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かつて、パリには 『フィリップ・オーギュストの城壁』 <br />(建設開始:右岸1190頃~、左岸1200頃~) がありました。<br /><br />『フィリップ・オーギュストの城壁』が建設されている頃というのは、<br />ちょうどパリのノートルダムが建造されている最中でもありました(1163-)。<br /><br />私は、ずっと、そんな時代の城壁跡をぐるりと1周散歩し、 <br />12~13世紀 ”中世のパリ” の大きさを、体感してみたかったのです。<br /><br />現在、かつての城壁そのものの名残は所々に残る程度です。<br /><br />しかし、城壁跡そのものは少ないとはいえ、<br />今回の旅行記で書いている 左岸 は (城壁のすぐ外の堀による)<br />”堀割通り” が残っているので、現在の地図を見るのも楽しいです。<br /><br />ポンデザール前のアンスチチュ(フランス学士院)から<br />下記の道を辿ると、おおよそ城壁跡の左岸半周することができます。<br /><br />□アンスチチュ(フランス学士院)前、コンチ河岸 ”ネールの塔があった”<br />~ □マザリーヌ通り (=旧称ネール堀割通り)<br />~ □アンシエンヌ・コメディ通り (=旧称サン・ジェルマン堀割通り) <br />~ □ムッシュー・ル・プランス通り (=旧称お堀の上の道 他)<br />~ ■マルブランシュ通り<br />~ ■エストラパード通り <br />~ ■フォッセ・サン・ジャック通り (=現サン・ジャック堀割通り)<br />~ ■ブランヴィル通り <br />~ ■カルディナル・ルモワヌ通り (=旧称サン・ヴィクトール堀割通り)<br />~ ■フォッセ・サン・ベルナール通り (=現サン・ベルナール堀割通り)<br />~ ■トゥルネル橋近く、トゥルネル河岸 ”トゥルネル城があった”<br /><br />この旅行記『左岸編2』■は、かつてのサンジャック門~トゥルネル塔、<br />現在の住所で言えば、パンテオン近くのサン・ジャック通りあたりから<br />セーヌ川沿いトゥルネル橋近くのトゥルネル河岸までの記録になります。<br />(パリ5区: 表紙地図の赤く囲ったエリア) <br /><br />途中、寄り道しながら歩きましたので、寄り道写真も含めながら書いています。<br /><br />(※注)旅行記中の写真で、 ◆ 印のある写真が、城壁沿いのルート、<br />    もしくは城壁に限りなく近い位置、の印となっています。<br /><br />* フィリップ・オーギュスト城壁跡散歩のあしあと @Google Maps<br />https://goo.gl/1Rce1Y<br /><br />-------------------------------------------------<br />         参     考 <br />-------------------------------------------------<br /><br />http://fr.wikipedia.org/wiki/Enceinte_de_Philippe_Auguste<br />http://www.philippe-auguste.com/<br />http://paris-atlas-historique.fr/50.html<br />芸術新潮 2006年3月号 パリ 中世の美と出会う五日間<br />パリ歴史探偵術 講談社現代新書 宮下志朗著<br />パリ史の裏通り 白水uブックス 堀井敏夫著<br />ミシュラン・グリーン・ガイド・パリ<br /><br />※この散歩の ” き っ か け ” や <br /> ” フィリップ・オーギュストの城壁  概要  ” は、<br /> 『右岸編1』 の表紙に書きましたしたので、ここでは省略します。<br /><br />-------------------------------------------------   <br /><br />右岸編1(10/11)  http://4travel.jp/travelogue/10942604<br />右岸編2(10/11)  http://4travel.jp/travelogue/10942606<br />左岸編1(10/13)  http://4travel.jp/travelogue/10942608<br />左岸編2(10/13)  http://4travel.jp/travelogue/10942609<br />城壁内編(10/13)  http://4travel.jp/travelogue/10942610<br />まとめ編(10/11,13) http://4travel.jp/travelogue/10942612<br /><br />

パリのお散歩 フィリップ・オーギュストの城壁跡を歩く (左岸編2:現5区) Balade sur les traces de l’enceinte de Philippe Auguste

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2014/10/13 - 2014/10/13

1679位(同エリア16384件中)

旅行記グループ パリ・城壁跡散歩

8

77

wiz

wiz さん

かつて、パリには 『フィリップ・オーギュストの城壁』 
(建設開始:右岸1190頃~、左岸1200頃~) がありました。

『フィリップ・オーギュストの城壁』が建設されている頃というのは、
ちょうどパリのノートルダムが建造されている最中でもありました(1163-)。

私は、ずっと、そんな時代の城壁跡をぐるりと1周散歩し、 
12~13世紀 ”中世のパリ” の大きさを、体感してみたかったのです。

現在、かつての城壁そのものの名残は所々に残る程度です。

しかし、城壁跡そのものは少ないとはいえ、
今回の旅行記で書いている 左岸 は (城壁のすぐ外の堀による)
”堀割通り” が残っているので、現在の地図を見るのも楽しいです。

ポンデザール前のアンスチチュ(フランス学士院)から
下記の道を辿ると、おおよそ城壁跡の左岸半周することができます。

□アンスチチュ(フランス学士院)前、コンチ河岸 ”ネールの塔があった”
~ □マザリーヌ通り (=旧称ネール堀割通り)
~ □アンシエンヌ・コメディ通り (=旧称サン・ジェルマン堀割通り) 
~ □ムッシュー・ル・プランス通り (=旧称お堀の上の道 他)
~ ■マルブランシュ通り
~ ■エストラパード通り 
~ ■フォッセ・サン・ジャック通り (=現サン・ジャック堀割通り)
~ ■ブランヴィル通り 
~ ■カルディナル・ルモワヌ通り (=旧称サン・ヴィクトール堀割通り)
~ ■フォッセ・サン・ベルナール通り (=現サン・ベルナール堀割通り)
~ ■トゥルネル橋近く、トゥルネル河岸 ”トゥルネル城があった”

この旅行記『左岸編2』■は、かつてのサンジャック門~トゥルネル塔、
現在の住所で言えば、パンテオン近くのサン・ジャック通りあたりから
セーヌ川沿いトゥルネル橋近くのトゥルネル河岸までの記録になります。
(パリ5区: 表紙地図の赤く囲ったエリア) 

途中、寄り道しながら歩きましたので、寄り道写真も含めながら書いています。

(※注)旅行記中の写真で、 ◆ 印のある写真が、城壁沿いのルート、
    もしくは城壁に限りなく近い位置、の印となっています。

* フィリップ・オーギュスト城壁跡散歩のあしあと @Google Maps
https://goo.gl/1Rce1Y

-------------------------------------------------
         参     考 
-------------------------------------------------

http://fr.wikipedia.org/wiki/Enceinte_de_Philippe_Auguste
http://www.philippe-auguste.com/
http://paris-atlas-historique.fr/50.html
芸術新潮 2006年3月号 パリ 中世の美と出会う五日間
パリ歴史探偵術 講談社現代新書 宮下志朗著
パリ史の裏通り 白水uブックス 堀井敏夫著
ミシュラン・グリーン・ガイド・パリ

※この散歩の ” き っ か け ” や 
 ” フィリップ・オーギュストの城壁  概要  ” は、
 『右岸編1』 の表紙に書きましたしたので、ここでは省略します。

-------------------------------------------------  

右岸編1(10/11)  http://4travel.jp/travelogue/10942604
右岸編2(10/11)  http://4travel.jp/travelogue/10942606
左岸編1(10/13)  http://4travel.jp/travelogue/10942608
左岸編2(10/13)  http://4travel.jp/travelogue/10942609
城壁内編(10/13)  http://4travel.jp/travelogue/10942610
まとめ編(10/11,13) http://4travel.jp/travelogue/10942612

旅行の満足度
5.0

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  • * 前回の旅行記 『左岸編1』 http://4travel.jp/travelogue/10942608 からのつづきです。<br /><br />サン・ミッシェル通り を東に渡り、パリ6区からパリ5区に入りました。<br /><br />スフロ通り Rue Soufflot の通りの先には パンテオン Pantheon が正面に見えますが、現在(2014年10月)天井の部分が工事中でした。<br /> <br />Pantheon<br />Place du Pantheon, 75005 Paris<br />http://pantheon.monuments-nationaux.fr/fr/<br /><br />ガロ・ローマ時代にはこのあたりにフォーラムがありました。

    * 前回の旅行記 『左岸編1』 http://4travel.jp/travelogue/10942608 からのつづきです。

    サン・ミッシェル通り を東に渡り、パリ6区からパリ5区に入りました。

    スフロ通り Rue Soufflot の通りの先には パンテオン Pantheon が正面に見えますが、現在(2014年10月)天井の部分が工事中でした。
     
    Pantheon
    Place du Pantheon, 75005 Paris
    http://pantheon.monuments-nationaux.fr/fr/

    ガロ・ローマ時代にはこのあたりにフォーラムがありました。

  • スフロ通り Rue Soufflot を パンテオン Pantheon にたどりつく手前で右折し、ル・ゴフ通り Rue le Goff に入りました。

    スフロ通り Rue Soufflot を パンテオン Pantheon にたどりつく手前で右折し、ル・ゴフ通り Rue le Goff に入りました。

  • 早速、目指した通り、マルブランシュ通り Rue Malebranche に到着しました!<br /><br />◆<br />この通りは、たいへん特徴的な段差をもつ通りです。<br /><br />ところで、『左岸編1』の レストラン・ポリドール につづき、この通りも映画『ミッドナイト・イン・パリ』で登場した通りであります。<br /><br />主人公ギルが、真夜中、憧れの1920年代にタイムスリップさせてくれるクラシックな車がこの通り Rue Malebranche を通り、レストラン・ポリドール Restaurant Polidor へ到着。 そこでヘミングウェイに出会いました。 (帰国後、映画を見直しました。)

    早速、目指した通り、マルブランシュ通り Rue Malebranche に到着しました!


    この通りは、たいへん特徴的な段差をもつ通りです。

    ところで、『左岸編1』の レストラン・ポリドール につづき、この通りも映画『ミッドナイト・イン・パリ』で登場した通りであります。

    主人公ギルが、真夜中、憧れの1920年代にタイムスリップさせてくれるクラシックな車がこの通り Rue Malebranche を通り、レストラン・ポリドール Restaurant Polidor へ到着。 そこでヘミングウェイに出会いました。 (帰国後、映画を見直しました。)

  • ◆<br />さて、映画はさておきまして、この特徴的な段差です! 階段まであります。<br /><br />この通り、マルブランシュ通り Rue Malebranche は、失われた『フィリップ・オーギュストの城壁』のすぐ外にあったお堀の位置にあたるので、この段差は、堀割の斜面にあたる部分につくられているのかもしれません。


    さて、映画はさておきまして、この特徴的な段差です! 階段まであります。

    この通り、マルブランシュ通り Rue Malebranche は、失われた『フィリップ・オーギュストの城壁』のすぐ外にあったお堀の位置にあたるので、この段差は、堀割の斜面にあたる部分につくられているのかもしれません。

  • ◆<br />特徴的な段差のある マルブランシュ通り Rue Malebranche の上の部分を歩きました。<br /><br />上の2写真は、通りの段差の上から撮った写真、<br /><br />下の2写真は、通りの段差の上を歩き切った後、振り返って段差を撮った写真 です。


    特徴的な段差のある マルブランシュ通り Rue Malebranche の上の部分を歩きました。

    上の2写真は、通りの段差の上から撮った写真、

    下の2写真は、通りの段差の上を歩き切った後、振り返って段差を撮った写真 です。

  • ◆<br />マルブランシュ通り Rue Malebranche を東に歩き、すぐに サン・ジャック通り Rue Saint-Jacques に入ります。<br /><br />ここは、目的地、 サン・ジャック通り172番地 です!<br /><br />172 Rue Saint-Jacques, 75005 Paris<br /><br />ここには、かつて、”サン・ジャック門 Porte Saint-Jacques” がありました。<br /><br />サン・ジャック通りは、パリで最も古い通りのひとつで、リュテティア(リュテス)にローマ人が移住する前から、旅行者たちの頻繁な往来がみられたという通り。 13世紀になってから、巡礼にちなんでサン・ジャック通りと呼ばれるようになったそうです。 そして、フィリップ・オーギュストの城壁時代には、ここにあった ”サン・ジャック門” がパリの南の正門でした。<br /><br />サン・ジャック通りは、シャルトルやオルレアンにつながる中世の巡礼街道でした。 パリ(サン・ジャック・ラ・ブシュリ教会/現在のサン・ジャック塔〜サン・ジャック通り)からオルレアンへ、 オルレアンからトゥールへ、 トゥールからポワチエ、 ボルドーへ、 ピレネー山中へ、そして、 スペインのサン・ティアゴ・デ・コンポステーラ(fr:サン・ジャック・ド・コンポステル) と続くこの巡礼路は、 つまり 「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」 であり、 その中の 「トゥールの道」 と呼ばれている道です。 サン・ジャック通りは、巡礼の目的地サンティアゴ・デ・コンポステーラにつながっているのです。 (※仏サン・ジャック、西サン・ティアゴは聖ヤコブの意。)  http://commons.wikimedia.org/wiki/File:French_Ways_of_St._James.svg?uselang=fr<br /><br />la porte Saint-Jacques<br />(rue Saint-Jacques vers le Sud (Chartres, Orleans), a l&#39;angle de la rue Soufflot)


    マルブランシュ通り Rue Malebranche を東に歩き、すぐに サン・ジャック通り Rue Saint-Jacques に入ります。

    ここは、目的地、 サン・ジャック通り172番地 です!

