイン産地の内、フランケンワイン、ヴュルテンベルガーワインのワイン街道を楽しむ。
5月は“麗わしの春”の季節。昨年に続き5月の旅を選んだ。
今回はかつて度々走ったWuerzburgヴュルツブルクからAugsburgアウクスブルクまでのロマンチック街道の北半分を予定し、そして西に走って、Ulmウルムを久しぶりに訪れ、そこから北に戻って行き、シュヴェービッシュ・アルプ街道、最後はまたまた懐かしの古城街道を巡るという旅にしました。
Avisレンタカー予約:グループK(車種別 MB A-Klasse Automatik)
車種:グループD(車種別 MB B-Klasse Automatik
Renault Scenicルノー・セニック・2000cc・ ガソリン車・黒 5T
メルセデス Aクラス オートマチック車が丁度出てしまったので、代換車として、上記の上級車を提供された。
期間:05月15日 (火) 14:53 賃借 、
05月28日 (月) 17:11 返却 、
距離 : 1,778 km
燃料 : 159.57 L Euro 258.23 (26,732円)
1L あたり 1.618 Euro( 167円)
1L あたり 11.14 km
金額 : 557.98 Euro X 101.545 = 56,660 円(一日・4,047円)
5月16日(水);夜雨あり、朝方は時にシャワー、後晴・一日中寒い14℃、
Lohrロアー(白雪姫伝説の町)の川畔駐車場を出て、B26を北東に向かい11km 先のGemuendenグムンデンを経由、Fraenkischen Saaleフランケン・ザーレ川沿いに更に北東に25kmを走って行くと、徐々にブドウ畑の丘陵が見えてきた。
もうHammelburg ハンメルブルクの町なのだ。人口12千人のロマンチックな町には35分で到着した。
写真は古城ホテル ザーレック城の駐車場で:Renault Scenicルノー・セニック・2000cc -
<Hotel Schloss Saaleck 古城ホテル ザーレック城>
D-97762 Hammelburg 、Saaleckstrasse 1
8号室(2階)
http://www.burgsaaleck.de
全14室、DZ=Euro119(12,378円)。レストランは19時に予約済み:月は休み。
8号室(2階)は大変広いもので、室内には洋梨などの果物が置かれ、ジュースや赤ワインの小瓶0.2L、水など、無料サービスとなっていて、たいへん満足した。
城の歴史:
西暦800年頃にザーレックの地に小さな教会が建てられた。当時、Rhoenレーン地方のキリスト教化の為、かつての異教徒の地に、キリスト教徒が移住し、砦や町を作り、教会が建てられていった。
元々はフルダの領主司教の勢力下にあり、Hohen Rhoen高地レーン地方の重要な拠点になっていた。ザーレック城の天守閣は1100年代のもので、ザーレ一帯の防御塁として、メロビンガー&フランケン時代のシンボルである。天守閣は1749年まで、囚人用の牢獄として使用されていた。126段の天守閣に登ると、フランケン・ザーレ川沿い一帯からレーン地方の眺望を楽しむ事が出来る。
農民戦争に備えて、城は強大化したが、農民の攻撃で罹災し、廃墟になったが、現在は古城ホテル・レストランとなり、ワイン醸造所を所有する。
写真は2012年古城ホテル ザーレック城と雲海
ザーレック城は雲海の上にありました。翌朝、天守閣の126段、誰もいない塔に登ると、目に入った眼下は雲海でした。
ハンメルブルクの町も、葡萄畑、ザーレ川も皆雲の下です。このような光景を今まで見た事が無く、自然の気象が生み出したものに驚き、感激した。 -
5月20日(日); 晴、30℃、
<Oettingenエッティンゲン観光>
:中世祭り見学 14:50~15:45 入場券Euro18
Oettingenエッティンゲンの町はドナウ川支流のヴェルニッツ川沿い、直径25kmの巨大な隕石クレーターであるリース盆地の北縁部に位置する。
エッティンゲンは1522~1731年の200年間にわたり、Grafschaft Oettingen.エッティンゲン伯領つまり、Oettingen-Wallersteinエッティンゲン・ヴァラーシュタインとOettingen-Oettingenエッティンゲン・エッティンゲンという、両家の首都でした。
1806年にバイエルン王国領となった。人口5千人だから、村と言っても良い。
写真は2012年エッティンゲンの町の中世祭りで
いちいち訪れる町や博物館などの、行事や日程を常に確かめてはいない。
だから、町や大学の行事で訪れた場所が観光客を締めだすとか、純然たる休館で涙をのんだことはしばしばである。その逆に予想もしなかった特別展や催しに出会って、その僥倖に感謝する事もあった。
Oettingenエッティンゲンは小さな町だが、その僥倖に出会った。
所謂、“中世の祭り”である。この町では“Historischer Markt(直訳すれば、歴史市場)”という言い方をしているが、1984年から開催されたもので、もう25年以上になる。
その祭りの内容は先に訪れた“ディンケルスビュールのキンダーツェッヒェの祭り”や、各地の古城を中心に行われる“Burgfest城祭り”と、似たり寄ったりのものだ。
*“Historischer Markt mit Ritterturnier騎士の馬上槍試合が目玉である中世祭り” 祭りの期間は5月18日~20日、金土日の週末3日間に町をあげて、開催される。
http://www.historischermarkt-oettingen.de/htm/geschichte.htm
5月18日(金)19時~ “Die Nacht der Narren道化たちの夜”
5月19日(土)13時半~ Historischer Umzug中世の行列、
Ritter-Turnier im Hofgarten宮廷庭園での騎士の馬上槍試合
5月20日(日)10時~ 中世の行列、馬上槍試合、最後をZapfenstreich(tattooタトゥー;松明とドラム?パフォーマンス)により終わる。
金曜日の夜から、“馬鹿騒ぎ”のスタートのようだ。私共が訪れた日は日曜日、祭りの最終日になる。こうした中世の祭りを謳った場を直接見るのは初めての事で、興味深く、実に面白かった。日程に余裕があれば、ここに宿泊して3日間を楽しむのも良いかもしれない。
旧市街は完全に閉鎖された空間になる。つまり訪れた人から、入場料を各入口で徴収する。1日分は大人Euro9だから、高い。(因みに週末2日間はEuro11とパンフレットにあった。)
これでは旧市街や王宮の見学はままならないと思い、祭りを楽しもうと覚悟して、入場券を買い、旧市街に入った。
仮装の人々の間をくぐって、前に進む。往来の両側に様々な中世のあらゆる(多分!)職業の店が出ている。鍛冶屋、革細工、陶器屋、石工、薬屋、床屋、弓作り、染物師、靴屋、仕立屋、銀細工師、織工、ガラス細工、パン屋、酒場、食事処など、あの時代にメガネ屋まであったのには驚いた。
Saumarktザウマルクト(かつて“Sauザウ=豚”の取引市場があった)に大通りを左折して向かう。広場があって、サーカスの大道芸人が曲芸技を披露している。
この先はヴェルニッツ川沿いに広がる宮廷庭園があり、馬上槍試合の場だ。1時の試合が終了し、次は5時なので、これでは無理だ。
