2014/06/05 - 2014/06/05
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kojikojiさん
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バンコク3日目は市内を離れてアユタヤへの日帰り旅行です。事前に計画を立てていたのですが、ファランボーン駅から列車でアユタヤに行ってトゥクトゥクをチャーターしてと妻に話したら即却下されました。そしてバンコクの気温を考えて、シェムリアップの旅を思い出しなさいと言われました。そう気温40度のシェミリアップで1週間かけて遺跡巡りをした際に全てタクシーをチャーターして助かったことを思い出しました。冷房の効いたタクシーにどれだけ救われたか。すぐにホテルの方にメールを出して見積もりをお願いいたしました。朝8時にホテルを出てバンサイ民芸文化村からアユタヤの水上マーケットとアユタヤの主だった遺跡や寺院を見学して、博物館に行って、レストランの指定、そしてライトアップを見学して夜10時くらいにホテルへ戻るというハードな内容でした。回答は高速代金等を全部含めてホテル提携のタクシーを利用して3,500バーツという事でした。町を流しているタクシーが夜遅くまで対応してくれるかも分からないし、ホテル周辺のロケーションを考えると現地での交渉は上手くいかない気もしたのでお願いすることにしました。荷物を置いての観光になるので信頼性も高いですから。忙しいながらも全ての見学を夕方5時に終えることが出来ました。そこまでは良かったのですが、ライトアップの始まる午後7時までの食事をして待つのも面倒になり、ライトアップの見学は諦めて早く帰ることにしました。その翌日以降の事を考えれば賢明な選択だったと思います。バンコクへは今回会えなかった友人家族にも会いたいのでもう1度行こうと思っているので、今回行けなかったところも含めて再度計画を立てたいと考えています。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- タクシー 徒歩
- 航空会社
- タイ国際航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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「ペー・クルン・カオ」で手長エビの昼食を満喫して、妻はもうアユタヤは充分と言った感じで車に乗っています。私にとってはこれからが本番です。今回のアユタヤ行ではホテルで車を手配してもらう際に詳細なスケジュール表を英語とタイ語表記で作っておきました。今までにいろいろな観光地で交渉したのもかかわらず、立ち寄り先を端折られそうになったことは多々あります。英語が通じればよいのですが通じない場合は面倒なので、紙に書いておくことにしています。アユタヤは見どころが多いので、こちらも忘れてしまう恐れもあります。今回この紙が非常に役に立ちました。
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ワット・マハタートから見学を始めます。ドライバーさんは車を停める都合なのか、見学の順番を変えるので遺跡の名前と番号を振ったリストは必要でした。
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アユタヤ王朝の1369年から70年の2代ラーメスアン王が建てたという説と、1370年から88年の3代ボロムラーチャー1世が建てたという説がある13世紀の重要な寺院の1つです。
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かつては塔の頂上が黄金に輝いていたそうです。煉瓦の上に化粧された白漆喰も、ほとんどが剥離して往時を偲ぶのは難しい状態です。
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この寺院もビルマ軍の侵略により廃墟と化しています。破壊された仏像が物悲しいです。タイはビルマに攻められ、クメール(カンボジア)はタイに攻められベトナムにあったチャンパはカンボジアに攻められ…。訪ねた国では攻められたことは多く語られますが、攻めたことはあまり紹介されていないように感じます。インドシナ半島を旅しているとそんな国々の隆盛と衰退を感じます。
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仏頭にも13年振りの再会です。前回はもう夕方で薄暗くなるなる頃で、誰ぞ彼(たそがれ)でお顔もよく見えませんでしたが、この日はしっかり見ることが出来ました。
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少し背も伸びたのでしょうか?アンコール遺跡のタ・プロームには2度行っていますが、同じ場所で撮った写真を見比べたらスポアンの樹が大きくなっているのが分かりました。
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これが後ろ向きだったらこれほど注目されなだろうし、やはり人知を超えた力が働いているのでしょうか。
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以前は触れるくらいの距離まで行けた記憶がありますが、今は離れた所から眺めるだけです。欧米人の1人旅の女性が三脚を立てて記念写真を撮ろうとしていましたが、どうしても仏塔より高い位置に立つことになり、それを見ていた現地のガイドさんが怒っていました。何度か注意したけど上手くいかないので、最後にはガイドさんが写真を撮っていました。タイは4回目ですが怒るタイ人を見たのが初めてで驚いたのと、仏頭への想いにも驚かされました。
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帰国してから写真を眺めているとこの仏塔は白く化粧されて、その前に本堂があって、その奥の少し高い位置に坐像があってと想像出来ます。
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タイの寺院を数多く廻っていると寺院の伽藍の配置のルールが分かってくるので往時を想像するのは安易です。
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同じ仏教徒なのに当時のタイとミャンマーにどんな確執があったのでしょうか?