    172 Rue Saint-Jacques, 75005 Paris

    ここには、かつて、”サン・ジャック門 Porte Saint-Jacques” がありました。

    サン・ジャック通りは、パリで最も古い通りのひとつで、リュテティア(リュテス)にローマ人が移住する前から、旅行者たちの頻繁な往来がみられたという通り。 13世紀になってから、巡礼にちなんでサン・ジャック通りと呼ばれるようになったそうです。 そして、フィリップ・オーギュストの城壁時代には、ここにあった ”サン・ジャック門” がパリの南の正門でした。

    サン・ジャック通りは、シャルトルやオルレアンにつながる中世の巡礼街道でした。 パリ(サン・ジャック・ラ・ブシュリ教会/現在のサン・ジャック塔〜サン・ジャック通り)からオルレアンへ、 オルレアンからトゥールへ、 トゥールからポワチエ、 ボルドーへ、 ピレネー山中へ、そして、 スペインのサン・ティアゴ・デ・コンポステーラ(fr:サン・ジャック・ド・コンポステル) と続くこの巡礼路は、 つまり 「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」 であり、 その中の 「トゥールの道」 と呼ばれている道です。 サン・ジャック通りは、巡礼の目的地サンティアゴ・デ・コンポステーラにつながっているのです。 (※仏サン・ジャック、西サン・ティアゴは聖ヤコブの意。)  http://commons.wikimedia.org/wiki/File:French_Ways_of_St._James.svg?uselang=fr

    la porte Saint-Jacques
    (rue Saint-Jacques vers le Sud (Chartres, Orleans), a l'angle de la rue Soufflot)

  • ◆<br />サン・ジャック通り172番地 の建物の上に  ”フィリップ・オーギュストの城壁時代のサン・ジャック門” があったことを示すプレートがあります。<br /><br />172 Rue Saint-Jacques, 75005 Paris<br /><br />このように地図も一緒に示されているとよりよく位置関係が分かりますね。


    サン・ジャック通り172番地 の建物の上に  ”フィリップ・オーギュストの城壁時代のサン・ジャック門” があったことを示すプレートがあります。

    172 Rue Saint-Jacques, 75005 Paris

    このように地図も一緒に示されているとよりよく位置関係が分かりますね。

  • ◆<br />上の記念版の写真の地図で示されている、サン・ジャック通り Rue Saint-Jacques と交差する スフロ通り Rue Soufflot は、はじめにパンテオンが見えた通りで、この写真のすぐ目の前の横断歩道と並行する通りが、スフロ通り Rue Soufflot です。<br /><br />(※横断歩道で右を向くとパンテオンが見えます。) <br /><br />写真は、サン・ジャック通り Rue Saint-Jacques を北向き(セーヌ川の方向)に向いて撮影した写真です。<br /><br />左前方に塔が見えるところが、パリ第4大学(パリ・ソルボンヌ)です。


    上の記念版の写真の地図で示されている、サン・ジャック通り Rue Saint-Jacques と交差する スフロ通り Rue Soufflot は、はじめにパンテオンが見えた通りで、この写真のすぐ目の前の横断歩道と並行する通りが、スフロ通り Rue Soufflot です。

    (※横断歩道で右を向くとパンテオンが見えます。) 

    写真は、サン・ジャック通り Rue Saint-Jacques を北向き(セーヌ川の方向)に向いて撮影した写真です。

    左前方に塔が見えるところが、パリ第4大学(パリ・ソルボンヌ)です。

  • ◆<br />今度は、サン・ジャック通り Rue Saint-Jacques を少し(南に)戻って(こちら側がシャルトルやオルレアンの方向です。)、フォッセ・サン・ジャック通り(サン・ジャック堀割通り) Rue des Fosses Saint-Jacques を東に向いて歩きます。<br /><br />現在の通り名の看板より、建物の壁に彫られた Rue des Fosses Saint-Jacques の方が味がありますね(下)。


    今度は、サン・ジャック通り Rue Saint-Jacques を少し(南に)戻って(こちら側がシャルトルやオルレアンの方向です。)、フォッセ・サン・ジャック通り(サン・ジャック堀割通り) Rue des Fosses Saint-Jacques を東に向いて歩きます。

    現在の通り名の看板より、建物の壁に彫られた Rue des Fosses Saint-Jacques の方が味がありますね(下)。

  • ◆<br />フォッセ・サン・ジャック通り(サン・ジャック堀割通り) Rue des Fosses Saint-Jacques を東へ。


    フォッセ・サン・ジャック通り(サン・ジャック堀割通り) Rue des Fosses Saint-Jacques を東へ。

  • ◆<br />フォッセ・サン・ジャック通り(サン・ジャック堀割通り) Rue des Fosses Saint-Jacques の先に見えてきたのは、エストラパード広場 Place de l&#39;Estrapade(上)。<br /><br />フォッセ・サン・ジャック通り(サン・ジャック堀割通り) Rue des Fosses Saint-Jacques を歩いていると、途中 クロテール通り Rue Clotaire からはパンテオンが見えます(下)。<br /><br />下の写真を右に曲がると、ホテル・デ・グラン・ゾム Hotel des Grands Hommes Pantheon です。


    フォッセ・サン・ジャック通り(サン・ジャック堀割通り) Rue des Fosses Saint-Jacques の先に見えてきたのは、エストラパード広場 Place de l'Estrapade(上)。

    フォッセ・サン・ジャック通り(サン・ジャック堀割通り) Rue des Fosses Saint-Jacques を歩いていると、途中 クロテール通り Rue Clotaire からはパンテオンが見えます(下)。

    下の写真を右に曲がると、ホテル・デ・グラン・ゾム Hotel des Grands Hommes Pantheon です。

  • ◆<br />エストラパード広場 Place de l&#39;Estrapade に到着しました。<br /><br />エストラパードとは、吊り落としの刑、という意味だそうで、この広場は、その昔、犯罪をおかした兵士や脱走した兵士を 「吊り落としの刑(エストラパード)」 に処していたところなのだそうです。<br /><br />手足がばらばらに砕け散るまで、綱に吊した罪人を何度も何度も落下させたらしい。 おそろしい。<br /><br />18世紀、受刑者に無駄な苦痛を与えず、しかも身分や貧富に関係せずに名誉ある斬首の刑が適用できる、「単なる機械装置の作用」によって「人道的」な処刑を行うよう議会で提案したのがギヨタン博士で、ギロチンというものができましたが(『左岸編1』で歩いてきたコメルス・サン・タンドレ小路でこの 装置 の実験をしたそうです。) 斬首刑などを行う未熟な死刑執行人もたいへんだったようで、それもあってギロチンができたそうですが・・。<br /><br />だいたい残酷な公開処刑は、庶民にとっては、一種のスペクタクル、物見遊山のたぐいであったらしく、刑はときおり宵祭りに執行され、お祭り気分をもり上げる余興となることもあったのだそうです。<br /><br />現在の市庁舎前広場(昔はグレーヴ ”砂浜” 広場)はそうした処刑を行う広場で、たとえば、17世紀、モンモランシー=ブートヴィル伯爵 Francois de Montmonrency-Bouteille ( 『右岸編1』で歩いた ジュール通り rue du Jour の ロワイヨーモンの館 Hotel de Royaumont を借りて住んでいた。 伯爵は家賃も払わず館に剣道場をつくった。 ) と助太刀の友人は、宰相リシュリューの決闘禁止令を無視したかどにより、グレーヴ広場で首をはねられたのですが、それには、当時のパリ祭ともいうべき 聖ヨハネの前夜祭 Fete_de la Saint-Jean という日が選ばれていたのだそうです。


    エストラパード広場 Place de l'Estrapade に到着しました。

    エストラパードとは、吊り落としの刑、という意味だそうで、この広場は、その昔、犯罪をおかした兵士や脱走した兵士を 「吊り落としの刑(エストラパード)」 に処していたところなのだそうです。

    手足がばらばらに砕け散るまで、綱に吊した罪人を何度も何度も落下させたらしい。 おそろしい。

    18世紀、受刑者に無駄な苦痛を与えず、しかも身分や貧富に関係せずに名誉ある斬首の刑が適用できる、「単なる機械装置の作用」によって「人道的」な処刑を行うよう議会で提案したのがギヨタン博士で、ギロチンというものができましたが(『左岸編1』で歩いてきたコメルス・サン・タンドレ小路でこの 装置 の実験をしたそうです。) 斬首刑などを行う未熟な死刑執行人もたいへんだったようで、それもあってギロチンができたそうですが・・。

    だいたい残酷な公開処刑は、庶民にとっては、一種のスペクタクル、物見遊山のたぐいであったらしく、刑はときおり宵祭りに執行され、お祭り気分をもり上げる余興となることもあったのだそうです。

    現在の市庁舎前広場(昔はグレーヴ ”砂浜” 広場)はそうした処刑を行う広場で、たとえば、17世紀、モンモランシー=ブートヴィル伯爵 Francois de Montmonrency-Bouteille ( 『右岸編1』で歩いた ジュール通り rue du Jour の ロワイヨーモンの館 Hotel de Royaumont を借りて住んでいた。 伯爵は家賃も払わず館に剣道場をつくった。 ) と助太刀の友人は、宰相リシュリューの決闘禁止令を無視したかどにより、グレーヴ広場で首をはねられたのですが、それには、当時のパリ祭ともいうべき 聖ヨハネの前夜祭 Fete_de la Saint-Jean という日が選ばれていたのだそうです。

  • ◆<br />次に、エストラパード広場の横の エストラパード通り Rue de l&#39;Estrapade を進みます。 すると、まもなく ウルム通り Rue d&#39;Ulm と交差します。<br /><br />このあたりに ”パパル門 Porte Papale” があったようです。<br /><br />La porte Papale ou porte Sainte-Genevieve<br /> (a l&#39;extremite de l&#39;actuelle rue d&#39;Ulm)<br /><br />パパル門は、サント・ジュヌヴィエーヴ門とも呼ばれ、フィリップ・オーギュスト時代より後の13世紀後半につくられたようです。


    次に、エストラパード広場の横の エストラパード通り Rue de l'Estrapade を進みます。 すると、まもなく ウルム通り Rue d'Ulm と交差します。

    このあたりに ”パパル門 Porte Papale” があったようです。

    La porte Papale ou porte Sainte-Genevieve
    (a l'extremite de l'actuelle rue d'Ulm)

    パパル門は、サント・ジュヌヴィエーヴ門とも呼ばれ、フィリップ・オーギュスト時代より後の13世紀後半につくられたようです。

  • ◆<br />さらに エストラパード通り Rue de l&#39;Estrapade を進み、東へ。<br /><br />奥左に見えてきたベージュ色の建物の通りが、クロチルド通り Rue Clotilde。


