2013/02/03 - 2013/02/07
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アユタヤ遺跡で最後に見学した、ワット・プラ・シーサンペットの紹介です。トライローカナート王とその王子らの遺骨を納めたとされる巨大な3基の塔がこの寺院跡のシンボルです。(ウィキペディア、るるぶ・タイ)
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巨大な仏塔が3基並んだ『ワット・プラ・シーサンペット』の光景です。公式情報からの紹介です。『アユタヤ王宮内にあった最も重要な寺院で、バンコク王朝におけるエメラルド寺院のような存在。ボロムトライロッカナート王時代の1491年に建立され、以降はここで宮中儀式が執り行われてきました。(タイ国政府観光庁:アメージング・タイランド)』
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『寺院のシンボルは、東西に並ぶ3基の仏塔で、それぞれにボロムトライロッカナート王(1448~1488年)とその王子らの遺骨が納められていたと言われています。仏塔の東側に本堂が後に建立され、高さ16メートル重さ171キロの純金に覆われた立仏像が置かれていました。この仏像が寺院名にもなった、「プラ・シーサンペット」といいます。1767年のビルマ軍による第2次アユタヤ侵攻で、寺院そして仏像は悉く破壊されましたが、戦後になって修復され、現在の姿となりました』(同上)
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最初に紹介した、3基並んだ仏塔の一番左側の仏塔の中間部分のズームアップ光景です。立ち入りは制限されていましたが、急傾斜の石段が正面の入口まで続いていました。名称にはワット(寺)と冠されていますが、実際は寺院ではありません。名称は『御吉祥活仏寺院』程度の意味とされます(ウィキペディア)
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三つ並んだ中央の仏塔のズームアップ光景です。この寺院に建つお寺は、歴代のアユタヤ王朝の王の内3人の遺骨が修められていますが、アユタヤの王が仏と同一視されたのでこの名前があります。伝説によればこの地には元々、アユタヤ王朝の創設者『ラーマーティボーディー1世(在位:1351~1369年)』によって宮殿が建てられたとします。後の王の『トライローカナート(在位:1448~1488年)』の時代に宮殿は移築されました。これにより、この地は王専用の仏教儀式の場となったとされます。(同上)
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『ワット・プラ・シーサンペット』の西端付近の光景になるようです。さらに時代は下り、『ラーマーティボーディー2世(在位:1491~1429年)』の時代、現存する仏塔のうち東側の二つが建てられ、それぞれラーマーティボーディー2世の父である『トライローカナート王』、ラーマーティボーディー2世の兄である『ボーロマラーチャーティラート3世』の遺骨がそれぞれ納められました。(同上)
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三つ並んだ仏塔の一番東側の塔のズームアップ光景です。この後、ラーマーティボーディー2世が崩御すると、三つ目の仏塔が建てられ、その遺骨が納められました。大きな破壊を受けた他の仏塔遺跡と比べ、漆喰などが当時の状態をよく保存しているため、アユタヤ時代の建築がそのまま見ることの出来る貴重な遺跡となっています。ラーマーティボーディー2世治世の時の出来事です。アユタヤー・ラーンナー戦争(1456~1474年)でのチエンマイ北伐に加わり、『リリット・ユワンパーイ』を作詩したと言われます。この王の治世の時に、ポルトガルがマラッカを占領し、ポルトガルの主権をラーマーティボディー2世に認めさせました。これを機にポルトガル人がタイに来るようになりました。(同上)
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真新しい赤煉瓦の光景です。補修のために用意された資材が、仮置きされているようでした。ワット・プラ・シー・サンペットは、アユタヤの町の北西のエリアにあります。アユタヤの王宮があった場所の西側です。仏塔(チェディー)についての紹介です。この辺りでは、アユタヤ美術の第二期(15世紀中頃~17世紀)に造られたスリランカ様式の釣り鐘形が多くみられます。(FC2ホームページ)
