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《2015.September》1st,1day trip of the examination to Kyoto~2015年9月10日木曜日~<br /><br />去年も同じ9月10日だった生命保険大学課程6科目のうちのひとつである〝生命保険と税・相続〟の試験。何回受験したかすら覚えていませんが、年に一回しか行われないこの科目の試験、なんとなく〝秋の恒例行事化〟しているようにも思えます。生命保険の資格試験を受けるからには〝保険屋さん〟でしょうと言われることもありますが、実は違います。〝何でも屋〟というのが正解なのですが、生命保険と損害保険という大きく分けて二つのカテゴリーがあり、損害保険は全ての資格試験を取得済み、生命保険は唯一残っているのがこの試験になります。<br /><br />うちの会社全て探しても、この試験全て受かっている人はいません。まして受ける必要があるのかないのかというと、多分必要ありません。ということはまわりが見る目も冷ややかです。しかし昔のように〝一夜漬け〟で覚える芸当もできなくなりつつある中で、〝頭の体操〟として受け続けているのが現状です。今までは滋賀の試験会場だったのですが、今回はなぜか京都になっていました。最近京都へも行くこともなくなっていたので、せっかくなので〝受験〟に託けて秋の京都を歩いてみました。<br /><br />2015年9月10日木曜日<br />いつものごとく南淡海県ど田舎村(笑)の我が家から出発します。駅までも同居人に送って貰い、いよいよスタートです♪初秋の石山駅はどんよりと曇っていますが、私の中のジンクス〝傘を持つと雨が降る〟を信じ、雨具を持たずに出発します。石山駅を11:00発の225系新快速に乗車し、11:13京都着。5番線へと到着しますが、ここでひとつ調べたいことがあり地下通路へと向かう階段の周辺を探索します。〝大阪方面ホームから地下通路に下りるエレベーターの有無〟。私は空港へと向かう際、スーツケースを持たない主義なので階段を駈け下りて行くのですが、実際にあるかどうかと言われると…覚えていません。天下の京都駅なのであるだろう…とたかをくくっていましたが、結果は〝ありません〟でした。幾度も改装を経て今に至る京都駅、意外な盲点がありました。だからどうなる訳でもありませんが(困)。取り敢えずmissionは終了しました。<br /><br />そして八条地下出口から出て、京都市営地下鉄へと乗り継ぎます。京都の地下鉄なんて何年ぶりだろう…。そういう思いにかられながら11:20の国際会館行きの電車に乗ります。あの〝なんとも言えない車体色〟の近鉄3200系車両に乗り込み、6つ目の駅である今出川駅に11:29に到着します。4番出口から地上へと出た瞬間、事故に遭遇。チャリンコにぶつかられました。頭にキテいる中年のおっさん、当たり前のようにそのまま逃げよりましたが…いい年こいて〝当て逃げ〟かよ…。こんなんだから事故が減らないんですね、やはり。最近どうもチャリンコ族にいい印象がありません。歩道を通り当て逃げだと、どれだけ警察で絞られるかすらわかっていない輩が多い…。まあ時間もないので先へと急ぎます。まずは最寄りのファミリーマートで恒例の〝ドリンク一本〟と一服。そして西方向へと今出川通りを歩いて行きます。京都市上京區役所、無断駐車が多いのか駐車場も有料化されています。趣のある石碑が建っていましたが、それ程古いものではなさそうです。右かも川(鴨川)左天満宮(北野天満宮)とありました。そのままとっとことっとこ歩いて行くと大きな交差点に到着します。堀川今出川交差点、京都の地名は〝縦の通り〟と〝横の通り〟の組み合わせなので〝わかりやすい〟ものではあります。