2007/10/27 - 2007/10/27
374位(同エリア984件中)
km45さん
古くなりますが、まず日本人観光客が訪れることがない歴史的観光地を紹介します.もちろん観光案内やWikipedia(日本語版)でも紹介されていません。これが望叢祠です。成都市西北郊外22?にある成都市郫県県城の望叢祠は古蜀王国の王、望帝と叢帝を祀ったところです。
ここで両帝のことを紹介します。古代の蜀(四川省)で初めて王として登場したのは蜀侯蚕叢で、養蚕を興したとされています。次いで柏灌、魚鳧と継がれ、彼達も数百年続いたとされており、漁業(鵜飼)の象徴とされています。次いで、杜于が自立して蜀王となり望帝と名乗り4百年ほど続き、農業を盛んにします。次いで、治水に功のあった宰相鼈霊(楚人)に位を譲り、鼈霊は叢帝と称して百数十年治め、その子孫が12代続きます。これが開明氏の蜀国です。開明氏の蜀国は、BC316年、北の秦国恵文王の派遣した司馬緒によって滅ぼされます。以上が史書(『史記』、後漢末BC1世紀の揚雄『蜀王本紀』、西晋4世紀の常璩『華陽国志』)の示している、いわゆる古蜀王国の歴史です。現在では、BC1700〜1200年(夏晩期〜商後期)の三星堆文化の時代が蚕叢・柏灌・漁鳧の3代、金沙遺跡に代表されるBC1200〜500年(商後期〜春秋)の十二橋・金沙文化の時代が望帝以後に相応するのではないかと考えられています。もちろん、黄河文明の三皇五帝が伝説のものであると同様に、蚕叢以下も伝説的存在で、史実そのものではないことはいうまでもありません。ですが、黄河文明とは異なる独自の文明である長江文明の古蜀を象徴する伝説的存在が彼等なのです。この意味からいうと、時代的には相違しますが、三皇五帝の黄帝に相当するのが蚕叢、堯帝に相当するのが望帝、夏王朝の始祖とされる禹王に相当するのが叢帝ではないでしょうか。
さて、望叢祠はこの望帝と叢帝を祀る地として陵のあるところです。もちろん伝説上の帝ですから、この両陵とも伝説上のものです。望帝の陵は最初、現在の成都市から西北に50?あまりの?江堰市の?江二王廟のある玉塁山麓にあり、崇徳祠と称していました。南北朝の斉明帝の時(494〜98)、郫県の現在地にこれを移し、叢帝陵と合併し、以後、望叢祠と称するようになりました。宋代に新修造されましたが、明末の戦乱で陵を除き破壊されました。清の道光14(1834)年に修造されて、約1.5ha弱の地を占めるようになりました。光緒33(1904)年に祠の東に聴鵑楼を建てました。中華民国の1915年に祠の後面に庭園を作りました。1984年、郫県政府が大規模な修造を行い、現在は祠の面積は5.5haとなっています。1991年、祠は四川省文物保護単位(史跡)に指定されました。
望叢祠(郫県望叢中路3号)は郫県県城の南西部に位置します。成都市からの交通は、まず金沙公文站からの305路で終点の郫県客運中心站に行きます。45の停留場があるため、金沙から郫県県城まで1時間以上はかかります。運賃は2元です。金沙で満員となり、郫県に入るまで降車客はいませんから、金沙で乗るべきです。郫県客運中心站は西灌西路(国道213号―成都市と?江堰市を結び、その先甘粛省省?蘭州に繋がる)と二環路(望叢西路)との西南角に位置しています(なお、隣接して成灌快鉄―成都青城山―の郫県西駅が)。ここより、二環路に道を取り、1.5kmほど徒歩で南下すると望叢祠前に着きます。または、360・715・720路で2つ目の望叢祠站下車(1or2元)です。入場無料で、開館時間は8時〜18時です。
表紙の写真は大門を入ったところの正面に見える「望叢祠」壁です。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス
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大門です。
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「望叢祠」壁の後方にある望帝叢帝紀念堂(記念堂)です。これは1993年に改築されたコンクリート製の建物です。
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望帝叢帝紀念堂に祀ってある望帝と叢帝の塑像です。左が望帝で、右が叢帝です。これも説明がないため何時制作のものか分かりません。堂内の壁には両帝を中心に古蜀王国の説明が掲示されています。
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紀念堂の後面に出て、橋(左右は池)を渡り直進し、左手に階段を上ると、望帝陵正面に出ます。写真がこれです。正面に1919年に四川省督軍の熊克武の建てた「古望帝之陵」碑があります。望帝陵は高さ15m・周囲約200m余の長楕円形(軸は南東・北西)のものです。陵は古柏で覆われており久古を感じさせます。正面の祭壇の後方は階段となっており、本来はそこから上り陵の前に出るのです。以上、地形を見ますと、元来の丘が整備されて陵と化したといえます。いわば自然地形を生かしたものなのです。この点で、陝西省黄陵県にある黄帝陵が自然の橋山山上にあり、山自体が陵墓とされているのと、同様に考えることが出来ます。すなわち、望帝陵は人工によるものではなく、自然の丘(山)を、後世の人がそれを陵墓として祀るようになったのです。望帝は郫に治したとある(『蜀王本紀』)ので、平地のこの付近で自然地形上の丘といえば、その地しかないのです。
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望帝陵の左側面です。
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望帝陵から下って直進し、道を左(北)へ池を越えていくと、写真の叢帝陵の正面に出ます。叢帝陵は高12mで、直径20mほどの円形をしています。これも古柏に覆われています。地形を見ますと、望帝陵からの続きの丘の稜線の末端が叢帝陵に相当します。ですから、この陵も自然地形を利用したものといえます。
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叢帝陵の後面です。このまま道を取ると聴鵑楼に出ます。そして、望帝叢帝紀念堂へと戻ります。
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聴鵑楼です。
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聴鵑楼前に置かれている獅子石造です。
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望叢祠の案内図です。写真ではお見せしませんでしたが、成都市手ではおなじみの(野外)茶館がもちろん設けられており、地元の人がくつろいでいます。大門の右手です。前に池を臨みます。
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