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バスツアーに参加して見学した、京都の桜巡りの3か所目です。円山公園界隈の桜の紹介です。

2016春、京都の桜(10/13):円山公園界隈(1):知恩院、長楽寺、大谷祖廟、桜、馬酔木

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2016/03/30 - 2016/03/30

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旅行記グループ 2016春、京都の桜巡り

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旅人のくまさん

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バスツアーに参加して見学した、京都の桜巡りの3か所目です。円山公園界隈の桜の紹介です。

交通手段
観光バス

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  • 道路が渋滞していましたので、駐車場に入る前に下車し、歩いて円山公園に向かいました。その途中の光景です。『親鸞聖人旧御廟所・元大谷崇泰院』の石碑がありました。親鸞聖人(1173〜1262年)は、波乱の人生を送った浄土真宗の祖です。

    道路が渋滞していましたので、駐車場に入る前に下車し、歩いて円山公園に向かいました。その途中の光景です。『親鸞聖人旧御廟所・元大谷崇泰院』の石碑がありました。親鸞聖人(1173〜1262年)は、波乱の人生を送った浄土真宗の祖です。

  • 蓮如上人に関する石碑があったお寺の山門光景です。『蓮如上人生誕の地』の文字が刻まれていました。蓮如上人(1415〜1499年)は、室町時代の浄土真宗の僧で、本願寺第8世でした。本願寺中興の祖とも称されます。

    蓮如上人に関する石碑があったお寺の山門光景です。『蓮如上人生誕の地』の文字が刻まれていました。蓮如上人(1415〜1499年)は、室町時代の浄土真宗の僧で、本願寺第8世でした。本願寺中興の祖とも称されます。

  • 知恩院の三門光景です。知恩院は、浄土宗総本山の寺院で、山号は華頂山(かちょうざん)です。三門の脇の桜が見頃になっていました。知恩院は、浄土宗の宗祖・法然房源空(法然)が東山吉水(よしみず)、現在の知恩院勢至堂付近に営んだ草庵をその起源とします。元和7年(1621年)の建立とされます。

    知恩院の三門光景です。知恩院は、浄土宗総本山の寺院で、山号は華頂山(かちょうざん)です。三門の脇の桜が見頃になっていました。知恩院は、浄土宗の宗祖・法然房源空(法然)が東山吉水(よしみず)、現在の知恩院勢至堂付近に営んだ草庵をその起源とします。元和7年(1621年)の建立とされます。

  • 知恩院の南門です。この門を潜って、円山公園に向かいました。浄土宗の祖・法然は、唐時代の高僧・善導の著作『観経疏』を読んで『専修念仏』の思想に開眼し、浄土宗の開宗を決意して比叡山を下りました。承安5年(1175年)、法然43歳の時でした。『専修念仏』とは、いかなる者も、一心に阿弥陀如来の名を唱え続ければ極楽往生できるとする思想です。この思想は旧仏教側から激しく糾弾され、攻撃の的となりました。

    知恩院の南門です。この門を潜って、円山公園に向かいました。浄土宗の祖・法然は、唐時代の高僧・善導の著作『観経疏』を読んで『専修念仏』の思想に開眼し、浄土宗の開宗を決意して比叡山を下りました。承安5年(1175年)、法然43歳の時でした。『専修念仏』とは、いかなる者も、一心に阿弥陀如来の名を唱え続ければ極楽往生できるとする思想です。この思想は旧仏教側から激しく糾弾され、攻撃の的となりました。

  • この後は、知恩院前の駐車場での再集合まで自由散策です。見頃を迎えていた、丸山公園内の桜の光景です。近年では、五木寛之さんの親鸞や蓮如に関する本がベストセラーになりました。

    イチオシ

    この後は、知恩院前の駐車場での再集合まで自由散策です。見頃を迎えていた、丸山公園内の桜の光景です。近年では、五木寛之さんの親鸞や蓮如に関する本がベストセラーになりました。

  • 少し日が陰ってきましたが、見頃になっていた円山公園の桜の光景です。八坂神社、知恩院に隣接する円山公園は、国の名勝に指定されています。

    少し日が陰ってきましたが、見頃になっていた円山公園の桜の光景です。八坂神社、知恩院に隣接する円山公園は、国の名勝に指定されています。

  • 散策路の脇にあったこのソメイヨシノ(染井吉野)は、見頃までには少し時間がかかりそうでした。円山公園の代表的な桜は、『祇園枝垂れ桜』です。『ヒトエシロヒガンシダレザクラ(一重白彼岸枝垂れ桜)』と呼ばれる品種のようです。

