2016/07/14 - 2016/07/21
169位(同エリア716件中)
ポポポさん
旧市街の観光を終えて次はブラチスラヴァ城の観光です。
通常中央ヨーロッパのツアーではブラチスラヴァ城の入場観光はありません。今回このツアーを選んだのはブラチスラヴァ城とチェスキー・クルムロフ城の2つの城が入場観光になっていたからです。
そういう意味ではとても楽しみにしていましのがこの城の観光です。
ところがいざ入場してみると特殊事情が発生し、城内の博物館をすべて観光する事ができなくなってしましました。
その特殊事情とは何でしょうか。その理由は本文で解き明かされますので、どうぞ旅行記をご覧ください。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 読売旅行
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バスに乗り込みブラチスラヴァ城へ。
「ひっくり返したテーブル」と呼ばれた城は丘の上にあります。 -
坂道を登って入り口の門にやってきました。ここでバスを下車、城内に入ってさらに坂道を上って行くと城の全景が見えてきました。
ブラチスラヴァ城 城・宮殿
-
ブラチスラヴァ城です。城は小高い丘の上に建てられていました。
ここはローマ時代に砦が築かれ、9世紀のモラビア王国時代には宮殿と教会が築かれて行政機関の中心として使われました。
15世紀には当時のハンガリー王(ドイツ王も兼務した神聖ローマ帝国の皇帝)、シギスムンド王が後期ゴシックスタイルに改築し、16世紀には四隅に塔を持つ現在の城の原形となるルネサンス様式に建て替えられました。
18世紀にはマリア・テレジアが宮廷に相応しいようにバロック様式に改築し、義理の息子のアルベルト・テッシェンにハンガリー総督の地位とこの住まいを与え、彼女自身も居城として1760年から20年間この城に居住しました。
しかしウイーンにシェーンブルン宮殿が完成するとそちらに移住し、以後ブラチスラヴァ城に戻ることはありませんでした。
マリア・テレジアが立ち去って以降急速にこの城は勢いを失います。マリア・テレジアがウイーンに移転して以降、この城は神学校の宿舎として使われたり兵士の宿舎や軍馬の厩舎として使用されますが、年を経る毎に汚れ、傷んでいきました。
その後1809年にフランスのナポレオン軍が侵攻し、ブラスチラヴァ城はフランス軍の駐屯地として接収されました。
そして1811年。駐屯していたフランス軍の失火により大火災が発生して焼失してしまいました。
第2次世界大戦後共産主義政権によって修復されましたが、現在も修復が続いています。
現地ガイドさんの説明によると・・・。
共産主義政権下での修復は単に建物を作り上げただけで、建築資材にはコンクリートを使用したそうです。これでは本来の城を修復したことにはならず、自由主義国家となってからは、本来の石材や大理石を使用してコンクリートて建てられた建物をさらに修復し続けているんだそうです。
しかし、同じ共産圏の国なのにポーランドでは王宮の再建を1980年まで旧ソ連政府に認められませんでした。
王宮の再建はポーランド国民の悲願でした。王宮はポーランド国民の結束を固める象徴だったため容易にはソ連政府は認めなかったのです。
たぶんハンガリー暴動やプラハの春の二の舞になることを恐れてのことでしょう。
ポーランドを観光されると分かると思いますが、ポーランド国民は大変愛国心が強く、自国に誇りを待っている国です。
そして旧ソ連、旧ロシア帝国に対する恨みや敵愾心は非常に根深いものがあります。ワルシャワを徹底的に破壊したドイツにではなく、旧ソ連の共産主義政権に対してです。カチンの森事件を引き起こした旧ソ連に対する恨みは終生拭われることはないでしょう。
そして国を滅ぼされ、長きに渡って弾圧され、搾取し続けた旧ロシア帝国に対する恨みも同様です。
話が脱線しましたが、このことと比較すると、チェコスロバキア共産主義政府は旧ソ連政府とはあまり衝突がなかったようですね。
以下、話を元に戻します。ブラチスラヴァ城 城・宮殿
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右が城内にはいる最後の門です。
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城の後ろ側では現在も修復がされていました。
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城門とブラチスラヴァ城。
ブラチスラヴァ城 城・宮殿
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城のすぐ側にはドナウ川が流れていました。
スロバキアのドナウ川も濁っています。この時はブダペストもこのようにドナウ川が濁っていたので、直近に大雨でも降って川が濁っているのかと思いましたが、この後訪れたチェスキー・クルムロフのヴルダヴァ川は全く濁っていませんでした。
このことから、ドナウ川はもはや濁って汚れた川になってしまったようです。
ブラチスラヴァはオーストリアと国境を接しており、写真の森の奥はオーストリア領です。ドナウ川 (スロバキア) 滝・河川・湖
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ドナウ川にかかる斜張橋とUFOの塔、新市街。
ドナウ川 (スロバキア) 滝・河川・湖
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左に降ると旧市街と聖マルティン大聖堂があったんですが、この写真を撮った場所からは分かりませんでした。
UFOの塔 建造物
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ブラチスラヴァ城の入り口側です。
屋根にはスロバキアの国旗、二重十字架が翻っていました。
二重十字架はハンガリーにおいては国章、スロバキアでは国旗なっています。ブラチスラヴァ城 城・宮殿
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城の入り口の騎馬像は大モラビア王国スヴァトプルク国王です。
ブラチスラヴァにはEUや国連の機関があり、この城はこれらの機関の会議場として使用されています。
では入り口から中庭に入り城内と国立博物館を観光しましょう。ブラチスラヴァ城 城・宮殿
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国立歴史博物館の案内板です。
国立歴史博物館は美術館とその他の展示、宝物館と騎士の部屋(どんな部屋か不明)、常設展示があるそうです。
