2014/09/06 - 2014/09/08
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PHOPHOCHANGさん
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青春18きっぷの有効期間最後の週末。
旧盆の時期に1日も(土日以外)休みの無かったPHOは8日を休んでこの夏2度目の関西入りです。
いつもは観光優先ですが(とは言え、1泊2日なら滞在可能時間は約24時間のみ)、今回は半年ぶりに息子に会うのがメインの2泊3日でした。
例によって4時44分日暮里発の京浜東北線から乗り継ぎを始め、8時間半後の13時14分に京都に着きました。最後の乗り継ぎ駅米原から予定通りの新快速に乗れた旨息子に知らせ、「支度して出る。原チャリを置くイオンモールでトニーローマの予約もしておく」って返事を貰って居ました。
ところが、次は京都と言うところでの連絡に返って来たのは「後もう少し」。全く時間にルーズと言うか、読みが甘いと言うか、余裕が無いと言うか、変わってません。それじゃイオンモールを経由してPHOの前に姿を現すのは明らかに遅れるって事です。
しかも八条口側から待ち合わせの正面改札への道筋は考えていなかった模様。てかね、スマホに頼り過ぎです。
「後700メートル」なんて連絡が来ましたが、そんなにかかるはず有りません。歩行者専用道を通って来る発想が無かったようなので、南北自由通路か地下鉄の駅方面か判る方に迎えって指示して(地下鉄ってサインは見えると言うので)、PHOもそっちへ向かいました。
駅のロッカーに荷物を預けてから20分も経って、ようやく地下街で息子とご対面。
灼けてるな〜っ、これじゃ外人に見間違われても仕方無し。
早速地上に出て、洛バス100番(土日は急行です)で銀閣寺に向かいます。と、その列に並んだ途端にいきなり土砂降りの雨になりました。小さいながら乗り場に屋根が設けられていたので助かりましたが、息子は傘無しでした。全く、もう!奥さんに頼り無いと思われても文句言えません。
銀閣寺までの道のりはかなり長いので、息子は今自分は何に興味が有るのかを一生懸命説明し、PHOのスマホにあれこれダウンロードしてくれました。君の興味イコール母の興味では無いよとも思うのですが、少なくとも昔から、息子が自分の話をしようとする時には必ず聞く姿勢を取りたいと思っているので、とにかく聞きます。 スマホで聞けるラジオ番組の紹介でした。そういうオタクっぽいトコも変わってません。
PHOは初銀閣寺です。息子は中学の修学旅行で来たそうです。外国人がいっぱい来てました。
その銀閣寺、正式名称は東山慈照寺。室町幕府8代将軍足利義政が文明14(1482)年に開いた山荘で、東山文化を代表する建築物です。
義政公の没後は臨済禅宗の寺院となり義政公の法号慈照院にちなんで慈照寺と名付けられました。
銀閣寺の名の由来は江戸時代、3代将軍義満公の造営による山荘北山殿の金閣寺(鹿苑寺)に対し、銀閣寺と名付けられました。
夕飯食べ終えるまでの6時間足らずでしたが、 母としてはHAPPYに過ごす事が出来ました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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青春18きっぷで東海道方面に出かける時は、ほぼ毎回この時間からのスタートです。ここで1本遅い電車(京浜東北もしくは山手線だから、早朝とは言え10分しないうちに次が来るけど)になると、京都着は丸1時間ズレちゃうのです。
まぁ、途中の静岡県、愛知県で下車して観光する予定なら、次の東京5:20発沼津行きの方が乗り換え回数も少なくて楽なのですけどね。
品川5:10発小田原行きから東海道を一路西へ。小田原〜熱海〜浜松〜豊橋〜大垣〜米原、計7回乗り継いで京都へ向かいます -
東海道線の車窓から、何も邪魔する物無く海が見えるってなかなか有りません。
その数少ない好位置の1つ、早川〜根府川 -
9月上旬の6時半はこんな感じ。季節によって同じ時刻でも日の高さがハッキリ違うのは面白いところです
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階段を上り下りしてホームを移動し、次の電車に席を確保してから、改めてコンコースで買い物が出来る余裕が有るのは豊橋駅だけです。
此処までは全て4分以内の乗り継ぎなので、席の確保を最優先にすると買い物してる暇は有りません。だもんで駅弁(?)はいつも壺屋の稲荷寿司になっちゃうのです(好きだから良いのですけどね) -
今回は季節の稲荷にしました。左から、桜海老、枝豆と紅ショウガ、ジャコ、鰻と錦糸卵、って事は夏バージョンですね
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姫路行きの新快速。先頭車両は何となくローカルっぽい。安土付近を通過中です。
