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雨は上がったもののスッキリしない空模様の中、枝垂れ梅を見に城南宮へ行きました。<br />休日だから混雑するだろうし、例によって9時間かけて東京まで帰らなくっちゃならないので、早めに行動開始♪<br />いや~っ、凄かったです。今まで見た梅林中、一番綺麗だったと思います。<br />但し、大した写真は撮れてません。

満開の枝垂れ梅 in 城南宮 part1 ~ 青春18きっぷで京都の息子に会いに行く

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2015/03/07 - 2015/03/08

139位(同エリア1757件中)

旅行記グループ 行き先別;京都

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PHOPHOCHANG

PHOPHOCHANGさん

雨は上がったもののスッキリしない空模様の中、枝垂れ梅を見に城南宮へ行きました。
休日だから混雑するだろうし、例によって9時間かけて東京まで帰らなくっちゃならないので、早めに行動開始♪
いや~っ、凄かったです。今まで見た梅林中、一番綺麗だったと思います。
但し、大した写真は撮れてません。

旅行の満足度
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円 - 3万円
交通手段
JRローカル 私鉄 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 京阪を丹波橋で乗り換えて近鉄へ、そして此処竹田着です。宿泊した門真市から1時間弱(7:28〜8:22)。竹田駅は近鉄と京都市営地下鉄烏丸線とが1つの駅にまとまっています。ホームの反対側に見えているのは地下鉄の車両です

    京阪を丹波橋で乗り換えて近鉄へ、そして此処竹田着です。宿泊した門真市から1時間弱(7:28〜8:22)。竹田駅は近鉄と京都市営地下鉄烏丸線とが1つの駅にまとまっています。ホームの反対側に見えているのは地下鉄の車両です

  • 丁寧な案内有難うございます

    丁寧な案内有難うございます

  • ザックリ見た地図で竹田駅から城南宮へ向かう途中に近衛天皇陵が在るようでした。せっかくなので立ち寄ろうと思い、駅から南下する道と交わる通りが在るたびに、いちいち注意を払っていました。が、緑濃い一角はすぐに判りました

    ザックリ見た地図で竹田駅から城南宮へ向かう途中に近衛天皇陵が在るようでした。せっかくなので立ち寄ろうと思い、駅から南下する道と交わる通りが在るたびに、いちいち注意を払っていました。が、緑濃い一角はすぐに判りました

  • 安楽寿院は京都市南郊の伏見区竹田に位置しています。<br />今では想像も出来ませんが、900年ほど前の平安時代、平安京の南の鳥羽は池が広がり、水鳥が群れる風光明媚な地でした。この池の畔に離宮が造られ、技術の粋を尽くした御殿が建ち並びその美を競っていたと言います。当時栄華を誇った貴族たちは連日のようにこの地を訪れ、舟遊びや歌合わせなどに興じ、華やかな貴族文化の舞台になっていました。この鳥羽離宮の東殿に保延3(1137)年、御堂が建てられました。これが安楽寿院です。安楽寿院はその名前のとおり、浄土教に基づき極楽浄土を希求するため阿弥陀三尊を本尊様としました。その後、本御塔、九躰阿弥陀堂、閻魔堂、不動堂、新御塔が次々落慶し一応の完成を見ました。当時の寺領は膨大なもので今の茨城県から九州の間に散在し、最盛期には32国63ヶ荘に及んでいました。 <br />その後、南北朝争乱に巻き込まれ寺領の多くを失ったため、徐々に寺の規模を縮小しながらも維持されてきました。桃山時代になり豊臣秀吉より近辺の五百石分の寺領はあらためて保証する旨の朱印状を頂戴し、続く江戸時代も徳川歴代将軍より寺領を安堵され運営されてきました。江戸期には十二院五坊の塔頭を要する学山として多くの学匠を輩出しています。 <br /><br />

