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かつて、パリには 『フィリップ・オーギュストの城壁』   <br />(建設開始:右岸1190頃~、左岸1200頃~) がありました。<br /><br />『フィリップ・オーギュストの城壁』が建設されている頃というのは、<br />ちょうどパリのノートルダムが建造されている最中でもありました(1163-)。<br /><br />私は、ずっと、そんな時代の城壁跡をぐるりと1周散歩し、 <br />12~13世紀 ”中世のパリ” の大きさを、体感してみたかったのです。<br /><br />現在、かつての城壁そのものの名残は所々に残る程度です。<br /><br />しかし、城壁跡そのものは少ないとはいえ、<br />今回の旅行記で書いている 左岸 は (城壁のすぐ外の堀による)<br />”堀割通り” が残っているので、現在の地図を見るのも楽しいです。<br /><br />ポンデザール前のアンスチチュ(フランス学士院)から<br />下記の道を辿ると、おおよそ城壁跡の左岸半周することができます。<br /><br />■アンスチチュ(フランス学士院)前、コンチ河岸 ”ネールの塔があった”<br />~ ■マザリーヌ通り (=旧称ネール堀割通り)<br />~ ■アンシエンヌ・コメディ通り (=旧称サン・ジェルマン堀割通り) <br />~ ■ムッシュー・ル・プランス通り (=旧称お堀の上の道 他)<br />~ □マルブランシュ通り<br />~ □エストラパード通り <br />~ □フォッセ・サン・ジャック通り (=現サン・ジャック堀割通り)<br />~ □ブランヴィル通り <br />~ □カルディナル・ルモワヌ通り (=旧称サン・ヴィクトール堀割通り)<br />~ □フォッセ・サン・ベルナール通り (=現サン・ベルナール堀割通り)<br />~ □トゥルネル橋近く、トゥルネル河岸 ”トゥルネル塔があった”<br /><br />この旅行記『左岸編1』■は、かつてのネールの塔~サンミッシェル門、<br />現在の住所で言えば、セーヌ川沿いポンデザール前のフランス学士院から<br />サンミッシェル大通り(パンテオン前)あたりまでの記録になります。<br />(パリ6区~5区: 表紙地図の赤く囲ったエリア) <br /><br />途中、寄り道しながら歩きましたので、寄り道写真も含めながら書いています。<br /><br />(※注)旅行記中の写真で、 ◆ 印のある写真が、城壁沿いのルート、<br />    もしくは城壁に限りなく近い位置、の印となっています。<br /><br />* フィリップ・オーギュスト城壁跡散歩のあしあと @Google Maps<br />https://goo.gl/1Rce1Y<br /><br />-------------------------------------------------<br />         参     考  <br />-------------------------------------------------<br /><br />http://fr.wikipedia.org/wiki/Enceinte_de_Philippe_Auguste<br />http://www.philippe-auguste.com/<br />http://paris-atlas-historique.fr/50.html<br />芸術新潮 2006年3月号 パリ 中世の美と出会う五日間<br />パリ歴史探偵術 講談社現代新書 宮下志朗著<br />パリ史の裏通り 白水uブックス 堀井敏夫著<br />ミシュラン・グリーン・ガイド・パリ<br /><br />※この散歩の ” き っ か け ” や <br /> ” フィリップ・オーギュストの城壁  概要  ” は、<br /> 『右岸編1』 の表紙に書きましたしたので、ここでは省略します。<br /><br />-------------------------------------------------   <br /><br />右岸編1(10/11)  http://4travel.jp/travelogue/10942604<br />右岸編2(10/11)  http://4travel.jp/travelogue/10942606<br />左岸編1(10/13)  http://4travel.jp/travelogue/10942608<br />左岸編2(10/13)  http://4travel.jp/travelogue/10942609<br />城壁内編(10/13)  http://4travel.jp/travelogue/10942610<br />まとめ編(10/11,13) http://4travel.jp/travelogue/10942612<br /><br />

パリのお散歩 フィリップ・オーギュストの城壁跡を歩く (左岸編1:現6区) Balade sur les traces de l’enceinte de Philippe Auguste

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2014/10/13 - 2014/10/13

2028位(同エリア17042件中)

旅行記グループ パリ・城壁跡散歩

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wiz

wiz さん

かつて、パリには 『フィリップ・オーギュストの城壁』   
(建設開始:右岸1190頃~、左岸1200頃~) がありました。

『フィリップ・オーギュストの城壁』が建設されている頃というのは、
ちょうどパリのノートルダムが建造されている最中でもありました(1163-)。

私は、ずっと、そんな時代の城壁跡をぐるりと1周散歩し、 
12~13世紀 ”中世のパリ” の大きさを、体感してみたかったのです。

現在、かつての城壁そのものの名残は所々に残る程度です。

しかし、城壁跡そのものは少ないとはいえ、
今回の旅行記で書いている 左岸 は (城壁のすぐ外の堀による)
”堀割通り” が残っているので、現在の地図を見るのも楽しいです。

ポンデザール前のアンスチチュ(フランス学士院)から
下記の道を辿ると、おおよそ城壁跡の左岸半周することができます。

■アンスチチュ(フランス学士院)前、コンチ河岸 ”ネールの塔があった”
~ ■マザリーヌ通り (=旧称ネール堀割通り)
~ ■アンシエンヌ・コメディ通り (=旧称サン・ジェルマン堀割通り) 
~ ■ムッシュー・ル・プランス通り (=旧称お堀の上の道 他)
~ □マルブランシュ通り
~ □エストラパード通り 
~ □フォッセ・サン・ジャック通り (=現サン・ジャック堀割通り)
~ □ブランヴィル通り 
~ □カルディナル・ルモワヌ通り (=旧称サン・ヴィクトール堀割通り)
~ □フォッセ・サン・ベルナール通り (=現サン・ベルナール堀割通り)
~ □トゥルネル橋近く、トゥルネル河岸 ”トゥルネル塔があった”

この旅行記『左岸編1』■は、かつてのネールの塔~サンミッシェル門、
現在の住所で言えば、セーヌ川沿いポンデザール前のフランス学士院から
サンミッシェル大通り(パンテオン前)あたりまでの記録になります。
(パリ6区~5区: 表紙地図の赤く囲ったエリア) 

途中、寄り道しながら歩きましたので、寄り道写真も含めながら書いています。

(※注)旅行記中の写真で、 ◆ 印のある写真が、城壁沿いのルート、
    もしくは城壁に限りなく近い位置、の印となっています。

* フィリップ・オーギュスト城壁跡散歩のあしあと @Google Maps
https://goo.gl/1Rce1Y

-------------------------------------------------
         参     考  
-------------------------------------------------

http://fr.wikipedia.org/wiki/Enceinte_de_Philippe_Auguste
http://www.philippe-auguste.com/
http://paris-atlas-historique.fr/50.html
芸術新潮 2006年3月号 パリ 中世の美と出会う五日間
パリ歴史探偵術 講談社現代新書 宮下志朗著
パリ史の裏通り 白水uブックス 堀井敏夫著
ミシュラン・グリーン・ガイド・パリ

※この散歩の ” き っ か け ” や 
 ” フィリップ・オーギュストの城壁  概要  ” は、
 『右岸編1』 の表紙に書きましたしたので、ここでは省略します。

-------------------------------------------------  

右岸編1(10/11)  http://4travel.jp/travelogue/10942604
右岸編2(10/11)  http://4travel.jp/travelogue/10942606
左岸編1(10/13)  http://4travel.jp/travelogue/10942608
左岸編2(10/13)  http://4travel.jp/travelogue/10942609
城壁内編(10/13)  http://4travel.jp/travelogue/10942610
まとめ編(10/11,13) http://4travel.jp/travelogue/10942612

旅行の満足度
5.0
  • (はじめから3枚は右岸編1と重複しますが、ここでも一応ご紹介を。)<br /><br />フィリップ・オーギュストの城壁(Enceinte de Philippe Auguste)の跡を巡る、パリのお散歩。<br /><br />この地図は、その城壁跡を巡りながら散歩をするにあたり、自分が見たい場所の最低限を見てまわるには、どれくらいかかるのだろう?と思いながら、旅行前に、Google Mapで(徒歩)計測してみた感じです。<br /><br />このように、さくさくと歩けば、(現代の道を使えば)おおよそ「 7.2km 1時間31分 」 だということが分かりました。

    (はじめから3枚は右岸編1と重複しますが、ここでも一応ご紹介を。)

    フィリップ・オーギュストの城壁(Enceinte de Philippe Auguste)の跡を巡る、パリのお散歩。

    この地図は、その城壁跡を巡りながら散歩をするにあたり、自分が見たい場所の最低限を見てまわるには、どれくらいかかるのだろう?と思いながら、旅行前に、Google Mapで(徒歩)計測してみた感じです。

    このように、さくさくと歩けば、(現代の道を使えば)おおよそ「 7.2km 1時間31分 」 だということが分かりました。

  • そして、こちらは、<br />実際に歩いた感じをGoogle Mapにマーカーした地図。<br /><br />城壁跡周辺のおもしろそうなところに<br />” 寄り道しながら ” 歩いたのでこのようになりました。<br /><br />* フィリップ・オーギュスト城壁跡散歩のあしあと @Google Maps<br />https://goo.gl/1Rce1Y <br /><br />右岸(上:10/11)と左岸(下:10/13)は、それぞれ日を分けて歩いたのですが・・<br /><br />実際に歩いた時間は、<br />右岸:13:30頃から約2時間半?3時間、左岸9:00から約4時間、 でした。