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定刻に京都着。日暮里から乗り継いで8時間半かかりました。新幹線なら(東京から)2時間20分で来ちゃいますが、運賃&料金は14000円ほどですから、片道分で青春18きっぷなら3往復出来る計算になります
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ロッカーに荷物を預けて正面出口を出ました。京都タワーです。
目の前に銀閣寺行きの洛バスが停まっています。全く、息子が予定通りに来ていれば、スムーズにそれに乗れたのに・・・ -
バスを待ってる間に雨が降りました。最近の通り雨はいきなり豪雨です。この時はすぐに止んだので良かったです
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予定より20分遅れて出発。洛バス100番(銀閣寺行き)は土日祝のみ急行運転します
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急行でも、三十三間堂〜清水寺〜八坂神社〜平安神宮と観光地を通過するので混んで乗り降りに時間がかかるのです。40分近くかけて到着しました
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銀閣寺前でバスを降りた後、今出川通りを戻るように直進して来ました。信号の在る交差点で鹿ヶ谷通りを越え、銀閣寺は更に直進ですが、哲学の道は右へ向かいます。後で時間が有れば歩いてみましょう
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哲学の道(てつがくのみち)は京都市左京区にある琵琶湖疏水分線に沿った歩道です。詳しくはこちらをどうぞ。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%93%B2%E5%AD%A6%E3%81%AE%E9%81%93
架かっている橋は、その名も銀閣寺橋です -
銀閣寺への参道。もっと時間が有れば、左右のお店を覗きながらブラブラしたいところでした
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銀閣寺境内図。まずは総門へと向かいます(左下)
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総門。
三門(山門)って言うと、ドーンとデカいイメージ有るでしょ、南禅寺とか知恩院みたいに。銀閣寺にはそう呼ばれる門は在りません。
さすが京都☆紅葉する時期が楽しみな景色です、つうか観光客はカップルか女性の小グループが大多数 -
この碑の後ろが銀閣寺垣と呼ばれている竹垣の形式の1つで、当然ながら此処が発祥の地です。石垣の上に丈の低い建仁寺垣を一体化させる形で設けた物ですが、さて、それでは建仁寺垣と言うのは、四つ割竹を皮を外側にして隙間無く並べ、竹の押縁で押さえて棕梠(しゅろ)縄で結んだものです。これまた建仁寺から始まったので、そう呼ばれています
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銀閣寺垣は左側だけなのです。約50mほどの距離です
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中門。
此処より中は500円の拝観料がかかります。
京の○の旅の特別公開の時は、何処も600円なのです(7月にも島原へ行きました)。
また、秋の特別拝観は国宝東求堂も見られるだけに、一般拝観料500円に加えて、1000円の特別拝観料が必要です -
お金を払うといきなり素敵になります♪砂と緑が既にフォトジェニック
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庫裏です。
庫裏とは寺院の台所にあたる建物(時に住職や家族の住むところ)をさします -
中門と宝処関(奥の門)の間がまた1つの宇宙です。宝処関の向こう側に在る庭園は全く見えません。ディズニーランドなどでメインのアトラクションの前に集められて説明などを聞いたりする、あのスペースを思い出しました
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宝処関とは貴賓客用の玄関の事です。さもありなん
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いきなり現れる砂の巨大プリンは向月台と言います
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銀閣寺と呼ばれる所以の銀閣(観音殿)です。観音殿は室町幕府8代将軍足利義政が、祖父義満の残した舎利殿(金閣)にならって建てたものですが、金箔を貼って絢爛豪華な金閣が公家の文化と武士の文化に加え、日明貿易で入ってきた大陸の文化が融合した北山文化を代表するに対し、銀閣は簡素で気品有る東山文化の象徴となっています。