    さらに エストラパード通り Rue de l'Estrapade を進み、東へ。

    奥左に見えてきたベージュ色の建物の通りが、クロチルド通り Rue Clotilde。

  • ◆<br />クロチルド通り Rue Clotilde からは、リセ・アンリ4(Lycee Henri-IV アンリ4世高等学校)の クロヴィス塔 ”Tour Clovis” や、サント・ジュヌヴィエーヴ教会 Eglise Saint-Etienne-du-Mont が見えます。<br /><br />後で、あのあたりに寄り道しますが、<br />まずは、城壁跡(または城壁の堀割)の線上を歩いていきます。<br /><br />ブランヴィル通り Rue Blainville に進んでいくと、


    クロチルド通り Rue Clotilde からは、リセ・アンリ4(Lycee Henri-IV アンリ4世高等学校)の クロヴィス塔 ”Tour Clovis” や、サント・ジュヌヴィエーヴ教会 Eglise Saint-Etienne-du-Mont が見えます。

    後で、あのあたりに寄り道しますが、
    まずは、城壁跡(または城壁の堀割)の線上を歩いていきます。

    ブランヴィル通り Rue Blainville に進んでいくと、

  • ◆<br />コントレスカルプ広場 Place de la Contrescarpe に到着!<br /><br />《 Contrescarpe 》 とは、《 (堀の)傾斜した外岸、外岸の斜面 》 の意。<br /><br />つまり、ここは日本語で言えば 《 お堀の外側の斜面の広場 》となります。<br /><br />この広場のすぐ北に ”ボルデル門(サン・マルセル門)” があったのです。<br /><br />『左岸編1』 で歩いてきた、 ”ビュッシ通りの5差路(ビュッシ門があったところ)” や そこから延びる ”ビュッシ通り Rue de Buci”、そして、ここ ”コントレスカルプ広場” そして コントレスカルプ広場から延びる ”ムフタール通り Rue Mouffetard” は、フィリップ・オーギュストの城壁時代の門のすぐ外にあたるところですが、どちらも現在キャッフェやレストランなど飲食店の多いエリアになっています。<br /><br />この広場のすぐ北に位置していた  ”ボルデル門(サン・マルセル門)” は、パリから東南方に向かうローマ時代からの街道の出入口だったところで、城壁内に商品を運び込む入市税を取られるので、近在の農家の人たちが城門の外の街道沿いに農産物を並べて朝市を開いたのが、時代とともに発展して、食品街”ムフタール通り Rue Mouffetard” になったそうです。


    コントレスカルプ広場 Place de la Contrescarpe に到着!

    《 Contrescarpe 》 とは、《 (堀の)傾斜した外岸、外岸の斜面 》 の意。

    つまり、ここは日本語で言えば 《 お堀の外側の斜面の広場 》となります。

    この広場のすぐ北に ”ボルデル門(サン・マルセル門)” があったのです。

    『左岸編1』 で歩いてきた、 ”ビュッシ通りの5差路(ビュッシ門があったところ)” や そこから延びる ”ビュッシ通り Rue de Buci”、そして、ここ ”コントレスカルプ広場” そして コントレスカルプ広場から延びる ”ムフタール通り Rue Mouffetard” は、フィリップ・オーギュストの城壁時代の門のすぐ外にあたるところですが、どちらも現在キャッフェやレストランなど飲食店の多いエリアになっています。

    この広場のすぐ北に位置していた  ”ボルデル門(サン・マルセル門)” は、パリから東南方に向かうローマ時代からの街道の出入口だったところで、城壁内に商品を運び込む入市税を取られるので、近在の農家の人たちが城門の外の街道沿いに農産物を並べて朝市を開いたのが、時代とともに発展して、食品街”ムフタール通り Rue Mouffetard” になったそうです。

    コントレスカルプ広場 広場・公園

    このあたりにフィリップ・オーギュストの城壁がありました! Place de la Contrescarpe (5区) by wiz さん
  • その食品街、 ムフタール通り Rue Mouffetard を少し南下してみます。<br /><br />ムフタールの語源の 《 mofette 》 とは、 <br />《 窒息しそうな臭い、スカンク 》 などを意味していて、<br /><br />かつてこの地区は ビエーヴル川 La Bievre の水をつかった染物業が盛んで、強烈な臭いが立ちこめていたそうです。 (13区のゴブラン織製作所もビエーヴル川の岸辺につくられた。)

    その食品街、 ムフタール通り Rue Mouffetard を少し南下してみます。

    ムフタールの語源の 《 mofette 》 とは、
    《 窒息しそうな臭い、スカンク 》 などを意味していて、

    かつてこの地区は ビエーヴル川 La Bievre の水をつかった染物業が盛んで、強烈な臭いが立ちこめていたそうです。 (13区のゴブラン織製作所もビエーヴル川の岸辺につくられた。)

  • 上で書いたように、現在は暗渠となっている ビエーヴル川 La Bievre ですが、この川は、かつてパリ左岸(5区/13区)を流れていました。<br /><br />以下のwikimediaの写真は、写真家シャルル・マルヴィル(1813-1879) によって撮影されたビエーヴル川沿いで染物業者が作業している様子です(19世紀)。<br />http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Marville_Tanneries_Bievre.jpg<br /><br />気になったものは地図上で調べたい私としては、かつてパリに流れていた ビエーヴル川(現在は暗渠化されている) がどこを通っていたのかが気になったので、調べたことがあります。 調べて、場所をマーキングしたのがこの地図です。<br /><br />このように、 ビエーヴル川 は、パリ市の13区、5区を蛇行しながら、現在の 1.植物園の南、2.ノートルダムの対岸、アルシュヴェシェ橋左岸の近くのビエーヴル通り、の2つに分かれ、セーヌ川に流れていたようです。 (源流はパリ南郊の町)<br /><br />この『左岸編2』のつづきで  ビエーヴル川 があった  ビエーヴル通り Rue de Bievre も歩いたので、そのあたりも含め 『城壁内編』 として旅行記をアップしようと思っています。<br /><br />ビエーヴル川再生計画 という計画も持ち上がっているようです。<br />http://www.bievre.org/articles/panneaux/Expo_2.pdf

    上で書いたように、現在は暗渠となっている ビエーヴル川 La Bievre ですが、この川は、かつてパリ左岸(5区/13区)を流れていました。

    以下のwikimediaの写真は、写真家シャルル・マルヴィル(1813-1879) によって撮影されたビエーヴル川沿いで染物業者が作業している様子です(19世紀)。
    http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Marville_Tanneries_Bievre.jpg

    気になったものは地図上で調べたい私としては、かつてパリに流れていた ビエーヴル川(現在は暗渠化されている) がどこを通っていたのかが気になったので、調べたことがあります。 調べて、場所をマーキングしたのがこの地図です。

    このように、 ビエーヴル川 は、パリ市の13区、5区を蛇行しながら、現在の 1.植物園の南、2.ノートルダムの対岸、アルシュヴェシェ橋左岸の近くのビエーヴル通り、の2つに分かれ、セーヌ川に流れていたようです。 (源流はパリ南郊の町)

    この『左岸編2』のつづきで  ビエーヴル川 があった  ビエーヴル通り Rue de Bievre も歩いたので、そのあたりも含め 『城壁内編』 として旅行記をアップしようと思っています。

    ビエーヴル川再生計画 という計画も持ち上がっているようです。
    http://www.bievre.org/articles/panneaux/Expo_2.pdf

  • ビエーヴル川の話で脱線してしまいましたが・・<br /><br />ムフタール通り Rue Mouffetard を少し南下し、 ポ・ド・フェール通り(鉄の壺通り) Rue du Pot de Fer の角に来ました。<br /><br />ここにある ”ポ・ド・フェール泉水 Fontaine du Pot-de-Fer” を撮りにきました!<br /><br />この ポ・ド・フェール泉水 は、マリー・ド・メディシスが リュクサンブール宮殿 (※旅行記『左岸編1』で歩いてきました。) にはるばる遠くから水を引くために建設させた (パリ市南方郊外の) アルクイユの水道 Aqueduc d&#39;Arcueil の修復工事に関係があるそうで、余った水は近くの泉水に回されることになったのだそうですが、ここにある泉水は、(19世紀のセーヌ県知事ジョルジュ・オスマンによる) パリ大改造 から逃れた泉水の一つなのだそうです。 

    ビエーヴル川の話で脱線してしまいましたが・・

    ムフタール通り Rue Mouffetard を少し南下し、 ポ・ド・フェール通り(鉄の壺通り) Rue du Pot de Fer の角に来ました。

    ここにある ”ポ・ド・フェール泉水 Fontaine du Pot-de-Fer” を撮りにきました!

    この ポ・ド・フェール泉水 は、マリー・ド・メディシスが リュクサンブール宮殿 (※旅行記『左岸編1』で歩いてきました。) にはるばる遠くから水を引くために建設させた (パリ市南方郊外の) アルクイユの水道 Aqueduc d'Arcueil の修復工事に関係があるそうで、余った水は近くの泉水に回されることになったのだそうですが、ここにある泉水は、(19世紀のセーヌ県知事ジョルジュ・オスマンによる) パリ大改造 から逃れた泉水の一つなのだそうです。 

  • ポ・ド・フェール泉水 Fontaine du Pot-de-Fer の写真を撮ったところで、ムフタール通り Rue Mouffetard の来た道を北上し、コントレスカルプ広場 Place de la Contrescarpe に戻り、<br />

    ポ・ド・フェール泉水 Fontaine du Pot-de-Fer の写真を撮ったところで、ムフタール通り Rue Mouffetard の来た道を北上し、コントレスカルプ広場 Place de la Contrescarpe に戻り、

  • ◆<br />ムフタール通り Rue Mouffetard を北上し、 トゥワン通り Rue Thouin 到着!<br /><br />この トゥワン通り Rue Thouin の建物の後ろや、インド料理のレストランの中なども 『城壁』の跡が残る場所です。<br /><br />もし建物がなければ、この写真の右の建物のあたりは、ずっと城壁が聳えたつ場所、だったと思います。<br /><br />この写真は、トゥワン通り を西に向いて撮ったものですが、写真の右に見える茶色の庇のあるレストランの右に デカルト通り Rue Descartes があり、そこに ”ボルデル門(サン・マルセル門)” があったそうです。<br /><br />la porte Bordet ou porte Bordelle (ou Bordelles), ou porte Saint-Marcel<br />(rue Descartes, pres de la rue Thouin)


    ムフタール通り Rue Mouffetard を北上し、 トゥワン通り Rue Thouin 到着!