恐ろしげな2mの大男がやってきたので、写真を一緒に撮らせてもらった。怖い顔・怖い格好をしていたが、案外に親切な人でした。
さらに川向うの草原には30年戦争当時を懐かしむ野営地があり、旧教派の皇帝軍の野営地では野戦炊事場、教練、大砲・鉄砲試技等を見せるらしい。(ローテンブルクの聖霊降臨祭=マイスタートルンクや、ディンケルスビュールのキンダーツェッヒェの祭りも)
色々な広場で魔法使いや火吹き男の実演、合唱・合奏団、ライブ・ミュージックの演奏、子供たちにはグリム童話のマリオネット(人形芝居)が用意されていた。
木組み建築の家並みが続き、白樺の5月柱も立っている。 -
5月26日(土); 快晴で気持ち良い一日、26℃、
ゲッツェンブルク城を9:40に出発。->L? 17km Moeckmuehlメックミュール城到着・見学10:10~10:40 -> Die Burgenstrasse古城街道巡り->
<Burg Hornberg古城ホテル・ホルンベルグ(角の山)城>
この旅で41番目の城。 14:05~15:10
D-74865 Neckarzimmern
http://www.burg-hornberg.de
人口1500人の小さな村Neckarzimmernネッカーツィメルンはネッカー川沿いに細長い。街道沿いの急斜面の丘の上に立ち、高さ27mの塔(12世紀末)を持ったホルンベルク城はネッカー川畔からも良く見えて、古城の趣に満ちた景観である。
古城にはレストラン棟とホテル棟(全24室)が設けられている。
古城街道の城巡りの際、ちょうど休憩に適した場所にあり、ここのレストランGoetzensaalゲッツの間・パノラマレストランからのネッカー川の眺望は大変素晴らしく、遠くにBurg Guttenburgグッテンベルグ城も見え、眼下に見えるネッカー川、川沿いを走る鉄道など、実に魅力的な場所である。この事もあり、昼食やお茶、そして夕食に何度も訪れている。
http://www.neckarzimmern.de/
城の歴史と今:
12世紀にホルンベルク城の起源がある。長い間、Bistums von Speyerシュパイヤー大司教の治下にあって、城主の交代のたびに城は改装、補修されて、現在の城に残っているのはゴシックからルネッサンス様式まで見られる。
この城は“鉄腕ゲッツ”の居城として世に知られている。16世紀の農民戦争で活躍した、鉄腕の騎士“鉄腕ゲッツ” Goetz von Berlichingen ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン”は1517年にホルンベルク城を購入し、その後半生の45年を過ごした。
城主となり、名もGoetz von Berlichingen zu Hornberg ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン・ツゥ・ホルンベルクと改名した。ゲッツはホルンベルク城で家族と共に生活し、1562年、82歳でホルンベルク城にて死去した。
Berlichingen zu Hornbergホルンベルクのベルリヒンゲン家の名は、その後も息子や孫が受け継いでいる。
この城でゲッツは自らの回想録を残したので、これを読んだ文豪ゲーテが戯曲作品“Goetz von Berlichingenゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン”を書き、この事で世に知られた。
現在のオーナーであるFreiherren von Gemmingen ゲミンゲン男爵家の祖先が1612年、ホルンベルク城をゲッツの孫から購入し、以降12代の城主たちがこの地を治めてきた。
30年戦争中の1634年、1645年の2度にわたり、攻城軍の占領、略奪にあう。
1689年、プファルツ継承戦争でルイ14世の仏軍により、城は焼き払われた。1700年、度重なる戦争被害を受けたので大修復を行った。だが、1738年以降になると、城は無住となり、19世紀まで徐々に廃墟化が進んだ。
1825年、ロマン主義の流行で、古城懐古の風潮が起こり、ゲミンゲン家は居城として再建。20世紀前半から大規模修復が行われ、1930年代にはゲミンゲン家の家族が住み始める。
1953年、ネッカーを一望できるレストランを開業する。
1957年には古城ホテルもオープンする。また、古城はブドウ畑に囲まれていて、ワインの醸造も行っている。
2012年はゲッツがホルンベルク城で死去してから450年、現オーナーのゲミンゲン家の祖先が城主となってから、400年の記念年である。
写真は2012年古城街道:古城ホテル・ホルンベルグ(角の山)城古城街道の城巡りで度々訪れた“鉄腕ゲッツ”の居城・ホルンベルグ城 by jijidarumaさんホテル - レストラン ベルク ホルンベルク ホテル
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イチオシ
5月27日(日);曇り時々晴れ間、25℃、
ハイデルベルクの町観光、Schloss Schwetzingenシュヴェツィンゲン宮殿を見て、フランクフルト近郊の古城ホテル クロンベルク城で最後の宿泊をした。
<Schlosshotel Kronberg 古城ホテル クロンベルク城>
この旅で50番目の城となる。
D- 61476 Kronberg 、Hainstrasse 25
120号室(2階) Euro205(20,896円)
http://www.schlosshotel-kronberg.de/
フランクフルトの北西にTaunusタウナスと呼ばれる丘陵地帯が続く。この辺りはフランクフルトの高級住宅街になっているので、クロンベルクの町は小さいながらも、瀟洒な店が多いと云う。その町外れに古城ホテル クロンベルク城がある。
美しいタウナスの森に位置する5星古城ホテルは全部で58室と規模も大きい。
DZ室料は早期予約割引価格だったが、Euro155+朝食代2人分Euro 50=Euro205でした。
チェックイン15時=>チェクアウト時間が12時で大変ありがたいものだった。
120号室(2階)はレセプションにも近い、古城ホテルの右手部分にあたる。ゴブラン織りの壁掛けが架かった階段でも、エレベーターでも上がれる。
森に囲まれ、直営のゴルフコースを持つ5星の古城ホテルはさすがに格調高く、広い部屋と立派なベッド、家具・調度、広い浴室には値段以上のものがある。
グルメレストランはSchlossrestaurantシュロスレストランと称し、フレンチ料理を主としている。時代がかった素晴しい室内は皇妃ヴィクトリアと皇帝フリードリヒ3世の肖像画だろう絵画が壁にかけられ、天井も高々とし、立派な暖炉を中心にした40席のレストランである。暖かな季節のなると、ゴルフコースに面して、日除けで覆われた広いテラスレストランがオープンする。
シュロスレストランと隣り合わせの間には、Roter Salon 赤のサロン(客間)と称するレストランがある。かつて皇妃ヴィクトリアが蒐集した芸術品などを収納・展示していた場所であったようです。それ以前は社交のサロンとしても使われたのでしょう。105㎡と広めの部屋で、素晴しいべルギー製のゴブラン織りの壁掛けや、見事な大きな暖炉がある。