    そして、こちらは、
    実際に歩いた感じをGoogle Mapにマーカーした地図。

    城壁跡周辺のおもしろそうなところに
    ” 寄り道しながら ” 歩いたのでこのようになりました。

    * フィリップ・オーギュスト城壁跡散歩のあしあと @Google Maps
    https://goo.gl/1Rce1Y

    右岸(上:10/11)と左岸(下:10/13)は、それぞれ日を分けて歩いたのですが・・

    実際に歩いた時間は、
    右岸:13:30頃から約2時間半?3時間、左岸9:00から約4時間、 でした。

  • フィリップ・オーギュスト時代のパリの城壁<br />(Enceinte-philippe-auguste-1223-paris wikimediaより)<br /><br />-------------------------------------------------<br /><br />前々日(10/11・土)に、右岸の城壁跡巡りをし、<br />この日(10/13・月)は、左岸の城壁跡巡りです。<br /><br />この日は、帰国日でしたが、フライトが夜出発便なので、<br />夕方17時前くらいまではパリの街歩きをしました。<br /><br />前々日、右岸の城壁跡巡りは、このように半周し、<br /><br />  → → <br />↑     ↓<br /><br />今日、左岸の城壁跡巡りは、このように半周します。<br /><br />↓     ↑<br />  → →<br /><br />まず、今日は、城壁があった左岸の西端(セーヌ川沿い)から半円を描くように歩いていきたいと思います。 (※この地図の下の半円部分がセーヌ左岸)<br /><br />-------------------------------------------------

    フィリップ・オーギュスト時代のパリの城壁
    (Enceinte-philippe-auguste-1223-paris wikimediaより)

    -------------------------------------------------

    前々日(10/11・土)に、右岸の城壁跡巡りをし、
    この日(10/13・月)は、左岸の城壁跡巡りです。

    この日は、帰国日でしたが、フライトが夜出発便なので、
    夕方17時前くらいまではパリの街歩きをしました。

    前々日、右岸の城壁跡巡りは、このように半周し、

      → → 
    ↑     ↓

    今日、左岸の城壁跡巡りは、このように半周します。

    ↓     ↑
      → →

    まず、今日は、城壁があった左岸の西端(セーヌ川沿い)から半円を描くように歩いていきたいと思います。 (※この地図の下の半円部分がセーヌ左岸)

    -------------------------------------------------

  • さて、今朝は朝一で(9時頃)左岸の城壁跡巡りのお散歩です。<br /><br />今回は、滞在ホテルをサン・ミッシェル界隈のホテルにしたので、今朝の1枚目はここからとなりました。<br /><br />写真は、サン・ミッシェル橋 Pont Saint-Michel から望む ノートルダム大聖堂 Cathedrale Notre-Dame de Paris と サン・ミッシェル河岸 Quai Saint-Michel。<br /><br />右岸の城壁跡巡りのはじまりもそうでしたが、画家たちがセーヌ川沿いの風景を多々描いているので、絵と比べて実際の風景を見るのが好きなので、ついついそれを思い浮かべながらのお散歩になってしまいます。<br /><br />写真の右に見えるのは、RER B と C のサン・ミッシェル=ノートル・ダム Saint-Michel - Notre-Dame 駅。 空港へ行く時は、RER C が地下浅い位置にあるので、C のホームを通りながら空港行きの B のホームに歩いていきます。 RER B へ辿りつけるように、足跡のマークが床にあるのでその足跡マークについていくと RER B にたどりつけます。<br /><br />絵は、コローの 『オルフェーヴル河岸とサン・ミッシェル橋』<br /><br />この写真より少し後ろに下がったところ(次の写真のグラン・ゾーギュスタン河岸)からの構図かと思います。

    さて、今朝は朝一で(9時頃)左岸の城壁跡巡りのお散歩です。

    今回は、滞在ホテルをサン・ミッシェル界隈のホテルにしたので、今朝の1枚目はここからとなりました。

    写真は、サン・ミッシェル橋 Pont Saint-Michel から望む ノートルダム大聖堂 Cathedrale Notre-Dame de Paris と サン・ミッシェル河岸 Quai Saint-Michel。

    右岸の城壁跡巡りのはじまりもそうでしたが、画家たちがセーヌ川沿いの風景を多々描いているので、絵と比べて実際の風景を見るのが好きなので、ついついそれを思い浮かべながらのお散歩になってしまいます。

    写真の右に見えるのは、RER B と C のサン・ミッシェル=ノートル・ダム Saint-Michel - Notre-Dame 駅。 空港へ行く時は、RER C が地下浅い位置にあるので、C のホームを通りながら空港行きの B のホームに歩いていきます。 RER B へ辿りつけるように、足跡のマークが床にあるのでその足跡マークについていくと RER B にたどりつけます。

    絵は、コローの 『オルフェーヴル河岸とサン・ミッシェル橋』

    この写真より少し後ろに下がったところ(次の写真のグラン・ゾーギュスタン河岸)からの構図かと思います。

  • グラン・ゾーギュスタン河岸 Quai des Grands Augustins から見る シテ島 Ile de la Cite の オルフェーヴル河岸 Quai des Orfevres (上)。<br /><br />グラン・ゾーギュスタン河岸のブキニストはまだ開いていない時間です。<br />もしくは、月曜はお休み? (下)<br /><br />遠くに ポン・フフ Pont Beuf が見えています。

    グラン・ゾーギュスタン河岸 Quai des Grands Augustins から見る シテ島 Ile de la Cite の オルフェーヴル河岸 Quai des Orfevres (上)。

    グラン・ゾーギュスタン河岸のブキニストはまだ開いていない時間です。
    もしくは、月曜はお休み? (下)

    遠くに ポン・フフ Pont Beuf が見えています。

  • グラン・ゾーギュスタン河岸を歩いていると近づいてくるのがポン・ヌフ Pont Neuf。<br /><br />絵は、スタニスラス・レピーヌの 『ポン・ヌフ』 です。

    グラン・ゾーギュスタン河岸を歩いていると近づいてくるのがポン・ヌフ Pont Neuf。

    絵は、スタニスラス・レピーヌの 『ポン・ヌフ』 です。

  • 今度は ポン・ヌフ Pont Neuf のたもとに近付いて撮影。<br /><br />絵は、ピサロが描いた 『ポン・ヌフ』。<br /><br />映画 『ポン・ヌフの恋人 Les Amants du Pont-Neuf』 を思い出します。

    今度は ポン・ヌフ Pont Neuf のたもとに近付いて撮影。

    絵は、ピサロが描いた 『ポン・ヌフ』。

    映画 『ポン・ヌフの恋人 Les Amants du Pont-Neuf』 を思い出します。

    ポン ヌフ 建造物

  • (左に見える像は、フランスの公共道路に立てられた最初の人物像、アンリ4世騎馬像)<br /><br />ポン・ヌフ (ポン・ヌフの意味は新橋だがパリ最古の橋) を歩き、<br /><br />

    (左に見える像は、フランスの公共道路に立てられた最初の人物像、アンリ4世騎馬像)

    ポン・ヌフ (ポン・ヌフの意味は新橋だがパリ最古の橋) を歩き、

  • ポン・ヌフ Pont Neuf 中央より右岸よりまで歩いてきました。<br /><br />ここで、ポン・デ・ザール Pont des Arts と ルーヴル美術館 Musee du Louvre、 そしてセーヌ川 La Seine の写真を。<br /><br />絵は、ピサロが描いた 『ルーヴル、春』。<br /><br />ピサロは自分のアトリエがあった(この近くの) ドーフィーヌ広場 Place Dauphine のアパルトマンから描いたそうですが、この角度からの構図を数枚描いています。

    ポン・ヌフ Pont Neuf 中央より右岸よりまで歩いてきました。

    ここで、ポン・デ・ザール Pont des Arts と ルーヴル美術館 Musee du Louvre、 そしてセーヌ川 La Seine の写真を。

    絵は、ピサロが描いた 『ルーヴル、春』。

    ピサロは自分のアトリエがあった(この近くの) ドーフィーヌ広場 Place Dauphine のアパルトマンから描いたそうですが、この角度からの構図を数枚描いています。

    ポン ヌフ 建造物

  • ポン・ヌフ中央の階段を下りて、シテ島の西端、ヴェール・ギャラン小公園 Square du Vert-Galant にちょっと寄り道。<br /><br />ヴェール・ギャランはアンリ4世のあだ名、女たらしの意。

    ポン・ヌフ中央の階段を下りて、シテ島の西端、ヴェール・ギャラン小公園 Square du Vert-Galant にちょっと寄り道。

    ヴェール・ギャランはアンリ4世のあだ名、女たらしの意。

  • ヴェール・ギャラン小公園 Square du Vert-Galant の先端(シテ島の西端)から西を望んで写真を撮りました。<br /><br />セーヌ川 La Seine と ポン・デ・ザール Pont des Arts。<br /><br />いつもポン・デ・ザールからこちら側を見ていましたが、なぜかこちらに来たことがなかったのです。 ホテルからも近いし、今回こそはと思いまして。<br /><br />曇り空でしたが、ちょうどここにいった若いカップルに写真撮影を頼まれまして、私たちもポン・デ・ザールを背景に撮ってもらいました。

    ヴェール・ギャラン小公園 Square du Vert-Galant の先端(シテ島の西端)から西を望んで写真を撮りました。

    セーヌ川 La Seine と ポン・デ・ザール Pont des Arts。

    いつもポン・デ・ザールからこちら側を見ていましたが、なぜかこちらに来たことがなかったのです。 ホテルからも近いし、今回こそはと思いまして。

    曇り空でしたが、ちょうどここにいった若いカップルに写真撮影を頼まれまして、私たちもポン・デ・ザールを背景に撮ってもらいました。

    ヴェール ギャラン公園 広場・公園

  • 今日の城壁跡のスタート地点、アンスチチュ(フランス学士院)に向かうために、また左岸の コンチ河岸 Quai de Conti へ。<br /><br />コンチ河岸から、今さっきいたシテ島のヴェール・ギャラン小公園の先端が見えます(上)。<br /><br />前方には、ヴェール・ギャラン小公園から見たポン・デ・ザールが近づいてきました。