銀閣は2層からなり、義政は自らの宗教観を託し、書院造りの1階は心空殿、唐様仏殿様式の2階は潮音間と名付けました。こけら葺の屋根には金銅の鳳凰が羽ばたいています。
唯一現存する室町期の楼閣庭園建築の代表的建造物として有名で国宝に指定されています -
左手前に在る石橋は観音殿と向月台をかけ渡す分界橋、中央より隣の石は北斗石と呼ばれています。が、名前を紹介出来ても由来などの解説を付ける事が出来ません。あちこち検索して見たのですが、今ひとつクリアな説明をしてある物が見つかりません。どなたかご存知の方、いらっしゃいましたらコメントくださいm(_ _)m
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再び向月台です。
高さ180cmと意外に高い向月台は、この上に座って銀閣寺の背後の月待山に上る月を待ったなどと言われていますが、俗説の域を出ません。
江戸中期には存在していたようですが、いつ出来たかは未だ謎なのです -
こうすると少しは大きさ感じませんか?
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銀沙灘に面して建つ方丈(本堂)は江戸中期の建築です。
ご本尊として釈迦牟尼仏が安置されており、釈迦牟尼仏の正面の額には「東山水上行」を掲げています。内部には江戸期の南宋画家の巨匠、与謝蕪村、池大雅の襖絵も所蔵されてます。
義政公と正室日野富子の位牌も安置されています。
方丈から見る月待山は絶景なのだそうです -
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銀沙灘。
沙灘とは中国語で砂州を意味します。
中国の西湖を模したという銀沙灘(ぎんしゃだん)は、白砂を壇状にして表面に直線の縞模様を付けられています。銀沙灘は月の光を反射させる為など、向月台同様の俗説が有りますが、反射に関しては、中生代白亜紀にマグマの高熱がまわりの地層を焼き固め、砂岩や泥岩はホルンフェルスという固い石になり、花こう岩は長い年月の間に風化して「白川砂」とよばれる白砂となりました。それで白川の白砂は非常に光の反射率が高く、庭自体光輝いて見えるのだという説も有ります。
「白川砂」は今では、銀閣寺や龍安寺石庭、法然院(白砂壇)などの京都の寺院になくてはならない砂になっています -
段の高さは約65cmだそうです
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国宝・東求堂(とうぐうどう)。
観音殿とともに、東山殿造営当時の遺構として現存するのが東求堂(国宝)です。檜皮葺き。近世書院造の現存する最古の遺構で、本来は持仏堂、すなわち阿弥陀如来を祀る阿弥陀堂でした。
内部を四畳、四畳半、六畳の小部屋に仕切ってあって、現在の日本風家屋の原型と言われています。
特に東求堂内の四畳半書院・同仁斎(どうじんさい)は、付書院と違い棚があり、現存するものでは最古の座敷飾りであり、四畳半の間取りの始まりとされています。ここで義政公は私淑していた夢想疎石の肖像を掲げ、お茶を供していたのです。
同仁斎とは、平等に仁愛を施すとの意味が有るそうです -
今年2014年10月4日からの秋の特別拝観では、此処東求堂も公開されます(特別拝観料として別途1000円)が、普段は外から見るだけです
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方丈と東求堂の間は短い渡り廊下でつながれ、間には銀閣寺型の手水鉢が在ります(渡り廊下手前の左寄り)。独特の袈裟(けさ)文様をしています。
手水鉢とは、元来、神前、仏前で口をすすぎ、身を清めるための水を確保する為の器を指しましたが、その後、茶の湯にも取り入れられ、露地の中に置かれるようになり、つくばいと呼ばれる独特の様式を形成していきました。 江戸時代になり、露地に手水鉢が不可欠のものと見なされるようになり、天然自然のものを利用したものから、露地の手水鉢の用途のためにデザインされたものが登場するようになっています -
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洗月泉。
錦鏡池南東端に落ちる滝(と言っても糸のような流れですが)。山部山畔から流れ落ちる水を銀閣・東求堂のある下段の庭へ導きます -
銀閣寺の庭園は上下二段に大別され、上段は枯山水庭園、下段は池泉回遊式庭園となっており、四方正面の庭とも呼ばれます。
写真は下段の池泉回遊式庭園で、西芳寺の庭園を元に造られたと言われています。現在の庭園は江戸時代に改修されたものです。
中央部に在る薄っぺたの石橋は仙桂橋と言い、錦鏡池に浮かぶ白鶴島にかかっています -
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苔がベルベットのようです