    この トゥワン通り Rue Thouin の建物の後ろや、インド料理のレストランの中なども 『城壁』の跡が残る場所です。

    もし建物がなければ、この写真の右の建物のあたりは、ずっと城壁が聳えたつ場所、だったと思います。

    この写真は、トゥワン通り を西に向いて撮ったものですが、写真の右に見える茶色の庇のあるレストランの右に デカルト通り Rue Descartes があり、そこに ”ボルデル門(サン・マルセル門)” があったそうです。

    la porte Bordet ou porte Bordelle (ou Bordelles), ou porte Saint-Marcel
    (rue Descartes, pres de la rue Thouin)

  • ◆<br />トゥワン通り Rue Thouin を北東へ歩きます。


    トゥワン通り Rue Thouin を北東へ歩きます。

  • ◆<br />ピンク色の建物は、トゥワン通り4番地 4 Rue Thouin。<br /><br />この建物の中(中庭?)にも城壁跡が見られるようです。


    ピンク色の建物は、トゥワン通り4番地 4 Rue Thouin。

    この建物の中(中庭?)にも城壁跡が見られるようです。

  • ◆<br />トゥワン通り Rue Thouin から カルディナル・ルモワヌ通り Rue du Cardinal Lemoine へ曲がります。<br /><br />下の写真は、カルディナル・ルモワヌ通り68番地ですが、この建物の中でも城壁跡が見られるそうです。<br /><br />68 Rue du Cardinal Lemoine, 75005 Paris


    トゥワン通り Rue Thouin から カルディナル・ルモワヌ通り Rue du Cardinal Lemoine へ曲がります。

    下の写真は、カルディナル・ルモワヌ通り68番地ですが、この建物の中でも城壁跡が見られるそうです。

    68 Rue du Cardinal Lemoine, 75005 Paris

  • ◆<br />カルディナル・ルモワヌ通り Rue du Cardinal Lemoine を北上していきます。<br /><br />まもなく左手に見える建物が、カルディナル・ルモワヌ通り62番地。<br /><br />この建物の中でも城壁跡が見られるそうです。<br /><br />62 Rue du Cardinal Lemoine, 75005 Paris


    カルディナル・ルモワヌ通り Rue du Cardinal Lemoine を北上していきます。

    まもなく左手に見える建物が、カルディナル・ルモワヌ通り62番地。

    この建物の中でも城壁跡が見られるそうです。

    62 Rue du Cardinal Lemoine, 75005 Paris

  • ところで、ここ数枚の写真のコメントで ”この建物中に城壁跡が残っている” という書き方を続けましたので、どのようになっているかが分かる地図をつくってみました。<br /><br />青い線が、城壁のすぐ外の堀のあった堀割通りです。<br /><br />基本的にこの青い線をたどるように歩いてきました。<br /><br />赤い●印が、”建物の中(中庭)に城壁跡が残る” という 場所(通り) や 目印となる 門 のあった位置です。<br /><br />A サン・ミッシェル門 ( ※『左岸編1』の最後 )<br />B サン・ジャック門<br />C パパル門<br />D トゥワン通り<br />E ボルデル門(サン・マルセル門)<br />F カルディナル・ルモワヌ通り<br /><br />ここまでは この旅行記 『左岸編2』 で歩いてきたところです。<br /><br />これから、<br /><br />G クロヴィス通り<br />H 消防署<br />I アラス通り”<br />G エコール通り<br /><br />を見ていきます。

    ところで、ここ数枚の写真のコメントで ”この建物中に城壁跡が残っている” という書き方を続けましたので、どのようになっているかが分かる地図をつくってみました。

    青い線が、城壁のすぐ外の堀のあった堀割通りです。

    基本的にこの青い線をたどるように歩いてきました。

    赤い●印が、”建物の中(中庭)に城壁跡が残る” という 場所(通り) や 目印となる 門 のあった位置です。

    A サン・ミッシェル門 ( ※『左岸編1』の最後 )
    B サン・ジャック門
    C パパル門
    D トゥワン通り
    E ボルデル門(サン・マルセル門)
    F カルディナル・ルモワヌ通り

    ここまでは この旅行記 『左岸編2』 で歩いてきたところです。

    これから、

    G クロヴィス通り
    H 消防署
    I アラス通り”
    G エコール通り

    を見ていきます。

  • ◆<br />カルディナル・ルモワヌ通り Rue du Cardinal Lemoine を振り返り、歩いてきた方向(南)を向いて1枚。 坂道です。


    カルディナル・ルモワヌ通り Rue du Cardinal Lemoine を振り返り、歩いてきた方向(南)を向いて1枚。 坂道です。

  • ◆<br />上の写真とは逆に、カルディナル・ルモワヌ通り Rue du Cardinal Lemoine を北向きに撮った写真がこの1枚。<br /><br />セーヌ川に向かって下り坂になっています。<br /><br />このあたりは、 サント・ジュヌヴィエーヴ山 があったエリアで、今でもセーヌに向かって高低差がけっこうあります。<br /><br />水害を避けるためにローマ人が住み始めたのはこのあたりで、標高の高いパンテオンあたりにフォーラムがあったそうです。(パリ&lt;ルテティア/リュテス&gt;のローマ時代)  この旅行記の寄り道で、この後、1世紀頃の円形劇場の遺跡アレーヌ・ド・リュテスに行きましたので、そこで参考地図を載せています。


    上の写真とは逆に、カルディナル・ルモワヌ通り Rue du Cardinal Lemoine を北向きに撮った写真がこの1枚。

    セーヌ川に向かって下り坂になっています。

    このあたりは、 サント・ジュヌヴィエーヴ山 があったエリアで、今でもセーヌに向かって高低差がけっこうあります。

    水害を避けるためにローマ人が住み始めたのはこのあたりで、標高の高いパンテオンあたりにフォーラムがあったそうです。(パリ<ルテティア/リュテス>のローマ時代)  この旅行記の寄り道で、この後、1世紀頃の円形劇場の遺跡アレーヌ・ド・リュテスに行きましたので、そこで参考地図を載せています。

  • ◆<br />カルディナル・ルモワヌ通り Rue du Cardinal Lemoine の65番地の建物には、通り名の旧称がちゃんと掲げられていました。<br /><br />65番地の建物の壁にこの2つの看板が掲げられています。<br /><br />現カルディナル・ルモワヌ通り Rue du Cardinal Lemoine<br />= 旧称サン・ヴィクトール堀割通り Ancienne Rue des Fosses-Saint-Victor<br /><br />もう少し北に ”サン・ヴィクトール門”(現在のエコール通り2番地あたり) があったから名づけられた旧称だと思います。


    カルディナル・ルモワヌ通り Rue du Cardinal Lemoine の65番地の建物には、通り名の旧称がちゃんと掲げられていました。

    65番地の建物の壁にこの2つの看板が掲げられています。

    現カルディナル・ルモワヌ通り Rue du Cardinal Lemoine
    = 旧称サン・ヴィクトール堀割通り Ancienne Rue des Fosses-Saint-Victor

    もう少し北に ”サン・ヴィクトール門”(現在のエコール通り2番地あたり) があったから名づけられた旧称だと思います。

  • ◆<br />カルディナル・ルモワヌ通り Rue du Cardinal Lemoine をもう1度北向きに撮影しながら、写真左 クロヴィス通り Rue Clovis へ曲がります。


    カルディナル・ルモワヌ通り Rue du Cardinal Lemoine をもう1度北向きに撮影しながら、写真左 クロヴィス通り Rue Clovis へ曲がります。

  • ◆<br />クロヴィス通り Rue Clovis に入ると、すぐに、城壁跡が見えてきます!<br /><br />ここが、左岸でもっとも大きく残っている(かつ簡単に見られる)城壁跡です。<br /><br />城壁は、高さが9メートル、厚さ(幅)が3メートルぐらいだったようですが、厚さは下の方が厚く、上の方は薄かったそうです。


    クロヴィス通り Rue Clovis に入ると、すぐに、城壁跡が見えてきます!

    ここが、左岸でもっとも大きく残っている(かつ簡単に見られる)城壁跡です。

    城壁は、高さが9メートル、厚さ(幅)が3メートルぐらいだったようですが、厚さは下の方が厚く、上の方は薄かったそうです。

  • ◆<br />『フィリップ・オーギュストの城壁 Enceinte de Philippe Auguste』であったことを示すプレート。<br /><br />RESTE DE L&#39;ENCEINTE <br />PHILIPPE AUGUSTE <br />XII SIECLE<br /><br />フィリップ・オーギュストの城壁の遺構<br />12世紀<br /><br />右岸の城壁は12世紀後半にはじめられたけれど、正確には左岸は13世紀につくられはじめたようですが・・。


    『フィリップ・オーギュストの城壁 Enceinte de Philippe Auguste』であったことを示すプレート。

    RESTE DE L'ENCEINTE
    PHILIPPE AUGUSTE
    XII SIECLE

    フィリップ・オーギュストの城壁の遺構
    12世紀

    右岸の城壁は12世紀後半にはじめられたけれど、正確には左岸は13世紀につくられはじめたようですが・・。

  • ◆<br />もちろん、 『フィリップ・オーギュストの城壁 Enceinte de Philippe Auguste』 の記念版も立っています。


    もちろん、 『フィリップ・オーギュストの城壁 Enceinte de Philippe Auguste』 の記念版も立っています。

  • ◆<br />クロヴィス通り Rue Clovis に残る 『フィリップ・オーギュストの城壁 Enceinte de Philippe Auguste』。  手前の工事中のプレハブ?みたいなのが邪魔ですが・・。


    クロヴィス通り Rue Clovis に残る 『フィリップ・オーギュストの城壁 Enceinte de Philippe Auguste』。  手前の工事中のプレハブ?みたいなのが邪魔ですが・・。

  • ◆<br />クロヴィス通りでは他にもドアが開いていれば城壁跡を見られる場所があると調べていたので、ドアが開いているところで城壁跡?のようなものが見えた場所を撮りました(左)。<br /><br />右の写真は、上で撮った『城壁』をもう少し後ろに下がって撮りました。


    クロヴィス通りでは他にもドアが開いていれば城壁跡を見られる場所があると調べていたので、ドアが開いているところで城壁跡?のようなものが見えた場所を撮りました(左)。

    右の写真は、上で撮った『城壁』をもう少し後ろに下がって撮りました。

  • クロヴィス通り Rue Clovis を、西に歩き、ここでまたちょっと寄り道をします。<br /><br />これは、デカルト通り Rue Descartes を南に向いて撮った写真です。<br /><br />デカルト通りは昔、ボルデル(娼館)通りと呼ばれていました。 この写真の向こう側が(15枚位前で書いた)ボルデル門のあったところです。<br /><br />------ なるほど、学業優秀な学生が何千人も揃っているわけがない。 私の話ではないが、大概は落ちこぼれて、講義室より飲み屋に入り浸り、本屋で書物を物色するより遊郭で女の乳房を見くらべるという、自堕落な日々なのだ。 そのくせ、カルチェ・ラタンの輩ときたら、俺は学生なのだからと、地道に働こうという気持ちがない。 遊びすぎて金に困るとなると、放蕩者は詐欺や盗み、ときには強盗までも働いてしまう。 (佐藤賢一『カルチェ・ラタン(ドニ・クルパン回想録)』&lt;1536年頃のパリが舞台&gt;) ------<br /><br />ちなみに、この写真に見えるグラフィティ・アートは、ベルギー人アーティスト、ピエール・アレシンスキー Pierre Alechinsky によるものだそうです!

    クロヴィス通り Rue Clovis を、西に歩き、ここでまたちょっと寄り道をします。

    これは、デカルト通り Rue Descartes を南に向いて撮った写真です。

    デカルト通りは昔、ボルデル(娼館)通りと呼ばれていました。 この写真の向こう側が(15枚位前で書いた)ボルデル門のあったところです。

    ------ なるほど、学業優秀な学生が何千人も揃っているわけがない。 私の話ではないが、大概は落ちこぼれて、講義室より飲み屋に入り浸り、本屋で書物を物色するより遊郭で女の乳房を見くらべるという、自堕落な日々なのだ。 そのくせ、カルチェ・ラタンの輩ときたら、俺は学生なのだからと、地道に働こうという気持ちがない。 遊びすぎて金に困るとなると、放蕩者は詐欺や盗み、ときには強盗までも働いてしまう。 (佐藤賢一『カルチェ・ラタン(ドニ・クルパン回想録)』<1536年頃のパリが舞台>) ------

    ちなみに、この写真に見えるグラフィティ・アートは、ベルギー人アーティスト、ピエール・アレシンスキー Pierre Alechinsky によるものだそうです!

  • デカルト通り Rue Descartes から、サン・テティエンヌ・デュ・モン通り Rue Saint-Etienne du Mont の狭い道をのぞくと、サン・テティエンヌ・デュ・モン教会 Eglise Saint-Etienne du Mont の塔が美しく聳えています。<br /><br />撮る向きによって空の色がぜんぜん違うなぁ・・。 やはり青空の方が嬉しい!

    イチオシ

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    デカルト通り Rue Descartes から、サン・テティエンヌ・デュ・モン通り Rue Saint-Etienne du Mont の狭い道をのぞくと、サン・テティエンヌ・デュ・モン教会 Eglise Saint-Etienne du Mont の塔が美しく聳えています。

    撮る向きによって空の色がぜんぜん違うなぁ・・。 やはり青空の方が嬉しい!