    今日の城壁跡のスタート地点、アンスチチュ(フランス学士院)に向かうために、また左岸の コンチ河岸 Quai de Conti へ。

    コンチ河岸から、今さっきいたシテ島のヴェール・ギャラン小公園の先端が見えます(上)。

    前方には、ヴェール・ギャラン小公園から見たポン・デ・ザールが近づいてきました。

  •  ≪≪≪ 左岸の城壁跡巡り スタート地点!!! ≫≫≫<br /><br />◆<br />左岸の城壁跡巡りのスタート地点、アンスチチュ(フランス学士院)前の、コンチ河岸 Quai de Conti に到着しました。<br /><br />フィリップ・オーギュストの城壁のあった時代、ここに ”ネールの塔 Tour de Nesle” がありました。

     ≪≪≪ 左岸の城壁跡巡り スタート地点!!! ≫≫≫


    左岸の城壁跡巡りのスタート地点、アンスチチュ(フランス学士院)前の、コンチ河岸 Quai de Conti に到着しました。

    フィリップ・オーギュストの城壁のあった時代、ここに ”ネールの塔 Tour de Nesle” がありました。

    フランス学士院 史跡・遺跡

    このあたりにフィリップ・オーギュストの城壁がありました! Institut de France (6区) by wiz さん
  • もう1度、ポン・デ・ザールの橋のたもとから1枚。<br /><br />◆<br />こちら側(左岸)に、”ネールの塔 Tour de Nesle”があり、<br />向こう側(右岸)に、”コワンの塔 Tour du Coin”がありました。<br /><br />城壁がセーヌ川によって途切れるところが<br />西に一箇所 ( コワンの塔 と ネールの塔 ) 、<br />東に一箇所 ( バルボー塔 とトゥールネル塔 ) あったが、<br />そこでは両岸にそれぞれ監視塔を建て、<br />こちらの岸と向こうの岸との間に 重い 鉄の鎖 を渡してふさいだ。

    もう1度、ポン・デ・ザールの橋のたもとから1枚。


    こちら側(左岸)に、”ネールの塔 Tour de Nesle”があり、
    向こう側(右岸)に、”コワンの塔 Tour du Coin”がありました。

    城壁がセーヌ川によって途切れるところが
    西に一箇所 ( コワンの塔 と ネールの塔 ) 、
    東に一箇所 ( バルボー塔 とトゥールネル塔 ) あったが、
    そこでは両岸にそれぞれ監視塔を建て、
    こちらの岸と向こうの岸との間に 重い 鉄の鎖 を渡してふさいだ。

    ポンデザール 建造物

  • ◆<br />もう1度アンスチチュ(フランス学士院 Institut de France)を振り返り1枚撮り(上)、<br /><br />アンスチチュから見たコンチ河岸と右岸(ルーヴル美術館)を広角に写しておきました(下)。


    もう1度アンスチチュ(フランス学士院 Institut de France)を振り返り1枚撮り(上)、

    アンスチチュから見たコンチ河岸と右岸(ルーヴル美術館)を広角に写しておきました(下)。

  • ◆<br />アンスチチュ(フランス学士院 Institut de France)を正面に見ると左側の建物の壁に、”ネールの塔” の記念のプレートが設置されています。


    アンスチチュ(フランス学士院 Institut de France)を正面に見ると左側の建物の壁に、”ネールの塔” の記念のプレートが設置されています。

  • ◆<br />アンスチチュ(フランス学士院 Institut de France)に設置されている 『フィリップ・オーギュストの城壁のネールの塔』 があったことを示すプレートです。


    アンスチチュ(フランス学士院 Institut de France)に設置されている 『フィリップ・オーギュストの城壁のネールの塔』 があったことを示すプレートです。

  • ◆<br />”ネールの塔 LA TOUR DE NESLE” の配置図のプレートもありました。<br /><br />プレートの QUAI CONTI コンチ河岸 と示されている側にセーヌ川があります。<br /><br />プレートの下が北、上が南、ですね。


    ”ネールの塔 LA TOUR DE NESLE” の配置図のプレートもありました。

    プレートの QUAI CONTI コンチ河岸 と示されている側にセーヌ川があります。

    プレートの下が北、上が南、ですね。

    フランス学士院 史跡・遺跡

    このあたりにフィリップ・オーギュストの城壁がありました! Institut de France (6区) by wiz さん
  • 上は、古地図による 『ネールの塔』(左=北、右=南)。<br /><br />下は、ジャック・カロ Jacques Callot(1592-1635)による 『ネールの塔』。<br /><br />ネールの塔は、佐藤賢一氏の『カルチェ・ラタン(ドニ・クルパン回想録)』(1536年頃のパリが舞台)の中で次のように描写されていました。<br /><br />------ ネール門の跳ね橋を渡ると、ほどなく広々とした野原に出る。 所謂(いわゆる)パリ市は城壁の内側だけで、そこはサン・ジェルマン・デ・プレ城外市になる。 命名の由来は門前の大修道院に求められるが、そもそもが建立された頃は、一面が本当の「プレ(草原)」だったと伝えられる。   フランスに戦争がなくなるにつれ、城外にも家々が建ち並ぶようになり、サン・ジェルマン・デ・プレ自体は近年すっかり街中の趣だった。 市内にあるギルドの喧しい規則から逃れたことで、新進の若手職人は集まるわ、定期市に大市が開かれるわ、かえってパリの都心よりも、活気にあふれているくらいだ。 なのにネール門の門前だけは、遠い昔話を伝えて、今もって手つかずの野原なのである。   そこはパリ左岸の城外であり、城壁一枚むこうの市内は、なにを隠そう、悪名高きカルチェ・ラタンに他ならない。 新たな開発など、許されるはずがない。 陽気な学生連中は我が物顔で楼門を往来しながら、野原を「サン・ジェルマン・デ・プレ」ではなく、「プレ・オ・クレルク(学生運動場)」と呼んでいた。・・<br /><br />・・ネール門は跳ね橋を備えた楼門である。 王都まで戦争に巻き込まれた、前の時代の名残というか、軍事様式の高い塔を隣接させており、これを利用して学生たちは、高飛び込みの協議を行う定めだった。 一種の度胸試しの意味があり、飛び込む階が高くなるほど、得点も倍増する仕組である。 実際に命の危険があるわけで、大抵の学生は二階からの飛び込みで、着物太い輩でも三階からの飛び込みで競技登録する。 それにしては皆が目一杯に顎を上げ、遥か高みの天守閣にいるではないか。 「ミシェルだ。 ソルボンヌ学寮のミシェルが、今年も最上階から飛び込むぞ」 ------

    上は、古地図による 『ネールの塔』(左=北、右=南)。

    下は、ジャック・カロ Jacques Callot(1592-1635)による 『ネールの塔』。

    ネールの塔は、佐藤賢一氏の『カルチェ・ラタン(ドニ・クルパン回想録)』(1536年頃のパリが舞台)の中で次のように描写されていました。

    ------ ネール門の跳ね橋を渡ると、ほどなく広々とした野原に出る。 所謂(いわゆる)パリ市は城壁の内側だけで、そこはサン・ジェルマン・デ・プレ城外市になる。 命名の由来は門前の大修道院に求められるが、そもそもが建立された頃は、一面が本当の「プレ(草原)」だったと伝えられる。   フランスに戦争がなくなるにつれ、城外にも家々が建ち並ぶようになり、サン・ジェルマン・デ・プレ自体は近年すっかり街中の趣だった。 市内にあるギルドの喧しい規則から逃れたことで、新進の若手職人は集まるわ、定期市に大市が開かれるわ、かえってパリの都心よりも、活気にあふれているくらいだ。 なのにネール門の門前だけは、遠い昔話を伝えて、今もって手つかずの野原なのである。   そこはパリ左岸の城外であり、城壁一枚むこうの市内は、なにを隠そう、悪名高きカルチェ・ラタンに他ならない。 新たな開発など、許されるはずがない。 陽気な学生連中は我が物顔で楼門を往来しながら、野原を「サン・ジェルマン・デ・プレ」ではなく、「プレ・オ・クレルク(学生運動場)」と呼んでいた。・・

    ・・ネール門は跳ね橋を備えた楼門である。 王都まで戦争に巻き込まれた、前の時代の名残というか、軍事様式の高い塔を隣接させており、これを利用して学生たちは、高飛び込みの協議を行う定めだった。 一種の度胸試しの意味があり、飛び込む階が高くなるほど、得点も倍増する仕組である。 実際に命の危険があるわけで、大抵の学生は二階からの飛び込みで、着物太い輩でも三階からの飛び込みで競技登録する。 それにしては皆が目一杯に顎を上げ、遥か高みの天守閣にいるではないか。 「ミシェルだ。 ソルボンヌ学寮のミシェルが、今年も最上階から飛び込むぞ」 ------

  • ◆<br />”ネールの塔 La tour de Nesle”<br /><br />パリ市の歴史散歩をする際に、この記念版はいつも目印になります。<br /><br />”ネールの塔”は、14世紀、王妃様の不倫スキャンダル事件があったことでも有名なので、そのことも書かれています。 (放蕩のあと、この塔の窓から口封じのために男性たちはセーヌに投げ込まれた。) http://fr.wikipedia.org/wiki/Affaire_de_la_tour_de_Nesle <br /><br />アレクサンドル・デュマは戯曲《ネールの塔 La tour de Nesle, 1832年》を書いています。<br /><br />***** スキピオさんからのメッセージ! ありがとうございます!<br />かのシラノ・ド・ベルジュラックが、待ち伏せしていたギッシュ伯爵配下100人と戦って蛮勇を見せたところですね。また、御旅行記にもあるように、「同じくまた、どこにいるのか/あのビュリダンを袋に詰めて/セーヌに投げ込めと命じた女王は?」(安藤元雄訳)とフランソワ・ヴィヨンに歌われた場所でもあります。 *****<br /><br />”ネールの塔”の歴史の説明を端折ってしまいすいません!<br /><br />これはヴィヨンの『遺言』「昔日の美女たちのバラード」からで、哲学者だったというビュリダンは、後年パリ大学総長にもなり、青年時代は放蕩にふけり、王妃の誘いも断らなかった。 しかし、彼は用心深く、あらかじめ干し草をしきつめた小舟を窓の下に待たせておき、セーヌに投げ込まれても無事助かった・・ のだそうです。 偶然にも?古地図に2隻の小舟が描かれているのおもしろいです。


