2014/06/17 - 2024/03/11
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砂布巾さん
1943年3月13日 「シンドラーのリスト」を作成させたもの(映画、ユダヤ人)
大戦中のナチス・ドイツの蛮行については、記録フィルムやアウシュビッツ訪問で知っていた。やはり映画は迫力が違う。自らもユダヤ系であるスピルバーグ監督の「シンドラーのリスト」を初めて観た時の衝撃は忘れられない。「サウンド・オブ・ミュージック」とともに大きな影響を受けた映画だ。どちらも大戦に関係が深いのは運命的だ。
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心からの感謝を込めて 砂布巾
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*砂布巾注 クラクフの旧ユダヤ人地区カジミエーシュ地区の写真です 映画で見たような建物
ナチス党員で前述のグラウゼビッツ放送局襲撃事件では、ポーランド軍の軍服を手配するなど、諜報員としても活動していたオスカー・シンドラーは、一儲けしようとドイツ軍占領下のポーランド、クラクフにやって来た。ユダヤ人評議会のメンバー、シュターンのコネを利用して資金を集め、工場を買い取りホーロー容器工場とした。ナチスの幹部には賄賂で近づき、ゲットー(周囲から隔離されたユダヤ人居住区)に移送されていたユダヤ人の労働力を利用して経営も軌道に乗る。 -
そしてこの日(5年前の同日にはオーストリアがドイツに併合された)ゲットーが解体され、押し込められていたユダヤ人はプワシュフ収容所に移送された。丘の上から愛人イングリートとこの光景を見ていた。その目が突如、赤い服の女の子に釘付けになった。
1944年4月になると迫り来るソ連軍を前に、証拠隠滅のため無造作に埋められた死体を掘り起こし、焼却する命令が出る。その場で偶然、赤い服の女の子を発見する。ナチスに対する怒りがこみ上げてくる。生きている者もアウシュビッツに送られることを知り、所長のゲートと交渉し、ユダヤ人を買い取り、故郷に近いチェコ・スロヴァキアのブリンリッツに工場を造ることを決意する。こうして約千人のユダヤ人の命が救われた。 -
*この地に住んでいたユダヤ人が殺された旨の説明が書いてある
戦争が終わって工場を去るシーンで、「車を売っていたらあと10人救えたのに」、「バッジを売っていたらあと2人、いやあと1人でも救えたのに」と泣き崩れる場面(ただし原作にはない)は涙無しには観られない。平時だったら人間を買う行為など許される筈もないが、戦争中で政策としてユダヤ人絶滅が実行されていた以上、救うのは、あの方法しかなかった。ナチス党員として責任を問われることを逃れるためではないか、との見方もあるようだが、単にそれだけであのような神懸かり的なことは出来ないだろう。 -
*ここからはクラクフの街並みをどうぞ バルバカン
プワシュフ収容所跡の訪問動画がありました
https://www.youtube.com/watch?v=zNlO4rkJqk8
原作にも女の子が登場している。スピルバーグは「このシーンに最も圧倒された」と語っている。死体の山の中で女の子を見つけたのは出来過ぎた話で創作だったとしても、白黒で撮影した中、敢えてあの場面だけ赤を使ったのは、心に焼きついた色だからに違いない。あの女の子がユダヤ人救出を決断させたのだ!バルバカン 建造物
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*メインストリート
ゲットー解体のシーンは特に迫力があるが、主人公はあくまでシンドラーだ。しかし、決して単なるカリスマとして描いてはいない。無類の女好きで酒好き、といった人間くさい面もユーモアを交えて紹介している。 -
*聖マリア教会
労働証明を忘れ移送列車に乗せられたシュターンを救出する際、「君名前は? 保障してやろう君はロシア戦線送りだ」と言った瞬間、ドイツ兵の態度が豹変したのは、東部戦線がいかに凄惨な戦場であったかを暗示している。聖マリア教会 寺院・教会
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イチオシ
ラストでカラー映像になって、ご本人と映画でその人の役を演じた俳優が一緒に登場し、お墓に石を積み上げる演出も泣かせる。
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*織物会館
