2024/09/03 - 2025/08/17
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砂布巾さん
1944年7月20日 総統を暗殺せよ(ドイツ、ベルリンほか)
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心からの感謝を込めて 砂布巾
2023年「砂布巾のLWほぼ完結の旅」で写真を一新するなどの改訂を行いました
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*ヒロシマ・シュトラーセ(Street)
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*日本大使館近くだったなと記憶を辿りながら探すが、なかなか見つからない
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*シュタウフェンベルクシュトラーセを発見 それでも見つけるのに苦労した
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*建物は工事中
ドイツ抵抗運動記念館 博物館・美術館・ギャラリー
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*ドイツにおけるナチスに対する抵抗運動について体系的に紹介している
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*見学を始めます
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2000年7月に日本テレビ系列で放映された「知ってるつもり?!」によると、ヒトラー暗殺は42回試みられたという。これだけ試みられながら、最後は自ら命を絶った悪運の強さには呆れてすらしまう。
最高に悪運を発揮したのが41件目の計画であるシュタウフェンベルク大佐らによる事件だろう。 -
1907年生まれのクラウス・シェンク・フォン・シュタウフェンベルク(左)は、前年北アフリカ戦線の負傷で右目を失明し、右腕を失い、左手も3本しかなかった。次第に政策に疑問を感じるようになり、同じ考えを持つ同志と連携するようになる。
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1944年7月だけで4回目となった暗殺計画が決行されたのは、独ソ戦開始後、現場により近い場所である東プロイセンに作られた総統大本営においてだった。副官のヘフテン中尉を伴って、10時過ぎにベルリンから飛行機で総統大本営に到着。会議の前に爆弾の詰め替えを行うが、人目もあり、急かされた中では2つのうち1つしか詰め替えできなかった。ヒトラーも加わった会議は12時半に始まった。近くに割り込んでカバンを足元に置き、電話を掛けることを口実に席を外した。爆弾は12時42分に轟然たる爆発音をあげて炸裂した。ヒトラーが死んだことを確信して直ちにベルリンへ引き返す。
*当時かなり前線が近づいていたことが分かる -
部屋にいた24人のうち4人が死亡、7人が重軽傷を負った。ヒトラーは火傷を負ったものの怪我はなく、午後には訪れたムッソリーニに現場を案内している。(最後の会談)隣のブラント大佐がカバンを奥に押しやり、頑丈な脚のかげに入ったこと、開け放たれた窓が爆風の圧力を外に逃がしたのだ。
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帰りを待つベルリンの国防省国内軍司令部では、生存の報も入るなど情報が錯綜していたが、午後にはクーデター計画「ワルキューレ」が発令された。夜には完全に失敗が明らかになり、彼ら6人が逮捕され、首謀者は国防省の中庭で直ちに処刑された。
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この後もゲシュタポによる反体制派の追求は続き、事件による逮捕者は600人に及んだと言われる。8月に入るとワイマール時代の政治家や政党役員5千人が逮捕された。
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この時の裁判の映像には、裁判長のフライスラーが(ナチスから見た)被告らに聞くに堪えない罵詈雑言を浴びせている。
この事件で左腕が麻痺し、右耳に負傷を負ったヒトラーは、益々情緒不安定になり、28錠の錠剤を服用し、周囲にはイエスマンのみを置き、異常な行動が目立つようになった。 -
ヒトラーを逮捕し裁判にかけることを考えていたロンメル将軍は、この事件に関与していたとの口実で10月に自決を迫られた。国民的な人気を考慮し盛大な国葬が行われた。
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分断時代には荒れ果てていた日本大使館付近のヒロシマ・シュトラーセ(通り 1990年9月1日改名式)近くの、シュタウフェンベルク通りにあるドイツ抵抗運動記念館にはナチスへの抵抗運動の歴史が展示されている。
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中庭にはシュタウフェンベルクが処刑された場所(写真)やモニュメントもあった。 (2001年8月5日,2023年10月1日再訪)
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一人でヒトラー暗殺を企てた男(人物、ドイツ)
たった1人でヒトラー暗殺を企てた28件目の主人公を同番組から紹介する。 -
ドイツ南部ケーニッヒスブロン出身で元工員のヨハン・ゲオルク・エルザーはヒトラー暗殺を企て、1939年11月8日にミュンヘンのビアホール、ビュルガーブロイケラーで行われたミュンヘン一揆記念日の演説に合わせて爆弾を仕掛けた。準備のため30日間毎日のようにビアホールに通い、従業員も全て帰った夜中に作業を行った。ヒトラーの不思議な勘が危険を察知し、当日の演説は極めて素っ気ないものだった。現場を立ち去った7分後、爆弾が爆発した。負傷者にはヒトラーの愛人エヴァ・ブラウンの父親フリッツも居た。
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彼は逮捕された。ヒトラーは「エルザーを生かしておけば自分は決して死なない」の予言を信じて処刑されることなく、終戦直前の1945年4月5日まで生き延びた。
外国が絡んだ計画を紹介する。イギリス大使館付駐在武官のマクファーレン大佐は、ヒトラー生誕50周年(1939年4月)のパレードの際、自室から狙撃する計画を立てる。本国に了解を求めるが、外務省の返事は「スポーツマンらしくない」だった。イギリス政府が他国の国家元首の殺害を公式に認めるのは難しかっただろう。 *右下写真左がエルザー -
*中央やや右の男性は手をかざしていない
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*エーデルワイス海賊団 wikiで読んだことがある
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