宿泊客の通常の夕食にはシュロスレストランが使われますが、赤のサロンは祝宴用(正式な晩餐会などに)に使用され、これ以外にも緑のサロン、青のサロンといったものもある。
Gault Millau14点。全独ランク720位は5星にしては評価が低く思われる。2010年参考評価だが、以降は評価されていない。ホテルはこの種の調査に協力していないようだ。
ホテル前に18ホール(パー68)のゴルフ場もある。
城の歴史;
元々はFriedrich III.ドイツ皇帝フリードリヒ3世(1831~1888年)の皇妃Victoria Adelaide Mary Louiseヴィクトリア・アデレイド・メアリ・ルイーズ(1840~1901年)が、その余生を過ごした所である。
ヴィクトリアは1840年に英国女王ヴィクトリアの長女に生まれ、18歳でプロイセン皇太子フリードリヒ3世に嫁いだ。義父であったドイツ皇帝ヴィルヘルム1世が91歳まで長生きした事もあり、夫フリードリヒ3世は皇位にたった99日間就いただけであったと云う。1888年、ドイツ皇帝フリードリヒ3世は1世の死後3ヶ月で急逝した。ヴィクトリアが48歳の時でしたが、その為3ヶ月間しか皇后の座に就くことができなかったことになる。
急遽、息子のヴィルヘルム2世(ドイツ最後の皇帝;1859~1941年)が後を継いだ。
皇帝の死後、皇妃ヴィクトリアの為に建てられたチューダ―様式の城館は1889~94年に建設され、広々とした英国風庭園、バラ園が周囲を囲み、城内の家具、調度品、絵画などの芸術品も彼女の愛したものばかりが飾られた。
1901年、61歳の皇妃ヴィクトリアはこの城で死去した。
城館は“Das kaiserliche Schloss皇帝の城”に相応しく、1954年にオープンした古城ホテルのロビー、廊下、レストラン、客室に、現在も彼女の愛したものが見事に残されている。最大のロイヤルスイート114号は皇帝ヴィルヘルム2世が滞在したことで知られる。
尚、この古城ホテルと同様に、ヘッセン家財団が所有するワイン醸造所、5星ホテル、古城・陶磁器コレクション博物館があるとのことだ。
写真は2012年:古城ホテル クロンベルク城シュロスホテル クロンベルク ホテル
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<夕食:古城ホテル クロンベルク城 シュロスレストラン・テラスで>
20:00~23:00 Euro188.1(19,224円)
一階に降りて、絵画や重々しい調度が並ぶ、長い廊下を歩き、グルメレストランのSchlossrestaurantシュロスレストランに向かう。ここはフレンチ料理を主とし、時代がかった素晴しい室内は皇妃ヴィクトリアと皇帝フリードリヒ3世の肖像画だろう絵画が壁にかけられ、天井も高々とし、立派な暖炉を中心にした40席のレストランである。
駐在の頃、ここで接待の食事をしたことがある。当時と雰囲気は変っていないようだ。
午後8時と言っても、まだまだ明るく、これもドイツ的な好み、配慮なのでしょうか?
シュロスレストランではなく、ゴルフコースに面し、日除けで覆われたテラスレストランに席は設けられていた。広いテラスは40席以上ありそうで、今夕のお客さんは皆こちらに招じられて座っていた。
さて、このSchlosshotel Kronberg古城ホテル クロンベルク城の所有するワイン醸造所がドイツ有数のワイン産地・Rheingau‐Johannisbergラインガウ・ヨハニスベルクにある。名前は“Prinz von Hessenヘッセンの王子”という。
是非、このワインを賞味したいと思っていた。食事は3品のシュパーゲル料理を注文。
飲み物;アペリティーフはホテルお薦めのPRINZ VON HESSENのゼクト(シャンパン)。
ワインはPRINZ VON HESSEN in Johannisberg im Rheingau Riesling 2009(Euro64)
2009年リースリング;ヘッセンの王子 ヨハニスベルク・ラインガウ ・辛口の白1本。
ドイツ最後の夕食で味わったワイン1本は味も気に入って、つい酒の酔いもあって、1本追加で買って帰った。泊ったホテル所有の醸造所のものだけに記念の意味もあったが・・・。
それにお水、食後にコーヒー。
シェフのご挨拶;お客も多かった所為で、2品が出た。
①冷製のジャガイモスープ、フランスパントーストに千切りハム載せ。
②ジャガイモのピューレに角煮(牛の脂身)載せ、シャーム仕立て。ブラウンソース。
スープ;シュパーゲル(白アスパラガス)のクリームスープにシュパーゲルの細片入り。
メイン;家内は8本のシュパーゲルにジャガイモ3個、オランダソースかけ。
私はそれに加えて仔牛のメダリオン2個を載せています。
デザート;ラバーバーのアイス、イチゴ添えなど。
写真はクロンベルク城のSchlossrestaurantシュロスレストランでシュパーゲル料理 -
≪2013年秋・ドイツ・ベネルックスの旅≫
ドイツ・メルヘン街道、ミュンスターラントの水城と、オランダ・マーストリヒト、ベルギー・ルクセンブルクのアルデンヌ地方の古城を巡る旅
期間:2013年10月14日(月)~10月28日(月)15日間の旅
ドイツのヘッセン州、ノルトライン・ヴェストファーレン州、ラインラント・プファルツ州及びオランダ南東端部リンブルク州・州都マーストリヒト、ベルギー南部・ルクセンブルク北部のアルデンヌ地方を巡る旅である。
Avisレンタカー予約:グループK(車種別 MB A-Klasse Automatik)
車種:メルセデス C-180 ・1800cc 黒色 5T
(G FXAR・フルサイズ 2/4ドア)
オートマチック・エアコン(ナビ・電話付き)ガソリン車。
期間 : 10月14日(月) 15:18 賃借 、
10月27日(日) 17:56 返却 、
距離 : 2,382km
燃料 : 169.27L Euro 261.22 (31,164円)@119.3
1L あたり Euro 1.5432( 184 円)
1L あたり 14.07 km (注)ガソリン
金額 : 66,400 円 (7日間33,200円X2 、一日 4,743円)
特記:
Avisとは過去3回、何もトラブルは生じていなかったが、今回は格上の上級車を提供されるという次のようなトラブルがあった。
出だしのフランクフルト空港のAVISでレンタカーを借りた際に、カテゴリー;コンパクト メルセデスAタイプ・オートマチックで予約していたのですが、提供されたのが、オペルのバン型でした。
ともあれ少々大きいなと思いつつ、AVISの遠い(安い車の置かれた場所は遠いが、メルセデス、ポルシェの最高級車はカウンターからも近く、メカも常駐して、張り番している)所まで重いトランクをひきながら行ってみると、どうやってもオペル車が動かない。
近くを通りかかったAvisの係員に見てもらうと、これが”マニュアル車”だと言う。カウンターに直ぐに言いなさい。・・と言われて、慌てて引き返した。
カウンターの小母さんはイギリス人を相手にしていたが、血相をかえて(多分!)戻ってきた、日本人に目を見張り、言葉も出ない。
”借りる際に2度、貴女にオートマチックで予約と言ったはずだが・・・!”と。・・・こういう時にドイツ人(西洋人)の悪い癖で謝罪らしき言葉が出ないのが、ドイツファンの私共には辛いもの。
隣の若い子が対応する。”早速違う車を提供しますから、少々お待ち下さい。”