交差点を渡り少し南に下がるとある〝西陣織会館〟、ここが今日の試験会場です。<br /><br />京都の西陣織会館というと有名どころのひとつではあるものの、私は初めて(だったはず…)でした。この界隈で作られる〝西陣織〟の統括的な場所として、宣伝など着物に関するデモンストレーションが行われる一方、会議室を試験や研修に貸し出しているところでもあります。6階会議室が試験会場でしたが、到着が11:50だったため1階の人だかりを少し見て行きます。ちょうど〝着物のファッションショー〟が行われていました。着物というと昔ながらの〝のっぺり顔〟の方がよく似合うと言われており、それを信じていたところもあるのですが、やはり現在では〝今風のキレイな顔〟のモデルさんが出ておられました。ん~…、私には無理のようです(爆)。ちなみに見学は無料なので木曜日の昼頃にもかかわらず、満員御礼状態でした。ただほとんどがお隣のお国の言葉でしか喋れない観光客でしたが…。<br /><br />心理作戦を狙ってわざと12:00の試験時間に遅れて入場、そして13:30に終了。まあ結果は後程のお楽しみということで、会場を後にし、今出川の駅へと向かいます。その途中〝白峯神社〟を見つけたので、急遽参拝します。蹴鞠発祥の地と銘を打った碑があるだけに今では球技、それも〝サッカー〟の神様として信仰が厚いそうです。パラパラと参拝客はいたものの、この位の規模だと…と思っていました。しか~し帰り際にタクシーが境内に入ってきました。どこかの中学校の修学旅行の班行動のようでした。以外と知名度が高いんだなぁ~と思って門を潜ると、すぐに〝観光バス〟が到着し、これまた修学旅行生がうじゃうじゃ降りてきました。実は知らなかったのは私だけ?と思いながら、しっかり試験の合格祈願をしてきたことに気付きました(汗)。<br /><br />そのまま一旦今出川駅まで戻ったあと、せっかくなので京都の街散策へと出かけます。烏丸通を下がって烏丸中立売交差点の中立売御門から京都御苑へと入ります。京都御苑というと、平安時代から明治初期まで京都に都が置かれていた時代の皇居であった京都御所を取り囲むように広がる南北1,300m、東西700mに渡る総面積92haの広大な公園であり、そのうち環境庁管轄の国民公園として65haが一般に開放されています。<br /><br />元々京都御苑の場所は、近世には200余りの邸宅が立ち並ぶ公家町でした。しかし明治2(1869)年の東京遷都の際に旧公家屋敷等が広がっていた京都御所周辺は荒廃しました。この状況を受けた岩倉具視が、旧慣保存のためにも明治10年(1877年)に御所の保存を建議し、それを受けた京都府が火災延焼を防ぐため御所周辺の空き家となった公家屋敷などを撤去して整備したのが京都御苑の始まりとなっています。当初は周囲の土塁と堀を整備したにとどまったものでしたが、明治16年(1883年)に御苑の管理は京都府から宮内省に移り、その後も整備は続けられます。そして大正4年(1915年)の大正大礼の際、建礼門前大通りの改修工事が施されほぼ現在の姿になって今に至ります。昭和24年(1949年)には厚生省の管理運営のもと国民公園となった後、昭和46年(1971年)環境庁発足の際に厚生省から管理運営を引き継ぎ現在に至っています。<br /><br />京都市の中心部に位置する広大な公園は、市民だけに止まらず京都を訪れるすべての観光客の憩いの場所として、その存在感を表しています。しか~し、京都の高校へ行っていたにも関わらず、私自身この京都御苑に来た〝記憶〟がありません(汗)。そのためせっかくの機会なので今回はブラブラ歩くことにしました。この京都御苑を構成する施設のうち、宮内庁管轄の京都御所は、見学には前日までの予約(※予約媒体により異なる)が必要です。