2015/10/21 - 2015/10/27
5位(同エリア9件中)
binchanさん
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10月22日木曜日、旅行二日目。
午後、プラハから5時間半かけてスロバキアのニトラに到着し、順調に観光をしています。
郊外の教会を見た後はニトラ最大の見どころ、お城へ向かいます。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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Dražovceのpri krížiからバスに乗ってPod Zoboromで下車。
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Hrad(お城)の表示を頼りに歩きます。肝心な時にネットがつながらず、ナビ機能が使えません。
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見えてきました。
高台にあるので街のどこからでもだいたい見えるのですが、時々死角になります。 -
聖キリルと聖メソディウスかな。いずれもニトラにゆかりの深い聖人です。
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ニトラ川を渡って市街地へ。
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サッカー場発見。そういえばスロバキアでプレーしていた日本人サッカー選手が、人種差別問題でどうのこうのってニュースがありましたね。
たしかに宗教的にも民族的にも均一性が高い国なので排他的な雰囲気はあるかも。シリア難民受け入れ問題でも「一切受け入れたくない」とかたくなですしね。まあ他国のこと言えた義理じゃありませんが…。 -
お城は近づいてくるものの、どうやら当てにしていた看板は駐車場への案内だったらしい。駐車場についたら「城はここから1キロ」という看板が。しかも歩いてきた方向に…。
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急がないと日が暮れちゃう。城壁の上からの夕日が目当てなのに。
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でもなんだかかわいい路地だし、素敵な風見鶏もいますよ。
道に迷うと思いがけない発見がありますよね。それを見越したゆとりあるプランをたてておけばいいんですけど、貧乏性でね。 -
城壁が間近に見える。
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おお、ストリートビューで見た景色だ。
でもお城が死角に入って進むべき方向がわからない。
通行人に道を聞いて進みます。若い人に聞けばたぶん英語が通じるのでしょうが、話しかけやすいのはやっぱり同年代のおばさん。スロバキアで何人のおばさんに助けてもらったことか。 -
チェックしていたワイン店。明日時間があったらここで地元のワインを買う予定。時間があるといいな〜
この店の前ではおじさんに道を教えてもらいました。すごくわかりやすいジェスチャーで「坂を上ってアーチをくぐるとお城」と教えてくれました。 -
おっと、またまた日本食のお店発見。
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やった、入り口にたどり着きました。(Upper townの入り口)
この建物はDistrict houseで、行政機関の建物。ニトラギャラリーもこの中にあります。
http://www.nisys.sk/www/content/nisys/list/0/849ニトラの町の眺望も楽しめます by binchanさんニトラ城 城・宮殿
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これがおじさんの言っていた「アーチ」だな。城(Hrad)って書いてあるしね。
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通路を通ってUpper town(お城のあるエリア)に入ります。
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門を抜けると聖ペテロとパウロ教会(Kostol svätého Petra a Pavla)があります。
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この教会の縁起を示すものらしい。1630年に建てられたようです。二条城くらいの年代かと思うと、古いような古くないような。(二条城は木造なのでもっと古く感じます。)
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このレリーフは聖ペテロとパウロ?
描かれている方がどなたかはわかりませんが、下の文字を翻訳アプリにインプットして解読すると「このレリーフは1663年にトルコ軍によって破壊され、塔の階段に使われていたのを、1944年に発見した」というなります。
キリスト教に詳しければこの構図を見ただけで描かれている人がわかるんだろうなあ。そういう素養がないから教会を見ても面白くないんでしょうね。 -
さすがにこちらがキリスト像だということはわかります。二人のご婦人は聖母マリアとマグダナのマリアなんだろうと推測しますが、合ってます?