    散策路の脇にあったこのソメイヨシノ(染井吉野)は、見頃までには少し時間がかかりそうでした。円山公園の代表的な桜は、『祇園枝垂れ桜』です。『ヒトエシロヒガンシダレザクラ(一重白彼岸枝垂れ桜)』と呼ばれる品種のようです。

  • アシビ(馬酔木)と石碑の光景です。句碑のようでしたが、文字は読み取れませんでしたが、僅かに読み取れた『忘れ傘』でネット検索したところ、久佐太郎氏の『忘れ傘また来る謎の春の酔』の句でした。大田久佐太郎氏(1891〜1955年)は、神戸生まれの俳人です。

    アシビ(馬酔木)と石碑の光景です。句碑のようでしたが、文字は読み取れませんでしたが、僅かに読み取れた『忘れ傘』でネット検索したところ、久佐太郎氏の『忘れ傘また来る謎の春の酔』の句でした。大田久佐太郎氏(1891〜1955年)は、神戸生まれの俳人です。

  • 白い花を咲かせた、アシビ(馬酔木)のズームアップ光景です。アシビは、ツツジ科アセビ属の耐寒性常緑低木です。

    白い花を咲かせた、アシビ(馬酔木)のズームアップ光景です。アシビは、ツツジ科アセビ属の耐寒性常緑低木です。

  • 同じく、白い花を咲かせた、アシビ(馬酔木)のズームアップ光景です。若い頃から万葉集が好きでしたが、この花も万葉集で覚えました。

    同じく、白い花を咲かせた、アシビ(馬酔木)のズームアップ光景です。若い頃から万葉集が好きでしたが、この花も万葉集で覚えました。

  • 円山公園内の散策路の光景です。円山公園の敷地は、明治維新までは八坂神社(当時は祇園感神院)や、円山安養寺の境内の一部でした。

    円山公園内の散策路の光景です。円山公園の敷地は、明治維新までは八坂神社(当時は祇園感神院)や、円山安養寺の境内の一部でした。

  • 上り坂になった、円山公園内の散策路の光景が続きます。明治初期の廃仏毀釈の一環として、明治4年(1871年)に上知令によって土地が政府に没収され、明治19年(1886年)に総面積約9万平方メートルの公園が設けられたのが円山公園の始まりです。

    上り坂になった、円山公園内の散策路の光景が続きます。明治初期の廃仏毀釈の一環として、明治4年(1871年)に上知令によって土地が政府に没収され、明治19年(1886年)に総面積約9万平方メートルの公園が設けられたのが円山公園の始まりです。

  • 夕刻の書入れ時です。料亭の前では呼び込みの人の姿がありました。看板の『左阿彌』の名前でネット検索しましたら、茶道が源の懐石料理の『左阿彌(さあや)』がヒットしました。この地で茶事を極めた織田頼長の父『織田有楽斎』の粋を平成の世にまで脈々と受け継ぎ京料理と喧伝されていました。

    夕刻の書入れ時です。料亭の前では呼び込みの人の姿がありました。看板の『左阿彌』の名前でネット検索しましたら、茶道が源の懐石料理の『左阿彌(さあや)』がヒットしました。この地で茶事を極めた織田頼長の父『織田有楽斎』の粋を平成の世にまで脈々と受け継ぎ京料理と喧伝されていました。

  • 見頃までには、もう少しだけ時間がかかりそうな、土手の上の染井吉野らしい桜の光景です。

    見頃までには、もう少しだけ時間がかかりそうな、土手の上の染井吉野らしい桜の光景です。

  • 椋の大木の根元付近の光景です。椋木には名札がありましたが、肝心な名前が葉に隠れてしまいました。

    椋の大木の根元付近の光景です。椋木には名札がありましたが、肝心な名前が葉に隠れてしまいました。

  • 見上げるような大木の光景です。円山公園の古木では、『祇園枝垂れ桜』が有名ですが、椋の木も、この木よりも古木の椋木があります。

    見上げるような大木の光景です。円山公園の古木では、『祇園枝垂れ桜』が有名ですが、椋の木も、この木よりも古木の椋木があります。

  • 由緒ありそうな、料亭の入口光景です。京料理の『東観荘』の表札がありました。振り仮名がありませんから、『トウカンショウ』か、『トウカンソウ』のどちらが正しいのか分かりませんでした。おせち料理でも有名なようです。

    由緒ありそうな、料亭の入口光景です。京料理の『東観荘』の表札がありました。振り仮名がありませんから、『トウカンショウ』か、『トウカンソウ』のどちらが正しいのか分かりませんでした。おせち料理でも有名なようです。