観光案内所 (織物会館内) 散歩・街歩き
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*織物会館内部 1990年にはおばさんからセーターを買った思い出も
戦後はドイツで工場を経営したり、アルゼンチンで牧場を経営したが、成功したとは言えず、妻エミーリェ(2001年10月5日ベルリンで死去)との結婚生活も順風満帆ではなかった。あれだけのことをやった人にしては意外に思えるが、大戦下のあの異常な状況の中でこそ、その凄み、カリスマ性が発揮できたのだろう。 -
*ヴァヴェル城
戦後のユダヤ人の運命も多難なものだった。ソ連軍兵士がブリンリッツに解放を告げに来た時、「東へは行かん方が良い。歓迎されんだろう。私だったら西へ行くのも止めるな」と言ったのが暗示している。大戦中に限らず、ユダヤ人が歴史的に苦難の道を歩んできたことについては同情を禁じ得ない。ただ忘れてはならないのは、1948年にイスラエルが建国(後述)されて以来、今度はユダヤ人がパレスチナのアラブ人に対して、加害者になったケースも数多くあったことだ。 -
映画を観るにあたっては、これが厳然たる歴史的事実であること、中国をはじめとするアジア・太平洋への戦争中の行為を考える時、単に我々にとって「ドイツは酷い」では済まされないこと、後述する杉原千畝、ワレンバーグ、アンネ一家を匿った人々、コルベ神父、そして名も知れない人々のように、危険を顧みずユダヤ人を救った、または身代わりになって犠牲になった人々の存在も、大いなる悲劇の中の一筋の光として忘れられない。
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*泊まったホテル
彼は語っている。「私はキリスト教徒として、ユダヤ人達がひどい仕打ちを受けているのを見て、関心を持たざるを得ませんでした。人間として当たり前のことをしようとしたのです」。しかし戦後、裏切り者として罵声を浴びせられる場面もあったそうだ。 -
シンドラーの工場だった住所がガイドブックに書いてあったので訪れた。クラクフのゲットーがあった旧ユダヤ人地区(カジミエーシュ地区)から近い川向こうの筈だった。町中にも簡単な地図があったので、イメージを頭に入れて向かったが、何人もの人に聞いてもリポヴァ通りが見つからない。探し始めて2時間近く経って諦めかけていた頃、おじさんが連れて行ってくれた。(多分)地図の位置とはかけ離れた場所だった。今では他の会社となっているが、まぎれもなく映画で観たあの建物(写真)だ。おじさんは写真を撮らせてくれないばかりか、名前も教えてくれなかった。でもこんな人との出会いが旅を楽しく、また充実したものにしてくれる。お土産を渡し、お礼を言って24番のトラムでさわやかな気分の中、駅前のホテルに帰った。
シンドラーの工場 博物館・美術館・ギャラリー
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*カウナスの旧日本総領事館訪問記は、ozackさん http://4travel.jp/travelogue/10923718
*現在は博物館になっている 訪問記をご覧になりたい方は
「まほうのべる」さんのページへどうぞ http://4travel.jp/travelogue/10774243(カジミエーシュ地区と博物館)
「1billy」さんのページもあります http://4travel.jp/travelogue/10817397
(博物館と岐阜県にある杉原博物館) -
*食事したWierzynek フィッシャー家の次男坊ニールスが教えてくれ、1990年にも食事していた
さて日本のシンドラーとも言われるのが、元外交官の杉原千畝氏だ。正攻法で誠実、実直、朴訥な杉原さんを豪放磊落、大胆不敵、傍若無人なシンドラーに比すのは抵抗を感じる。後で述べるワレンバーグは凄いの一言。戦後は三人とも必ずしも幸福ではなかったことも切ない。(もっとも杉原さんは自分が不幸だとは思わなかっただろうが)(初めて映画を観た日 1994年5月9日 2001年8月1日訪問) -
*1990年(下の2枚)に比べれば洗練されている
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旅行記グループ 砂布巾のLW「進化し続ける自叙伝的旅行記…」 第7章 抵抗と虐殺(ホロコーストとナチスへの抵抗)
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