本来ならこの全てを観光する予定でしたが、急遽EUの会議が開催されることになり、本日は常設展示以外は観光できなくなったとガイドさんから説明がありました。
「宝物館にはハンガリー王国の王冠をはじめ多数の宝飾品が展示されており、美術館にも名画が展示されています。是非これを皆様方に見ていただきたかったのですが、見れなくてとても残念です。」と言われました。
欧州ではテロが頻発しておこっており、このテロ対策のため会議の日程は事前に知らされなくなったそうです。
大体前日に急に連絡が入るため、連絡が間に合わず日程の調整ができなかったということでした。
こういうご時世ですから、これは仕方ありません。
残念ですが今日は常設展示のみ観光することになりました。 -
入り口を抜けるとそこは広い中庭でした。
最初に地下にある井戸を見学しました。なお、城の内部の説明はこの城の学芸員がしてくれました。スロバキア語での説明をガイドさんが日本語に通訳してくれるという方法によってです。ブラチスラヴァ城 城・宮殿
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地下に通じているレンガ造りのトンネルです。
この部分から先の井戸の周辺までが、この城の最も古い部分なんだそうです。ブラチスラヴァ城 城・宮殿
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このような所を下りていきます。
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そして降りた先に大きな井戸がありました。
この井戸は今から800年以上も前に彫られた井戸で、井戸の周囲も同時代のレンガでつくられているそうです。
写真では井戸の口径が分かりづらいと思いますが、かなり大きな井戸です。そして深い。
覗き込むとはるか深い所に水が見えます。 -
井戸を覆っている頑丈な鉄製の柵の間からカメラを差し入れて内部を撮ると、水の水面が点のように見えます。
深さがどのくらいかは覚えていませんが、数十メートルはあると思います。 -
とにかく深い。800年も前によくこんな深い井戸を掘ったものだと感心しました。
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中庭に戻りました。右の建物の1階から城内に入ります。
ブラチスラヴァ城 城・宮殿
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1階は城の修復状況を紹介するコーナーでした。
修復の過程で発掘された古い城に使われた石材などが展示されていました。
ここで城内の学芸員から発掘の様子や進行状況城の再建についての簡単な説明がありました。 -
ユーモラスな表情をした石像。
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ブラチスラヴァ城の立体復元模型です。
城に入場した方向と同じ正面から写真を撮りました。この模型で城の原形が作られた時の教会も示されていましたが、どこだったか覚えていません。
城の裏だったような気もしますが。 -
城内の天井や柱などの様子。金箔が施されていました。ここは2階にあがる階段の途中ですが、白色に金色が映えて綺麗です。
ブラチスラヴァ城 城・宮殿
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階段と天井の様子。さらに3階に上がります。
ブラチスラヴァ城 城・宮殿
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振り返るとこんな感じです。床は赤色の敷物が敷き詰められていました。
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3階の一室にあった彩色されたブラチスラヴァ城。
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3階には城をモチーフにした絵が沢山展示してありました。
写真はその一部。 -
同じく城の風景です。
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3階のガラス越しに下の通路を覗くとこのような絵画がありました。
2階が美術館のようです。
ここで現地の女性ガイドさんが再び、「ここに展示してあるスロバキアの素晴らしい宝物と絵画、美しく素晴らしい部屋や文物。急なことではありますが、いわばスロバキアの誇りともいえる物を皆さんに見ていただくことができなくなり大変申し訳ありません。私としてはとても残念です。もしまたブラチスラヴァに来られる機会がありましたら、城に立ち寄って是非中の物を見てください。」と流暢な日本語で挨拶がありました。
ハンガリー王国の王冠などもここにあるそうです。 -
再び1階に戻って発掘や城の修復状況のパネル展示を見ました。
これは部屋の入り口にあった博物館の紹介パネル。
左が城の見取り図。写真が切れていますが、この時は中央の宝物展示室を写真に収めたためです。
今思えばこの城の見取り図の方を写真に撮っておけばよかったです。 -
城の発掘と修復のパネル展示です。
説明はスロバキア語と英語です。英語が苦手な私は何が書いてあるのかさっぱり分かりません。
写真だけ見て回りました。 -
写真と図面でなんとなく分かるような気がしました。いや気がしただけです。
写真には古い物もありました。 -
こちらは発掘された状況の写真。
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発掘された柱の装飾部分。
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壁に描かれていた壁画。
ブラチスラヴァ城 城・宮殿
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城本体の修復作業の説明パネル。
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城の入り口にあるスヴァトプルク国王の騎馬像まで戻ってきました。
ドナウ川の向こうは新市街です。
曇天ですが今日は7月16日、欧州でも真夏なんですよ。なのにこの装いを見てください。一人の外国人の男性が半袖以外は皆さん上着やジャンパーを着込んでまるで秋の装いです。
この日も寒いんです。中央ヨーロッパは晴れないと夏でも寒い。いい経験になりました。
実はこの日ブダペストではエアレースの予選が行われていたのですが、雨天のため2フライトの予定が1フライトになったそうです。ブラチスラヴァ城 城・宮殿