    安楽寿院は京都市南郊の伏見区竹田に位置しています。
    今では想像も出来ませんが、900年ほど前の平安時代、平安京の南の鳥羽は池が広がり、水鳥が群れる風光明媚な地でした。この池の畔に離宮が造られ、技術の粋を尽くした御殿が建ち並びその美を競っていたと言います。当時栄華を誇った貴族たちは連日のようにこの地を訪れ、舟遊びや歌合わせなどに興じ、華やかな貴族文化の舞台になっていました。この鳥羽離宮の東殿に保延3(1137)年、御堂が建てられました。これが安楽寿院です。安楽寿院はその名前のとおり、浄土教に基づき極楽浄土を希求するため阿弥陀三尊を本尊様としました。その後、本御塔、九躰阿弥陀堂、閻魔堂、不動堂、新御塔が次々落慶し一応の完成を見ました。当時の寺領は膨大なもので今の茨城県から九州の間に散在し、最盛期には32国63ヶ荘に及んでいました。
    その後、南北朝争乱に巻き込まれ寺領の多くを失ったため、徐々に寺の規模を縮小しながらも維持されてきました。桃山時代になり豊臣秀吉より近辺の五百石分の寺領はあらためて保証する旨の朱印状を頂戴し、続く江戸時代も徳川歴代将軍より寺領を安堵され運営されてきました。江戸期には十二院五坊の塔頭を要する学山として多くの学匠を輩出しています。

  • 鳥羽離宮の各御所には白河上皇および鳥羽上皇によって仏堂が営まれました。最初に造営された南殿に付属した仏堂は証金剛院と呼ばれ、以下、北殿には勝光明院、泉殿には成菩提院、東殿には安楽寿院、田中殿には金剛心院が造営されました。<br />鳥羽離宮内の他の御所や仏堂が跡形もなく滅びた中にあって、安楽寿院のみが(建物は近世以降の再建であるが)、21世紀の今日まで法灯を伝えています。<br />幕末の鳥羽・伏見の戦いでは本営となっています

    鳥羽離宮の各御所には白河上皇および鳥羽上皇によって仏堂が営まれました。最初に造営された南殿に付属した仏堂は証金剛院と呼ばれ、以下、北殿には勝光明院、泉殿には成菩提院、東殿には安楽寿院、田中殿には金剛心院が造営されました。
    鳥羽離宮内の他の御所や仏堂が跡形もなく滅びた中にあって、安楽寿院のみが(建物は近世以降の再建であるが)、21世紀の今日まで法灯を伝えています。
    幕末の鳥羽・伏見の戦いでは本営となっています

  • 明治天皇御小休所。<br />元々の敷地が広かったせいか、境内という感じの境目が在りません。定規筋入りの塀で囲まれているのは書院・庫裏ですが、それ以外の堂宇は道端です。ちょっと変な感じ??

    明治天皇御小休所。
    元々の敷地が広かったせいか、境内という感じの境目が在りません。定規筋入りの塀で囲まれているのは書院・庫裏ですが、それ以外の堂宇は道端です。ちょっと変な感じ??

  • 安楽寿院説明板

    安楽寿院説明板

  • 鳥羽離宮(とばりきゅう)は、12世紀から14世紀頃まで代々の上皇により使用されていた院御所で、鳥羽殿(とばどの)・城南離宮(じょうなんりきゅう)とも呼ばれていました。城南宮、これから行きますね!

    鳥羽離宮(とばりきゅう)は、12世紀から14世紀頃まで代々の上皇により使用されていた院御所で、鳥羽殿(とばどの)・城南離宮(じょうなんりきゅう)とも呼ばれていました。城南宮、これから行きますね!

  • 右手前に鐘楼、その奥に阿弥陀堂が在ります。<br />阿弥陀堂は台風の被害がもとで倒壊した堂(本御塔の後身)の代わりにご本尊様をお祀りするために昭和34年建立されました。重要文化財指定阿弥陀如来像をお祀りしてあります

    右手前に鐘楼、その奥に阿弥陀堂が在ります。
    阿弥陀堂は台風の被害がもとで倒壊した堂(本御塔の後身)の代わりにご本尊様をお祀りするために昭和34年建立されました。重要文化財指定阿弥陀如来像をお祀りしてあります