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仏像に問いかけてもただ座っているだけです。
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今は頭部がない仏像や崩れ落ちたレンガの壁や礼拝堂の土台が残るのみとなっていますが、1956年の修復の際に塔の跡から数々の黄金仏や宝飾品などが発見されたそうです。
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これらは現在チャオ・サン・プラヤー国立博物館に展示されています。遺跡の見学の前に博物館を見学しておかないとイメージが湧きません。
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博物館にあった24Kの黄金の象などはここから見つかったのでしょうか。
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そう考えると何か落ちていないか地面の辺りも気になります。
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どれだけの大きな伽藍だったのでしょうか。そしてどれだけの数の僧侶が生活していたのか…。
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往時のアユタヤ王朝の規模と財力を感じずにはいられません。
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荒廃した仏塔ばかりが残るだけなので、形になった仏像があるとホッとします。が、首は新しいものが据えられているようです。
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地盤の関係のようですが、同じように微妙に歪んだ仏塔たちが並んでいます。
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唯一屋根が残って建物の形状を保っています。ギリシャのデルフィの参道の宝物このような形です。あそこも参道の建物は幾分残っていますが、肝心の神の宣託を受けた神殿などは基礎を残すのみです。
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一体何十万個の煉瓦ブロックを積めばこのような仏塔が出来るのでしょうか。図面などはあったのでしょうか。近くに良質な粘土があって、成形して乾かして、焼成するための木々を用意して、煉瓦の生産と工事工程はどのように調整したのかなど知りたい事が頭に浮かんできます。
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わずかに残った化粧漆喰もこのような高温多湿で雨の多い土地で、何故用いられたのか…。仕事柄そのようなことばかりが頭に浮かんできます。
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ワット・ラチャブラナはワット・マハタートの近くですが車で移動出来るので楽です。ほんの少しの間ですが車内の冷房が体に心地よいです。チケットを買って進むと、おじさんが暇そうに待っています。
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この寺院は1424年に8代目の王が王位継承争いで死んだ2人の兄たちのために建立した寺院です。ここは元々寺院の本堂の入口だったところですね。木製で造られてあった扉の枠も扉も何も残っていません。
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1958年の修復の際に多くの宝物類が発掘され、現在はチャオ・サン・プラヤー国立博物館に展示されています。足場が架かっていたので修復は今も散発的に行われているようです。
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14世紀中頃から15世紀中頃の仏塔は、プラサートと呼ばれるクメール式塔堂をタイ式に変化させたプラーンと呼ばれるトウモロコシ型の塔堂が盛んに造られています。これはアユタヤ朝の発祥地がロップリーだったことに起因しているようです。
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ギリシャ建築を思わせるような八角形の柱も残っています。
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私は被写体を探し求め、妻は日陰を探しています。同じ遺跡見学でも方向性が全く違います。これで3週間喧嘩も無いのですから不思議なものです。
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左右の塔は時代が新しいのでしょうか。形状が違います。
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15世紀中頃から17世紀にはスコータイでも多く見られるスリランカ風の仏塔が流行したようです。ただしスコータイ期の仏塔とは平頭と相輪との間に何本もの柱が立つ点が異なっています。
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ガルーダと足元にナーガと左右に力士と菩薩が並んでいます。アンコールの遺跡でも見掛る組み合わせですが、ガルーダはアユタヤ王朝以降はタイのシンボルになります。
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いつかこの塔も倒れていくのでしょうか。ピサの斜塔と同じくらいは傾斜しているようです。
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すべての物が微妙に歪み傾いています。写真を撮っていても影響を受けるのか多くの写真が1.5度から2.0度曲っていました。帰国後にフォトショップで補正するのが大変でした。
