2014/06/06 - 2014/06/06
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kojikojiさん
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アユタヤから戻った翌日はまた市内観光です。いつものようにチャオプラヤ・エクスプレスに乗ってター・チャーンまで出て、ワット・プラケオと王宮の見学からはじめます。予定ではその後に国立博物館を見学して、カオサン通りからウィマンメーク宮殿まで見学する予定でしたがとても辿りつけませんでした。13年前に王宮とワット・プラケオは見学していましたが、在り来りのコースをサラッと通過しただけでした。今回は周囲の壁画を見だしたら非常に素晴らしく、またここ数年ラーマヤーナの物語を勉強していたので場面場面がよく分かります。そうすると1周全てを読み説かないとならない気がしてきてすっかり嵌ってしまいました。更に寺院を見学して王宮と博物館を見て廻ったらお昼を過ぎてしまいました。そのまま国立博物館へ行くと、ここも素晴らしく更に時間が過ぎてしまいます。ここでウィマンメーク宮殿までタクシーで移動すれば見学できたのかもしれませんが、のんびりカオサン通りまで歩いて、お昼を食べながらガイドブックを読み直したら見学が午後3時過ぎだと言う事が分かりました。急いでも間に合わないのでカオサンの店を冷かして、マッサージでリフレッシュすることにしました。帰りはプラ・アーティットからボートでサートーンまで戻り、アジアティークで途中下車してバーン・カニタで最後のディナーをいただきました。1度食べたかったソフトシェル・クラブのプー・パッポン・カレーも食べることが出来ました。店に入る前に打ち上げ花火が上がってとても綺麗でした。何か我々の旅の終わりを祝福してくれているように思えました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 船 タクシー 徒歩
- 航空会社
- タイ国際航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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ワット・プラケオを出てサナーム・ルアン(王宮前広場)に沿って歩きます。チェンライやチェンマイでも見掛けたヘルメット型の警察の取り締まりボックスがありました。さすがにバンコクの物は新品でした。
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今回バンコクでは路線バスに乗る機会はありませんでした。
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しばらく歩いてタイ国立博物館に到着です。タイ国立博物館の歴史はラーマ5世の治めた1874年にさかのぼります。元々は当時の副王の宮殿でしたが、副王制度が廃止されたのち、新たに博物館としての役割が与えられたそうです。
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チケット売り場で荷物を預けて身軽になって見学します。カメラについて尋ねると館内は全て撮影していいですとの嬉しいお言葉をいただきます。最初はタイの歴史館から見学してくださいと伝えられます。
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タイの歴史館の入り口にはスコータイのワット・シーチョムの懐かしい仏様の姿がありました。
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2003年にユネスコの世界の記憶に登録されたラームカムヘーン大王碑文です。ガラスまでレンズを近づけると全体が写せないので自分が写り込んでしまいました。
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塑像の冠や首飾りなどはよく見ると精緻な造りではないのですが、全体のバランスで見ると作り手の力量を感じます。
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この遊行仏は14世紀から15世紀のスコータイ・スタイルで、バンコクのワット・ベンチャマボーピットの収蔵品とキャプションに書いてあります。
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サンカロークと呼ばれる15世紀から16世紀のスコータイの陶器が並んでいます。日本に入ると宋胡禄(すんころく)と呼ばれ、茶陶として戦国時代から江戸時代にかけて珍重されたものです。
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昨年スコータイの窯元跡へ行ったばかりなので懐かしく思います。ランカムヘーン国立博物館にも沢山の展示品がありましたが、チェンマイ市芸術文化センターにも寄付された秀品が多くありました。
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昨日は黄金の象でしたが今日は黄金の獅子の合子を見ることが出来ました。こちらも24Kの鈍い輝きです。
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アユタヤー時代のビルマとの合戦の模様も忠実に再現されています。
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タイのジオラマの精密さには毎度毎度いろいろな博物館で驚かされます。
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プラ・スラサワディ像はアユタヤで見た仏像の姿に近いと感じました。
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ラーマ2世時代のフンラコーンレックと呼ばれる操り人形の頭部です。。
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18世紀のバンコク王朝時代に造られたストゥーパには精緻な絵が描かれています。