毎年春と秋にある〝京都御所一般公開〟の時には不要です。今回はそこまで予定を決めていなかったので、予約していません。なので勿論入れませんので入口からその様子を眺めるだけでした。またこの京都御所という場所はやはり特別な場所なのでしょう。清所門脇の詰所表示には〝皇宮警察〟の文字があり、パトカーらしい車には〝五三桐〟のマークが付いていたり(確かそうだったはず)…。とまあ私にとっては非現実的な事柄を見ながら御苑を散歩して行きます。禁門の変の際に長州の来島又兵衛が戦死した場所とされる〝清水谷家の椋〟、大正大礼で最後の改修が行われ現在の姿になった〝建礼門〟とその前方に延びる大通り等を巡り、南に下がって厳島神社、安芸の国厳島の社を崇敬していた平清盛が神戸に社殿を建てた際に厳島神社を勧請し、その後実母の霊を合祀したものを遷座させたものとされています。時代の流れの中で実母が名の知れた叔母である〝祇園女御〟に変えられて伝わっていることには、なにか物悲しいものを感じます。重要美術品の扱いである〝唐破風鳥居〟は京都三鳥居と称されるものだそうです。このエリアは公卿の九条家の邸宅があった場所であり、明和8(1771)年にこの鳥居を幕府の許可を得て移築した時には、九条邸の一角を担っていたものと考えられています。そしてその旧九条邸宅に残る〝拾翠亭〟、拝観時間が限られており見学することはできませんでしたが、江戸時代後期に茶室として建てられたもので、九条池を含め貴族の茶室らしく遊び心にあふれた建築だと言われているものだそうです。<br /><br />そして閑院宮邸、四親王家のひとつである閑院宮家は、宝永7(1710)年東山天皇皇子の直仁親王を始祖として創立しました。この公卿町南西部の位置に屋敷を構えますが、創建当時の建物は天明の大火、天明8(1788)年で焼失、その後再建されたものの現在の建物との関係は不明だそうです。 明治2(1869)年の東京遷都に伴い閑院宮が東京に移られた後は、華族会館や裁判所として一時使用されていましたが、御苑の整備が一段落した明治16(1883)年、宮内省京都支庁が設置されました。戦後の昭和24(1949)年に京都御苑が国民公園となってからは、京都御苑管理事務所などに使用された後、その後平成18(2006)年3月に改修工事を終えると、京都御苑の自然と歴史についての写真・絵図・展示品・解説を備えた収納展示室と庭園などを開放され現在に至っています。<br /><br />ゆっくり回ってきましたが、足跡を辿ると結構見落としている場所もあるため、御所の拝観含めて改めてやってきたいと思います。そして間の町口から丸太町通りへと出て、烏丸丸太町交差点へと向かいます。最初はここから地下鉄に乗って帰ろうと考えていました。しか~し、調子づいたB型はもう少し歩いてみようかという気持ちになりました。なので烏丸通を南に下がって行きます。烏丸御池を上ったところにある〝京都国際マンガミュージアム〟、平成7年(1995)年4月に周辺の4つの小学校と統合され廃校になった旧龍池小学校跡地に平成18(2006)年11月にオープンし、ワールドワイドな人気に後押しされて京都の新名所のひとつとなった場所です。館長には解剖学者の養老孟司氏が就任、そして旧龍池小学校の本館・講堂・北校舎・正門及び塀だった建物は平成20(2008)年7月23日に国の登録有形文化財に登録されています。大都市中心部のドーナツ化現象による人口の減少、そしてそれにつながる子供の減少により、歴史ある学校が廃校になったりまた廃校の危機にある事実が昨今取り上げられています。少子高齢化という時代の流れの中である意味仕方のないことではあるものの、場所的な〝地の利〟を活かして他に転用し、それが〝歴史ある建物〟の第二の人生になることは大変嬉しいことのように思います。