新しく提供されたのが、カテゴリーも使用料金も高い(同期間で計算すると106,000円)であろう上級車のメルセデスのCタイプで1800ccのもの、メルセデスには慣れているから、ありがたいものの、トラブルの後の対応ですから、これは当然か。
今年の6月に納車されて15,854kmを走った黒いメルセデスはアウトバーンを走り出すと、さすがに気分の良い乗り物で、苛つく気持ちも和らいだものです。
写真は2013年秋・ドイツ・ベネルックスの旅:Hotel Schloss Buedingen 古城ホテル ビューディンゲン城内で:メルセデス C-180
10月14日(月);64km 、フランクフルト15℃、薄曇り、夕方から小雨。
<Hotel Schloss Buedingen 古城ホテル ビューディンゲン城>
D-63654 Buedingen 、Schlossplatz 1
http://www.schloss-buedingen.de/index.php?q=startseite.html
2階の白雪姫の部屋=5号室。室料はEuro125(朝食込み・12,812円)。
3星・全16室、全ての部屋には名前が付いている。それらは“いばら姫、ラプンツェル、カエルの王様、青いランプ、雪白とバラの赤”と言った名前が見られたから、メルヘン街道に因んだ遊び心のようだ。但し、“Das blaue Licht青いランプ、Schneeweisschen und Rosenrot雪白とバラの赤”の童話は知らない。
ヘッセン州Wetterauヴェッテラウ地区、中世の趣ある城塞都市に、この古城ホテルHotel Schloss Buedingenビューディンゲン城がある。ビューディンゲンの町はフランクフルトより北東に凡そ60kmの距離にある。
ビューディンゲン城の歴史:
1131年に城の起源は遡り、Hohenstaufenホーエンシュタウフェン朝の神聖ローマ皇帝バルバロッサ(フリードリヒ1世の呼び名、赤髭王と称されて、ドイツ人に人気の高い皇帝)治下のビューディンゲンの騎士の水城であった。
元来はビューディンゲンの森にあった赤髭王の狩猟地の防衛拠点として、水城は築城されたそうで、1219年には古い歴史資料に登場している。
驚く事に13世紀から今日まで、Grafschaft Isenburgイーゼンブルク伯家の居城であった。
イーゼンブルク伯家はイーゼンブルク城(現在のラインラント・プファルツ州のノイヴィート郡イーゼンブルクを発祥の地として)を名字にしたらしい。18世紀には、伯爵領は現在のヘッセン州カッセルおよびダルムシュタット地域に広がっていた。
13世紀からの25.8m高さを持つ天守閣を中心にした城郭はかつての水城を思わせる水掘が見られ、城の後ろには小川が流れ、池が点在し、その跡を示している。城郭の後背には広大な庭園が広がり、緑の中に中世のロマネスクからバロック様式の城が立っている。
21代を数えるIsenburg-Buedingenイーゼンブルク・ビューディンゲン家は現在、"Fuerst zu Isenburg"イーゼンブルク侯爵家の称号を名乗っている。現城主はWolfgang- Ernst zu Ysenburg(=Isenburg) und Buedingenヴォルフガング・エルンスト・イーゼンブルク・ビューディンゲン侯爵と言う。侯爵殿は広大な庭園の少し高台に、レセプションの小母さんの言う“黄色のヴィラ”と呼ばれる邸宅に住んでいるとのことだが、2011年には侯爵家の私有会社と、ヴォルフガング・エルンスト社長自身も破産したと云う。21代を数えるFuerst zu Isenburg-Buedingenイーゼンブルク・ビューディンゲン侯爵家の居城 by jijidarumaさんHotel Schloss Büdingen ホテル
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イチオシ
10月17日(木);190km 、12℃、曇り、一日中シャワーあり。
<Burghotel Schnellenberg 古城ホテル シュネレンベルク城>
D-57439 Attendorn 、Schnellenberg 1
http://www.burg-schnellenberg.de/ge
28号室(一の丸・塔内の部屋:2&3階)。Euro152.5(20,802円)。
塔内の部屋はこの古城ホテルにも2室だけで、左右の塔内に其々ある。28号室は螺旋階段を登って上がると3階で、そこは広い寝室と浴室などがあり、浴用ガウンも備えられて、とりわけジャグジー付の大きな浴室には吃驚した。2階は広い円状の居間になっている。
広い塔内の上下の部屋(2&3階)にTVも各1台ある。
但し、螺旋階段を登って、トランクを3階に持ち運ぶのは無理で、不便だが、2階の居間にトランクを広げざるを得なかった。
アレンジメント“Ritter fuer 1 Tag騎士の一日”;DZ Euro130(朝食込み)x2=Euro260。
4星・全42室。古城ホテル シュネレンベルク城はケルンから東に90km、ドルトムントからは70kmの距離で、ヴァルデック城からは西に120kmの深い森の中にある。
Olpeオルペから更に東に行くと、Biggeseeビッゲ湖畔にあるAttendornアッテンドルンの町に着く。この辺りはSauerlandザワーラントという丘陵地帯で、森林が広がり、湖が点在し、深い森に囲まれて、シュネレンベルク城は見事な姿を見せる。
駐在中に一度訪れたが泊っていないので、ここも長年、希望した古城ホテル滞在になる。
写真は2013年秋・ドイツ・ベネルックスの旅:古城ホテル シュネレンベルク城の右手の塔が28号室
シュネレンベルク城の歴史:
シュネレンベルク城は1225年にケルンの大司教が交易路や、盗賊たちからの人々を守る為に、城を築いたのが始まりである。13世紀の末には大掛かりな城塞となっている。
1594 年にCaspar von Fuerstenbergケルン選帝侯カスパールがこの城を手に入れると、大体的に改築を行い、現在の様な姿の城になった。16~17世紀にかけてが、シュネレンベルク城の良き時代で、カスパール選帝侯が作った豪壮とも云えるルネサンス様式の礼拝堂もこの時期に作られている。騎士の間のワインシュランクも一見の価値あり。
その後、選帝侯が新たにSchloss Herdringenヘルドリンゲン城(D-59757 Arnsbergアルンスベルク・・高地ザワーラント http://www.schloss-herdringen.de/ )を築城して、そちらに移ると、 18、19世紀とシュネレンベルク城は無人のままに捨て置かれた。
それもあって、1889年に大火災で大きな被害を被った。
1927年、屋根ふき職人であったNorbert Bilsingノルベルト・ビルジングが手紙で、城館についての企画をFamilie von Fuerstenberg選帝侯家族に提示し、了承を得た。
1928年、両者は賃貸借契約を結び、1930年に城館を修復し、改築がなされた。
1932年に最初のホテル=YHを開業すると、徐々に城館を利用し様々な業務を展開し、1958年にはついに古城ホテルを開業した。
ビルジング家は賃貸借契約の締結以来、80年以上の間、ホテル経営に鋭意努力し、今や評価の高い古城ホテルとなっている。 -