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次の遺跡からはいくつかまとまっているので、タクシーの運転手はその中心に車を停めて待っています。まずは1番離れたワット・プラ・ラームから見学します。妻は遺跡の前の東屋で休んでいると言います。象がやって来たので写真を1枚撮りましたが、帰国してからPC画面で初めて気づきましたが、背中の女性がピースしていてくれました。
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木々の間からワット・プラ・ラームの仏塔が見えてきました。
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アユタヤに来て何故象が傘を差している意味が分かった気がします。王朝時代も傘を差していたこともあるのでしょうが、チェンライやチェンマイのトレッキングと違って、町中の日陰の無い道路を歩くので必要なのでしょう。
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ワット・プラ・ラームに到着しました。立派な仏塔と周囲の煉瓦塀が印象に残ります。妻は東屋で休憩している親子連れの女の事遊んでいます。ここは1人で見学するしかなさそうです。
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1369年にラメスワン王によって建立されたとされるアユタヤ王朝初期の寺院です。ここはラメスワン王の父で初代のウートーン王の葬儀が営まれた場所とも言われているそうです。
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また寺院の前の通りの先には初代王の命によって掘られたとされる池は、ブン・プラ・ラームと呼ばれ、アユタヤ市民の憩いの場になっています。妻が池畔の東屋にいるわけです。
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境内にはトウモロコシ型の塔堂を中央に、本堂と7つの礼拝堂の跡が残っています。
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プーランの近くに進むとその塔堂の高さに圧倒されます。
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二股の樹にプアン・マーライという花飾りが供えられていました。
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塔の先端部分は下地の煉瓦も含めてだいぶ修復されているようです。
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翼を失ったガルーダの姿が痛々しいです。
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子供たちと遊んでいた妻はまだ遊んでいたそうでしたが、ヴィハーン・プラ・モンコン・ボピットへお参りに行きます。参道の火焔樹が綺麗でした。この木を見るとトニー・ブイ監督の「季節の中で」(原題:スリーシーズン)を思い出します。この木の下で真っ白なアオザイを着た主人公のランの姿が印象に残る映画です。
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1603年にラーマティボディ2世によって造られた、タイ最大の高さ17メートルのブロンズ製の巨大な仏像を安置している寺院です。
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ビルマ軍に破壊されたあと1951年の修理の際には仏像の体内から何百体もの小さな仏像が発見されたそうです。
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ピッサヌロークの仏像と比較してしまいますが、タイ人の人がピッサヌロークの仏像が一番美しい顔をしているというのが分かった気がします。
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不思議な八面(裏は見えませんが)の仏像が足元に置かれてありました。
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アユタヤの中心地という事もあり多くの参拝者が見えていました。お供え物屋さんの横の売店でコーラを1本買って一気飲みしました。コーラの一気飲みなんて高校生の頃以来です。参拝の後は敷地の横から入れるワット・プラ・シーサンペットへ向かいます。
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ワット・プラ・シーサンペットは13年前にも来ています。ちょうど日本人の男性数人が入り口前に立っていました。現地駐在の人2人と日本の本社から来た人のようで、お昼がてら寺院を案内されているようでした。日本から来た人は案内されても全く興味が無いらしく、シラケた空気が何とも言えませんでした。
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この寺院はアユタヤ王宮内にあった最も重要な場所で、トライローカナート王時代の1448年に建立され、以降はここで宮中儀式が執り行われてきました。その本尊も煉瓦で造られた下地が、かろうじて仏像だった姿を留めているだけです。
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寺院のシンボルは東西に1列に並ぶこの白い3基の仏塔で、それぞれにトライローカナート王とその王子らの遺骨が納められていたそうです。平頭と相輪との間に何本もの柱が立つスリランカ風のアユタヤ期の特徴的なデザインです。
