パリのお散歩 フィリップ・オーギュストの城壁跡を歩く (城壁内編: 古地図とともに 古きパリ Vieux Paris 探索! :現4-5区) Balade sur les traces de l’enceinte de Philippe Auguste
2014/10/13 - 2014/10/13
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『 フィリップ・オーギュストの城壁跡1周散歩・左岸編 』
を歩き終え、その後の散歩の記録をまとめたのがこの旅行記です。
今回の滞在ホテルは、パリ中心部 サン・ミッシェル界隈でしたので、
(城壁時代の感覚で言えば)城壁内に入っていくことになりますので、
旅行記のタイトルを 『 城壁内編 』 としておきました。
”古きパリ Vieux Paris” を求めて、現4,5区
( シテ島、カルチエ・ラタン ) を歩いていきます!
* フィリップ・オーギュスト城壁跡散歩のあしあと @Google Maps
https://goo.gl/1Rce1Y
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(参考)
パリの古地図
http://fr.wikipedia.org/wiki/Plans_de_Paris
パリ改造(オスマンのパリ大改造計画)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%AA%E6%94%B9%E9%80%A0
オスマンのパリ道路改造(1850-1870) 地図
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Paris-haussmann-centre.png
芸術新潮 2006年3月号 パリ 中世の美と出会う五日間
パリの秘密 中公文庫 鹿島茂著
ミシュラン・グリーン・ガイド・パリ 他
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右岸編1(10/11) http://4travel.jp/travelogue/10942604
右岸編2(10/11) http://4travel.jp/travelogue/10942606
左岸編1(10/13) http://4travel.jp/travelogue/10942608
左岸編2(10/13) http://4travel.jp/travelogue/10942609
城壁内編(10/13) http://4travel.jp/travelogue/10942610
まとめ編(10/11,13) http://4travel.jp/travelogue/10942612
- 旅行の満足度
- 5.0
- 交通手段
- 徒歩
-
* 前回の旅行記 『左岸編2』 http://4travel.jp/travelogue/10942609 からのつづきです。
『フィリップ・オーギュストの城壁跡1周散歩・左岸編1,2』 を (西端のネール塔から東端のトゥルネル塔へ)歩き、現在、この古地図で、≪緑色の矢印マーク →≫のあたりに立っています。
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赤 = 城壁跡散歩・左岸編1,2 で歩いたルート
黄 = 城壁跡散歩・左岸編1,2 で寄り道した箇所・通り
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≪緑色の矢印マーク →≫ = (前回旅行記のゴール地点)この旅行記の ≪スタート地点≫
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地図:Plan de Paris vers 1550 (Truschet&Hoyau) wikimediaより
(注)フィリップ・オーギュストの城壁ができたのは12世紀後半〜13世紀前半ですが、この地図は1550年のものです。 しかし、例えば、サン・ヴィクトール門は1684年に壊されたそうなので、(『左岸編2』に記念版の写真あり)1550年の時点ではほとんどの門が残っていたのかな、と思います。
(注)日本の古地図も、東西南北の方向、縮尺が統一されていない、ようなところがありますが、この古地図もそうだと思います。 現代の正確な縮尺の地図に慣れていると、ここはこれぐらいで合っていると思うけれど、これとこれは近すぎるでしょ、と思うところがあったりします。
(注)現代から見ると、パリ最古の橋ポンヌフは、1578年に起工、1607年に竣工、ということで、1550年のこの地図ではまだ現れていません。
(注)サン・ルイ島は17世紀に整備され始めたので、この地図の1550年の時点では、まだ2つの島(ノートルダム島とヴァッシュ島)に分かれています。 -
古地図をもう少しズームアップ!
” 古き パリ Vieux Paris ” を思い浮かべながら、【ローマ字】の部分を歩きます! -
これは、前回の旅行記で載せていた1枚ですが、トゥルネル塔があったところの近くの、トゥルネル橋 Pont de la Tournelle です!
この橋では、パリの守護聖女サント・ジュヌヴィエーヴ Sainte Genevieve がセーヌ下流を見渡している姿 を拝むことができます。
*** 聖女ジュヌヴィエーヴ 422〜500 (5世紀) フランス・ナンテールに生まれる。 15歳のとき、パリの司教であるオセールの聖ジェルマンに出会って改宗し、ヴェールを与えられて修道生活に入った。 451年にフン族のアッチラがパリに攻めてきた際、その信仰に根ざした勇気と希望によって、恐れおののく市民たちを勇気づけ、撃退させた。 死後も彼女の祈りはパリを守ることになる。 パリを包囲したフランク族の王クロヴィスは、逆に、影響を受けて、捕虜や囚人に対して寛大になったからである。 クロヴィス王は改宗後、彼女を聖女として尊敬し、パリ中央に建てた大聖堂(現在のパンテオン)に遺体を納めた。 (バースデイ・セイント/飛鳥新社/鹿島茂著より) ***ノートルダム後陣とセーヌの眺望が美しい! パリの守護聖女ジュヌヴィエーヴ像が建つ Pont de la Tournelle by wiz さんトゥールネル橋 建造物
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トゥルネル橋 Pont de la Tournelle のたもとから、サン・ルイ島 Ile Saint-Louis を望んで。
サン・ルイ島 Ile Saint-Louis の写真は、『右岸編2』の後半で載せています。 -
トゥルネル橋 Pont de la Tournelle に来たら、やっぱりこの景色を見ないと!
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トゥルネル橋 Pont de la Tournelle から望む パリのノートルダム大聖堂 Cathedrale Notre-Dame de Paris!