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プリビナ広場が見えてきました。プリビナはスロバキアの歴史上重要な人物です。
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5世紀ごろから長きにわたってニトラの地はアファールという異民族に支配されていました。623年から665年の間、サモ王国というスラブ人の国が存在したこともありますが、803年にカロリング朝フランク王国がアファールを打ち破るまで、アファールの支配は続いたのです。(石器時代くらいまでさかのぼるとスラブ人ですらこの地のネイティブとは言えなくなってしまうのですが、ここでは現スロバキア人目線で。)
フランク王国はアファールとの戦いに協力したスラブ人にこの地を封じ、ニトラ公国が成立します。
せっかくアファールの支配から抜けだしたものの、次はフランク王国の支配をどう取り除くかが問題になってきました。プリビナはその点で貢献があったニトラ公です。
彼の時代、ビザンツ帝国(東方正教)とフランク王国(ローマカトリック)との間でバランスをとり、キリスト教化を定着させて国を安定させていったようです。
この石碑にはそういうことが書いてあるんだろうと思って写真を撮ったのですが、実際はニトラの町についての説明でした。 -
その後プリビナは同じスラブ系のモラヴィア帝国モイミール王によって追放されてしまいます。このモラヴィア帝国が現在に続くスラブ人国家の祖とされ、モイミールこそがその初代王ということになっているのですが、基礎はプリビナにあります。
モイミールの子孫にスヴァトプルクという王がいて、彼の伝説にこんな話があります。ある日スヴァトプルクは三人の息子にそれぞれ一本ずつ木の枝を持たせ、それをへし折るように言います。枝は簡単に折れてしまいます。続いて三本をまとめて折るように言うのですが、三本まとまった枝はなかなか折れません。このように息子たちが協力しあえばこそ王国は繁栄するのだ、と。
ん?どこかで聞いたような話ですね。中国やモンゴルにも同様の話があるらしいですが、スヴァトプルク話は10世紀なので一番古そうです。でももっと古い元ネタがありそうですよね。大モトをご存じの方は教えてください。
こんな逸話のあるスヴァトプルク王ですが、そもそも伯父であった先代ラスティスラフ王を排斥して王になった人物。実際に彼の版図を引き継いだ二人の息子は反目しあって多くの領土を東フランク王国に奪われ、907年にモラヴィア帝国は滅亡してしまいます。 -
広場から教会の方を撮影。
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神学校だと思って撮影しましたが、実際は隣のピンクの建物が神学校でした。
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屋根の上には聖母子像と天使。聖マリア被昇天教会?
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夕焼け空になってきました。日没は見られるかな。
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The Empire house of Bishop Kluch( Kanónia)
プリビナ広場の角にある建物です。その角にある像がCorgoň(アトラス)。 -
Corgoňはニトラのビールブランドとしても有名。「も」どころではなく、Corgoňで検索するとビールの話か出てきません。今回はニトラワインを重視するあまり、このビールを飲み忘れてきました。
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城へと進みましょう。
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ベスト流行の終息を神に感謝する碑。
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城門が見えてきました。
ニトラの町の眺望も楽しめます by binchanさんニトラ城 城・宮殿
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門の途中にチケット売り場があります。
チケットは30セントなんですが、「30」と聞いて30ユーロを出してしまいました。外国通貨では金銭感覚がおかしくなりますし、物価が違う国なら4,200円の入場料もあり得ないわけじゃないし(←言い訳)。売り場のイケメンお兄さんはものすごく冷静に「これではチップが多すぎますね」と言ってお札を返してくれました。
この時期は修復の都合なのか内部の見学ができないとのこと、まあ夕日を見るのが目的なのでそれは構わないのですが、せっかくなのでお城内部の絵ハガキを買うことにしました。それも30セントだったんですがなぜか「13ユーロ」と勘違いしてお札を出す私。お兄さんはまたもや冷静に「あなたチップが好きですね」って。なかなかウィットに富んでますな。とにかく私の数字の聴き取り能力が低すぎる。最後に「日本人ですか?」と聞かれましたが、日本人が全員数字に弱いわけじゃありませんからね。お兄さん、誤解なきよう。
(城に関する調べ物を英語サイトで行ったため、建物の表記が英語になっています。紛らわしくてすみません。) -
ニトラ城が最初に文献に現れるのは871年。プリビナの時代です。
丘の上に城塞を作るのは外敵を防ぐためだと思うのですが、「外敵」とはどこのことなんでしょうか?アファールのような異民族?それともフランク王国と対峙していた? -
城ができた頃、ニトラ公国はビザンツ帝国との関係を強めました。そのためニトラは司教区となり、キリスト教化が深まります。
ローマ教会の影響下にあるフランク王国の影響を抑えるには、ビザンツ帝国との関係を深め、その軍事力を背後に持つことが必要だったんですね。
写真は「教区博物館(The Diocese Museum )で、聖具やら法衣やらが展示されてるみたいです。あまり興味がないので入りませんでした。
入り口の像はおそらく聖キリルとメソディウス。ビザンツ(東方正教会)の宣教師で、聖書をスラブ語にしたり、スラブ語をキリル文字で表記する方法を広めたりと、この地域に大いなる貢献がある聖者です。 -
司教宮殿(The Episcopal Palace)
内部は聖キリルとメソディウスの日以外は非公開です。
