2024/08/29 - 2025/08/19
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砂布巾さん
1944年8月19~26日 「パリは燃えているか」(フランス)
パリ解放を描いたルネ・クレマン監督の映画は、コルティッツ将軍がパリ地区総司令官に任命される場面から始まる。
8月18日に共産党中心のパリ解放委員会は、翌日の蜂起を決定した。ドゴール派は早い蜂起には反対だったが、共産党に先手を打って8時に警視庁の奪取を強行した。治安機構を共産党に渡さないためだった。蜂起軍が政府機関を奪取していく過程で、ドイツ軍と衝突が始まる。スウェーデン領事の仲介で20日に休戦協定が結ばれるが、やがて破棄された。
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心からの感謝を込めて 砂布巾
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*シャゼリゼ通り、凱旋門から撮影
連合国軍は市街戦による犠牲の大きさなどを考慮して、最初迂回し包囲する作戦だった。戦闘が再開された22日、アイゼンハワー総司令官は進撃を命令した。ヒトラーは撤退する場合には、パリを徹底的に破壊することをコルティッツに命じ、援軍を送っていた。シャンゼリゼ通り 散歩・街歩き
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援軍の方が早く到着していたら、ドイツ軍と連合国軍との間で市街戦が行われ、多くの犠牲者が出ていただろうし、破壊も実行されていたかも知れない。24日の晩には連合国軍の先遣隊が到着、翌日にはコルティッツが降伏文書に署名、まだ危険が残る26日15時にはドゴールが凱旋門からシャンゼリゼを行進した。夜にはドイツ軍による爆撃で、千人以上の死傷者が出るなど、フランスのほぼ完全な解放には終戦までの時間を要した。
ドゴールはCNRを凱旋行進に招かず、政府の建物もあてがわないなど、レジスタンスに妥協せず、フランスを統治するのは中央政府であることを明確に示した。レジスタンスは「栄光の船倉係」として終わる運命にあった。 -
*ここからはパリの街並み、博物館の展示、お墓、事件の現場をどうぞ
映画はオーソンウェルズやアラン・ドロンなどの大物俳優が登場し、実写フィルムや逸話も交えて、パリ解放の様子を描いている。3時間近い映画だが、長さは感じさせない。主題歌がショスタコービッチの「レニングラード交響曲」に似ているのも印象的だ。
https://www.youtube.com/watch?v=pYMX12KgiYk
解放と前後して、対独協力者への粛清、ドイツの軍人と愛人関係にあった女性を坊主頭にしてさらし者にする「シャリヴァリ」が行われた。
自由フランス軍に参加していたサンテグジュペリは、1944年7月に偵察飛行に出掛けるが、地中海上空で行方不明になった。2003年になって彼の乗機が正式に確認された。ルーヴル ピラミッド 現代・近代建築
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2000年5月28日に放映された「知ってるつもり?!~発見・消えた潜水艦イ52号と極秘和平工作 中佐藤村義朗」によると、日本が何度か潜水艦をナチス占領下のフランス、ロリアン港(終戦までドイツ軍が死守)に派遣したことが紹介された。派遣は1回しか成功しなかったが、大戦末期に日本と大戦末期のフランスとの間で、このようなやり取りがあったのは興味深い。出迎え役だった藤村中佐は、ナチス降伏後、スイスのチューリッヒを舞台に極秘で和平工作を行う。日本政府は土壇場まで耳を貸さなかった。
ここまでの3項目は、渡辺氏の本のほか、アルベール・シャンボン著「仏レジスタンスの真実」(河出書房新社)も参考にしている。ルーヴル美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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パリはホームステイ後の1984年にツアーで3泊した。ミュンヘンから夜行列車で入った東パリ駅でスリに遭った。日記帳や先輩から借りていたカメラを入れたバッグをすぐ横のカートに置いていた隙を狙われた。後に慶州、ベルリン(後述)でも被害に遭う。
*ホームステイ先使わせてもらったニールスの部屋 中央に写っているカバンをスラれた 内藤先輩ごめんなさい 後で合流したスイスグループ(だったかな?)の人が東洋系の人がカバンを持っているのを見たそうだ 「自分たちと同じカバンを持っている」位にしか思わなかったそうだ いかにも日本人的 -
2回目の訪問、1999年にはルーブル美術館、コンコルド広場、凱旋門、ナポレオンのお墓、モネの「睡蓮」で有名なオランジェリー博物館、ダイアナ妃の死亡現場などを巡った。やっぱりパリには華がある。(「無事子どもが育っている」の情報も)
若者向けのInf.で「その年齢ではドミトリーに泊まるのは駄目だ」と言われ、朝食付で1泊¥3,500のペンションを紹介された。この宿がこの時の旅で一番高い宿だった。 -
よく聞かれたのが‘Do you speak French?’。「フランスに来るなら、言葉ぐらい勉強して来い」を感じさせる。他国ではそんなこと聞かれたこともない。料理も文化も言葉も何でも世界最高だというフランス人中華思想的思考、イギリスとの戦争に負け続けた(百年戦争が例外)対抗意識が見え隠れする。一方的に早口のフランス語でまくし立てられたこともあった。(初めて映画を観た日 2000年5月15日,1999年8月13日~16日訪問)
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*コンコルド広場
コンコルド広場 広場・公園
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*ノートルダム寺院
ノートルダム大聖堂 寺院・教会
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*ナポレオンのお墓
アンヴァリッド 建造物
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アンヴァリッド 建造物
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*お墓があるアンヴァリッド ヴェルサイユ宮殿、鏡の間の写真(横長の方)中央に写っていたカナダ人女性とはこの近辺でバッタリ
アンヴァリッド 建造物
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*ダイアナ妃が亡くなった場所
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もくじへ http://4travel.jp/travelogue/10681693
凱旋門 建造物
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旅行記グループ 砂布巾のLW「進化し続ける自叙伝的旅行記…」 第8章 解放の兆し(解放と悲劇)
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