やはり、私は、
ノートルダムを見ている時が一番、パリにいる! と感じられて嬉しいです。 -
ノートルダムの後ろ姿を、ヨンキント風に撮ってみる。
ヨハン・ヨンキント 1852
『トゥルネル河岸からのノートルダムの眺め』
ヨンキント(1819-1891)さんは、オランダの画家なのですが、クロード・モネに影響を及ぼした印象主義の先駆者とみなされている画家で、セーヌ川沿いの風景を多く描いています。 -
この姿を見ているのが好きで、何度も何度も撮ってしまう。
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ノートルダムのある地は、シテ島 Ile de la Cite。 パリ発祥の地。
*** 〜 シテ島 〜 パリという名前は紀元前3世紀にセーヌ川のシテ島に最初に定住したガリア民族のパリジー族に由来している。 やがて、この川中島は、シーザーのガリア制服でローマ植民とするところとなり、ラテン語でルテティア(泥の島)と呼ばれた。 やがて、ルテティアは4世紀からパリと呼ばれるようになり、フランク王国のクロヴィス王のときに首都と定められたが、この頃から外敵の侵入に悩まされた。 なかでも、セーヌ河を遡ってくるヴァイキングの侵略は苛列を極め、パリは何度も包囲攻撃にさらされた。 だが、シテ島は、「たゆたえども沈まず」という、漁師の船にあしらったパリ市の紋章の銘のとおりに、よくこの攻撃に耐え、885年ついにヴァイキングを撃退した。・・ (失われたパリを求めて/鹿島茂著より) ***
以下の動画は、パリの歴史を視覚的に知りたい方におすすめです。
Paris 3D: a Tour of the City Through the Ages
http://youtu.be/-64kHmCJGMA
ノートルダムの建造は * 印が付いた動画の4分過ぎ〜です。
00:00 Oppidum Gaulois -52 av.j.-c. ガリアのオッピドゥム
01:32 Periode Gallo-Romaine 2eme siecle ガロ・ローマ時代
01:47 Forum de Lutece
02;31 Thermes de Lutece (Cluny)
03:07 Arenes de Lutece
04:10 Construction de Notre Dame de Paris * ノートルダム建造
04:24 1ere etape 1165 *
05:01 2eme etape 1185 *
05:30 3eme etape 1225 *
06:10 4eme etape 1350 *
07:05 Le Louvre ルーヴル(要塞から宮殿へ)
07:19 Sous Philippe Auguste 1200
07:56 Sous Charles V 1350
08:45 Sous Henri IV 1610
09:20 Sous Napoleon 1er 1810
09:55 La Bastille 1789 バスティーユ
11:02 Tour Eiffel et Exposition Universelle エッフェル塔とパリ万博
11:19 Aout 1887
11:34 Avril 1888
11:55 Septembre 1888
12:09 Mai 1889 -
トゥルネル橋の聖女ジュヌヴィエーヴに挨拶をしながら、またトゥルネル河岸 Quai de la Tournelle へ。
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トゥルネル河岸通りから、ポワシー通り Rue de Poissy に入ります。
サン・ジェルマン大通り Boulevard Saint-Germain を通り越し・・ -
ポワシー通り Rue de Poissy の先に見えてきたのは、
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【B】コレージュ・デ・ベルナルダン College des Bernardins に到着!
20 Rue de Poissy, 75005 Paris
この学寮は、修道士たちに充分な教育を受けさせるため、1246年に創立されたそうで、シトー会ベネディクト派に属するベルナール会修道士(ベルナルダン Bernardins)が学寮の管理にあたるようになったのは14世紀から。 大革命が始まるとここは閉鎖され、ガレー船の漕役刑に服するために待機する囚人の収容所として用いられたこともあるそうです。 ( ※ 関連事項 http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=36012334 『左岸編2』 トゥルネル城の塔 )
(注)ここでやっと出てきましたが、これ以後、コメントの中に 【ローマ字】 を入れたものは、古地図の 【ローマ字】 と一致している、という意味です! この写真は、古地図に記した 【B】 と一致しています。 -
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ポワシー通り Rue de Poissy をさらに進んでいくと・・
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ポワシー通り Rue de Poissy は、このように エコール通り Rue des Ecoles の手前で行き止まりになっています。
下の道を右に曲がると、サン・ヴィクトール通り Rue Saint-Victor【C】 なのですが、昔はこのサン・ヴィクトール通りが長く続いていたのだけれど、オスマンのパリ大改造時にエコール通りができて、サン・ヴィクトール通りが短い通りになってしまったようです。 ( http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Paris-haussmann-centre.png )
なぜ、このような話をしたかと云うと・・
まず第一に、このあたりには、1113年に創設されたサン・ヴィクトール大修道院 Abbaye Saint-Victor de Paris というのがあって、このエリアは大修道院がもつ広大な土地だった、ということ。 この修道院参事会付属修道院は、(植物園北の)ジュシューの現在の大学敷地に、付属の建物と庭の立派な教会を配置していた 【A】 ということ。(大修道院の名から、サン・ヴィクトール通りという通り名が残っている。)
第二に、城壁跡散歩の『左岸編2』で書いた、サン・ヴィクトール門があったところが、この写真の左(現在のエコール通り2番地)にある。
という繋がりを話したかったため、説明が長くなってしまいました。 -
上記のポワシー通り Rue de Poissy から、サン・ヴィクトール通り Rue Saint-Victor 【C】 へ右折しました(上)。
サン・ヴィクトール通りの上にエコール通りがあります(中)。
しばし歩き振り返ると・・ あ!このキャッフェ、たしかBS放送の ”パリで逢いましょう(5区ミュチュアリテ界隈)” で出ていたところだ、と思いまして1枚撮っておきました(下)。
Cafe Saint-Victor
11 Rue Monge, 75005 Paris, France -
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そうこうしているうちに、サン・ニコラ・ドュ・シャルドネ教会 Eglise Saint-Nicolas-du-Chardonnet【D】 に到着!