  • 教会横の サン・テティエンヌ・デュ・モン通り Rue Saint-Etienne du Mont を狭い道を歩き、

    教会横の サン・テティエンヌ・デュ・モン通り Rue Saint-Etienne du Mont を狭い道を歩き、

  • 出ました! ラベ・バセ広場! Place de l&#39;Abbe-Basset<br /><br />またまた映画 『ミッドナイト・イン・パリ Midnight in Paris (仏:ミニュイ・ア・パリ Minuit a Paris)』 の登場です。 ここは、映画の中で、とても印象的なシーンが撮られていた場所でした。 主人公ギルが彼の憧れの1920年へタイムスリップさせてくれるクラシックな車(プジョー)があらわれたところです。<br /><br />ギルは、今、私が通ってきた狭い道、 サン・テティエンヌ・デュ・モン通り を歩き、この 小さな三角形の広場 に迷い込みました。 広場の 階段 で物思いに耽っていると、夜中0時の教会の鐘が鳴り、 ”車” があらわれました。 そして、その ”車” が 彼の憧れの世界 へ誘うのです。

    出ました! ラベ・バセ広場! Place de l'Abbe-Basset

    またまた映画 『ミッドナイト・イン・パリ Midnight in Paris (仏:ミニュイ・ア・パリ Minuit a Paris)』 の登場です。 ここは、映画の中で、とても印象的なシーンが撮られていた場所でした。 主人公ギルが彼の憧れの1920年へタイムスリップさせてくれるクラシックな車(プジョー)があらわれたところです。

    ギルは、今、私が通ってきた狭い道、 サン・テティエンヌ・デュ・モン通り を歩き、この 小さな三角形の広場 に迷い込みました。 広場の 階段 で物思いに耽っていると、夜中0時の教会の鐘が鳴り、 ”車” があらわれました。 そして、その ”車” が 彼の憧れの世界 へ誘うのです。

    カルチェ・ラタン 文化・芸術・歴史

    映画 『ミッドナイト・イン・パリ』 で印象的な あの場所 へ Place de l'Abbe-Basset by wiz さん
  • ラベ・バセ広場 Place de l&#39;Abbe-Basset の階段(上)と、そこから見る モンターニュ・サント・ジュヌヴィエーヴ通り Rue de la Montagne Sainte Genevieve(下)。<br /><br />映画の中で、この 階段 に 主人公ギル が座っていたのを思い出します。<br /><br />モンターニュ・サント・ジュヌヴィエーヴ通り Rue de la Montagne Sainte Genevieve の曲線もいい感じ。

    ラベ・バセ広場 Place de l'Abbe-Basset の階段(上)と、そこから見る モンターニュ・サント・ジュヌヴィエーヴ通り Rue de la Montagne Sainte Genevieve(下)。

    映画の中で、この 階段 に 主人公ギル が座っていたのを思い出します。

    モンターニュ・サント・ジュヌヴィエーヴ通り Rue de la Montagne Sainte Genevieve の曲線もいい感じ。

  • モンターニュ・サント・ジュヌヴィエーヴ通り Rue de la Montagne Sainte Genevieve (聖ジュヌヴィエーヴ/パリの守護聖女が祈るために通った道) から見る サン・テティエンヌ・デュ・モン教会 Eglise Saint-Etienne du Mont。<br /><br />先ほど、狭い道 サン・テティエンヌ・デュ・モン通り Rue Saint-Etienne du Mont から見えた サン・テティエンヌ・デュ・モン教会の塔を違う角度から見ています。<br /><br />映画の中では、この向きに、 ”車” が走ってきました。<br /><br />この構図もとても美しい・・。

    イチオシ

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    モンターニュ・サント・ジュヌヴィエーヴ通り Rue de la Montagne Sainte Genevieve (聖ジュヌヴィエーヴ/パリの守護聖女が祈るために通った道) から見る サン・テティエンヌ・デュ・モン教会 Eglise Saint-Etienne du Mont。

    先ほど、狭い道 サン・テティエンヌ・デュ・モン通り Rue Saint-Etienne du Mont から見えた サン・テティエンヌ・デュ・モン教会の塔を違う角度から見ています。

    映画の中では、この向きに、 ”車” が走ってきました。

    この構図もとても美しい・・。

    サン テティエンヌ デュ モン教会 寺院・教会

    サント・ジュヌヴィエーヴ(パリの守護聖女)の丘に建つ教会 Eglise Saint-Etienne du Mont (5区) by wiz さん
  • もう1度振り返りながら、パンテオン広場 Place du Pantheon の方へ。<br /><br />映画の中では、いつもあちら側(モンターニュ・サント・ジュヌヴィエーヴ通り)からクラシックな車が走ってきて、ラベ・バセ広場の階段の前でギルを乗せ、こちら側(パンテオン広場)へ去っていきました。

    もう1度振り返りながら、パンテオン広場 Place du Pantheon の方へ。

    映画の中では、いつもあちら側(モンターニュ・サント・ジュヌヴィエーヴ通り)からクラシックな車が走ってきて、ラベ・バセ広場の階段の前でギルを乗せ、こちら側(パンテオン広場)へ去っていきました。

  • パンテオン広場 Place du Pantheon の前に来れば見えるのが、サン・テティエンヌ・デュ・モン教会 Eglise Saint-Etienne du Mont(左) と パンテオン Pantheon(右)。<br /><br />はじめに載せた写真と同じですが、このように天井部分が工事中でした。

    パンテオン広場 Place du Pantheon の前に来れば見えるのが、サン・テティエンヌ・デュ・モン教会 Eglise Saint-Etienne du Mont(左) と パンテオン Pantheon(右)。

    はじめに載せた写真と同じですが、このように天井部分が工事中でした。

    パンテオン 建造物

  • 教会横に位置する建物は、アンリ4世高等学校(Lycee Henri IV リセ・アンリ4)(左)。<br /><br />この塔は、”クロヴィス塔 Tour Clovis”と云われる塔です。<br /><br />パンテオンや、サン・テティエンヌ・デュモン教会のあるこのあたりには、かつて、サント・ジュヌヴィエーヴ修道院 (Abbaye Sainte-Genevieve de Paris)があったのですが、フランス革命によりほとんどが破壊され、修道院を形成していた建物の一部は、現在アンリ4世高等学校の校舎となっている、のだそうです。<br /><br />サント・ジュヌヴィエーヴ修道院は、502年にクロヴィス1世と王妃クロティルドによって、建てられたとされている。 聖(サント)ジュヌヴィエーヴ(パリの守護聖女)はこの場所に祈りに来ており、祈るために通った道は、パリ5区のモンターニュ・サント・ジュヌヴィエーヴ通りとして現在も残っている。<br /><br />教会、パンテオン、クロヴィス塔を写真におさめた後は、再度ラベ・バセ広場に戻り、

    教会横に位置する建物は、アンリ4世高等学校(Lycee Henri IV リセ・アンリ4)(左)。

    この塔は、”クロヴィス塔 Tour Clovis”と云われる塔です。

    パンテオンや、サン・テティエンヌ・デュモン教会のあるこのあたりには、かつて、サント・ジュヌヴィエーヴ修道院 (Abbaye Sainte-Genevieve de Paris)があったのですが、フランス革命によりほとんどが破壊され、修道院を形成していた建物の一部は、現在アンリ4世高等学校の校舎となっている、のだそうです。

    サント・ジュヌヴィエーヴ修道院は、502年にクロヴィス1世と王妃クロティルドによって、建てられたとされている。 聖(サント)ジュヌヴィエーヴ(パリの守護聖女)はこの場所に祈りに来ており、祈るために通った道は、パリ5区のモンターニュ・サント・ジュヌヴィエーヴ通りとして現在も残っている。

    教会、パンテオン、クロヴィス塔を写真におさめた後は、再度ラベ・バセ広場に戻り、

  • ラベ・バセ広場とモンターニュ・サント・ジュヌヴィエーヴ通りをもう1度撮って、来た道を戻ります。

    ラベ・バセ広場とモンターニュ・サント・ジュヌヴィエーヴ通りをもう1度撮って、来た道を戻ります。

  • ラベ・バセ広場からは、来た道(サン・テティエンヌ・デュ・モン通り〜クロヴィス通り〜カルディナル・ルモワヌ通り)を戻り、<br /><br />ちょっと南下し、 ロラン通り Rue Rollin へ。<br /><br />ここで、ちょっと?だいぶ?遠回りになってしまうけれど、パリに残るローマ時代(2000年前位)の遺跡、アレーヌ・ド・リュテス(リュテス円形闘技場)へ 寄り道 します!

    ラベ・バセ広場からは、来た道(サン・テティエンヌ・デュ・モン通り〜クロヴィス通り〜カルディナル・ルモワヌ通り)を戻り、

    ちょっと南下し、 ロラン通り Rue Rollin へ。

    ここで、ちょっと?だいぶ?遠回りになってしまうけれど、パリに残るローマ時代(2000年前位)の遺跡、アレーヌ・ド・リュテス(リュテス円形闘技場)へ 寄り道 します!

  • アレーヌ・ド・リュテス(リュテス円形闘技場) Arenes de Lutece<br /><br />ナヴァール通り Rue de Navarre 側からの入口から入ります。

    アレーヌ・ド・リュテス(リュテス円形闘技場) Arenes de Lutece

    ナヴァール通り Rue de Navarre 側からの入口から入ります。

  • アレーヌ・ド・リュテス(リュテス円形闘技場) Arenes de Lutece<br /><br />------- ルテティア(仏:リュテス)の起源 (wikipediaより) -------<br /><br />紀元前3世紀、この地域に定住したガリア人のパリシイ族は、ルテティアの地に主要定住地またはオッピドゥム (oppidum, 城壁町) を作った。<br /><br />ローマ時代のルテティアは、セーヌ川左岸 (Rive Gauche, 現カルティエ・ラタン地区)の、後にサント・ジュヌヴィエーヴ (Sainte Genevieve) となる丘に向う坂道の途中で発見された。 ビエーヴル川がセーヌ川と交わる洪水の起こりがちな場所である。 その合流点から渡った島、シテ島にはいくつかの住宅地区があった。 シテ島はメロヴィング朝時代のパリ、そして現代のパリの中心地である。<br /><br />「ルテティア」という名前はカエサルの『ガリア戦記』(第7巻 第57〜58章)の中に初めて現れる。 その名前はラテン語の「泥」に由来しており、ローマ人が避けた沼沢地を反映している。

    アレーヌ・ド・リュテス(リュテス円形闘技場) Arenes de Lutece

    ------- ルテティア(仏:リュテス)の起源 (wikipediaより) -------

    紀元前3世紀、この地域に定住したガリア人のパリシイ族は、ルテティアの地に主要定住地またはオッピドゥム (oppidum, 城壁町) を作った。

    ローマ時代のルテティアは、セーヌ川左岸 (Rive Gauche, 現カルティエ・ラタン地区)の、後にサント・ジュヌヴィエーヴ (Sainte Genevieve) となる丘に向う坂道の途中で発見された。 ビエーヴル川がセーヌ川と交わる洪水の起こりがちな場所である。 その合流点から渡った島、シテ島にはいくつかの住宅地区があった。 シテ島はメロヴィング朝時代のパリ、そして現代のパリの中心地である。

    「ルテティア」という名前はカエサルの『ガリア戦記』(第7巻 第57〜58章)の中に初めて現れる。 その名前はラテン語の「泥」に由来しており、ローマ人が避けた沼沢地を反映している。

  • アレーヌ・ド・リュテス(リュテス円形闘技場) Arenes de Lutece<br /><br />大通り(モンジュ通り)のすぐ近くですが、のんびりした雰囲気です。

    アレーヌ・ド・リュテス(リュテス円形闘技場) Arenes de Lutece

    大通り(モンジュ通り)のすぐ近くですが、のんびりした雰囲気です。

  • アレーヌ・ド・リュテス(リュテス円形闘技場) Arenes de Lutece<br /><br />およそ2000年前のパリに思いを馳せるにはもってこいのスポットです!<br /><br />晴れた日に、お弁当でも持ってくればばっちり!でしょうね。

    アレーヌ・ド・リュテス(リュテス円形闘技場) Arenes de Lutece

    およそ2000年前のパリに思いを馳せるにはもってこいのスポットです!