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描かれているのは右手を上げた女性と、左手を上げた裸の赤ん坊ですからすぐに分かります。仏陀は母である摩耶夫人の右わき腹から生まれ、蓮の花に乗って七歩歩いた釈迦は、右手で天を指し左手で地を指して「天上天下唯我独尊」と言います。
この絵では手が逆になっています。京都の陶芸家の五代の清風与平の絵付けに似ていると思いました。 -
黒い紙に金で描かれた人体図は経絡を表しているようです。後年ミャンマーのインレー湖の土産物屋で同じような折り畳み式の刺青の模様を描いたものを見つけました。それも素晴らしかったのですが、その下にあったシャン族の古い経典と裏側に描かれた仏陀の物語の絵に魅了され買い求めました。
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ラーマ9世の若かりし頃の胸像です。現在のお姿にも通じる雰囲気があります。
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こちらはシリキット王妃に由来する品々です。各地の伝統文化を推奨する運動をされているのでこのような品々が展示してあるようです。パーシンと呼ばれる織物やプラニーやヤンリーパオの籐製のバックも見えます。
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プラティナン・プッタイサワンという礼拝堂です。博物館の内部ですが、靴を脱いで普通の寺院のように参拝させていただきます。
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ラマ1世時代の仏像プラ・プッタシヒンを安置する礼拝堂で、この博物館の重要な収蔵品でもあります。この像はラーマ1世の時代にはエメラルド寺院に移動され、4世のときにまたここへ戻されたそうです。
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内部の壁にはバンコク時代の中で最も古い仏陀の生涯を描いた壁画があります。ミャンマーで買い求めた経典の裏はこのような絵画で埋め尽くされています。
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この東屋の前にチケットのチェックポイントがあります。
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ワット・プラケオのミニチュアの様な輿です。人間が乗るものでは無いようです。
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演劇の部屋は興味深く見学しました。大小のコーンが数多く陳列してあります。
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どくろの付いた冠を被るガネーシャは、物語に忠実に牙が折れています。どのような演目でガネーシャなどヒンドゥーの神々が出てくるのでしょうか。
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演劇の部屋にはガラスケースに納められたフンラコーンレックというタイ伝統の人形劇に関する物も数多く展示されています。
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頭部のさることながら衣装なども精密に造られています。1体造るのにどれだけの時間がかかるのでしょうか?
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これはラーマ王子でしょうか。人間の顔は意外にシンプルです。
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ター・チャーンの船着き場近くのお土産屋で、身長70センチくらいの操り人形が7,000円くらいで売っていました。ハヌマーンやガネーシャなどがあり、良く出来ていましたがマレーシアで買った物の方が更に出来が良かったので購入は断念しました。妻に反対されたのですが本当は欲しかったのです。ただこれらはミャンマーで造られたもののようでした。
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このような黒漆の上に金を塗って仕上げたような仮面は今でも造られています。ため息の出るような演劇の部屋でした。
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こちらは欲しくても買えない黄金仏の部屋です。金無垢かは分かりませんが、表面は24Kの鈍い輝きがあります。
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その奥にはラーマ1世から2世の時代に造られた3つ屋根のパヴィリオンがありました。王位継承の儀式で使われたようなことがキャプションに書かれてあります。
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あまりに時間がかかるので妻は冷房の効いた歴史館のオーディオルームへ戻ってしまいました。
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古い一対の中国製の壺が裸のまま置かれてあります。まあ磁器は劣化はしないでしょうが。
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古いベンチャロン焼きは現在の物と違って落ち着いた美しさがあります。
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使っている釉薬も全く違うもののようです。特に金彩が全然違います。俗にいう本金と呼ばれるものが使われています。
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蓮の花の摘みの付いた蓋茶碗が綺麗でした。氷梅紋の上に描かれたのが梅では無く蘭のようです。