この教会は、ユトリロも描いていた教会です。 -
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サン・ニコラ・ドュ・シャルドネ教会 【D】 には入ったことがなかったので、入ってみることに。
船頭の守護聖人、聖ニコラに捧げられた教会です。13世紀 あざみ(シャルドン Chardon)を植えた囲い地だった場所に建てられた礼拝堂がはじまり Eglise Saint-Nicolas du Chardonnet (5区) by wiz さんサン ニコラ デュ シャルドネ教会 寺院・教会
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サン・ニコラ・ドュ・シャルドネ教会 【D】 は、13世紀、あざみ(シャルドン Chardon)を植えた囲い地だった場所に建てられた礼拝堂がはじまりなのだそうです。
東に土地がなかったので(正式には東向きが原則)北向きに建てられたようです。 北向きだからか、内部が少し暗いのかな。
北向きといえば・・余談ですが・・、オーストリアのウィーンに、オットー・ヴァーグナーという建築家によって設計されたアム・シュタインホーフ教会というのがあるのですが、この教会は精神病院の中につくられた教会で、精神を病んでいる人が逆光の光に向かわないようにと光の少ない 北 に向かうように と 設計 されていました。 -
サン・ニコラ・ドュ・シャルドネ教会【D】 の横の ベルナルダン通り Rue des Bernardins【E】 に入り、またセーヌ方向へ。
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サン・ニコラ・ドュ・シャルドネ教会 【D】 を ベルナルダン通り Rue des Bernardins 【E】 から見るとこんな感じ。
ちょうど89番のバスが停まっているところで1枚。
下の写真は、ベルナルダン通りをさらにセーヌ寄りに行ったところから撮りました。 -
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またまた、トゥルネル河岸通り Quai de la Tournelle に出ました!
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先ほどの トゥルネル橋 Pont de la Tournelle よりひとつ上流側の アルシュヴェシェ橋 Pont de l'Archeveche が目の前ですので・・
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やはり、ここは、アルシュヴェシェ橋 Pont de l'Archeveche からの ノートルダム Cathedrale Notre-Dame de Paris 【F】 を撮らなきゃ!
アルシュヴェシェ橋 建造物
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イチオシ
アルシュヴェシェ橋 Pont de l'Archeveche からの ノートルダム Cathedrale Notre-Dame de Paris 【F】 の姿!
やっぱりかっこいいなぁ。 これぞ私にとっての パリ!
春にここから桜とともにノートルダムを見てみたい。。 -
アルシュヴェシェ橋 Pont de l'Archeveche は、愛の鍵が鈴なりです。
アルシュヴェシェ橋 建造物
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あらま、あっちを向いた時に撮っちゃった。
ここまで、来たら、行きたくなるのは・・ -
イチオシ
やはり、ジャン23世公園 Square Jean XXIII からの ノートルダム Cathedrale Notre-Dame de Paris【F】 の姿も拝みたい! ということでやってきました。
パリのノートルダム 【F】 の敷地は、ローマ時代にはユピテル神域があったと云われています。 ローマ崩壊後、キリスト教徒がこの地にバシリカを建設。 1163年、司教 モーリス・ド・シュリー Maurice de Sully によって、現在にみられる建築物が着工されました。
フィリップ・オーギュストの城壁 Enciente Philippe-Auguste が建設され始めた(右岸1190頃〜)時には、このノートルダムはまだ建設中・・、そんな時代だったようです。パリのノートルダム後陣が美しく見える小公園 Square Jean XXIII by wiz さんジャン23世公園 広場・公園
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ロマネスク建築(美術)にはまっているけれど、パリのノートルダム(ゴシック建築)は特別!
ところで、現在ここにあるジャン23世公園の敷地には、中世の時代には、サン・ドニ・デュ・パ教会 Eglise Saint-Denis-du-Pas があり、この教会はサン・ドニ(聖ドニ)巡礼路 Pelerinage de Saint-Denis の教会だったそうです。 同じくシテ島のオテル・デューにはサン・ドニ・ド・ラ・シャトル教会がありました。
1550年の古地図でも、ノートルダム【F】の裏に、今はなきサン・ドニ・デュ・パ教会を見ることができます。
” Pelerinage de Saint-Denis ”
Eglise Notre-Dame-des-Champs (現5区)
Eglise Saint-Etienne-des-Gres (現5区)
Eglise Saint-Benoit-le-Retourne (現5区)
Eglise Saint-Denis-du-Pas (現4区シテ島、現ジャン23世公園)
Eglise Saint-Denis-de-la-Chartre (現4区シテ島、現オテル・デュー)
Martyrium de saint Denis a Montmartre (現18区)
Eglise Saint-Denys de la Chapelle (現18区)
Basilique de Saint-Denis (現サン・ドニ大聖堂)
聖ドニは、パリの初代司教で、歴代フランス王の保護者であり、イル・ド・フランス地方の最も高名な聖人だったのです。
聖(サン)ドニの日は10月9日なのですが、今回旅行の出発日が10/9で、聖ドニの日なんだなぁと気付きまして、これも何かの縁?と思い、サン・ドニ参りもしてきました。
因みに、一番初めに、トゥルネル橋の上の聖ジュヌヴィエーヴ像の写真を載せましたが、パリの守護聖女、聖ジュヌヴィエーヴは、敬虔なキリスト教徒の女性カトゥラが聖ドニのお墓の上に単純なモニュメントを建てたという地に、最初の聖堂を建てましたが、この聖堂がサン・ドニ大聖堂の歴史のはじまりです。 (パリの聖人と言えば、必ず聖ドニと聖ジュヌヴィエーヴが出てきます。)ノートルダム大聖堂 寺院・教会
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ジャン23世公園 Square Jean XXIII, 75004 Paris
城壁跡散歩『左岸編1,2』で、すでに3回(レストラン・ポリドール、マルブランシュ通り、ラベ・バセ広場)、映画『ミッドナイト・イン・パリ(仏:ミニュイ・ア・パリ)』のロケ地の話題を出していますが・・
この写真の、ジャン23世公園 Square Jean XXIII も出てきたんですよね〜。
主人公ギル(オーウェン・ウィルソン)とロダン美術館の案内人(サルコジさんの奥さんカーラ・ブルーニ)がここのベンチに座って。 ブキニストで買ったフランス語の本を翻訳してもらっていたシーンでした。 -
それにしても、朝は、どんよりした天気だったけれど、だんだん青空も濃くなってきて嬉しい!
