2014/05/26 - 2023/10/18
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砂布巾さん
1945年4月15日 ベルゲン・ベルゼン収容解放~アンネの死(人物、ユダヤ人)
連合国軍の兵士が収容所を発見した際の記録を、マイケル・べーレンバウム著「ホロコースト全史」の冒頭から紹介する。
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心からの感謝を込めて 砂布巾
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1945年初春、連合国軍がライン川を突破した頃、アメリカ軍はナチの強制収容所を発見した。実際に目のあたりにするまで、アメリカ兵たちは強制収容所の存在について、まったく知識を持っていなかった。
この10ヶ月前、ポーランドからドイツに進軍してきたソヴィエト軍が、すでにポーランドで、焼却炉とガス室のあるマイダネクの「絶滅収容所」を発見していた。ソヴィエト軍はこの事実を公表し、西側諸国の特派員はすでにこの収容所についての新聞記事を書いていた。ベルゲン ベルゼン強制収容所跡 建造物
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たとえば、「ニューヨーク・タイムズ」の特派員H.W.ローレンスは、「この世でもっとも悲惨な場所を見た」と書いている。しかし、これらの記事を本気にする者はほとんどいなかった。絶滅収容所のような恐るべきものがこの世界に存在するとは、誰にも想像できなかったからである。イギリスやアメリカでは収容所の生々しい映像も公開されたが、これさえも反ナチスのプロパガンダと片づけられていた。
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兵士たちは何ヶ月もの激しい戦闘で多少の悲惨さには驚かなくなっていた。だが、ブーヘンヴァルトの収容所に足を踏み入れた兵士たちは、想像もできなかった生き地獄に言葉を失うことになった。
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ファニア・フェヌロン女史はベルゲン・ベルゼン収容所が解放された時の様子を「ファニア歌いなさい」(文藝春秋)に書き記している。本を読んでいたら突然ビデオを見た記憶が蘇った。
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著書には1944年1月にアウシュビッツに入ってから、この日、解放されるまでの地獄における様々な体験が書かれている。解放直前に亡くなるアンネ・フランクと同じテントにいた逸話が、また6章で触れた大内田わこ著「ガス室に消えた画家」には、アンネがシンドラーの工場に連れて行く工員を選ぶ際、疥癬(かいせん=皮膚病)で選別から漏れ、10月末にベルゲン・ベルゼン送りになった逸話も紹介されている。
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ベルゲン・ベルゼン収容所を2005年春に訪れた。北ドイツの真珠と称されるツェレ(まるでおもちゃ箱のような町!)からは日に1本しかバスがない。
収容者はテントに収容されていたので、建物の跡は無く、一見広大な原野のようだ。所々の土が盛り上がっており、解放の際に亡くなっていた数百人から千人単位の犠牲者が埋葬されている。数十カ所以上のどこかにアンネも埋葬されている筈だ。アンネとマルゴー姉妹の象徴的な墓標(写真)は奥にあった。もう少しでアンネも生き残ることが出来たのに、と思うと本当に残念だ。アンネが亡くなった日は不明だが、訪問した日が60回目の命日に違いないと自分を納得させた。 (2005年3月21日訪問) -
*砂布巾注 拠点としたツェレの街並みをどうぞ
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*一番有名なポッペナーハウス
*ツェレの街並みは親友piachanさんのページがより素晴らしいです
http://4travel.jp/travelogue/10460197 -
*ツェレ城
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*泊まった City Pension mit Flair
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*まるで魔女のような(失礼!)貫禄ある女性。ツェレのパンフレットを貸してくれた
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*Altes Rathaus(旧市役所) 地下で夕食をとった
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*ポケットには今でもベルゲン・ベルゼンのバス停で拾った松ぼっくりが入っている
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*収容所で拾った松ぼっくり 「アンネの日記」は読んだことはないし、彼女に特別な思い入れがあるわけでもないが、なにかいつも一緒にいる気がする。
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この旅行記へのコメント (1)
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- しょうちゃんさん 2017/12/02 12:28:45
- 戦跡巡り
- 同士 今年は6月ポーランド「狼の巣」「マイダネク』「ロトンダ」
9月メッスを中心にベルダン『要塞群」「ww1メモリアル」ティオンビルにある「マジノ線の要塞群」
10月ベラルーシ『ブレスト要塞」キエフの「大祖国戦争記念館」
11月満州「皇帝溥儀に関連した遺蹟(撫順刑務所など)と203高地」に出かけてきました。
次は ベルゲン・ベルゼン(タクシーで35ユーロぐらい)2時間ぐらいで回れるかな、と想定〔ハンブルグから日帰り}できたらキールの海軍士官学校?
では
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