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縁が輪花で高い高台の典型的なタイの青華磁器です。一時安いものが日本でも流行りました。京都の北村賀善さんがこの手の写しを造られて、揃いで買ってしまったことがあります。
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象を模したクメール特有の動物象形壺が並んでいます。左には人物型の壺もあります。12世紀から13世紀の物です。
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染付の色と釉薬の具合が何とも言えない宝珠型の合子です。手前の小さなものも可愛らしいです。昔はベトナムのホイアンなどの土産物屋の奥でこんな陶器(海上り)が30ドルから80ドルくらいでたくさん売られていましたが、今ではほとんど見かけなくなりました。
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ベトナムは骨董品の持ち出しが禁止なので、空港で見つかった時の対応の仕方などを教えてくれたり、偽の証明書を書いてくれたり面白い経験でした。この口の中に玉を咥えた龍の頭部はベトナムのハノイの博物館でも同じようなものを見ました。
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茶色の釉薬がたっぷり掛かったサンカロークの陶器です。クメールの陶器かと思いましたが、スコータイで造られたとキャプションに書かれてありました。
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中国製の陶器は同じ時代でも精巧さが違います。宋時代の11世紀から13世紀に造られた白磁陶器です。
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同じく中国製の陶器で、宋時代11世紀から13世紀のものです。大きな壺に描かれたのは中国古代の地理書「山海経」の南山経に登場する怪鳥の「ぎょう」のようです。顔は人間で4つの目が縦に2つずつ並んでいます。午前中にワット・プラケオで見たキンナリやキンナラのような半人半鳥のような姿に魅かれるものがあり、ギリシャの博物館でハルピュイアの像を見たときは衝撃的でした。
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現在のベンチャロンに興味はありませんが、古いものにはプラナカン陶器に通じるような美しさを感じました。シンガポールからマラッカとペナン島と旅してきた後だという事も作用しているのかもしれません。
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青磁の大鉢も良いものがたくさんありました。たくさんあり過ぎて簡単な陳列になってしまうのでしょうね。イスタンブールのトプカプ宮殿の中国の青磁の皿や鉢を見たときもそう思いました。
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中庭に出ると植物と小さい池があり、ホッと息がつけます。
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軍事兵器の部屋の中央に実物大の象の戦車が鎮座しています。いままで戦争博物館などに行くと胸が詰まるような展示を見掛ることが多いですが、思わず微笑んでしまったのはここが初めてです。アユタヤーとバンコク時代の最終兵器ですね。その当時は驚異の破壊力があったのだと思います。
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タイでも暗躍する武器商人みたいな存在があったのでしょうね。よく西欧列強の国々の植民地にならなかったと思います。
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しかしこの実物大の象はどうやってこの部屋に入れたのでしょう。春日三球と照代の地下鉄漫才じゃないけれど眠れなくなりそうです。
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数多い木彫の中でこのバンコク時代の祈る天使像に魅かれました。この辺りの展示も倉庫に置かれているのと紙一重のような気がします。
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伝統楽器の部屋も見事でした。どちらが起源かは分かりませんが、インドネシアのガムランと似たような楽器がたくさんあります。昨年の春はバリ島とジャワ島を旅しましたが、バリの澄んだ透明感のあるガムランの音色も素晴らしかったですが、ジョグジャカルタの哀愁の籠もったガムランには心奪われました。
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11世紀から12世紀のクメールのレリーフで、アンコールワット出土の仏陀の誕生図です。仏陀は母親の摩耶夫人の右脇腹から生まれます。ルンビニー村の花園で休憩中に真っ赤に咲いたアショーカの花を採ろうとした瞬間に生まれた場面です。脇で受け止める三面の人物はヒンドゥーの三神一体(ブラフマートヴィシュヌとシヴァ)の姿でしょうか。
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素晴らしい造形美のヴィシュヌ立像です。奈良の興福寺の阿修羅像を思わせる体躯です。スーリヤヴァルマン2世が統治した12世紀はヴィシュヌ神の造像が流行したそうです。ヴィシュヌは法螺貝と輪宝と宝珠を持ち杖をつくのが決まりになっています。上野の国立博物館の地下にも素晴らしいものが収蔵されています。
https://ssl.4travel.jp/tcs/t/editalbum/edit/10756461/ -
瞑想する佛陀はロップリースタイルで13世紀から14世紀に造られたものです。スコータイ県のワット・プラ・パイ・ルンという寺院のものです。