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ジャン23世公園 をあとにし、クロワートル・ノートル・ダム通り Rue du Cloiitre Notre Dame に抜けました。 ノートルダムの北側の通りです。
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こちらは、上の写真とは逆方向、クロワートル・ノートル・ダム通り Rue du Cloiitre Notre Dame から サン・ルイ島 に向かって撮った1枚。
皆さん、平均的に、自転車ののサドルの高さをけっこう高くして乗っているんですよね。
ちゃんと自転車レーンを走ってらっしゃいます。 -
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シャノワネス通り Rue Chanoinesse に入りました。
ノートルダムそのものが ”古きパリ VieuxParis ” でもありますが・・
オスマンのパリ大改造から逃れた(オスマンの失脚により辛くも 破壊 を逃れた)街区は、まずはこのあたりです! ( http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Paris-haussmann-centre.png )
シテ島の中の、ノートルダムの北側かつアルコル通り Rue d'Arcole より東のエリア。
旧クロワートル界隈といわれるエリア Quartier de l'ancien Cloitre。 【G】
中世の時代には、ノートルダムの北側面とセーヌ川との間の土地(このあたりのこと【G】)は強大な大聖堂参事会の領地だったそうです。
・・このあたりは、2006年に歩いたのですが、久々にやってきました。 -
ユルサン通り Rue des Ursins から シャントル通り Rue des Chantres を見た構図です!
8年振り! にこの1枚を撮りに来ました。
シャントル通り Rue des Chantres の先に見える塔は、もちろん、ノートルダムの塔です。
このあたりは、特に中世の雰囲気を残している場所として、(知っている人の中では)有名なところだと思います。 【G】 -
シャルル・メリヨン Charles Meryon 1862
『 シャントル通り Rue des Chantres 』 -
階段の上は、フルール河岸 Quai aux Fleurs で、
階段の下が、ユルサン通り Rue des Ursin 【G】 です。
いつもあまり人がいないところなのに、今日は何人かのグループさんがいらっしゃいました。シテ島 旧市街・古い町並み
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フルール河岸 Quai aux Fleurs に上がって、
シャントル通り Rue des Chantres 【G】 の先に ノートルダム 【F】 を望む!ノートルダム大聖堂 寺院・教会
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フルール河岸 Quai aux Fleurs からは、サン・ジャックの塔 Tour Saint-Jacques が望めます。
サン・ジャックの塔 Tour Saint-Jacques は、かつてサン・ジャック・ドゥ・ラ・ブシュリー教会 Eglise Saint-Jacques-de-la-Boucherie のあったところで、この教会があった中世には、サン・ジャック・ド・コンポステル(サンティアゴ・デ・コンポステーラ)の巡礼路の起点とされていたところです。 (仏:サン・ジャック=西サン・ティアゴ/サンチャゴ=聖ヤコブ)
これは、城壁跡散歩『左岸編2』の サン・ジャック通り のところでも少し書いていましたが・・。 -
もう1度、ユルサン通り Rue des Ursin に人がいなくなったところで1枚! 【G】
この構図や、ユルサン通りからシャントル通りの先にノートルダムの塔を望む構図は、 『芸術新潮 2006年3月号 パリ 中世の美と出会う五日間』 で出ていたんです。
この本で写真を見て、ここいいなぁと思い、2006年12月に歩きました。 -
オスマンの大改造から逃れたエリア 旧クロワートル界隈。
”古きパリ Vieux Paris” をまだまだ歩きます。
ユルサン通り Rue des Ursin を西へ・・。 【G】
ユルサン通りは、昔のセーヌ川の堤の位置にあって、12世紀まではサン・ランドリー港があって、この港はオテル・ド・ヴィルの河岸工事が行われる以前は、パリで最初の港だったそうです。 -
ユルサン通り Rue des Ursin 【G】 をさらに西へ。
そっかぁ・・ このあたりは、12世紀までは港だったんだなぁ・・。 -
ユルサン通り Rue des Ursin 【G】 の突き当たり(写真奥)で、左に曲がると・・
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ラ・コロンブ通り Rue de la Colombe 【G】 に入ります。
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ラ・コロンブ通り Rue de la Colombe 【G】
上の写真とは反対向きに、南から北向きに撮っています。
この通りは、
”通りの石畳に、ルテティア(パリ)のガリア・ローマ式城壁の名残が認められる通り”
なのだそうです! -
シャノワネス通り Rue Chanoinesse から見る ラ・コロンブ通り Rue de la Colombe 【G】
因みに、通りの先に見える建物は、右岸のオテル・ド・ヴィル Hotel de Ville(市庁舎)です。 -
シャノワネス通り Rue Chanoinesse に入ると、きれいな蔦の絡まる家が。 【G】
左から、
Bistrot Au Bougnat, Bertie's Cup Cakery, Au Vieux Paris d'Arcoleオー ヴュー パリ フレンチ