10月18日(金);216km 、14.5℃、旅行初めての晴れ、一日中快調の気分。
<Schloss Lembeck古城ホテル レンベック城>
D-46286 Dorsten-Lembeck 、Schloss 1
http://www.schlosslembeck.de/
Herkulesヘラキュレスの間(3階)は本丸左隅の櫓(塔)内の部屋で、Blick in den wunderbaren Schlosspark.美しい庭園側眺望。Euro149x2=Euro298(40,649円)
?星・全19室。この古城ホテルも各部屋に名前が付いている。Exzellenz、Wiesenturm、Moses、Jan&Gret、Napoli、Hautelisse、Alpenroseといった名前であるが、ホテルのHPの部屋紹介でトップにHerkulesヘラキュレスの間があったのが嬉しい。
アレンジメント“Romantik Tageロマンチックな一日”;DZ Euro198(朝食込み)x2=Euro396、2回の夕食は19時に予約済み。
写真は2013年ミュンスターラント:古城ホテル レンベック城・ヘラキュレスの間(3階)は写真では本丸右手の櫓(塔)内の部屋
今回、2013年の秋の旅で、ミュンスターラントを訪れるにあたり、かつて訪れたが宿泊した事が無かった古城ホテル レンベック城に2泊して、157の水城の内からドイツを代表する幾つかの水城、例えば、“ヴェストファーレン地方のヴェルサイユ宮殿“と称されるSchloss Nordkirchenノルトキルヒェン宮殿 、Schloss Raesfeldラエスフェルト城、ドイツの女流詩人Annette von Droste zu Huelshoffアネッテ・フォン・ドロステ・ヒュルスホフ女史が生まれたBurg Huelshoffヒュルスホフ城、Burg Gemenゲーメン城などを訪ねたいと考えた。
ドイツの産業の心臓部であるルール工業地帯の北の外れに位置するが、もうこのあたりは牧歌的な自然の中にある。この地方は美しい森や林の間に池や沼が点在する“Hohe Markホーエ・マルク“自然公園にある。オランダ国境にも近く、Attendornアッテンドロンの町からは北西に140kmの距離になる。
水の宮殿へと通じる並木道が、実に印象的で、本来は中世の要塞(14世紀)であったが、17世紀末に二つの島に分かれた宮殿に改造された。建物の角は一つを除いてバロック様式の円蓋や、明かり取り塔のある重々しい塔を頂いている。
現在のレンベック城はホテル・レストランのほかに、本丸1階にSchlossmuseum城博物館を設立し、ガイド付きで見学ができる。内部見学ではGrosser Saal大広間の板張りと漆喰細工が見ものである。また、本丸地下のかつての台所には、一族の画家Hans Hubertus Graf von Merveldtハンス・フーベルトゥス・メルフェルト伯の記念ギャラリーが開かれている。
1992年には郷土博物館を本丸の屋根裏部屋に設立した。
レンベック城の歴史:
1017年、レンベックの騎士がPaderbornパーダーボルンの司教領主Heinrich IIハインリヒ2世により、封土された。1190年には現在の城郭、“Motteモッテ(蛾?陽気な人)”と名付けた天守閣などを建設した。次の450年の間にモッテは更に頑強に、中世風な城郭を備えた。
1526年にヨハン・レンベックの娘Berta von LembeckベルタがBernhard I.von Westerholtヴェストホルト家のベルンハルト1世と結婚し、Westerholt zu Lembeckヴェストホルト・レンベック家を立ち上げた。
1536年にベルンハルト1世はミュンスターの司教領主であったFranz von Waldeckフランツ・ヴァルデックから、正式にレンベックの封土を受けた。
しかも彼は司教の親衛隊長となり、1576年、息子のBernhard IIベルンハルト2世は80年戦争(1568~1648年:スペインからのオランダ独立戦争)の折に、オランダ側についたミュンスター司教の為にレンベック家は戦い、スペイン軍の攻撃にもひるまなかった。
1631年、80年戦争での費用負担が大きく嵩み、ヴェストホルト・レンベック家はその居城をオランダ系の親族・Westerholt-Hackfurtヴェストホルト・ハックフルト家に売却せざるを得なかった。
ヨーロッパ全土を巻き込む新旧キリスト教徒間で行われた宗教戦争の30年戦争(1618~48年)では旧教・神聖ローマ帝国側に着いた。しかし、帝国側はフランス・スウェーデン・イギリス・オランダなどの前に敗戦が続き、ボヘミアでのスウェーデン軍の包囲の前に皇帝は終戦の宣言をすることになり、ヴェストホルト・ハックフルト家は一時、イギリスに亡命することになった。
1641年、レンベック城はヴェストホルト・ハックフルト家の所有に戻り、1700年、帝国伯爵に叙された。1670年から92年にかけ工事を行い、レンベック城はミュンスターラントで最も大きな水城になった。
1702年、ヴェストホルト・ハックフルト家の城主のDietrich Conrad Adolfディートリヒ・コンラッド・アドルフが死去すると、男子の相続者がいなかった為、娘のMaria Josepha Annaマリア・ヨセファ・アンナがFerdinand Dietrich Freiherr von Merveldtフェルディナンド・ディートリヒ・メルフェルト男爵と結婚して、この城を引き継いだ。
1726年、メルフェルト男爵は帝国伯爵に叙された。以来、300年の間、メルフェルト家が所有し、この当時の城郭は今もそのままである。
ヴェストファーレンの水城と同じようにレンベック城は二つの島の上にある。第一の島にはVorburg一の丸、二の島には城主が住むHaupthaus本丸があった。
本丸に付属する翼は北のみで、南の部分は建設されていない。大きな水面や周囲の景観は300年の水城がもつ魅力である。
現在、レンベック城はFerdinand Graf von Merveldt &Catharineフェルディナント・メルフェルト伯と妻キャサリンの所有となっている。 -
≪2014年ドイツ:北方二州を巡る≫
北方二州:シュレースヴィヒ・ホルシュタイン州 &
メクレンブルク・フォアポンメルン州を中心に巡る旅)
(2014年05月09日~23日 15日間)
今まで足を伸ばした事が無いシュレースヴィヒ・ホルシュタイン州フレンスブルクのグリュックスブルク城、かつてのドイツ海軍の基地キールを訪ね、メクレンブルク・フォアポンメルン州の世界遺産シュトラールズントやバルト海に面したリューゲン島、ノイブランデンブルクやメクレンブルク湖水地帯、州都・シュヴェリーン一帯の湖水地方などを主に巡る旅である。その他にも、メルヘン街道やニーダーザクセン州の州都・ハノーファー等を訪ね、ノルトライン・ヴェストファーレン州の州都・デュッセルドルフに至る旅である。
Avisレンタカー予約:グループK(車種別 MB A-Klasse Automatik)
車種: VW Golf 5 GTD 2000cc 白 5T TDI・DSG
オートマチック・エアコン・ナビ、ディーゼル車。
予約したグループKの車種よりも上級車であった。
期間:05月11日 (日) 09:23 賃借 、
05月22日 (木) 16:48 返却 、