学校グランドには〝龍池小学校〟であったことを示す石碑が烏丸通に面して建っており、マンガミュージアムを利用しない方にもその歴史を語り掛けています。こういうところは歴史ある街京都の良いところなのかも知れません♪<br /><br />そして烏丸御池へとやってきました。ここは京都地下鉄南北線と東西線の乗換駅でもあります。ここから山科を経由して帰るものありだったのですが、またまた欲張って烏丸通を下がって行きます。そして四条烏丸、文字通り四条通と烏丸通の交差点であると同時に、四条河原町と並ぶ京都市内の〝昔からの繁華街〟のひとつです。ここから四条通を左へととり、自転車通行不可の歩道をてくてく歩きます。う~ん…お店がわかりません(悲)。そして誰もが知っている新京極、それをまた上って行きます。このあたりになると何年ぶりになるかすら思い出せません…。お店の感じも変わっているし、なによりまだ明るい時間帯、歩いている観光客の多くはお隣のお国の方々ばかり…。この人の流れだけは仕方がないのかも知れません。<br /><br />特にお土産を買う訳でもなく、三条通まで突き当たったあとまた東に入り、河原町三条へと出ます。このアーケードは昔ながらで変わってはいません。そのまま東に入り池田屋騒動跡・三条小橋・高瀬川・三条大橋・鴨川と歩くと三条駅界隈へと出ます。川端三条になりますが、この一帯は時の流れで呼称が代わり続けた場所でもあります。平成9(1997)年10月12日、京津三条~御陵間が廃止されたことにより、地上駅舎であった京津三条駅舎も廃止されました。平成15(2003)年にはその駅舎跡が整備され駅前広場としての供用が始まりました。もしかするとそれだけ長い期間この三条京阪を利用していないのかも知れません。しかし気付くと何かが変わっているように思えるこの三条京阪界隈、京阪本線、7番線の〝鴨川にはみ出たホーム〟が懐かしく思えてなりません。三条通りに面して建っている〝高山彦九郎像〟、以前はもっと目立っていたように思うのは私だけでしょうか?ふ~っ…時代の流れを感じます。<br /><br />なんとか持っていた天気でしたが、ここでにわか雨らしい雨が降ってきました。このまま地下へと潜り、地下鉄経由で帰れば問題ないのですが、ここでまたスケベ根性にかられます。〝すぐに止む〟と!少し歩いてコンビニに立ち寄り、一服しながら天候の回復を待ちます。そうすると案の定です、晴れてきました。結構な距離を歩いているので足は疲れているのですが、ふと先程通り過ぎた映画館のことを思い出しました。〝日本のいちばん長い日〟スマホで見ると良い時間にあるようです。急ぐ訳でもなくトコトコと今度は西入るように歩いてまず新京極へ、そして下って着いた先は〝MOVIX〟。17:45のチケットを購入し、なんと地下のスクリーンへと向かいます。ここ何年も映画なんて行ってもいないので、どこの席が良いかと聞かれても答えられません。なのでお勧めは~と聞くと〝この席〟だそうです。映画を写メするほど非常識ではないので、見え方だけご紹介です。<br /><br />150分映画を満喫して外に出ると、さすがに真っ暗でした。なので再び三条京阪まで歩いて地下鉄東西線京阪京津線浜大津行きに乗車、4両編成の電車に乗っかり浜大津駅へ。そこでいつもお馴染みの〝マッチ箱トレイン〟に乗り換え、ほとんど仕事上りと変わらない時刻に京阪石山駅に戻ってきました。そうすれば後はいつもと同じです、田舎の赤バス〝田舎バイパス経由〟に乗り15分、ど田舎我が家に無事帰りつき、明日からどう筋肉痛が出るのかワクワクしながら、一日の京都の旅を思い返しつつ記憶は次第に薄れていきました~(疲)。<br /><br />これでお・し・ま・い♪