ニトラ城には城主の宮殿が見当たりません。城内の主要な建物といえばこの司教宮殿と教会です。司教が宗教的、政治的なトップを務め、軍事的トップでもあったんでしょう。 -
ヨハネパウロ二世像
1995年に当時のローマ法王が訪問されました。ニトラにとってとても栄誉あることだったんでしょうね。 -
城壁の角には物見台。
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聖人像も哨戒任務にあたっておられるご様子。
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遠くにカルヴァリー(ニトラの十字架の丘)が見えます。明日行くのですが、意外と遠いな。
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日没に間に合いました。
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The Cathedral of Sts. Emeram(聖エンメラム聖堂)
ここがニトラ城最大の見どころです。
残念ながらこの時はクローズしていました。修復をしているみたいです。内部の様子はこちらでどうぞ。
http://www.nisys.sk/www/files/documents/65/Nitriansky%20hrad_AJ.pdf -
聖堂の扉にも二人の聖人。
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上の方にあるのは日時計?
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教会の壁に埋め込まれていた碑文。解読不能です。
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聖堂の説明が書いてあります。白い部分は聖堂の歴史で、上のURLのPDFパンフレットと内容は同じです。なので両側の説明の方が有用だったのに、適当に撮影したので切れてしまいました。
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聖堂の裏手はいかにも城塞といった感じのテラス。
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そこに最後の晩餐セットがありました。
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そしてその横には井戸。
実はこれを囚人を晒しものにする檻だと勘違いしてました。城の説明書きを読んで井戸だと気づいた…。 -
下は深〜い井戸。60メートルあるそうですけど、くみ上げるの大変だったでしょうね。
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井戸カバーと教会。
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納骨堂(the crypt)でしょうか?
歴代司教は教会地下に埋葬されているそうです。(全員ではないようですが。) -
ほかに砲室(The Casemates)という見どころもあるのですが、私は見ていません。通常は中に入ることができるようです。(この写真と砲室は無関係。)
詳細はこちらで。
http://www.nitrianskyhrad.sk/en/kazematy-en/ -
空を見上げたら飛行機雲が。
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北東側の城壁より。
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遠くにDražovceの聖ミカエル教会が見えます。すご〜く小さくですけど。
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物見台と月。
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聖堂全体。
聖堂には三つの部分、ロマネスク教会、ゴシック上部教会(Upper church)、下部教会(Lower church)があるそうですが、そういわれてみるとなんとなくそう見えるような。 -
こんな風に修復作業をしていました。HPを見ると修復は2014年に終わっているようなんですけど。
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The Gothic Ditch(ゴシックの濠)
城を拡張した時にできた、古い城壁と新しい城壁の隙間。現在はイベントスペースになっています。 -
この日イベントはなかったのですが、足場のようなものがあったので、週末には演劇か何かが行われたのかも。壁面には城の説明パネルが並んでいました。
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濠から見上げた教会の塔。
壁面にマリア様の像が掲げられています。(マリア様ですよね?) -
マリア像アップ。
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濠の入り口にあったレリーフ。
1271年に何があったのかな?城の歴史を見ても特に記載がないような…。 -
ドラゴンの形をした樋。
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口から水が出るんだと思います。
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そろそろ城を出ます。
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城門の外にも聖キリルとメソディウス像が。
お二人が布教に訪れた9世紀、城はすでにあったので、実際にこんな風にたたずんでいたことがあるかもしれませんね。 -
来たときとは違う道から出てみます。どこに出るのかな?
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ちょうど18:00の鐘の音が響いていました。
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方向が違う門から出たのに、結局最初の建物があるところに出ました。恐るべし丘の道。
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