2014/06/06 - 2014/06/06
7496位(同エリア22960件中)
kojikojiさん
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- 旅行記1484冊
- クチコミ1138件
- Q&A回答73件
- 2,683,540アクセス
- フォロワー151人
アユタヤから戻った翌日はまた市内観光です。いつものようにチャオプラヤ・エクスプレスに乗ってター・チャーンまで出て、ワット・プラケオと王宮の見学からはじめます。予定ではその後に国立博物館を見学して、カオサン通りからウィマンメーク宮殿まで見学する予定でしたがとても辿りつけませんでした。13年前に王宮とワット・プラケオは見学していましたが、在り来りのコースをサラッと通過しただけでした。今回は周囲の壁画を見だしたら非常に素晴らしく、またここ数年ラーマヤーナの物語を勉強していたので場面場面がよく分かります。そうすると1周全てを読み説かないとならない気がしてきてすっかり嵌ってしまいました。更に寺院を見学して王宮と博物館を見て廻ったらお昼を過ぎてしまいました。そのまま国立博物館へ行くと、ここも素晴らしく更に時間が過ぎてしまいます。ここでウィマンメーク宮殿までタクシーで移動すれば見学できたのかもしれませんが、のんびりカオサン通りまで歩いて、お昼を食べながらガイドブックを読み直したら見学が午後3時過ぎだと言う事が分かりました。急いでも間に合わないのでカオサンの店を冷かして、マッサージでリフレッシュすることにしました。帰りはプラ・アーティットからボートでサートーンまで戻り、アジアティークで途中下車してバーン・カニタで最後のディナーをいただきました。1度食べたかったソフトシェル・クラブのプー・パッポン・カレーも食べることが出来ました。店に入る前に打ち上げ花火が上がってとても綺麗でした。何か我々の旅の終わりを祝福してくれているように思えました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 船 徒歩
- 航空会社
- タイ国際航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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今日も美味しい朝ご飯をいただきましょう。まずは麺のチョイスから始めます。
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麺は数種類の中から自分の好みを選べます。カオマンガイも少しいただきましょう。
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夫婦でも麺の種類や茹で具合いで好みが全く違うので、家では困ってしまいますがホテルなら大丈夫です。厨房のお姉さんは優しく注文に応えてくれます。
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シェムリアップに行くと泊まるアンコール・ビレッジの庭にも咲いている花なのですがずっと名前が分かりませんでした。数年後に行ったマレーシアの格安ツアーで一緒だったた宮崎の女性の方がハマユウという名前だと教えてくれました。名の由来は花が木綿(ゆう)のように白く垂れることからで、 木綿(ゆう)というのは神事のとき榊につけ垂れ下げたもののことだそうです。
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お腹がいっぱいになった所でホテルのボートで市内まで出勤です。
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サートーンから下流には桟橋の付いた高層マンションがいくつもあります。
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サートーンまでのホテルのシャトルボートも何回乗ったでしょうか。そしてサートーンからはオレンジのエクスプレス・ボートに乗り換えます。15バーツでどこまでもいけるのでコストパフォーマンスは高いです。
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結局今回の旅でもマンダリン・オリエンタルホテルには行けませんでした。
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水上警察の前を通過しました。戒厳令下のバンコクですが驚くほど穏やかな毎日が続いています。
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ホーリー・ロザリー教会です。チャオプラヤ川の河岸にはいくつもの教会がありました。
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こんな濁ったチャオプラヤ川ですが、漁をしている人たちの姿も見られます。
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油断していると対向するエクスプレス・ボートがやってきます。
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王宮とワット・プラケオが見えてきたらそろそろ降りる準備です。ター・チャーンが最寄りの桟橋になります。
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ボートを降りるといきなりお土産売り場が続きます。ワサワサした雰囲気の道を抜けると巨大な白い壁が目の前に現れます。
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壁沿いに進むとタクシーがお巡りさんに捕まっていました。そう言えば空港からホテルへ向かう途中、走行帯違反で運転手が違反切符を切られるハプニングがありました。200バーツの罰金と言っていたと思います。
