2014/06/19 - 2024/01/26
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砂布巾さん
虐殺の地、アウシュビッツ・ビルケナウ(ユダヤ人、ポーランド)
ハインリッヒ・ヒムラ―の指示により1940年5月20日に初代所長ルドルフ・ヘス(戦後処刑される)が開所。1940年10月には第2収容所としてのビルケナウが開所。1943年5月には死の天使ヨーゼフ・メンゲレ(同じく南米に逃れたアイヒマンと対照的にブラジルで海水浴中に死亡した)が着任。1944年夏と秋に空爆が検討されるも実施されず、1945年1月27日にソ連軍によって解放。1979年にはユネスコの世界遺産に登録された。
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心からの感謝を込めて 砂布巾
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アウシュビッツ(現在はポーランド語でオシフェンチウム)。今回の旅で一番来てみたかったところであり、来たくなかったところでもある。
ここは大戦中にナチスがユダヤ人絶滅作戦を行った多くの収容所の1つだ。収容者用の入口(写真)には、有名な'Arbeit macht frei.'(働けば自由になれる)も見える。「B」は上の方が大きくなっているが、作成した人がせめてもの抵抗のため作ったと言われる。収容者はこれを信じて門をくぐったが、生還することが出来た人は幸運にも脱走に成功した人、シンドラーのユダヤ人、解放の際残っていた人など、ごく僅かだった。オシフィエンチム (アウシュヴィッツ第一強制収容所) / アウシュヴィッツ博物館 建造物
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収容棟は28棟あり、幾つかが展示棟になっている。毒ガスチクロンBの缶、犠牲者の遺品、写真が展示され、ガス室、死体焼却炉、多くの収容者が銃殺された壁、4人の囚人を詰め込んだ立ち牢など、そのまま残されている。
一番戦慄を覚えたのは、最初の展示棟にあった凄い量の髮の毛。高さ3m、奥行5m、長さ50m位はあっただろうか。数十万人分あったかも知れない。体臭が「ムッ」と鼻につく。ナチスはこれを原料にじゅうたんなど様々な製品を作った。近くにはこの数倍の規模のビルケナウ収容所跡もあるそうだが、そんな気は起こらない。僅か50年前に起こった悲劇から、決して目を背けてはならない。 -
*おさげ髪が涙を誘う
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*ベッド!
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*毒ガスチクロンBの缶
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*ガス室
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*焼却炉
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*外から見たガス室
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*立ち牢。この中に4人が閉じこめられた
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*多くの人が処刑された壁
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*犠牲者の方々の写真
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宿泊はクラクフ・YH。ポーランドにしては珍しく?明るい感じの所だ。来るのが大変だった。アウシュビッツから列車を間違え?2つ先の駅で降りて1時間待たなければならなかったし、YHに着いてからは「開戦」の項目にも登場した同室のポーランド人ティミオスがシャワーに行って鍵がかかっていた。彼は「ヒトラーがソ連を攻撃した時、何故日本も攻撃しなかったのか」と敵意を示す一方、ドイツ統一にも不満そうだった。18世紀後半にプロイセン、オーストリア、ロシアに分割され、大戦初期には独ソ両軍に分割占領されるなど、歴史的に両国に苦しめられてきたポーランド人の屈折した気持を垣間見た。
*ここまではほぼ1990年の日記から引用した -
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2001年には11年振りに訪問した。今回はクラクフからタクシーをチャーター。ホテルのフロントは300Zt(ズロチ)と言っていたが、こっそりやってきた運転手と交渉して250Ztになったので納得。チップとして10Ztあげた。換算すると、¥9,000。
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前回は衝撃の大きさに写真も3枚しか撮られなかったが、少しは冷静に見ることは出来た。でも精神的に重たいのは変わらない。初めてビルケナウにも行った。入り口の「死の門」は、映画「シンドラーのリスト」にも登場した。
*以下6枚はビルケナウの写真ビルケナウ (アウシュヴィッツ第二強制収容所) 史跡・遺跡
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*こちらのベッドはまだましか?
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イチオシ
無造作に多くの穴が並んでいるのがトイレ。トイレット・ペーパーなどは勿論、プライバシーもない。しかも1分で用を足さなければならなかったそうだ。
* ポーランドでは1995年に千分の一のデノミが実施された
(1990年9月14日,2001年8月1日訪問)
もくじへ http://4travel.jp/travelogue/10681693
関連項目「ユダヤ人問題の最終解決?ヴァンゼー会議」 http://4travel.jp/travelogue/10200560
「アンネの日記」http://4travel.jp/travelogue/10920990
「シンドラーを決断させたもの」 http://4travel.jp/travelogue/10944728 -
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コルベ神父(人物、ポーランド)
コルベ神父について、本間精一著「ポーランド未だ滅びず」(東洋出版)から紹介する。
神父はただカトリックの聖職者という理由だけで1941年5月に逮捕され、ナチスの懐柔も意に介さず砂利採取の強制労働に従事していた。7月末に同じ班の1人が隙を見て逃亡した。逃亡者が出ると見せしめのために10人が処刑されることになっていた。居並ぶ囚人の中で最後の1人に指名されたのが、神父の真後ろの男だった。彼は「自分には妻と子どもがいる。こんなことでは死んでも死にきれない」と叫んだ。その時神父は身代わりを申し出た。神父は11号棟の飢餓房に入れられ、3日間賛美歌を歌い続け、10日目になっても意識がはっきりしていた。そして最後は他の2人とともに心臓に注射を射たれ、天国へ旅立った。8月14日のことだった。
神父に救われたポーランド人ガヨブニチェク氏は、奇跡的に収容所から生還し、その後の半生をホロコーストの生き証人として、また神父の行為を讃える語り部として天寿を全うし、1995年に亡くなった。 -
第二次世界大戦博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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この旅行記へのコメント (1)
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- mistralさん 2018/01/09 10:42:30
- アウシュヴィッツ
- 砂布巾さん
はじめまして。
ベルリンの旅行記へのご投票をありがとうございました。
多分、コルベ神父さまのことを記されています、この旅行記に
立ち寄らせていただいたことから
ご訪問いただいたのかも?と想像致しました。
その折にはそのままで失礼致しました。
アウシュッヴィツを見学し、同じようにコルベ神父さまの
事を知り、衝撃を受けた記憶はまだ強く心の中に
残っております。
博物館は一番行ってみたかったところであり、
行ってみたくなかったところでもあった、というコメント
全く同感でした。
でもやはり行ってみて良かった、というように思います。
あのような場所は、世界の多くの方々に知っていただきたい
と想います。
今後ともどうぞよろしくお願い致します。
mistral
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