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アユタヤ県のワット・ナー・プラ・メンから移されたナーガに守られる仏陀も13世紀のロップリースタイルです。先日行ったジムトンプソン・ハウスミュージアムの2階に鎮座していた像によく似ています。ガイドの女の子が合掌した後に「私はこの博物館でこの仏様が一番好きなのです。」と話したことを思い出しました。
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昨年スコータイの博物館へ行ったときにある仏像を指さしてガイドさんが言いました。「この仏像は元々5体だったのですが、国王がここへ来た後に全部バンコクへ運ばれました。後に1体だけ返還されましたが残り4体はバンコクの博物館にあります。」といわれました。その残りの仏像を見ようと思いましたが展示されていないようでした。
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ナーガを殺すクリシュナはクメール文明のバプーオンスタイルで、11世紀から12世紀に造られたものです。石造の建物の破風を飾る部分でブリーラム県のパラサット・パノーム・ルン遺跡の出土品です。クメール=カンボジアではないことに気づきました。今でも一部紛争がありように、タイ国内にもクメールの遺跡が存在するわけです。
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シンハの背の上に横たわるヴィシュヌは同じくクメール文明のバプーオンスタイルで、11世紀12世紀に造られたクー・スアン・タン遺跡の発掘品です。ブリーラム県はタイの東部のイーサン地方にある県です。
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ヒンドゥー美術の部屋の中央に鎮座するヴィシュヌの立像です。この部屋の目玉の展示品です。後に行ったカンボジアのプノンペンの国立博物館も素晴らしかったですが、誰もいないこの博物館も素晴らしかったです。
カンボジア国立博物館:https://4travel.jp/travelogue/11343041 -
廊下には延々と仏頭が並びます。今回旅行前に調べたところでは国立博物館は撮影禁止となっていましたが、受付で聞いたところではフラッシュを使わなければOKとの事でした。ただ、いくつかの仏像の置かれた部屋にはカメラに斜線を引いたピクトが残っていました。係員さんに聞くと撮影しても良いとの事でした。
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外廊下に展示してあるのかしていないのかよく分からない戦車が置かれてありました。移動している間にみんなでお昼休みに行ってしまったような置き方です。
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以前はあまり好きではなかったタイ仏教の仏像ですが、年を経るごとに美しく感じてきます。自分の中でもルネッサンスの時代からマニエリスムへ移行する過渡期のようなものがあるのでしょうか。タイの仏像にはマニエリスムを感じる時があります。
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この葬儀用の山車のパビリオンも凄かったです。ここに来て尚更のこと王室御座船博物館に行きたくなりました。
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このアンコール・トムの四面仏のようなものにプラサートと呼ばれるクメール式の塔堂を乗せたようなこれは一体何なのでしょう。偶像上のシヴァの額には第三の目が表されていますので、この象はシヴァではないかと思います。プノンペン郊外のウドンのモニヴォン王の塔やプノンペンの王宮の建物を連想させます。
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手前のキンナリー像は王族が火葬される建物の周囲置かれたもののようです。
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葬儀は王宮前広場で行われるので目の前の国立博物館に置いておくのが便利なのでしょうか。ガラニア王女(ラーマ9世の姉)の葬儀の時に使われたものもあるようです。
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妻を待たせてすでに30分以上経過しているうえに、デジカメのSDカードは満杯になってしまい、ペナン島で撮った写真を一部削除しながら撮影を続けました。更に追い打ちをかけるようにバッテリーが切れました。SONYのNEXはバッテリーが切れても電池を1度抜いてから戻すと数枚だけ撮影できます。その作業で何十枚か撮影を続けられます。傘を置いてきたときに限って雨が降ったり、受付に荷物を預けたときに限ってSDカードとバッテリーが切れるなんて…。
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これは早く戻れと言う事だと思い博物館のいくつかの部屋と建物は見学しませんでした。挙句にミュージアム・ショップに立ち寄るのを忘れてしまいました。SDカードとバッテリーを新しいものに変えて先を急ぎます。王宮前広場を越えて大きなロータリーを越えてカオサン通りに向かいます。ロータリーのエラワン像なんて写真に撮っていないでタクシーでウィマンメーク宮殿へ行けば良かったのです。
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カオサン通りはお米(カオ)の市場だった事に由来するそうです。それが段々とタイの若者の集まるプレイスポットとなり、外国人向けの宿泊場所が増え、外国人向けの店が増えて現在に至るようです。
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カオサン通りを西側から入った路地の奥に「トク・ヤン・クンレストラン」があります。名前の通りトム・ヤン・クンが美味しい店です。大きなエビがゴロゴロ入った鍋がコンロごと運ばれてきます。扇風機しかない暑い店先で熱くて辛いスープが体に心地よいです。妻はトム・ヤン・クンを食べさせておけばご機嫌ではあります。