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しばらくすると門があり、人の流れに習って中に入ります。ここは服装チェックが厳しいようで、ユニクロのロールアップスリークォーターカーゴは裾を下さないと駄目と言われました。
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あぁここに来るのも13年振りと懐かしく思い出します。ワット・プラケオは何も変わらないようですが、我々の体型は変ってしまいました。
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寺院の配置を考えるとこの入口からのアングルが一番美しいと思えます。
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入場料は外国人は500バーツなのでタイ人は無料なのが羨ましいです。この入場券でウィマーンメーク宮殿の入場料も含まれています。見学を終わった後の印象で言えば高くは感じませんでした。
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入口で日本語のパンフレットを貰って伽藍の中に入ります。
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正面に右膝をたてて座っている野ざらしの仙人像は薬の調合に秀でた仙人(ルーシー)です。
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ワット・プラケオは王室の寺院なので通常時は僧侶はいませんが、参拝のための花などは用意されています。
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そして左手にある回廊の壁画を見ていきます。これは東南アジア一帯で知られているラーマヤーナの物語で、タイではラーマキエンとして親しまれています。以前に来た時は全く印象が残っていません。ラーマヤーナを読んだのはモルディブへ行くことが決まった二十数年前でした。その後印象は薄れて再びカンボジアやインドネシアを旅することで読み返して勉強もしました。その空白の時期にバンコクへ来ていたことになります。
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ラーマキエン物語はアユタヤ王国の王子達と、悪魔の国ランカー国の王トッサカンとの戦争の話です。この争いはトッサカンがラーマ王子の婚約者であったシータ姫を誘拐して、自らの妻としようとランカー国内の庭園に閉じ込めたことから始まります。ラーマ王子と弟のラクシュマナ王子は、シータ姫を取り戻そうと追いかけてこのランカー国までやってきます。ランカー国は現在のスリランカです。インドから海を渡る戦いです。巨大な猿が海峡を一跨ぎなんてすごい発想です。
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その道中でキートキンの都の王であるスットリープと、チョムプーの都の王であるターオマハーチョムプーの2匹の猿を従者にします。ラーマ王子とラクシュマナ王子は2つの都に軍を配置して道を塞ぎ、海を渡って休憩所を作ります。そして陣を構えてランカー国のトッサカンと幾度となく闘いを繰り広げます。進退を繰り返したラーマ王子とトッサカンでしたが、ついには悪が滅びシータ姫は救出されます。このラーマキエン物語は、罪を犯した人はその報いを必ず受けるという勧善懲悪とその功徳を教訓とした古典文学です。元になったラーマヤーナ叙事詩とは大分違いが見られます。
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むかしプラ・イスワンという神様の家来でノントゥクというものがいました。ノントゥクはプラ・イスワンの神殿が住むカイラート山の麓で、神様を訪ねてくる天人たちの足を洗う仕事をしていました。天人たちはみんないたずら好きで、足を洗ってもらいながらノントゥクのことをからかいます。髪の毛を引っ張って抜いてしまったりするので、ノントゥクはツルツルの禿頭になってしまいました。
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悔しく思ったノントゥクはプラ・イスワンに天人たちに仕返しがしたいと訴えます。「どうか私に魔法の力を持たせください。」プラ・イスワンから力をもらったノントゥクは、次々と自分をからかった天人たちを殺してしまいます。驚いたプラ・イスワンは、4本の腕を持つ神プラ・ナーイを呼んで、ノントゥクを懲らしめるよう命令します。
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プラ・ナーライは美しい女性に姿を変えてノントゥクの前に現れ、優雅なしぐさで踊ってみせるとノントゥクは一目惚れしてしまいます。ノントゥクは美しい女性に誘われるまま一緒に踊り始めます。そして踊りの最中に魔法の力を持った指を自分の足を差してしまいます。足は粉々になったところで、プラ・ナーライは美しい女性の姿から元の姿に戻ってノントゥクを押さえつけます。
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ノントゥクは「正々堂々と戦わず女の姿に化けるなんて卑怯者!」と叫びます。それを聞いたプラ・ナーライは怒って「この次に生まれ変わるときには、お前には10の頭と20本の腕をやろう。私は2本しか腕のない普通の人間に生まれ変わって、もう一度お前を打ち負かしてやる!」と言ってノントゥクにとどめを刺します。こうしてノントゥクが生まれ変わったのが鬼の王国のトッサカン王で、プラ・ナーライはラーマ王子に生まれ変わって、ラーマキエン物語の主人公が再登場する訳です。
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この筆致は漫画家の諸星大二郎の作品かと思いました。