《2015.Sep》1st,1day trip of the examination to Kyoto~2015年9月10日木曜日~

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たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。

たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん

《2015.September》1st,1day trip of the examination to Kyoto~2015年9月10日木曜日~

去年も同じ9月10日だった生命保険大学課程6科目のうちのひとつである〝生命保険と税・相続〟の試験。何回受験したかすら覚えていませんが、年に一回しか行われないこの科目の試験、なんとなく〝秋の恒例行事化〟しているようにも思えます。生命保険の資格試験を受けるからには〝保険屋さん〟でしょうと言われることもありますが、実は違います。〝何でも屋〟というのが正解なのですが、生命保険と損害保険という大きく分けて二つのカテゴリーがあり、損害保険は全ての資格試験を取得済み、生命保険は唯一残っているのがこの試験になります。

うちの会社全て探しても、この試験全て受かっている人はいません。まして受ける必要があるのかないのかというと、多分必要ありません。ということはまわりが見る目も冷ややかです。しかし昔のように〝一夜漬け〟で覚える芸当もできなくなりつつある中で、〝頭の体操〟として受け続けているのが現状です。今までは滋賀の試験会場だったのですが、今回はなぜか京都になっていました。最近京都へも行くこともなくなっていたので、せっかくなので〝受験〟に託けて秋の京都を歩いてみました。

2015年9月10日木曜日
いつものごとく南淡海県ど田舎村(笑)の我が家から出発します。駅までも同居人に送って貰い、いよいよスタートです♪初秋の石山駅はどんよりと曇っていますが、私の中のジンクス〝傘を持つと雨が降る〟を信じ、雨具を持たずに出発します。石山駅を11:00発の225系新快速に乗車し、11:13京都着。5番線へと到着しますが、ここでひとつ調べたいことがあり地下通路へと向かう階段の周辺を探索します。〝大阪方面ホームから地下通路に下りるエレベーターの有無〟。私は空港へと向かう際、スーツケースを持たない主義なので階段を駈け下りて行くのですが、実際にあるかどうかと言われると…覚えていません。天下の京都駅なのであるだろう…とたかをくくっていましたが、結果は〝ありません〟でした。幾度も改装を経て今に至る京都駅、意外な盲点がありました。だからどうなる訳でもありませんが(困)。取り敢えずmissionは終了しました。

そして八条地下出口から出て、京都市営地下鉄へと乗り継ぎます。京都の地下鉄なんて何年ぶりだろう…。そういう思いにかられながら11:20の国際会館行きの電車に乗ります。あの〝なんとも言えない車体色〟の近鉄3200系車両に乗り込み、6つ目の駅である今出川駅に11:29に到着します。4番出口から地上へと出た瞬間、事故に遭遇。チャリンコにぶつかられました。頭にキテいる中年のおっさん、当たり前のようにそのまま逃げよりましたが…いい年こいて〝当て逃げ〟かよ…。こんなんだから事故が減らないんですね、やはり。最近どうもチャリンコ族にいい印象がありません。歩道を通り当て逃げだと、どれだけ警察で絞られるかすらわかっていない輩が多い…。まあ時間もないので先へと急ぎます。まずは最寄りのファミリーマートで恒例の〝ドリンク一本〟と一服。そして西方向へと今出川通りを歩いて行きます。京都市上京區役所、無断駐車が多いのか駐車場も有料化されています。趣のある石碑が建っていましたが、それ程古いものではなさそうです。右かも川(鴨川)左天満宮(北野天満宮)とありました。そのままとっとことっとこ歩いて行くと大きな交差点に到着します。堀川今出川交差点、京都の地名は〝縦の通り〟と〝横の通り〟の組み合わせなので〝わかりやすい〟ものではあります。交差点を渡り少し南に下がるとある〝西陣織会館〟、ここが今日の試験会場です。

京都の西陣織会館というと有名どころのひとつではあるものの、私は初めて(だったはず…)でした。この界隈で作られる〝西陣織〟の統括的な場所として、宣伝など着物に関するデモンストレーションが行われる一方、会議室を試験や研修に貸し出しているところでもあります。6階会議室が試験会場でしたが、到着が11:50だったため1階の人だかりを少し見て行きます。ちょうど〝着物のファッションショー〟が行われていました。着物というと昔ながらの〝のっぺり顔〟の方がよく似合うと言われており、それを信じていたところもあるのですが、やはり現在では〝今風のキレイな顔〟のモデルさんが出ておられました。ん~…、私には無理のようです(爆)。ちなみに見学は無料なので木曜日の昼頃にもかかわらず、満員御礼状態でした。ただほとんどがお隣のお国の言葉でしか喋れない観光客でしたが…。