    ”ネールの塔 La tour de Nesle”

    パリ市の歴史散歩をする際に、この記念版はいつも目印になります。

    ”ネールの塔”は、14世紀、王妃様の不倫スキャンダル事件があったことでも有名なので、そのことも書かれています。 (放蕩のあと、この塔の窓から口封じのために男性たちはセーヌに投げ込まれた。) http://fr.wikipedia.org/wiki/Affaire_de_la_tour_de_Nesle 

    アレクサンドル・デュマは戯曲《ネールの塔 La tour de Nesle, 1832年》を書いています。

    ***** スキピオさんからのメッセージ! ありがとうございます!
    かのシラノ・ド・ベルジュラックが、待ち伏せしていたギッシュ伯爵配下100人と戦って蛮勇を見せたところですね。また、御旅行記にもあるように、「同じくまた、どこにいるのか/あのビュリダンを袋に詰めて/セーヌに投げ込めと命じた女王は?」(安藤元雄訳)とフランソワ・ヴィヨンに歌われた場所でもあります。 *****

    ”ネールの塔”の歴史の説明を端折ってしまいすいません!

    これはヴィヨンの『遺言』「昔日の美女たちのバラード」からで、哲学者だったというビュリダンは、後年パリ大学総長にもなり、青年時代は放蕩にふけり、王妃の誘いも断らなかった。 しかし、彼は用心深く、あらかじめ干し草をしきつめた小舟を窓の下に待たせておき、セーヌに投げ込まれても無事助かった・・ のだそうです。 偶然にも?古地図に2隻の小舟が描かれているのおもしろいです。

  • ◆<br />”ネールの塔” が簡単なイラストでも示されています。<br /><br />ジャック・カロが描いたのと同じ形。<br /><br />それにしても、口封じのためにセーヌに投げ込まれた男性はどれくらいいたのでしょうか。。


    ”ネールの塔” が簡単なイラストでも示されています。

    ジャック・カロが描いたのと同じ形。

    それにしても、口封じのためにセーヌに投げ込まれた男性はどれくらいいたのでしょうか。。

  • ◆<br />これから向かうマザリーヌ通りはコンチ河岸からゲネゴー通りに入ればすぐですが、まずは城壁跡が残ると情報を得た ヌヴェール通り Rue de Nevers へ入りました。<br /><br />ヌヴェール通りは行き止まりとなっていますが、ここ(ヌヴェール袋小路 Impasse de Nevers)が失われた城壁の線上にあたっています。


    これから向かうマザリーヌ通りはコンチ河岸からゲネゴー通りに入ればすぐですが、まずは城壁跡が残ると情報を得た ヌヴェール通り Rue de Nevers へ入りました。

    ヌヴェール通りは行き止まりとなっていますが、ここ(ヌヴェール袋小路 Impasse de Nevers)が失われた城壁の線上にあたっています。

  • ◆<br />ヌヴェール袋小路 アンパッス・ドゥ・ヌヴェール Impasse de Nevers<br /><br />ここの下部が城壁のあった位置に一致しているようです。<br /><br />地図上で●を付けたあたりです。


    ヌヴェール袋小路 アンパッス・ドゥ・ヌヴェール Impasse de Nevers

    ここの下部が城壁のあった位置に一致しているようです。

    地図上で●を付けたあたりです。

  • いったん、ヌヴェール袋小路からコンチ河岸に戻り、ゲネゴー通り Rue Guenegaud に入ります。<br /><br />◆<br />下の写真は、ゲネゴー通りの29番地ですが、この建物の奥が、上の写真(ヌヴェール袋小路)と繋がる位置関係になっています。<br /><br />両方とも失われた『フィリップ・オーギュストの城壁』の失われた城壁の線上にあたっているのです。<br /><br />もし、建物の扉が開いていて、中を拝見させて頂くことができたら、城壁の跡が見れるようです。

    いったん、ヌヴェール袋小路からコンチ河岸に戻り、ゲネゴー通り Rue Guenegaud に入ります。


    下の写真は、ゲネゴー通りの29番地ですが、この建物の奥が、上の写真(ヌヴェール袋小路)と繋がる位置関係になっています。

    両方とも失われた『フィリップ・オーギュストの城壁』の失われた城壁の線上にあたっているのです。

    もし、建物の扉が開いていて、中を拝見させて頂くことができたら、城壁の跡が見れるようです。

  • 次は、パリでロマネスク芸術が残る数少ない教会の中のひとつ、サン・ジェルマン・デ・プレ教会へ寄り道します!<br /><br />サン・ジェルマン・デ・プレ教会へ寄り道するルートは決めていました。<br /><br />城壁のお堀端の通りだった マザリーヌ通り Rue Mazarine (旧ネール堀割通り) をいったん通り越して、寄り道ルートにちょうど都合のよい ジャック・カロ通り Rue Jacques Callot へ進みました。<br /><br />この通りは、かつて、エミール・ゾラ Emile Zola の『テレーズ・ラカン Therese Raquin』の挿絵にも使われたという パッサージュ・デュ・ポン・ヌフ Passage du Pont-Neuf があった場所だというので是非通りたかったのです。 http://expositions.bnf.fr/zola/zola/borne/borne/feuilleter/p008.htm <br /><br />------ セーヌの河岸の方からくると、ゲネゴー通りが終わったところで、パッサージュ・デュ・ポン・ヌフに出会う。 これはマザリーヌ通りとセーヌ通りを結ぶ、狭くてうす暗い一種の回廊である。 このパッサージュはせいぜい長さが三十歩、幅は二歩しかない。 黄ばんだタイルが敷かれているが、すりへって、はずれて、いつもなんだかつんとくるような湿気がにじみ出ている。 路地をおおう直角のガラス屋根は、黒く汚れている。 (エミール・ゾラ『テレーズ・ラカン』) ------<br /><br />下記URLは、写真家ウジェーヌ・アジェ(Jean-Eugene Atget 1857-1927)が写した 『パッサージュ・デュ・ポン・ヌフ Passage du Pont Neuf』 です。<br />http://www.parisenimages.fr/en/collections-gallery/24886-1-passage-du-pont-neuf-45-rue-seine-paris-vith-arrondissement-photograph-eugene-atget-1857-1927-paris-musee-carnavalet<br /><br />角のキャッフェは、店内に絵画で使うパレットが飾られている、その名もキャッフェ・ラ・パレット。 エコール・デ・ボザール(国立美術学校)に近いのでぴったり。 どこかのTVでも出ていました。

    次は、パリでロマネスク芸術が残る数少ない教会の中のひとつ、サン・ジェルマン・デ・プレ教会へ寄り道します!

    サン・ジェルマン・デ・プレ教会へ寄り道するルートは決めていました。

    城壁のお堀端の通りだった マザリーヌ通り Rue Mazarine (旧ネール堀割通り) をいったん通り越して、寄り道ルートにちょうど都合のよい ジャック・カロ通り Rue Jacques Callot へ進みました。

    この通りは、かつて、エミール・ゾラ Emile Zola の『テレーズ・ラカン Therese Raquin』の挿絵にも使われたという パッサージュ・デュ・ポン・ヌフ Passage du Pont-Neuf があった場所だというので是非通りたかったのです。 http://expositions.bnf.fr/zola/zola/borne/borne/feuilleter/p008.htm 

    ------ セーヌの河岸の方からくると、ゲネゴー通りが終わったところで、パッサージュ・デュ・ポン・ヌフに出会う。 これはマザリーヌ通りとセーヌ通りを結ぶ、狭くてうす暗い一種の回廊である。 このパッサージュはせいぜい長さが三十歩、幅は二歩しかない。 黄ばんだタイルが敷かれているが、すりへって、はずれて、いつもなんだかつんとくるような湿気がにじみ出ている。 路地をおおう直角のガラス屋根は、黒く汚れている。 (エミール・ゾラ『テレーズ・ラカン』) ------

    下記URLは、写真家ウジェーヌ・アジェ(Jean-Eugene Atget 1857-1927)が写した 『パッサージュ・デュ・ポン・ヌフ Passage du Pont Neuf』 です。
    http://www.parisenimages.fr/en/collections-gallery/24886-1-passage-du-pont-neuf-45-rue-seine-paris-vith-arrondissement-photograph-eugene-atget-1857-1927-paris-musee-carnavalet

    角のキャッフェは、店内に絵画で使うパレットが飾られている、その名もキャッフェ・ラ・パレット。 エコール・デ・ボザール(国立美術学校)に近いのでぴったり。 どこかのTVでも出ていました。

    カフェ ラ パレット カフェ

  • サン・ジェルマン・デ・プレ教会に向かうべく、セーヌ通り Rue de Seine、エショデ通り Rue de l&#39;Echaude、ジャコブ通り Rue Jacob と進んで、フュルステンベルグ広場 Place de Furstenberg に到着。<br /><br />フュルステンベルグ広場には ドラクロワ美術館 Musee Delacroix があります(下)。

    サン・ジェルマン・デ・プレ教会に向かうべく、セーヌ通り Rue de Seine、エショデ通り Rue de l'Echaude、ジャコブ通り Rue Jacob と進んで、フュルステンベルグ広場 Place de Furstenberg に到着。

    フュルステンベルグ広場には ドラクロワ美術館 Musee Delacroix があります(下)。

    フュルステンベルグ広場 広場・公園

    かつてのサン・ジェルマン・デ・プレ大修道院の敷地跡 ”パリで一番小さな広場” と言われる Place de Furstemberg by wiz さん
  • 次に、アベイ通り Rue de l&#39;Abbaye に入り、

    次に、アベイ通り Rue de l'Abbaye に入り、

  • サン・ジェルマン・デ・プレ教会 Eglise Saint-Germain-des-Pres に到着しました!<br /><br />今日第1回目の寄り道の目的地はここです。

    サン・ジェルマン・デ・プレ教会 Eglise Saint-Germain-des-Pres に到着しました!