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話しは変ってアユタヤー国のトサロート王には子供がおりませんでした。そこで5人の賢者が集められ、王に子供が生まれるようにと儀式が執り行われました。神聖なお米で作られた4つの団子が神殿に捧げられたところに悪魔が現れました。
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その悪魔こそトッサカンが送り込んできた鬼の国の家来です。トッサカンのお妃のモントーが鬼の国まで漂ってきた団子の香りをかいで食べてみたくなり、トッサカンに頼んだのでした。トッサカンは家来の1人にカラスの姿に化けてあの香りの元を突き止めるように命じました。カラスの姿になった家来は団子を半分盗むことに成功して飛び去ります。
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儀式の後に残りの団子はそれぞれトサロート王の3人のお妃に与えられ、それを食べた第1王妃はまもなくラーマ王子を出産しました。こうやってプラ・ナーライは再び生まれ変わったのです。
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第2王妃からはプロット王子が生まれ、第3王妃からはラクシュマナ王子と、サトル王子の双子が生まれました。トッサカンの妃のモントーも家来が持ち帰った団子を食べて、やはり身籠ってシータ姫が生まれました。
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エメラルド寺院のある本堂やその周辺は非常に混んでいますが、周囲の壁画を読み解いていく酔狂な観光客はほとんどいないのでガラガラです。
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アンコールの遺跡群を丹念に見学したり、ボロブドゥールの釈迦の物語を1つ1つ読み解いていった事を思い出します。それに比べればカラーの美しい壁画なので理解はしやすいです。
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シータ姫は生まれてすぐに「鬼の一族を滅ぼしてしまえ!」と3回叫びました。これを聞いたトッサカンの弟のピペークと宮廷内の占い師たちは、シータ姫が鬼の一族を破滅させると予言します。そしてシータ姫を鉢に入れて海に流してしまいます。
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海の神々に護られたシータ姫の入れられた鉢は、修行者チャノック(ミティラ国の王)に見つけられました。チャノックはしばらく姫の面倒を見ましたが修行中の身だったので、神々に姫の世話を託して大きなバンヤンの樹の下に埋めました。
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長年の修行を終えてミティラ国に帰ることになったチャノックは、バンヤンの木の下に埋めたシータを娘として連れて帰ることにしました。子供のいなかったチャノックと王妃はシータを大切に育て、姫はこの上なく美しい娘に成長しました。
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チャノックはミティラ国に伝わる大変重いプラナーライ神の弓を取り出して、この弓を持ち上げることのできた若者を姫の花婿に迎えると決めて、周囲の国々に使者を送りました。
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物語は良い場面なのですが、我が家のシータ姫はどこかへ行ってしまいました。この堂内にはいくつかの無料の冷水器があり水筒に水を汲んでいました。
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各地から集まってきた若者たちの中にラーマ王子もいました。弓を持ち上げる前に目と目が合ったラーマ王子とシータ姫はひと目で恋に落ちてしまいました。
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そして他の誰もが重い弓に四苦八苦する中、ラーマ王子はその弓を軽々と持ち上げ、ふたりは盛大な結婚式を挙げました。
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ここで場面が変わってトラピという黒牛が登場します。トラピの父親はトラパといって元はプラナーライの家来でしたが、悪いことをした罰に白牛に姿を変えられ自分の息子から殺されるように運命付けられます。トラピは山奥の洞窟で天使たちに育てられ大きく強く育ちます。そしてある日とうとう父親トラパに戦いを挑み殺してしまいました。
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父親を殺して自信満々のトラピはプラナーライも倒そうとしますが、怒ったプラナーライは、まず猿の国キドキンへ行き猿の王のパーリと戦って力を示してみよと言います。トラピに戦いを挑まれたパーリは、山奥の洞窟の中で7日間戦った末にトラピを倒しました。
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一方でアユタヤー国ではトサロート王が王座を息子のラーマ王子に譲ろうと考えていました。しかし第2王妃カイヤケシーの侍女の入れ知恵でラーマ王子を14年間森に修行に行かせるように王に進言しました。カイヤケシーと頼みは必ずきくと約束していた王は断ることができませんでした。ラーマ王子はシータ姫と弟のラクシュマナ王子とともに森に入っていきます。王子を失った悲しみのあまりトサロート王は亡くなってします。3人の王妃たちは森の中の3人を追いかけ、都に戻るよう説得しましたが、聞き入れられることはありませんでした。