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シャノワネス通り Rue Chanoinesse 【G】 にて。
Au Vieux Paris d'Arcole
24 Rue Chanoinesse, 75004 Paris -
シャノワネス通りから、クロワートル・ノートル・ダム通り Rue du Cloiitre Notre Dame に戻って来ました。
ノートルダム Cathedrale Notre-Dame de Paris【F】 のガルグイユと木々の黄葉を見上げながら・・ノートルダム大聖堂 寺院・教会
-
そういえば、ここを撮っていなかったなぁ、と思い出し1枚。
ノートルダム Cathedrale Notre-Dame de Paris 【F】 の ”赤の門 Porte rouge” です。
(13世紀、サント・シャペルやサン・ドニ大聖堂の建築で知られる) ピエール・ド・モントルイユ Pierre de Montreuil の手になる ” 赤の門 ” は、聖堂参事会に属する高位聖職者専用になっていたという門。 聖マルセルの生涯をテーマにしたアーチ形曲線の下にあるタンパンには、イエスから冠を授けられている聖母マリアが見られ、その両側には(サント・シャペルの建設を命じた)聖王ルイ(ルイ9世)とマルグリット・ド・プロヴァンスが跪いています。 -
ノートルダムの後ろ姿が眺められる ジャン23世公園 に再度入り、
-
今度は、ノートルダムの南ポルタイユ ” 聖エチエンヌの門 Portail Saint-Etienne ”【F】 へ。
以前、ノートルダムとサント・シャペルの旅行記(2006)を書いたのですが・・ その時、ノートルダムの西正面の3つの門( 聖アンナのポルタイユ Portail Sainte-Anne 、 最後の審判のポルタイユ Portail du Jugement Dernier、 聖母マリアのポルタイユ Portail de la Vierge )、北のクロワートルの門 Portail du Cloitre (聖母マリアの生涯、テオフィル助祭の物語)は載せていたのですが・・
こちらノートルダム南の門 ” 聖エチエンヌの門 Portail Saint-Etienne ” と 2枚上の ” 赤の門 Porte rouge ” を載せていなくて気がかりだったんです。 それで、今回撮りに来ました。 -
柵(囲い)より前に行けないので、カメラのズームを使って撮りました。
ノートルダムの南ポルタイユ
” 聖エチエンヌ(ステパノ)の門 Portail Saint-Etienne ” 【F】
ノートルダム大聖堂建立以前、この聖域は聖ステパノ(エチエンヌ)に捧げられていたそうです。
ノートルダムの敷地はローマ時代にはユピテル神域であったというし、シャルトル大聖堂の地もキリスト教化される以前はガリア人たちの巡礼地であったというし、現在キリスト教の聖域である場所は、キリスト教化されていない時代にも 聖域 だった場所がほとんどなのではないでしょうか。
最初のキリスト教殉教者、聖エチエンヌ(サンテティエンヌ)といえば、石打ちの刑にあっているところが描かれています。。。 建築文化財博物館にもこの門のムラージュの展示がありました。 -
シテ島をあとにし、再度カルチエ・ラタンに戻り、ビエーヴル通り Rue de Bievre 【H】 に入りました。
ビエーヴル通り の通りの名は、支流の一つがセーヌ川に流れ込んでいた ビエーヴル川 La Bievre からとられています。 昔は、船頭や川なめし工が住んでいた街。
ビエーヴル川はパリでは暗渠となってしまっていますが、再生計画というのも持ち上がっているようです。( ※ 『左岸編2』 参照 )
今もちゃんと存在する川で、15の町を流れています。 ( Antony, Arcueil, Bievres, Buc, Cachan, Fresnes, Gentilly, Guyancourt, L'Hay-les-Roses, Igny, Jouy-en-Josas, Les Loges-en-Josas, Massy, Paris, et Verrieres-le-Buisson ) -
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ビエーヴル通り Rue de Bievre 【H】 を南下します。
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ビエーヴル通り Rue de Bievre 【H】の蔦が絡まる家の向こうに、入口があるのは・・
ミッテラン大統領が住んでいたという家。
22 Rue de Bievre, 75005 Paris
右手に小さな公園がありますが、奥さんの名前が付けられています。
スクワール・ダニエル・ミッテラン
Square Danielle-Mitterrand, 75005 Paris
旧称は、「ビエーヴル通りの庭 Jardin de la rue de Bievre」。 -
ビエーヴル通りから、モーベール広場 Place Maubert 【I】 に到着!
ここからも ノートルダム大聖堂 【F】 の姿が望めます。
モーベール広場 は、中世初期から集会場所として使われてきたところで、民衆の暴動の際にはいつもここにバリケードが築かれたところなのだそうです。 16世紀初頭から18世紀末にかけては処刑の場となったそうで・・1550年の古地図からもそれが見てとれます・・。 -
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モーベール広場 Place Maubert 【I】 から フレデリック・ソトン通り Rue Frederic Sauton 通りの向こうに、ノートルダム 【F】を・・横でも撮ってみる。
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モーベール広場から ラグランジュ通り Rue Lagrange を西へ。
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ガランド(ギャランド)通り Rue Galande に入りました!