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この店の奥の系列店では週に何度か仮面劇を見せる店もあるようでした。この仮面は10の顔を持つランカー国のトッサカン王のようです。
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我らがハヌマーンは猿の王様です。後ろの被りものはラーマ王子とシータ姫のものでしょう。今回の旅では伝統舞踊は観ませんでした。オカマ・ショーにも行きませんでしたが、我が家にとっては珍しい事でした。
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「トク・アン・クン」の周りはこんな瀟洒な建物があり、お店として営業しています。食事しながらガイドブックを見たらウィマンメーク宮殿は午後3時過ぎに最終のガイドツアーがあると書いてありました。時間はまさに3時なので、シンガポールのアラブストリートのモスクとウィマンメーク宮殿は食欲に負けて見学出来ませんでした。
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この一角だけカオサンぽく無い雰囲気です。レストランのテーブルの係は20歳くらいの男の子でしたが、仕草を見るからにちょっとと思っていたら、夕方になって通りかかったらお化粧して店の呼び込みをしていました。
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有名な通りの割には短いカオサン通りは約300メートルしかありません。ここに来るのは今回が初めてです。沢木耕太郎の「深夜特急」は何度読んだか分からない本なので、今回のマレー半島の旅は彼の足跡をたどる旅でもありました。
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それと堀田あきおの「アジアのディープな歩き方」のバンコクの描写は面白かったです。チャイナタウンのジュライ・ホテルなど、閉鎖される前に1度1人で泊まってみたかったですね。
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時間切れで観光はこれで終わりなのでブラブラします。すると妻の買い物が始まります。といってもこの辺りじゃ可愛いものですが。どうしてもバートゥンが欲しいと言うので150バーツまで値切ってちょっといいやつを購入しました。欲しい理由が「欧米人のかっこいい女の子がスカートにしたり羽織ったりしてる。」って…。
バートゥンは1メートル×1.8メートルくらいの薄い布で、シーツにもタオルにも腰巻にもショールにもなる便利な布です。カッコよくなる訳ではありません。 -
その後もシャツを見たり…。考えると東南アジアの旅では上から下までバックも含めてチェンマイで買ったもので揃っているときがあります。
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時間が余ったので1時間半マッサージに行くことにしました。お客は多かったですが、施設的にはあまり良い店ではありませんでした。シーツも使いまわしですし。バンコクも楽しいですが都会過ぎるかな。チェンマイがどれだけ良かったか実感します。施術はワット・ポーの方が上手かったです。ただ体の疲れは取れたのでスキップが出来そうでした。
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夕方になって町に灯が燈ると雰囲気が変わってきます。日がな店先でビールを飲んでいる欧米人の姿は多いです。
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チェンマイでも見掛たマネキンに再会しました。この表情が最高です。少数民族グッズも遠くバンコクまでたくさん入ってきているのですね。
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ブラブラ店先を覗いたりカオサン通りを戻ります。夜までここにいても帰りが大変なので船着き場方面へ向かいます。
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アジアの街角の古い建物を使ったスターバックスって何故か気になります。思い出すと北京の紫禁城や后海の畔や無錫の運河沿いなど中国にも多いですね。
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カオサン通りから中国寺院横のからソイ・ランブントリに入ります。個人的にはカオサン通りよりこちらの通りの方が好きですね。チェンマイとか北方の街を思いだします。
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良い具合の日が暮れてきました。通りも賑わってきました。
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細い路地を抜けるとプラ・アーティットの船着き場に出ました。ラーマ8世橋が綺麗にライトアップしていました。
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もう夜の7時前なのでオレンジボートがあるのか分からないけれど、他にも人がいたので待っていたら上流からボートが流れてきました。
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ボートは地元の人でずっと満席です。
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船がチャオプラヤ川を下るにしたがって夜の帳が広がっていきます。
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ワット・アルンのライトアップもこれが見納めです。
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夜遅くにこの川を下る手段は無いのでしょうか。もっと遅くまでボートを走らせてもいいような気がしますが。