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ワット・プラ・シー・サンペットの周りの光景です。仏塔の紹介の続きです。スコータイでも多く作られたスリランカ風の仏塔がアユタヤに引き継がれました。ただし、スコータイ期の仏塔とは平頭と相輪との間に何本もの柱が立つ点が異なり、これがアユタヤ期の特色とされます。これは第8代のポロマ・トロイローカナッ王が、一時期ピサヌロークに都を遷したことに関連すると思われます。(同上)
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『アユタヤ歴史公園』の中で世界遺産の一つとして紹介した『ウィハーン・プラ・モンコンボーピット』と呼ばれる礼拝所の赤屋根の光景です。この場所からは、逆光での撮影になりました。先ほどタイの仏塔の様式について触れましたので、ここで、纏めて紹介しておきます。(同上)
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〇ドヴァラヴァティー美術期(6・7~11世紀)
ドヴァラヴァティー美術は古くからミャンマー、タイに住んでいたモン族により形成されました。『ドヴァラヴァティー王国』は、モン族がナコン・パトムを中心にチャオプラヤー川流域のタイ中部に建国、その勢力はタイ東北部に及びました。モン族は、タイ北部にハリプンチャイ王国(8~13世紀)を建てています。(同上) -
〇ドヴァラヴァティー美術期(続き):このモン族が遺した仏塔はナコン・パトムのプラ・パトム・チェディ大塔が有名です。現在の塔は19世紀半ばにラーマ4世により増広されました。現在、この大塔の傍らには大塔の中に納められていたとされる塔が、復元されています。それは覆鉢部の上にクメール風の塔堂(プラサート)が載せる形を示していますが、真偽は定かではないようです。(同上)
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〇シュリーヴィジャヤ美術(7~13世紀)
シュリーヴィジャヤ美術は、スマトラ島のパレンバンを中心にマレー半島からフィリピンまで広範囲に亘り繁栄した海上交易国家であるシュリーヴィジャヤ王国で形成されました。タイ南部のチャイヤーが、この王国の重要な拠点だったようです。ワット・ブラ・ポロム・タートに1901年に再建された塔があります。(同上) -
〇ロッブリー美術(7~13世紀)
ロッブリー美術は、カンボジアのクメール王国が領土を西に拡大し、タイ東北部から中部までを支配下に入れた影響で形成された、タイにおけるクメール美術です。その中心が、かつて『ラウォ-』と呼ばれたロッブリーであるため、ロッブリー美術と呼ばれ、その最盛期は12~13世紀です。(同上) -
〇チェンセン美術(11~18世紀)
チェンセン美術は、主に南下したタイ族がタイ北部の北に13世紀に建国したラン・ナ王国のもとで形成されました。ラン・ナ王国の最初の王、マンライはチェンセン出身であり、1262年にチェンライを都とし、1292年にランプーンのモン族のハリプンチャイ王国を滅ぼし、1296年にチェンマイを新都としました。しかし、16世紀中頃より18世紀まではミャンマーの支配下にあり、その影響を強く受けました。しかし、チェンマイなどには、特色ある仏塔も少なくないようです。 -
〇スコータイ美術(13世紀中頃~15世紀初頭)
スコータイ美術は、タイ北部の南にタイ族が建国したスコータイ朝のもとで形成されました。スコータイ王国はクメール勢力を追い払い、スリランカより高僧を招いて上座部仏教を信奉しました。この美術はスリランカの影響を受けつつ、タイ族独特の美術を作り上げました。(同上) -
〇アユタヤ美術(14世紀中頃~18世紀中頃)
アユタヤ美術はタイ中部のアユタヤを都としたタイ族のアユタヤ朝のもとで形成されました。その特色はスコータイ美術やクメール族の建築様式を基礎にして、発展させた点にあります。
仏塔は時期により次のような特色があります。(同上):以下続く -
☆第1期(14世紀中頃~15世紀中頃):クメール式塔堂(プラサート)をタイ式に変化させたトウモロコシ型の塔堂(タイ語でプラーン)が盛んに作られました。これはアユタヤ朝の発祥地がロッブリーであることに関連があると思われます。
☆第2期(15世紀中頃~17世紀):スコータイでも多く作られたスリランカ風の仏塔が流行しました。ただし、スコータイ期の仏塔とは平頭と相輪との間に何本(続く) -
もの柱が立つ点が異なり、これがアユタヤ期の特色となります。これは第8代目のポロマ・トロイローカナッ王が、一時期ピサヌロークに都を遷したことに関連するようです。
☆第3期(17世紀~18世紀初):プラーンが再び流行しました。これはプラサットン王によるカンボジア侵入に関連するようです。また、チェディでは、塔身が細く角がジグザグとなったタイ独特の塔も出現しました。
☆第4基(1732~1767年):第3期に出現したタイ独自の塔が普及しました。アユタヤのチェディ・プーカオ・トンはその巨大な例です。(同上) -
☆バンコク美術(18世紀末~)