  • 緩い石畳の坂道が続いていた光景です。時間の都合で、坂道を上るのはやめ、その入口の立札などの撮影だけにしました。『長楽寺』の山門への坂道のようでした。

    緩い石畳の坂道が続いていた光景です。時間の都合で、坂道を上るのはやめ、その入口の立札などの撮影だけにしました。『長楽寺』の山門への坂道のようでした。

  • 『長楽寺』のタイトルがあった立札の光景です。自伝によれば、延暦24年(805年)、桓武天皇の勅命によって伝教大師(最澄)を開基として創建されたお寺と紹介されていました。

    『長楽寺』のタイトルがあった立札の光景です。自伝によれば、延暦24年(805年)、桓武天皇の勅命によって伝教大師(最澄)を開基として創建されたお寺と紹介されていました。

  • 三角形の大きな紫色の看板に、『大谷祖廟・北門』の表示がありました。こちらは順路ですから、立寄ることにしました。

    三角形の大きな紫色の看板に、『大谷祖廟・北門』の表示がありました。こちらは順路ですから、立寄ることにしました。

  • 同じく、三角形の大きな紫色の看板に『大谷祖廟・北門』の表示があった入口の光景です。通称は、『東大谷』、江戸時代には『大谷御坊』と呼ばれていました。

    同じく、三角形の大きな紫色の看板に『大谷祖廟・北門』の表示があった入口の光景です。通称は、『東大谷』、江戸時代には『大谷御坊』と呼ばれていました。

  • 『大谷祖廟』の境内光景です。正面は、『太鼓堂』と呼ばれている建物です。かつては、2階部分の太鼓で時間を知らせて慰安した。今は、定例法話の会場として使用されています。

    『大谷祖廟』の境内光景です。正面は、『太鼓堂』と呼ばれている建物です。かつては、2階部分の太鼓で時間を知らせて慰安した。今は、定例法話の会場として使用されています。

  • 『大谷祖廟』の『北門』から眺めた外の光景です。かなり高い石段の上にある門でした。大谷廟堂の創建は、文永9年(1272年)、大谷祖廟は、寛文10年(1670年)の創建とされます。

    『大谷祖廟』の『北門』から眺めた外の光景です。かなり高い石段の上にある門でした。大谷廟堂の創建は、文永9年(1272年)、大谷祖廟は、寛文10年(1670年)の創建とされます。

  • 大谷祖廟の境内光景です。本堂に祀られた御本尊は、阿弥陀如来立像、御廟は、宗祖親鸞ならびに『真宗大谷派御歴代』の墓所です。

    大谷祖廟の境内光景です。本堂に祀られた御本尊は、阿弥陀如来立像、御廟は、宗祖親鸞ならびに『真宗大谷派御歴代』の墓所です。

  • 石塔と、その手前の新しい立札の光景です。『大谷祖廟定例法話』のタイトルがあった新しい立札には、毎月13比と8日に約30分間の法話会が開かれていることが紹介されていました。

    石塔と、その手前の新しい立札の光景です。『大谷祖廟定例法話』のタイトルがあった新しい立札には、毎月13比と8日に約30分間の法話会が開かれていることが紹介されていました。

  • 『太鼓堂』のズームアップ光景です。随分と屋根が重たそうな建築に見えます。先門首の命日が13日、宗祖・親鸞の命日の28日が、法話の日です。

    イチオシ

    『太鼓堂』のズームアップ光景です。随分と屋根が重たそうな建築に見えます。先門首の命日が13日、宗祖・親鸞の命日の28日が、法話の日です。

  • 『親鸞聖人墳墓の地(大谷祖廟9』のタイトルがあった立札です。真宗大谷派(東本願寺)宗史跡第1号の表示がありました。

    『親鸞聖人墳墓の地(大谷祖廟9』のタイトルがあった立札です。真宗大谷派(東本願寺)宗史跡第1号の表示がありました。

  • 大谷祖廟の唐風の造りの山門の横で咲いていた、ソメイヨシノの光景です。7〜8分咲でしょうか、ほぼ見頃になっていました。

    大谷祖廟の唐風の造りの山門の横で咲いていた、ソメイヨシノの光景です。7〜8分咲でしょうか、ほぼ見頃になっていました。

  • 見頃になっていた、ソメイヨシノ(染井吉野)の花のズームアップ光景です。わずかに蕾が残っていました。

    見頃になっていた、ソメイヨシノ(染井吉野)の花のズームアップ光景です。わずかに蕾が残っていました。

  • 大谷祖廟の『表唐門』の光景です。平成22年(2010年)、『宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌』の記念事業の『大谷祖廟木造諸建物整備事業』の一環として、『本堂』とともに回収された総門です。

    イチオシ

    大谷祖廟の『表唐門』の光景です。平成22年(2010年)、『宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌』の記念事業の『大谷祖廟木造諸建物整備事業』の一環として、『本堂』とともに回収された総門です。

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