2024/09/17 - 2025/05/31
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砂布巾さん
1942年5月27日~6月18日 総督暗殺と村の抹殺(チェコ)
ヴァンゼー会議を招集したハイドリッヒは、会議の4ヶ月後に暗殺され、報復としてチェコのリディツェ村が抹殺された。早乙女勝元編「母と子でみる27 プラハは忘れない」(草の根出版会)を参考に紹介する。
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心からの感謝を込めて 砂布巾
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ハイドリッヒは1941年9月にチェコ支配の実質的な総責任者として送り込まれた。赴任した日に142人が処刑、542人が強制収容所に送られた。傀儡政府の首相エリアーシすら地下組織と通じていた疑惑で処刑するなど、恐怖でチェコ人を押さえつけようとした。
ロンドン亡命政府はハイドリッヒ暗殺を計画。報復を恐れる国内の活動家たちは計画中止を求めた。政府はイギリス政府の意向を無視できなかった。1941年暮れ、政府はイギリス空軍機で2人の特殊工作員を送り込み、アンソロポイド(類人猿)作戦の準備を進めた。 -
1942年5月、ハイドリッヒ執務室の時計が故障し、修理工が呼ばれた。彼は机上に4日後に飛行機でベルリンへ向かうハイドリッヒの予定表を発見した。道順まで書かれていたメモを急いで写し、ゴミ箱に捨てた。身体検査があるので持ち出すわけにはいかなかった。掃除婦がゴミを捨てる際にメモを拾い出し、数時間のうちに地下組織に届いた。
5月27日、ハイドリッヒは予定通りベルリンに向かった。遅れたため護衛車がなかった。カーブでスピードが落ちた瞬間、投げられた手榴弾が命中した。ハイドリッヒは傷がもとで8日後に死亡した。 -
報復はすぐ開始され、直後の1週間で1万3千人が逮捕。処刑者は2千人近くを数えた。処刑者の氏名はラジオ、新聞で連日公表され、市民を恐怖のどん底へ突き落とした。
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暗殺犯と支援者はプラハの聖キリルと聖メトデュース教会に息を潜めていた。棺に紛れて教会を脱出する1日前、密告で居場所が発覚。6月18日早朝、教会は千人の武装部隊に包囲された。牧師2人が逮捕され、投降が呼び掛けられたが反応はなかった。4時、攻撃が開始された。3時間に及ぶ銃撃戦の末、3人が自決し一件落着したかに思われた。ゲシュタポが上着7着かけられているのに気付いた。生け捕りにすべく攻撃が再開された。最後は地下室が水攻めにされ、残った4人は銃で自決した。
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映画「暁の七人」(多分)
https://www.youtube.com/watch?v=v5YVAqwC5UU -
これに先立つ6月9日深夜、プラハ郊外のリディツェ村にドイツ軍が集結。翌朝からホラーク家の納屋で処刑が始まった。リディツェが選ばれたのはホラーク家の息子が3年前から行方不明で、イギリス空軍に参加しているらしい、という理由からだった。15歳以上の男性143人が処刑、203人の女性は強制収容所に送られ、親と引き離された子ども105人は国外へ連れ出された。村の跡地に生還できた女性は143人、子どもは17人に過ぎなかった。
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2回目のチェコ訪問となる2003年夏に教会、リディツェ村を訪問した。前回の1990年はプラハの美しさに感動する以上に、強制両替制度(1日あたり30ドイツマルク相当、その後は50%増しの優遇レート!)への戸惑い、あまりの‘change money’の多さ、人々の冷たさに戸惑ったものだ。モーツァルト(交響曲38番が「プラハ」)ゆかりの家訪問や国民的作曲家ドヴォルザーク(写真)、
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スメタナのお墓参りもできた。
*1990年民主化後の祖国に帰還し、「プラハの春」オープニングコンサートで演奏するラファエル・クーベリック https://www.youtube.com/watch?v=76R0N2GN6Jo&t=1506s -
今回もリディツェ村への最初のトライで運転手は「違う」と言うだけで乗り場を教えてくれず、市内のInf.で聞いたら詳しい情報を教えてくれ、翌日行くことが出来た。そうかと思ったら、親身になって知り合いに電話で聞いてくれた中年の女性は、最後にはキリスト教関係のパンフレット(しかも日本語のものを選び出して)をくれた。
村は地下鉄A線の終点Dejvickaから白と緑のバスのKladno行きに乗って20分余。敷地内には祈念館もある。かつて村があった場所はかなり広い。草原の中にホラーク家の納屋跡などが点在している。 -
その中にもの悲しげな82人の子どもの像(写真)があった。像は「死んでいった何百万の子どもたちの苦しみは何物にも代えられない。私に出来ることは彫刻だけだ」と語った彫刻家ウヒチローバさんが、準備と製作で40年かけて造ったもの。芸術家の執念だろう。ウヒチローバさんは完成直後に亡くなった。財政難でブロンズ化は遅れたが、秋田の主婦をはじめ各国からの善意の募金で完成した。(2003年8月16~17日訪問)
関連項目「ユダヤ人問題の最終解決~ヴァンゼー会議」 http://4travel.jp/travelogue/10200560 -
*砂布巾注 帰りのバス停、涙が出そうになった
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旅行記グループ 砂布巾のLW「進化し続ける自叙伝的旅行記…」 第7章 抵抗と虐殺(ホロコーストとナチスへの抵抗)
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