距離 : 2,287km
燃料 : 130.57L Euro 180.13 (25,405円)@141.04
1L あたり Euro1.380( 195 円)
1L あたり 17.52km (注)ディーゼル車
金額 : 58,000円(7日間35,000円+4,600x5(23,000円、1日4,833円)
尚、乗り捨て料金Euro24.1(3,406円)が別途現地払いとなった。
合計61,406円
写真は2014年ドイツ北方二州:SchleswigシュレースヴィヒのSchloss Gottorf (Gottorp)ゴットルフ(ゴットルプ)城にてVW Golf -
≪“ドイツ 黒い森とアルザス・シュヴァーベン地方の旅”≫
オーデンの森・黒い森・バーデンワイン街道(カイザーシュトゥール)・仏アルザス地方(コルマール・シュトラースブルク・アルザスワイン街道)・シュヴァーベン地方の古城群・フランクフルト近郊のタウヌス・懐かしのデュッセルドルフ。
期間:2015年7月14日(火)~7月28日(火)15日間の旅
今回の旅の目的地はまずフランクフルトに降り立ち、その日のうちに走り出し、順次、オーデンの森・黒い森・バーデンワイン街道(カイザーシュトゥール)・仏アルザス地方(コルマール・シュトラースブルク・アルザスワイン街道)と南下します。その後、黒い森の南端を東に向かい、シュヴァーベン地方の古城群・フランクフルト近郊のタウヌスを巡り、最後にルール地方の中心である、懐かしのデュッセルドルフを訪問して、成田に帰るルートにしました。
Avisレンタカー予約:グループK(車種別 MB A-Klasse Automatik
(メルセデス Aクラス オートマチック車)
車種:VW Skoda Rapid 1600ccディーゼル車 黒 5T
オートマチック・エアコン(ナビなし)。
期間:07月14日 (火) 14:50 賃借 、
07月27日 (月) 17:11 返却 、
距離 : 2,027km
燃料 : 106.85L Euro133.14 (18,391円)@138.13
1L あたり Euro1.246( 172 円)
1L あたり 19 km (注)ディーゼル
金額 : 68,000円(Euro481.86相当、7日間34,000円X2、1日4,857円)
尚、乗り捨て料金Euro21.01+Tax=25(3,481円)等が別途現地払いとなる。合計71,481円
写真は2015年黒い森、アルザス、シュヴァーベン:Burg Steinsbergシュタインスベルク城(城址)の駐車場にて・VW Skoda Rapid 1600ccディーゼル車
第三日:7月16日(木) 晴 23.5~30.5℃ 138km
<Burg Steinsbergシュタインスベルク城(城址)>
中世のシュタウフェン王朝時代のシュタインスベルク城は333mの丘の上に立ち、整然としたブドウ畑に囲まれて、高い塔が目印になった。
ブドウ畑に囲まれた丘の上からの眺望は素晴らしく、気分が良い。遠くに麦畑であろうか、茶色の畑になり収穫を待っているが、緑の畑とパッチワークの様になっている。
さて、城門から入る。修復も相当加えたのだろう、思った以上に城壁は2重3重に堅固の様子を見せていた。急坂ではないが、円を描くように上ると、八角形の主塔(30mの高さ)が立つ中庭に至る。狭い本丸だが、ここにはレストランもある。洗濯物が干してあって、生活感があったが、誰もいない。登る気もなかった塔の入口も閉まっていた。
かつて古城街道にあるBad Rappenauバード・ラッペナウのHotel Schloss Heinsheim古城ホテル ハインスハイム城(古城街道を走ると、必ずここを訪れる)で偶々出あったドイツの方に“今日は友人の息子の結婚式披露宴に招待されてきたのですが、貴方方はどちらからですか?”“私共は東京から来たのですが、古城や古城ホテル好きで、かつて駐在した頃に、ここにも宿泊した事もあり、懐かしくて訪ねたのですよ。”(中略)“そう言えば、ここから25kmと近いSinsheimジンスハイムに行かれましたか?この町にはBurg Steinsbergシュタインスベルク城や自動車・技術博物館があって、面白いですよ。”“そうですか。名前は以前から知っていますが、まだ訪れた事がありません。今度来た時には是非訪ねてみたいものですね。”といった会話を交わした経緯があって、シュタインスベルク城を訪れたのだ。
シュタインスベルク城の歴史:
1109年にEberhard von Steinsbergシュタインベルクの騎士エーベルハルドにより初めて築城されたものだが、玄武岩のブロックでできた八角形の主塔(30mの高さ・4mの厚さ)をもつ城で、「クライヒガウの羅針盤」とも呼ばれた。
ジンスハイムはわずかな期間(1803~1806年)であるが、ライニンゲン侯爵領に属した。(英国女王ヴィクトリアとも関係が深いライニンゲン侯爵、つまり三代目のカール・ライニンゲン侯は女王の異父兄なのです)
1973年以降はジンスハイム市の所有となっている。
城址には直営のレストランがある。夏の期間には城祭りが行われる。 -
≪2016年ドイツの秋:ライン・モーゼル・アール・ミュンスターラントの旅≫
2016年10月14日(金)~10月28日(金)15日間
ライン・モーゼル・アール・ミュンスターラントの4つの地域を中心に巡る。
ドイツ感傷旅行14回目の内訳は春が10回、夏1回、秋2回、そして冬(クリスマス)が1回)で、春が圧倒的に多い。この時期はプレシーズンにあたり、宿泊も取りやすいのだ。
今年は15回目、2010年、2013年に続く3度目の秋のドイツを走ることにした。
Avisレンタカー予約:グループK(車種別 MB A-Klasse Automatik
(コンパクト:メルセデス Aクラス オートマチック車)
車種:VW Skoda Fabia Combi 1200cc TSI 黒色 5T
オートマチック・エアコン。
3年続きでVWとなった。廉価車はチェコ製のSkodaとなるケースが多いようだ。
期間:10月15日 (土) 07:02 賃借 、
10月27日 (木) 16:44 返却 、
距離 : 1,740km
燃料 : 93.31L Euro122.63 (14,586円)@118.94
1L あたり Euro1.3142( 156 円)
1L あたり 18km (注)ガソリン
金額 : 76,000円(7日間40,000円x1 +1日5,714円X6)
写真は2016年ライン・モーゼル・アール・ミュンスターラント:Duesseldorf International Airportで・VW Skoda Fabia Combi 1200ccデュッセルドルフ空港 (DUS) 空港
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ドイツ駐在の頃から古城巡りが好きで、時間があると車で出かけた。また、古城ホテルに宿泊する楽しみもその時に味わった。ドイツ国内だけでなく、周辺国までしばしば足を延ばした。オーストリア、イギリス、フランス、ルクセンブルグ、オランダ、ベルギー、リヒテンシュタイン、スイス、イタリアにも車で廻った。
二度の駐在では最初が100,000kmを、二度目が60,000km合計160,000kmを走破した。年20,000kmを走った計算になる。