心理作戦を狙ってわざと12:00の試験時間に遅れて入場、そして13:30に終了。まあ結果は後程のお楽しみということで、会場を後にし、今出川の駅へと向かいます。その途中〝白峯神社〟を見つけたので、急遽参拝します。蹴鞠発祥の地と銘を打った碑があるだけに今では球技、それも〝サッカー〟の神様として信仰が厚いそうです。パラパラと参拝客はいたものの、この位の規模だと…と思っていました。しか~し帰り際にタクシーが境内に入ってきました。どこかの中学校の修学旅行の班行動のようでした。以外と知名度が高いんだなぁ~と思って門を潜ると、すぐに〝観光バス〟が到着し、これまた修学旅行生がうじゃうじゃ降りてきました。実は知らなかったのは私だけ?と思いながら、しっかり試験の合格祈願をしてきたことに気付きました(汗)。

そのまま一旦今出川駅まで戻ったあと、せっかくなので京都の街散策へと出かけます。烏丸通を下がって烏丸中立売交差点の中立売御門から京都御苑へと入ります。京都御苑というと、平安時代から明治初期まで京都に都が置かれていた時代の皇居であった京都御所を取り囲むように広がる南北1,300m、東西700mに渡る総面積92haの広大な公園であり、そのうち環境庁管轄の国民公園として65haが一般に開放されています。

元々京都御苑の場所は、近世には200余りの邸宅が立ち並ぶ公家町でした。しかし明治2(1869)年の東京遷都の際に旧公家屋敷等が広がっていた京都御所周辺は荒廃しました。この状況を受けた岩倉具視が、旧慣保存のためにも明治10年(1877年)に御所の保存を建議し、それを受けた京都府が火災延焼を防ぐため御所周辺の空き家となった公家屋敷などを撤去して整備したのが京都御苑の始まりとなっています。当初は周囲の土塁と堀を整備したにとどまったものでしたが、明治16年(1883年)に御苑の管理は京都府から宮内省に移り、その後も整備は続けられます。そして大正4年(1915年)の大正大礼の際、建礼門前大通りの改修工事が施されほぼ現在の姿になって今に至ります。昭和24年(1949年)には厚生省の管理運営のもと国民公園となった後、昭和46年(1971年)環境庁発足の際に厚生省から管理運営を引き継ぎ現在に至っています。

京都市の中心部に位置する広大な公園は、市民だけに止まらず京都を訪れるすべての観光客の憩いの場所として、その存在感を表しています。しか~し、京都の高校へ行っていたにも関わらず、私自身この京都御苑に来た〝記憶〟がありません(汗)。そのためせっかくの機会なので今回はブラブラ歩くことにしました。この京都御苑を構成する施設のうち、宮内庁管轄の京都御所は、見学には前日までの予約(※予約媒体により異なる)が必要です。毎年春と秋にある〝京都御所一般公開〟の時には不要です。今回はそこまで予定を決めていなかったので、予約していません。なので勿論入れませんので入口からその様子を眺めるだけでした。またこの京都御所という場所はやはり特別な場所なのでしょう。清所門脇の詰所表示には〝皇宮警察〟の文字があり、パトカーらしい車には〝五三桐〟のマークが付いていたり(確かそうだったはず)…。とまあ私にとっては非現実的な事柄を見ながら御苑を散歩して行きます。禁門の変の際に長州の来島又兵衛が戦死した場所とされる〝清水谷家の椋〟、大正大礼で最後の改修が行われ現在の姿になった〝建礼門〟とその前方に延びる大通り等を巡り、南に下がって厳島神社、安芸の国厳島の社を崇敬していた平清盛が神戸に社殿を建てた際に厳島神社を勧請し、その後実母の霊を合祀したものを遷座させたものとされています。時代の流れの中で実母が名の知れた叔母である〝祇園女御〟に変えられて伝わっていることには、なにか物悲しいものを感じます。重要美術品の扱いである〝唐破風鳥居〟は京都三鳥居と称されるものだそうです。このエリアは公卿の九条家の邸宅があった場所であり、明和8(1771)年にこの鳥居を幕府の許可を得て移築した時には、九条邸の一角を担っていたものと考えられています。そしてその旧九条邸宅に残る〝拾翠亭〟、拝観時間が限られており見学することはできませんでしたが、江戸時代後期に茶室として建てられたもので、九条池を含め貴族の茶室らしく遊び心にあふれた建築だと言われているものだそうです。