    今日第1回目の寄り道の目的地はここです。

  • ロマネスク様式の部分は、この教会の入口部分の彫刻(12世紀)です。

    ロマネスク様式の部分は、この教会の入口部分の彫刻(12世紀)です。

  • 表紙に書いた『芸術新潮』の中世特集にも、 サン・ジェルマン・デ・プレ教会 Eglise Saint-Germain-des-Pres の柱頭彫刻が出ていました。<br /><br />右下の柱頭彫刻が一番印象的。

    表紙に書いた『芸術新潮』の中世特集にも、 サン・ジェルマン・デ・プレ教会 Eglise Saint-Germain-des-Pres の柱頭彫刻が出ていました。

    右下の柱頭彫刻が一番印象的。

  • サン・ジェルマン・デ・プレ教会 Eglise Saint-Germain-des-Pres 内部に入りました。

    サン・ジェルマン・デ・プレ教会 Eglise Saint-Germain-des-Pres 内部に入りました。

    サン ジェルマン デ プレ教会 寺院・教会

    パリでロマネスク期の柱頭彫刻が残る数少ない教会のひとつ Eglise abbatiale Saint-Germain-des-Pres (6区) by wiz さん
  • サン・ジェルマン・デ・プレ教会 Eglise Saint-Germain-des-Pres 周歩廊のあたりと、周歩廊から見るパイプオルガン。

    サン・ジェルマン・デ・プレ教会 Eglise Saint-Germain-des-Pres 周歩廊のあたりと、周歩廊から見るパイプオルガン。

  • 周歩廊の柱頭(上2枚)はロマネスク期のもので人物、獅子、女面鳥、葉文様などが飾られています。<br /><br />グリーンマン(葉人間)かと思われる柱頭彫刻がありました(左上)。<br />口から樹木(のようなもの)を出している人間の姿が見えますでしょうか?<br /><br />グリーンマンとは、中世ヨーロッパの美術に現れる、葉で覆われた、あるいは、葉で形作られた人間で、主に、ロマネスク建築やゴシック建築の柱や壁に彫られる彫刻のモチーフとなっていて、顔や体が葉で覆われるだけでなく、口などから蔦が生えていることもあります。<br /><br />こうした図像は、キリスト教以前のケルト神話などの、森林・樹木へのアニミズムの名残で、ケルト神話のケルヌンノスやローマ神話のシルウァーヌスと関係があると考えられているそうです。<br /><br />下2枚は、身廊の柱頭彫刻。 たしかこの図像のオリジナルはクリュニー美術館にあったと思います。  http://www.musee-moyenage.fr/collection/oeuvre/chapiteaux-st-germain-des-pres.html

    周歩廊の柱頭(上2枚)はロマネスク期のもので人物、獅子、女面鳥、葉文様などが飾られています。

    グリーンマン(葉人間)かと思われる柱頭彫刻がありました(左上)。
    口から樹木(のようなもの)を出している人間の姿が見えますでしょうか?

    グリーンマンとは、中世ヨーロッパの美術に現れる、葉で覆われた、あるいは、葉で形作られた人間で、主に、ロマネスク建築やゴシック建築の柱や壁に彫られる彫刻のモチーフとなっていて、顔や体が葉で覆われるだけでなく、口などから蔦が生えていることもあります。

    こうした図像は、キリスト教以前のケルト神話などの、森林・樹木へのアニミズムの名残で、ケルト神話のケルヌンノスやローマ神話のシルウァーヌスと関係があると考えられているそうです。

    下2枚は、身廊の柱頭彫刻。 たしかこの図像のオリジナルはクリュニー美術館にあったと思います。  http://www.musee-moyenage.fr/collection/oeuvre/chapiteaux-st-germain-des-pres.html

  • サン・ジェルマン・デ・プレ教会 Eglise Saint-Germain-des-Pres のパイプオルガンをもう1度撮って、

    サン・ジェルマン・デ・プレ教会 Eglise Saint-Germain-des-Pres のパイプオルガンをもう1度撮って、

  • 教会の外へ出たら、青空が広がって陽が差してきました!

    イチオシ

    地図を見る

    教会の外へ出たら、青空が広がって陽が差してきました!

    サン ジェルマン デ プレ地区 散歩・街歩き

  • 青空になってきたところで、教会の塔を見上げて1枚!<br /><br />Eglise Saint-Germain-des-Pres<br />3 Place Saint-Germain des Pre, 75006 Paris<br />http://www.eglise-sgp.org/

    青空になってきたところで、教会の塔を見上げて1枚!

    Eglise Saint-Germain-des-Pres
    3 Place Saint-Germain des Pre, 75006 Paris
    http://www.eglise-sgp.org/

  • 教会をあとにして、カルディナル(枢機卿)通り Rue Cardinale へ入りました。<br /><br />この通りはフュルステンベルク Furstenberg 枢機卿によって1700年に、サン・ジェルマン・デ・プレ修道院の屋外球戯場沿いに開かれた道、なのだそうです。

    教会をあとにして、カルディナル(枢機卿)通り Rue Cardinale へ入りました。

    この通りはフュルステンベルク Furstenberg 枢機卿によって1700年に、サン・ジェルマン・デ・プレ修道院の屋外球戯場沿いに開かれた道、なのだそうです。

  • ビュッシ通り Rue de Buci を通り、城壁跡巡りに戻るため、マザリーヌ通り Rue Mazarine へと進みます。<br /><br />この写真は、ビュッシ通り と セーヌ通り Rue de Seine の交差点です。<br /><br />このあたりは、城壁時代の ”ビュッシ門” のあった場所のすぐ外側にあたります。

    ビュッシ通り Rue de Buci を通り、城壁跡巡りに戻るため、マザリーヌ通り Rue Mazarine へと進みます。

    この写真は、ビュッシ通り と セーヌ通り Rue de Seine の交差点です。

    このあたりは、城壁時代の ”ビュッシ門” のあった場所のすぐ外側にあたります。

  • ◆<br />そして、このあたりがかつて ”ビュッシ門 Porte de Buci” があったあたりになります。<br /><br />Porte de Buci (rue Saint-Andre-des-Arts, pres de la rue Dauphine) <br /><br />ここは、現在5差路になっていて、ビュッシ通り、マザリーヌ通り、ドーフィーヌ通り、サン・タンドレ・デ・ザール通り、アンシエンヌ・コメディ通りへの5つの道が交差しています。<br /><br />ビュッシ通りは、ムフタール通り(『左岸編2』参照)と同じく、ローマ時代からの街道の出入口だったところで、城門外の街道沿いに朝市が出来たのが食品街のはじまりなのだそうです(このあたりには飲食店も多い)。


    そして、このあたりがかつて ”ビュッシ門 Porte de Buci” があったあたりになります。

    Porte de Buci (rue Saint-Andre-des-Arts, pres de la rue Dauphine)

    ここは、現在5差路になっていて、ビュッシ通り、マザリーヌ通り、ドーフィーヌ通り、サン・タンドレ・デ・ザール通り、アンシエンヌ・コメディ通りへの5つの道が交差しています。

    ビュッシ通りは、ムフタール通り(『左岸編2』参照)と同じく、ローマ時代からの街道の出入口だったところで、城門外の街道沿いに朝市が出来たのが食品街のはじまりなのだそうです(このあたりには飲食店も多い)。

  • ◆<br />サン・ジェルマン・デ・プレ通りからビュッシ通り経由で歩いてきたら、マザリーヌ通り Rue Mazarine の(目的地の)南側に出てしまったので、一度北へ戻るように歩きます。<br /><br />そして、下の写真右に見えてきたのが、”マザリーヌ通りの駐車場 Parking Mazarine”。 左隣りに、”パッサージュ・ドーフィーヌ Passage Dauphine” への入口もあります。


    サン・ジェルマン・デ・プレ通りからビュッシ通り経由で歩いてきたら、マザリーヌ通り Rue Mazarine の(目的地の)南側に出てしまったので、一度北へ戻るように歩きます。

    そして、下の写真右に見えてきたのが、”マザリーヌ通りの駐車場 Parking Mazarine”。 左隣りに、”パッサージュ・ドーフィーヌ Passage Dauphine” への入口もあります。

  • ◆<br />”マザリーヌ通りの駐車場 Parking Mazarine” 、ここが目的地でした。<br /><br />この駐車場の地下3階あたりには、<br />このように『フィリップ・オーギュストの城壁跡』が残っています。<br /><br />ここは、色々調べていて紹介されていたところなのですが、おもしろそうなので見に来ました。<br /><br />先ほど、”ゲネゴー通り29番地”と”ヌヴェール袋小路”は失われた『フィリップ・オーギュストの城壁』の線上にあたる、と書きましたが、この”マザリーヌ通りの駐車場”も同じく失われた『城壁』の線上にあたっているのです。<br /><br />ここまで来ると、だいたい雰囲気は分かってきたかと思いますが、 ”現マザリーヌ通り” は、表紙に書いたとおり、 旧称ネール堀割通り で、この通りの少し東側、これから写真を載せる ”パッサージュ・ドーフィーヌ” も失われた『フィリップ・オーギュストの城壁』の線上にあたります。<br /><br />さらに、 ”マザリーヌ通り(=旧称ネール堀割通り)” の南につづく ”アンシエンヌ・コメディ通り(=旧称サン・ジェルマン堀割通り)” の内側、つまり、 美しい ”コメルス・サン・タンドレ小路” ”ロアン小路” も失われた『フィリップ・オーギュストの城壁』の線上にあたる、ということになります。<br /><br />事実、これらの通りや小路には、城壁の跡が見られるそうですが、普通の住宅の建物、あるいは店舗であったりするので、機会があれば見られる、という感じ。 これから、これらの通り・小路を歩きながら南下していきます。<br /><br />とにかく、この駐車場の地下にある城壁跡はおもしろい。<br /><br />Parking Mazarine<br />27 Rue Mazarine, 75006 Paris