    晴れた日に、お弁当でも持ってくればばっちり!でしょうね。

    アレーヌ ド リュテス (リュテス円形闘技場) 史跡・遺跡

    パリがルテティア(仏:リュテス)と呼ばれていた ガロ・ローマ時代(紀元1世紀) の遺跡 by wiz さん
  • アレーヌ・ド・リュテス(リュテス円形闘技場) Arenes de Lutece<br /><br />Google航空地図で見てみると、こんな感じでした。<br /><br />丸い形がくっきり見えますね! 左の大通りが、モンジュ通り Rue Monge。

    アレーヌ・ド・リュテス(リュテス円形闘技場) Arenes de Lutece

    Google航空地図で見てみると、こんな感じでした。

    丸い形がくっきり見えますね! 左の大通りが、モンジュ通り Rue Monge。

  • ガリア・ローマ時代のルテティア(パリ)はこんな感じだったようです。<br /><br />水路 の右隣のまっすぐの通りは、現サン・ジャック通り。<br /><br />B と G は今も遺跡が見られるところ。 (今、G にいます。)<br /><br />B は 滞在ホテル至近でしたが、以前訪問したので今回は行きませんでした。

    ガリア・ローマ時代のルテティア(パリ)はこんな感じだったようです。

    水路 の右隣のまっすぐの通りは、現サン・ジャック通り。

    B と G は今も遺跡が見られるところ。 (今、G にいます。)

    B は 滞在ホテル至近でしたが、以前訪問したので今回は行きませんでした。

  • アレーヌ・ド・リュテス(リュテス円形闘技場) Arenes de Lutece<br /><br />また ナヴァール通り Rue de Navarre へ出ようと思います。

    アレーヌ・ド・リュテス(リュテス円形闘技場) Arenes de Lutece

    また ナヴァール通り Rue de Navarre へ出ようと思います。

  • アレーヌ・ド・リュテス(リュテス円形闘技場) Arenes de Lutece を出たところに木々がたくさんあり、何かの実?がたくさん落ちていました。<br /><br />相棒のSちゃんが、この実が気になったようで 1枚撮って と言うので記念に?!撮影(上)。<br /><br />来た道を戻り、モンジュ通り Rue Monge へ進みます(下)。<br />

    アレーヌ・ド・リュテス(リュテス円形闘技場) Arenes de Lutece を出たところに木々がたくさんあり、何かの実?がたくさん落ちていました。

    相棒のSちゃんが、この実が気になったようで 1枚撮って と言うので記念に?!撮影(上)。

    来た道を戻り、モンジュ通り Rue Monge へ進みます(下)。

  • アレーヌ・ド・リュテス(リュテス円形闘技場) Arenes de Lutece<br /><br />モンジュ通り Rue Monge の49番地にもアレーヌ・ド・リュテスへの入口があります。 (アレーヌ・ホテルの隣り)<br /><br />Arenes de Lutece<br />49 Rue Monge, 75005 Paris

    アレーヌ・ド・リュテス(リュテス円形闘技場) Arenes de Lutece

    モンジュ通り Rue Monge の49番地にもアレーヌ・ド・リュテスへの入口があります。 (アレーヌ・ホテルの隣り)

    Arenes de Lutece
    49 Rue Monge, 75005 Paris

  • もちろん、”アレーヌ・ド・リュテス Arenes de Lutece” の記念版もありました。<br /><br />地下に埋もれていたこの遺跡は、1869年に(今立っている) モンジュ通り Rue Monge の開発時に発見され、掘り起こされたそうです。<br />

    もちろん、”アレーヌ・ド・リュテス Arenes de Lutece” の記念版もありました。

    地下に埋もれていたこの遺跡は、1869年に(今立っている) モンジュ通り Rue Monge の開発時に発見され、掘り起こされたそうです。

  • イラストで描かれた ”アレーヌ・ド・リュテス Arenes de Lutece” をアップで撮るとこんな感じ。

    イラストで描かれた ”アレーヌ・ド・リュテス Arenes de Lutece” をアップで撮るとこんな感じ。

  • ◆<br />モンジュ通り Rue Monge を北上し、カルディナル・ルモワヌ通り Rue du Cardinal Lemoine との交差点までやってきました(メトロM10のカルディナル・ルモワヌ駅あり)。<br /><br />寄り道をする前まで歩いていた、カルディナル・ルモワヌ通り Rue du Cardinal Lemoine に戻って来ました。 歩いていたところより北側に出ましたが、この角の建物 ( 上の写真の赤い建物 = ”消防署” ) が大事なんです!<br /><br />カルディナル・ルモワヌ通り Rue du Cardinal Lemoine を少し南下します(下)。


    モンジュ通り Rue Monge を北上し、カルディナル・ルモワヌ通り Rue du Cardinal Lemoine との交差点までやってきました(メトロM10のカルディナル・ルモワヌ駅あり)。

    寄り道をする前まで歩いていた、カルディナル・ルモワヌ通り Rue du Cardinal Lemoine に戻って来ました。 歩いていたところより北側に出ましたが、この角の建物 ( 上の写真の赤い建物 = ”消防署” ) が大事なんです!

    カルディナル・ルモワヌ通り Rue du Cardinal Lemoine を少し南下します(下)。

  • ◆<br />カルディナル・ルモワヌ通り Rue du Cardinal Lemoine から見た ジャック・アンリ・ラルティーク通り Rue Jacques-Henri Lartigue。<br /><br />赤い車は、 ”消防署” のものです。<br /><br />この ジャック・アンリ・ラルティーク通り Rue Jacques-Henri Lartigue へ入ります。


    カルディナル・ルモワヌ通り Rue du Cardinal Lemoine から見た ジャック・アンリ・ラルティーク通り Rue Jacques-Henri Lartigue。

    赤い車は、 ”消防署” のものです。

    この ジャック・アンリ・ラルティーク通り Rue Jacques-Henri Lartigue へ入ります。

  • ◆<br />ジャック・アンリ・ラルティーク通り Rue Jacques-Henri Lartigue を入るとその横が、”消防署” の建物。<br /><br />そして、ここに 『フィリップ・オーギュストの城壁』が、建物にうまく 同化! するように残っているのです!  バイクの前の 壁 、が分かりますでしょうか?<br /><br />この部分は、『左岸編1』の ”マザリーヌ通りの駐車場” に続き、おもしろいスポットだと思いました! すばらしい。<br /><br />トゥワン通り、カルディナル・ルモワヌ通りを通っていた時 ”この建物の中庭で城壁跡が見られるそうです” と何度か書きましたが、地図でマーキングし繋げていくと、失われた 『城壁』 の線がくっきりと浮かび上がるから、当たり前の位置といえば当たり前の位置なのですが、ここは 『城壁』 が描くラインがよく分かって、ほんとうにおもしろかったです。


    ジャック・アンリ・ラルティーク通り Rue Jacques-Henri Lartigue を入るとその横が、”消防署” の建物。

    そして、ここに 『フィリップ・オーギュストの城壁』が、建物にうまく 同化! するように残っているのです!  バイクの前の 壁 、が分かりますでしょうか?

    この部分は、『左岸編1』の ”マザリーヌ通りの駐車場” に続き、おもしろいスポットだと思いました! すばらしい。

    トゥワン通り、カルディナル・ルモワヌ通りを通っていた時 ”この建物の中庭で城壁跡が見られるそうです” と何度か書きましたが、地図でマーキングし繋げていくと、失われた 『城壁』 の線がくっきりと浮かび上がるから、当たり前の位置といえば当たり前の位置なのですが、ここは 『城壁』 が描くラインがよく分かって、ほんとうにおもしろかったです。

  • ◆<br />”消防署”の城壁跡が見られる、 ジャック・アンリ・ラルティーク通り Rue Jacques-Henri Lartigue をそのまま歩くと、 アラス通り Rue d&#39;Arras につながります。<br /><br />階段があるので、この階段を降りて行き(上)、振り返って2枚ほど撮影(下2枚)。


    ”消防署”の城壁跡が見られる、 ジャック・アンリ・ラルティーク通り Rue Jacques-Henri Lartigue をそのまま歩くと、 アラス通り Rue d'Arras につながります。

    階段があるので、この階段を降りて行き(上)、振り返って2枚ほど撮影(下2枚)。

  • ◆<br />アラス通り Rue d&#39;Arras は、モンジュ通り Rue Monge と交差していますが、モンジュ通りを突っ切り、アラス通り Rue d&#39;Arras を直進します。<br /><br />この アラス通り Rue d&#39;Arras がまた城壁跡巡りでは大事な通りなのです!<br /><br />この通りの9-11番地の建物の奥に城壁跡が見られるそうです。<br /><br />アラス通り8番地は、ホテル・ヴァンドーム・サン・ジェルマン。


    アラス通り Rue d'Arras は、モンジュ通り Rue Monge と交差していますが、モンジュ通りを突っ切り、アラス通り Rue d'Arras を直進します。

    この アラス通り Rue d'Arras がまた城壁跡巡りでは大事な通りなのです!

    この通りの9-11番地の建物の奥に城壁跡が見られるそうです。

    アラス通り8番地は、ホテル・ヴァンドーム・サン・ジェルマン。

    ヴァンドーム-サン ジェルマン ホテル ホテル

  • ◆<br />そして、その アラス通り9-11番地 の城壁跡が見られるという建物の前には、<br />なんと ”Rue des Murs 壁の道” という記念版が立っていたのです!<br /><br />こんな名前がつくということは、つまり、城壁のあったところ、ということですね。<br /><br />やっぱり、ありがたい、パリ市モニュマン記念版 です。<br /><br />9-11 Rue d&#39;Arras, 75005 Paris


    そして、その アラス通り9-11番地 の城壁跡が見られるという建物の前には、
    なんと ”Rue des Murs 壁の道” という記念版が立っていたのです!

    こんな名前がつくということは、つまり、城壁のあったところ、ということですね。

    やっぱり、ありがたい、パリ市モニュマン記念版 です。

    9-11 Rue d'Arras, 75005 Paris

  • ◆<br />アラス通り Rue d&#39;Arras を進むと、 エコール通り Rue des Ecoles に突き当たります。<br /><br />エコール通り Rue des Ecoles の 2番地あたりに、ATMがあります。<br />(この写真では、通りの向こう側に見える白い車の前)<br /><br />そのATMの上に ”サン・ヴィクトール門 Porte Saint-Victor” があったことを示すプレートが設置されています。<br /><br />la porte Saint-Victor<br />(n 2, rue des Ecoles, pres de la rue du Cardinal-Lemoine)


    アラス通り Rue d'Arras を進むと、 エコール通り Rue des Ecoles に突き当たります。

    エコール通り Rue des Ecoles の 2番地あたりに、ATMがあります。
    (この写真では、通りの向こう側に見える白い車の前)

    そのATMの上に ”サン・ヴィクトール門 Porte Saint-Victor” があったことを示すプレートが設置されています。

    la porte Saint-Victor
    (n 2, rue des Ecoles, pres de la rue du Cardinal-Lemoine)

  • ◆<br />ATMの上に設置されている 『フィリップ・オーギュストの城壁』の ”サン・ヴィクトール門 Porte Saint-Victor” があったことを示すプレート。<br /><br />Enceinte de Philippe Auguste <br />Ici s&#39;elevait la porte Saint-Victor,<br />Edifiee au debut de XIIIe siecle,<br />reconstruite en 1568 et abattue en 1684.<br /><br />フィリップ・オーギュストの城壁の<br />サン・ヴィクトール門は<br />13世紀初頭にここにつくられた<br />1568年に再建され 1684年に壊された


    ATMの上に設置されている 『フィリップ・オーギュストの城壁』の ”サン・ヴィクトール門 Porte Saint-Victor” があったことを示すプレート。

    Enceinte de Philippe Auguste
    Ici s'elevait la porte Saint-Victor,
    Edifiee au debut de XIIIe siecle,
    reconstruite en 1568 et abattue en 1684.