  • 大師堂。<br />慶長元(1596)年、山城、伏見に大地震が起き、新御塔が倒壊しました。その時一時しのぎに集められるだけの材料で、とりあえず仏様をお祀り出来るように建てたお堂がこの大師堂です。新御塔の方は慶長11年豊臣秀頼公によって復興されましたが、お堂のほうは勤行堂として以後も使用され、その後現在地へ移築され、その時から大師堂として弘法大師像を本尊としてお祀りしています。その他に大日如来、薬師如来、聖観音、十一面観音、千手観音、地蔵菩薩、不動明王、歓喜天など旧塔頭の仏様がここにお祀りされています。<br />一時しのぎって感じは全くしませんが?? <br />

    大師堂。
    慶長元(1596)年、山城、伏見に大地震が起き、新御塔が倒壊しました。その時一時しのぎに集められるだけの材料で、とりあえず仏様をお祀り出来るように建てたお堂がこの大師堂です。新御塔の方は慶長11年豊臣秀頼公によって復興されましたが、お堂のほうは勤行堂として以後も使用され、その後現在地へ移築され、その時から大師堂として弘法大師像を本尊としてお祀りしています。その他に大日如来、薬師如来、聖観音、十一面観音、千手観音、地蔵菩薩、不動明王、歓喜天など旧塔頭の仏様がここにお祀りされています。
    一時しのぎって感じは全くしませんが??

  • 路地の反対側に近衛天皇陵が在ります。<br />

    路地の反対側に近衛天皇陵が在ります。

  • 多宝塔が御陵として用いられている唯一の珍しい建物で、鳥羽天皇の皇后で近衛天皇の母である美福門院 藤原徳子により建立され、近衛天皇の遺骨が納められました。<br />近衛天皇は生母の得子が鳥羽上皇の寵愛を受けていたため、崇徳天皇の中宮・藤原聖子を准母とし、わずか2歳で異母兄・崇徳天皇の譲位を受けて即位しました。在位中は鳥羽上皇が院政を敷いていました。病気がちで、15歳の時には一時失明の危機に陥り、譲位の意思を関白・藤原忠通に告げたといいます(『台記』仁平3年9月23日条)。病弱な上に17歳で早世したため皇子女はなく、異母兄・雅仁親王が即位しました(後白河天皇)。<br />鳥羽法皇が崩御すると皇位を巡って朝廷が後白河天皇方と崇徳上皇方に分裂し、保元の乱が起こりました。歴史だわ〜っ

    多宝塔が御陵として用いられている唯一の珍しい建物で、鳥羽天皇の皇后で近衛天皇の母である美福門院 藤原徳子により建立され、近衛天皇の遺骨が納められました。
    近衛天皇は生母の得子が鳥羽上皇の寵愛を受けていたため、崇徳天皇の中宮・藤原聖子を准母とし、わずか2歳で異母兄・崇徳天皇の譲位を受けて即位しました。在位中は鳥羽上皇が院政を敷いていました。病気がちで、15歳の時には一時失明の危機に陥り、譲位の意思を関白・藤原忠通に告げたといいます(『台記』仁平3年9月23日条)。病弱な上に17歳で早世したため皇子女はなく、異母兄・雅仁親王が即位しました(後白河天皇)。
    鳥羽法皇が崩御すると皇位を巡って朝廷が後白河天皇方と崇徳上皇方に分裂し、保元の乱が起こりました。歴史だわ〜っ

  • 近衛天皇陵側から安楽寿院を望む

    近衛天皇陵側から安楽寿院を望む

  • 更に詳しい事はWikipediaでどうぞ。<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E6%A5%BD%E5%AF%BF%E9%99%A2(安楽寿院)<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E7%BE%BD%E9%9B%A2%E5%AE%AE(鳥羽離宮跡)

    更に詳しい事はWikipediaでどうぞ。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E6%A5%BD%E5%AF%BF%E9%99%A2(安楽寿院)
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E7%BE%BD%E9%9B%A2%E5%AE%AE(鳥羽離宮跡)

  • 北向不動院。<br />安楽寿院の西、第二京阪の通る大通りに出る手前に在ります。<br />北向不動、北向きのお不動さんと呼ばれて、江戸時代から名不動の1つでした

