2008/04/13 - 2008/04/13
550位(同エリア984件中)
km45さん
成都市の西南38kmに位置する新津県城の北西約7kmの龍馬郷宝墩村に、龍馬古城宝墩遺跡はあります。まず、成都旅遊集散中心站(新南門)から高速経由の新都行バス(13元)に乗り、約1時間弱で、新都客運中心站に着きます(新南門以外にも、城北客運中心站・金沙客運站・石羊場中心站からも新都行バスがあります)。バスセンター前で、客待ちをしている乗合い軽ワゴンで、龍馬郷石?子村(3元)で降ります(タクシーももちろんあります)。ここで、「維修摩托」「専業維修電動車」の看板の出ている店の角の道を右手(北方向)に入ります。この道の左(西)に沿って都江堰からの用水路が水を湛えて流れています。この用水路沿いの道を約1km歩くと、宝墩遺跡が2001年に全国重点文物保護単位に指定されたことを示す碑が見えます。遺跡地に到着です。
さて、四川省の古代文化(古蜀文化)は、宝墩文化(BC2500〜1700年、龍山文化)、三星堆文化(BC1700〜1200年、夏晩期〜商後期)、金沙・十二橋文化(BC1200〜500年、商後期〜春秋後期)、晩期蜀文化(BC500〜316年、春秋晩期〜戦国期)と、四つに区分されます。そして、宝墩文化は「蚕叢」「柏灌」、三星堆文化は「魚鳧」、金沙・十二橋文化は「杜于=望帝」、晩期蜀文化は「鼈霊=叢帝」という伝説の蜀帝王の時代に相当すると考えられています。BC316年、この古蜀王国は北方の秦恵文王の派遣した司馬緒によって滅亡させられます。
この宝墩文化の命名遺跡である宝墩遺跡は、1996年、成都市文物考古工作隊・四川聯合大学(現四川大学)考古教研室・早稲田大学長江流域文化調査隊の日中合同の発掘調査が行われました。これにより、北東から南西方向に1100m・南東から北西方向に600mの長方形の城壁に囲まれた遺跡であり、最大高8mの城壁を持ち、面積が66万?に達する大きな遺跡であることが分かりました。そして、これ以降の調査も含め、現在では本遺跡がBC2500年前、すなわち4500年前の遺跡であることが解明されました。
「三星堆博物館」http://4travel.jp/traveler/km45/album/10624773/
「金沙遺址(遺跡)博物館」http://4travel.jp/traveler/km45/album/10236643/
- 旅行の満足度
- 3.0
- 観光
- 3.0
- 同行者
- その他
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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〔龍馬古城宝墩遺跡全測図〕
成都市文物工作隊・四川聯合大学考古教研室・早稲田大学長江流域文化調査隊
(http://www.littera.waseda.ac.jp/tyoukou/gaiyou/main.htm)
本図は合同発掘により作成された本遺跡の現地測定図で、城壁遺址の現存状態を示しています。なお、図の右側に斜めに走っているのが用水路沿いの道です。そして、上部の城壁遺址を示したところに、「用水路」と書かれている辺りに碑が立っています。 -
碑の所に、右に入る小道があります。この道を歩いて少し行ったところの右側に民家への上り道があります。実はこの民家はちょうど城壁遺址上(東側城壁)にあるのです。この家のお婆さんが親切に案内してくれました。この庭先を進んだところが「全測図」の赤で示してあるところで、ここは城壁遺址を開削発掘し調査した地点です。現在ではもちろん調査地層は埋め戻してあります。写真は、開削発掘調査地点を城壁外側(東)から撮ったものです。
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この地点から前方を見ると、丘林が見えます。その丘林へと向かう途上で撮ったのが写真です。この丘は「全測図」の赤印から斜め右下に当たります。すなわち、南側城壁の現存東端部分です。両側の畑は菜種を栽培しており、四川盆地一帯が冬菜種・夏稲作の二毛作が通例であることをこの村も示しています。3月に訪れていれば、黄色の菜の花で華やいでいたことでしょう。なお、前方を行く女の子はお婆さんのお孫さんで、小学生ですが、しっかりと宝墩遺跡のことを把握しており、案内をしてくれました。やはり地元の人は本遺跡を誇りに思っているようです。
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南側城壁の現存東端部分から、いま来た東側城壁残存部を撮ったものです。
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写真は南城壁に沿って歩き外側から撮ったもので、「全測図」の南城壁が一時切れるところの手前の所です。城壁遺址の上はご覧のように竹林になっています。四川省は多様な竹を産しています。
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写真は「全測図」の南側城壁が一時切れるところを城壁外側(道)から撮ったものです。
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この切れたところから、道を前方に取ると、先の用水路沿いの道に出ます。この辺りから用水路を隔てて古城内が望見できます。写真はここで撮ったもので、中央に丘が見えます。「全測図」の城壁内中央の円形のものです。これが「古墩」と称する丘です。発掘調査により、底辺を60×40mの方形とする、3段の階段状のピラミッド形上の人工の土壇遺構と判明しました。その起源や用途には複数の見解がありますが、城壁と同時代に起源をもち、祭壇として用いられたのではないかと考えられています。とすると、宝墩遺跡は、城壁と祭壇(神殿)を備えた、れっきとした古代都市ということができます。このことは、メソポタミア・エジプト都市文明誕生と同時代に、四川にも都市文明が誕生したことを示します。今回はこの「古墩」は訪れませんでしたが、宝墩遺跡が古城であることを示してくれました。
宝墩遺跡と同様な、城壁で囲まれた同時代遺跡が成都平原に分布しています。すなわち、都江堰市の芒城古城、温江区の魚鳧古城、郫県の三道堰古城、崇州市の双河古城などです。これらの遺跡は岷江流域である都江堰扇状地上に集中分布しているのです。すなわち、古蜀文化発祥の地は都江堰扇状地と考えることが出来ます。そして、おそらくは洪水などを原因として、これらの城壁都市が放棄され、岷江の洪水の難のない成都市北方の広漢市の三星堆へと中心が移動したのでしょう。
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