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何とも言えない美しい歪みです。地盤沈下の地面の成りで崩れかけているのでしょう。煉瓦同士を接着していたらクラックが入るでしょうからモルタルなど使っていないのでしょうか。子供の頃に遊んだジェンガという木の棒を抜いて上に重ねるゲームを思い出しました。翌日ホテルの船着き場のバーのスタッフが暇潰しにジェンガをやっているのを見てびっくりしました。
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仏塔の東側に本堂が後に建立され、高さ16メートル重さ171キロの純金に覆われた立仏像が置かれていました。この仏像が寺院の名前になったプラ・シーサンペットだそうです。
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1767年のビルマ軍による第2次アユタヤ侵攻で寺院と仏像は全て破壊されました。
剥がれた漆喰の断面を見ると煉瓦の下地と漆喰の盛り方がよく分かります。塔の上に生えた草が物悲しいです。
「夏草や 兵どもが 夢の跡」そんな気分です。 -
スコータイの遺跡を見てバンコクの寺院を見た後にアユタヤに来ると仏塔の違いが非常によく分かります。
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往時はさぞ立派な伽藍だったのでしょう。
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そろそろミャンマーの計画を立ててみようかと思いました。インドシナ半島ではラオスのルアンパバーン(空港には降り立ったことはあります。)とミャンマーのパガンとマンダレーには行っておきたいですね。秋にはスリランカの予定もありますが、旅に必要な3週間休めるか微妙です。
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また象がやってきました。後で気づきましたが綺麗な女性が1人で乗っています。
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象は道路を平気で横切って行きます。この辺りでは車両より象が優先のようでした。
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どうもこのポイントはお客同士がカメラを交換して、写真を撮りあう場所のようです。
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ワット・ローカヤ・スターまでやってきました。ここも前回来たところです。おばちゃんが目ざとくやってきて20バーツでお参りセットを持ってきます。基本的に寺院では見学費替わりに花と線香とロウソクと金箔を求めてお参りはさせてもらいます。20バーツは相場の値段です。何故かタイでは物を高く売りつけるという行為は無いみたいですね。観光地でジュースや水を買っても高い印象は受けないし。お国柄なんでしょうか。
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サンダルを脱いで蓮の花を供えます。
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座る場所が無いので略式でお参りします。昨年タイ北部で毎日のようにお参りしていたので作法は心得ています。
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最後に手前の涅槃物に金箔を貼っておきます。
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この涅槃仏は高さ5メートル全長28メートルの巨大な寝釈迦仏です。1956年に復元されたもので、80歳で入滅した仏陀をあらわしています。
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周囲には寺院の名残も無いうえに建物も無い町外れなので不思議な感じがします。自由に近くまで行けるので入場料もありません。
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仏陀は青い空を見上げて何を想うのでしょうか。
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青空に黄色い衣が映えます。誰もいない広い空間で仏陀と対峙するといろいろなことを考えさせられます。
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奉納された巨大な鶏の置物が置かれてありますが、これはポルトガルの雄鶏ではありません。
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ワット・プーカオ・トーンへ行く道中、タイ3大王と称されるアユタヤ朝21代王ナレスワン像にも立ち寄りました。
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ナレスワン大王は16世紀にアユタヤをビルマから取り戻したタイの英雄ですが、ビルマに人質として捕らえられていた事があります。
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捕虜だった頃に戦況を占う意味で敵将と闘鶏をして見事勝利したという話からナレスワン大王は闘鶏のシンボルとなっています。
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ワット・プーカオ・トーンに到着しました。ここは夕日の名所らしいですが、今日の天気では夕日は望めそうもありません。
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1569年にビルマのバイナウン王がアユタヤを占領した時に建てた高さ80メートルを誇る寺院です。当初はビルマ様式でしたがその後アユタヤ王朝を再興したナレスアン王がタイ様式に改め、現在の塔は1754年に造られました。