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騎馬前の広場。騎馬像の前後の写真では分かり難いですが、実際は騎馬像前の広場はこんなにも広いんです。
ブラチスラヴァ城 城・宮殿
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城の側にたてられた館(?)でしょうか。
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ウィーン門。ブラチスラヴァ城の正門です。
入場するときに撮れなかったので、出るときに撮りました。
再びバスに乗って市内のレストランで昼食です。今日はスロヴァキアの料理ハルスキーだそうです。 -
旧市街を走ると趣きのある建物が次々と車窓に現れます。
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建物の壁の装飾がいいですね。
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ベランダ付きの黄色い建物。凝った装飾が目を引きました。
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ブラチスラヴァ城を、真っすぐ降りてくると大統領官邸の前の交差点に出てきました。
官邸の屋根には二重十字架の国章が掲げられていました。国章はハンガリーと同じです。大統領官邸 建造物
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大統領官邸の前を右折して聖マルティン大聖堂方面に向かいました。
大統領官邸 建造物
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この周辺の電柱や照明塔の柱には花が飾られています。花は綺麗なんですが柱には落書きがされていて、花の美しさを打ち消しています。
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城壁が見えてきました。
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道路沿いに城壁が続いています。
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城壁の先には聖マルテティン大聖堂が見えてきました。
聖マルティン大聖堂 寺院・教会
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聖マルティン大聖堂の前で城壁は切れていました。
右は聖マルティン大聖堂。 -
ドナウ川沿いに進んで行くと川沿いのレストランに着きました。
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国立自然史博物館の向側、オソブニー桟橋にあるレストラン「Danubius」です。
建物の2階がレストランでした。 -
道路側から見たレストランの全景。
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スロバキアの郷土料理「ハルスキー」です。パスタに似ていて茹で方はアルデンテ。
ソースは割と淡泊でした。 -
白身魚のフライにポテトと野菜サラダ添え。
この料理は美味しかったのかどうか全く記憶がない。白身魚と思っていたけど、写真を見ると肉のようにも見えるし、自信がなくなりました。
記憶にないのだから、味はそこそこだったのでしょう。 -
レストランかろ見えた素敵な塔のある建物。その奥の建物も丸い屋根が面白いですね。
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市内を回る観光用のバス。
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レストランの向かいにある国立自然史博物館。
鉱物や化石、動物や鳥のはく製、標本などが展示されているそうです。
この博物館には入場しませんでした。国立自然史博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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博物館の前に立っている銅像は初代大統領トマーシュ・マサリクです。
国立自然史博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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先程見た素敵な塔の建物の全景です。色合いがとても素敵な建物でした。
この建物、帰国して調べたら工業学校の校舎でした。学校の校舎にしては勿体無いほどに素敵な建物です。 -
半日の観光でしたが、ハンガリー王国の首都は歴史的な面影を今に残す静かで素敵な町でした。
車窓からブラチスラヴァ城の姿が見えて来ました。
もう一度訪れて今度は博物館のお宝を見たいものです。ブラチスラヴァ城 城・宮殿
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そして聖マルティン大聖堂の姿。この後旧市街を後にして、チェコのチェスキー・クルムロフに向かいました。
所要時間約5時間、長いバスの旅です。聖マルティン大聖堂 寺院・教会
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郊外に出ると欧州らしい大草原が続いていましたが、この大草原に無数の風力発電の風車が立ち並んでいました。
日本で見るのとは規模が違います。この程度行わないと自然エネルギーは確保できそうもありませんね。 -
写真で見ると分かり難いですが、はるか遠くまで風車が立ち並んでいます。
バスが走る間、左車窓には風車が引っ切り無しに現れては消え去っていきます。
その規模は本当にすごい。多分ここに限らずあちこちの場所に風力発電の風車が設けてあるのでしょう。
日本もここまで自然エネルギーの確保ができれば、原発問題も進展するのかもしれません。
スロヴァキアに比べると日本の風力発電は赤ん坊みたいな物です。 -
風力発電の風車群を抜けると再び欧州らしい大平原が続きます。
明かりが差し込んできましたが全体的に鈍よりしています。
真夏のはずなのに何故天気が悪いのでしょう。わざわざ天気がいいはずの夏を選んだのに・・・。
最強の晴れ男は最近神通力が無くなったみたいです。
でもまだ雨には降られていないからいいか。 -
どこまでも続くスロヴァキアの大地。それともチェコに入ったかな?
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