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洗月泉から東部の山腹をさかのぼると湧水、お茶の井(相君泉)がある。義政公が愛用したと言われる名水です。水質が豊かで500年以上も涸れる事無く涌き出していて、現在でも茶会の飲料水として使用されているのだとか。
この石組は、後の世の茶庭の蹲踞(つくばい)の原型になったとも言われています -
泉辺の石組みは当時の遺構そのままです
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山を登りきると、吉田山と連なる黒谷を借景にして、庭園と銀閣全体、京の街並みが見渡せる絶景ポイントに到着します。記念撮影に人気のビュースポットです
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銀閣の背後に東山の街並みが浮かび、更にその後方に衣笠山や左大文字が見えます。
天候が良ければ、遠くに金閣寺がまばゆい光を放つのも見えるのです。この場所は、銀閣が金閣と対峙しているのが良く分かるポイントです -
紅葉の頃は凄そうだよね
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『銀閣寺の庭園は錦鏡池を中心に整備され、銀閣の対岸から見る錦鏡池に姿を映す銀閣の光景は境内随一のビュースポットとなっている』と思うのですが、此処で立ち止まって写真を撮ってる人が居なかったのは何故?
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こういう色味の風景を見ると、人の少ない時期の緑も悪くないって思います。
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あまりに素っ気無い銀閣の裏。シンプル過ぎます。
この後売店に立ち寄って、豆久のワサビ豆などを試食して(美味しかったです)オヤツ代わりとしましたw -
改めて総門とお別れ
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行きは人が多過ぎてこの位置からの写真が撮れなかったのです
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元来た参道を引き返します
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ぶんぶく茶屋。一休みした〜い!
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参道には本家だの元祖だの八つ橋を売るお店が多くて、京都らしさを感じました。珍しくチャリに乗った地元の女の子たちが居たので、思わず写真を撮りました
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ソフトクリームが食べたかったので、行きに何処が安いかチェックしながら参道を歩いて来たPHOの候補は、200円の普通のか、きな粉と八つ橋と生クリームの載ったパフェ風300円か?息子が「きな粉」と言うので、こちらのお店に立ち寄り、半分ずつ食べました。 パフェの有る店はお土産物(ちりめん)も取り扱っていたので、待っていた息子は「ディスカウント」とか英語で話しかけられてました。実際PHOらの次の客は欧米人グループでした
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此処はソフトクリーム250円。
パフェは底の方にシリアルが詰まってる上げ底タイプですが、それでも他と比べてみると納得出来る価格ではないかと思います -
美味しかったです♪
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パフェを食べた直ぐ隣とも言うべき場所に白沙村荘は在ります。入場料800円で、美術館も見ると更に500円なので、入ってく人は殆ど居ません
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PHOらは時間も無い事だし、美術館はパスしますが行ってみましょう(と思ったら、美術館は工事中で、翌週9月10日に開館予定でした)
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こちらでパンプレットをいただくまで、橋本関雪って名前だけしか知りませんでした。が、何処でその名前を聞いたのか?と思ったら、明治41年から大正4年にかけての丸5年をPHOのウチの近所で暮らしていたのでした。
日本画家 橋本関雪(1883〜1945)は、兵庫県神戸市に生まれました。東京画壇在籍後、京都に移り大正期の京都画壇において活動しました。四条派の写実的な動物の描写を取り入れた新南画、新古典と呼ばれる絵画を次々と発表し、大正・昭和期の画壇において中心的人物の一人となりました -