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1956年には仏歴25世紀を祝って頂上に2.5キロの黄金の珠が付けられ、別名「黄金の仏塔寺院」と呼ばれているそうです。高い所に登りたいほうなので1番上まで登ってみます。アユタヤが見渡せるという場所ですが、登ってみて素晴らしいという訳ではありませんでした。
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ここのも奉納された鶏の像がありました。プアン・マーライ(花数珠)はこの寺院が1番多く納められてありました。妻はまるでタクシーの運転手さんの親戚か何かのようで、2人で私の戻りを涼しい車の中で待っています。
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最後の寺院見学はワット・チャイ・ワタナラームです。ここも夕日の名所らしいので最後の見学地にしましたが。午後5時前では期待しても無駄です。
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1630年に第24代のプラサートトーン王が亡くなった母を偲んでチャオプラヤー川の西側に建設した寺院です。建築様式がカンボジアのアンコール・ワットに似ていることから、カンボジアとの戦争に勝利を収めたことを記念して建てたとの説もあるそうです。
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寺院の四角い境内の中央には35メートルの主塔がそびえ立ち、四方に4基の塔堂(プラーン)を従がえて、回廊が取り巻くというアンコール様式に似た配置になっています。
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建立の1630年からアユタヤ王朝の滅亡まで、王の法事を執り行う王室寺院でもありましたが、ここも他の寺院と同様1767年のビルマ軍の侵攻によって焼かれて廃寺となります。
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1987年になって改修されてアユタヤでもっとも美しい寺院と言われているそうです。
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こんな小さな遊行仏まで首を落とされています。
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高さ35メートルのアユタヤ様式の主塔は非常にきれいに修復されています。
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周囲には煉瓦造りの塀が張り巡らされています。防衛の意味もあるのでしょうが、すぐ隣を川が流れているので水が流れ込まない工夫もあったのではないでしょうか。
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川に向かって仏像が佇んでいます。
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アユタヤを囲うチャオプラヤ川の流れです。時折り遊覧船が通り抜けていきます。
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ここで夕日が見られたら美しいでしょうね。今回の旅では美しい夕日に出会えませんでした。マラッカもペナン島もダメでしたし。
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この寺院は川に向かっても開かれていたのでしょうか。アユタヤを取り巻く水濠は昔の絵と現在に大差はないようです。
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主塔の周りを廻ってみます。
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主塔を囲む四方とそれを結ぶ中間点の8か所に小さい仏塔があり、その中には仏像が安置されています。角になる四方には2体、中間の仏塔には1体置かれています。
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最後の寺院は大きくて美しいので見学する気になったようです。
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こちらは中間の仏塔です。
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主塔を囲む塀沿いにも仏像が延々と置かれてあります。そして全て破壊されています。
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保存状態の良い仏像です。土台の煉瓦の上に厚く盛られた漆喰を見てとれます。これだけの厚さはいっぺんには塗り切れないので相当塗り重ねていると思います。
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何となく夕暮れてきました。
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この大きな遺跡を離れ離れではありますが、妻と2人だけで見学できたのは良かったです。
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人が大勢いたら往時のアユタヤ王朝に想いも寄せられないですからね。
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これが1番保存状態の良い仏像でした。このように寺院全体が白い化粧漆喰で覆われていたとしたら相当美しい寺院だったのでしょう。天井部分が黒くなっているのは炎に炙られた後でしょうか?
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それだけの寺院をここまで破壊するという事は同じ仏教徒であるビルマの人はどう考えていたのでしょうか?