    ”マザリーヌ通りの駐車場 Parking Mazarine” 、ここが目的地でした。

    この駐車場の地下3階あたりには、
    このように『フィリップ・オーギュストの城壁跡』が残っています。

    ここは、色々調べていて紹介されていたところなのですが、おもしろそうなので見に来ました。

    先ほど、”ゲネゴー通り29番地”と”ヌヴェール袋小路”は失われた『フィリップ・オーギュストの城壁』の線上にあたる、と書きましたが、この”マザリーヌ通りの駐車場”も同じく失われた『城壁』の線上にあたっているのです。

    ここまで来ると、だいたい雰囲気は分かってきたかと思いますが、 ”現マザリーヌ通り” は、表紙に書いたとおり、 旧称ネール堀割通り で、この通りの少し東側、これから写真を載せる ”パッサージュ・ドーフィーヌ” も失われた『フィリップ・オーギュストの城壁』の線上にあたります。

    さらに、 ”マザリーヌ通り(=旧称ネール堀割通り)” の南につづく ”アンシエンヌ・コメディ通り(=旧称サン・ジェルマン堀割通り)” の内側、つまり、 美しい ”コメルス・サン・タンドレ小路” ”ロアン小路” も失われた『フィリップ・オーギュストの城壁』の線上にあたる、ということになります。

    事実、これらの通りや小路には、城壁の跡が見られるそうですが、普通の住宅の建物、あるいは店舗であったりするので、機会があれば見られる、という感じ。 これから、これらの通り・小路を歩きながら南下していきます。

    とにかく、この駐車場の地下にある城壁跡はおもしろい。

    Parking Mazarine
    27 Rue Mazarine, 75006 Paris

  • 上で書いた、失われた『フィリップ・オーギュストの城壁』の線上にあたる、ということを地図で示すとこんな感じです。<br /><br />ここまで写真を載せたのは、<br /><br />”ゲネゴー通り29番地”<br />”ヌヴェール袋小路”<br />”マザリーヌ通りの駐車場”<br /><br />これから向かう先が、<br /><br />”パッサージュ・ドーフィーヌ”<br />”コメルス・サン・タンドレ小路”<br />”ロアン小路”  です。<br /><br />◎マザリーヌ通り =旧称ネール堀割通り<br /> (地図上の青線)<br /><br /> マザリーヌ通りの南に続く<br />◎アンシエンヌ・コメディ通り =旧称サン・ジェルマン堀割通り<br /> (地図上の青線の下部約1/4))<br /><br />(※旅行記『右岸編1』 の表紙に、フィリップ・オーギュストの城壁 の 概要 を書いていますが、 この城壁 は、高さが9メートル、厚さ(幅)が3メートルぐらいだったそうです。)

    上で書いた、失われた『フィリップ・オーギュストの城壁』の線上にあたる、ということを地図で示すとこんな感じです。

    ここまで写真を載せたのは、

    ”ゲネゴー通り29番地”
    ”ヌヴェール袋小路”
    ”マザリーヌ通りの駐車場”

    これから向かう先が、

    ”パッサージュ・ドーフィーヌ”
    ”コメルス・サン・タンドレ小路”
    ”ロアン小路”  です。

    ◎マザリーヌ通り =旧称ネール堀割通り
     (地図上の青線)

     マザリーヌ通りの南に続く
    ◎アンシエンヌ・コメディ通り =旧称サン・ジェルマン堀割通り
     (地図上の青線の下部約1/4))

    (※旅行記『右岸編1』 の表紙に、フィリップ・オーギュストの城壁 の 概要 を書いていますが、 この城壁 は、高さが9メートル、厚さ(幅)が3メートルぐらいだったそうです。)

  • ◆<br />マザリーヌ通りの駐車場とパッサージュ・ドーフィーヌの入口脇には、 ”フィリップ・オーギュストの城壁” の記念版が立っていました。<br /><br />この記念版の立っている、マザリーヌ通り は、 旧称ネール堀割通り ですが、<br /><br />表紙に書いた数本の 通り (大体が旧称・現堀割通り)は、 城壁のすぐ外にあった堀のあったところ で、これをたどれば城壁跡に沿って歩き、その大きさを多少なりとも体感できるということになるかと思います。<br /><br />私は、ここ数年、 中世 ロマネスク美術(建築) の時代、 中世 ゴシック美術(建築) 初期 の時代にはまっているので、特に11・12・13世紀位の 中世フランス に関するテーマで旅を楽しみました。<br /><br />(その他にもおまけがありますが・・映画に関する場所とか、歴史に関する場所とか・・。)


    マザリーヌ通りの駐車場とパッサージュ・ドーフィーヌの入口脇には、 ”フィリップ・オーギュストの城壁” の記念版が立っていました。

    この記念版の立っている、マザリーヌ通り は、 旧称ネール堀割通り ですが、

    表紙に書いた数本の 通り (大体が旧称・現堀割通り)は、 城壁のすぐ外にあった堀のあったところ で、これをたどれば城壁跡に沿って歩き、その大きさを多少なりとも体感できるということになるかと思います。

    私は、ここ数年、 中世 ロマネスク美術(建築) の時代、 中世 ゴシック美術(建築) 初期 の時代にはまっているので、特に11・12・13世紀位の 中世フランス に関するテーマで旅を楽しみました。

    (その他にもおまけがありますが・・映画に関する場所とか、歴史に関する場所とか・・。)

  • ◆<br />駐車場脇から入れる パッサージュ・ドーフィーヌ Passage Dauphine へも入ってみます。<br /><br />ちなみに、駐車場へは、左の写真で見える ”アクセス・ピエトン ACCES PIETONS 歩行者用アクセス” の階段を下りて行きました。


    駐車場脇から入れる パッサージュ・ドーフィーヌ Passage Dauphine へも入ってみます。

    ちなみに、駐車場へは、左の写真で見える ”アクセス・ピエトン ACCES PIETONS 歩行者用アクセス” の階段を下りて行きました。

  • ◆<br />先ほど書いたように、この  パッサージュ・ドーフィーヌ Passage Dauphine も 失われた『城壁』の線上にあたるので、ここにある語学学校の中で城壁跡が見られるそうです。


    先ほど書いたように、この  パッサージュ・ドーフィーヌ Passage Dauphine も 失われた『城壁』の線上にあたるので、ここにある語学学校の中で城壁跡が見られるそうです。

  • ◆<br />駐車場とパッサージュ・ドーフィーヌをあとにしてマザリーヌ通り(旧称ネール堀割通り)を南下します。<br /><br />サン・タンドレ・デ・ザール通り Rue Saint-Andre des Arts へ来たら左折し、


    駐車場とパッサージュ・ドーフィーヌをあとにしてマザリーヌ通り(旧称ネール堀割通り)を南下します。

    サン・タンドレ・デ・ザール通り Rue Saint-Andre des Arts へ来たら左折し、

  • ◆<br />コメルス・サン・タンドレ小路 Cours du Commerce Saint-Andre に入ります。


    コメルス・サン・タンドレ小路 Cours du Commerce Saint-Andre に入ります。

    クール デュ コメルス サンタンドレ 建造物

    フィリップ・オーギュストの城壁のライン上にあたる石畳の小路 Cour du Commerce-Saint-Andre (6区) by wiz さん
  • ◆<br />コメルス・サン・タンドレ小路 Cours du Commerce Saint-Andre<br /><br />ここには、1686年にシシリー島出身のフランチェスコ・プロコピオが創業したパリで最も古いカフェ・レストラン、『ル・プロコップ (Le Procope)』 があります。 (※住所は、アンシエンヌ・コメディ通り(Rue de l&#39;Ancienne Comedie) 。<br /><br />1689年に、コメディ・フランセーズ(現在の通りの名=アンシエンヌ・コメディ通り、はここから来ている)が通りの向かいにオープンし、劇場カフェとして知られるようになりました。<br /><br />Le Procope<br />http://www.procope.com/<br />13 Rue de l&#39;Ancienne Comedie, 75006 Paris


    コメルス・サン・タンドレ小路 Cours du Commerce Saint-Andre

    ここには、1686年にシシリー島出身のフランチェスコ・プロコピオが創業したパリで最も古いカフェ・レストラン、『ル・プロコップ (Le Procope)』 があります。 (※住所は、アンシエンヌ・コメディ通り(Rue de l'Ancienne Comedie) 。

    1689年に、コメディ・フランセーズ(現在の通りの名=アンシエンヌ・コメディ通り、はここから来ている)が通りの向かいにオープンし、劇場カフェとして知られるようになりました。

    Le Procope
    http://www.procope.com/
    13 Rue de l'Ancienne Comedie, 75006 Paris

    ル プロコープ カフェ

  • ◆<br />コメルス・サン・タンドレ小路 Cours du Commerce Saint-Andre から分かれる ロアン小路 Cour de Rohan にも入りました。<br /><br />上の写真の コメルス・サン・タンドレ小路 Cours du Commerce Saint-Andre と こちらの ロアン小路 Cour de Rohan も、失われた『城壁』の線上にあたっています。


    コメルス・サン・タンドレ小路 Cours du Commerce Saint-Andre から分かれる ロアン小路 Cour de Rohan にも入りました。

    上の写真の コメルス・サン・タンドレ小路 Cours du Commerce Saint-Andre と こちらの ロアン小路 Cour de Rohan も、失われた『城壁』の線上にあたっています。