白沙村荘は、日本画家・橋本関雪の旧邸で、大正5(1916)年にアトリエ兼住まいとして造営し、当時田園風景が広がる農地に木を植え、石を運ぶ事から始め、移り住んでからも30年にわたって手を入れ続け造り上げた邸宅及び庭園です。池泉回遊式庭園として平成15(2003)年に国の名勝に指定されました。
10000平方メートルの敷地内には大正〜昭和初期に建築された居宅、日本画の制作を行っていた3つの画室、茶室、持仏堂などの建造物が散在しており、国の名勝に指定されている池泉回遊式庭園は7400平方メートルにおよび、平安から鎌倉時代にかけての石像美術品が多く置かれています -
息子です♪実物より背が高く、ほっそり見えるので載せてみました。日焼けが半端無い濃さです
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入り口から池に沿って反時計回りに歩きましたが、途中で茶室に引き返したりしてみたりしたため、今一つ位置関係がハッキリしません。よって、写真のみをご覧ください
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池に面した大きな建物が存古楼。屏風製作用の画室です。
自宅として使われていたのは、受付から続いている(存古楼も離れにあたる)最大の建物、瑞米山と呼ばれています -
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芙蓉池畔に建つ倚翠亭
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茶室「倚翠亭」。
大正13(1924)年頃建てられたものですが、平成21(2009)年に焼失した為再建しされました -
国東石幔
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持仏堂。地蔵尊立像(重要文化財・鎌倉時代)を安置。通常は2月26日の間雪忌などに公開されています。存古楼の裏手に在ります
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大文字が見えます。ついでに稲光も見えてたんですが、降られずに済みました。
この庭は大文字山を借景にしており、五山の送り火で大文字がこの池に映り、ことさら風雅であるそうです -
七重層楼の向こうに在古楼
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鞍馬石の舞台石ですが、鬱勃縦横という篆刻が有ります
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絵を書く前に自らを奮い立てた言葉で「心の中にわき起こるものを実現させる」という意味との事だそうです。
PHOは舞台との連想から「(心感じるままに)自由自在」と思いました -
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白沙村荘の真ん前に在る銀閣寺前のバス停(終点・始発なので、この名前の停留所は1ヶ所だけです)にはまだまだ沢山の人が並んでいます
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哲学の道を少しだけ歩いてみる事にしました。
哲学の道は銀閣寺門前の琵琶湖疎水に架かる銀閣寺橋から南へ1.5Kmの若王子橋まで続く散歩道です。
「哲学の道」のその由来は、京都帝国大学、今の京大の西田幾太郎、河上肇らの
哲学者が思考の場として好んで散策したところから「哲学の小径」と云われたり、「散策の道」「思索の道」「疏水の小径」などと呼ばれていました。昭和47(1972)年、地元住民が保存運動を進めるに際し、相談した結果「哲学の道」と決まりその名前で親しまれるようになりました -
桜の季節や紅葉の季節には多くの観光客で賑わう哲学の道ですが、この日は時折小雨のぱらつく生憎の天候でしたし、もう4時半にもなっていましたから、歩いている人は殆ど居ませんでした
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哲学の道の桜は近くに居を構えた日本画家・橋本関雪と妻・よねが、大正11(1922)年に京都市に苗木を寄贈したのに始まります。寄贈の経緯は画家として大成した関雪が、京都に対する報恩を考えた際に、よね夫人が「桜を植えてはどうか」と発案をした事によります。当初の木はほぼ樹齢が尽きたと思われますが、佐野藤右衛門らの手により植え替えられ手入れされ現在に至っています。代替わりをした今でも桜並木の名称として「関雪桜(かんせつざくら)」と呼ばれているのです
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法然院。
その名の示す通り法然上人所縁の古刹で、哲学の道から洗心橋を渡って、坂を上がったところに在ります。
通常伽藍内は非公開です(境内は自由に見て廻れます)が、毎年4月1日から7日までと11月1日から7日までの年2回、伽藍内部の一般公開を行っています -
山門を入ると、両側に白い盛り砂が在ります。白砂壇です。