ここは、映画館 『ステュディオ・ガランド Studio Galande』 前です。
Studio Galande
42 Rue Galande, 75005 Paris
この通りは、佐藤賢一氏の 『 カルチェ・ラタン (ドニ・クルパン回想録) 』 <1536年頃のパリが舞台> の中で、ガーランド通りの印刷屋のあった通りです。 16世紀初頭のカルチェ・ラタンには、イエズス会の創始者イニゴ・デ・ロヨラやイエズス会士フランシスコ・ザビエル、プロテスタント主義者ジャン・カルヴァン等がおり、本の中ではこの時代のカルチェ・ラタンにタイムスリップすることができます。
ところで、このガランド(ギャランド)通り Rue Galande は、ガロ・ローマ時代から続く古い道だそうで、ガランド通りから、〜モンターニュ・サント・ジュヌヴィエーヴ通り、〜ムフタール通り・・と、パリ南東に向かって道が続き、やがて、サンス(ブルゴーニュ地方)、リヨン(ローヌ・アルプ地方)、ローマ(イタリア)に続く道だったのだそうです。 -
映画館 『ステュディオ・ガランド Studio Galande』のある
ガランド(ギャランド)通り42番地 には・・
”小舟に乗った慈善修道士ジュリアン Saint Julien l'Hospitalier”を彫刻した石があります。
42 Rue Galande, 75005 Paris -
ガランド通りを歩くと、サン・ジュリアン・ル・ポーヴル通り Rue Saint-Julien le Pauvre に出ます。
そこから望むのは ノートルダム Cathedrale Notre-Dame de Paris【F】 の美しき姿!
写真右側に、サン・ジュリアン・ル・ポーヴル教会があり、ここの守護聖人、3人の聖ジュリアンの歴史の中に、上記の写真 ( ”小舟に乗った慈善修道士ジュリアン” ) が関係しています。 -
こちらが、サン・ジュリアン・ル・ポーヴル教会 Eglise Saint-Julien-le-Pauvre 【J】 です。
この教会は、ノートルダムとほぼ同じ時期にロンポン(Longpont-sur-Orge)修道院の人たちによって1165年から1220年までかかって建てられたもの。 13世紀から16世紀までは、パリ大学の集会はこの教会で行われるならわしがあって、学長もここで選出されていたそうです。 1889年からは、メルキト派の典礼カトリック教会。
6世紀以来、数多くの礼拝堂が、守護聖人に聖ジュリアンを戴いてこの場所に建立されたそうで、 最初は「ブリウード司教の殉教者聖ジュリアン Saint Julien de Brioude (304年殉教)」、次いで「ル・マンの司教だった信仰告白者聖ジュリアン Saint Julien du Mans (施しでいつも懐を空にしていたため ” 貧者 le Pauvre ” とも渾名された)」、そして「渡し守の慈善修道士聖ジュリアン Saint Julien l'Hospitalier」(=ガランド通り42番地の彫刻)。 最終的に守護聖人名として残ったのは、今の教会の名前になっている「貧者聖ジュリアン」だった・・ のだそうです。
教会内に入りたかったのですが、ちょうど閉まっている時間でした。 残念。3人の聖ジュリアンに捧げられ 最終的に名を残したのは 貧者(ル・ポーヴル)聖ジュリアン Eglise Saint-Julien-le-Pauvre (5区) by wiz さんサン ジュリアン ル ポーヴル教会 寺院・教会
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ガランド通り Rue Galande から見る サン・セヴラン教会 Eglise Saint-Severin 【K】
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モーリス・ユトリロ によって描かれた
「サン・セヴラン教会 1912年頃」 【K】 です。 -
再度、サン・ジュリアン・ル・ポーヴル通りから、ノートルダム大聖堂の姿をおさめました。
絵になる構図です。
ところで、緑の木々が見える、ルネ・ヴィヴィアーニ小公園 Square Rene Viviani のパリ最古(1680年に植えられた)の大樹、ニセアカシアの木は去年切られたそうです。 もうだいぶ病気になっていたみたいです。。ノートルダム大聖堂 寺院・教会
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サン・ジュリアン・ル・ポーヴル通り Rue Saint-Julien le Pauvre
この写真は上の写真の反対側を向いて撮っています。オデット カフェ
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サン・ジュリアン・ル・ポーヴル通り を曲がり、ビュシェリー通り Rue de la Bucherie へ。
ここは、有名な
シェイクスピア・アンド・カンパニー書店 Shakespeare and Company
この書店と言えば、映画『ビフォア・サンセット』を思い出します。
映画『ビフォア・サンセット』では、リセ・シャルルマーニュのフィリップ・オーギュストの壁がある通り( ※ 『右岸編2』参照 )やセーヌ河畔もたくさん映っていました。 この映画は、もともと初編がウィーンで(ビフォア・サンライズ)、2作目がこのパリ編(ビフォア・サンセット)でした。 ウィーンから見はじめたら、はまってしまいました。 2人のおしゃべりの”巧みさ”に。シェイクスピア アンド カンパニー書店 専門店
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シェイクスピア・アンド・カンパニー書店 Shakespeare and Company
NO PHOTO なのに1枚撮ってしまいました。すいません。
初代のシェクスピア・アンド・カンパニーは、米ニュージャージーから移住してきたアメリカ人女性シルヴィア・ビーチによって1919年に開かれ、当初はデュプイトラン通り8番地( ※ 『左岸編1』で歩いたあたり )にあったそうです。
シルヴィア・ビーチが店主を務めた初代シェイクスピア・アンド・カンパニーは第二次大戦期まで、パリにおけるアングロ・アメリカン文学とモダニズム文学の中心地であり、ヘミングウェイ、フィッツジェラルド、ガートルード・スタイン、マン・レイ、ジェイムズ・ジョイスなどがこの書店で多くの時を過ごした。 シェイクスピア・アンド・カンパニーは、ヘミングウェイの『移動祝祭日』で店の常連たちとともに繰り返し言及されている。 -
シェイクスピア・アンド・カンパニー書店 から ガランド通り Rue Galande に戻って、 サン・セヴラン教会 Eglise Saint-Severin 【K】 へ向かいます。
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サン・セヴラン教会 Eglise Saint-Severin 【K】へやって来ました。