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夕方5時を過ぎて予定していた遺跡の見学は全て終わりました。この後食事をして時間を潰し、午後7時か7時半の遺跡のライトアップを見てからバンコクへ戻る計画でした。
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妻が「疲れたから帰りたい。」と言ったときに思わず「そうだね。」と言葉が出ました。それくらいハードな1日でした。タクシーの運転手さんも「これからどうしますか?」という感じだったので、予定変更してアユタヤ観光を切り上げることにしました。
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アユタヤの夜景観光をキャンセルしたのでホテルには午後7時過ぎに戻ることが出来ました。ちょっと残念な気もするし、余計な支出をしてしまったこともありましたが、結果としては毎日暑い中旅を続けて3週間、疲れも出て来ていたので良かったと思います。アユタヤなら近い将来行くことも可能でしょう。
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ロビーを通るとキムの演奏が行われていました。カメラを指差すと小さくうなずいてくれたの写真を撮らせてもらいます。
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大正琴の様な哀愁のある音色が旅の終わりを予感させます。旅の後半は何か寂しい気分になることが多くそれが嫌いです。なので、もう早く帰りたいと思うくらいの日数が必要になります。
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今回の旅はアドベンチャーはありませんでしたが、新しい文化や美術に出会えてとても充実していました。3ヵ国に渡ったので最初のシンガポールはもう遠い昔の事のようでもあります。
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プールを抜けて部屋に向かいます。今日もプールの照明はコムローイのようにこのまま空へ飛んでいきそうです。
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遠乗りして疲れていたのでルームサービスでピザでも注文しようかと思いましたが、1分で行ける距離にレストランがあるので部屋を出ました。象さんが何食べるの?と聞いているようです。
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朝食のレストランの隣にイタリアンレストランがあります。
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「ブリオ」と言うイタリアン・レストランです。夜になるとヴェスパが置かれていました。昔このタイプのヴェスパに乗っていたので懐かしくなりました。「さらば青春の光」のモッズに憧れてミラーをいっぱい付けたものです。ロンドンの南のブライトンにも行きましたっけ。ザ・フーのロジャー・ダルトリーが主演したケン・ラッセルの「トミー」の事も思い出しました。ピンボールの魔術師のエルトン・ジョンもカッコ良かったし、母親役のアン・マーグレットも綺麗だったし、オリバー・リードやジャック・ニコルソンも若かった。
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店に入るとイタリア人のシェフが迎えてくれます。イタリアにはかなり行っているのでイタリア語で応答すると喜んでくれました。暫く行ってはいないので「アクア・ミネラーレ、ガッサータ、メッゾォリトロ、アローラ、ヴィーノ・ビアンコ…」なんて思い出しながらも何とか注文が出来ました。ストゥッツィキーノに出て来たのはトリフとキノコの入ったマカロニです。
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ピザとパスタだけにしようと思ったけど、シェフの話術に乗せられてトマトだけのサラダを作ってもらいました。メニューになくても味付けは相談しながら好きなようにアレンジしてくれます。
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妻は野菜サラダを注文しました。こちらも味付けなど注文を聞いてくれます。
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待っている間にだんだんお腹が空いてきました。ルームサービスでなくてレストランに来て良かったです。
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妻の注文したパスタが来ました。アマトリチアーナ。
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凄い量が多いと言いながら完食していました。
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こちらはピツッア・クアトロ・フロマッジョです。メニューではトマトソースが入っていますが、ビアンコにしてもらいました。いろいろ注文しましたが、イタリア人のシェフは面白がって何でも聞いてくれます。まぁ店が空いていたからだと思いますが。
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本格的な焼き窯もスタンバイしています。パンチェッタやピザのチーズなども含めて本格的な味が楽しめます。もっとちゃんと食事がしたいなと思いました。
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帰り際にシェフが赤い薔薇をプレゼントしてくれました。妻は大喜びです。
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エレファント・バーに誘いましたが、疲れたから部屋に戻ると言われてしまいました。今晩はシェフに負けたようです。イタリア人恐るべし。
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