水を表わす砂壇の間を通る事は、心身を清めて浄域に入る事を意味しています。
季節ごとに模様が変わるとか・・? 此処も向月台、銀沙灘と同じく白川砂を用いています -
講堂。元は1694(元禄7)年建立の大浴室でしたが、1977(昭和52)年に内部を改装し、現在は講堂として、講演会・個展・コンサートなどに利用されているそうです
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行きと同じく100番の洛バス急行に乗りました。始発から終点まででした。
京都駅に映る京都タワーを発見して以来、映っていれば必ず撮影しちゃいます。
PHOの知り合いの中で、これに気づいたのはPHOが最初だったのです -
京都駅に戻って来ました。駅構内に入ってすぐ右のエスカレーターで2Fに上がると南北自由通路が在ります。新幹線に乗る場合は、正面から改札内へ入るより、こちらを利用した方が、新幹線ホームに行きやすいでしょう。って新幹線で京都入りしたのっていつだったか?青春18きっぷ、或るいは専ら夜行バス利用です
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イオンモールKYOTOに隣接するトニーローマです。
ぴったり予約の18:00に到着しました。
そもそも息子と食事をするにあたって此処を選んだ理由は、息子に肉を食べさせたかったのと、東京では当時溜池にしかない店舗(今は三番町、六本木、青山の3店)に息子の父親はわりと何度も通ってたのを思い出したからでした。それが京都は駅から程近いイオンモールに店を開いていたので、行き易い感が生まれた訳です -
トニーローマの売りは何と言ってもリブです。息子とシェアする予定でラムチョップとのコンボを注文しました。付け合せにはベイクドポテトのサワークリーム添えを選びました。
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息子はステーキにするのかと思ったら、ハンバーガーが良いそうです。どうもオニオンが気になって仕方なかったようです
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オニオン・ローフ。手っ取り早く言えば、オニオンリングをもっとまとめて(個々は輪になってないけど全体として円柱形に)作っちゃった感じのアペタイザーです。アメリカのステーキレストランではMUSTなチョイスです
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リブを食べるのは超久々でした。息子にも食べて欲しかったので、相談した結果、無難にオリジナルBBQソースを選びましたが、ちょっと無難過ぎたかも・・。ベイクドポテトは大きくても最後までサワークリームが行き渡って美味しく食べられました。PHOはコールスロー苦手(ってかサラダ自体得意じゃない)です
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オニオンバーガー♪こっちは息子専用。ハンバーガーはとても気に入ったものの、やっぱりコールスローは美味しくなかったそうです
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この旅行記へのコメント (2)
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- 元カニ族さん 2015/06/16 07:36:22
- 古いPHOPHOCHANGさんの旅行記を、じっくり見せて頂きます。
- 青春18切符で、8時間半での京都行き、息子さんとの出会い、そして京都観光!!
古いPHOPHOCHANGさんの旅行記は、楽しさいっぱい、宝の山ですね。
金鉱を掘り当てた感じです。
これから、時間をかけて、じっくり見せて頂きます。
元カニ族
- PHOPHOCHANGさん からの返信 2015/06/16 21:44:26
- RE: 盛り上がってますね〜
- そうそう、最初はどう載せて良いか判んないんですよね。
PHOはmixiにアルバム載せていて、だんだんmixiが衰退して来て見てくれる人減ったのと、載せても何のメリット(ポイントなど)無いので、4トラに移りました。
投票してもらうのが目的じゃないけど、見てくれてるって証になるのは嬉しいですよね。
まぁ、PHOは書き方に葛藤とか無いので上達も無いですが。
これからも我が道を行く旅行記載せますねw
> ヨコから失礼します
>
> あはは〜フォロワーさんのデビュー当時の旅行記巡りも時々しているelephantです
> 悩んだり、どう書いていいか葛藤したりで、今があるんだ、という返信ももらったんですよ
> 今は100票以上すーーっと入る大先輩もデビュー時はこれだけ?
> と発見が一杯
>
> これが楽しいから悩んでも書いています
>
> elephant
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