そして閑院宮邸、四親王家のひとつである閑院宮家は、宝永7(1710)年東山天皇皇子の直仁親王を始祖として創立しました。この公卿町南西部の位置に屋敷を構えますが、創建当時の建物は天明の大火、天明8(1788)年で焼失、その後再建されたものの現在の建物との関係は不明だそうです。 明治2(1869)年の東京遷都に伴い閑院宮が東京に移られた後は、華族会館や裁判所として一時使用されていましたが、御苑の整備が一段落した明治16(1883)年、宮内省京都支庁が設置されました。戦後の昭和24(1949)年に京都御苑が国民公園となってからは、京都御苑管理事務所などに使用された後、その後平成18(2006)年3月に改修工事を終えると、京都御苑の自然と歴史についての写真・絵図・展示品・解説を備えた収納展示室と庭園などを開放され現在に至っています。

ゆっくり回ってきましたが、足跡を辿ると結構見落としている場所もあるため、御所の拝観含めて改めてやってきたいと思います。そして間の町口から丸太町通りへと出て、烏丸丸太町交差点へと向かいます。最初はここから地下鉄に乗って帰ろうと考えていました。しか~し、調子づいたB型はもう少し歩いてみようかという気持ちになりました。なので烏丸通を南に下がって行きます。烏丸御池を上ったところにある〝京都国際マンガミュージアム〟、平成7年(1995)年4月に周辺の4つの小学校と統合され廃校になった旧龍池小学校跡地に平成18(2006)年11月にオープンし、ワールドワイドな人気に後押しされて京都の新名所のひとつとなった場所です。館長には解剖学者の養老孟司氏が就任、そして旧龍池小学校の本館・講堂・北校舎・正門及び塀だった建物は平成20(2008)年7月23日に国の登録有形文化財に登録されています。大都市中心部のドーナツ化現象による人口の減少、そしてそれにつながる子供の減少により、歴史ある学校が廃校になったりまた廃校の危機にある事実が昨今取り上げられています。少子高齢化という時代の流れの中である意味仕方のないことではあるものの、場所的な〝地の利〟を活かして他に転用し、それが〝歴史ある建物〟の第二の人生になることは大変嬉しいことのように思います。学校グランドには〝龍池小学校〟であったことを示す石碑が烏丸通に面して建っており、マンガミュージアムを利用しない方にもその歴史を語り掛けています。こういうところは歴史ある街京都の良いところなのかも知れません♪

そして烏丸御池へとやってきました。ここは京都地下鉄南北線と東西線の乗換駅でもあります。ここから山科を経由して帰るものありだったのですが、またまた欲張って烏丸通を下がって行きます。そして四条烏丸、文字通り四条通と烏丸通の交差点であると同時に、四条河原町と並ぶ京都市内の〝昔からの繁華街〟のひとつです。ここから四条通を左へととり、自転車通行不可の歩道をてくてく歩きます。う~ん…お店がわかりません(悲)。そして誰もが知っている新京極、それをまた上って行きます。このあたりになると何年ぶりになるかすら思い出せません…。お店の感じも変わっているし、なによりまだ明るい時間帯、歩いている観光客の多くはお隣のお国の方々ばかり…。この人の流れだけは仕方がないのかも知れません。

特にお土産を買う訳でもなく、三条通まで突き当たったあとまた東に入り、河原町三条へと出ます。このアーケードは昔ながらで変わってはいません。そのまま東に入り池田屋騒動跡・三条小橋・高瀬川・三条大橋・鴨川と歩くと三条駅界隈へと出ます。川端三条になりますが、この一帯は時の流れで呼称が代わり続けた場所でもあります。平成9(1997)年10月12日、京津三条~御陵間が廃止されたことにより、地上駅舎であった京津三条駅舎も廃止されました。平成15(2003)年にはその駅舎跡が整備され駅前広場としての供用が始まりました。もしかするとそれだけ長い期間この三条京阪を利用していないのかも知れません。しかし気付くと何かが変わっているように思えるこの三条京阪界隈、京阪本線、7番線の〝鴨川にはみ出たホーム〟が懐かしく思えてなりません。三条通りに面して建っている〝高山彦九郎像〟、以前はもっと目立っていたように思うのは私だけでしょうか?ふ~っ…時代の流れを感じます。