    フィリップ・オーギュストの城壁の
    サン・ヴィクトール門は
    13世紀初頭にここにつくられた
    1568年に再建され 1684年に壊された

  • ◆<br />エコール通り  Rue des Ecoles を少し東に歩き、フォッセ・サン・ベルナール通り(サン・ベルナール堀割通り) Rue des Fosses Saint-Bernard に曲がります(下)。<br /><br />その前に、フォッセ・サン・ベルナール通り(サン・ベルナール堀割通り)の南側の カルディナル・ルモワヌ通り Rue du Cardinal Lemoine を向いて1枚撮影(上)。


    エコール通り  Rue des Ecoles を少し東に歩き、フォッセ・サン・ベルナール通り(サン・ベルナール堀割通り) Rue des Fosses Saint-Bernard に曲がります(下)。

    その前に、フォッセ・サン・ベルナール通り(サン・ベルナール堀割通り)の南側の カルディナル・ルモワヌ通り Rue du Cardinal Lemoine を向いて1枚撮影(上)。

  • ◆<br />フォッセ・サン・ベルナール通り(サン・ベルナール堀割通り) Rue des Fosses Saint-Bernard を北上します。<br /><br />この通りまで来れば、もうすぐ、セーヌ河岸、すなわち、左岸の城壁巡りのゴール地点! にたどりつきます。


    フォッセ・サン・ベルナール通り(サン・ベルナール堀割通り) Rue des Fosses Saint-Bernard を北上します。

    この通りまで来れば、もうすぐ、セーヌ河岸、すなわち、左岸の城壁巡りのゴール地点! にたどりつきます。

  • ◆<br />フォッセ・サン・ベルナール通り(サン・ベルナール堀割通り) Rue des Fosses Saint-Bernard の1番地にあるのが、アンスチチュ・デュ・モン・ダラブ アラブ世界研究所。<br /><br />ここのテラスから眺望を楽しみたかったですが、月曜日はお休みで残念。<br /><br />Institut du monde arabe<br />1 Rue des Fosses Saint-Bernard, 75005 Paris<br />http://www.imarabe.org/


    フォッセ・サン・ベルナール通り(サン・ベルナール堀割通り) Rue des Fosses Saint-Bernard の1番地にあるのが、アンスチチュ・デュ・モン・ダラブ アラブ世界研究所。

    ここのテラスから眺望を楽しみたかったですが、月曜日はお休みで残念。

    Institut du monde arabe
    1 Rue des Fosses Saint-Bernard, 75005 Paris
    http://www.imarabe.org/

    アラブ世界研究所 博物館・美術館・ギャラリー

  • ◆<br />アラブ世界研究所 が見えてくれば、そこはもう セーヌ川 La Seine!<br /><br />反対方向を見れば、パリの守護聖女サント・ジュヌヴィエーヴの像がたつ トゥルネル橋 Pont de la Tournelle です!


    アラブ世界研究所 が見えてくれば、そこはもう セーヌ川 La Seine!

    反対方向を見れば、パリの守護聖女サント・ジュヌヴィエーヴの像がたつ トゥルネル橋 Pont de la Tournelle です!

  • ◆<br />前々日の右岸の城壁跡巡りでは、向こう側がゴールでした!<br />(※正確にはセーヌの中州のサン・ルイ島の向こう側)<br /><br />フィリップ・オーギュスト(フィリップ2世:在位1180-1223)の城壁時代、<br /><br />こちら側(左岸) に (トゥルネル城の)トゥルネル塔 la Tournelle があり、<br />あちら側(右岸) に  バルボー塔 Tour_Barbeau がありました。<br /><br />城壁がセーヌ川によって途切れるところが<br />西に一箇所 ( コワンの塔 と ネールの塔 ) 、<br />東に一箇所 ( バルボー塔 とトゥルネル塔 ) あったが、<br />そこでは両岸にそれぞれ監視塔を建て、<br />こちらの岸と向こうの岸との間に 重い 鉄の 鎖 を渡してふさいでいた。


    前々日の右岸の城壁跡巡りでは、向こう側がゴールでした!
    (※正確にはセーヌの中州のサン・ルイ島の向こう側)

    フィリップ・オーギュスト(フィリップ2世:在位1180-1223)の城壁時代、

    こちら側(左岸) に (トゥルネル城の)トゥルネル塔 la Tournelle があり、
    あちら側(右岸) に バルボー塔 Tour_Barbeau がありました。

    城壁がセーヌ川によって途切れるところが
    西に一箇所 ( コワンの塔 と ネールの塔 ) 、
    東に一箇所 ( バルボー塔 とトゥルネル塔 ) あったが、
    そこでは両岸にそれぞれ監視塔を建て、
    こちらの岸と向こうの岸との間に 重い 鉄の 鎖 を渡してふさいでいた。

    トゥールネル橋 建造物

  • ◆<br />トゥルネル河岸 Quai de la Tournelle の少し下流側の建物の前には、”トゥルネル城 Le Chateau de la Tournelle” があったことを示す記念版も立っていました。<br /><br />ここに、トゥルネル城の塔 Tour du Chateau de la Tournelle と呼ばれた四角い塔が14世紀に建てられ、通行人を監視していた・・ この塔とバルボー塔 Tour Barbeau ( 右岸の東端を護る塔 =『 右岸編2』参照 ) との間には鎖のバリケードが設けられていた。 <br /><br />聖ヴァンサン・ド・ポール Saint Vincent de Paul (1581-1660) は、当時マルセイユを出航するガレー船で服役するために、年2回だけパリから送り出される徒刑囚の留置所として、このトゥルネル塔を使用する許可をルイ14世からとりつけている。 塔は1787年に取り壊された。 (大革命時代は、この次の旅行記『城壁内編』に写真を載せている ベルナルダン学寮 がガレー船の漕役刑に服するために待機する囚人の収容所として用いられたそうです。 http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=36086521 この場所から比較的近い場所です。 20 Rue de Poissy, 75005 Paris )


    トゥルネル河岸 Quai de la Tournelle の少し下流側の建物の前には、”トゥルネル城 Le Chateau de la Tournelle” があったことを示す記念版も立っていました。

    ここに、トゥルネル城の塔 Tour du Chateau de la Tournelle と呼ばれた四角い塔が14世紀に建てられ、通行人を監視していた・・ この塔とバルボー塔 Tour Barbeau ( 右岸の東端を護る塔 =『 右岸編2』参照 ) との間には鎖のバリケードが設けられていた。 

    聖ヴァンサン・ド・ポール Saint Vincent de Paul (1581-1660) は、当時マルセイユを出航するガレー船で服役するために、年2回だけパリから送り出される徒刑囚の留置所として、このトゥルネル塔を使用する許可をルイ14世からとりつけている。 塔は1787年に取り壊された。 (大革命時代は、この次の旅行記『城壁内編』に写真を載せている ベルナルダン学寮 がガレー船の漕役刑に服するために待機する囚人の収容所として用いられたそうです。 http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=36086521 この場所から比較的近い場所です。 20 Rue de Poissy, 75005 Paris )

  • ◆<br />”トゥルネル城 Le Chateau de la Tournelle” のイラスト部分。<br /><br />トゥルネル城にはトゥルネル塔がたっていました。 


    ”トゥルネル城 Le Chateau de la Tournelle” のイラスト部分。

    トゥルネル城にはトゥルネル塔がたっていました。 

  • ◆<br />上に紹介した ” トゥルネル城(と塔) ” の記念版より少し上流側に、 ” サン・ベルナール門 ” があったことを示す記念版も立っていました。


    上に紹介した ” トゥルネル城(と塔) ” の記念版より少し上流側に、 ” サン・ベルナール門 ” があったことを示す記念版も立っていました。

  • ◆<br />ここに ”サン・ベルナール門 Porte Saint-Bernard” があったことを示す記念版。<br /><br />la porte Saint-Bernard le long de la Seine vers l&#39;amont (quai Saint-Bernard)<br /><br />このあたりに、サン・ベルナール門があったようです。<br /><br />サン・ベルナール門は、15世紀の終わりに、フィリップ・オーギュストの城壁の塔とトゥルネル城のあった場所の南側に建てられ、その後、1606年アンリ4世の治世で再建され、1670年ルイ14世時代には要塞が壊され、建築家 Jacques-Francois Blondel により新しい門を再建したが、結局、1797年、(サン・ベルナール門は)壊されたようです。


    ここに ”サン・ベルナール門 Porte Saint-Bernard” があったことを示す記念版。

    la porte Saint-Bernard le long de la Seine vers l'amont (quai Saint-Bernard)

    このあたりに、サン・ベルナール門があったようです。

    サン・ベルナール門は、15世紀の終わりに、フィリップ・オーギュストの城壁の塔とトゥルネル城のあった場所の南側に建てられ、その後、1606年アンリ4世の治世で再建され、1670年ルイ14世時代には要塞が壊され、建築家 Jacques-Francois Blondel により新しい門を再建したが、結局、1797年、(サン・ベルナール門は)壊されたようです。

  • 上記で紹介した、トゥルネル城(とその塔)とサン・ベルナール門は、このように立っていたようです。<br /><br />La porte Saint-Bernard et le chateau de la Tournelle sur une gravure d&#39;Adam Perelle, vers 1680. wikimediaより。<br /><br />トゥルネル城 の向こう側には、ノートルダムの双塔も見えますね!

    上記で紹介した、トゥルネル城(とその塔)とサン・ベルナール門は、このように立っていたようです。

    La porte Saint-Bernard et le chateau de la Tournelle sur une gravure d'Adam Perelle, vers 1680. wikimediaより。

    トゥルネル城 の向こう側には、ノートルダムの双塔も見えますね!

  • ≪≪≪ 左岸の城壁跡巡り ゴール地点!!! ≫≫≫<br /><br />◆<br />左岸の城壁巡りのゴール地点!<br /><br />”トゥルネル城(と塔) Le Chateau de la Tournelle” あった場所、<br /><br />トゥルネル河岸 Quai de la Tournelle の写真を 最後に撮っておきました。

    ≪≪≪ 左岸の城壁跡巡り ゴール地点!!! ≫≫≫


    左岸の城壁巡りのゴール地点!

    ”トゥルネル城(と塔) Le Chateau de la Tournelle” あった場所、

    トゥルネル河岸 Quai de la Tournelle の写真を 最後に撮っておきました。

  • 『フィリップ・オーギュストの城壁跡1周散歩 お散歩地図』 <br /><br />◎黄緑色 = セーヌ川をはさみ西と東の端にあった ”塔”<br />◎黄 色 = ”城壁” または ”(城壁の堀だった)堀割通り”<br />◎緑 色 = ”寄り道散歩”<br /><br />-------------------------------------------------<br /><br />前々日 10/11(土)に 右岸半周!<br />今 日 10/13(月)に 左岸半周!  し、<br /><br />見事! 『フィリップ・オーギュストの城壁跡1周散歩』 達成!!!<br /><br />【 なるべく城壁跡に沿うようにぐるりと1周歩き、<br />  中世当時のパリの城壁内の大きさというものを体感したい! 】<br /><br />これが、今回の私のパリ滞在でのテーマ でしたが、<br /><br />2日に分けて1周してみて、中世当時のパリの城壁内の大きさを、<br />なんとなくですが・・ いえ、だいぶ!体感できたように、思います。<br /><br />ずっとしたかったことができた満足感もありますし、<br />歩いてみて良かったなぁ! と思っています。<br /><br />途中、寄り道も多かったですが、<br />パリの歴史を思い出しながらの歴史散歩もかねて、楽しかったです。<br /><br />* フィリップ・オーギュスト城壁跡散歩のあしあと @Google Maps<br />https://goo.gl/1Rce1Y<br /><br />この後は、サン・ミッシェル駅近くのホテルに戻るまで<br />パリ歴史散歩が続きましたので、<br /><br />旅行記は、『城壁内編』 としてつづきます!<br />http://4travel.jp/travelogue/10942610<br /><br />-------------------------------------------------<br />

    『フィリップ・オーギュストの城壁跡1周散歩 お散歩地図』 

    ◎黄緑色 = セーヌ川をはさみ西と東の端にあった ”塔”
    ◎黄 色 = ”城壁” または ”(城壁の堀だった)堀割通り”
    ◎緑 色 = ”寄り道散歩”

    -------------------------------------------------

    前々日 10/11(土)に 右岸半周!
    今 日 10/13(月)に 左岸半周!  し、

    見事! 『フィリップ・オーギュストの城壁跡1周散歩』 達成!!!