その後のドイツ感傷旅行で走った距離は2016年秋の15回目で合計28,264kmである。
以下がそのレンタカーと走行距離である。
Volvo S80 2400 cc Diesel Automatic 1,995km
Mercedes C?200D 2000 cc Diesel Automatic 2,054km
Renault Espace 2200 cc Diesel Automatic 2,087km
Mercedes C-220-D 2200 cc Diesel Automatic 1,975km
VW Golf-Goal1.6 1600 cc 5T Automatic 2,145km
Mercedes A-150 1500cc 5T Automatic 1,412km
Mercedes A-180 1800cc 5T Automatic 1,627km
Mercedes A-180 D 1800cc 5T Diesel Automatic 1,249km
Mercedes A-180 CDI 1800cc 黒色 5T Diesel Automatic 1,353km
Mercedes A-180 CDI 1800cc 灰色 5T Diesel Automatic 2,153km
Renault Scenic 2000cc 黒色 5T Automatic 1,778km
Mercedes C-180 1800cc 黒色 5T Automatic 2,382km
VW Golf 5 GTD 2000cc 白色 5T Diesel Automatic 2,287km
VW Skoda Rapid 1600cc 黒色 5T Diesel Automatic 2,027km
VW Skoda Fabia Combi 1200cc TSI黒色5T Automatic 1,740km (28,264km)
その間、デュッセルドルフ市内で信号待ちしていて、アウデイに追突された事故が一度ある(1979年)。
この時は乗っていたオペルのレコルド2000㏄がおしゃか(全損)なったものの、自らに起因する自動車事故は全く無い。これは誇って良い事と思っている。
写真は2016年ライン・モーゼル・アール・ミュンスターラント:ライン・Bacharachバッハラッハの丘に立つシュターレック城
<Burg Stahleckシュターレック城>
バッハラッハの丘の中腹に見えるシュターレック城は2006年の旅で訪ねた。町から2.5kmの距離にある古城に車で上がり、ラインの眺望を楽しんだ。
たいへん見栄えの良い城ですが、ホーエンシュタウフェン王家の居城で1135年に築城された。30年戦争の時に破壊され、一時は修復されたが、1689年にフランス軍に再び破壊されて、以降、廃墟となってしまう。
現在は修復され、ユースホステルとして利用されている。テラスから見る、ラインの豊かな流れは一見の価値あるもの。
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尚、2009年ドイツのクリスマス、2014年ドイツの春・北方二州を巡る、2015年”黒い森とアルザス・シュヴァーベン地方の旅”については既に掲載している。
2016年ドイツの秋:ライン・モーゼル・アール・ミュンスターラントの旅は時期を見て掲載予定だ。ライン:バッハラッハの丘の中腹に見えるシュターレック城 by jijidarumaさんシュターレック城 城・宮殿
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追伸:
≪愛車のオペルは追突事故で全損≫
ドイツで運転の上手いドイツ人から追突されるとは思ってもみませんでした。アウトバーンに代表されるドイツで、ドイツ人たちの運転技術の旨さを知っていたからです。
1979年6月15日朝9時、デュッセルドルフ市内、Hofgartenホーフガルテン傍の信号で事故は起こりました。
帰国の辞令も既に出ていて、帰国する8月11日の2ヶ月前のことでした。
ハインリッヒ・ハイネ・アレーの道を右手に切れる信号前に数台が停まり、信号が変わるのを待っていたのですが、最後尾の私のOpel Rekord L 2000CC Automatikオペル レコルド オートマチック(D-EP534)にドイツ人(鉄鋼卸商の営業マン)の大きなアウディ車が突っ込んできました。
走ってくる車がミラー越しに見えたので、ハンドルに力を入れ、防御姿勢を取りました。ベルトもしていたので、衝撃で前に飛び出る事もありませんでしたが、さすがの衝撃でブレーキペダルから足が外れ、前のルノー車に玉つきをしてしまいました。私のオペル車は追突の衝撃でトランクがヘシャゲテ、後輪に食い込んでしまい、もう車は動く事も出来ません。全損・オシャカになってしまいました。
ハイネ・アレーの道は市電も通る町の中心にも近い道でオーバーカッセル地区から通勤している何人かの日本人が電車内にもいて、窓からのぞいていました。無残な車にビックリされた事でしょう。朝の格好の話題を提供してしまったようです。
この日朝早く、デュッセルドルフ空港に会社の帰国家族を見送ってから、私の家族を家におろし、それからの出勤途上でした。
この朝は小雨で道路が濡れていました。アウディ車は殆どブレーキを踏む間もなく、突っ込んできた様子で、前方不注意は明らかでした。私が玉突きしたのはフランスの副領事(ご年配の女性)の車でした。事故を見ていたタクシーが警察に連絡し、あっという間に警察車両が来て、交通規制を行い、状況を調べ始めます。三者とも目に見えた怪我もなく、元気に見えたのは幸いでした。
追突、玉突きした当事者は皆緊張したまま、名刺のやり取りを行い、自動車保険の会社・番号などを提示し、相互に確認したのです。
朝から日独仏の三国間交渉となりました。原因は明確で、非はドイツ人にあり、抗弁の余地もないドイツ人から、早々と謝罪の弁もあり、あとは保険会社同士の交渉事になりそうでした。
当事者は誠に冷静に名刺のやり取り、車の保険証の確認などをしていましたが、これで骨折やら、血でも吹き出ている様子でしたら、三国交渉も冷静にはいかなかったでしょう。ともあれ、保険で解決するというこの地は大変合理的に物事を進めていきます。
町中でもスピードを出して走っていたドイツの営業マンは隣町Neussノイスに会社があり、お客とのアポイント時間に間に合わせる為に、スピードを出していたと、彼の陳述記録にありました。前方不注意は間違いない所ですが・・・。
会社にタクシーに乗って出社し、法務担当に申告すると、「直ぐに近くの病院に行って首などのチェックを受けるべきだ」とアドバイスをされた。
早速、検査をうけ、首がやや痛いと言うとドクターはムチうち症の治療の為、とりあえず首に固定おび(Krawatte)を巻く事にしようと言う。14日間はその状態にしておくことだと指示された。
ムチウチ症は骨太、首太の体型?!が幸いしたようで、軽く済んだようです。ただ、ムチウチ症は後々に影響が出ると言う事も聞いていたので、日本に帰ってからも、安心するまでそれなりの期間を要しました。
仏副領事からは翌日、会社の私宛に配達証明付きでクレームレターが届き、当方もそのままノイスのドイツ人営業マン宛てに送りました。
可笑しなことに、その手紙には事故発生日が翌日の16日になっていました。彼女も慌てていたのでしょうか?!