  • ◆<br />Google地図などで見るとよく分かりますが、カフェ・プロコープで有名なアンシエンヌ・コメディ通り(=旧称サン・ジェルマン堀割通り)は城壁のすぐ外の堀のあったところ、コメルス・サン・タンドレ小路やロアン小路は城壁のあったところ、という位置関係のようです。<br /><br />ところで、ここ ロアン小路 Cour de Rohan の通り名は、ここが15世紀にはルーアン(ノルマンディ地方の都市)大司教の司教館であったことに由来しています。 この美しい蔦の絡まる建物は、ディアーヌ・ド・ポワチエ(16世紀フランス王アンリ2世の愛妾)の邸だったそうです。


    Google地図などで見るとよく分かりますが、カフェ・プロコープで有名なアンシエンヌ・コメディ通り(=旧称サン・ジェルマン堀割通り)は城壁のすぐ外の堀のあったところ、コメルス・サン・タンドレ小路やロアン小路は城壁のあったところ、という位置関係のようです。

    ところで、ここ ロアン小路 Cour de Rohan の通り名は、ここが15世紀にはルーアン(ノルマンディ地方の都市)大司教の司教館であったことに由来しています。 この美しい蔦の絡まる建物は、ディアーヌ・ド・ポワチエ(16世紀フランス王アンリ2世の愛妾)の邸だったそうです。

  • ◆<br />ロアン小路 Cour de Rohan から、コメルス・サン・タンドレ小路 Cours du Commerce Saint-Andre に戻ってきました。 


    ロアン小路 Cour de Rohan から、コメルス・サン・タンドレ小路 Cours du Commerce Saint-Andre に戻ってきました。 

  • ◆<br />コメルス・サン・タンドレ小路 Cours du Commerce Saint-Andre から、 サン・ジェマン大通り Boulevard Saint-Germain に出てきました。<br /><br />上の写真は、コメルス・サン・タンドレ小路 Cours du Commerce Saint-Andre の サン・ジェマン大通り Boulevard Saint-Germain 側の入口。<br /><br />下の写真は、アンシエンヌ・コメディ通り(=旧称サン・ジェルマン堀割通り)。 この通りはしばらく行くと、先ほど通った マザリーヌ通り Rue Mazarine と名が変わります。<br /><br />通りのずっと奥には、今日の城壁跡巡りのスタート地点のアンスチチュ(フランス学士院)のドームが見えます。<br /><br />アンシエンヌ・コメディ通り(旧喜劇場通り)という名は、ここにコメディ・フランセーズがあったからです。 そして、パリ最古のカフェ、カフェ・ル・プロコープは劇場カフェとして知られるようになりました。


    コメルス・サン・タンドレ小路 Cours du Commerce Saint-Andre から、 サン・ジェマン大通り Boulevard Saint-Germain に出てきました。

    上の写真は、コメルス・サン・タンドレ小路 Cours du Commerce Saint-Andre の サン・ジェマン大通り Boulevard Saint-Germain 側の入口。

    下の写真は、アンシエンヌ・コメディ通り(=旧称サン・ジェルマン堀割通り)。 この通りはしばらく行くと、先ほど通った マザリーヌ通り Rue Mazarine と名が変わります。

    通りのずっと奥には、今日の城壁跡巡りのスタート地点のアンスチチュ(フランス学士院)のドームが見えます。

    アンシエンヌ・コメディ通り(旧喜劇場通り)という名は、ここにコメディ・フランセーズがあったからです。 そして、パリ最古のカフェ、カフェ・ル・プロコープは劇場カフェとして知られるようになりました。

  • サン・ジェルマン大通り Boulevard Saint-Germain (メトロM4/M10のオデオン駅近く) の ダントン像 Statue de Danton を見ながら、

    サン・ジェルマン大通り Boulevard Saint-Germain (メトロM4/M10のオデオン駅近く) の ダントン像 Statue de Danton を見ながら、

  • 医学校通り=エコール・ド・メドゥシンヌ通り Rue de l&#39;Ecole de Medecine に入り、

    医学校通り=エコール・ド・メドゥシンヌ通り Rue de l'Ecole de Medecine に入り、

  • ◆<br />アントワーヌ・デュボワ通り Rue Antoine Dubois で右折します。<br /><br />この通りは、写真家のシャルル・マルヴィル(Charles Marville, 1816-1878)も撮影した通りです。   http://www.parisenimages.fr/fr/galerie-collections/34427-17-rue-antoine-dubois-lecole-medecine-vieme-arrondissement-photographie-charles-marville-1813-1879-paris-musee-carnavalet


    アントワーヌ・デュボワ通り Rue Antoine Dubois で右折します。

    この通りは、写真家のシャルル・マルヴィル(Charles Marville, 1816-1878)も撮影した通りです。   http://www.parisenimages.fr/fr/galerie-collections/34427-17-rue-antoine-dubois-lecole-medecine-vieme-arrondissement-photographie-charles-marville-1813-1879-paris-musee-carnavalet

  • ◆<br />この階段の上の通りが、ムッシュー・ル・プランス通り(旧称お堀の上の道)で、今から階段を上り左折しますが、<br /><br />この アントワーヌ・デュボワ通り Rue Antoine Dubois の段差!<br /><br />これこそがお堀のあった場所(斜面)の名残じゃないか、と云われているところです。


    この階段の上の通りが、ムッシュー・ル・プランス通り(旧称お堀の上の道)で、今から階段を上り左折しますが、

    この アントワーヌ・デュボワ通り Rue Antoine Dubois の段差!

    これこそがお堀のあった場所(斜面)の名残じゃないか、と云われているところです。

  • ◆<br />ムッシュー・ル・プランス通り Rue Monsieur le Prince から見た アントワーヌ・デュボワ通り Rue Antoine Dubois。<br /><br />お堀の斜面の名残でしょうか・・?


    ムッシュー・ル・プランス通り Rue Monsieur le Prince から見た アントワーヌ・デュボワ通り Rue Antoine Dubois。

    お堀の斜面の名残でしょうか・・?

  • ◆<br />ここ、ムッシュー・ル・プランス通り Rue Monsieur le Prince は、<br /><br /> 旧称お堀の上の道 Chemin de Dessus les Fosses (1419)<br />→旧称サン・ジェルマン堀割通り Rue des Fosses Saint-Germain (1559-82)<br />→旧称ムッシュー・ル・プランス堀割通り Rue des Fosses Monsieur le Prince)<br />→現ムッシュー・ル・プランス通り Rue Monsieur le Prince<br /><br />のように、通り名を変えてきたそうです。<br /><br />サン・ジェルマン・デ・プレ教会 Eglise Saint-Germain-des-Pres へ繋がる道に ”コルドリエ門 Porte des Cordeliers” があったそうです。<br /><br />この写真は、ムッシュー・ル・プランス通りの南(進行方向)を向いて撮影したので、向きが正しくないのですが、だいたいこのあたり(デュッピュイトロン通り近く)に ”コルドリエ門 Porte des Cordeliers” があったそうで、この門はフィリップ・オーギュスト時代よりだいぶ遅れて1420年につくられたようです。<br /><br />Porte des Cordeliers (a l&#39;angle de la rue Monsieur le Prince et de la rue Dupuytren)


    ここ、ムッシュー・ル・プランス通り Rue Monsieur le Prince は、

     旧称お堀の上の道 Chemin de Dessus les Fosses (1419)
    →旧称サン・ジェルマン堀割通り Rue des Fosses Saint-Germain (1559-82)
    →旧称ムッシュー・ル・プランス堀割通り Rue des Fosses Monsieur le Prince)
    →現ムッシュー・ル・プランス通り Rue Monsieur le Prince

    のように、通り名を変えてきたそうです。

    サン・ジェルマン・デ・プレ教会 Eglise Saint-Germain-des-Pres へ繋がる道に ”コルドリエ門 Porte des Cordeliers” があったそうです。

    この写真は、ムッシュー・ル・プランス通りの南(進行方向)を向いて撮影したので、向きが正しくないのですが、だいたいこのあたり(デュッピュイトロン通り近く)に ”コルドリエ門 Porte des Cordeliers” があったそうで、この門はフィリップ・オーギュスト時代よりだいぶ遅れて1420年につくられたようです。

    Porte des Cordeliers (a l'angle de la rue Monsieur le Prince et de la rue Dupuytren)

  • ◆<br />ムッシュー・ル・プランス通り Rue Monsieur le Prince<br />(旧称お堀の上の道 Chemin de Dessus les Fosses)を南下します。<br /><br />前方左に見えてきた木目調の外観の建物は、レストラン・ポリドール。 その奥に、 サン・ポール・リヴ・ゴーシュ という名の3つ星ホテルがあるのですが、ここは17世紀の邸宅だった建物なのだそうですが・・ このホテルのレセプションのそばには、フィリップ・オーギュストの古い城壁の上に作られた小さなパティオがあるそうです!


    ムッシュー・ル・プランス通り Rue Monsieur le Prince
    (旧称お堀の上の道 Chemin de Dessus les Fosses)を南下します。

    前方左に見えてきた木目調の外観の建物は、レストラン・ポリドール。 その奥に、 サン・ポール・リヴ・ゴーシュ という名の3つ星ホテルがあるのですが、ここは17世紀の邸宅だった建物なのだそうですが・・ このホテルのレセプションのそばには、フィリップ・オーギュストの古い城壁の上に作られた小さなパティオがあるそうです!