    北向不動院。
    安楽寿院の西、第二京阪の通る大通りに出る手前に在ります。
    北向不動、北向きのお不動さんと呼ばれて、江戸時代から名不動の1つでした

  • 屋根の上に観音様

    屋根の上に観音様

  • 北向不動案内板

    北向不動案内板

  • はい、これが第二京阪です

    はい、これが第二京阪です

  • 第二京阪を此処で折れます。城南宮道です

    第二京阪を此処で折れます。城南宮道です

  • 城南宮に到着です。東鳥居から入ります

    城南宮に到着です。東鳥居から入ります

  • 城南宮は、平安遷都の際に、国土の安泰と都の守護を願って、王城(都)の南に祀られたお宮である事から、城南宮と称えられます。<br />国常床命(くにのたちとこのみこと)、八千矛神(やちほこのかみ=大国主命)、息長帯日売命(おきながたらしひめのみこと=神功皇后)<br />を中心にお祀りしています

    城南宮は、平安遷都の際に、国土の安泰と都の守護を願って、王城(都)の南に祀られたお宮である事から、城南宮と称えられます。
    国常床命(くにのたちとこのみこと)、八千矛神(やちほこのかみ=大国主命)、息長帯日売命(おきながたらしひめのみこと=神功皇后)
    を中心にお祀りしています

  • 城南鳥居をくぐって拝殿・本殿に向かいます。神苑の入り口も中へ入って左です

    城南鳥居をくぐって拝殿・本殿に向かいます。神苑の入り口も中へ入って左です

  • 鳥居の内側すぐ右に早速枝垂れ梅が咲いていました

    鳥居の内側すぐ右に早速枝垂れ梅が咲いていました

  • 今回の目的はこの「しだれ梅と椿まつり」です。<br />神苑「楽水苑」の春の山では150本の枝垂れ梅が咲き誇ります。<br />前の日にテレビのローカルニュースで満開って放送してたと言うのを後で知りましたが、大変良いタイミングで行けたのですね

    今回の目的はこの「しだれ梅と椿まつり」です。
    神苑「楽水苑」の春の山では150本の枝垂れ梅が咲き誇ります。
    前の日にテレビのローカルニュースで満開って放送してたと言うのを後で知りましたが、大変良いタイミングで行けたのですね

  • 9時の受付開始と同時に中へ。それでもドンドン人は増えていきます

    9時の受付開始と同時に中へ。それでもドンドン人は増えていきます

  • 緑のアーチが開けた向こうに既にピンクが見えています。嫌が応にも期待が高まります

    緑のアーチが開けた向こうに既にピンクが見えています。嫌が応にも期待が高まります

  • おぉ〜っ!

    おぉ〜っ!

  • 庭の見どころの案内

    庭の見どころの案内

  • PHOが気に入ったのは梅の木の間を歩く人が居ないという事です。北野天満宮にしても、京都御苑にしても、地元の湯島天神にしても、梅林の中を歩ける為、写真を撮ると梅の向こうに人が写り込んでしまいます。此処は「春の山」という斜面に咲いていて、その周囲を歩くので、梅だけを見る事が出来ます

    PHOが気に入ったのは梅の木の間を歩く人が居ないという事です。北野天満宮にしても、京都御苑にしても、地元の湯島天神にしても、梅林の中を歩ける為、写真を撮ると梅の向こうに人が写り込んでしまいます。此処は「春の山」という斜面に咲いていて、その周囲を歩くので、梅だけを見る事が出来ます

  • 羽ばたいてますw

    羽ばたいてますw

  • 動きが速いので狙って撮ってる間が有りません

    動きが速いので狙って撮ってる間が有りません

  • 蕪です。春の七草コーナーに在りました。庭の突き当たり(順路は右へ進む)に植えられています

    蕪です。春の七草コーナーに在りました。庭の突き当たり(順路は右へ進む)に植えられています

  • すずな(蕪)すずしろ(大根)以外は見ても判らない気がします

    すずな(蕪)すずしろ(大根)以外は見ても判らない気がします

  • 梅が無いのにカメラを持った人が集まってる、と思ったら、落ち椿でした

    梅が無いのにカメラを持った人が集まってる、と思ったら、落ち椿でした

  • うん、風情有りますね

    うん、風情有りますね

  • 『春の山』は此処で終わりです。次は本殿の裏手を廻って『平安の庭』を見に行きます

    『春の山』は此処で終わりです。次は本殿の裏手を廻って『平安の庭』を見に行きます

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