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ある日森に狩りに出かけることにしたトッサカンは、義弟のチウハに留守の間に国を見張っておくようにと命じました。チウハは魔法を使って自分の舌を大きく広げ、国を覆い隠しそのまま居眠りしてしまいました。狩りから帰ったトッサカンたちはチウハの舌に隠された自分たちの国が見えずに大慌てします。トッサカンはチウハの舌に向かって円盤を投げつけ、そのためにチウハは死んでしまいました。
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チウハの妻だったサンマナッカーは、嘆き悲しんで深い森の中をさまよううちに偶然森で修行していたラーマ王子を見かけ恋をしてしまいます。サンマナッカーはシータ姫に化けてラマ王子を騙そうとしましたが鬼だとばれてしまい、ラーマ王子の弟のラクシュマナ王子にこらしめられ、鼻と耳を切り落とされてしまいます。サンマナッカーは国に逃げ帰り、兄のトッサカンに仇を討ってほしいと頼みました。そして兄が気を引くようにシータ姫の美しさを褒めました。トッサカンは家来に命じて、金色の鹿に化けさせてラーマ王子とラック王子をおびき出し、その隙にシータ姫をさらってランカ国に連れ帰ります。
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サダーユという鳥からシータ姫がトッサカンに誘拐されたと聞かされたラーマ王子とラクシュマナ王子は姫の行方を追いました。途中出会った白い猿のハヌマーンはラーマ王子の家来になりたいと申し出ました。更に叔父のスクリープを王子たちに引き合わせ、猿の軍隊全員でシータ姫を取り戻すのを助けることになりました。力強い味方を得たラーマ王子は、ハヌマーンたち3匹の猿をランカ国に送り込み、猿の軍隊がそれに続きました。ランカ国に忍び込んだハヌマーンはトッサカンに言い寄られて悲観し、首をつろうとしていたシータ姫を発見します。そしてラーマ王子の指輪を渡して助けに来るから待つように力づけます。
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ランカ国ではトッサカンが悪い夢にうなされていました。弟で予言者のピペークは兄にシータ姫を返すようにと助言しますが、トッサカンは怒り狂ってピペークを国から追放してしまいました。その後で正直者で誠実なピペークはラーマ王子の家来となります。
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ラーマ王子はランカー島へ攻め込むために、猿たちに島までの道を作らせました。しかし海を支配する魔王トッサカンの娘である人魚マッチャーの妨害でうまくいきません。 そこでハヌマーンは海に潜って彼女に求婚して妻にしてしまいました。そして魚族も味方に付け島までの道を完成させる事ができたのです。猿軍の援助を受けたラーマ王子たちはロンカー島に渡り、魔王トサカンと激しい戦いを続けることとなります。激戦の末にラーマ王子の放った矢が魔王トッサカンを倒し、シータ姫を救出したラーマはアヨティヤーへ帰還することとなります。
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ラーマ王子たちはランカ国へと攻め入り、トッサカンの親族や部下たちと数々の戦いを繰り広げます。互いに魔法を使っての激しい戦いでした。そしてついにトッサカンの命を奪います。トッサカンは自分の心臓を魔法の箱にしまっていたので不死身でした。ハヌマーンの機転でその箱を見つけ出し、ラーマ王子がトッサカンを弓で射ると同時にハヌマーンが箱の中の心臓を握り潰したのでした。
無事助け出されたシータ姫はラーマ王子への貞節を証明するために、火の上を歩く儀式を行いました。トッサカンの魔の手から逃れた姫は純潔だったので火の上を歩いても平気でした。ラーマ王子はピペークを兄のトッサカンに代わりにランカ国の新しい国王にしました。そして、シータ姫とラクシュマナ王子とハヌマーンらを連れて、14年間留守にしていたアユタヤー国へ勝利の凱旋をしました。 -
ランカー国の新しい国王となったピペークは、トッサカンの妻だったモントーを自分のお妃にしました。まもなくモントーに男の子が生まれ、パイナスリウォンと名付けられました。実はトッサカンの忘れ形見だったのですが、自分の子供と思い込んだピペークは大喜びします。
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ある日パイナスリウォンは本当の父親がトッサカンで、トッサカンはラーマ王子やピペークに殺されたのだということを古くからの家来から聞かされ、トッサカンの古い友人でマリワン国を治めるチャクラワットを訪ねて助けを求めました。チャクラワットは直ちに兵を率いてランカ国へ攻め入り、ピペークを捕らえてしまいました。パイナスリウォンは代わりにランカ国の王となり、実の父にちなんでトッサピンと改名しました。
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これを聞いたアスラパットは父ハヌマーンと共に、ラーマ王子にピペークが捕らえられたことを知らせるためアユタヤー国へ急ぎました。ラーマ王子は弟のプロット王子とサトル王子にチャクラワットを倒してピペークを取り戻すよう命じました。もちろんハヌマーン達猿の軍隊も黙っていません。早速猿の兵隊ニラパットはランカ国に渡るための大きな橋に変身して、プロット王子たちの軍隊を導きました。
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ランカ国に攻め込んだプロット王子達は、すぐにトッサピン達を捕らえて町中を引き回してその首をはねました。ピペークを助け出したその足でチャクラワットを倒すためマリワン国へと進みました。チャクラワットが悪夢にうなされている頃、ハヌマーンはマリワン国を取り囲む火の砦と毒蛇の砦を次々と攻め落としていましす。チャクラワットは自分の息子たちを繰り出して戦い、山に姿を変えて王子たちの軍を取り囲んだり、毒の槍を打ち込んだり、魔法の武器を使ったり、部下達を総動員したりしましたが、王子達の軍は勝てませんでした。チャクラワットは最後にプロット王子の矢を受けて倒れました。