なんとか持っていた天気でしたが、ここでにわか雨らしい雨が降ってきました。このまま地下へと潜り、地下鉄経由で帰れば問題ないのですが、ここでまたスケベ根性にかられます。〝すぐに止む〟と!少し歩いてコンビニに立ち寄り、一服しながら天候の回復を待ちます。そうすると案の定です、晴れてきました。結構な距離を歩いているので足は疲れているのですが、ふと先程通り過ぎた映画館のことを思い出しました。〝日本のいちばん長い日〟スマホで見ると良い時間にあるようです。急ぐ訳でもなくトコトコと今度は西入るように歩いてまず新京極へ、そして下って着いた先は〝MOVIX〟。17:45のチケットを購入し、なんと地下のスクリーンへと向かいます。ここ何年も映画なんて行ってもいないので、どこの席が良いかと聞かれても答えられません。なのでお勧めは~と聞くと〝この席〟だそうです。映画を写メするほど非常識ではないので、見え方だけご紹介です。

150分映画を満喫して外に出ると、さすがに真っ暗でした。なので再び三条京阪まで歩いて地下鉄東西線京阪京津線浜大津行きに乗車、4両編成の電車に乗っかり浜大津駅へ。そこでいつもお馴染みの〝マッチ箱トレイン〟に乗り換え、ほとんど仕事上りと変わらない時刻に京阪石山駅に戻ってきました。そうすれば後はいつもと同じです、田舎の赤バス〝田舎バイパス経由〟に乗り15分、ど田舎我が家に無事帰りつき、明日からどう筋肉痛が出るのかワクワクしながら、一日の京都の旅を思い返しつつ記憶は次第に薄れていきました~(疲)。

これでお・し・ま・い♪

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
交通
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
JRローカル 私鉄 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • まむーとさん 2015/09/23 14:57:26
    充実の一日ですね♪
    たかティムさん、こんにちは〜

    試験チャレンジ精神はスゴイですね!
    でも気持ち分かります!

    ミッションありがとうございました!
    ベビーカーや車イスにも不親切ですね。
    ありそうなのにないのは質が悪いです。

    【しか〜し、京都の短大へ行っていたにも関わらず、私自身この京都御苑に来た?記憶?がありません(汗)。】
    私はその地下鉄で2年通学しましたが、その時は歴史に全く興味なく御所には行ったことがありませんでした。
    京都らしい風景でもあり、京都とは思えない空間ですね。

    高山像、親不幸通り、高瀬川。
    今はお酒を飲む事も遊ぶ事もありませんが、
    青春の景色を見せてもらいました〜。
    学習も出来、ありがとうございました♪

    まむーと

    たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。

    たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん からの返信 2015/09/23 19:15:36
    筋肉痛(泣)。
    まむーとさん

    こんばんは〜♪

    おや、短大は京都でしたか?でも不思議なもので京都へ通学していた方は多いものの御所や御苑を、懐かし〜♪っていう方が意外に少ないようです。京都⚪︎⚪︎大学という一応理科系の国立に行っていた方のみ反応ありでした。私に至っては12年間のブランクがあり、あのマッチ箱電車が廃止になった時すら知りません。
    京都界隈で遊んだ記憶もなく、親不孝通り?なにそれ?って感じです。
    でもうちらの学生時代の歴史って近代史って興味がなかったのはみんなじゃないですかね。特に明治維新なんて授業ですらやらなかったように思います。

    京都の神社は全て平安時代からの歴史があって当たり前、しかしサッカーの神様は実は明治維新でできたもの。その理由は760年前に流罪となった天皇の祟りを恐れた明治天皇が作らせたものだった。真実はともかく日本人の?げん担ぎ?は変わらないと感心してしまいます(笑)。

    歴史ある街であり、未来に羽ばたく京都になって貰いたいと思うのは私だけではないと思います。エレベーターにしても♪

    たかティム。

たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さんのトラベラーページ

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