    セイント ポール ホテル ホテル

  • ◆<br />やがて、進行方向左にムッシュー・ル・プランス通り(旧称お堀の上の道)41番地が見えてきます。<br /><br />上の写真は、41番地という番地プレートを真ん中にするように撮ったのですが、このあたりの建物の後ろ?でも城壁跡が見られるようです。<br /><br />L&#39;enceinte de Philippe Auguste constitue la partie inferieure du mur du fond des maisons situees au 47, 45, 43, et 41.   Dans la cave du 41, celle du Polidor, un vestige de ce rempart historique s&#39;etend jusqu&#39;a la rue Racine.  http://www.polidor.com/historique.htm<br /><br />Restaurant POLIDOR<br />41 rue Monsieur Le Prince, 75006 Paris<br /><br />隣りに見えるレストラン・ポリドール Polidor は、映画『ミッドナイト・イン・パリ』で、主人公ギルが憧れの1920年代の世界にタイムスリップした時ヘミングウェイに会った場所で使われていました。<br /><br />1枚撮った後は、ムッシュー・ル・プランス通りから ラシーヌ通り Rue Racine に入りました。


    やがて、進行方向左にムッシュー・ル・プランス通り(旧称お堀の上の道)41番地が見えてきます。

    上の写真は、41番地という番地プレートを真ん中にするように撮ったのですが、このあたりの建物の後ろ?でも城壁跡が見られるようです。

    L'enceinte de Philippe Auguste constitue la partie inferieure du mur du fond des maisons situees au 47, 45, 43, et 41.   Dans la cave du 41, celle du Polidor, un vestige de ce rempart historique s'etend jusqu'a la rue Racine.  http://www.polidor.com/historique.htm

    Restaurant POLIDOR
    41 rue Monsieur Le Prince, 75006 Paris

    隣りに見えるレストラン・ポリドール Polidor は、映画『ミッドナイト・イン・パリ』で、主人公ギルが憧れの1920年代の世界にタイムスリップした時ヘミングウェイに会った場所で使われていました。

    1枚撮った後は、ムッシュー・ル・プランス通りから ラシーヌ通り Rue Racine に入りました。

    ポリドール フレンチ

  • ”コメルス・サン・タンドレ小路”<br />”デュピュイトロン通り”<br />”アントワーヌ・デュボワ通り”<br />”ムッシュー・ル・プランス通り41番地”<br /><br />の位置関係は、地図で見ると、このような感じになります。<br /><br />地図の中の青線が<br />◎アンシエンヌ・コメディ通り =旧称サン・ジェルマン堀割通り <br />◎ムッシュー・ル・プランス通り =旧称お堀の上の道 他

    ”コメルス・サン・タンドレ小路”
    ”デュピュイトロン通り”
    ”アントワーヌ・デュボワ通り”
    ”ムッシュー・ル・プランス通り41番地”

    の位置関係は、地図で見ると、このような感じになります。

    地図の中の青線が
    ◎アンシエンヌ・コメディ通り =旧称サン・ジェルマン堀割通り 
    ◎ムッシュー・ル・プランス通り =旧称お堀の上の道 他

  • ラシーヌ通り Rue Racine を歩くと、前方に見えるのが、オデオン座 Theatre de l&#39;Odeon とオデオン広場 Place de l&#39;Odeon。<br /><br />ラシーヌ通り Rue Racine を左折、コルネイユ通り Rue Corneille に入り、

    ラシーヌ通り Rue Racine を歩くと、前方に見えるのが、オデオン座 Theatre de l'Odeon とオデオン広場 Place de l'Odeon。

    ラシーヌ通り Rue Racine を左折、コルネイユ通り Rue Corneille に入り、

    オデオン座 劇場・ホール・ショー

  • ヴォジラール通り Rue de Vaugirard に出れば、前方に リュクサンブルグ宮殿 Palais du Luxembourg が見えてきます。<br /><br />ここで、今日第2回目の寄り道、リュクサンブルグ公園(リュクサンブール公園)  Jardin du Luxembourg で少々息抜きです!<br /><br />右岸では、リフレッシュがてらヴォージュ広場に寄りましたが、ここ左岸ではひとまずこの公園でリフレッシュです。

    ヴォジラール通り Rue de Vaugirard に出れば、前方に リュクサンブルグ宮殿 Palais du Luxembourg が見えてきます。

    ここで、今日第2回目の寄り道、リュクサンブルグ公園(リュクサンブール公園)  Jardin du Luxembourg で少々息抜きです!

    右岸では、リフレッシュがてらヴォージュ広場に寄りましたが、ここ左岸ではひとまずこの公園でリフレッシュです。

    リュクサンブール宮殿 城・宮殿

  • リュクサンブルグ公園(リュクサンブール公園) Jardin du Luxembourg<br /><br />ここで撮った写真が多かったため、公園だけのお散歩の旅行記を別に1冊先行作成しました。<br /><br />やっぱり、緑のあるところは気持ちがいいですね。<br /><br />ここでは、黄葉も楽しみました。

    リュクサンブルグ公園(リュクサンブール公園) Jardin du Luxembourg

    ここで撮った写真が多かったため、公園だけのお散歩の旅行記を別に1冊先行作成しました。

    やっぱり、緑のあるところは気持ちがいいですね。

    ここでは、黄葉も楽しみました。

    リュクサンブール公園 広場・公園

  • リュクサンブルグ公園(リュクサンブール公園) Jardin du Luxembourg を サン・ミッシェル大通り Boulevard Saint-Michel 側の出口から出ました。<br /><br />下の写真は、RER B線のリュクサンブルグ駅。 こちらには昇りエスカレーターがあります。

    リュクサンブルグ公園(リュクサンブール公園) Jardin du Luxembourg を サン・ミッシェル大通り Boulevard Saint-Michel 側の出口から出ました。

    下の写真は、RER B線のリュクサンブルグ駅。 こちらには昇りエスカレーターがあります。

  • ◆<br />パンテオン前の スフロ通り Rue Soufflot から見たサン・ミッシェル大通り。<br /><br />この写真の右に見える赤い庇の建物の右横に ムッシュー・ル・プランス通りがありますが、そのあたりが ”サン・ミッシェル門 Porte Saint-Michel” のあったところのようです。<br /><br />la porte Gibard ou porte d&#39;Enfer, ou porte Saint-Michel (a l&#39;angle du boulevard Saint-Michel et de la rue Monsieur-le-Prince)<br /><br />サン・ミッシェル門は、他にもジバール門、ダンフェール門(地獄門?)とも呼ばれていたようです。


    パンテオン前の スフロ通り Rue Soufflot から見たサン・ミッシェル大通り。

    この写真の右に見える赤い庇の建物の右横に ムッシュー・ル・プランス通りがありますが、そのあたりが ”サン・ミッシェル門 Porte Saint-Michel” のあったところのようです。

    la porte Gibard ou porte d'Enfer, ou porte Saint-Michel (a l'angle du boulevard Saint-Michel et de la rue Monsieur-le-Prince)

    サン・ミッシェル門は、他にもジバール門、ダンフェール門(地獄門?)とも呼ばれていたようです。

  • サン・ミッシェル通り を東に渡り、パリ6区からパリ5区に入りました。<br /><br />スフロ通り Rue Soufflot の通りの先には パンテオン Pantheon が正面に見えますが、現在(2014年10月)天井の部分が工事中でした。<br /><br />Pantheon<br />Place du Pantheon, 75005 Paris<br />http://pantheon.monuments-nationaux.fr/fr/<br /><br />ガロ・ローマ時代にはこのあたりにフォーラムがありました。<br /><br />-------------------------------------------------<br /><br />写真が多くなりますので、この後の左岸散歩は、<br />『 パリのお散歩 フィリップ・オーギュストの城壁跡を歩く (左岸編2) 』<br />http://4travel.jp/travelogue/10942609<br />につづきます。 次は、5区カルチエ・ラタン地区を歩きます!<br /><br />『 左岸編1 』 は、主に6区のサン・ジェルマン・デ・プレ地区散歩でした。<br /><br />城壁跡が残る場所は、建物の中とかそういう場所が多い地域でしたが、<br />左岸は、堀割通りを歩いている、というだけでも右岸より楽しかったです。<br /><br />その堀割通りに隣接する通り・小路もなかなかおもしろいエリアです。<br /><br />私の今回のパリ滞在でのテーマ<br />【 なるべく城壁跡に沿うようにぐるりと1周歩き、<br />  中世当時のパリの城壁内の大きさというものを体感したい! 】<br />を達成するべく、この後残り1/4周がんばります!<br /><br />* フィリップ・オーギュスト城壁跡散歩のあしあと @Google Maps<br />https://goo.gl/1Rce1Y<br /><br />-------------------------------------------------

    サン・ミッシェル通り を東に渡り、パリ6区からパリ5区に入りました。

    スフロ通り Rue Soufflot の通りの先には パンテオン Pantheon が正面に見えますが、現在(2014年10月)天井の部分が工事中でした。

    Pantheon
    Place du Pantheon, 75005 Paris
    http://pantheon.monuments-nationaux.fr/fr/

    ガロ・ローマ時代にはこのあたりにフォーラムがありました。

    -------------------------------------------------

    写真が多くなりますので、この後の左岸散歩は、
    『 パリのお散歩 フィリップ・オーギュストの城壁跡を歩く (左岸編2) 』
    http://4travel.jp/travelogue/10942609
    につづきます。 次は、5区カルチエ・ラタン地区を歩きます!

    『 左岸編1 』 は、主に6区のサン・ジェルマン・デ・プレ地区散歩でした。

    城壁跡が残る場所は、建物の中とかそういう場所が多い地域でしたが、
    左岸は、堀割通りを歩いている、というだけでも右岸より楽しかったです。

    その堀割通りに隣接する通り・小路もなかなかおもしろいエリアです。

    私の今回のパリ滞在でのテーマ
    【 なるべく城壁跡に沿うようにぐるりと1周歩き、
      中世当時のパリの城壁内の大きさというものを体感したい! 】
    を達成するべく、この後残り1/4周がんばります!

    * フィリップ・オーギュスト城壁跡散歩のあしあと @Google Maps
    https://goo.gl/1Rce1Y

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