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しかし死の直前にプロット王子とサトル王子が共にプラ・ナーライの武器の生まれ変わりであることを知り許しを請いました。王子たちの軍は意気揚揚とアユタヤー国に帰って行きました。帰りはハヌマーン自身が大きな橋に変身して、軍隊がランカ国から海を渡るのを手伝いました。
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ランカー国の王トッサカンはシータ姫を連れ去り、ランカー国の庭園に閉じ込めてしまった。それを追いかけてきたラーマ王子とラクシュマナ王子と従者達はトッサカンと闘いを繰り返し、最後にはラーマ王子側の勝利となります。ランカー国から救出されたシータ姫は何年もトッサカンの王宮でもてなしを受けていた上に多くの財宝をトッサカンにねだった、などと人々が非難するのを聞いたラーマはシータ姫に詰問します。シータ姫はそのことをいたく悲しみ、ラーマ王子に対し身の潔白を証すための火渡りを行うと告げます。
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ラーマ王子がチャンタラーティットという名の特別な矢を射ると、神々が集まり、アッキー(火)という名の矢を射ると薪に火がつき、真っ赤な炎を出して燃えさかります。シータ姫は精神を統一し、私にほんのわずかでも夫を裏切る気持ちがあったならどうぞこの身を焼き滅ぼして下さい、もし夫を裏切っていなかったら足を灼熱の炎から守って下さいと祈願します。シータ姫が火渡りを始めるとわずかな熱ささえも感じられず、それどころかティップという名の蓮が妃が歩を進める度に地中から伸びて妃の足を守ります。
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シーダ姫はラーマ王子の子供を身ごもり、幸せな毎日を過ごしていました。しかしラーマ王子の誤解から城から追い出されます。そして弟のラクシュマナ王子にシータ姫を森に連れて行き、殺してその心臓を持って帰ってくるように命じます。
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ラクシュマナ王子はシータ姫を連れて森に入りましたが、姫を殺すことはできず、森に倒れて息絶えていた鹿の心臓を取り出して持ち帰り、姫の心臓だと偽ってラーマ王子に渡しました。
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一部始終を天から見ていたインドラ神は、水牛の姿になってシータ姫を森の修行者ワッチャマラックの庵に導きました。姫はその庵でかくまわれ、かわいい男の子を産み落としました。ワッチャマラックはその子をモンクットと名付けました。そして、モンックトの遊び相手になるようにと、魔法を使ってたちまちもう1人男の子を作り、その子にはロップと名前をつけました。
モンクットとロップは、元気な男の子に成長しました。10才になったある日のこと、ふたりは森の木を的にして魔法の弓矢で遊んでいました。矢が木に当たったときに大変大きな音がしました。その音を聞きつけたラーマ王子は、誰がこんな大きな音を出したのか、音の主を捕まえてこらしめようとしました。音の主が自分の息子たちだとは思いも寄らなかったのです。モンクットは捕まってアユタヤー国へと連れて行かれてしまいましたが、何とか逃げ出したロップは天人たちの助けを借り、シータの魔法の指輪を使って無事モンクットを救い出しました。 -
逃げられて怒ったラーマ王子は、ふたりを追いかけて戦いを挑みました。しかしどんな武器を使っても、お互いがちっとも負傷しないことを不思議に思ったラーマ王子は、モンクットとロップが自分の息子であると分かりました。
今までのいきさつを聞いたラーマ王子はシータ姫にアユタヤー国へ戻ってきてほしいと頼みましたが姫は聞き入れませんでした。そこでラーマ王子は策を巡らし、ハヌマーンに命じて自分が死んだという知らせを姫のもとへ伝えに行かせました。驚いた姫はすぐにラーマ王子のなきがらに最後のお別れを言うため、アユタヤー国へ戻って来ました。この嘘はすぐにばれてしまいまい、シーダ姫はすっかり怒って地底のナーガ(竜王)の国に姿を隠してしまいました。 -
嘆き悲しむラーマ王子に今はランカー国の王となった予言者ピペークが厄落としのために1年間森で修行をしてきなさいと忠告しました。それを聞いてラーマ王子はラクシュマナ王子やハヌマーンを引き連れて森へとひきこもることにしました。
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森にはまだたくさんの鬼たちが住んでいて、ラーマ王子たちがこれまで打ち倒してきた鬼一族の仇を討とうと、王子たちに戦いを挑んできました。王子たちはことごとくそれを退けます。猿の軍隊も王子たちを助けて大活躍しました。
そして1年が経ち全てを見ていたシヴァ神のはからいでラーマ王子とシータ姫は仲直りをして2度目の結婚式を挙げました。 -
物語は更に進みます。壁画は170を超える場面に分かれていますが、絵巻物語のように切れ目無く場面が続いて行きます。
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コンタヌラートという悪い鬼がおりました。息子のヴィルンパットと共に家来を引き連れて森へ出かけました。森の中で修行者たちが苦行に励む庵を見つけた鬼たちは、修行の邪魔をしてやろうと面白がって暴れまわり、修行者たちを追い払ってしまいました。おびえた修行者たちが逃げていく後をつけて行くと、カイヤケートという国へとたどり着きました。