    【 なるべく城壁跡に沿うようにぐるりと1周歩き、
      中世当時のパリの城壁内の大きさというものを体感したい! 】

    これが、今回の私のパリ滞在でのテーマ でしたが、

    2日に分けて1周してみて、中世当時のパリの城壁内の大きさを、
    なんとなくですが・・ いえ、だいぶ!体感できたように、思います。

    ずっとしたかったことができた満足感もありますし、
    歩いてみて良かったなぁ! と思っています。

    途中、寄り道も多かったですが、
    パリの歴史を思い出しながらの歴史散歩もかねて、楽しかったです。

    * フィリップ・オーギュスト城壁跡散歩のあしあと @Google Maps
    https://goo.gl/1Rce1Y

    この後は、サン・ミッシェル駅近くのホテルに戻るまで
    パリ歴史散歩が続きましたので、

    旅行記は、『城壁内編』 としてつづきます!
    http://4travel.jp/travelogue/10942610

    -------------------------------------------------

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この旅行記へのコメント (8)

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  • ヴェラnonnaさん 2017/02/25 22:48:25
    フィリップ・オーギュスト編の中で 迷子になりそう・・・
    wizさん

    こんばんは、

    土曜日の 夜更けに 再々・・・度 旅行記を徘徊しておりますが
    潜っていくうちに 迷子になりそうに・・・・やっと また こちらの旅行記に
    戻ってこれました。

    ミッドナイト・イン・パリ
    『Midnight in Paris』 ウッディ・アレン監督

    オープニング: シドニー・ベイチェット「Si tu vois meme」の曲にのせて 次々に映し出される 雨にぬれるパリの街角。 もうそれだけで パリの魅力に がんじがらめ、
    でした。
      
    この映画を 初めて見たのは 2011年10月 フランスに行くため 利用した
    ルフトハンザ 機内で でした。

    とても印象的だったシーンの場所が この旅行記で 知り得たのは とてもうれしいです。

    早々に 地図に マークしました。

    サンテティエンヌ・デュ・モン教会。

    悲しいかな・・・・今回 宿泊したホテルの 近くでした。

    次回 パリに行ったときは 忘れずに 見逃さない様 覚えておかなくては!

    本当に とても 参考になります。
    ありがとうございます。

    ヴェラnonna

    wiz

    wiz さん からの返信 2017/02/26 19:59:31
    RE: Si tu vois ma mere
    ヴェラnonnaさん、Bonsoir!

    ミッドナイト・イン・パリで印象的だった・・ タイムスリップに誘ってくれる車、プジョーがあらわれるあの階段・・ そう、サンテティエンヌ デュ・モン教会の階段であり、その脇道がロケ地だったんですよね〜。

    ヴェラnonnaさんがおっしゃるとおり、オープニングの数分間で惹きこまれパリ散歩をしている気分になれる映画でしたね!

    Youtubeの方にも映像が載っていますね・・
    https://youtu.be/pbvsAJjxqG4

    この旅行記に関連する場所は、
     15分48秒~
     教会脇の通り( Rue Saint-Etienne du Mont )を歩いて・・
     16分22秒~
     階段の広場( Place de l'Abbe-Basset )に辿り着く。
     教会の鐘が鳴るとプジョーがあらわれる(1回目)。
     21分26秒~
     プジョーが真夜中のパリを走る( Rue Malebranche )。

       wiz

    wiz

    wiz さん からの返信 2017/02/26 20:08:21
    RE:
    ヴェラnonnaさん!

    「Mes endroits preferes a Paris」という旅行記に、パリでのお気に入りの場所をまとめていて(皆さんのお気に入りの場所も知りたいですが・・)、この旅行記で載せたミッドナイト・イン・パリに関する場所も重複しますが載せています。

    写真集風にしたくて、モノクロで、「場所」だけを書いていますが、よろしかったらお時間ある時にでものぞいてみてくださいませ!

    http://4travel.jp/travelogue/11173824


  • ヴェラnonnaさん 2017/02/25 01:42:50
    これは 単なる旅行記では 無いですね〜 素晴らしいの一言です。
    wizさん こんばんは。

    wizさんの この【フィリップ・オーギュストの城壁跡を歩く】
    シリーズは 読み応えが ありすぎて 一つの 旅行記だけでも なかなか  前に進みません。

    こちらで 知った芸術新潮の PARIS 中世の〜〜版を 拡大コピーした地図と
    Googleの地図を 照らし合わせながら 今 再度、読んでいます。

    かつて サン・ジャック門があった Rue St-Jacuqes が 地図をたどってみると
    サン・ジャックの塔に 突き当るですね。

    巡礼者が この 塔から 出発する訳が 良く分かりました。

    wizさんの 中世と 現在の 膨大なピースを つなげていくパズルのような 作業。
    その 体力と 脳力には感嘆いたします。

    スキャンダラスで 残酷な 中世 という言葉のイメージに 惹き付けられる理由が
    何か 解き明かされていくような 感じがします。

    一度に 読破するだけの 根気がないので 何度も 読み逃げするかと思いますが 宜しく
    お願いします。

    ヴェラnonna 

    wiz

    wiz さん からの返信 2017/02/25 11:34:40
    RE: merci!
    ヴェラnonnaさん、Bonjour!

    色々な旅行記見て下さりありがとうございます。

    芸術新潮2006年3月号とGoogle地図を見ながら見て下さってるんですね〜、ありがとうございます。

    芸術新潮2006年3月号で見た写真と同じものを見たい!と思い巡った旅行記が、他に、ノートルダムとサント・シャペル(2006年12月)、ルーブル美とクリュニー美(2008年12月:中世にタイムスリップ編)、シャルトル(2014年10月)等・・つくったりしたのですが・・ この旅行記のテーマ「フィリップ・オーギュストの城壁跡を歩く」も芸術新潮2006年3月号で見た後に、さらに色々調べ、点で知っていたものを線で繋ぐ作業をし、やっと実現したのがこの時(2014年10月)でした。

    Google地図(web)上で、城壁跡の場所を辿っている時、ほんとうに歩いてみたい!という気持ちが高まっていきました。 そんな記録をヴェラnonnaさんのように見て下さる方がいて、私もうれしいです。

    サン・ジャック門のあったところを示すプレートはパンテオンのとても近くにあって、サン・ジャック塔(昔のEglise Saint-Jacques-de-la-Boucherie)からサン・ジャック門を抜けて巡礼路に向かっていったのだなぁ等と考えながら、今のサン・ジャック通りを眺めていました。

    ヴェラnonnaさんの旅行記の、モンマルトルの夜、や、夜明け前のモンマルトル、が好きで、ヴェラnonnaさんを訪問するたびに時々拝見しています。 私も、ラマルク・コーランクール駅から歩いて行くのが常なので、そのあたりも共通していて見ていて楽しいです。

    それと、サン・ジェルヴェ・サン・プロテ教会界隈の10枚目の写真のあたり、私も好きです。 Rue Grenier sur l'Eauのあたりですよね!

    アヌシーでは後半晴れて良かったですね! やはり、天気の良し悪しで写真の写り方もだいぶ変わりますよね。 ダイジェスト版でヴェズレーの夜の写真を拝見したので、そのあたりも楽しみです。

    コンクの夜や、サン・ジャン・ピエ・ド・ポーの賑わいのお写真も大好きです。

       wiz
  • クッキーさん 2014/11/10 14:38:57
    フィリップ・オーギュストの城壁跡
    こんにちは、wizさん

    フィリップ・オーギュストの城壁跡を歩かれた様子、楽しく拝見しました。
    去年パリを訪れた際に、右岸に残っている城壁跡を一箇所だけ見に行ったのですが、残りはどうなっているのか心残りだったのですが、wizさんの旅行記を拝見してすっきりしました。

    来年パリを再訪する計画を立案中なのですが、wizさんが歩かれた道を一部だけでも歩いてみるつもりです。
    グーグルマップまで付けていただいているので、最強の道案内として持参します。
    地図は拡大してコピーできるのに、脇に添えられた地名は、どこをコピーしても、すべて最初の部分だけしか出てこないんですよ。

    地図上に、地名を記入していくつもりですが、このくらいの手間はかけなくてはwizさんに申し訳ありませんね。

    シャルトルの大聖堂のガイドツアーの口コミも参考にさせていただきました。帰国日の前日にルーアンから戻ってわずか1泊2日の余裕しかないのですが、なんとか時間を調整してやりくりします。

    貴重な情報をありがとうございました。

       クッキー

    wiz

    wiz さん からの返信 2014/11/10 17:41:11
    RE: フィリップ・オーギュストの城壁跡
    クッキーさん、Bonsoir! メッセージありがとうございます。

    クッキーさんは、去年、リセ・シャルルマーニュのところにある?城壁を見られたんですね〜。

    > 来年パリを再訪する計画を立案中なのですが、wizさんが歩かれた道を一部だけでも歩いてみるつもりです。 グーグルマップまで付けていただいているので、最強の道案内として持参します。 地図は拡大してコピーできるのに、脇に添えられた地名は、どこをコピーしても、すべて最初の部分だけしか出てこないんですよ。

    来年パリを再訪するご予定なんですね!

    クッキーさん、この地図って、 https://www.google.com/maps/d/edit?mid=zvArFUuSBmbo.kaY1e-Ni6H1c のことでしょうか?  私は自分では普通に見られたので全然気付かなかったのですが・・ 今ちょっと設定を変えてみましたが見れますでしょうか?

    グーグルマップ、最近?新しい地図?になったようで、私もどうも使い勝手がよく分かっていない・・というか前の方がやりやすかったのに・・と思っていて。。

    本も色々読んだのですが、案外?!表紙にも書いたウィキペディアのフランス語版 ( http://fr.wikipedia.org/wiki/Enceinte_de_Philippe_Auguste ) が役に立ちました。 フランス語ですが、住所や番地の部分はだいたい分かるかと思うので・・ それを見ながら、住所や番地をグーグルマップでチェックした・・というような作業をしました。


    > シャルトルの大聖堂のガイドツアーの口コミも参考にさせていただきました。帰国日の前日にルーアンから戻ってわずか1泊2日の余裕しかないのですが、なんとか時間を調整してやりくりします。

    ルーアンに行かれるんですね〜。 ノルマンディを廻られるのでしょうか? いずれにしても、旅行記が楽しみです。 シャルトルのクリプトは満足しているのですが、シャルトル大聖堂の内部を改修をしていて、改修後の壁や柱が真っ白になっているのが気になりました・・。 大聖堂裏側の階段を降りていって、ウール川沿いを歩くのも良いと思います。(私は雨の中だったから少し残念でしたが・・)

       wiz

    wiz

    wiz さん からの返信 2014/11/14 13:31:55
    RE: 面白い動画をみつけました!
    クッキーさん、こんにちは。

    フィリップ・オーギュストの城壁に関する、ちょっと面白い動画をみつけました!

    よろしければ・・!

    (旅行記中の関連写真にも追加情報として書いておきました。)

    ◆動画2に関する写真は、旅行記の『左岸編1』に、動画3,4,5に関する写真は、旅行記『左岸編2』に、写真を載せています!

    1 L'Enceinte Philippe Auguste
    http://youtu.be/Z2iiaxHNF5I
    0:00〜 フィリップ・オーギュストの城壁 概要

    2 L'Enceinte Philippe Auguste, de la Tour de Nesle a Odeon
    http://youtu.be/Md-fVfw-7qI
    0:00〜 フランス学士院(旧ネールの塔)
    2:38〜 ヌヴェール袋小路
    8:39〜 アントワーヌ・デュボワ通り

    3 L'Enceinte Philippe Auguste, autour de la Porte Saint-Jacques
    http://youtu.be/JQWM-zcF5_k
    1:23〜 マルブランシュ通り
    2:17〜 フォッセ・サン・ジャック通り
    3:14〜 サン・ジャック通り172番地(旧サン・ジャック門)

    4 L'Enceinte Philippe Auguste, Place de la Contrescarpe
    http://youtu.be/DdroRiCrdXI
    4:03〜 クロヴィス通り
    5:11〜 カルディナル・ルモワンヌ通り65番地(旧フォッセ・サン・ヴィクトール通り)
    5:30〜 消防署

    5 L'Enceinte Philippe Auguste, vers la Tournelle
    http://youtu.be/cM8emZOJ-4I
    0:00〜 エコール通り2bis番地(旧サン・ヴィクトール門)

    ◆ついでに、旅行記『城壁内編』に写真を載せている、”ガリア・ローマ式城壁の名残が認められる通り”というラ・コロンブ通りについて解説されているような動画がありましたので、よろしければ・・!

    7 L'enceinte urbaine de Lutece
    http://youtu.be/Gn-xeGmI5vE
    0:00〜 ラ・コロンブ通り

         wiz

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