プレトル(司祭)・サン・セヴラン通り Rue des Pretres Saint-Severin から撮影しています。
この教会の中央のポルタイユ(門)は、1839年、シテ島に アルコル通り Rue d'Arcole ( http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Paris-haussmann-centre.png )が開通するのに伴って取り壊しになった ” サン・ピエール・オー・ブッフ教会 Eglise Saint-Pierre-aux-Boeufs ” から移されたもので、13世紀のものだそうです。
シテ島の大改造で犠牲になった教会の 13世紀のポルタイユ だけでも、こちらに残されることになって良かったと思います。シテ島にあった今はなき教会から移された13世紀のポルタイユ や 15世紀に初めて大がかりな外科手術が行われたというパリ唯一の中世の納骨回廊 がある Eglise Saint-Severin (5区) by wiz さんサン セヴラン教会 寺院・教会
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サン・セヴラン教会 Eglise Saint-Severin 【K】 の中に入りました。
フランク王クロヴィスの孫クロドアルド(パリ南西郊外の サン・クルー Saint-Cloud という町の名前は クロドアルド に由来する)に僧衣を着せたのが、この辺りに住んでいた セヴラン Saint Severin de Paris という名の隠者だったそうです。
11世紀末には、サン・セヴラン教会は左岸全体の教区教会として使われていたようです。
身廊や内陣、周歩廊などは14,15世紀の建築。
写真中央、奥(内陣)に見える螺旋状にのびるリブが印象的です。 -
サン・セヴラン教会 Eglise Saint-Severin 【K】 の周歩廊。
ステンドグラスを透して放たれる光が心地いい空間。 -
教会の横からみえるのは・・
サン・セヴラン教会 Eglise Saint-Severin 【K】 の回廊 です。
修復されて残っている回廊の一部は、中世のものとしてはパリに残る唯一の回廊なのだそうです。 そして、初めて大がかりな外科手術が行われる舞台となったところでもあります。
*** サン・セヴラン教会にあったこの墓地は、15世紀に初めて大がかりな外科手術(最初の結石手術)の行われる舞台となった。 ≪結石手術≫、すなわち結石を除去するために膀胱を切開するという、今日≪膀胱切開 シストトミー≫という学名で呼ばれる手術である。 当時、この手術をどのように行うべきかは誰も知らず、そこで外科医たちはルイ11世に生体実験の認可を認めた。 こうして一人の男が選ばれた。 死刑を宣告され、結石に悩まされていた射手で、もし運よく手術が成功したなら、刑の執行を取り止めて、命を助けることにした。 当時、パリ大学の医学部はまだ定まった施設を有しておらず、手術室や実験室として、広く屋根があり、しかも共同墓地に近いサン・セヴラン教会納骨所の回廊を用いていた。 同種のものとしては、外科史上初の手術となったこの結石手術は見事に成功した。 射手は体力の回復を待って釈放され、小額の金子を与えられた。 (パリ歴史物語/原書房/ミシェル・ダンセル著より) *** -
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パルシュミヌリー通り Rue de la Parcheminerie 【L】 から見た サン・セヴラン教会 Eglise Saint-Severin 【K】 の回廊。
この写真は、上の写真の反対側から撮ったものです。
小さな庭園は、墓地の跡に作られていて、かつてはその墓地を取囲むように 納骨所の回廊 Charniers が立っていた。 -
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ブトゥブリ通り Rue Boutebrie 【M】 から見た、サン・セヴラン教会 Eglise Saint-Severin 【K】
サン・セヴラン教会のあたり一帯は、歩行者専用の道になっています。
このあたりの雰囲気は、夜もいい雰囲気です。
パリ到着初日の夜、夕食を食べた後m外に出たら突然雨が降り出したのですが、その夜ここに来たら、教会前の道が雨に濡れ、鏡のようで。 外灯に照らされた道、ライトアップされた教会の光景がとても美しかったです。シテ島にあった今はなき教会から移された13世紀のポルタイユ や 15世紀に初めて大がかりな外科手術が行われたというパリ唯一の中世の納骨回廊 がある Eglise Saint-Severin (5区) by wiz さんサン セヴラン教会 寺院・教会
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プレトル(司祭)・サン・セヴラン通り Rue des Pretres Saint-Severin から見た ラ・パルシュミヌリー通り Rue de la Parcheminerie 【L】
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ラ・パルシュミヌリー通り Rue de la Parcheminerie 【L】
ここも歩行者専用の道です。
この間、クチコミを書いた、日本人経営の居酒屋さん れんげ Lengue は、この写真に見える本屋さん Abbey Bookshop のお隣の建物(黒い建物)です。
ところで、このラ・パルシュミヌリー通り Rue de la Parcheminerie の、
”Parcheminerie” は、”羊皮紙” の意味で、この通りはかつて代書屋と写字生が多く住んでいたところなのだそうです。地元の方にも人気みたい サン・ミッシェル界隈、日本人経営の居酒屋さん Lengue by wiz さんレンゲ 和食
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ラ・アルプ通り Rue de la Harpe 【N】
9時から(左岸編を)歩きはじめ、14時半にようやくランチとなりました。
Restaurant Safran
13 Rue de la Harpe, 75005 Paris
インド料理のお店に入りました。
前菜(私はサラダ)、メイン(カレー)、デザートのMENUで10ユーロ。
ここで ビックリ したのが、このサラダの生野菜が美味しくて予想外でなかなか良。 マルシェで新鮮なものを仕入れるのかしら。 カレーもどうかなぁ、と思っていたのですが、そんなに辛くもなく、トッピングソースで3種(たしかスパイシー、ミント、スイーティー)の味を楽しめるようになっていました。
メインのカレーは、私はポワッソン、相棒のSちゃんはベジタブル にしました。