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この国はプロット王子(ラーマ王子の異母弟の1人)の母方の祖父が治めていましたが、コンタヌラートたちの襲撃に遭い、あっという間に国を乗っ取られてしまいました。カイヤケートの王はいったんコーウィンの修行者たちの庵へ姿を隠しました。そして生き残った兵隊が、アユタヤー国のラーマ王子のもとへ危機を知らせます。
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ラーマ王子は早速2人の弟プロット王子とサトル王子、そして2人の息子モンクットとロップをカイヤケートの国へ差し向けました。ハヌマーンとスクリープを先頭に軍隊はカイヤケートに到着し街を包囲しました。まず、チャンプワラートという兵隊が使者としてコンタヌラートの元へ送り込まれ、鬼たちに、降参して国を明け渡すようにと迫りました。
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しかし素直に言うことを聞くような鬼たちではありません。あっという間に戦いが始まってしまいました。ハヌマーンたちの軍隊が次々と鬼の軍隊をなぎ倒していくうちに、ロップがヴィルンパットを捕まえました。ロップが放った矢がつむじ風を巻き起こし、その風で戦場を飛び交う矢がすべて集まってきてヴィルンパットの体をめがけて突進したので、ヴィルンパットはひとたまりもなく命を落としたのでした。
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息子ヴィルンパットの仇を討とうと立ち上がったコンタヌラートをやっつけたのは、モンクットでした。モンクットも魔法の矢の力を借りて、やすやすとコンタヌラートの命を奪いました。
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戦いに勝ったプロット王子とサトル王子をはじめとする軍隊は、まず姿を隠していたカイヤケートの王を呼び戻し、元通りカイヤケートの国を治めるようにさせました。それからアユタヤー国へ凱旋しました。
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勝利のニュースでアユタヤー国は沸き返っており、ラーマ王子も弟たちや息子たちそしてハヌマーンたちを大喜びで迎えました。こうしてラーマ王子たちの力でこの世に平和が訪れ、みんながいつまでもいつまでも幸せに暮らしました。
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周辺の壁画を見るだけで1時間以上かかってしまいました。ヤック(夜叉)という鬼が寺院を守ります。同じような大きさの像が十数体でスワンナブーム空港を守っていますが、ここに納められた象のコピーとされています。元々は古代インドから伝わった鬼神ですが、タイでは仏教に取り入れられる際に守護神としての性格が強くなり、ワット・プラケオでは門番として善人を悪から守る役目を果たしています。12体はそれぞれ名前もあり、叙事詩ラーマキエンに登場します。
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本堂南側にある鐘楼のかなり上部に鐘が吊るされています。王宮全体にその音が鳴り響くようにとの配慮からだそうですが、実際には殆ど使用されていないそうです。 全面を覆うタイル装飾が見事です。息をつく隙間も無い埋め尽くされた外観に言葉もありません。
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部品が欠損したらどうやって補修するのでしょうか、そもそも破片が落ちても誰も気づくことが出来ないのではないでしょうか。
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3つの大きな塔以外にも幾つもの仏塔や鐘楼などの建物が建てられています。
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本堂の周辺には人が多く見られますが周辺の建物には人も少なく静かな印象です。
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東側には同じ形の仏塔が8つ並んでします。回廊の前には巨大なヤックが各方位を守ります。そして不思議な塔が1本建っています。
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ウィルンチャムバンという名のヤック(夜叉)です。
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タイ全土で毎日何本の蓮の花が消費されるのでしょうか。
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建物の破風の装飾も精緻です。ガルーダに乗ったヴィシュヌや、他に白い象に乗るインドラの姿も見ることが出来ます。
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タイル装飾が一番美しかったのはウィハーン・ガンダーラの中央の塔です。
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段上のプラサート・プラテープ・ビドーンはロイヤル・パンテオンと呼ばれるラーマ1世から8世までの彫像が安置される建物です。内部は非公開ですが古典的なタイ寺院様式の建物に、クメール様式の仏塔が屋根に取り付けられた姿はワット・プラケオでも目立つ姿の建物です。
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左右に配した黄金の仏塔の基壇には塔を支えるヤックの姿が。このプラ・スワンナ・チェディはラーマ1世が両親に捧げるために建てた金色の仏塔で2基あります。
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これも1つの耐震と免震の装置でしょうか?
