2024/09/16 - 2025/06/13
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砂布巾さん
1942年6月12日 「アンネの日記」(人物、ユダヤ人)
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心からの感謝を込めて 砂布巾
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目覚めたのは7時前。昨日2日分のチェックインが出来なかったので、フォンデルパルクYH(写真)の受付にもう1泊したい旨伝える。少なめとはいえ、荷物はそれなりに重いから、連泊出来るのは助かる。
目の前の公園を歩いてみる。低血圧で早起きが苦手な砂布巾にとって早朝散歩は旅以外では経験がないが、やはり気持ち良い。 -
真っ先にアンネ・フランクの家へ行く。待たされると聞いていたが、10時前と早かったためか、10分で入ることが出来た。
アンネ フランクの家 建造物
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アンネを日本語パンフレット「ものがたりのあるミュージアム」から紹介する。
「アンネは1929年にドイツのフランクフルトで生まれました。1933年、ヒトラー率いるナチス党が政権を握り、当時ドイツが抱えていた問題はすべてユダヤ人の責任であるとしました。オットーとエーディトのフランク夫妻は娘のアンネと姉のマルゴーを連れてオランダに移住し、そこで安全に暮らしていましたが、1940年にドイツがオランダを占領して状況が一変しました。ナチス・ドイツはゆっくりと、しかし確実にユダヤ系住民を隔離していきます。フランク一家は潜行することにしました。オットー・フランクの会社のあった建物の裏側が秘密の隠れ家となったのです」。 -
家は運河沿いの普通の家。本棚の裏が隠れ家で、アンネは1942年7月7日から約2年間を家族らと過ごし、13歳の誕生日のこの日から日記を書き始めた。広くなく、自由を制限された中での暮らしは精神的にも辛かったに違いない。実際アンネは1944年3月16日に書いている。「せめてもの救いは、こうして考えることや感じることを紙に書きしるすことが出来るということです。そうでなかったら完全に窒息していたでしょう」。
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密告で隠れ家が発見されたのが1944年8月4日、4日後にオランダ国内のウェスターボルク収容所、9月5日にアウシュビッツへ移送され、10月30日には姉妹がベルゲン・ベルゼン収容所に移された。姉マルゴーがチフスで亡くなってから、生きる気力を失い、3月下旬に15年の生涯を終えた(終章で触れる)。イギリス軍による収容所解放の3週間前だった。隠れ家の住人8人中、生還したのはアンネの父オットーだけだった。
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*アンネの部屋
その後の日記について、1999年4月30日にNHKで放映された「アンネの日記 隠されたページの秘密」を参考に紹介する。
オットーが生還した際、協力者のミープ・ヒースが保管していた日記を渡した。オットーは原稿を作り出版先も見付けたが、当初日記は全く売れなかった。アメリカで劇や映画になった1950年代から一変。1960年代以後は世界的ベストセラーになり、60カ国語に翻訳された。日記偽造説を唱えるネオナチの口を封じるため、1980年代に調査が開始された。その際、オットーは友人のコル・スアイクにオリジナルの中の5ページ分を託した。
番組ではオットーが何故5ページ分の公表を拒んだか、また従来ファン・マーレン説が有力だった密告者に関しても、独自の視点から謎解きをしている。
2016年12月16日には博物館「アンネ・フランクの家」の隠れ家は偶然発見されたとする新説を発表した。「密告は誤りであったと証明するものではないが、別のシナリオが検討されても良いことを示している」。(1998年7月28日,2001年7月30日訪問) -
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もくじへ http://4travel.jp/travelogue/10681693
関連項目 「ユダヤ人問題の最終解決?ヴァンゼー会議」
http://4travel.jp/travelogue/10200560
「虐殺の地、アウシュビッツ・ビルケナウ」 http://4travel.jp/travelogue/10198766
「ファニア歌いなさい?ベルゲン・ベルゼン収容所(アンネは助からなかった)」
http://4travel.jp/travelogue/10200570
関連旅行記 「アンネ・フランクシリーズ その3 福山ホロコースト博物館」
http://4travel.jp/travelogue/10270451アンネ フランクの像 モニュメント・記念碑
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*福山ホロコースト博物館にある再現された隠れ家
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*泥棒
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*マヘルの跳ね橋
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*コンセルトヘボウ(コンサートホール)
コンセルトヘボウ 建造物
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*王宮(正面)と西教会 この間を抜けるとしばらくしてアンネの家がある
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旅行記グループ 砂布巾のLW「進化し続ける自叙伝的旅行記…」 第7章 抵抗と虐殺(ホロコーストとナチスへの抵抗)
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