デザートは、インドのものだと思いますが、すごく甘かったです。前菜、メイン(カレー)、デザートの昼ムニュが10EUR Restaurant Safran by wiz さんインディアン レストラン サフラン インド料理
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ラ・アルプ通り Rue de la Harpe 【N】
カレーを食べた、ラ・アルプ通り。 この通りは古くからの通りです。
なんと、かつてのローマ街道だったのだとか! 勿論、古地図にも載っています。 【N】 -
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ラ・ユシェット通り Rue de la Huchette 【O】 を歩き、
” 魚釣りをする猫通り ” シャ・キ・ペッシュ通り Rue du Chat Qui Peche へ。
通りの名は、かつてここの入口に”魚釣りをする猫の店 Au Chat Qui Peche”という料理店の看板が掲げてあったことによるのだとか。
この通りは、左岸で一番狭い通り(幅:最小のところで1.8m)です。
ユシェット通りとサン・ミッシェル河岸通りを結ぶ長さ29mの通り。
”Rue” としては、パリで一番狭い通り、かと思います。
(※右岸12区に幅90cmの Sentier des Merisiers という小道があるそうです。)
そして、ここもシテ島北東のエリア、旧クロワートル界隈と同じく、19世紀のオスマンのパリ大改造から逃れた通りとして有名です。 ここに残る 古めかしい路央下水溝の跡 は (真ん中に一本どぶを設けて雨水がここに集まるようにした) 中世以来 変わらないもの なのだそうです。
この通りやラ・ユシェット通り、サン・セヴラン教会界隈〜サン・ジュリアン・ル・ポーヴル教会界隈〜ノートルダムあたりは、滞在ホテルから近かったので、朝に夜に通りました。 -
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せま〜い通り、シャ・キ・ペッシュ通り Rue du Chat Qui Peche を通り抜けると・・
ノートルダム Cathedrale Notre-Dame de Paris 【F】 が聳えています!
そしてその前の橋は、プチ・ポン 【P】。
サン・ミッシェル河岸通り Quai Saint-Michel のお土産屋さんの
お土産商品 と・・ 車 と・・ ノートルダム・・ 。
現代 と 中世 が 入り混じったちょっとおもしろい1枚。 -
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( ※ 空港に向かうまでに、まだ1時間くらい時間の余裕があったので、この後は、マレ地区 <ポン・マリー近くバール通り界隈> の方に行ったのですが、その写真は『右岸編2』の最後 <ヴォージュ広場などのマレ地区散歩の後> に載せておきました。 )
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そして、もう1度、古地図の横版を。
こちらの地図の方が(2枚目の縦版より)拡大すると大きいかも。
自分の中でのおさらい という意味もあり、以下、再度書いておきます・・。
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赤 = 城壁跡散歩・左岸編1,2 で歩いたルート
黄 = 城壁跡散歩・左岸編1,2 で寄り道した箇所・通り
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≪緑色の矢印マーク →≫ = (前回旅行記のゴール地点)この旅行記の ≪スタート地点≫
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緑 【ローマ字】 = この旅行記で歩いているところ
A サン・ヴィクトール大修道院(※現存せず・説明のみ)
B コレージュ・デ・ベルナルダン College des Bernardins
C サン・ヴィクトール通り Rue Saint-Victor
D サン・ニコラ・デュ・シャルドネ教会 Eglise Saint-Nicolas du Chardonnet
E ベルナルダン通り Rue des Bernardins
F パリのノートルダム大聖堂 Cathedrale Notre-Dame de Paris
G ノートルダム北側、旧クロワートル界隈 Quartier de l'ancien Cloitre
H ビエーヴル通り Rue de Bievre
I モーベール広場 Place Maubert
J サン・ジュリアン・ル・ポーヴル教会 Eglise Saint Julien le Pauvre
K サン・セブラン教会 Eglise Saint-Severin
L パルシュミヌリー通り Rue de la Parcheminerie
M ブトゥブリ通り Rue Boutebrie
N ラ・アルプ通り Rue de la Harpe
O ラ・ユシェット通り Rue de la Huchette (Rue du Chat-qui-Peche)
P プチ・ポン Petit Pont
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地図:Plan de Paris vers 1550 (Truschet&Hoyau) wikimediaより
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『 フィリップ・オーギュストの城壁跡1周散歩(右岸編) 』 (完)
http://4travel.jp/travelogue/10942604
http://4travel.jp/travelogue/10942606
『 フィリップ・オーギュストの城壁跡1周散歩(左岸編) 』 (完)
http://4travel.jp/travelogue/10942608
http://4travel.jp/travelogue/10942609
『 フィリップ・オーギュストの城壁跡1周散歩(城壁内編) 』 (完)
http://4travel.jp/travelogue/10942610
* フィリップ・オーギュスト城壁跡散歩のあしあと @Google Maps
https://goo.gl/1Rce1Y
” 古地図 ” とともに歩く、パリ散歩♪
” 古き パリ Vieux Paris ” を思い浮かべながらの、パリ散歩♪
とても楽しかったです!!!
『フィリップ・オーギュストの城壁跡1周散歩』
右岸編1,2、左岸編1,2、そして、この旅行記、城壁内編、
を見てくださった皆様、ありがとうございました。 感謝。
Merci beaucoup a vous (toi) !!!
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