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ウィハーン・ガンダーラは恵みの雨をもたらすガンダーラ仏が納められています。手前はマンコーンカンという名のヤックで、頭の上にはナーガが乗っています。奥に立つウィルンホックも同じようにナーガを頂いています。
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横から見ると手の反りかえり方がすごいです。
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本堂を参拝する前には聖水を蓮の花で頭にかけます。地元の女の子が心配そうに見守ってくれています。作法は北部タイを旅行した時に習っていますが、年齢的に手が上がないだけです。ご心配なく。
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本堂にはエメラルド仏が鎮座しています。もともとチェンライで1437年に発見され、その後ランパーンやチェンマイへ移り、そしてラオスにも226年置かれていたことがあるそうです。1778年トンブリー側に都を県都したタクシン王によってバンコクに持ち込まれ、1784年にエメラルド仏を安置するための本堂が建てられました。幅48センチ高さ66センチの意外と小さい仏像だと言うことに驚かされます
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本尊を失ったチェンライのワット・プラケオにはオリジナルより1ミリ小さい本尊が安置されています。どちらもエメラルドと呼ばれながら翡翠で出来ているそうです。
チェンライのエメラルド仏は近くまで行くこともできますし、写真も自由に撮ることが出来ます。
http://4travel.jp/travelogue/10819443 -
本堂を守る周囲のガルーダは何匹いるのでしょうか?ここのナーガは頭は1つで胴体が2つに分かれています。
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扉の前には青銅製の獅子像が置かれています。獅子像はカンボジアから運ばれてきたものが2頭あり、残りはそれを模したものだそうです。
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庇越しに右のプラ・モンドップ、ラーマ1世の命によって造られた経堂で、仏教の根本聖典である「三蔵経」が納められているそうです。 左はプラ・シー・ラタナーチェーディーです。
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この辺りは人が多く、誰もいない状態での写真を撮るのは難しいです。
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人がいない撮影チャンスと思うと妻もどこかへ行ってしまいました。
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日陰の座れる場所を探すとすぐに見つかります。
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庇の影がほとんど真下に出来ています。また1日の中で1番暑い時間帯がやってきます。
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本堂を離れる前に表からもう一度お参りしておきます。
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プラ・モンドップの周りの小さな塔の周りには象が守っています。
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ヤックなどの剣を体の前に立てる姿はアンコール寺院の力士の立ち姿によく似ています。
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プラ・シー・ラタナーチェーディーは小さな金色のタイルの集合体です。数える気にもなりませんが、一体何枚のタイルが貼られているのか…。
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プラサート・プラテープ・ビードン近くにはタイの叙事詩ラーマキエンに登場する伝説の半人半鳥「ギンナリー(男)」と「キンリー(女)」の姿もあります。スコータイ仏の独特なポーズで立っている姿がとても印象的です。
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金色の仏塔はプラ・スィー・ラタナ・チェディです。鈍い金色の荘厳な輝きはこの色が小さいタイルの集合体だからではないでしょうか。前日に見たアユタヤにあるワット・プラ・スィー・サンペットを模して建立されたと言われるそうです。スコータイ風の仏塔ですが、平頭と相輪との間に何本もの柱が立つアユタヤ独自に変化したスタイルです。
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ワイ(合掌)して仏教に帰依したガルーダやヤックの像で周囲は埋め尽くされています。豪華絢爛な装飾に目を奪われます。
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門番のヤックも建物の壁面に同化しています。
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アンコールワットの模型があります。ラーマ4世がアンコールワットを訪れ、その素晴らしさに感動して模型の建設を命じたそうです。周囲が金色に始まる色の洪水なので自然な石の色を見るとホッとします。
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さすがに回廊のレリーフまでは再現されていませんが、非常に精巧に出来ています。シェムリアップへの2回の旅でアンコール・ワットへは都合6回見学に行っていますが、自分がどこをどう歩いたか後を辿れます。
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プラサート・プラテープ・ヒドゥン(ロイヤル・パンテオン)の周囲を歩きました。