私の車は個人用でしたが、仏独ともに領事館・会社の車であったので、弁護士の交渉もやりやすかったようです。約10万km走ったオペル車は全損になりましたが、私の方は幸いにも首の鞭打ち程度で、それも軽微に済みました。ほんとに不幸中の幸いでした。
今、当時のアルバムにある写真・オフィスで首輪をつけた自分の姿を見ると、やはり珍妙な格好で仕事をこなしている。
写真はHotel Schloss Hugenpoet古城ホテル フーゲンポエト城・Essen-Kettwigにて、1975年1月新車のオペル(良く走ってくれたオペルも1979年6月に追突事故で全損に) -
≪日独仏の三国交渉(追突事故)始末≫
1975年の1月24日、待望の新車Opel Rekord L 2000CC Automatik(D-EP534) をDM13,600(136万円)で購入しました。
大衆車オペルは4年半で100,000kmと良く走ってくれました。100,000km目前で、オシャカになったのです。
通常、日本に帰国するに当たっては後任者か、日本人倶楽部に張り紙を出して、第三者に売るか、最後の手段でいつも定期検査をしてもらっていたオペルのディラー兼修理工場に引き取ってもらうかです。ディラーの場合は多分捨て値になって、DM1,000程度で引き取ってもらうことになったでしょう。
交渉のポイントは
①車の全損補償、
②身体・精神的慰謝料請求、
③将来のリスクに備えての労災申請です。
8月に帰国してしまった後、翌年の3月まで、様々な案件の決着に時間がかかりました。幸い、労務(法務)担当のドイツ人が、私から委任状を受けて、弁護士との実務を一切やってくれたので、大いに助かったものです。それも掛けていた弁護士保険がこの時は生きました。
こちらは分からない法律用語、業界用語にはちょっと参りましたが、追突事故の記述に正確を期すために、昔の書類を見てみましたが、なにやら、各所のドイツ語の単語に日本語訳を書きつけていました。
以下は手続きの記述です。
事故後は直ちに所属する業界団体の保険組合に事故報告がなされ、関係者、自動車保険関係、弁護士保険、車の査定人などが記載される。これは労災認定にもなる。そして、起用した弁護士が仏副領事、ドイツ人営業マンの保険会社あてに文書でやり取りが開始された。
弁護士あて訴訟の際の委任状、首の治療などにあたった医者に対する守秘義務の解除宣言・・・治療内容の説明を行う為・・、保険求償、自動車の査定、事故車のスクラップ処理許可、使用可能な装備品の売却など、様々なドイツ語の公文書がやり取りされた。
鑑定人の文書によると、修理し完全に元に戻すにはDM9,600がかかり、オペルの再調達価格は各種要因を勘案するとDM6,000だという。
元に戻すのは元々無理があり、この再調達価格から一種の最終(備忘)価格DM200を控除した、DM5,800が予想される当該車の損害額だと計算された。これに事故車の引き取り料金DM299.16、私のタクシー料金やコピー料金DM103.8が加算されて、合計DM6,191.96が、相手側保険会社に請求された。
その後に発生した医者などの費用DM468.04が更に加算されて、最終的に合意されたのはDM6,660であった。
更にミシュランのタイヤやクラウンのカーステレオなどの装備品を引き取ってくれたオペルのディラーから、代金DM490がもらえた。
また、この国ではSchmerzensgeld慰謝料もあるが、1973~1977年の支払い実績はDM1,500~2,000であったそうで、相手側からの最初の申し出はDM850でした。実績を基に双方のやり取りがあり、決着したのはDM1,350と言うものでした。
最後の手紙のやり取りは1980年3月26日でしたから、凡そ9ヶ月もかかった事になります。最後の慰謝料の決着までに時間がかかったようです。日本の相場は知りませんが、ドイツのこの当時はこんなものでした。
総額DM8,500 (DM6,660+DM490+DM1,350)でしたが、実質的なタクシー費用などを差し引くと、ネットはDM7,640(約80万円)が事故にたいした補償額になります。
これは私にとっては捨て値の車代が、追突事故に巻き込まれたお蔭で、事故というマイナスも十分に補うものだったと言えましょう。
しかも、通常の通勤経路でないものの、飛行場の見送り後に出社したという日本人の慣行も業務上と認めてもらい、ドイツの労災の適用も受けたのです。
やり取りを通じて普段使用しない法律用語、業界用語には詳しくなりました。
私の立場は被害者であり、間接的な加害者でもありましたが、本来的な加害者にならずに良かったです。
・・・・・・・・・・
写真は1982年オランダ・コイケンコフで、ローテンブルク・二重橋、ラーン川・ヴァイルブルク城を背景に -
≪ドイツで中古車を購入、帰国にあたってさらに転売した≫
1982年3月に三番手の中古車を地元紙のドイツ人個人の“車売りたしの欄”で早々と見つけて、近郊のMonheimモンハイムに、車に詳しい同僚F氏と伺い、車を一通り見てから、持参した現金で購入しました。
メルセデス230は67,000kmを走ったもので、売り手の言い値はDM12,000でした。持参した現金で支払いをすることにしたので、結果はDM1,000を値引きしてくれて、DM11,000(約110万円)で購入できました。
三番手の中古車とは、1977年12月に新車登録されたもので、最初の名義人がオーストリアのデュッセルドルフ領事館の部長でした。二番目がその二年後、1979年10月に取得しています。更に2年と5ヶ月経って、三番手の私が1982年3月に購入したわけです。過去二人が4年3ヶ月間で67,000kmを走った距離も納得する距離でした。
この車は113,000kmまで走り、1985年5月14日に帰国(5月31日)前に日本の駐在員に希望価格通りのDM8,500で売れました。
日本人倶楽部での広告は直ぐに反応があり、十日後には売却が出来てしまったのです。
3年2ヶ月で46,000km走った計算ですが、メルセデスはさすがに中古価格が落ちないと、とても感心したものです。
写真は1985.05.14.日本人倶楽部に提示したメルセデスの写真
レンタカーを使用して毎年ドイツを走りましたが、丁度、先日かつての私有車の事を纏めましたので、追記させていただきました。(完)
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