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リバー・シティまで下ってきました。昔通ったアンティーク店とこのビルは同じなのでしょうか。もっと大きなビルだったような気がするのですが。今回は時間が無くて行けなかったのが残念です。
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そろそろリバー・クルーズの船も出発したようです。
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サートーンからアジアティークの無料シャトルボートに乗ってみます。チャーン・ビールのマスコットの象と記念写真を撮りました。これでチェンマイ郊外の巨大なシンハ像と合わせてタイの2大ビールのオブジェと記念写真が撮れました。
シンハ:http://4travel.jp/travelogue/10819483 -
バンコク最後のお買い物です。この日もナラヤに立ち寄りました。
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あられちゃんはタイではいつまでも大人気のようです。この帽子はチェンマイのナイトバザールでもよく見掛けました。
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金曜日の夜なのにあまり人が出ていないようです。
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街中の「バーン・カニタ」に行きたかったのですが、アジアティークにもあったのでここで晩御飯にします。
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表のカウンターで係のお姉さんと話しながらメニューを見ていたら花火が始まりました。お姉さんはスマホをこちらはデジカメを出して暫し会話は中断されました。
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お店の人も驚いていたのでいつも週末にやっている訳では無いようです。あまり高い所まで上がらないし、日本のものに比べれば簡単ですが、綺麗な事に変りはありません。
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タイでも花火を造っているのでしょうか。それとも中国の張家界辺りで造ったものを輸入しているのでしょうか。
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花火の終わりと共に我が家の旅も終わりになったような気がしました。シンガポールに着いてからちょうど2週間が経ってました。マリーナ・ベイを歩いたのも、マラッカのリバークルーズもペナンのE&Oホテルも全てが遠い昔のようです。今回の旅も妻の協力があって無事に終われそうです。
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冷房の効いた室内のテーブルにしてもらいました。タイでの晩御飯もこれが最後です。まずは冷たい生ビールで乾杯です。
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写真を撮っていたらお店の方がシャッターを押してくださいました。もう1度乾杯のやり直しをしました。
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脱皮直後のカニを使ったプーニムニムパッポンガリー!今回のエビカニの旅の締めくくりはどうしてもこれが食べたかったのです。今回の旅でソフトシェルクラブは3回目でしたが、シンガポールもマレーシアもタイでも美味しかったです。
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シーフードのサラダも美味しかったです。さすがにバーン・カニタですね。
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モーニング・グローリーって何だっけとすぐに忘れてしまいます。空芯菜です。これは空芯菜の素揚げですがサクサクでおいしいです。
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最後に美味しい料理が食べられて涙ぐんでいる訳ではありません。白ごはんとカレーが良く合います。
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最後のデザートはナームケン・サイです。赤いクワイの食感が楽しいです。
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最後のマンゴ・スティッキー・ライス。今回の旅で何回食べたでしょうか?日本で再現しても同じ味にならないですからね。
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今日も美味しくいただきました。
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そろそろボートに乗ってホテルへ帰りましょう。
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アジアティークもこれが最後と思っていました。この時は。
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カリプソ・キャバレーのオカマショーも見たかった気もしますが…。人形劇の劇場が出来たらまた来てみたいですね。
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桟橋に行くと紙が1枚貼ってありました。アナンタラホテルのボートは「アウト・オブ・サービス」と一言。仕方なくタクシーで帰りました。同じようなお客が数人いたようです。翌日はチェックアウトの後にクレット島に行くので準備をしていると結局午前様になってしまいました。
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