1782年にバンコクを都として成立したラタナコーシン朝のもとで形成されました。基本的にはアユタヤ美術の影響が強い美術です。仏塔でも、これより以前に出現した様式と大きく異なるものはありません。ワット・アルンは大小五つのプラーンの構成で須弥山を具現化し、またその表面の装飾に陶器が使用されていますが、これは中国の影響と考えられます。王宮寺院であるワット・プラケオには三つの尖塔がそびえます。西より「プラ・シー・ラタナー・チェディ」とよばれるチェディ、「プラ・モンドップ」とよばれるモンドップ、「プラサート・プラ・デープビドーン」とよばれるプラーンです。ただし、モンドップは尖塔を上部に戴くものの、本来は仏像を祀る方形の堂です。(同上) -
タイの仏塔の基本的な様式についての纏めです。仏塔の様式は、『チェディ』と『プラーン』の2種に大別され、チェディは、千原大五郎氏や伊東照司氏らの見解を参考に、次の八つに纏められていました。
①スリランカ様式:基壇上に覆鉢部をつくり、その上に方形の平頭部と相輪を戴き、基本的なストゥーパの要素を備えます。ただし、ミャンマーやタイの塔の覆鉢部は土饅頭型ではなく鐘型です。
②ミャンマー様式:基壇上にと覆鉢部をつくり、その上に相輪を戴く。平頭部にあたる部分を作りません。
③シュリーヴイジャヤ様式:基壇上の四方に仏龕をもつ箱形の身舎をつくり、その上の中央と四隅に小型のスリランカ様式の塔を載せます。
④シュリーヴイジャヤ-スコータイ様式:基壇上の四方に仏龕をもつ箱形の身舎をつくり、その上にスリランカ様式の塔を載せます。
⑤スコータイ様式:基壇に凹凸のある八角形の段台の層をつくり、その上に方形または八角形の塔身を載きます。先端が蓮華状の蕾になります。(続く) -
⑥スリランカ-アユタヤ様式:基本的には①の形式と同じですが、平頭部と相輪部との間に柱を立てます。
⑦タイ様式:基本的には①の形式と同じですが、塔身が細く、平面を乙字型の多角形にします。
⑧ラトナチェティ:四方に仏龕をもつ方形の階段状に作られた角層塔。(同上) -
『プラーン』はクメール建築の筍状の「プラサート」という高層建築に起源をもち、通常「塔堂」と訳されます。当初は神像やリンガを祀る建築でしたが、タイの仏教寺院では、チェディと同じ役割を担いました。アユタヤ期に塔身が細く作られ、トウモロコシ型になりました。(同上)、以上で『チェディ』と『プラーン』の紹介はお終いです。(同上)
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『アユタヤ歴史公園』の中で世界遺産の一つとして紹介した『ウィハーン・プラ・モンコンボーピット』と呼ばれる礼拝所の赤い屋根の光景です。1950年代にビルマからプレゼントされた建物と紹介しました。高さ13メートルと言われる仏坐像は、1990年には、タイ芸術局の承認のもと、金箔が施され、その後、1992年に60歳を祝う王妃シリキットの寄附より箔押しが完成しました。(ウィキペディア)
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名前:『シキチョウ(四季鳥)』
分類:ヒタキ科ヒタキ亜科
分布:インド から、東南アジア、 中国 南部に分布。
その他:美声で知られる鳥です。バンパイン宮殿でも紹介しました。 -
名前:『シキチョウ(四季鳥)』
分類:ヒタキ科ヒタキ亜科
分布:インド から、東南アジア、 中国 南部に分布。
その他:横顔でしたが、ズームアップ光景です。 -
名前:『サンタンカ(山丹花)』
分類:アカネ科サンタンカ属
分布:中国南部からマレーシアが原産地。
その他:沖縄には古くに入り、沖縄と九州の一部では野生化しています。 -
名前:『チョンプー・パンティップ』:推定
分類:ノウゼンカズラ科タベブイア属
分布:メキシコ~南米北部原産。
その他:和名は、キダチベニノウゼンです。「モモイロノウゼン」や「風鈴木」の呼び名もあり、俗称ですが、『タイの桜』とも呼ばれています。 -
名前:『スオウ(蘇芳)』:推定
分類:マメ科ジャケツイバラ亜科の小高木
分布:インド、マレー諸島の原産。
その他:漢方薬として、広く使われています。 -
アユタヤ見学を終わって、今日の夕食です。意味は分かりませんでしたが、飲物メニューに『TENーTEN』のタイトルがありました。ブランディ、ウィスキー、ワイン、ビールに日本酒と、何でも揃っていました。『チャイニーズ・ウィスキー』と表示してあったのが、紹興酒です。
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今晩の夕食は、旅行案内書に『タイスキ』と表示してありました。この名前は、日本のすき焼きから借用したもので、1955年にバンコクのレストランが中華風の火鍋を『スキヤキ』という名前で提供したことに由来しているようです。野菜たっぷりの鍋料理でした。
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