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林立する化粧柱の連続がとても美しいです。構造上必要の無さそうな柱ですから建物を軽く見せるために建てられたのだと思います。また、この建物と建物の距離感がいいですね。
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隣に建っているキンナリー達はお互いに話をしているようにも見えます。
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合掌しながら注ぐ視線の先には何があるのでしょう。
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キンナラの仕草はタイ舞踊のジープのようにも見えます。
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花を持つキンナラの後ろには東側に建つ仏塔が見えます。
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キンナラの全身像です。少し前かがみになっているのは鳥の体だからでしょうか。微妙なバランス感の調和を感じます。
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半人半鳥の姿は世界中にあります。ギリシャ神話だとハルピュイア、中国の神話にも記述は多く、日本に伝わるのは迦陵頻迦(かりょうびんが)があります。迦陵頻伽は共命鳥(ぐみょうちょう)と共に極楽浄土に住むと言われています。母方の祖父母の法事で「阿弥陀経」をあげていただく時に、そのお経の内容に共命鳥のことに聴き入ってしまったとこがあります。
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この寺院は人工的な物で埋め尽くされています。刈込みのされた植栽も人工的なので、自然を感じられるのはこの鉢植えの睡蓮くらいです。
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プラ・スワンナ・チューディーは20体のヤックが支える仏塔です。ラーマ1世が両親のために建てた仏塔を見て、自分は両親に何が出来るか考えてしまいます。
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親を放っておいて旅していながらもそんな事を考えます。罪滅ぼしに毎日1枚絵葉書を書いています。今回は16枚でこの1年で70枚位は書いたでしょうか…。
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今年は特に罰が当たらないように仏教寺院を数多くまわりました。そして母の写経をお寺に納めて歩きました。
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2人だけの個人ツアーのガイドさん付きで見学した13年前と、個人で見学した今回では全く違う印象を受けたワット・プラケオの見学でした。ここまでで約2時間が過ぎましたが、まだまだ王宮の見学へと続きます。
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アマリンタラウィニチャイホールはイヴェントの準備が行われていました。ここは内部が撮影禁止で、タイ風の建物と中国風の獅子や文人像が不思議に調和しています。
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タイル装飾が元々中国から伝わった装飾技法だからでしょうか。
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チャックリーマハープラサート宮殿までたどり着きましたあ。ここの1階には武器の博物館がありますが、ここも撮影禁止になっています。何故禁止なのかは分かりませんし、それほど重要なものとも思えません。
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この宮殿はイタリア人建築家が設計を担当したタイ様式とビクトリア様式が融合した宮殿で、今でも迎賓館として使用されています。宮殿を守る衛兵さんは暑い中をご苦労なことです。
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東アジア系の観光客が彼が動けないのを良い事に、横で変なポーズをしながら写真を撮るのを見るのは不愉快な光景でした。台湾の中正紀念堂で暴言を吐いたり煩かったりして、儀仗兵が銃床で床を叩いた話を聞くと、国も個人も同じようなことをするのだと思います。
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この宮殿はラーマ5世が外遊から帰国して新しく建てられた建物です。チャックリー王朝(バンコク王朝)歴代の王の骨壷が置かれていたり、国王が外国の賓客を迎えるのに使われる部屋や図書室などが設けられているそうですが、内部は通常時は非公開です。
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先ほどの儀仗兵のヘルメットと同じ物のようです。扉に描かれた衛兵は涼しげな顔をしています。
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ドゥシットマハープラサート宮殿は王宮の中で1番初めに建てられた木造の建物だそうです。1789年に火災に遭いますが、それ以前はアマリンタラーピセックマハープラサートと呼ばれていまたそうです。
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王宮の建物の後はワット・プラケオ博物館でエメラルド仏や宝物の数々、シリキット王妃織物博物館では王妃の公式行事の時に使われた衣装やアクセサリーを見学しました。残念ながらどちらも撮影は出来ません。入り口まで戻ると売店があったので75バーツのマンゴスムージーをご馳走しました。この後の国立博物館でも時間がかかるので、ご機嫌を損ねないようにしないといけません。
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